はてなキーワード: 家族サービスとは
というか、オッサン世代だと「いい大人は仕事に精を出し、休日は家族サービスか仕事疲れで寝ているモノ」みたいな風潮があって、そういう世間の風潮からドロップアウトして趣味コミュニティに重点を置いた生き方をしている時点で必然的にどんな趣味でもヤバイ奴の比率は高いと思う。
まあもちろん趣味を持つことそのものが悪いことなわけではないし、現代のワークライフバランスの浸透、未婚率の上昇、それらに伴い趣味に重きを置く人の増加によって、まともな人でも趣味コミュニティへの参画がしやすくなったことで、こういうヤバイ奴率の高さは5年、10年スパンで改善に向かうんじゃないかと個人的には思っているけど。
弱者男性?非モテ男性達は女性をずっとブスとかババアとか中古とかマンさんとか言ってて、結婚は負債だからするやつは愚かまで言ってたのに、ここになって急に自分達は弱者って主張し始めたの何?
中高年になって1人が寂しくなってきたのかな。
結婚なんてしたら嫁にオタク趣味取り上げられて、家族サービスで休日が終わる。そんなつまらない人生なんて選ばない。これからもオタク友達と一緒にオタクとして生きていくのが正義って話だったよね。
それが低所得だから結婚もできず、彼女すらできずセックスできない俺たちは弱者だって言われても「ほーん」としか思えないと言うか、それこそあなた達の大好きな「自己責任」では?と思う。
ワクチンの接種が始まったり、COVID-19 の実際の脅威の程度が理解されてきたりで、流石に来年度には今年度のような混乱は続かないのだろうという雰囲気が出てきた。
コロナ禍にともない、飲食店がたくさん潰れたり世の中の不幸が増えているという事は理解している。
ただ、俺に限って言えばよいことも多かった。
コロナ禍が終わって、この静かで祝祭のない優しい日々が終わってしまうんだろうなと思うと、それはそれで憂鬱になってしまうんだ。
僕が小学2年だった、昭和の終わりごろの、僕の父(団塊世代、3年前に他界)の日曜日の過ごし方を、記憶をもとに書いてみます。
なお、これは、家族サービスをしない日の過ごし方です。
・朝からテレビを見る。関口宏のサンデーモーニング→教育テレビの将棋対局→アッコにおまかせ→新婚さんいらっしゃい→アタック25の順。
家にテレビはリビングに1台しかなく、テレビは父に占領されていたため、日曜日の午前中に見たい番組を見せてもらった記憶がない…。
・テレビが終わったら繁華街へ1人で出かける。本屋や電気屋、レコード屋を回る。帰りに行きつけの立ち飲み屋で1杯飲む。
・夕食は鍋が多かった。鍋はいつも父が仕切っていた。
・夕食後は、ビールを飲みながら、プロ野球や大河ドラマを見ていた。
こんなところでしょうか…。でも、今の自分が、この時の父と同じくらいの年齢になって思うことは、日曜日の過ごし方を見ても、やっぱり全然違うなあ、
ということです。朝のテレビだって、今でも見ようと思えばこの順番で見られますけど、全く見る気が起きないし…。ていうか、テレビは家族に占領されてるので、
仮に見たい番組があっても見ることは難しいですね。
まあ、この時代と比べると、時間つぶしの手段がかなり多様化しているので、その辺りが影響しているんだろうなあ、と思います。
現代であれば、ネットやゲームで無限に時間がつぶせるし、わざわざテレビを見なくても、と思うので…。
でも、こういうお父さんって、現代でもいるんでしょうか…。僕と同世代(40歳くらい)の人で、こういうお父さんって、少なくとも
ぼくの父はよく本を読む人だった。
過去形で書いているが、存命だし、わりに元気らしい。母からの便りでは、勝手になかなか高額の生命保険に入って、かつ元気ピンピンらしい。ただぼくの中では、父親はすでに過去の人間なのかもしれない。18で実家を離れ、年に数回しか話さない。実家にいた時にも、自分についてもともと多くを語る人ではなかったが、余計に話すことは少なくなった。話す話題も政治のこと。父の憧れる都会のこと。父親の個人的な話は、ほとんどない。
父親はそこそこ裕福な家庭に育っているらしい。あまり詳しくは知らないが、不動産ももっているので、家賃収入がある。が、多額の借金をしていたこともあるようだ。車は常に外車だし、今でもファッションサイトでラルフローレンなどを購入している。60にしては身なりというか世間体を気にしている。ぼくが古着に傾倒したときには怪訝な顔をしていた気もする。
よく父は本屋に連れて行ってくれた。割と硬派な父のお気に入りの本屋が町にあった。田舎の本屋だ。本屋は好きだった。紙とインクの匂いがぼくを刺激した。いつも父は分厚い本をたくさん買って帰っていった。僕にも「何か買いたい本はないか」と聞いてくれた。当時は系統立てて本を読もうと思ったこともなかったし、今とも読書傾向も大きく違う。おそらく父からみたらどうしようもない本を買ってもらっていたと思う。
父はあまり家にいなかった。というか、父親と母親が夫婦で過ごしている姿を見ることはあまりなかった。自営業の共働きで、母が日中仕事をして、父が夜仕事をする。ぼくが家にいる時間は、父親は家にあまりいなかった。ぼくとしても、父と何を話せばいいかわからなかったから、気が楽だった。気が楽だったから、父親とは向き合わなかった。こうしてぼくの家族との距離感が形成されていったのだろう。夫婦で楽しくしている姿も、父親が家族サービスする姿なんてのも、ぼくの家族像にはない。もっとドライな、共同体だった。結局、父親は何を考えている人かわからなかった。
話はぼくの今の生活にスライドする。今、妻と別居、ないしは離婚の話をしている。重くつらい時間だ。
ぼくなりにこれまで妻に尽くしてきたつもりだった。その「ぼくなり」の尽くし方が限界にきてしまった。しんどくなった。夫婦生活に疲れてしまったのだ。
妻には「急にあなたの結論をいわれて困っている」と言われた。本当に我ながら自分勝手だなと思う。何を考えているのかわからなくて、結論だけが出てくる。たぶん、父親もそうだったんじゃないかなと、今、想像する。
ぼくも父に似て浪費家だ。好きなことに、思いついたことにパッとお金を使ってしまう。そのことが原因で何人かの人を悲しませたこともあった。痛い目にあって多少の貯蓄ができるような大人にはなってきているが。そして、ぼくは本が好きだ。常に何かしらの本を持ち歩いているし、活字を読むことに楽しみを覚えている。
あんなにも訳のわからない生き物だった父親。しかしぼくが見ていた父親と、今のぼくはそっくりだ。ぼくは父親が苦手だ。でもそんな苦手な父親に似てきていることに、がっかりする。でも今ならすこし理解できそうな感じがする。
こんなことを考えてもなんの足しにもならない。夫婦での話は今後も続く。妻をひどくがっかりさせることも増えるだろう。そういえば、父親も母親をひどくがっかりさせていたな。幼い頃、母を泣かせて父が家を出て行った。母を慰めた覚えがある。木造の古い家でのことだ。
こう考えると、やはりぼくには結婚をする資格がなかったのかもしれない。大切にしたかったものと上手に付き合えない。つらくなると逃げ出したくなる。ダメな人間なのだ。
正直限界なので吐き出させてほしい。
私は現在M1で、今は土日も含め、ほぼ毎日のように研究室に通っている。
コロナの影響で思うように研究が進められなかった時期もあったので、今は毎日が充実していて楽しい。
教授は私の指導教官であり尊敬している相手ではあるんだが、ゼミの行事に何かと子供を連れてくる。
私はもともと子供が苦手なので、学部のころのゼミ合宿などでは、先輩や同級生たちが子供の面倒を見ているのを遠くから眺めていた。
院生になってから、教授が研究室にも子供を連れてくることがあるとわかった。
頻繁に連れてくるわけではなく、2~3か月に1回ほど、両親とも仕事で保育園にも預けられない日?(そのへんの詳しい事情はわからない)に仕方がなく…という感じなので、文句も言いづらい。
教授が仕事をしている間、その日に研究室にいる学生やスタッフで息子の面倒を見るんだが、これがかなりしんどい。
この息子は学生を完全に舐め切っている。
学生たちが教授の目を気にして息子に強く出られないことを理解しているため、嫌いな学生に対しては教授が同じ部屋にいるときに、こちらにだけ聞こえるように嫌味を言ってくる。
多分学生が子供相手に本気で怒るなんて大人げないと思って我慢することも理解したうえで陰湿な攻撃をしてくる。
先述したとおり私は子供が苦手なため、他の学生のように息子のことをチヤホヤしないのが気に入らないらしく嫌われている。
この間会ったときには「またお前かよ」などと言われて絶句してしまった。
教授は一応学生に子供の面倒を見てもらっていることを申し訳なく思っているのか、たまに夕飯をご馳走してくれる。
この夕飯はご自宅に招待していただくかたちになるので、もちろん息子に会うことになる。
正直行きたくないが、この先の進路のことや研究室での立ち位置を考えると、断ることはできない。
初めてお呼ばれした日には、息子に「どうして帰らないの??」と何回も言われた。別にこっちだって好きで来ているのではない。
先輩が一度教授に相談したことがあるらしいが、教授は自分の息子がそんな陰湿なことをしているとは想像もしていないみたいで、軽く注意して終わってしまうらしい。
息子も教授の前ではかなり大人しくしているので、そこがまた腹が立つ。
正直息子に会いたくないので研究室に行くのが億劫になってきた。
そんなの気にしなければいいというのはわかっているが、子供とはいえ他人に理不尽な悪意を向けられることや、それに傷つく自分の大人げの無さに自己嫌悪するのが嫌だ。
教授もどうかと思う。私は研究するために大学に通っている学生である。教授のベビーシッターではないのだ。
子供が全然かわいいと思えない私が悪いんだろうか。子供相手にイライラしている私が悪いんだろうか。
自分で産んだ子なら多少はかわいいと思うかもしれないが、他人の子供、それも私に明確に悪意を向けてくる相手に対してかわいいなどと思えるわけがない。
こんなバカなことで大学に行きたくないと思う日が来るとは思わなかった。
たくさんご意見ありがとうございます。
自分の視野が狭くなっていて、大学側に報告するという当たり前の選択肢が見えていなかったことに気づかされました。
研究室内はもう子供のやることは目をつぶろうという空気で、先輩方にもやんわりと我慢するように言われたり、同期には先生に協力しようという気持ちがないのかと叱責されたりしたので、もう私が泣き寝入りするしかないと思い込んでいました。
とりあえず今日、生活課にこんな時期に研究室に部外者が入り込んでいることについて大学側はどう考えているのかと聞きに行きました。コロナが完全に落ち着くころには私も研究室を出ているはずなので、とりあえず数年間息子の出入りがなければいいかなと思いこのような理由をつけました。
生活課の方は一度事実を確認しますと言ってくださったので、何かしらの対策はとってくださると信じています。
情けない話ですが、教授や息子に直接言えるほどの勇気がなかったので、教授より上の人間に言ってもらう方向で解決しようと思います。
大学で研究者をやってるので、セミナーとか研究会とか学会みたいなものにはこれまでそこそこ頻繁に参加していた。それがCOVID-19ですべてオンラインに移行した。春頃からそうしたオンラインのウェブセミナーをいくつも聞いてきたんだけど、最近まったくモチベーションが湧かなくなってきて、可能な限り欠席するか、出席しても音を消して「ながら」で垂れ流しているだけになっている。
いま思い返すと、リアルな場でセミナーを聞いてたときは、移動時間とか、全身で感じる会場の雰囲気とか、つまらない発表を聞きながら手持ち無沙汰になってメモを見返す時間とか、発表者や参加者とのコミュニケーションとかを通じて、なにか新しいアイデアを思いつけそうな感覚があったし、実際にそれが共同研究に発展したこともあった。リアルなセミナーは「余剰」にあふれていて、それが参加のモチベーションになっていたなと今にして思う。
ところがオンラインのセミナーでは、そういう「余剰」がない。自室でPCを起動させて、送られてきたURLにアクセスして発表を聞いたら、それで終わり。そこにあるのは純粋に発表だけ。内職していても誰にもばれないから、発表がすこしでもつまらなかったら、いつでも聞くのをやめて、環境がフルに整った自室での通常仕事に戻れる。そうすると、発表それ自体の価値にすごくシビアになる。おまけのついていないグリコのキャラメルの味を吟味するようなものだ。論文や書籍と違って、セミナーの発表というのは粗削りなもので、それ自体の情報的価値は実はそこまで高くない。この時間で積ん読になっているあの論文を読んだほうが得られる情報量は大きいではないかとか、この発表を聞くために1時間の貴重な仕事時間や週末の家族サービス時間を捧げる価値はあるのか、とか考えるのが必然となってくる。
そういうことが重なって、オンラインのセミナーに参加する意義をもはや感じられていない。自分が中心的な話題提供者のひとりになって積極的に議論するのなら時間を投資する意義はある。しかしそうでなく、単なる一参加者として聞くウェブセミナーでは、情報収集やアイデア思いつきの効率が極端に悪いことがわかってしまったため、もうまともに参加する気はなくなっている。
ある種の衝動的な思考であり書き留めないと経験として正しく蓄積できなさそうなのと、人の目に触れさせることで将来子供の役に立つかもしれないのとで、ここに記す。
先に断っておくが、誰が悪いという話ではなく、自己分析のようなものである。
直接のきっかけはパートナーがこちらの譲歩を引き出す交渉条件として「離婚する?」「そんなこと言ったら離婚するしか無いじゃない」といった物言いを2-3ヶ月に1度するようになったこと。2度までは「離婚の前に取れる段階はないのか」「離婚したらどういった生活が待っているのか」「子供や親はどうなるのか」など真摯に話していたが、何度も終わった話を蒸し返すので「そんなに言うなら離婚しよう」ということになった。相手の本気度はまだ読めない、まだ交渉材料として出しているだけかもしれない。
また結婚してしばらくは必要だと思って相手に限りなく譲歩していたのだが、このとき理不尽な要求だと私に見えるものを無理して飲んだことで、結局私の中に「この人は私のあり方を見ていない」「空想のパートナー像を押し付けている」「都合が悪くなれば私をいじめる」という理解が醸成されてしまい、私が離婚に逃げる口実を増やす結果になった。譲歩の期間そのものは相手が友人と相談した結果、私に過度な期待しなくなったことで終わったのだが、私の中にはこうしたしこりが長く残ることになった。数年後にもグチグチ言うほどとは、自分でも驚いている。譲歩自体はふたつの家・価値観がひとつになる過程でどうしても必要なのだが、譲歩しすぎたのが良くなかった。
家をひとつにするというのは非常に難しいことで、私と相手の親、相手と私の親は結局険悪なままだった。文化や常識を共有しないので、あちらも私に共感できないし、こちらも子供を見る上での労働力としてしか勘定しなくなった。互いに自らの親を担当することで表面上は事なきを得ていたが、より高齢になり介護をする日が来たら致命的になっていた可能性は高い。
最後に相手の無防備な姿を見すぎて性的魅力を感じなくなったこと、相手の魅力的に感じていた性格が失われたことが大きい。魅力があれば自分の非を認めて、あるいは傾聴を通じて相手を深く理解しようという思いも出るが、結婚した相手であるという義務感だけでは関係を維持するのは難しかった。お互いに歳を重ねたことも無関係ではないだろう。
核家族で子供を育てることはとても難しい。体の悪い親に頼るのは限界がある。親や家政婦、ベビーシッターは保護者ではないので、真の代わりにはなれない。例えば最近雇っていた家政婦は、不要だと言っても必ず子供が夕食を食べるのを手伝ってしまう。自分で食べさせろと何度言っても、手伝ったほうが仕事が楽なので、そちらを選ぶ。おもちゃの片付けもそう。家庭での教育は、親にしかできない。
そして親であることは24時間営業なので、休めない。パートナーが出張だったり休日出勤だったりすると自分の休める時間が無くなって詰む。つらい。自分の親が普通にやっていたこと、周りの家庭で当たり前のように行われていることが、ここまで辛いものだとは想像していなかった。片親の家庭はいったいどうしているんだ。
私もパートナーも子供が嫌いなのではなく、むしろ好きなのだが、言葉が通じる年になり力が付きワガママを暴力で通そうとする歳になると一気にストレスになる。1日中張り付いて自分の時間がなくなる。教育上重要な期間であるという知識がより重荷になる。ドラえもんのようにスイッチを切ることができたら良いのに、子供も他人なのだから自分の人生こそを大切にするべきなのではと、毎週のように思っている。
私が「自分の時間」の枯渇を強烈に忌避する存在だとは思っていなかった。
私が親の義務・責任に耐えられないほど我儘な存在だとは思っていなかった。
私が子供の戯言を笑って流すことのできない狭量な大人だとは思っていなかった。
私が家族がいることでキャリアの幅が狭まることを嘆くような頓珍漢だとは思っていなかった。
教育や家族との交流を、家族サービスを飛び越えて自己犠牲だと受け止めてしまう。優しい家庭で育った自分がこうした発想に至るとは、思っていなかった。
相手が離婚というワードを使うようになったきっかけはわかっていない。不倫ドラマの見すぎではないかという気はしているが、知性的な相手なのでそれだけではないだろう。
想像ではあるが、相手の親が離婚経験者なので、離婚が選択肢として常に無意識の中にあるのだと思う。私は離婚というものは選択肢どころか存在として頭にないので、こういうワードを出してくる相手に驚き、憤り、呆れてしまう。結婚式での誓いは何だったのかと。この相手の「親が離婚した」という経験を、もっと紐解いて解消することができるならば、それが一番だったかもしれない。
今でも、結婚した判断は誤っていなかったと思う。年齢的にもキャリア形成上でも、あれがベストのタイミングだったし相手だった。魅力も自分との相性も十二分な相手に巡り会えた。子供を授かったことも嬉しかったし、今でも誇りに思っている。ではどうすれば良かったのか。
恋愛経験を積む。それにより事前に知ることができたであろう自分の癖や交渉術は、ある程度存在する。可能かどうかは別として、もっと人との関わりを学ぶことに時間を投資すべきだった。
子育てを感じる。比較的晩婚だったので、同年代からも子育てのリアルを聞くことは十分可能だっただろう。他にも託児所や学童でバイトするとか、年下の兄弟の言動を見ておくとか、やりようはいくらでもあったと思う。子供の可愛さばかり見ていて、その裏の複雑さを見ていなかった。
適度に自分の都合を通す。今回は最初に相手を優先して、堪忍袋の緒が切れてから我を貫くようになったので、落差が大きすぎ最適な譲る量を見極められなかった。相手からしたら、普段は静かだが急に怒り出し我儘になる人間に見える。「それはちょっと嫌だな」「こういう風にはできない?」といった軽い表明を小出しにしていくべきだったのだろう。
ワンルームに住むのをやめる。ワンルームは相手の無防備な姿を見るきっかけを増やす。相手に性的魅力を感じなくなっていく。セックスレスになる、そのことを当然だと思うようになる。自分の時間を増やすために交流を減らすことを厭わなくなる。自分の部屋を持つこと、相手の部屋を作ること、共有エリアでは家族相手といえど節度ある服装でいることを家族内でルールとする方が良い。自分の魅力を保つために、食事や運動や学習に継続的に投資することも必要だ。
魅力魅力とバカのひとつ覚えのように書いたが、これが一番重要だと真面目に思っている。互いに魅力を感じる仲を保ちさえすれば、困難を乗り越える家庭になったのではないか。魅力がなくなり義務感だけでつながるようになると、思い出も色褪せるもので、自分に不利な契約をしてしまったビジネスパートナーとやりとりしているような気分にさせられる。自分の時間がなくなることと合わさって、自分は一体何をしているのだという虚無感に苛まれる。つらい。
・婚約破棄
知人女性が「婚約破棄された!」と大騒ぎしていたので話を聞いたところ
ラブラブだった時期に「(僕|私)たち結婚しようね(ハート)」という約束を破られたという話だった。
おれの知ってる婚約破棄とはなんか違う
・飲み会
よく妻に「今日飲み会なの?」とか「この前の飲み会どうだった?」とか「来週飲み会があるんだけど」とか言われるんだが
おれはただ友達4人でメシ食いながら酒を飲んでるだけでこれは「飲み会」ではない。
取引先によく「家族サービス」という言葉を使う人がいる。「先週末は家族サービスですか?」と聞かれるのはべつに気にならないんだが
子供と一緒に公園に遊びに行ったことを「家族サービス」と答えていいのかよくわからず「え、えぇ、まぁ、うん」みたいな曖昧な返事になってしまう。
・合コン
自分の合コンの定義は「面識のない男女が顔合わせを目的に食事する」と思っているのだがどうやら違うらしい?
「友達が友達を連れてきた飲み会」で出会ったから合コンではないと言い張る友人と「いや、それ合コンだろ」という話を繰り返してる。
やっすいゴム使ってヤりまくる目的程度の女と性欲落ち着くまでセ〇クスして機嫌よく家に帰ってきて完璧な夫としての役割を求めてくる妻や子供への家族サービスに務める夫とか偉過ぎるとしか思えないんだけどなあ…。妻を性欲のはけ口にすればそれはそれで文句を言う、よそで発散してくると浮気だと言う、結局こういう問題が露見した段階でとうの昔に妻と夫の関係が終わってるって事なんだろうね。
お前らを養う義務も意欲も失せたから別れるわサヨナラて言って家族を捨てると妻も子供も大喜びすんのかな?
変に追い詰めると離婚問題になるけど子供にコンドームの写真見せてきた妻はそれ分かってんのかね。
浮気問題浮気問題って子供の事しか頭になくて旦那への何のサービスも愛情表現もしなくなった女に女としての魅力なんかねえだろ。他の女のマ〇コにうつつ抜かされたくないんだったら自分がセ〇クスアピールしてみれば?それもしないで相手が自分に盛って来ないのがおかしいとか思ってるなら鏡で自分を客観的に見てみればいいと思うが。まあ何にせよ決定的な証拠も無いのに夫のコンドームの写真を子供に見せるような女が妻だったら家に帰りたくも無いしよそで励む気持ちも分かりすぎるほど分かる。このツイッターの記事がバレて離婚問題になるかもね。という事はツイッターにこの写真を上げた子供が離婚の原因になるかもね。救いようが無い話。
3.どうせ飽きるんだろ俺のことなんて
自分が汗水たらして稼いだ金をなんで他人に貢がなければならないのか
出たくもない会社の飲み会でお金払うのもばかばかしいのに生活費という名のもとに自分以外の金銭を工面する次点でなんかおかしいじゃないの
手取りの金額に関わらず全額俺が自分で使いたいわ、当然の権利だろうに
今実家に仕送りしてる現状すら気に入らない、俺からお金を取ろうとする全員気に入らない
どうせ趣味も合わない、話も合わない、つか絶対話してて疲れる、そのうえお金まで掛かるってどういうことだよ
親すら邪魔だ、俺の稼いだ金だぞ、なんで搾り取ろうとする
「今まで育ててやった~」じゃねーよ、小遣いなんて貰ったことねぇぞ、学費も俺がバイトして出したんじゃねぇか
それ以外の生活費みたいなもんはもう返し切っただろうが、この5年ですでに800万は実家に入れてきたんだぞ
結婚をしてない現状すらこんな悩み抱えてんのに結婚したら更に同じ悩みが増えるとか意味わかんねーんだよ
家族サービス?クソくらえ、自分へのご褒美が何よりも優先されるだろうが
嫁が出来ようが子供が生まれようが一緒だろうけど、なんで自分だけで精いっぱいなのに他人の世話までしなあかんねん
どうせ育児ノイローゼだのご近所づきあいだのイジメだの反抗期だのPTAだのメンドクセーことたくさん出てくるんでしょ
いちいち構ってられるかよ、どうでもいいんだよそんなこと
親戚とのかかわりすら一切を立ち切りたいのにこれ以上大衆と構ってられるか、仕事先の顧客の対応だけで十分だよそんなん
てか女の子生まれるかどうかも分からん人生賭けたギャンブルなんか絶対に嫌だ
3.どうせ飽きるんだろ俺のことなんて
美人三日とかそういう問題じゃなくて、普通に考えて同じ人間と同じ屋根の下一緒に暮らしてればそら嫌になるだろ
ましてや趣味も話も合わない相手だったら1年持つのか?俺は無理だ
漫画みたいに愛し合うとか夢見すぎじゃないか?絶対世の中の夫婦の大半はなぁなぁで生活してるだろうが
俺の周りそんなんばっかだぞ、やれ家に帰りたくない、やれ結婚したら自由が無い
じゃあお前らなんで結婚してんだ
俺に結婚後の不幸話聞かせてくる癖になんで彼女無しをイジメみたいに弄ってくるんだよ
地獄へ連れ込もうとするゾンビかなんかなのか?てめぇらもこの地獄味わえよって根端か?糞くらえアホどもが
まあ結論としては、「悩みを増やしたくない」これにつきる
なんとなく気持ち悪いので無くなって欲しい言葉。30代後半になってよく聞く。
何じゃそれ?会社員じゃダメなのか?とくに自分自身に対して「おれなんてリーマンだから」とか使われるのが気持ち悪くてしょうがない。
意味わからん。「土日は家族サービスですか?」とか聞かれるとどんな反応すればいいか分からなくて困る。おれは子供と遊ぶのが好きだから一緒に出かけてるんだよ。
実際にこういうことがあるのは理解してるし人が集まれば派閥ができるのはしょうがない。ただ、仕事してんだから二言目には「社内政治的には〜」みたいな話は意味わからん。
いや、分かるよ。言ってる意味はわかるよ。制約がある中でどこまでできるかって話ね。ただお前が使ってる「落としどころは」ただの妥協だ。
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思い出したら追記する。