はてなキーワード: 主食とは
自炊の利点は新鮮な果物、人間は果物が必要、かんきつ系とかは剥く時間かんがえたらレモン果汁絞り器で絞って飲め
野菜はコンビニでも売ってるオクラかほうれん草の冷凍したやつ。生にこだわるなら安いモヤシとキャベツと小松菜、かぼちゃあたり。冷蔵庫で結構長持ちする。洗ってチタンコートハサミで切って炒めるか味噌汁でええよ レタスもまあええし刻みキャベツ袋にいれて売ってるからドレッシング入れて揉んで皿にあけていいよ
タンパク質は卵と豆腐とサラダチキンかチーズでいいよ 卵はゆでて豆腐はマーボーの元つかうか冷ややっこか湯豆腐 でもまあ肉食いたくなるだろうから焼肉やソーセージやハムつかってもいいよ
主食は毎食レトルトカレーとさとうのご飯か、チャーハンの元でええよ。ポテト類もメイン扱いにカウントな。まるごと洗って耐熱ボウルにつっこんでラップして10分くらいチンしてバター添えて出したら食べるけど太るからな。
魚なのに魚を主食にしてる
保守的な親(60代)と田舎で暮らしてるんだがそんな親を見ていて思ったことを書く。
この人たちにとって自民党を選ぶということは、主食で米を食べているのと同様なことなんだと感じている。
つまり他の党を選ぶということは主食で米以外のものを食えと言っているのと同義。
普段の主食の選択肢で自然と米を選んでいる人たちに、どうやったらパン等の米以外のものを主食とさせることができるかという考え方をすると
もう少し自民党票を切り崩せるんじゃないかという印象を持った。
昔から何気なく「いつもの米」を選んでいる人たちに敢えて別のものを選んでもらうときに
米はまずいからパンを食えとか健康に悪いから別の主食にしろって言っても、実感が湧いてないことには何言ってんだこいつとしか思われないと思う。
制度的にも米と相性のいいものが多いから、そこをパンに変えたところで食い合わせが悪いようなところとか。
親子丼の米の部分をパンにしたってそりゃ相性悪いでしょって具合でさ。
米の供給が減るとかパンでしか味わえない料理とか、明確に米が原因で健康診断(その個人が気にしている指標)の結果が悪いってのがないと
ちなみに親は立憲民主党の代表が自民党を批判している場面の度にめっちゃ反応するんだが
「自分たちのときは原発のときに何もできなかったのに文句ばっかりよく言う」と。
他の十数年を無視して、あのときの当たり年の突発的な状況だけみてそれかーって思うんだけど
「いつもの米」の代わりに別のもを主食としてあえて食べたときに、滅茶苦茶苦まずかった場合もう二度と食わんという心境と同じかもしれないと思った。
ちなみに今回のコロナ関連は「政府の言うことを聞かない市井の人々が悪い」とのことです。
田舎の人の視点だと都市圏の人が減っている状態でも人が溢れているように見える為みたい。
通学時、食パンを咥えたまま「遅刻、遅刻~」とか言いながら走ってきて交差点で運命の人とばったりんこ。
食パンより厚みがあって喋りにくいし呼吸もしにくく全力疾走するのに向いてない。
主食のご飯は咥えるものではないから絵としてわかりづらい。茶碗と箸も持たせよう。
縦笛のケースにはサンマを忍ばせて後ろ手にすっと取り出しサンマを咥える。
魚を咥えて走っていると、裸足で追いかけてくる陽気な何かに遭遇する。
陽気な何かは料理中だったのか包丁を持ったままそれを高くかざして鬼の形相で迫ってくる。
もはや陽気ではない。妖気さえ帯びている。
陽気だった何かは見る見るうちに巨大化して街を呑み込んでいく。
通学時は人通りも多い。
なぎ倒された家に巻き込まれて圧殺される生徒。
陽気だったかもしれない何かによって朝焼けが血に染まっていく。
「どうなってんの!?」
犬が、咥えたものを一瞬放して咥え直すように手を使わず器用にサンマを回しながらモグモグモグモグ。
このままでは追い付かれる!
足の回転速度を上げるとともにサンマを食べる速度も上がる。モグモグモグモグモグモグモグモグ。
逃げ切れるか!?
気付けばサンマは全部食べ終わって頭と骨だけになっていた。
それを見た妖鬼は忽然と足を止めその場に固まった。
数十人惨殺した返り血で顔は正に鬼そのものだったが生気がなかった。
サンマを取り戻せないとわかって諦めたのだった。
背を向け、しおしおと来た道を戻っていく。
あれ?俺は何を書いてるんだ?
ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法と理由のモデルを調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義、リスクを考慮した生存、副産物の相互主義、遅延した互恵主義、取引/現物でない交換、その他の選択モデル(血縁の利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブな生存、遅延型互恵主義、貿易(現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給のリスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題を回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義と窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。
食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるかに価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝の感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。
しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分で食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。
局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代に収集品が登場したことで、多くの文化で可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族の個人間で持続的な交流と信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵的利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠からも確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食の重要な取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカやアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。
添付の図で示されているシナリオは仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである。旧石器時代のヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。
トナカイやバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパの旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族のメンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターンに精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンやカモシカの狩猟、サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部やフィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイの牧畜に特化していた。
旧石器時代にもっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソン、ジャイアントナマケモノ、マストドン、マンモス、シマウマ、ゾウ、カバ、キリン、ジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代に絶滅させられたか、あるいは人間と人間の発射物を恐れるようになったのである。しかし、サピエンス・サピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、専門性がはるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパの旧石器時代の考古学的証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。
このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器、収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。
大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである。自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである。
このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一の有益な取引が可能であるだけでは不十分だということだ。相互に有益な取引の閉ループを特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコストを償却する。
前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合はフルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法の専門家になることで、部族は莫大な生産的利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティやヨーロッパの草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである。
このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:
1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。
2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。
3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。
食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識と採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。
アフリカ南部のクン・サン族は、他の現代の狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初にネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人を限界の土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。
他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能なアイテムを製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカで発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズのアクセサリーが多く取引されている。
クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンドの領地に入り、そこで狩猟や採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域で採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリー・アンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。
解剖学上の現生人類は、意識的な思考や言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的な思考や言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族のメンバーが単一の取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的に設計されたというよりは、むしろ進化したものである。制度の儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化的機能の観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的や起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様な神話の観点から説明していた。
食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族の狩猟跡と別の部族の消費パターンを比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族や親族集団の境界を特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代の世界各地で一般的に行われていたと考えられる。
今のところ、収集品自体の移動による間接的な取引の証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日の考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。
残念なことに、ほとんどの時代と場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁は部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻や親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産を保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引でコストを償却しなければならなかった。
このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場、企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類の先史時代において、富の移転は取引だけではなく、おそらく最も重要なものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場や企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要なものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンス・サピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである、次世代への富の移転について説明する。
地味に面白かった
読む前にタイトルから内容がまったく想像できなかったけど、1話だけでわかる
未来から現在に来た人間が、未来を変えないように四苦八苦する&現在の文化のギャップにおおげさなリアクションをする話
ずっと続けられそうだったけど最後はあっというまだった
まあ3巻も続いただけでも奇跡みたいな漫画だと思うけど いい意味で
まじでまったくなかった
欲望を抑制して我慢できるように訓練してるっていう設定もあったけど、
大家さんがなぜか子持ち美人若妻ってだけで最初警戒したのも、読了した今となってはなつかしい
大家で性欲みたいなネタもやれなくはなかったけどまったくしなかったのはすごい
まあメインテーマがカルチャーショックだっていうことを考えると、個人の性欲は別の「次元」の問題だからな(ドヤッ
ちなみにタイトルは、未来の世界では味のあるいろんな豆腐が主食になっている=豆腐が主食の次元からやってきたということだと思う
でも正直タイトルをもうちょっとうまくやったらもっと売れて続いたんじゃないかなという感じはある
ただ今のタイトルの微妙さもあわせて全体の独特な雰囲気を出してると思えば悪くもない気もする
ギャグのセンス独特と思ったら、原作のもりしげはとなりの関くんの人だったのか
メイドが無駄にでてきたから、チャンピオンのメイド専門のもりしげかとおもった
なまえいっしょじゃん!
まあとにかくこれを読んだだけでもいい週末だったと思うわ 地味に
ミリシタ
元々はボイスロイド琴葉姉妹によるマリオ実況で人気を博した投稿者なのだけど、今年の5月頃からデレステ、7月からミリシタにてプロデューサーに。『琴葉姉妹モノ』のお約束をある程度抑えとく必要はあるものの、茜ちゃんと葵ちゃんが熱情をもってゲームに取り組む様、所々ポエミーにMVを鑑賞していく様、何より着実にアイドル達への理解と愛情を深めていく様は、アイマス初見実況を好物とするオタク達に深く刺さることと思う。オススメ。
https://nico.ms/mylist/61820967?ref=nicoiphone_other
そういうのが好きなタイプのシャニマスオタクは当然知ってるであろうレベルの人気投稿者といえるが、ニコニコがメインということで知らない人もいるかも。とにかくシャニマスのシナリオに対する理解が深く、驚くべきポイントで驚き、感動するべきポイントで感動し、苦しむべきポイントで苦しんでくれる。なので、一緒にシナリオを深く読み込んでいくもよし、一度読んだシナリオの別理解を探るもよし、やっていることは従来通りのゲーム実況だけど、色んな楽しみ方を提供してくれる投稿者。
今や『月ノ美兎が作った流行』どころではなく一大ジャンルと化したVtuberシャニマス実況だと、今一番面白いのはこの人達。
https://youtube.com/playlist?list=PLX2omRlD-QVZ2IVIZ2b8Z6EnDujfVtK3T
紫色で小さい毒楽こぐまさんと青色で大きい仁星みぃなさん、仲のいい女性Vtuber二人組のチャンネル。ちょっとお口が悪いところがあるので若干人を選ぶかもしれないが、2人とも元々二次創作畑の経験が長いのかシナリオ理解の早さと深さが半端ではなく、こちらもシャニマス実況動画として純粋に面白い。
ブームがだいぶ落ち着いた今でもコンスタントに実況してくれている。現在最も追うべきシャニマス実況Vtuberはこの二人だと言っても過言ではないと思う。
https://youtube.com/channel/UCdPpPvMlmhzNj2IrpvzM07A
8月2日からシャニマス開始。「Vtuberとして上に行きたい!」という気迫が伝わってくるハキハキした喋りで283のアイドル達を味わっていく様は、アイドル業界で生き抜くシャニマスPとも親和性があるようにも感じる。今は印象派凛世で初回プロデュース途中なので追いつくなら今。
月ノ美兎委員長によってVのものによるシャニマス実況が開拓されてから早1年半、今やシャニマス公式が実況ポリシーを制定するまでになった。
https://twitter.com/imassc_official/status/1427541504084512769?s=21
そんな1年半の中で、ゲームとしてのシャニマスも、Vtuberという文化も進化し成長したが……最も進歩したのは実は視聴者たるシャニマスおじさん達ではないか……とも思う。
というのも、現在でもコンスタントに投稿されるシャニマス実況のアーカイブを見まくっていると、どういうわけか、どんなに登録者数が少ないVtuberによる配信にも、たとえそれまで一度もシャニマス実況をやったことがないVの所にも、ほぼ必ずライブでシャニマス有識者おじさんが現れる。それも「超人のようにどこにでも現れる1人がいる」のではなく、「そういう人が10人くらいいて、互助会があるわけでもないのに、その内の誰かがほぼ必ず顔を出している」という状況。そういう人たちが、この1年半のシャニマス実況隆盛を通じて「ネタバレをしないように」「指示厨に堕しないように」「初心者の興味が持続するように」「間違いやすいポイントや陥りやすいミスリードを避けられるように」という『シャニマス初見実況をする人へのアドバイス』という物凄くマニアックな技術を身につけて、毎晩どこかしらのVtuberシャニマス実況に顔を出している。なのでアーカイブを見ていても、コメント欄によく見るシャニマスおじさんの名前を見つけては「ああ、この人が来たか。なら大丈夫だな」と、謎の安心感を持ちながら動画を見ることができるというわけ。
「初見さんの反応を主食にするシャニマスおじさんは多いのですよ」とはその中の一人の言葉(これはアイマス15年の歴史でずっとそうだったかも)。これからVtuberシャニマス実況を見ていく人はそういう所にも注目すると面白いかもしれない。