はてなキーワード: ボコとは
俺はクラスメートから拍手で迎えられ、相手のクラスは止められなかった奴をなじりまくって教師にそういうのはシップじゃないからやめろと怒られていた。
運動はできる方じゃなくて、今考えるとあれはアシストしてくれた運動部が優秀だったおかげだろうし、外してたらボッコボコにされてたのは俺の方だったんだと思う。
あの日ぐらいだ。
戦争で人を殺したのをいい思い出と語る人も同じなんだと思う。
負かした相手の悔しそうな顔なんてクラスの誰も気にしてなかった。
撃ち殺した相手の人生についてもきっと同じように、無関係のことになるんだろう。
政府の高官や上官同士が「殺し合いをしろ」と互いに命令したなら、それは単にフェアな殺し合いだ。
負けたら死ぬし、負かした相手は殺してしまうという違いはあるが、それは自分たちと違う所で決まったルールだ。
「戦争で敵を殺したい」と語る人は、それで褒められたいんだと思う。
仲間から「よくやった!」「守ってくれてありがとう!」「勝利に近づいた!」って。
それをしても褒められないから。
それで褒めてもらえるから。
俺にはわかるってばよ。
俺も、認めてもらえるならなんだってやれてしまうんじゃないかって思う瞬間がある。
誰かの「凄い」がないと、生きてもいいとさえ思えなくなるときがあるんだ。
ネズミ講がカモを沢山釣ったら世間の倫理観は置いといてエリート扱いされるようなシンプルさがある。
そういう気持ち、分かるよ。
俺は親がコソコソしていたタンス預金の千円札だけ狙うサラミ法みたいな方法でMMOに課金していたのによ
総額10万になったところでバレてボコボコにされ強制バリカン坊主になった
俺の失敗は笑い話として話すことが多いけどこのことだけは誰にも話していない
正しさで殴りつけてくる麗奈にめっちゃムカついてたので、(滝にフラれるとかして)コイツ1回ボコボコに心折られねーかなと思ってたら、自らの手で久美子をソリ落ちさせて死ぬほど凹むという、まさにそんな展開が飛んできたので麗奈を赦す気になれたの良かった(結論)。
色んな意味で話題になったシリーズ第3期12話で久美子と滝は以下の会話をかわす。
滝「そうですね。正しい人でしょうか。本当の意味での正しさは、皆に平等ですから」
滝「黄前さんは、どんな大人になりたいですか」
久「私は…。私も、そんな人になりたいです」
以下、アニメ『響け! ユーフォニアム』シリーズの感想を、物語が提示した“正しさ”に沿って述べる。
正しさを他人に押し付けるとき、そこには暴力性が宿る。久美子と麗奈はむしろそれを行使してきた側で、実力が上だからという理由で3年生の中世古香織をソリから追い落としたことや、家庭の事情で全国大会前に引退しようとしていた田中あすかを強引に引っ張り出したことは、まさにその典型だ。その時、久美子たちはまだ1年生で、責任を負わない立場だから好き勝手やって良かったし、正しさで相手をねじ伏せることは快感を伴うので、作劇上それらはむしろ肯定的に扱われていた。ゆえに正しさの中に潜む暴力性はこれまで適切に隠蔽されていたのだが、3期になってブーメランとして返ってきたことで、その問題点が一気に噴出した。そして久美子と麗奈では反応が違った。
久美子は下級生を指導する過程で黄前相談所という二つ名を得るほど面倒見が良く、そして部長になったこともあって精神的に成熟し、融和的なスタンスを取るようになった。一方の麗奈はなんら変わることなく正しさの信奉者であった。ふたりとも「北宇治は実力至上主義」というイズムを共有していたし、強豪校からの転校生である黒江真由が「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と何度も何度も何度も本当にしつこく何度言ってきても久美子は「上手い人が吹くべき」というスタンスを一度も崩さなかった。
ただ、全国大会金賞を目指すべくオーディションを大会ごとにしたことで緊張がずっと続いたことや、大幅に変わった編成への疑問、そして精神的支柱である久美子が本当にソリから陥落するに至って部の混乱はピークに達する。これに関しては仲の良い者の間でも意見が別れており、たとえば強豪校出身の川島緑輝が「実力は同じなのだし、それだったら部が落ち着く方が」と久美子を支持する一方で、高校から吹奏楽を始めた加藤葉月は「それだとオーディションが成り立たない」という意見だった。葉月は本当に素人からスタートしており、3年生になってようやく大会メンバーに選ばれた。しかしだからオーディションを肯定しているわけではなく、落ちていたとしてもおそらく同じことを言っただろう。彼女の言葉は真っ直ぐで、積み重ねてきた努力に支えられていることは明白だった。一方の緑輝も、強豪校でやってきた経験から、おそらくは部の空気が合奏に与える影響を理解しており、だから部がまとまることを重視していたのだと思われる。つまりどちらも「正しい」。しかしそうやって意見が分かれ、「正しさ」が衝突しあう只中で、久美子と麗奈は袂を分かつ。
久美子は、部の混乱を収めるには顧問の滝が編成の変更やオーディション結果に対する意図を説明することでみんなが納得することだとしてその道を模索するが、しかし麗奈は「そこに疑問を抱くと全てが崩れる。指導者の方針に従うのは大前提」と否定、さらにはソリ落ちした直後の久美子に「自分の努力不足を棚に上げて思い通りにならないってそんな言い訳か文句が大半」という正論を浴びせ、「部長失格」の烙印を押す。
このシーンに対する感想を言わせてもらえれば、「安全地帯から正論ぶってんじゃねえよ麗奈ァアッッッ!」である。心底ムカついたね。
高坂麗奈はサラブレッドなトランペッターである。父がプロの奏者で、家に防音スタジオを作れる程度には裕福で、幼い頃から音楽指導も受けてきた。彼女は学生離れした実力者で、当然のように大会メンバーはおろかソリストに選ばれる。環境だけが彼女をそうしたとはもちろん言わない。それに見合うだけの努力をしてきたのだろう。だから彼女が「自分の努力不足を棚に上げて指導者に楯突くなんて!」と言うのは“正しい”。目標を全国大会金賞に設定したのは部員たちだし、それに向けて合奏を作り上げるという意味で滝の指導力に疑う余地はないのだから、従うのは当然。麗奈が言うことは常に“正しい”。そして久美子も視聴者も、その麗奈の“正しさ”に一度は与したはずである。“正しさ”でもって中世古香織を追い落とし、田中あすかを大会に引きずり出し、劇的に描かれたそれらのシーンに感動してきたのだから。そこに潜む暴力性に気づこうともせず。だからいざその暴力性が自らに向けられたとき慌てふためくのは滑稽な話である。しかし感情は偽れない。“正しさ”で殴りつけてくる麗奈はやっぱりムカつくのだ。そのムカつくという感情がベースにあることは認めつつ、その上で言いたい。正しさは万能薬じゃない、と。
麗奈の正しさは(構造的に)滝の影響を強く受けている。北宇治吹奏楽部顧問の滝昇は若手ながら実力のある音楽指導者で、部員たちに「全国を目指す」か「楽しく過ごす部にする」かを選ばせた人物である。生徒の自主性を重んじると言えば聞こえはいいが、自分たちで選んだからには妥協を許さないという暴力性がそこにはある。確かに滝の指導力は本物で、北宇治はメキメキと実力をつけ、就任1年目にして全国大会に進出するほどの成長を見せた。しかし実力が上がれば目標が上がる。目標が上がれば部員たちにより負荷が掛かる。そうして発生したのが関西大会直前に発生した部の混乱であり、滝にはそれを鎮める力もその気もなかった。それは合宿中のやり取りに現れている。
滝「楽しむ、と書いて音楽、ですね」
橋「本当に分かってる?」
滝「(虚を突かれたような顔をした後)分かっていますよ」
場面としては関西大会直前の合宿で、部のピリピリした空気を感じ取った橋本(滝の音大時代からの友人で、北宇治の外部指導者)がジョークで和ませた後、軽く訓示しようとした時のことである。橋本に言わせれば、音を楽しむことが音楽だと本当に分かっていれば、こんな空気を放置しておくはずがない、といったところだろう。滝の、合奏を作り上げるという意味での実力は確かなのだろうが、その指導力が及ぶのは正しさが通用するところまでであり、それで解決できない問題にぶち当たったときは無力である。そして滝自身に解決する気がない。ただの外部指導者に過ぎない橋本が一瞬にして感じ取った「ピリピリした空気」を滝はただの一度も解消しようとしなかったのだから。滝には解決する能力がなく、その気もない。滝に無理なのだから、ミニ滝にすぎない麗奈にはもっと無理である。
そんな部のピリピリした空気を解消したのは久美子だった。思っていることを素直に打ち明け、解決したのだった。
「1年生も3年生も同じ土俵で競ってひとつの目標に向かえる北宇治が好き」 「その北宇治で全国金を取りたい。でも届かなかった」 「何かを変える必要があって、だから大会ごとのオーディション形式にした」 「間違っていたとは思わないけど、でも戸惑わせたことも事実。すみませんでした」と部長として謝ったあと、「納得できない人もいると思う。でも私は北宇治で全国金を取りたい」そう訴えた。「1年間みんなを見ていて思いました。こんなに練習してるのに上手くならないはずない。こんなに真剣に向き合ってるのに響かないはずない。北宇治なら出来る。私たちなら出来るはず」と。
この久美子の真剣な訴えが部員たちの心に響き、部は急速にひとつにまとまった。
さて、久美子は部長失格だっただろうか。その答えは言うまでもなく明らかで、失格なのは正しさを押し付けることしかできない顧問とドラムメジャーであろう。
このあと、久美子と麗奈は仲直りをするのだが、ハッキリ言って納得できるものでは到底なかった。久美子はあっさりと赦していたが、一視聴者としては、「ああ、麗奈を赦すことは絶対にできないな」と思った。物語としては、このあと黒江からソリを奪還し、全国大会金賞を取って大団円を迎えるだろうが、それはそれとして高坂麗奈というキャラクタを心底嫌いになったことだけは動かせないだろう、という結論に至り、そしてそうなるはずであった。
のだが、物語は急展開を迎える。
ここからは原作改変としてすでに話題になっている、ユーフォニアムのソリ奏者を決める公開オーディションについて、私が受けた衝撃を述べる。ちなみに原作未読である。
久美子にとって憧れである田中あすかを思わせる銀のユーフォニアムを携えた強豪校からの転校生で、実力は高い。つまり久美子を脅かすポジションを与えられたキャラなのだろう、ということはすぐに分かった。実際その通りの役回りで、「(私のせいで大会に出られなくなる人がでるから)オーディション辞退しようか?」 「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と本当にしつこいぐらい繰り返し久美子に訊ねるうっとうしいキャラでもあった。それはさておき実力は本物で、いち早く警戒感を露わにした麗奈は、当初「久美子の方が上手い」と言っていたのに、途中から「久美子の方が好き」とトーンダウン。さらにソリの練習に久美子を付き合わせて「私は全国も久美子と吹くつもりでいるから」と激励している。しかし関西大会でソリの座から久美子は陥落する。その際、麗奈は「やっぱり…」という表情を見せるため、滝の求める音を出せるという点で、黒江は明らかに上だったと思われる。
ただこの段階でのソリ落ちは明らかにそういう流れであったし、物語的には全国大会でソリ奪還して金賞の方が盛り上がるため衝撃は全くなかった。物語がそのラインに乗ったことで、そうなることはもはや確定的に明らかだとさえ思った。
関西大会は滝の一存で決まったが、全国大会は甲乙つけがたいとの判断で、部員投票による公開オーディションをすることが決まった。2年前、当時1年生だった麗奈と3年の中世古が競い合ったアレのリフレインである。しかし当時と違ったのは、奏者を幔幕で隠し、音だけで判断してもらうということ。奏者は視聴者にも隠されており、これには第四の壁みを感じた。つまり視聴者であるあなたたちも、音だけで判断してくださいね、という制作者たちの声が聞こえたのである。
音楽的素養は0で、細かいことなんて何も分からないが、確かに2つの音は違った。
1番目の奏者は音が小さく、2番目の奏者は大きく聞こえた。自分が部員なら2番目に投票しようと思った。
投票シーンに移り、2番目の奏者には緑輝、塚本、奏の手が上がる。やはり2番目が久美子だったんだと確信した。同時に勝利も確信した。しかし同票であるという。
滝「奇数のはずですが…」
麗「私が、まだです」
ここで2年前のトランペットのソリオーディションの回想が入る。「裏切らない?」 「もしも裏切ったら、殺していい」のやつである。そして――
麗「……1番です」
え、ちょ、待って。2番が久美子やろ、1番????????????
滝「分かりました。では1番の方は、前へ」
黒江の脚が前に出て、麗奈の顔がくしゃりと歪む。久美子が目を伏せる。
マジかよなんだこれふざけんなよ。
客席からざわめきが広がり、部員たちの困惑した表情が映される。
また正しさの暴力かよ! 誰が得するんだよ、この展開!
困惑と怒りの感情でないまぜになったが、まっさきに動いた久美子の言葉に背筋が伸びた。
久「これが! 今の北宇治のベストメンバーです! ここにいる全員で決めた、言い逃れのできない最強メンバーです! これで全国へ行きましょう。そして、一致団結して! 必ず金を! 全国大会金賞を、取りましょう!」
3年間やってきたことがある意味で潰えた直後にこれを言える久美子は本当に立派だと思ったが、脱力した。訳が分からないと思った。
呆然としたまま画面を見続ける。
場面は進んで行き、久美子が麗奈を探している。しかし先に帰ったという。大吉山で待ってるというラインの画面が映され、登りきった先にいた麗奈は背中で泣いていた。
それを見た瞬間、(上からで申し訳ないが)「赦せる」と思った。麗奈は分かってて久美子に引導を渡したんだと理解し、麗奈に対する怒りが氷解した。
正しさは暴力性を孕む。しかしその正しさが自らに向かうときのみフェアネスになる。日本語に直すなら公正さだが、ここは敢えて“正々堂々”という言葉を使いたい。
麗奈は黒江を選んだんじゃない。久美子より音楽を取ったんでもない。久美子との約束を果たしたのだ。
2年前。中世古香織をソリから追い落としたとき、そうけしかけたのは久美子だった。麗奈は「裏切らない?」と聞き、「もしも裏切ったら、殺していい」と久美子は答えた。ここで彼女が言いたかったのは、「自分の音楽に正直であれ」ということだったろう。そういうセリフがあるわけじゃない。しかし含意は明らかなように思われる。迷いを振り切った麗奈は実力を発揮し、ソリの座につく。
麗奈はその時の同じように、正々堂々と、胸を張った。
たとえそれが自らの心臓に刃を突き立てるほど辛いことであっても。
久美子は音大に行かない。公式大会でソリを吹くチャンスは最後だろう。海外の音大に留学する麗奈からすれば、肩を並べて吹ける最後のチャンスでもある。
でもそれを分かった上で、どちらが久美子でどちらが黒江か分かった上で、久美子を切って捨て、そのかわりに約束を、果たしたのだ。
久美子は言った。「私は、それが何よりうれしい。それを誇らしいと思う自分に胸を張りたい」
もし仮に、麗奈が久美子との約束ではなく、久美子を選んでいたら。麗奈はもちろんのこと、久美子も胸を張れなかったはずだ。最後の全国大会で一緒にソリを吹けたかもしれない。高校時代のいい思い出として残せたかもしれない。しかしあのときかわした約束を裏切り、その時の自分たちを殺すことになる。だから“正しさ”に傷つくことが分かっていても、麗奈は己を曲げなかったし、久美子はそんな麗奈を誇りに思うと胸を張ったのだ。
原作改変で賛否両論の展開であるが、私にとってはアニメ『響け! ユーフォニアム』が描いてきた物語の結末として、これ以上のものはないし、これ以外のものもないように思われる。私は私の感想が正しいとは思っていない。久美子と麗奈がソリを務める全国大会が見たかったし、今もまだ見たい。久美子がソリを吹けないなんて嘘だろう、とまだ思っている。だから原作改変に怒っている人たちを否定する気には一切なれない。それもまたひとつのあり方だと思う。でもだからこそ、正々堂々と胸を張る道を選んだ久美子と麗奈を、いち視聴者として誇りに思う。
余談。滝は「どちらも充分ソリが務まると考えています」と言って部員投票に委ねたが、ある意味で嘘だろうと思う。というのは久美子と黒江の音に明確な違いがあったからだ。どちらが上か下は分からない。でも違いがあった。久美子の音は大きく、黒江は小さかった。麗奈が選んだ今なら分かる。久美子のユーフォニアムは主張が強かった、ということなのだろう。あくまでユーフォニアムは影だ。スポットライトがあたるべきはトランペットであって、黒江のユーフォニアムは影に徹することでペットを際立たせる演奏だった(黒江の楽譜には「支える!」という書き込みが何度も現れる)。合奏で求められるのは、つまり滝が求める音を出せたのは黒江だった。
ではなぜ滝はソリオーディションを開いたのか。責任を投げたとは思わない。頑張ってきた久美子にチャンスを上げたとも思わない。本人が述べているように、久美子が部員からの信頼篤き部長であるがゆえに、部がまとまるにはそれが最善と考えたのだろう。
「私は、今の北宇治を高められるところまで高めたと、自負しています」。つまり本当に、久美子と黒江で大きな差はないのだ。どちらで臨んでも、金に届きうる。そのために必要なのはむしろ部のまとまり。そういうことなんだろうと思う。
余談その2。12話の放送直後、シナリオライターが原作改変を主導したのは自分だと告白していた。
https://x.com/oitan125/status/1804807383018795391
賛否両論になるのは間違いなかったから、その責任を一手に引き受ける、とそういうことだろう。アニメの中で、麗奈がやったのと同じ立ち回りである。これが正しい結末だと、原作を改変してまでそれを押し付けた。しかし同時にそれに納得のいかない視聴者からボコボコにされることを引き受けた。正々堂々と、胸を張ったのだ。いち視聴者として、制作スタッフの決断とそれを支持した原作者を誇りに思いたい。
https://togetter.com/li/2389904
"僕らも犯罪者グループの手の内がどこまで残っているかも正確にはわかっていません。"
要はこの期に及んで犯人は「KADOKAWAの情報を盗めていなかったかも」という奇跡にベットしてるってこと?
いちいちヒステリックにNews Picksに反応しているは記事の内容が本当であること、KADOKAWAドワンゴの失態がさらされることへの拒否感として見ることしかできないかな。
このかわんごさんのイミフ言動への解釈に付いて、面白い説がいくつかありましたな。
この辺の説は面白かった。とにかくかわんごさんは普段からわけわからんこと喚くことも多かったけど、今回のは更に何言ってるのかわからん。
文脈を共有してないんだから他人が見てもわからんのかもしれんが、文脈を共有してない他人がみるSNSで発信してることは意識しろという感じ。
まぁN億円の被害に合ってて脅されてる状況ではパニックになってるだけの可能性が高いのかな。
被害者であることには限らんからKADOKAWAをあんまり勢いよくボコボコに叩きたくはないが。
角川ー聞いてるかー。
相手の手の内がどうのこうの言ってないで、最悪の事態でのユーザーの個人情報流出の情報を公開しろ。そしたらこっちだって自分で対処方法を考えるわ。電話変更引っ越しとかな。流出の事実は確認できていませんとか濁してんじゃねーよ。
あとダミーデータをダークウェブにばらまいてデータを希釈するくらいしろや。お前んとこがおもらししとるやぞ。ケツの穴閉めて気合いれて働かんかいボケ!
いわゆる日本でトップクラスのエンジニアみたいなところまで上り詰めると、みんなエンジニアやめて投資ビジネスにいっちゃうから
なんも開発しなくなるから
高学歴の若手を束ねて自分の過去の実績看板にして「AI開発してます」っていうとバンバン投資して貰えるから
もはやそれでビジネスになってんのよ
ちなみにこの開発が失敗しても賠償金とかはないよ、ITベンチャーに投資して儲からないのは当然っていう契約だからさ、いくつか投資して一つでも大成功したらお釣りが来るからさ
だからその「ITベンチャー」ボコボコ作ってマンション投資みたいなことをして稼ぐようになっちゃって、準トップぐらいのエンジニアは開発しなくなるからさ
元〇〇(どっかの大企業)エンジニアです、今は退職してベンチャー支援してますって自己紹介するエンジニア見たことない?あれはそういうことよ。
エッグ矢沢氏のnoteの内容に疑問があるとか、ツッコミ所があるとか、そういう話では一切無いのでそういうのを期待してこれを開いたなら閉じてくれ。
俺が疑問に思うのはブコメによくある「こんな酷いことをした藤井健太郎は断罪されるべき、関わった番組は放送されないべき」みたいな論調に対してだ。
俺としてはそれマジで言ってんの?って感じ。
エッグ矢沢氏に起こった事は間違いなく酷いことだし、藤井健太郎氏との間で何かしらの折り合いは付けた方が今後の人生としても良いだろうと思う。
noteに関してもよくもまあ過去の辛い出来事をここまで文章として起こしてくれたな…と尊敬の念を抱く。
これは大前提な。
その一方で思うのが、何か事を成す過程で人がぶっ壊れる事自体はあり触れてると言うこと。
それこそお前らの大好きなシステム開発の失敗プロジェクト(今だとホットなのはグリコの件)なんかでも確実に何人かぶっ壊れてるだろ。
じゃあそれに対して「グリコ許せん!デロイトの関わる商品は買わないしグリコの商品も買わない!」なんて奴見たこと無いぞ。
道路をみれば車はアホほど走ってて、毎日交通事故で人は死ぬ。じゃあ皆で車を使うのをやめるか?それは無理だろう。
スイッチを入れれば電気が点く。でも電機業界なんて人の怪我や死は日常的だよね。でも電気を使うのを止めることは出来ないよね。
結局はわかりやすく可視化された事象に刹那的な感傷を覚えて義憤に狩られてコメントで藤井健太郎氏を叩いてるだけだ。
そんな連中に藤井健太郎氏がボコボコにされて彼のプロデュースする面白い番組を観ることが出来なくなるなら、マジで最悪だからそうはならないで欲しい。
関わる人達にあと少しでも状況を改善する意志があればこうはならなかっただろう。
ただ、それと同じくらいに悲劇的な出来事はあり触れていて、この件で喧喧囂囂に藤井健太郎氏やテレビやらなんやらを叩いてる人らは普段そういう現実とどう折り合いを付けて生きているのか、疑問に思う。
見て見ぬふりをしているのか?
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結局さ、反日勢ってのは日本人が心をひとつに寄せるカリスマ的なのを潰そうとするんだよね
昔、何かの雑誌で「シャアは政治な力でアムロを消すことはできたけど直接対決にこだわった」みたいな話を見て「馬鹿じゃねぇのこいつ」ってなったし、
実際、逆シャアで公平な勝負にこだわってサイコミュの中核技術をロンド・ベルに流した結果ボコボコにやられて「ご覧の有様だよ!」となった。
権力も組織力もある敵対組織が、主人公側といちいち直接対決して負けていくのって、そりゃ話としてそうしないと盛り上がらないのは分かるけど、
せめて中間管理職位が倒されたあたりで政争政略で主人公側の戦力や戦意をそいでいく戦略に切り替えろって思わん?
ドラクエのコミカライズで、現地の権力者を脅して屈服させて勇者の仲間を拘束した上で、
勇者一人で戦場に出てくるよう脅迫した上で10万の兵隊を勇者単独にぶつけた幹部がいて、やるやんって思ったし、
ああ言う悪役がいてもいいと思うんだよね。多様性の時代だしね。
最近はかたき役にも魅力的なキャラが求められるところもあって、あんまり悪逆非道なやり方は好まれないかもしれんとは思ってる。
セールの度にどうしようか迷ってそのまま買わずにここまで来てしまったのだけれど、今半額なのでそろそろ本気で買うか考えている。
買ったらかわいいキャラか渋い爺キャラが使いたいと思っていたので、スト6ではJPに惹かれていたんだけど、
最近の調整で大分弱くなったらしくて、どうせ新しいゲームでボコボコにされるのに、それなりに分かってきてもボコボコにされるって大分辛そうなので、
そんな苦行の為に買うなら止めた方が良い気もしている。
なんなら、他キャラが気に入って楽しく遊んでいても、ある日突然使っていたコンボが使えなくなるとか言われたら、それもう何のために遊んできたのか分からなくなりそうで。
ゲームなんだし遊びでいいでしょと思いつつ、一方で努力しないと格ゲーって勝てないはずで、でもその努力がある日全部消えるかもしれないなら、なんでそんな苦行をわざわざやるんだと思ってしまう。
格ゲー自体に慣れるという意味では良いのかもしれないけど、別にスト6以降も格ゲーやるかも分からないし、モダンって別の格ゲーにあるわけでもないなら、スト6以外でまったく潰しが効かない気も。
だったら黙ってクラシックでやれって話なんだろうけども。
ただ、まぁこれだけダラダラ言ってても、なんやかんや戻って考えてしまうので、
多分本当は買いたいんだと思うし、さっさと買ってパッド握ってたくさん負けて養分になってくださいって話な気もしている。
そんなこと考えていてもどうしようもないのでさっさと遊びましょうという話なのか、
調整後や弱キャラって初心者には地獄なのでその覚悟ができていないなら触らないで別ゲーやっとけという話なのか、その辺どうなんでしょう?