はてなキーワード: フリーターとは
統計上、正社員の方が幸せになる確率が高いから。それ以上でも以下でもない。もちろん確率なので個人で見ると正社員よりフリーターの事が幸せになることもある。君の言うようなブラック企業に入ったら正社員でも不幸なことも多い。そしてそれは分からない。
>非正規雇用でもちゃんと生きていけるような、そういう働き方を選べるしくみ
それを作るのは誰か?自分が作るのなら構わない。しかし、政治家はそうしないよ。だって努力しなくても一緒なら誰も努力しないから、差を付けるのが当然だと思ってる。そして、ただそれを与えられるのを待ってたら赤木智弘のように歪んだ奴になってしまう。
個人的には何かの夢や信条を持ってそれに突き進むなら止めないが、何も考えていないなら世間に流されていた方がいいよ。これは20代前半では分からない。分かるのは35歳。そして気づいたときは遅い。今の君はただ単に分が悪い方の賭けに乗ってるだけだ。
こういうのはなんかこう長いあいだ観察してから参加したほうがいいんじゃないかとおもいつつも、知らない人にパッと見てもらえたら愉快そうだということで、はじめてかきはじめます。なにぶん慣れていないのでどっか変なとこあったらすみません。という予防線。
自分は20代前半のフリーター。夢やぶれてアルバイトでひとり暮らしの生活をしている。
友達や家族や知り合いやら、誰に会っても正社員になったほうがいいよ、就職したほうがいいよと言われるけど、とっても疑問に思う。
一体何でそんなに就職迫られないといけないんだろう?
親に頼らず自力で稼いで、税金もちゃんと払って、誰にも迷惑をかけず生きてるつもりなのに、なぜかフリーターは悪!非正規雇用はいけない!みたいな風潮を感じる。
正直言ってなにがいけないのかまったくわからない。
もしかしたら長年のひねくれた考えで「悪くない」と自分に言い聞かせてるのかもしれないし、わたしが能天気で世間を舐めてるからこういう考えなのかもしれない。
でも今のところ誰からも明確な答えが返ってこない。なぜいけないのか。
世間が厳しいというのもいまのところよくわからない。割と生きてこれてる。
究極、なにかあって働けなくなれば生活保護でももらえばいいとまで思っている。
ブラック企業なんかで働いたら、正社員でもボーナスもないしサビ残させられるし時給換算したらバイトの方がマシって例もあると思うと、バイトでも特に問題ないんじゃないかと思ってしまう。
まあ生きる信条がひたすらに楽をしたいという思いのわたしなので、考え方がクズだと言われたらそれまでなんだけど。
いやーでもなんで楽をしたいと思ってバイトでいることがクズなんだろう・・・自分で生活してるのになぁ
割と常に疑問に思っているのでした。
日本人は他人や世間との調和を大切にするからみんなと違う考えなのは悪になってしまうのかしら。
政治とかよくわからんけど、非正規雇用が増えて若者が正社員になれないことを嘆くより非正規雇用でもちゃんと生きていけるような、そういう働き方を選べるしくみを作ったほうがいいんじゃないかなぁとかも思う。
29歳 年収570万円
(平均値はあまり意味ない。少数の金持ちが大きく引き上げてしまうから)
http://doda.jp/guide/heikin/2012/age/
ただ、上の統計はあくまで
2011年10月~2012年9月の1年間に、DODA転職支援サービスに登録した約10万人のデータを元に、正社員として就業している20歳~59歳までのビジネスパーソンの平均年収(手取りではなく支給額)を年齢別、職種別、業種別、都道府県別、にまとめました。
らしいから、フリーターとか無職とかの負け組は含まれてないし、逆に、転職を全く考えない公務員や大企業とかの勝ち組も含まれてない。
それも、私(たち)の経済水準以上に高額に、だと思うんだよなあ。意地悪じゃない言い方にすると、自分たちに払えないくらいお金をかけなきゃいけないと信じている、思い込まされている、といったところか。
ほぼ皆婚だった世代の人たちは、食べ物や着る物を選ぶように、子育てのお金も家計の水準相応にしか出さ(出せ)なかったし、周囲も(上の世代も先祖も)みんなそうだったから、「今は昔と違ってお金がかかるんだ」みたいなことをいくら言っても意味がわからないだろうと思う。家計の範囲でやりくりするのが普通だろう、フリーターが最高級ブランドしか着たくないなんて言うか?くらいにしか多分思わない。
で、なんで昔は「うちはこれくらいの家計だから、これくらい払おう」だったのに「これくらい払わなきゃいけないのに、うちの家計はこれしかない(orそんな家計は構築できそうにない)」という発想になったのか。こういう考え方をするのは中流以上の家庭出身の人が中心だと思うけど、
・「いい結婚しかしたくない問題」(いい男と結婚できないなら生涯独身でいい)と同じで、子を持つのが全員必須でなくなったので裕福な子育てがしたい、できないなら子自体いらない、と思うようになった
・現代の中流以上の子育てはお金かけ合戦みたいになってるので、我が家だけ最低額をクリアできなかったら子が不幸になるand/or下流に沈んでしまうand/or私が惨めだ、と思っている
みたいな感じかな。「なんでそんなにかかる(と思う)んだ」という人にはこういう背景を説明しないと分かってもらえないと思うけど、説明したら「やっぱりただのわがままじゃないか」と言われてしまいそうだね!
就活につまずいてるかつての私みたいな大学生がいたら読んでほしい
やりたいことなんかどうでもいい
なにはともあれ自立だろ
何でもいいからひとり立ちできる収入のある仕事をすればいいんだ
内容なんて入ってみなけりゃわかんないんだ
自分が決められるのは、あくまでどの会社を受けるのか、という時点までだ
そして、落ちて当たり前だという認識を持つこと
20社30社受けて一個受かるくらいが普通なんだから、そのくらい落ちても気にしない
落ちるたびにいちいち落ち込んで、応募することに躊躇していたからだ
数社受けて受かること自体がまれなのに、私は選びに選んだ会社に落ちるということを無駄に重く考えていた
もっと気軽に応募して、気軽に試験受けて、受かればラッキーくらいの心持でいていいのだ
応募する時点で、絶対受からなければ…!みたいな悲壮な覚悟はいらない
落ちて元々、駄目なら次、と切り替えていかなければ
社会が怖かった
会社で働くということを、すごく大層なことだととらえていた
でもそんなことはない
今私は大学時代からのバイトを週5でやっているが、バイトとはいえ一応働くことはできている
社会人は、案外いい加減だ
というか、優秀でないと正社員として働けないなんてことだったら、世間の正社員はみんな自分より優秀であることになる
そんなわきゃない
どんな人でも一応働いている。自分が社会に出られないなんてことあってたまるか
今のバイトに比べれば、多分どこもマシ。
でも一応えり好みはする。
選び方が変わったけど。
そうすればおのずと応募するものは絞られてくる
それが最優先課題だ
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
誰もが知っている超名門高校を出て、日本で最高と言われる大学に入った。大学では少し遊び、遠回りをすることとなったが、いわゆるリーダーシップを発揮する経験も積み、所属する組織において一定以上の地位に立ち、そして価値を提供してきたと自負している。腹を割って話すことのできる友人にも多く巡り合った。このような大学生活の後、就職活動に臨むこととなった。誰もが羨む、そして自らも納得することのできる企業に直ぐに決まると信じて疑わなかった。
「しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。」
同期が着々と内定を獲得していく。自分は滑り止めだと思っていたところにすら落ちる。自分よりも愚鈍であろうと思っていた人間も進路が決まっていく。周りが浮かれていく中、かつて歯牙にもかけなかった企業のエントリーシートを書く。
「彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。」
こうして李徴は虎になってしまったわけだが、私もまた虎になってしまうかもしれない。
彼は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を虎となった原因として挙げていた。これは(特に「素晴らしい」経歴を持つ人間であれば)誰もが持ちうるものではなかろうか。
私は今もなお虚勢を張り続けている。期待をかけ育ててくれた両親や語らいあった友、後輩に情けないところは見せられないと必死である。「就活は100m走じゃないから、ゆっくりと納得のいくところに行くんだ」「なまじ考えが新卒っぽくないから、染まりにくいと評されているのではないか」と嘯き、自己を正当化しようともがいている。この言動が関わりのある人間を安心させるためのものではないことは自明である。自らの臆病な自尊心を飼い太らせるためのものだ。
実際私がなぜ内定を得ることができないか、正確な理由はわからない。企業からのフィードバックは当然ながらないので、不確定な仮説を立てる他はない。この仮説を立てる上で私の尊大な羞恥心は牙を剥く。「縁がなかった」「合わなかった」と結論付けるのだ。
何も現状の仕組みについて不平を言うつもりはない。それで結果を出す人は多くいるのだから。企業の採用活動は慈善事業ではないのだから落とす人間にコストを掛けないことは道理であるし、両親や友が期待も道理である。誰もが道理である行動をとり、結果私の中で猛獣が、虎が猛るのだ。
むしろ虎になってしまったほうが楽なのかもしれない。今からでも間に合うような、一般的に東大生が行くとは到底言い難い企業を受け何とか内定を取るのか、またはそうではないフリーターか何かになってぶらぶらとその日暮らしを送るのか。しかし虎に身をやつした李徴がどれほど悲しみに胸を灼いたことか。ふと我に返り、自分の無駄にした人生に嘆くこととなるのは目に見えている。
これらを総称するといわゆる「大手病」であろう。良く聞く言葉だ。しかし、私の経歴を辿るような人は皆この病に罹っている、猛獣を内側に飼っているのではないだろうか。誰がこのシステムの中、好き好んで羨まれる経歴を歩みながら道を外すことがあろう。大手病自体が悪いのではなく、結果が出ないことの原因を大企業だけを受けていることに求めているに過ぎないのではなかろうか。特に一定以上の学歴である場合は。
熱意があればいいだろう、熱意が足りないのだ、熱意を見せろと言われたこともある。が、そもそも何で測るというのか。志望理由は明快にし、論理は組んでいるはずである。そういった準備をおろそかにするほどに馬鹿ではなかったから。もっとも、「作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがある」のかも知れないが。
私は見えないものと戦っている。取り掛かるべき相手が誰なのか全くわからない。自分なのか、他者なのか、企業なのか、はたまた社会システムなのか、何に不平を言えばいいのだろう。何を変えればいいのだろう。そこには悪意はない。悪意のない殺意が私の首を真綿で絞めるように、私をじわじわと殺している。
嗤ってくれ、虎になってしまう哀れな男を。そしてこの虎の中にかつての私がまだ生きているしるしにこんな文を書いてしまった。願わくばより広く広まれば。
本当に虎になってしまうのか、それとも「人」として就職活動を終えることができるのか。それは神のみぞ知る。天命に任せよう。がおー。
>まともに就職できない扱い じゃなくてできないんだろ。フリーターや派遣で暮らしてく奴が大半で良いならそれで良いんだろうおまえとイケハヤの中ではな
かなりぐちゃぐちゃだけど、とりあえずどっかに吐き出したいので。
もうかなりいい歳なのだが、最近自分が発達障害なのではないかと悩んでいる。
診断を受けに行こうかと思うが勇気が出ない。
もし診断が下されても事態が好転する気もしないし…。
思えば子供のころから周囲とはちょっとズレた子扱いされてきた。
なんの他意もなく普通に振る舞っているつもりなのに怒られたり、「目立ちたいの?」と言われて驚いた事もある。
そのあたりは今ではだいぶマシになったと思うけど。
正直、今の子供が羨ましい。
私が子供だった頃は発達障害はおろか、不登校という言葉すら滅多に聞かなかった。
学校に行きたくない等と言えば即座に父親に殴られて、毎日泣きながら通った。
問題児だったから、一人だけ教室の後ろで正座させられたり、一人だけ机を廊下に出されたりしていた。
偏食がひどくて毎日外が暗くなるまで給食を食べさせられて、教師に一メートルものさしで叩かれたりげんこつを食らったりしていた。
そんな奴に友達ができるわけもなくてよく苛められた。
今でも当時の夢を見て泣きながら目が覚める。
母親は悪い人ではなかったけど、極端に人の目を気にする人で今思えば明らかに私とは相性が悪かった。
よく「どうして普通にできないの?」「どうして女の子らしくできないの?」と怒られた。
当時は意味がわからなくて委縮するばかりだったけど、今頃になって少しはわかるようになった。
普通にドラマを見たり、友達と電話で話したり、アイドルのCDやら可愛い小物やらの流行り物に興味を示す女の子がよかったんだと思う。
残念ながら私はそういうものには興味を持てなかったけど。
自分の何が悪いか分からないまま父親に殴られることが多かったので、家族の前でもビクビクしながら黙っている事が多くなっていった。
中学、高校時代はそうやってひたすら目立たないことだけ考えて生きていた。
結局高校まではダメ人間のままなんとか行ったけど、そこで完全に精神が擦り切れてダメになってしまった。
今は細々と底辺フリーターやって生きてる。ありがたい事に友人は何人かいるけど、恋人は今までできたこともない。
とにかく今まで何かが上手く行ったことなんかないけど、最近になって発達障害というものを知って悩んでいる。
もし診断を受けたら、自分の事をもう少し前向きに受け止められるかも知れない。
「結婚したいのでフリーター」は今日びさすがに重たいよ。多分同年代の男の大多数からは寄生願望丸出しと思われて逃げられるんじゃないか。
「腰掛けでもいったんきちんと働いた経歴のある人に、出産育児の間は仕事やめるかセーブしてもらって、子供がある程度育ったら婚前のキャリアを活かして(正社員は難しいだろうから、できれば非正規くらいで)もう一度働きに出てほしい」ってのが、おおよそ今の結婚適齢期の男(20〜30代前半)の平均的な結婚観だと思うよ。
いわゆるDQN層は低収入なのに意外と保守的な価値観が強くて、年収200万そこらでも「俺が働いて妻子を守るのが男の甲斐性!」みたいなすげえ考え方をしていたりするけど、増田としてはそういう層はやっぱ嫌だろうしね。
まず最初に。ただのブラコン弟の自分語りだし対して面白くもないし長い。
こんな事増田に書かずチラ裏にでも書くべき事じゃないのかなと思うが書かせてほしい。
これがまた結構な年の差があって9年の年の差だ。
兄は今年で28になる。
晩婚と言われる昨今に対しては少し早いくらいの結婚なのかもしれない。
両親の事が好きじゃなかった俺は代わりに兄が大好きで今もいつも兄について回っていた。
年の差がある分大きな喧嘩もめったにせず、ここまで育ってきた。
兄と俺の性格はあまり似ていなくて、遊び人だが正直で人に好かれる兄と、増田やるくらい捻くれた不器用な俺。
兄は自然と人を引き寄せるというかその往来の無邪気さに人が集まってくるような人だった。
代わりに俺は家で引きこもってネットやゲームばかり触っているような人間でまぁひねくれていた。
そんな兄の友人と遊ばせてもらう事があってそれが外との大きな接点でもあったように思う。
そんな兄と俺の共通の趣味がゲームで二人でよくゲームをしていた。
俺が幼稚園の時からゲームをしていてお兄ちゃんにはゲームでは絶対に俺は勝てなかった。
その時から俺にとってはお兄ちゃんは「さいきょう」だったのだ。
一緒にスマブラをしていて幼稚園児の俺を容赦なくボコボコにしてくれる。どうあがいても勝てない。
それでも俺に気を使って時折わざと負けてくれたりした。
そう、「さいきょう」なのだ。
いつも友達と遊んでいて、ゲームも強い兄ちゃん。俺の友人にもカッコイイと言われ、やたらモテていた。
知識も俺より豊富で賢い。おまけに体格と年の差もあり、空手部主将の兄は殴り合いになっても絶対に勝てなかった。
対して俺はまぁ人見知りで上手くしゃべれないどこにでもいる不出来な弟
兄が高校で空手の試合をしている時、俺は会場の隅っこでゲームをしていた。興味がないわけではないが、お兄ちゃんはさいきょうだから勝つに決まっているのだ。
兄はある程度のところまで勝ち進み、両親もいささか鼻が高いようだった。
対して俺は小学校で問題を起こし、親を学校に呼び出され、勉強もからっきしで授業を抜け出して図書館で本ばかり読んでいた。
担任には「お前はロクに高校も行けないぞ。クズが。」と言われた。
両親は俺と兄を意識的に比べる事はしなかったが、「あぁ、俺は失敗作なんだろうな」と小学生ながら思っていた。
両親の事は好きではなかったし、どう思われようとよかったのだが。
だから最初にスマブラを一緒にした時からこの時も俺のお兄ちゃんはやっぱり「さいきょう」だったのだ。
そんな兄が高校を卒業して就職した。少しして俺は中学生になった。
俺のさいきょうのお兄ちゃんは仕事を辞めた。悪の上司が俺のさいきょうのお兄ちゃんをいじめて辞めさせてしまったのだ。
両親は落胆していたようだが俺はどうとも思わなかった。兄はさいきょうだからどこでもやっていけるはずだ。
俺は中学に入ってもモテることもなく、時折両親が学校に呼び出されながらも普通に生活を送っていたが、勉強はそこそこできた。
と言ってもあくまで身内レベルの話であったが、あまり頭がよくない俺の家庭では異例の存在だった。
兄は少しフリーターをしてから専門学校へ通い始めた。実家の家業を継ぐつもりだったようだが両親と揉めてあきらめて専門学校へ行ったようだ。
このころから俺は兄にスマブラXで勝てるようになっていた。モンハンも俺が引っぱり、兄は死んだり俺に負けたりすることが多くなっているようだった。
俺は高専へ進学した。就職も良いとの事だったので将来安泰かな、と考えての事だった。
地元の工業高校へ進学した兄とは少し似ているが少し違った道だった。
兄は専門学校で3年かけて資格を取った。俺は高専へ合格したので2人だけでオーストラリアへ旅行へ行った。
俺が中学英語でホテルやレストランで注文を取りながら兄は楽しそうに笑っていた。兄は勉強はからっきしである。
体裁なんて関係ない。俺はさいきょうのお兄ちゃんが本当に大好きなのだ。
兄が3年かけて取った資格を他の学科の友人が1年たらずで取っていたのを知った。
進学か就職かで進学を選んだが兄の親会社に就職する可能性もあった。
絶対に腕力では勝てないと思っていたが一度殴りあいの喧嘩になった。昔は殴られてばかりだった俺は初めて殴り返した。
さいきょうの兄は少しよろけた。あの痛かったゲンコツが昔ほど痛くなくなっていた。
俺は兄に負けるものが少なくなっていた。それでも、さいきょうのお兄ちゃんが大好きだった。
何一つバカになどしていない。持っている能力の話でもない。理屈抜きでお兄ちゃんはさいきょうだからだ。
兄の友達から聞いた。兄は「あいつは俺を超えた」と笑いながらこぼしていたようだ。
笑って認められること、それが兄の強さだった。
もう俺だけのさいきょうのお兄ちゃんじゃない。夫であり、お父さんになるのだ。
ご祝儀も少し奮発して渡した。
俺は少しいじけたように兄に渡した。兄は屈託なく素直にありがとう。と言った。
捻くれた俺にはあんな顔はできない。気づいた。あぁ…やっぱり、兄はさいきょうだったのだ。
悟った。どれだけ頑張っても俺は絶対にさいきょうのおにいちゃんをこえられない。
あのスマブラをした日から、やっぱり、ずっと、どうあがいても俺は兄に一度も勝てていなかったのだ。
兄の部屋は今日から俺の部屋になる。オーストラリアで買ったワインが飾ってある。俺が20になったら一緒に飲むつもりだ。
式の準備をしなければいけない。
スーツを漁っていると兄が3歳の泣きじゃくる俺を笑いながら抱いている写真を見つけた。
記憶にないはずなのにボロボロと泣いてしまった。勝てない。絶対に。さいきょう!さいきょうなのだ!
お兄ちゃんは。俺の大好きな大好きなお兄ちゃんは、やっぱりもう究極的にさいきょうで兄を超える弟もぜったいにいないのだ!!
式できっと兄と両親は泣くだろう。無愛想な俺はきっと泣かないと思う。
でも思う。だからこそ俺は兄を超えられないのだと。初めてスマブラで泣かされたあの日から。ずっと、兄に追いついたこともなかったし、超えたと思った事もなかった。
どれだけ成功しても俺は兄に勝てない。人付き合いも上手くなったがそれでもぜったいに勝てない。理屈抜きでおにいちゃんはやっぱりさいきょうなんだ。
俺は写真を泣きながらそっとまた押し入れに戻した。もう、兄は俺だけの兄ではないのだ。その決別でもあった。
さぁもう式の準備をしようと思う。
お兄ちゃんは俺ら弟にとってやっぱりさいきょうなんだ。どれだけ頑張ってもお兄ちゃんたちには勝てないと思う。
今まで素直に言えなかったけど式でお兄ちゃんに大好きという気持ちをまた伝えたい。
無愛想な俺が兄みたいに両親を支えられるか不安だけど、頑張ってみようとおもう。
おにいちゃん。大好きだ。ずっとずっと、俺にとってさいきょうの兄はただ一人だ。
さいきょうのお兄ちゃん。
さぁスーツを着よう。俺はもうこの家の実質長男だ。兄を超えられなくても、俺が兄の代わりになるのだ。
弟より。
習志野で高校・介護施設に隣接のパチンコ店建築「換金所はどこに建つか知らない」と住民に説明も…… - 日刊サイゾー
>「パチンコのイメージは、みなさんが考えるよりずっと良い。お年寄りの交流の場になったりもしている」
年寄りの交流の場になったりもしているのは事実。でもパチンコの実情は、たぶん「みなさんが考える」通り。
パチンコは一玉4円、スロットはメダル一枚20円が今のスタンダードで、記事にあったマルハンはこのレートで貸し出しを行ってる。ほかの企業だともう少しバリエーションがあって、2円パチンコ、1円パチンコ、10円スロット、5円スロットとかがある。
で、お客さんの層というか、どういう人が遊んでいるかなんだけど、貸し出しのレートが低いほど、生活保護や借金をしているようないわゆるクズが増える。一番客層が悲惨なのは1円パチンコ。次に4円パチンコと5円スロットで、20円スロットになるとまともな(節度のある)人がほとんどだった。
自分が働いていたホールはマルハンほど大きいところではなかったので少し違うところもあるのかもしれないが、基本的に20円スロットを打ちに来るような人は金に余裕のある人が多かった(話をすると不動産を持ってる人とか、どっかの社長さんとかもいた)。あとスロットはある程度の知識とか目押しとか、とにかくボーっとやってるだけでは楽しめないから、頭がまともな人しか来なかった。まるでパチンコやるやつは頭がまともじゃないみたいな書き方だけど、これは半分くらい本当で、1円パチンコには耄碌してかんしゃく起こす老人とか、ちょっと障害者っぽい人とか、しょっちゅういたよ。そういう人間でも打てるくらい、パチンコってのは一切頭を使わない。生活保護でうちに来てるという人もいた。4円パチンコは、ときどき変なお客さんがいるくらい。そんな感じだった。
で、本題だけど(おまけに記事とはちょっと離れるけど)パチンコ店は全店会員制にしたらいいと思う。
例えば生活保護受給者ではちょっと手が出せないくらいの年会費を設定するとか、あるいはクレジットカードを持っているとか、一定の収入がないと通らないような会員制度を作る。ちなみに会員カードは全国のパチンコ店で使え、会員でないと入店できない。「一定の収入がないと通らない会員制を作る」ってのがちょっと現実味がないけど、もし出来れば、例えば未成年の遊戯や生活保護受給者の遊戯を防げる。
要はTaspoの発想。
数奇な運命で同じ大学と書いてあろう。俺は研究職という立派な職業。彼はフリーターのクズ。どうして差が付いたのか。そして釣られてくれてありがとう。
時効だと思うのでそろそろ書いておく。あれは高校の2年の時だったか。クラスですごく嫌なやつがいて正義感の強いボクはなんとか締め上げたいと思っていた。
相手は体格がごついが俺も割りと身体がガッチリしてるほう。しかも筋トレで鍛えてる。ある日体育で野球をやっていてたかし君のチームと当たった。
たかし君というのはぶっ飛ばしたいくらいムカつくやつの名前。たかし君はクラスの人気者だったが人間性に少し難があった。
女遊びが荒いので有名であった。ムカつくのでゴール前の小競り合いになった時にエイヤッとばかりに思いっきり彼の弁慶の向こうずねを蹴り上げてやった。
たちまち声にならない声をあげてうずくまるたかし君。俺はざまあ見ろと思った。サッカー部の彼にとって脚は商売道具と言って良い。
そんな脚を負傷して彼は部活でも活躍できなくなった。彼はのちに暴走族仲間に襲撃されて片目の失明を含む大けがに遭ってトドメを刺されることになる。
数奇な運命で俺と同じ大学になったたかし君だが、当時の華やかさは今の彼にはない。大学卒業して今はフリーターしているようだ。
たまにたかし君の近くの薬局でばったり出くわして気まずい思いをする。ひょっとして俺が彼の人生を壊したのだろうか。まさかな。
だが彼に人生を壊された人間の数を思うとこれくらいの報いは受けて当然である。それは断固たる信念だ。声を大にしてここに書き記しておく。
面接はいいけど筆記試験があるわ、拘束時間が午前9時から午後5時までと長く、週5日行きつつハロワで就活しようって事ですよね。
それだと就活できないので本末転倒になるんじゃないかと行くかどうか未だに迷ってます。
筆記試験に至っては職業訓練に頼らざるを得ない社会的経済的困窮から受講するのに地味に足枷になってます。望む者は全部受け入れる体制でないのが職業訓練学校の不思議なところです。また、ヤフー知恵袋や某大型掲示板でも見かけるのは本人次第となっていてハロワさんのいう所の、“就職率90%以上”という数字も本当かどうか分からないのです。
ところで、職業訓練を受けるにあたって、希望者には月々10万円が国から支給されますが本当の所は全然難しく厳しい審査の下ふるいに掛けられます。
職業訓練基金は無職かつ扶養家族でなく持ち家でない事が条件で一体誰向けに出されてるのか耳を疑いたくなるレベルの厳しい審査基準です。
これから就活しようという人たち(既卒22歳から30代前半まで)を支援するはずが実際には失業者や一人暮らしの日雇い労働者(フリーター)や主婦が対象となり、これからやろうという無職には厳しい状況です。
それなのに失業者には雇用保険があり失業保険がある上に毎日500円ずつの交通費が支給される等の恩恵が受けられます。職業訓練を受けるにしても授業料が無料、教科書代も基金や失業保険から捻出なので痛くも痒くもありません。
でも、無職には依然厳しい状況です。何のための職業訓練なのか分かりません。
①多様な価値観
高偏差値大学の方がより多様です。なにせ、そこを目指して全国から集まるので。
そもそも、偏差値が低いということは目的意識を持った学習をしたことがない
偏差値40というのはそういうレベルなので、価値観と呼べるほどのものを持った
価値観の多様性を求めるなら、意地でも高偏差値大に行きましょう。
尚、地方旧帝は地元で既に人間関係が固まった生徒も多く、やや閉鎖的な傾向があります。
これが欲しいなら、早稲田慶応などのマンモス私大が良いでしょう。
価値観の多様性という意味では、「当校は総理大臣からホームレスまで日本で最も多様な人材を輩出しております」
と総長が卒業式辞でやらかした伝説を持つ早稲田なんかがいいかもしれません。
②損得勘定抜きの仲間、
これは大学だとふつうできます。というか、就職の時期が来るまでは
いかに高偏差値大学と言えど、損得勘定のみで人と付き合ったりはしません。
そーいう人もいるかもしれませんが、少数です。
損得勘定のある「社会に出てから役立つ」付き合いが出来るのがメリットというのは元増田の仰る通り。
これを求めるならやはり意地でも東大に到達するべきでしょう。
就職活動が近づくと、「財務省のOBから電話がかかってきた」というようなエピソードに代表される
強烈な東大閥は最高に便利だと思います。僕のかつての勤め先でも「東大に非ずば人にあらず」レベルの
企業社会で戦うことをあなたが目指す場合、東大卒以外であることは人生に巨大なハンデを負っていることを意味します。
そういうものに価値を求めるなら、意地でも東大入った方がいいです。わりと辛いです。
僕は地方旧帝を中退、某マンモス私大へ再入学という経歴を持ってますが
大学教授は例外もいますが、基本的に教えたがりです。学部生でも熱意を持って接すれば
「帰りちょっとサイゼリヤで飲もうか。ワリカンな」というようなことにすぐなります。
というか、「奢ってくれたら個人指導する」と言うほどカネに困ってた講師もいました。
それも、マニアックな一つの世界に生きてきたワープアです。バンドやってるフリーターと大差ありません。
そんな人に「あなたの話を聞かせてくれ」と言えば、そりゃ優しくしてもらえますよ。
これは大学に入ったら是非やった方がいいことです。ただ、マンモス私大のような場所だと
指導者と生徒の人数比が開いているので、これを濃厚に求めるなら地方旧帝のようなやや少人数かつ
閉鎖的な雰囲気のある大学が良いかと思います。ただ、人間関係トチったら院進絶望即死だがな。
④頭の使い方を学ぶ
どう考えても、高偏差値大学の方がより効率的かつハイレベルに学べます。