はてなキーワード: フラットとは
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。
話してみると周囲には加点式が多い気がする。
初めまして時点では0点。
これは「知らないので関心がない」というフラットな状態で、そこからいい所があれば加点、嫌なところは点数にならないパターンが多いみたい。
そうしてしばらく付き合っていくと為人が見えて、80あれば仲良しだし、50なら知人だし、それ以下なら付き合いを少なめにするか切るか、になってる感じ。
もちろん意識して点数付けてる訳じゃなくて、体感で「この人いい人だな」が持続してるかどうかって話しね。
翻って自分は減点式。
初めましては100点から。
他人は必ずそこから減点される生き物だと思ってるので減点は「悪いこと」じゃなくて「自分的にその人の気に入らないところ」って感じ。
それでもその減点の振り幅によっては90点代キープになる人がいて(気に入らないところもあるけど、それを含め余りある良さや大抵のことなら許せる気持ちになれる)そういう人とは長く付き合える。
ちなみにいい事があっても加点にならない。加点式の人と同じだね。
私見としては、たとえばビジュアルや声が好みだと加点は常時5%アップ、減点も5%ダウンってイメージ。
ビジュアルだけが好き!とかもあると思うけど、人付き合いにおいてはあくまでオプションなのかなと考えてる。かっこいいクズや美人の性悪はアリかナシかみたいなやつ。
付き合って3ヶ月の激しい恋とかは0から50点までは急に上がってる状態だと思ってて、そりゃ加点50もあれば好き好き!いい人!最高!ってなるよなって。けど半年、1年付き合うと50より上がらなくて、なんだこいつ無理、になるのかなーみたいな。
いい人止まりもこれと同じかな。ゆっくり順調に60点までくるけどそこまで、というか。
あと体感だけど加点式は性善説、減点式は性悪説っぽい考え方してる気がする。
「かっこいい!やさしい!好きぴ!」+100
「即レスしてよ!なんで会ってくれないの!」-100
を繰り返してる感じがする。
何度も言うけど日頃から人に点数つけてるって話じゃなくて、相手への好感度の変遷そんな感じな気がするって話だからね。話す度に頭の中で点数計算とかはしてないからね!!!
某fpsゲームでノリが良かったからdiscordに誘った奴が幼女だった。名前はアニメのキャラだし雰囲気が普通に男子中学生か高校生くらいだと思ってたのに、まさかの小5の女児。声は可愛い。
オタクのほぼオッサン達による集まりに、幼女を誘い入れてしまい管理人としては、犯罪に繋がらないかと思いかなり困ってる。実際にサーバー内の知り合いで飲み会してる人も居るし、パソコンのパーツを貸し借りしてて住所を知ってる人もいる。
明らかに疎ましく思ってる奴や、ビクビクしてる奴、うわついてる奴等、色んな反応があるけどフラットな奴はいない。サーバー自体ゆるい繋がりなので、誰かが他サーバーに流してくれないかなーと期待してたけど、もう1ヶ月以上経ってるからそれも無理みたい。
俺としては幼女が来てからサーバーの雰囲気が変になったので自身で察して自然にどっか行ってほしい。あと多分ないけど本当はオッサンでも良い。むしろそっちの方がありがたい。
某fpsゲームでノリが良かったからdiscordに誘った奴が幼女だった。名前はアニメのキャラだし雰囲気が普通に男子中学生か高校生くらいだと思ってたのに、まさかの小5の女児。声は可愛い。
オタクのほぼオッサン達による集まりに、幼女を誘い入れてしまい管理人としては、犯罪に繋がらないかと思いかなり困ってる。実際にサーバー内の知り合いで飲み会してる人も居るし、パソコンのパーツを貸し借りしてて住所を知ってる人もいる。
明らかに疎ましく思ってる奴や、ビクビクしてる奴、うわついてる奴等、色んな反応があるけどフラットな奴はいない。サーバー自体ゆるい繋がりなので、誰かが他サーバーに流してくれないかなーと期待してたけど、もう1ヶ月以上経ってるからそれも無理みたい。
俺としては幼女が来てからサーバーの雰囲気が変になったので自身で察して自然にどっか行ってほしい。あと多分ないけど本当はオッサンでも良い。むしろそっちの方がありがたい。
割烹でも暇なときにスカトロモノのエロ本やAVをこっそり見てたりする。
余暇の時間にはスカトロ風俗に行ったり、彼女とスカトロプレイもしてる筋金入りのウンチマニアだ。
でも店に出る時は全身消毒してくるのでそこらのラーメン屋よりかはよっぽど綺麗なもんだ。
さて、この板前がガチガチのスカトロマニアだとある日判明した。
でも店にウンチを持ち込んだりはしてなくて、せいぜいエロ本とAVがあるぐらいだ。
この板前に「衛生に気を使ってるよ」と言う資格があるのだろうか?
どこの誰とは言わんが、キメセク神父の所属団体ってのは今こういう立場なんじゃねえかなと。
「施設でキメセクはしてないですよ」っていうのは、上のたとえで言えば「店にウンチは持ち込んでないですよ」っていうことだ。
それで実際に施設の中では一切女性に対して暴力的な行為に及んでないなら、店内の大腸菌が他より少ない料亭が「うちは清潔だよ」と言ってもいいような状態なんじゃねえかなと。
構成するメンバーの中に、「もしも施設内でその行為に及んだのなら、そこの掲げる理念がぶち壊れるようなことをする人」がいるってのは、必ずしも「そこの理念がそれだけで破壊される」は意味してないと思うんだよ。
皆も振り上げた拳は一度浮かせたままにしておいて、フラットな目線で論理的に考えて答えを考えてみようぜ?
まあ俺は板前がスカトロマニアだと分かった時点でその店は選択肢から外すけどな。
フラットに考えて。
今回の怒りは消費税増税が原因だろ。消費税増税は1989年失われた30年とともにある。1997年に消費税増税で景気回復を叩き落とし、2000年頃に結婚適齢期を迎える団塊ジュニア世代が氷河期世代となり、少子化を招いた。
金融緩和で回復が見えていたところ2014年消費税増税で叩き落とした。
過去にした貯蓄の取り崩しや、資金調達しての支出など、経済理論上の投資を初項、収入に占める消費の割合を公比とした等比数列の和が経済規模だ。投資乗数という
消費税増税はこの公比を落とすのだよ。藤井聡教授の調査でも実質消費の伸びを落としている。最悪の税金。
そもそも、ケインズ主義と新自由主義で税の立ち位置が違う。ケインズ主義は上記の投資乗数を意識しているのと、格差是正があるから富裕者や法人は高い税となる。
逆に新自由主義は政府の裁量を否定しているからフラット税制を意識する。消費税増税で、法人税・所得税など裁量性のある税金の減税だ。
新自由主義は致命的に資金循環をみておらず、政府の裁量が少なければうまくいくという幻想にすがるのみ。事実失われた30年を作り、世界的にも日本化としてデフレを恐れるようになった。
もっとも、新自由主義は、その前のケインズ主義で富裕者が高税だった反発でもある。松下幸之助が作った松下政経塾とか日本の新自由主義の牙城だったな。ただ、貯め込まれると経済を落とすから、あくまで使った場合のみ減税としないとならない。
だから、消費・設備研究投資・従業員賃上げなど実需に紐づいた金は減税、貯め込まれる金は増税とメリハリを付けるべきだ。そして、消費税は減税しないとならない。
・20代後半でプロポーズした時、子供いらないけどいい?と言われる
・もちろんと言う
・↑この時まあまあ欲しかったけど産むのは嫁だしと思い普通に諦める
・結婚後、やっぱり欲しいと思うも嫁がいらないんだしなと少しずつその気持ちを抑えていく(もちろん嫁には言ってない)
・2人で暮らしていくこと前提で家買ったり金使ったりする
・30代半ばの今、嫁「妊活したい」
・受け止めきれずのらりくらりかわしてたけど「なんで真剣に考えてくれないの」と嫁キレる
これどうしたらいいの
俺としてはもう完全にいらないモードになってるし産むならもっと前が良かった
もちろんその時はわからない、なんて分かってんだけどさ
分かってんだけどさ…ってなってる
どちらの言い分が正しいかは分からないけど(こう言っておくと公平感が出るよね)
暇空シンパとcolaboシンパでは、明らかにcolaboシンパはアタマおかしいよね?
他の場所では知らんよ?
でも、はてなブックマークに上がってくる(毎日のランキング?に入ってくる)話題を観ると
ブックマークのコメント含め、暇空サイドはまともな事を言っている(ように見える)
colaboや仁藤サイドはアタマのおかしい人しか居ない(ように見える)
事実は知らんし、全員がそうとは言わないけど、フラットにみても9:1くらい。
同じ言葉をそのままミラーリングされたら自滅するのはそっちじゃんってのは我々が日頃からフェミに思ってる事なので、これを機会に少しフラットな目で物を見れるようになると良いね。
禅定をはじめとした瞑想でのいわゆる成功と言われる状態は意識の上に上がる事で、瞑想の種類によって「成功」状態の脳の活動はやや変わる
マインドフルネス瞑想=気付きの瞑想=随息観では外からの五感への刺激・感覚・想起される感情・思考・意識について細やかに気付く
この時眠気は無く非常に集中した状態になり、秒間30以上の自分の感覚に対する「気付き」を得る。脳波を測定するとフラットになり非常にリラックスした状態を維持している。
この瞑想を繰り返すことで集中力と知恵(知識ではなく無知無明が晴れた状態・感情や思考のバイアスがかかっていない外界と体への認知)を得、
貪欲・怒り・無明といったエゴから徐々に離れられ、最終的には第一の悟りに達する
第一の悟りは、有身見(自分は存在するという妄想)が消えることが一番大きい。
瞑想には種類が多く、他にも慈悲の瞑想(他者の幸せを願う)・ヨガ(宇宙と一体化し恍惚を得るヒンドゥー教を起源とした瞑想)・禅・死随観(死に至り死んだ後の体が腐っていくのを想像する)・マントラ瞑想(集中力を得る・宇宙と一体化する)
など色々あるがマインドフル瞑想が一番王道とされる。マインドフルネスは座って行う瞑想だけでなくゆっくりと歩いて全身の感覚を観察するバリエーションもある
個人でマーケティングやってるんだが、最近はアルゴリズムによるレコメンド改変があり、エコーチェンバー現象が起こりまくっている。なのでyoutubeやTwitterを使っていては真にマーケティングをすることは難しい。
それに比べて増田はアルゴリズムによって観るトピックは変化せず、こちらが選択することも出来ない。
増田自体を選んでいることに関しては、住んでいる地域を変えるくらい大変なことなのでここには目を瞑ってもらうとして。
A「中小企業の会計の不備にニュースバリューなんてないでしょ」
B「じゃあcolaboみたいな極小団体のニュースは金輪際出すなと?」
A「総理の汚職と中小企業の不祥事をフラットに取り上げろと?」
B「仁藤氏は社会運動の旗手でメディア露出も多いから社会的影響力あるぞ」
A「炎上にのめり込んで敵を過大評価しちゃってるんだろうな」←なぜかここで話をズラしてる
B「サヨク界隈そういう人ばっかですよね」←「サヨクこそ安倍を過大評価してたけどな」とは言ってない
A「仁藤が史上最長総理大臣と同等の影響力持ってると思ってるんだ?」
B「なんでアベちゃんと同等の影響力を持ってないととりあげちゃいけないんですかね」
A「安倍を持ち出してきたのはBだよ」←anond:20221230120307 によれば最初に安倍を持ち出したのはA