はてなキーワード: イラストレーターとは
思うに、何者かになりたいという高い目標に対して、どうも完全達成が難しそうだという時に、どうやって軟着陸するかが大事なんだと思う。
フリーのイラストレーターが無理そう、ならイラストのディレクション側にまわれるか?とか、発注側にまわって関わらないか?とか、直接関係はないけれども安定した職について、ライフワークと割り切って続けられないか?とか。
これは女性向けジャンルで二次創作の小説を書いているオタクによる、ただのお気持ち長文だ。
よく「消さないで」とか「消されてしまって残念だ」とかいったつぶやきは見かけるので、消す側の理由について残しておこうと思う。
もちろん、これはあくまで私自身の理由で、他の消した誰かと同じだとは思っていない。
結論から言えば、ピクシブがノットフォーミーのサービスになったから、という一言に尽きる。
原因はサイトそのものについてと、利用者(と取り巻く環境)について。
大きくこの二つに分けられる。
まずはサイトについて。
度重なるUIの改修により、ピクシブはとても「美しい」サイトになったと思う。
アクセスしたい情報はトップページからは隠され、管理画面に羅列されるのは個人的には不要な情報ばかり。
懐古厨と言えばそれまでだが、使いづらいというのが率直な感想だ。
もちろん、評価できる部分もある。投稿ファイルの種類をプルダウンから選べるようになった点、表紙の種類を追加し、タイトルを自動入力できるようにした点。
小説も主要サービスと認識されているのだとわかるのは嬉しい限りだった。(そもそも、イラスト投稿サイトで小説が投稿できるだけでも十分ありがたい話だとは思っているのだが…)
これらの改修を受けて、ピクシブがどの方向へ行こうとしているのか個人的にも察する部分があった。
サイト全体としては、プロのイラストレーターやその卵とその顧客をつなぐ役割に思える。だからおしゃれなサイトに、素晴らしい画力の作品を掲載し、ショウウインドウのように見せている。
では小説についてはどうだろうか。
オリジナル作品はコンテストを開催したり良作のピックアップをしたり、力を入れている。
小説版のトップページを見れば、かなり良い位置にそれらの企画が配置されていることからもわかる。自分で項目の表示順を変えられる機能は失われたので、見たい項目がそれらより下にある場合は必ず目を通すことになるからだ。
基本的な方針はイラストと変わらないのだろう。筆力のある創作者の囲い込み(とまでは現状では難しいだろうが)をしたいのだと感じる。
良い面もある。好きに書いていい。
だが率直な印象として、総閲覧数や総作品数を増やすための「だし」に使われている気がしてならない。
特に旬や覇権と言われるジャンル以外でほそぼそと書いている、つまり、私のような人間は。
ピクシブ側に求められている創作者ではないのだと、そう思うようになった。
わざわざ機能改善について問い合わせるまでもない、なんとなく「あ、もうここのお客さんじゃなくなったんだな、じゃあしかたないね」という感覚の話だ。
なので、どちらかというとより深刻に思ったのは、利用者側の問題だった。
ジャンルを問わず二次創作に触れるオタクなら、毎日のように何かしらの問題が発生しているのはご存知なのではないだろうか。
トレパクに焼きマシュマロ、欲しい物リストや投げ銭機能の是非。
舞台はおおよそピクシブではなくツイッターだが、おそらく、いわゆる学級会が開催されていない日はない。
絵師の問題だと高をくくっていたトレパクが小説でも設定文章丸パクリ、という形で発見されたツイートを見た時などめまいがした。
どんなに良いサービスでも、利用者がおらず収入が入らなければ長続きはしない。
だが、利用者が増えたことで、同人や二次創作の知識が浅い人、マナーを理解できない人、モラルがない人が増えたのも事実だと思う。
自分が書いた小説には愛着がある。世界で誰より自分が一番自分の小説のファンだと思っている。
プロはまた少し話が違うのだろうが、趣味で書いているだけのオタクなのだから、読者を選ぶ権利はあるはずだ。
問題を起こす人、そしてその人を支持する人。
そういう火種にくべられ、何かあった時に「この問題児が好きな人はこっちの小説も好きだから、こっちも警戒した方がいいかも」となるのが怖い。
しかし心が折れた。
小説をいくつか投稿し、幸いなことにコメントをいただいたこともある。
ピクシブの作品ページもそうだが、ツイッターでエゴサして見つけた時は本当に嬉しく、次も頑張って書こうという気になった。
なった、のだが、心を折ったのもまたコメントだった。
その理由となった例を二つ紹介して、終わりとしようと思う。
これから書く内容は、自分でも僻みが混ざっていると感じるという点は先に伝えておきたい。
一つ目は「『ジャンル名/CP名』は○○さんの小説が一番おもしろい、他の人のを読んでも物足りなく思うようになった」というコメント。
○○さんではないので、それならもう投稿しなくてもいいし投稿していたものも消して問題ないか、と思った。
オタクに限らず、何かを褒める時にどうしても無意識に他を下げる人はいる。
「○○しか勝たん」とかの言い回しも、同じように感じる人もいるかもしれない。
せめてジャンルやCP名は伏せて発言した方が、結果として好きなジャンルやCPの作品数は増える、ないしは維持されると思う。
書いた時点で満足できるので、このコメントでわざわざ他の人に見せる必要性を今一度考える原因になった。
二つ目は、問題を起こした人の作品をべた褒めしているコメント。
それだけであれば関わりたくないとミュートするだけなのだが、自分の作品に熱心なコメントを残してくれる人だと気づいて反射的にブロックした。
関わりたくない以上に、そういった作品を読んで褒めるような人に読んでもらいたくないと思ってしまった。
その人が起こした問題を何も知らず、作品を純粋に楽しんでいるだけなのだとしても許容できない。ましてや、全て知った上で「作品と作者は別だから」という人なら余計に近づきたくない。
繰り返すが、これは二次創作の話だ。書き手はほとんどがプロではなく、仮にプロやそれに近い技術を持つ人であったとしても、完全に自己と作品を切り離して制作する人はまずいないと思っている。
なぜなら、趣味で、好きなように書くものだから。二次創作とは、そういうものだから。
読んでもらいたくない人がいるのに、ネットに大々的に公開する意味なんてあるのか。
ある、と答えるだけの論拠は、持っていなかった。
そういうわけで、小説は全て消した。復活させる予定もない。
マナーを守って楽しんでくれた人には悪いのだが、それよりも恐怖や嫌悪感が勝った。
また、これらはあくまで投稿者目線の話で、閲覧者としては今後も利用する心づもりでいる。
今後は小説を書いたとしても、一人でひっそり楽しむつもりだ。もう二度と、どこにも出したくない。
もともと文章を書くのは上手くはないので、読みづらく申し訳ないです。
先に簡単に内容をまとめると、
・pixivのランキングで上位に入れないことが、自分の自信を喪失させている原因である
という話です。
吐き出させてください。
私はもともと他人と自分を比べがちで、承認欲求は高く、でも自分に自信がないような、そんな最悪を詰め込んだような人物です。
そんな私が、学生時代から続く絵描き生活の中で、長年自分を苦しめ、きっと今後も苦しめられ続ける、と感じているものがあります。
私は今、業界の端っこでイラストレーターとして活動しています。
ありがたいことに、自分の中では比較的大きいお仕事をもらって、色んな人に絵を見て頂けて、毎月生きていくのには困らないくらいのお金も得ています。
ですが、自分の絵に魅力がない、上手くないという考えが頭の中にずっと存在していて、ずっと落ち込んでいる状態です。
これはまだアマチュアだった学生時代からずっと変わっていません。
こんなにお仕事も頂けて、稼業としてやっていけているのに、なぜこの考えが拭えないのか。
クライアントからも良い絵が描けていると言って頂けているのに、なぜ自分を認めてあげることができないのか。
色々考えた結論が、『pixivのランキングに苦しめられている』ということでした。
初めてpixivのランキングに載ったのは、まだアマチュアの学生時代でした。
その時はそれはもう嬉しくて、絵描きとして認められたような気持になりました。
それからプロになってもずっと絵を描いて、相変わらずランキングには載ります。
ですが、私は大体デイリーランキングで言えばずっと200位あたりを彷徨っています。
執着しすぎて気持ち悪いと思われるでしょうが、自分でも承知しておりますのでご容赦ください。
私の中では、大体100位以内、その中でも50位以内に入ると人気なイラストレーターとして認められる、という認識があります。
そして大体100位以内に入ると、有名な企業のお仕事の依頼が来たりして、絵描きとして活躍の幅が広がるように感じます。
そしてこの順位に入れないのが、自分の絵は魅力的ではない、実力が無いと感じる根本的な理由になります。
その上自分を苦しめてどうしようもないのが、ランキングは単純ないいね数・ブックマーク数・閲覧数だけでは決められていないという事です。
まじで自分気持ち悪いんですが、大体どのくらいの閲覧数や評価をもらえれば、ランキング上位に入れるかの参考数値を出そうとしたことがあります。
ですが、自分の絵と閲覧・評価・描いているジャンルなどの条件がほとんど同じくらいなのにも関わらず、50位以内に入っているイラストがいくつもありました。
公式からも、複雑なアルゴリズムでランキングは決められているとどこかで明言されていた記憶があります。
閲覧数や評価は上位に入る絵と同じなら、自分の絵は捨てたものではないんじゃない?
だとしたら、運営側で「この絵は上位にふさわしい」とか、「この絵よりもこの人の絵の方が素敵だから上位にしよう」とかしているのか?(そんなことないと思います)
ということは、自分の絵は運営側から見たら、上位にするには足りないような魅力のない絵に見えているのか?
もともと自分は他人とものすごく比べて落ち込んでしまう方です。
なのでもしかしたらランキングがなくなったとしても、他の要素で他人の絵と自分の絵を比べて落ち込むのかもしれません。
今は昔とは違ってtwitterで有名になる絵描きも多いですし、そんなにpixivのランキングにこだわる必要はないとも思います。
でも私が憧れた絵描きさんのほとんどが、ランキングで上位に入っている。
私が執着するのはそれが理由です。
上位に入らないあなたの絵は、業界内でそんなに価値はないよって言われてるように思えるんです。
実際そうだと思います。そういう魅力はないんだなと自分でもわかっています。
だからランキングはきちんとした数字をたたき出しているし、正当な評価だと思います。
でもやっぱりつらいです。
プロになってから、お仕事の絵を描くのは楽しい、ということが分かりました。
クライアントから、お金を出すのに値する絵を描けているよって認めてもらえていると感じられるから。
でもpixivに投稿すると、私の絵はまるで価値がなくなってしまうと感じる。
そう感じるのは、pixivがイラストの流行など、業界の中でも結果的にでも大きな影響力があると感じるからです。(もちろん個人的な見解です)
そんな業界的に影響力がある場所で認められないとなると、自分の絵には価値が無いのだと感じざるを得ません。
苦しくてどうしようもなかったので、吐き出させてもらいました。
フェイクを入れていますが、自分と同じようなことを考えて苦しいと感じてる人、きっといるんじゃないかな。
最後になりますが、pixivのランキングは悪だ!とは思っていません。
ランキングがあったおかげで好きなイラストレーターさんに出会えて、自分も頑張ろうと思えました。
ただ、自分の性格のせいでこういう考えに至り、結果的に苦しい原因となってしまった、ということです。
私がもっと前向きな性格で、悔しさをばねにして頑張れるような人間だったら、こんな風には感じなかったと思います。
なので私自身のせいです。
私の人生、絵描き生活が大半を占めていて、絵以外に自分の価値が無いと感じているので、
いつか自分の事を認めてあげられる日が来たらいいなと思います。
こんな文章を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
後にVtuberと呼ばれる配信者(以下Vとする)が現れてから数年が経過した。
コストをたくさんかけて3Dでぬるぬる動く企業勢のVや、2Dで顔やその一部がまるで痙攣のように動いて活動する個人勢のVなどさまざまなだ。
今では数えきれないほどのVがいる。
多ければ多いほどそれだけ個性が違うということだ。
ある日あまりVに興味がなかった私には好きなV(以下Sとする)ができた。
推しと呼べるほどではないのかもしれないが、配信通知が来たら少なくとも開くくらいには見ていた。
しかし、ここ最近になってSの配信を見ていて、コメントをするどころか視聴をしなくなることが激増した。
これからその話をしようと思う。
まずSについて軽く説明をしておく。
個人勢で中の人がイラストレーターということもあって、肉体は自身で生み出している。
ちなみに私はSについて配信活動を始める前から知っていて、Sの描かれるイラストが大好きだ。
個人勢ではなかなか難しい壁の1つでもある、チャンネル登録者数が1000人の突破も成し遂げている。
しかし、ここ数か月Sの配信内容は某Twitterにもその内容がよくトレンド入りする、3人で1チームを組んで戦う大人気のバトロワのFPSばっかりだ。
私がそのゲームを1度も遊んだことがないからなのかもしれないが、見ていてびっくりするくらいつまらない。
その配信者が好きなことをすれば良いと思う。
先ほども述べたがSはそのゲームに夢中だ。
そのゲームにはランクというものがあるそうだが、できるだけ上のランクに行けるように(というか純粋に上手になりたいのだと思う)毎配信固定メンバーで配信をしている。
また、Twitterを見ていると流れてくるSの呟きは多くがそのゲームについての内容、あるいは「寝れない」が多いように感じる。
Twitterの件については体調に気を付けてほどほどにねと思うが、毎配信固定メンバーはどうだろうか。
例えば協力して謎解きをするゲームだったらともかく、某ゲームの場合はコメントをしても疎外感を感じるし、見ていても飽きやすい。
私はSの描くイラスト(肉体)や声が大好きなので今でもたまに配信は見るが、以前と比べて激減した。
ここから先は話がずれるが最近のVについて思う所はある、言いたいことは正直多い。
例えば、そもそもVとは何かという点についてだ。
急に哲学のような話を出して失礼した。
最初にも触れたが今ではVの数も多くなった。
自分をキャラクター化して、アバターとして活動する者も珍しくないがそうではない者も当然いる。
わかりやすいのは企業勢のVだと思うが、彼らは一人一人に世界観が設定されている。
しかし、実際はどうだろう。
あくまでバーチャルな存在でありながらTwitterにてリアルの写真を呟いたり、明らかなメタ発言のようなことも普通にしている。
ここで面白いからいいじゃんなどと脳死のようなことを言う人たちがいる。
確かに私もSだけではなく、他のVも面白いとか声が好きだからという理由でこれまで見ているが、いまだにこれがVなのかと疑問に思うことがある。
頭がぴょこぴょこしている最初のVほど完璧にとまでは言わないが、時々ひっかかってしまう。
これについては本当に申し訳ない。
Sの話に戻る。
自分のアバターとしてVの活動しているのならすまないが、もしそうでないのなら
確認したところこの文章を書いている今この瞬間もSは某ゲームを固定メンバーで配信をしている。
念のためもう一度書いておくがSのチャンネル登録者数は1000人を超えている。
(さらに、今この文章を書いているのは土曜日の午前1時頃だ。週末で比較的休日の人が多いはずでは...?)
ちなみにたまにそれ以外のゲームを配信することもあるが、それすらもそのメンバーとしている。
せっかくVとして活動しているのだから、その特性を活かした配信を見ていたい気もする。
もちろん配信内容はその配信者がしたいことをするのが一番だとはやはり思う。
現代になり、個人主義が強まり、「社会の目標」ではなく「個人の夢」を大事にしようという風潮が強まった。
平均年齢が上がってる現代、「夢」というのは俳優や有名人の事ではなく、ほぼ「自由」と同じ意味を持つようになった。
プログラマー、イラストレーター、カメラマン、トレーダー等など。共通するのは「いつでもどこでも出来る仕事」な事である。
そういう場合に良く進められるのが、「安価な仕事をまず受けてみよう」「とりあえず働いてみよう」である。
安価な仕事からステップアップして「食っていける仕事にしよう」という事だ。
上記に書いた「夢」の職業は、言ってしまえば個人の勝手な都合だ。「社会を利用して楽をしたい」という目標がそこには含まれている。
これ自体は悪い事じゃない。しかし企業もまた、「個人を利用して楽をしたい」という目標が存在しているのだ。
具体的に言えば、「夢」をちらつかせて、安く成長出来ずやりがいの無い仕事を安価に大量受注、「夢追い人」に配り
大量に収穫する。大量の要望を出し、相手の思考を疲弊させる。悪材料は後だしだ。
気付けば「肩書き」だけつけてステップアップしようと目論んでいたのに
企業に利用され、利用されている事を「必要とされている」と勘違いしその肩書きにしがみつく。
「やりがい搾取奴隷労働者」の完成だ。時給100円の案件をこなすスーパー働き人に成れる。
「下積み」という言葉に騙されるな。夢に騙されるな。
一度企業を利用すると決めたら、利用しすぐに捨てろ
交際期間はそこそこ長い(2年)ため、人となり自体は詳しく知っていた。
幼少期から両親に虐待を受けており、メンタルが非常に不安定なことがある。
また身体が非常に弱く、持病をいくつか抱えている。
両親との関係を切ることができず、連絡が来る・両親に会うたびに「死にたい」と漏らしていた。
共同生活を始めて1週間、育児のほとんどを自分任せだった(子どもをあやすのも遊びに連れていくのも風呂に入れるのも自分がやった)ため、
不安に思って相談したところ「あなたが子どもにどう接するのか気になったからあえて任せていた」とのこと。なんだよそれ...
ちなみに今でも子どもを公園・買い物に連れて行くのは自分の役目。今日も1人で連れて行った。
平日は自分が9時~17時でリモートワークなのだが、公園に連れて行くなどすることはない。
後述の子どものわがままも多少嗜める程度。「子どもも環境が変わったばかりで可愛そうだから」とは本人の談。
洗濯をしてくれることだけはとてもありがたい。
最初の数日は子どもも様子を見ていたのか、23時には寝て8時頃に起きるような生活を送っていた。
食事もおとなしく食べており、自分の仕事終わり(17時過ぎ)に公園に行く時もたまにわがままを言うくらいの子どもだった。
1週間も経つと環境に慣れてきたのか、甘えてくれることが多くなってきた。
可愛らしいなと思う反面、子ども特有のわがままが増えてきて時折イライラすることもあった。
でも、
ひとつひとつは許容できても、積み重なってくるとどうしても苛立ちが勝ってしまう。
昨夜「夕飯がまずいから食べたくない」→「夜中にお腹が空いたと夜泣き」→「おにぎり3個食べた後、今度はベッドが狭くて寝られないとワガママ」の3コンボを受けてしまい、初めて本気で叱ってしまった。
働いてもいないのに?
自分が育児に不慣れであり精神的に未熟なことはわかっていたが、どうしてもイライラが抑えきれず、「僕は奴隷になりたいわけではない」と言ってしまった。
この発言がきっかけで彼女は家を飛び出し、結局今日は自分が1人で仕事しながら子どもと接していた。
公園で近所の飼い犬に触れたのが唯一の癒やしだった。
この4点に尽きるんだろうなとふと書きながら感じている。
散々文句を言ったが、2人とも可愛らしいと思うことはたくさんあるし、一緒に暮らしてよかったとは思っている。
ただどうしても孤独感というか、自分を褒めたり相談に乗ってくれる人に飢えている。
今はただただとてもつらい。つらい。
こんな記事開いている時点で多少はブギーポップという作品に興味がある人間だろうが、様式美のために簡単に説明しよう。
「ブギーポップは笑わない」とは、著者 上遠野浩平。電撃文庫から1998年に刊行されたライトノベルで、その後のラノベ界に大きな影響を与えたと言われている作品だ。
2000年にも一度アニメ化されており、2019年に再アニメ化された。
こんな感じでいいだろうか?
さて、私はブギーポップを書いている著者、上遠野浩平先生のファンである増田だ。
この記事はファンから見たブギーポップの再アニメを記したものである。
さて、まず結論を書こう。
これは残念ながら事実だろう。
ネットで調べれば円盤の売り上げが散々だったと言われているし、グッズもアニメイトなんかの店頭でもほとんど置かれなかったし、出ると宣伝されたfigmaは出ないし(受注生産でいいので売ってくださいお願いします)。
アニメがつまらなかった。話が理解できなかった。監督と絵師がもめた。再アニメ化にあたってのキャラデザが良くない。そもそも原作が20年前で現代に合ってない。
さて、こういった評価について、またアニメそのものについてブギーポップ、そして上遠野浩平という作家の本気のファンである私がどう思っているか。
1.アニメについて
つまらない。という意見もわかるが、正確にはストーリーごとにわかりやすさが変わってしまっているという印象を受けた。
2019年のアニメは原作に沿ったストーリーで展開しており、原作では巻で分けられていた以下の内容でがらっとわかりやすさが違う。
正直一番理解が難しいと思う。ここで脱落した人もかなりいると勝手に思っているし、原作の魅力が伝わっているのか不安になった。
笑わないは時系列がかなりシャッフルする作品なのだが、アニメでは「登場キャラの削減」されて登場時系列が整理されており、これが一番問題なのだが「心の声の描写がない」。
私は原作ファンなので、場面を見るだけでその場面の背景や心理描写を思い浮かべて普通に楽しめてしまうのだが、初めてブギーポップを見た人が理解できるか不安になった。
(ただ、一話がまるまる浪漫の騎士として竹田くんとブギーポップの会話にあてられているのはファンとしてはマジでうれしかった。これで口笛吹いてくれたらさらに完璧だったが、そこまでは望むまい)
②vsイマジネーター(4話~9話)
笑わないに比べればかなりわかりやすい。が、初めて見た人がどこまで理解できるかは原作既読組から見ると少し不安になる。
めちゃくちゃよかったし、なんならブギーポップ初めての人にはこれから見せても許されるんじゃないかと思うぐらい。
少女な霧間凪はかわいいし、黒田さんの描写も、モ・マーダーもピジョンも最高なので、笑わないとvsイマジネーターの後にあるのがもはやもったいないと感じる。
④歪曲王(14話~18話)
普通に良かった。
音楽的な描写が多い作品なので、アニメのBGMがいい仕事をしていたし、ゾーラギとの戦闘シーンの動きはアニメでしか味わえないブギーポップだった。
なによりスタートである笑わない編がわかりにくい、というのが何よりも大きい。ファンとしても万人に勧められる作品ではないと思っている。
なので、小説を読めばいいと思うよ。
正直、監督と原作でキャラデザ・イラストレーターを務めている人がもめた話は語りたくないので、詳細はネットで調べてもらうとして、これがアニメ好きと呼ばれるアニメライト層(ここでは原作を知らないがアニメなら何でも見る層を指す)に悪影響を与えた可能性は否定できない。
ただ、再アニメ化にあたっての原作からのキャラデザの変更がよくなかったという話はファンとして否定したい。
そういうことはだな、原作や原作に忠実にキャラが描かれている「ブギーポップファントム」(2000年アニメ)でキャラ同士の判別が完璧にできるようになってから言え!!!
失礼。
ファンにも様々な意見があるのは踏まえたうえで、私はキャラデザに関してはブギーポップが原作通りのマントと帽子をかぶってワイヤー使っているなら、割と後はなんでもいいとか思っている。
なので、再アニメ化のキャラデザは末間博士とか、委員長とか原作に似た見た目で、いいキャラデザもあれば、スプーキーEとかゾーラギとか原作とは違うけどいいデザインもあるのでファンとしては全然ありでした。
(欲を言えばフォルテッシモや、十助をアニメ化するならどんなキャラデザになるのか気になるのでこっそりください)
3.原作について
原作が古いから現代の人には受け入れられないという意見について。
「ブギーポップは笑わない」は1998年に初版が出版された作品だ。
その人気が高かった2000年に一度アニメ化し、2018年の末ごろアニメ化の発表が会った時我々ブギーポップが好きな増田は、驚きを持ってそのニュースを迎えたのだ。作者が10周年記念の時何も無かった電撃文庫がどうした!?再アニメ化だと!?
そこに「今さら!?」という感情が無かったと言えば噓になるだろう。
だが、それは我々が何年、何十年も前に書店や学校で「ブギーポップは笑わない」の小説を手に取り、そこに歴史を感じるから古く感じるんじゃないかと思うのだ。
古い作品の再アニメ化で成功した事例として「おそ松さん」や「ジョジョの奇妙な冒険」があるだろう。原作が古いから受け入れられないという意見には反対だ。
それは1998年代とかそういう話ではなくて、あなたが学生時代に読んだブギーポップを知っているから古く感じるんじゃないかという話だ。
ブギーポップの描く独特の閉塞感があの時代特有のものだと言うのは、あなたの学生時代がその時代だったからじゃないのか。
「現代に通用しない」のは現代のあなたに通用しないだけではないか?
しかし、2021年になった今も通用する作品だと一ファンとして確信している。
そしてもしも、この作品の価値というものが本当に問われることがあるならば、それは例えば、今から20年後の2040年。1998年のブギーポップを知るものがほとんどいなくなった時に問われるのだと思う。
4.まとめ
というか、アニメが失敗したところで原作の良さは損なわれないのに、原作に言及するヤツはマンティコアの食糧として献上してもいいと思うんですがね。
ブギーポップの再アニメ化の成功失敗については再アニメ化した時点で割と成功だと思っている(刊行20周年に二度目のアニメ化がされる作品の一つにブギーポップがあるという時点でファンとしてはとても嬉しい)のですが、アニメの完成度については話毎に差があると思っているし、誰にでも勧められる良アニメとは言えないでしょう。
しかし、2000年のブギーポップファントムが2000年のブギーポップだとするなら、2019年の再アニメ化は2019年のブギーポップだった。
画面は明るくなり、BGMもキャラデザも変わって、スマホを使う。
(これで2040年に奇跡的に再々アニメ化なんてされて、また今までと違う2040年のブギーポップが出たら奇跡的過ぎて、失敗だと言われていた話も成功になりそうですね。歴史というものが後から修正されるように)
ところで、ここまで読んだ人はかなりブギーポップが好きか、頭がおかしいのだと思うのだが、ブギーポップと同じ著者の書いた他の作品もとても面白いので是非勧めたい。
「ぼくらは虚空に夜を視る」
「殺竜事件」「ソウルドロップの幽体研究」
さて、この駄文もそろそろ終わりである。もちろん締めの言葉はファンとしてこうするべきであろう。
(結局、再アニメ化って失敗だったのかよ?)
(まあ、いいじゃん)
コロナで唯一の趣味の旅行に行けなくなってストレス溜まりまくって金遣いが大変なことになった
独り身なのに困ってる各地の農家さんの野菜とかフルーツとかをキロ単位で買ったり、結婚式中止になったから廃棄前の引き出物のクッキーとか買ったり
電子書籍が半額になったからていう言い訳で専門書100冊×3アカウント分買ったり
好きなイラストレーターの本を定価の5倍上乗せして買ったり、ツイッターにいる好きな絵描きにも字書きにも金突っ込んでリクエストに答えてもらったり
クラファンの一番高いやつ支援してみたり、宝くじ買ったり競馬やってみたり、Yahooネット募金とかにも突っ込んだりした