はてなキーワード: 論点のすり替えとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/4669476313485935522/comment/ryun_ryun
"結局警察は行政なんだから、まともな対応させたいのなら法整備が必要なんだが、それを看過してるのは政府与党なわけで。自分達は隠蔽や改竄はするけど、国民には許さないからなあ。"
「2016年に成立した刑事司法改革関連法が、6月1日に完全施行される。」
つまり民主党政権では限定的な義務化もできなかったということが事実。一歩どころか半歩も進んでない。確かマニフェストには書いてあったはず。
自民党政権を腐したいのは心情的に分からないでもないが、筋が悪すぎるしそういった論点のすり替えが旧来の左派が敬遠される理由だということを早く理解した方がいい。
https://president.jp/articles/-/27472 という記事を見たのだが これがひどい内容であった
これを読むと煙草というのは重大な脳に対する悪影響を及ぼし、正しい物事の見方ができなくなるのだなとしか思えなかった。
どこかで読んだディスカッションの方法では相手側に立ち良い点を見つけよというが これに関しては不可能だ。
なので以下余りにも酷かった部分を引用しつつ
>タバコが嫌いな人にいくら理屈を説いても、「でもやっぱりタバコはあかんよ」で終わってしま
わない反応としようと思う。
>「タバコは絶対禁止」にするのであれば、タバコよりも社会的に損失を与え、健康被害が明確に確認されている「お酒」についても「絶対禁止」にする必要があるということだ。
そもそも煙草と飲酒は別の問題である。今話すべき内容ではない。そもそもこれに習うなら 大麻が禁止されているのだから煙草も禁止にするで終わってしまう。これは論点のすり替えにほかならない。
この後長文にわたって「飲酒の問題点」について語っているがまるっと無視させていただく。煙草はどうした。
>兵庫県は、健康被害が未だ明らかになっていない、加熱式タバコについて、厚生労働省も認めている飲食が可能な「加熱式タバコの専用室」を認めないという。
>「健康被害の恐れがない」との証明などできるはずがない。そんなことを言うなら~
健康被害が明らかになっていなかった頃使用してその後発覚して問題になった物は少なくない。
アスベスト、フロンガスなどが一例で挙げられるだろう。その懸念はないのだろうか。
薬でもそうだが「一定の安全性が把握できるまでは認可しない」のと同じではあるまいか。
それを「悪魔の証明」というのは甚だおかしい。証明し切れずともある一定の安全性を提示するのは受け入れる側のやるべきことではない。
さらには健康被害は白米や牛肉などにもあるから規制対象にするのかとなどと言っているが
そもそも完全嗜好品である煙草と重要な食品の一つである白米や牛肉と比較するほうがおかしいことに気づいていない。
煙草より危険だから私は食べ物を摂取しない なんてやつはこの世にいないはずだ。なぜなら栄養失調で死んでいるからだ。
ヴィーガンも真っ青である。なぜなら「健康被害はあらゆる物全てにある」と文中にある。
>きちんと加熱式タバコの調査もせずに、感情論で先走るのは止めたほうがよい。
感情論で先走っているのは他ならない貴方でしかない と言わざるを得ない。
だからどうした。この文章から一体何を伝えたいのか一切伝わってこない。
もしかして「世界では喫煙は当たり前だから受け入れろ」なのか?
だったとしたら問題である。世界は戦争放棄していないから戦争放棄を放棄しなくては と言っているのと同義だ。
これに対しては「汗臭いやつは」「動物臭は」「排気ガスの臭いは」「ゴミの臭いは」などと言うかもしれないが
それは論点のすり替えであるし だったら許されるわけではないし、各自出さない努力をしているものである。
街中で花火や蝋燭、ガスバーナーを振り回していたら捕まるに決まっている。では何故煙草だけ許されているのか?
車の排気ガスというのは走るのに出さなければいけないものである。その恩恵に預かっているから許される
アホネトウヨは「そのの命を救った金でテロ組織は何人の命を殺すんだろうねえ」みたいに言ってお得意の論点のすり替えしそうww
マジレスすると虚無は感じるかもしれないが元増田が生きることに意味はある。『何のために生きるのかわからなくなる』という思いの一因は、家庭がないが故に、自分の頑張りの結果紡がれていくものがない、という点にあると思う。つまり、頑張ったところで全て自分の為だけで完結してしまうだけで、未来への生産性がないという思いがあるのだと思う。家庭を持つものは、まず子供がいれば自分の遺伝子が未来へ繋がっていくという点で本能的に人生への充実感を得やすい。(故に持たないものは、それを外野からみて持たない自分と比べて無力感を感じやすい。子供を持たない夫婦であっても、『誰かに生涯の伴侶として選んでもらった』『生涯の伴侶を得た』という感覚の価値は大きく、自身の人生の拠り所となるのに十分である。高齢で独身となると、前述のようなことがない為に増田のような虚無感に陥りがちである。ともすれば『私が生きようが死のうが世界に何の影響もない』、『私が死んでも未来に繋がれていくものは何もない』といったことを考えてしまう。『自分は何も残せなかった劣った人間である』と思ってしまうこともある。しかし、それは違う。人は生きているだけで嫌がおうにも周りに影響を与え続けているのである。逆に言えばこれは避けられない。元増田がこれまでの人生で関わってきた人すべてに、行ってきたことすべてに、何らかの影響が及んでいるのである。その影響はごくごく小さなことかもしれない、しかしどんなに小さい影響でも、それぞれが及ぼした影響が相互に反応し合って社会をつくり、それが次の社会へと繋がってきているのである。元増田がかつて誰かにかけたある言葉が、その人にとっては大切な思いとして深く残っているかもしれない。その言葉でその人の何かが救われたかもしれないし、その人の考えが少しでも変わったかもしれない。そしてその人の行動というのはその人の更なる周りの人へ影響していくことになる。その人が増田の影響で少し優しくなったとしよう。そうするとその人の周りの人はその人の優しさで少し気が明るくなるかもしれない。元増田の行動が元増田も全く知らない人に巡り巡って影響を与えることになるのである。そこに親から子へといった遺伝子の繋がりはないが、紡がれていく影響という意味では間違いなく存在する何かがある。論点のすり替えと感じるかもしれないし、大袈裟かもしれない。しかし元増田の生きることで変わっていくものは間違いなくあるし、その人生に意味はあるのだ。
ふだん差別や人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。
確かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。
しかし、彼ら運動家を否定できる倫理的な根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?
実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。
以下は、ハフィントンポストの記事に対してスターを集めていた上位2つ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/
そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為の道徳性が疑問とされている。
そもそも、この運動は代替の効かない公共機関における、特定の属性を押しやる「専用車」それ自体が問題になっているのであって、なにも「女性専用」であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?
また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動の価値を毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要だからだ。
この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間が不安に駆られる状況こそ、Aが必要な証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間が不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性が証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性が証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義が必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?
賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメがスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。
ただ、浅薄なロジックはさておき、問題意識は理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性を裏付けている、というわけだ。
この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関は必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。
なぜ、女性だけが「暴力からの隠れ家」の恩恵にあやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。
つまり、女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性を排除することは、一般成人男性それ自体が潜在的な暴力の行使者であることを前提としているのではないか?
なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。
例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行を所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコやタイ、イラン、インド、ブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり今欧米で流行りのディストピア・ドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。
http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men
「女性トイレやレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両の正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定の属性だけが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等な負担を強いられるべきではない)、代替選択肢の存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性は潜在的な暴力被害者であり、男性は潜在的な暴力行使者である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。
はてブの皆さん、差別や人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から、馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性が世界標準以下の性欲アニマルだから仕方ない」で開き直っていいんですか?
余談だがロケットニュースでは、ニュースのタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。
https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/
「キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後の良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。
はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterとブコメで寄せられた、いくつかの重要な質問に答えます。
手段が低コストであることが、その手段に正統性を付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間の利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者と中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラクな解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。
マシなものがないのではなく、マシなものが鉄道会社に選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ・警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。
これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両は痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両は必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題にしろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源は痴漢です。しかし、ここでは対策の方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法が妥当か)が問題になっているのです。
また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性はお断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定の属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。
その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。
もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社の営業の自由も一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的に認知されていることをもって、女性専用車両の存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢の倫理を問題にしろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法だから正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。
ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米のリベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。
アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性や権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。
ただし、代替手段のない公共サービスの鉄道、それも日本の通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性と女性の関係において、暴力的な非対称性が一般的に存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性は庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴの議論にも通じるものがあるかも知れませんね。
それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。
しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分の観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。
これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員や監視カメラをガンガンに配置する(もちろん通常車両もなおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。
これである程度は、無関係な人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的な理由はどこにもないでしょう。
「女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。
いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンスが勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的なディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレや風呂と違って、ジェンダーやプライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。
しかも男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理で対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。
これは、以前Twitterで流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定の集団が抱えている痛み・苦しみが、特定の属性の排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差(しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?
どうしようもなくムカついたりイラつく事柄があって、それは理由とかはどうでもよくて単純にそう感じてしまうことだから仕方が無い、という側面がありますよね。
感情に理由をつける場合、解決手段を模索する時のみそれが適用されると考えれば、とにかくどうでもいいからムカつく、と簡潔に述べていればその事についてはこじれずに済むと思っています。
例えば相手が、それ考えは間違いであり、こちらにもこちらの理があるので正せ、というのであれば、両者共々折れるか戦うかするわけなんですけどそこで戦う事を選んだ場合理由が必要になってくるわけです。
あくまで平和的解決、若しくは健全な事態の収束、双方の納得を考えた場合必要不可欠になるものが理由であって、その内容が不健全であったとしてもどういった経緯で不快な感情を感じてしまうのかを道筋立てて説明できなければならないと考えられます。
現象には原因が必ずあり、それは感情にもハッキリとあることだと思うのです。
全てを説明する必要はない、相手がわからないのが悪い、と言ったコミュニケーションの隔絶、対話に対する拒絶等は片一方の確定的な「折れ」として扱うことが出来ます。
現象によるストレスの発生にプラスしてもう一つのストレスを生むわけですがこれには相手にストレスを与え、行動の抑制を促す効果を期待して行う事が大きく、いわゆる野性的な威嚇とも言い換える事ができると思います。
こういった野性的な威嚇はそこいらでよく見かける事ができます。様々な事柄を包括したコンテクストの押し付け等の不透明なルールに基づいた他者を排他する行動は非常に労力が少なく、かつ成功したモデルケースが多ければ多いほどこの「野性的な威嚇行動」を選択する機会は増して行くと思います。
そういった「野性的な威嚇行動」をより多く取るようになった人がモデルケースの少ない個人的かつ普遍的ではない嫌悪感を抱いた時にも「野性的な威嚇」の選択をとってしまうのではないでしょうか。つまり先程述べた通りの対話の拒絶が起こるわけです。
相手にみてとれる「対話の拒絶」状態は片方の健全な事態の収束を望む者にとっては、地獄に落とされたような気分の落ち込みを与えます。また、拒絶された側も相手を拒絶する「野性的な威嚇行動」に移るケースが多いと感じます。水掛け論、論点のすり替え、相手が折れるまで続く無意味かつ徒労を感じる罵倒の応酬、これらは全て威嚇行動です。
先程述べた「威嚇行動」と別の平和的解決とは、結果的に全てを無に帰す事を目指す行動です。また労力に見合った結果に終わる事は、現象における規模によって変動していくと考えられます。
また、解決とは折り合いを付ける場合にもそう呼びます。つまり現状に変化は無く、両者が状態を飲み込む事で解決とする結果です。これには不完全な箇所が多数あり、根本的な原因の解決が済んでいない状態ではありますが、原因の所在が明らかになっている状態にあります。両者に認識の齟齬はあるはずですが、自身の改善を促し問題の起きるキーそのものを消化する可能性をもたらしてくれます。
私が言いたい事は、話す気が無いように取れる一方的かつ単純で攻撃的な発言を見るとクソむかつき倒してしまうし目にすると気分を害するので消え失せてくれダボ共、くたばれ糞袋人間のゴミ、世界中の全てありとあらゆる生命ある物質から愛と称される施しをうけること無くすみやかに死を受け入れ、余生を享受する暇もなく地獄へ無限落下し続けるその様はまるで薄汚い腐った豚の腸、見た者は顔面蒼白になり路端で嘔吐あわや蛙の如く胃ごと吐き出す始末、阿鼻叫喚、地獄絵図、百鬼夜行悪鬼羅刹魑魅魍魎、南無三、神様仏様、織田無道様、御心のままにどうか私をお助けくださいませ、永遠に続くかと思われた地獄の果てに待つは地獄、これが無限地獄なのかと気づく頃には自失呆然五里霧中、意識は散り散りになり脳のシナプスは煙をたちあげ体は爆発四散雲散霧消あっぱれ、さようなら現世さようなら天国永遠とは苦しみの中に見つけたり、想像を絶する、人智の外から来たような苦しみを味わってほしい。よろしく。
ここ最近アイマスについての話題が荒れすぎているので、この流れに便乗して私の意見を書きたいと思います。
(あくまで1人の意見です、同意も批判も結構ですので色々考えて見てほしいです。)
以前からアイマスの事務所越境について苦手な方から住み分けをお願いするというツイートをいくつか見かけていましたが今回トレンド入りしてやっと沢山の方の目について住み分けをするという事が認知されるかと思いきや「そんなんだったらアイマスから離れろ」だの「ネットやめろ」だのなんというか思っていた未来と真逆の反応をする方々が多くて驚きました。
まず私はデレPがメインで765やミリオン、SideMもやってます、DSも何とかソフトを手に入れてやりました。そして越境だってみるし越境NLだって見る人間です
しかし私は住み分けは必要じゃない、とは言いません。必要だと思ってます
「何でしなきゃいけないの?BLやGLだって住み分け出来てないじゃない!」とか論点のすり替えたそういう言い訳はいりません。あの子はしてないからしなくてもいいってわけじゃないんです。元々は住み分けされなければいけないものなんです、子供みたいな我が儘を言うくらいなら貴方の方がネットをお辞めになられた方がよろしいのでは?と思ったりもします
同じアイマスでも言うならば違うものです。あくまでデレマスはデレマス、SideMはSideM、それで1つの作品です。
みんなまとめてアイドルマスターという言葉、私には「みんな違ってみんないい」という意味だと思っています
「アイドルマスター」というのはゲームジャンルで、ミリオンや、シンデレラガールズ、SideMなどの作品があるという形だと思います
同じ会社作ったゲームだからこのゲームキャラとこっちのゲームのキャラは同じ作品!クロスオーバーではない!だから住み分けしなくていい!極論ですがそういうことかと思いますよ。私は、ですがね。
○MマスPについて
竜宮小町やりっちゃんがプロデュース出来なくなったり、それと同時に突然異性のアイドルが追加されたり。様々な出来事がありました。私は当事者ではないのでその時の騒動について語れる身ではないのは100も承知ですが1つ言いたい事があるのです。
「何でその時の事を全て理解してないやつが高飛車に語ってんの?大人しくしてろよ」
私も大人しくしなくちゃいけない側の人間ですがこうも何も知らないのに高飛車に話をして見る人が見れば他のアイマスシリーズをも見下すような発言が最近多々みられます。正直言って心苦しいです。
ああ、ここまでこれてよかったね
それで十分ではないでしょうか?
男性Pと女性Pの間で臭い(匂い)について論争がありましたが、女性Pは香水については何も言わない男性Pが頑なに汗拭きシートなどを使おうとはしない文に疑問符しか浮かびません。香水はつけずとも毎日身体をちゃんと洗って洋服を洗っていれば柔軟剤やシャンプーなどのいい香りがします。沢山の人が集まり匂いが混ざるその日だけでもつけるのをやめてあげてはどうでしょうか?
汗の臭いがすごい方は汗拭きシートを買うなど服を着替える(ただ服を着替える場所は弁えてくださいね?)などしていただければ問題ありません
男女共に、ですが腋臭などが酷い方は病院へ行って治していただくといいと思います、治せますので恥ずかしがらずに行かれてはいかがでしょうか?