はてなキーワード: 穏健派とは
増田に限らずSNSや匿名掲示板は基本的に「中道」「うすい一般論」「穏健派」の意見は是も非も集まらない。
だから基本的には過激な方へ過激な方へと意見が先鋭化していく傾向にある。
問題なのは反応がもらえることを狙って自覚的に過激なことを言う奴ではなく
そもそも偏見が強い奴がそういった場に来ることでとんでもない自己肯定感を得られるという構造にある。
「女嫌い」「男嫌い」「若者嫌い」「人嫌い」など人前で話せば是も非もなく居場所を失ってしまうような偏見が
存在承認を得るために自覚的に手を染めているからにすぎないからだ。
それは裏を返せば、他の機会で存在承認を得られるならばいくらでも改善の余地があるということだ。
本当に終わってるのは、ただ自然とここに行きついて居心地の良さを感じちゃってるやつ。
表現の自由を訴えるオタク層にも、「そもそもゾーニングは表現規制なのでけしからん」と言う原則派と、「いや、過激なエロにはR18が必要っしょ……」という穏健派がいる
まあこういう話は難しいかもしれないけど、一般論として、「安易な〇〇」に反対することは「〇〇」に反対することとは違うんだよね。特に、「安易なゾーニング」に反対することは「ゾーニング」に反対することとは違うわけです。
件の作家さんも含めて、特にBL愛好家の人々は、「ゾーニング」それ自体にはむしろ賛成する人が多いんじゃないかな。ただ、これは男性も含めて、「ゾーニングには賛成だが、それを当事者である我々の声を無視して、雑に決めないで欲しい」という人が多いんだと思う。
特に今回の場合は、R-18 or 全年齢という、二元論による「ゾーニング」というものに限界があるだろう、という問題提起がなされているのではないかな。
そもそも表現規制反対派の中で無能な味方の代表である表自戦士は自らが生み出した陰謀論に嵌ってるんだから
原則派だとか穏健派だとかガンジー派だとかソクラテス派だとか以前の問題なんよ
「ゾーニングは徹底的な表現規制への第一歩」と思い込んでるんだよ
暖簾の向こう側に追いやられたら最後は表現そのものの排除へと向かうと思い込んでるんだぜ
主にツイッターを使って好きな絵師や字書きを追っかけ続けているが、ここ最近、界隈の人間関係がめんどくさい。
あまりにめんどくさいので推しCPから離れたくなってるけど、でも好きだし、ほかに吐き出すところがないのでここに書き捨てる。
推しCPは逆CPのほうがメジャーで、規模が10倍くらい違うし、両方いけます!の雑食/リバ派も多い。
あるとき、一人の推しCP固定過激派の作家が逆CPに対して、冗談交じりに攻撃的な文面をオープンに呟いた。
それに対して固定穏健派の作家が「脅迫だ、怖い」と彼女を非難し、同意する固定穏健派および雑食派と、それに反発する固定過激派で界隈が対立してしまった。
固定過激派が逆CP攻撃に至った経緯は、作品が拡散されていくうちに逆CPとして消費されたりコメントされたり、色んなストレスが重なってのことだろうと思う。
界隈の中には推しCP固定と名乗りながら実は別アカウントで逆CPも創作してます、みたいな人もいて、そりゃー詐欺だよ良くないよ住み分けは大事だよと私も思った。私も固定派なので、やっぱり生産元が逆も書くならそのことは誤魔化さないでほしいんだよね。明記しろとは言わないので。こっちでチェックかけるし本物の固定過激派は「危うきに近寄らず」で対処すると思う。アカ分けて「固定です」は詐欺ですやめてくださいブロックブロック。
攻撃的なツイートと言っても冗談交じりの文面で、身内のノリを軽い気持ちで表に出しちゃったって感じだった。
でもどんな理由があっても冗談でも、「逆CP殺す」とかそれに類することを呟くのはダメだと思う。
そういう配慮のない呟きをオープンにした固定派も、それを宥めるでもなくいきなり「脅迫だ」と糾弾して騒いだ穏健派も、逆CP創作することを隠しながら活動していた自称固定派も、私は全員なんだかなあと思っていた。
そんなわけで逆CP絶許固定過激派と、そこまで言うのはちょっと引く固定穏健派(と逆OKな雑食派)で対立してしまった。それ自体はよくある「固定」と「ゆる固定」と「雑食」の小競り合いだと思うんだけど、めんどくせえことに固定派と穏健派、CP解釈でも小競り合いを始めた。
どっちから吹っ掛けてるとか正直外野からはよくわからないけど、「この解釈は地雷」とか「こういう推しCPは解釈違い」とか「〇〇じゃないなら推しCPを名乗るな」みたいな、そういう呟きが界隈に散見されるようになって、えーいやだなー困ったな~~~って思ってる。私は固定派だけど、それが推しCPなら受けが姫化していようが攻めが鬼畜化していようが殺伐だろうがイチャイチャだろうが生きてようが死んでようが、なんでも構わないオタクだから。
「〇〇じゃないと推しCPじゃない」って言われても「いや〇〇じゃなくても推しCPですけど?」としか思えないし「原作設定が地雷とか言うのは原作への侮辱、創作をするな」って言われても「そもそも無許可の二次創作は全部原作への侮辱じゃん?」としか思えない。二次創作大好きな私が言うことじゃないけど、二次創作において「あの創作はダメ、この創作だけが正しい」みたいな言い分って通用しないと思うんだよ。あれもこれも全部原作無視したファンの妄想にすぎないでしょ。そういう色んな「もしもの世界」を原作者の知らないところで好き勝手に作って楽しむ趣味だと思ってた。
ていうか親友だって書かれてる二人について攻めとか受けとか言ってる時点で原作へのリスペクトとか微塵もないでしょウケルwwwwww
これは自虐だけど本当にそう思う。
だから、正直、今の界隈の空気はとてもしんどいなーと思ってる。あれもこれも素敵な創作なのにいちいち「これが正解」とか「これしかない」みたいな呟きが目に入るたびに他の創作が否定されているような気持になって憂鬱になる。
いいんだよ、身内同士で盛り上がってるぶんには。鍵かけてそういう褒め方するのは全然いいと思うんだけど、オープンにやられるとやっぱり気になる。ミュートすりゃいいんだけどさ、そうするとどんどん界隈が静かになっていく。
匿名箱への凸もお互いにあるみたいで、チクチクチクチクお互いに空リプやbioで嫌味を言い合ってるのも鬱陶しいし、当事者だけじゃなくて外野も含めて「この人は固定派さんの仲間」「この人は穏健派さんの仲間」みたいなのがうっすら見えちゃうのも鬱陶しい。中学生か。
お互いに「あいつから一方的に凸られてる」って被害者ぶってるけど、お互いに推しCPの中では数字取ってるほうだからファンが勝手に凸ってんじゃないの?って気もするし、もう泥沼。こんな状況で推しCPオンリーイベントやるとか正気か?なんか事件起こりそうで怖いよ。
なんかもうマジで面倒くさい。何も考えずに推しCPを楽しみたいだけなのに、ちょくちょく流れてくる人間関係の呟きがめんどくさい目に入れたくない。
■序文
本稿は戦前の天皇のインナー・サークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループは宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループを宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団と位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこのグループを牧野伸顕中心の「薩摩系宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州系宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩系宮中グループは皇室との関係においては貞明皇后、秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后のインナー・サークルとも言える。また、彼らは英米のエスタブリッシュメントと戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室と英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエルと薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州系宮中グループは昭和天皇のインナー・サークルとして昭和の戦争を主導した勢力である。岸信介や松岡洋右を仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力、後者は大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人を薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統の先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから、長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人 』斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人、後者は弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸からの渡来人によって縄文人が日本列島の南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱の過程で賊軍の汚名を着せられた武士階級の出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派は賊軍の汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程でクリスチャンとなって薩摩系宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州系宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍の悲劇は、勝てば官軍の東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州系宮中グループの敗北も意味した。薩摩系宮中グループは戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後、英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長の明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である。戦後、薩摩系宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装、改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田はカトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州系宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍の汚名を晴らすかのように国際政治の舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成の時代になって「政治優先、対米自立、再軍備、自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンのたすき掛けリレーが小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である。
なんだかねえ
俺の気に入らないやつは穏健派にすら入らんということかね
これまで穏健派と原則派との亀裂が見えてこなかったのは、槍玉に挙げられた表現がどれも「R-18のゾーニングには値しない」ものだったからだ
むしろ、この件は、「表現規制反対派」の中のあらゆる派閥を敵に回してしまった、典型的な八方美人の例だと理解すべきだと思う。
「表現規制反対派」の中にも、「あからさまなR-18はゾーニングが必要」という穏健派と、「ゾーニングも規制であり表現を萎縮させるので撤廃すべき」という原理主義派がいる。原理主義という言葉がネガティヴなら、原則派とでも呼ぼうか(そういえば『図書館戦争』の主人公側陣営も「原則派」だったな)。
これまで穏健派と原則派との亀裂が見えてこなかったのは、槍玉に挙げられた表現がどれも「R-18のゾーニングには値しない」ものだったからだ。着衣した女性が胸を強調した献血ポスター、スカートに股のラインをなぞるような形のシワがついた農協のポスター、巨乳女性が表紙のラノベ、夜這いを楽しみにする着衣女性、そしてボタンを手にこちらを振り向く巨乳制服JK、これらはいずれもR-18ではない。いずれも(「規制すべきか」という基準で考えるならば)穏当な表現であり、映倫が言うところのPG-12にも該当しないだろう。つまり穏健派はこれらを「こんなのゾーニングに値しない」と考えるので、ゾーニング反対の原則派と共闘することができた。
ところが、今回不健全図書指定を食らったBL本は、あからさまな性行為が描かれている。肛門から精液が漏れ出す描写もある。穏健派から見ると、こんなのR-18がつけられて当たり前だ(少なくとも、男性向け作品で女性器から精液がこぼれるような描写があればR-18だろう)。したがってR-18のゾーニングを支持する穏健派は、「こんなエロ本にR-18をつけないなんてどうかしてる」とBL作家をバッシングすることになる。
では、原則派はどうか。原則派はもちろん、R-18指定はそれによって販路が狭められるなどの弊害があるので事実上の表現規制であると捉え、R-18のゾーニングに反対する。したがって、原則派は「そもそもR-18のゾーニングは不当」と主張するだろうが、彼らも事実として「現状のゾーニング基準では当該作品がR-18に該当する」ことは認めるはずだ。
ところが当該BL作家さんは「ゾーニングには賛成」と言ってしまった。本人的には「原理主義的過激派じゃありません、穏健派です」ということを意味する枕詞のつもりだったのかもしれないが、これが原則派の逆鱗に触れた。原則派からすれば、ゾーニング相当の物を「ゾーニング賛成ですが」と言いながらゾーニングせずに出版することは卑劣な裏切り行為である。かくしてR-18のゾーニングに反対する原則派は「お前はゾーニングに賛成なのか反対なのか、どっちなんだ、このコウモリ野郎」とBL作家をバッシングすることになる。Show the flag! ってやつだ。
さらに、当該作家さんが「女性は暖簾をくぐるのに抵抗があるので~」という理由を持ち出してしまったために、男性の権利に敏感な層からは「男は抵抗がないとでも思っているのか」、男女平等の支持者からは「男性向けゾーニングを維持しながら、女性向けだけ『特別扱い』を受けようというのか」という非難を浴びることにもなってしまった。つまり男性の権利に敏感な男性+男女平等の取り扱いを支持する男女も敵に回したことになる。かくして当該BL作家さんは四面楚歌の状態に陥ってしまったのであった。
ではどうすればよかったかというと、ひたすら原則派に徹していれば四面楚歌になることは避けられたと思う。つまり「東京都の『不健全図書』制度は廃止せよ! エロいBLをゾーニングなしで売らせろ!」という一本で攻めるべきだった。そうすれば穏健派からは非難されたかもしれないが原則派からは表現規制と闘う同志として迎えられたはずだし、「男性向けのゾーニングにも反対です」と一言付け加えておけば男性の権利に敏感な男性+男女平等の取り扱いを支持する男女から矛を向けられることもなかった。
「ゾーニングには賛成ですが」なんて言って穏健派にもいい顔をしようとしたから原則派にそっぽを向かれたのだ。穏健派を敵に回すことは覚悟すべきだった。っていうか、あんな露骨なエロを成人指定なしで出版しといて自分は穏健派ですアピールは無理があるでしょ。やってることはどう見ても表現の自由原理主義過激派なのに、それを自覚できていなかったというのが最大の問題であるように思う。
イラストに「R18」はあるが、テクストに同様の規制は無い、という前提が理解されていない。現在の運用上は、文章で性行為を描写しても、イラスト化していなければR18とはならない。双方の基準が統一されるべきだろう。
今回指定されたのは「コミックス」だが。作者名で検索したら普通に無料立ち読みが出てくるのだが、これのどこが「テクスト」なのだろうか>https://www.cmoa.jp/author/121926/。
そもそも普通に作者も「コミックス」と言ってるわけだが>https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hoshizakileo/status/1517603860205817856。
作者がコミックスと言い、アンチフェミや表現の自由戦士がコミックスという前提で話を進めている中、「テクスト」の規制の話を持ち出すこのひとの目にはいったい何が見えているのだろうか……
anond:20220430005751も書いたので読んでね。