はてなキーワード: 権力とは
ここ最近の出来事を見てるに、50代60代あたりの年齢の人たちがやらかしてばかりいる印象がある。まぁ、その世代が現役世代の最高位というか、偉くなったからなんだろうけど…でも、脇が甘いやら、実力が伴ってないやら、どんどんダメさ加減が露呈してきている印象が強い(もちろんその世代全員がそうとは思わんけど)
んで、強い権力や影響力を持ってることが多いから、財産を吹き飛ばしたりとか、信用を失ったりとかでエライことになってしまってて…それが会社規模やら国家規模やらでやらかしてる訳だから目も当てられない。というか40代以下は完全なとばっちりだろう…。
せめて年上には尊敬できる姿であってほしいと思うのだが…見てくれだけ立派なハリボテか、はたまたハリボテですらなく腐っているか…。
障碍者を虐待していた小山田圭吾に五輪の音楽を担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用の芸能人すべてを復権してくれないとなー。
=引用ここまで=
今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人を擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスにパワハラしていた頃の町山智浩にタイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?
では、一般人が町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾のイジメ自慢インタビューを擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜系ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。
この鬼畜系ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントそのものの有無について、私の個人的な見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。
個人的見解としては、鬼畜系ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だから、あんなムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜系ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。
こういう鬼畜系ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。
例えば、90年代の鬼畜系ムーブメント、悪趣味系アンダーグラウンド文化を象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜系ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩と柳下毅一郎の名前を確認できます。
また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌『宝島』『宝島30』でも記事を掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかしく記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます。宝島における根本敬の担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波系鬼畜ライター・村崎百郎」という悪趣味なギミックによるデビューを果たした編集者・ライターの黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います。
ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代の鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制『映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制『映画秘宝』と言っても過言ではありません。
さて、今回ようやく小山田圭吾は断罪の火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題の太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' on、Quick Japanを擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代の空気も考慮しないと」などと言っています。
これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力や虐殺のことについて「当時の時代の空気を考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。
百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解が可能です。90年代後半からはインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえ、Twitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人が社会的な流行や風潮を生み出すレベルの情報発信を行うことは、事実上の不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白・懺悔するのも、これもまだ理解は可能です。
しかし「90年代鬼畜系ムーブメントの流行」を根拠にして、小山田圭吾を擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代にメディア活動、芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場の人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題の太田は、当時から過激な発言が売りだったのだから、得意の毒舌で小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャンや文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代の時代の空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身の問題として「打算や保身、我が身かわいさから、自分という個人は、小山田圭吾の蛮行を批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者や芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲の人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代の空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います。
更に、小山田圭吾を擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾は被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪や反省を促す一部のファンからの真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣な人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎を罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。
長くなったので、今回は一旦ここまでにします。
1.コロンブス 4000万人
アメリカ大陸を「発見」しととされる征服者。彼自身インディを誘拐して奴隷として売りさばいたり、略奪を働いた極悪人である。だが、更に凶悪なことに彼の「発見」は白人によるインディオ大虐殺の幕開けとなってしまった。
1.毛沢東 4000万人
無謀な大躍進政策により3000万人以上の国民が餓死。その責任を取って辞任するが、権力欲に負けて文化大革命を起こす。これにより更に1000万人以上が死亡した。
3.スターリン 2000万人
過度の猜疑心と人間不信から自国民1000万人以上を処刑(大粛清)。また、ウクライナでは人工飢饉を起こし、1000万人を餓死させた。
ベルギー国王。コンゴを自らの私有地として所有したが、そこで過度の収奪を行った。税を納められない者は手を切り落とされるなどして殺された。
スペインの征服者。アンデス山脈のインカ帝国を征服し、インディオ1000万人を虐殺した。
スペインの征服者。メキシコ高原のアステカ帝国を征服し、インディオ1000万人を虐殺した。
6.ルーズベルト 600万人
アメリカ大統領。日本人に対して強い差別感情を抱いており、日本を経済的に締め付け太平洋戦争を引き起こした。
7.習近平 400万人
8.チャーチル 300万人
ベンガルで大飢饉が発生した際、首相でありながらそれを放置し、大勢を餓死させた。
アメリカ大統領。フィリピン人にスペインからの独立と引き換えに米西戦争への協力を要求した。戦後、約束を反故にし、フィリピンで大胆なジェノサイドを行った。
@hakoiribox
ツイのオタクのみんなはいじめにだけはやたら厳しいと思ってたのに小山田さん決死擁護とかやりだすのは意外でした。
https://mobile.twitter.com/hakoiribox/status/1416014949575315457
@kayuumaatsui
へ?! あの悪名高き所謂表現の自由戦士ですら、「自分がされた・される可能性の高いイジメにだけは」常に厳しかった記憶があるのですけれど。
まあ、いまは小山田は権力側なので、権力=俺=小山田、という図式が成り立っているんでしょうね。
https://mobile.twitter.com/kayuumaatsui/status/1416361165223972867
愛国心の足りないなまけ者
@tacowasabi0141
これ別に意外でも何でも無いよな。
単にサヨクの逆張りと偉大な国家との一体感()を求めて五輪反対は攻撃してりゃ必然的にそんなゴミになるわ。
オタウヨ君にはよくあること。
https://mobile.twitter.com/tacowasabi0141/status/1416358623828193284
イナモトリュウシ ∃xist@キモオタサハ
@yksplash_ina
オタクなんて「小山田圭吾になりたかった奴ら」の集まり」なんだから連中が小山田を擁護するのは何ら不思議じゃない。
https://mobile.twitter.com/yksplash_ina/status/1416130747119800321
少なくとも彼は障害者を人として扱っていなかったと思う。ここで言う人として、とは人道的にという意味を遥かに超え、認知として人に見えないものであると思っていたように感じる。人に見えない動物に類するのだからいじめても問題がない、という認識がそこにあった。人と動物のボーダーラインを知や自立意識に設定するなら、障害者の振る舞いは確かに人間的に映らなかったのだろう。では、小山田はなぜあんな事を言ったのか。
彼はダウナーの代表格だったことは紛れもない事実で、メジャーへの反権力的思想を持っていたと思われる。すると彼のとる言動とは、人間でないものを人間として扱うことはおかしいことだ、という反抗的精神をもって行われたと見ることもできる。小山田がいじめを行った当時からこのような明確さを持っていじめていたという話ではなく、いじめを行ったと大々的に述べた経緯から、いじめられるものはそれ相応の人間らしさを失していて、それに乗り切れないものは小山田認識の扱いを受けて当然だというものだ。ロッキンオンジャパンは文字通りロックの雑誌で、こうした反メジャーの言動が「キレ」ていて拳を世間に投げつけやすかったのだろう。
ではこの功罪がダウナー側だけに与えられるかというと、そうではないと考える。アッパー以前にはネアカ・ネクラという現在で言う陰キャと陽キャの分類があり、ネアカからはみ出した連中は皆非差別的な扱いを受ける傾向にあったからだ。結局小山田のやったことは人間の階級化であり、昔から人間がやっていることは普遍的で変わりがなく、その点で彼の行動は別段英雄視されるエポック・メイキングでもなく、極めて平凡で凡庸な叫びに相違なかった。その平凡な反抗心は今では本来の意味すら取り沙汰されずにいる。
しかしよく考えると小山田という平凡な人間が集団リンチを受けてキャンセリングされるに至って、彼という価値は全く異質で理解され難いものとして排斥されつつある。まるで彼自身がいじめ発言によってロックないしパンクな立場に――彼の音楽ジャンルは指していない――立ったよりも更に無機質で集団的な運動によってだ。
90年代ってネットがなかったから、テレビ局がまだ絶大な権力持っていた時代だったよね。みんなテレビ見るしかなかったから。民放で偉そうにしてる芸人とか俳優とかミュージシャンが偉いと勘違いしてたよ。まだバブルの残り香もあったし。ダウンタウンの松本が天才だと思ってたのは黒歴史だな。
名無しじゃなくハンドルネームを出して主張しないと、顕名かつ各種メディアにも出て既に権威を持ってる人間から権力をなくすのは難しいぞ。
というかひとりがHN出して主張してもダメだな。集団として声がでかくならんとダメ。
Twitterとかで、腐女子の立場から腐ツイフェミ批判してる人たちが少しいるじゃん。あの層がしっかり盛り上がる必要がある。
現状あのクラスタは、ツイフェミ批判する論客めいた少数の腐女子とその周囲で同意する多数の男ばっかなわけで、もっと野生の腐女子もツイフェミ批判の潮流を作らねば、金田淳子みたいな腐ツイフェミ文化人の発言力は変わらない。
別にあいつらと直接仲好しグループになっていちゃいちゃしろというわけではない。それはエコーチェンバーや派閥化になりやすいからな。
直接交流はないし同一グループではなくてもツイ腐ェミを批判する腐女子アカウントが沢山存在することが大事で、それが遠目から見れば存在感ある一つの潮流になってると思われれば、それを無視して勝手に腐女子代表ヅラをされることはなくなるぞ。
かつては女オタクと言えば腐女子でしょと思われてたのが、ここ数年で多数の夢女や百合オタや男女CP萌えの女オタが「腐女子と女オタは別概念なんすけど」と愚痴り続けた結果、別物とかなり広まったりしてるけど、そういうパターンを目指そうや。
一定数、ジャンプブランドという権威に自分を重ねて審判者か何かと勘違いしている輩がいる。
同一人物の可能性もあるが、「天皇の威光を我物として権力を持ったと勘違いし支配したがる右翼」そっくりで怖い。
他の例えならば「嫌なら出ていけ」が定番のネトウヨの精神性とも通じているように感じる。
権威がなんであれ、自分が強くなったと勘違いして他人を支配・干渉したがるこの現象に名前はあるのだろうか。
株主でも編集者でも購買者でもない人間がなぜこれほど傲慢に、声高に、執拗に米欄に粘着しているのだろうか。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496397705828
( 1077 )1047 他のジャンプ漫画みたいに現実を忘れるくらい没頭して楽しみたかったのに 完成度が小学生レベルで 見事に期待はずれで「なにこれ!何の成果も得られませんでした!ガッカリだよ!」ってなるっしょ 下げコメントはジャンプに裏切られた哀しみだよ
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496397708942
( 3811 )う〜ん…読んでて思った感想がとにかく「読みにくい」の一言に尽きる気がする。 絵の描き方も様々な手法を多用しすぎて複雑だし、台詞がめんどくさいね。めちゃくちゃ宝石の名前いきなり出されても戸惑うし、もうちょっと文章だけでも読みやすくして欲しいね。 それと出来ればこういう批評コメントも消さないでほしいもんだね。読者の意見とか感想から逃げるんだったらジャンプに載せる資格ないよ。
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。