2021-07-19

小山田認識

少なくとも彼は障害者を人として扱っていなかったと思う。ここで言う人として、とは人道的にという意味を遥かに超え、認知として人に見えないものであると思っていたように感じる。人に見えない動物に類するのだからいじめても問題がない、という認識がそこにあった。人と動物ボーダーラインを知や自立意識に設定するなら、障害者の振る舞いは確かに人間的に映らなかったのだろう。では、小山田はなぜあんな事を言ったのか。

彼はダウナー代表格だったことは紛れもない事実で、メジャーへの反権力思想を持っていたと思われる。すると彼のとる言動とは、人間でないもの人間として扱うことはおかしいことだ、という反抗的精神をもって行われたと見ることもできる。小山田いじめを行った当時からこのような明確さを持っていじめていたという話ではなく、いじめを行ったと大々的に述べた経緯からいじめられるものはそれ相応の人間らしさを失していて、それに乗り切れないもの小山田認識の扱いを受けて当然だというものだ。ロッキンオンジャパン文字通りロック雑誌で、こうした反メジャー言動が「キレ」ていて拳を世間に投げつけやすかったのだろう。

ではこの功罪ダウナー側だけに与えられるかというと、そうではないと考える。アッパー以前にはネアカネクラという現在で言う陰キャ陽キャの分類があり、ネアカからはみ出した連中は皆非差別的な扱いを受ける傾向にあったからだ。結局小山田のやったことは人間階級化であり、昔から人間がやっていることは普遍的で変わりがなく、その点で彼の行動は別段英雄視されるエポックメイキングでもなく、極めて平凡で凡庸叫びに相違なかった。その平凡な反抗心は今では本来意味すら取り沙汰されずにいる。

しかしよく考えると小山田という平凡な人間集団リンチを受けてキャンセリングされるに至って、彼という価値は全く異質で理解され難いものとして排斥されつつある。まるで彼自身いじめ発言によってロックないしパンク立場に――彼の音楽ジャンルは指していない――立ったよりも更に無機質で集団的運動によってだ。

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