はてなキーワード: 享年とは
はてな民なら、極端なハックを寄せてくれるのではないかと期待しています。
または、はてな民のおもしろい罵詈雑言を浴びて、気分をリフレッシュさせたいです。
特定はやめてください。
彼に関する最古の感情は以下。私が年長さんか、小学校低学年の頃だと思います。
「3才年下の彼の行為は、3年前の私がやったらこっぴどく怒られた行為。何故彼はえこひいきされているのか?」
「3年前の私が出来た事を、今の彼は何故出来ない」
「彼と同い年の従兄弟が出来ることを、彼は何故出来ない」
彼が小学生の頃、彼の夏休みの宿題を、家族全員で手伝うイベント。
宿題がほとんど未完の状態を母が検知し、母が「全員でかかれ」を発令。
私にインセンティブはありませんでした。
父母の財布から金を盗んで。
工業高校を卒業した彼は、母の薦めで、母のコネで、塗料関係の企業に就職しました。
実家に戻った彼は、母の薦めで、情報処理専門学校に通いました。
Windows95がまだ出ていない頃。
彼は、卒業はしたようですが、コンピューターを嫌いになったようです。
彼は半導体の製造工場に勤務しては雇い止めに遭う、を繰り返します。
そのうち、田舎では働く場所がなくなって、東京のハズレの方に勤務します。
上記は珍しく、彼の意志での赴任でした。2005年ぐらいだったように記憶しています。
2008年のリーマンショックで派遣切りにあい、企業の寮を追い出され、その後数年間無職になります。
寮を出てアパートを借りる金、無職の間の生活費を母が送金していたことを、父と私が知るのは2015年暮頃。
母→彼への送金がバレるきっかけは、母がボケて金遣いが荒くなったためです。
彼を地元に呼び戻そうと、父母は考えました。
東京で無職をするより、実家で無職のほうが経済効率は良いためです。
しかし彼は応じません。
提案に応じないのではなく、電話に出ない、手紙の返事もよこさない。
東京に住む叔母が訪問して、一度は会ったようですが、以後居留守を使っているらしいとのこと。
「返事すらしないのは家族ではない」父と私で見解を統一しました。
母からも連絡が行ってるはずですが返事はないようです。
遺産分割するため{レターパック、書留、裁判所からの通達}を送りましたが全て無視されています。
彼は警察に保護されて、東京に住む叔母が身元引受人になって警察に赴いたとのこと。
と言う連絡が、私に、東京に住む叔母の息子(つまり私の従兄弟)からありました。
これが数日前です。
「彼を地元に連れ帰ってくれ」
私は断りました。
母の要請で彼の世話をしたくありません。
43歳で、工場をクビになって、ホームレスになって、食うや食わずで行き倒れる人間は、この先どうすればまともに生活できますかね?
あるいはマスゴミが
「ここが彼の生家です!!!!」
と殺到するかも知れません。
「これから」という時に亡くなって…
というのは、若くして亡くなった方を悼む言葉の「定番」みたいなものだ。具体的にどの辺が「これから」だったのかなんて、深く考えずとも皆自然に口にするし、受け入れている。
hagex氏のブログはちょこちょこ読んでいて、最近も「勉強会を始めたのか」「次もすぐやるんだな」などと思っていたが、あの日以来、氏に近い人たちが発信する情報で、氏が 本当に 新しいことを始めようとしていたことを知った。
2018年は、hagex氏にとって転機の年、飛躍の年になるはずだった。少なくとも、ご自身はその積りで準備をされていたのだろう。
こんなこと書いたら絶対「一緒にするな!」と言われるだろうが、自分は、「スターティング オーヴァー 」((Just Like) Starting Over)という曲で、長い沈黙を破って活動を再開した矢先、凶弾に倒れたジョン・レノンを思い出した。
hagex氏も、あんな事がなければ殺人事件の被害者としてでなく、「hagex改め岡本顕一郎」として、我々の前にあの笑顔で顕れたのだろうか。
★
蘭の学校にジョディという英語教師がやってくる。怪しい彼女はターゲットを見つけたらしい。
★
新一宛てに「人魚の棲む島」から依頼がくる。服部がコナンたちと島に向かうことに。そこでは不老不死の祭りがおこなわれていた。
コナンはそこで数年前の祭り参加者名簿に「宮野明美」の文字を見つけるとこになる。またジンとウォッカの名前も確認できる。
(和葉が崖から落ちそうになる有名回)
★
黄昏の館に探偵たちが集められる。コナンも小五郎と参加。そこは昔「烏丸蓮耶」という大富豪の所有物だった。享年99歳…だったはずだが100歳超えてたらしい。過去に烏丸の母が残した財宝を探させようと多くの学者が烏丸に呼び出され、見つからず、結局殺害されていた。
その財宝の噂を聞きつけたやつが、同じようなことをしてしまう事件だった。(キッドも出てくるよ)
★
バスに乗っていたコナンたち。勿論事件が起き、バスジャックされる。そこにはジョディと、同じく高校で働く校医の新出先生と、赤井秀一という男が乗車していた。灰原は黒ずくめセンサー(近づくと居るって五感で分かるらしい)発動し、この3人の中に組織関係者が居ることが分かった。
★
実は蘭は、その赤井とニューヨークで面識があった。昔アメリカに新一と一緒に、新一の母で女優の有希子に会いに行ったとき、女優のシャロン・ヴィンヤードを紹介された。彼女は波乱万丈の人生で娘のクリスとも音信不通らしい。
なんでもシャロンは有希子と同じく、まだ新一が子供の頃、キッドの父「黒羽盗一」に変装の弟子入りをしていたらしく、仲がいいのだ。
そのNYで偶然蘭は赤井がFBIと一緒に居たのを見ていた。赤井秀一=FBI。
赤井が追っていたのは通り魔。その時、階段から落ちそうになった通り魔を助けたのは蘭、そして新一だった。
その後シャロンは有希子に電話で「私にも天使(エンジェル)がいた」と話していた。本作の一年前、シャロンは死亡している。
★
毛利事務所に失踪している有名エンジニア「板倉卓」を探してほしいという3人がくる。囲碁・チェス・将棋のソフト開発を同時に依頼していたらしい。
が、日記を発見。組織が板倉のソフトを買おうとしていたのだ。しかし板倉は「人間のためにもソフトは完成できない」と決め、未完成品を渡そうとしていた。
コナンが取引に来た黒の組織を追跡しようとするも、失敗に終わる。さらに灰原と帰宅途中、赤井に追跡されてしまう。
★
ジョディが灰原に目をつける。
ジョディは学校を辞めると言う。蘭たちはお別れパーティをジョディの家ですることに。その時、蘭がジョディの隠していた写真資料を見てしまう。
★
灰原は風邪をこじらせていた。博士は新出先生を呼ぶ。しかし迎えに来たのはジョディ先生だった。灰原はジョディに連れられ車で。新出先生はその車を追う。港で止まった二組。ジョディは新出にマスクをとるように促す。新出の正体はシャロンの娘で女優のクリス・ヴィンヤードだった。
ジョディは過去に組織のベルモットに両親を殺され、FBIの証人保護プログラムを受け、自身もFBIに所属し組織を追いかけていた。ジョディが幼いころに会ったベルモットの顔が変わらない。ジョディはクリス=ベルモットとは見抜いたが、女優クリス=女優シャロンではないのか?と問う。
★
ベルモットは灰原をシェリーだと見抜いていたので、殺しに来ていた。
しかしジョディが連れて来ていた灰原は、実はコナンの変装だった。有希子がコナンを灰原に変装させたのだ。
コナンは灰原を危ない目に合わせないように出し抜いたつもりだったのだが、灰原はコナンを追ってきてしまう。
その時、ジョディの車のトランクから蘭が出てくる。ジョディを不審に思ってついてきたのだ。銃発に気付いた蘭は、事態は分からないまま銃口が向けられている灰原を庇った。
ベルモットは「どいてエンジェル」と叫ぶ。そう、NYで追いかけられていた通り魔のおっさんはベルモットの変装で、蘭が助けたのはベルモットだったのだ。
仕方なくコナンだけを連れ去ったベルモット。自身を殺すとボスのメールアドレスを仲間にばらすぞとコナンに脅迫されたため、催眠ガスを放つ。ベルモットはコナンの正体にも気づいていたが、ジンには報告しなかった。
遠方にいる母方の親類から、実家に掲題の電話が来たらしい。享年94歳。
自分はほぼ寝たきりの妻の介護があるため通夜や葬儀への参加が難しく、でも弔いにせめて想い出したくて(吐き出してくて)、日記に書きます。
一時帰国したときによく泊めてくれて遊びに連れて行ってくれたよね。
そうそう、当時欲しかったファミコン、それもディスクシステム付きのをプレゼントしてくれたね。誕生日でもなかったのに、なんでか理解できない残念な子供だったけど、めっちゃ喜んだのを覚えてます。
やたらに早起きで、朝ご飯にいつも出してくれたプルーン、正直苦手でした。それが顔に出ていたのか、頑張って食べると、めっちゃ嬉しそうに目にいいんだと破顔して毎度教えてくれたよね。
いざ書き出してみると、なんかもらった話ばっかり思い出すけど、庭の芝刈りや水やりをやらせてもらったのもちゃんと覚えているよ。
前に顔を見たのは、ばあちゃんの49日だったよね。
でも、本当に好きでした、優しい笑顔。
道中気をつけて、ばあちゃんによろしくね。
泣いていたら、妻に「自分がいるから葬儀に出られないんだね、ごめん」と悲しい顔で謝られてしまったので、涙で送り出すことはできないけど、許して。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
Gleeのパック役で知られた役者、マーク・サリングが自殺した。彼は5万点に及ぶ児童ポルノ単純所持で逮捕されており、通常なら20年刑務所にいなければならないところを、罪を認めるなどの司法取引で、7年の刑期と20年の保護観察処分、性犯罪者として登録される(住所と姓名がネット上に公開され、居住区なども制限されるやつだと思う)ことになっていた。享年35歳。アメリカでは「同情の余地なし」といった世論。
これが日本で起こったらどうなるんだろう。単純所持でこの罰はそもそもおもすぎるという批判が飛ぶだろうか。たかが単純所持やぞ、そもそも罰則化がおかしい、とか。そもそも児童性犯罪者のデータベース化にも反対の声が大きいだろうか。同情の声はやっぱりあがるのだろうか。
ついでに言えば妹もいるんだけど、これについてはあまりに幼いうえに手も足りないのでおふくろの実家で育った。
ずっと、十年以上も後になって、1年間だけ一緒に暮らしたけれど、それでも僕にとって少年時代の家族の思い出は父姉自分の三人構成だった。
ちなみに『暗いと不満を言う前に進んで明かりを付けましょう』というワードを毎朝聞いていたので、覚えていたのだが、それが聖教新聞のスローガンだと知ったのは最近だった。
母の仏壇については、確かにあったのだと思うけど、どうしても線香をあげて拝むのが苦痛で、もう母の享年に並んだ今までに通算しても数十回程しか向き合っていないので、なにかしらの作用で脳内から消えているんだと思う。
今でも、母の仏壇を平常心のままで拝むことはできない。
我が家の信仰の薄さからか、父も母の仏壇に向き合うことはなく、今でも母の写真を寝室に飾ってはいるが、十年に満たない短い結婚生活を忘れないためなのかは知らない。
いずれにせよ、92年のクリスマスには父がアイスケーキという物を買ってきてくれたことを覚えている。
母がいなくなって初めてのクリスマスに、父ははしゃぎたかったのかもしれない。
僕と姉のテンションは始めこそ上がったが、意外に食べづらいアイスケーキは結局春先まで冷凍庫を占拠した。
いつか、タイムマシーンができたら、92年の僕たち家族を覗きに行きたい気もするが、母の仏壇を見て、忘れていることを責められるような罪悪感にさいなまれるかもしれないので、やはり薄ぼんやりと思い返す程度がちょうどいいのかもね。