はてなキーワード: テーピングとは
似たような状況で受診した。
化膿してるなら治療できるけど化膿してないならできることは無いと言われてテーピングの仕方習って帰ってきたけど、はっきり言って役にたたなかった。
爪が伸びたら来てねって言われただけ。
私の両足には第二内くるぶしがある。
「あーアレね」と共感できる方、
全く意味が分からない方、
両極端に分かれると思う。
第二内くるぶしというのは私が勝手にそう呼んでいた名前であり、正式名称は「外脛骨」というそうだ。
足の側面内側、土踏まずのアーチの上辺り、通常の内くるぶしのナナメ爪先寄り下側あたりにグリグリとした骨の出っ張りがあるのだ。
日本人では1〜2割ぐらいの人が生まれつき持っているらしい。
この第二内くるぶし、歩くとめちゃくちゃ痛い。
歩くだけではなく、1分以上しゃがみっぱなしになったり立ちっぱなしになったりしても痛い。
整形外科の先生によると、余分な骨に筋肉が引っ張られて痛みを起こすそうな。
外脛骨の中でも痛みを伴うものは「有痛性外脛骨」という名前で呼ばれるらしい。
思春期頃に発症、テーピングやサポーターなどで対処するケースが多いそうだが、私はこの痛みを病気(怪我?)と思わず数十年を生きてしまった。
治さないまま大人になってしまったので、完治するということはなく、「多少はマシ」というレベルにしながら一生付き合っていくという選択肢がベストだそうだ。
小学生の頃、遠足で長距離を歩いて帰ってきて、やはりこの第二内くるぶしが痛んだので
「足めっちゃ痛い」と母親に伝えたところ
「運動不足だね」と返ってきたので
『第二内くるぶしが痛むのは自分の運動不足のせい』と思い込んでしまったのだ。
実際インドア寄りな子供だったし。
体を動かすのは好きではなかったが、小学生ながら運動不足は良くないなと思ったので、一念発起して少年団のスポーツクラブに入り、中学では運動部に入部した。
それでも第二内くるぶしの痛みは消えなかった。
安静にしてテーピングしとくのが本来の療法なので当然である。
無理に動かすほど悪化するのだ。
しかし当時の私はとにかく自分の鍛え方が足りないのがいけないと思い込んでいて、筋トレを頑張ったりしていた。
社会人になっても第二内くるぶしの痛みは消えないままだった。
基本はデスクワークなので痛むのは通勤と買い物くらいになったが、時間が短くなった分痛みは濃縮されたように感じた。
自分では運動量が減って筋肉が衰えたからだと思っていた。
ある日友人と美術館の展示を見に行った。
美術館とか博物館とか、ああいう少し歩いて少し止まるような、スタート&ストップを繰り返す場所は特に第二内くるぶしへの負担が半端ない。
鑑賞を終え、カフェに入って一息ついた私は友人に
「美術館とかでゆっくり歩くのって第二内くるぶしめっちゃ痛くなるよね」と言った。
いわゆる『あるあるネタ』のつもりだった。
友人はスポーツ経験がなく私より一層インドア派だったので、同じ運動不足仲間ならこの痛みを分かってくれると思ったのだ。
「え、内側の2個目のくるぶし痛くなるでしょ?」
「いや2個目のくるぶしって何?」
「かかとにあるのが1個目じゃん、そのちょっと斜め下にさあ」
「ないよそんなん」
と噛み合わない会話をした後、
埒が明かないと思った私は
「触ったらわかるって!コレだよ!」と机の下でそっと友人に第二内くるぶしを触らせた。
「何これキモい」
第二内くるぶしを持たぬ者が、初めて第二内くるぶしを触った感想である。
その言葉にショックを受けた私は半ギレになりながら友人の足を触り返して、第二内くるぶしのないその足に重ねてショックを受けた。
そしてどちらが正常な足なのか多少の問答をしたあと、勝敗をグーグルに決めてもらうことにした私たちは
「内側 くるぶし 2個目 痛い」などのワードで検索して冒頭の事実を知ったのである。
それからというもの、歩く度に生じる痛みが一層辛くなった。
病院に通って、ダサくて高いオーダーメイドのサポーターや靴を作って、痛みそのものは軽減してないとおかしいはずなのに、前よりもしんどい。
世の中の運動不足の人間は全員同じ痛みに耐えていると信じていたのに、そんな事実はなかったことが耐え難い。
私以外にも第二内くるぶしが痛む人はいること、
第二内くるぶしどころじゃない辛い持病を抱えて生きている人はたくさんいること、
親はただ無知だっただけで嘘を教えたつもりではなかったこと、
全部理解しているつもりだが、
足が痛む度に「本当は感じなくてもいい痛みなんだよな」と悲しくなってしまう。
人目がないところだと歩きながら泣いてる時もある。
正直連日報道される大相撲問題の責任追及とか協会とか親方とかどうだっていいです。
にわかスー女として巡業とマスコミに色々と言いたいのでこの場をお借りしました。
遠方や被災地などの地域での開催はいいとして、今年の東京での巡業はやりすぎだと思いました。
9月場所で人気の横綱、大関が休場している中、日馬富士はテーピングをして一人で頑張っていました。
優勝決定戦では泣きそうになりました。
その後同じく十両で優勝した安美錦と共に優勝パレードに参加している写真は、個人的には新聞の一面に載ってもおかしくはないと思いました。
その後別の形で日馬富士のことが一面に載ったのは心底辛かったです。
良いことよりも悪いことを声高に叫ぶ日本の嫌な部分を改めて感じました。
もちろん暴力問題は犯罪ですが、力士への風当たりが強い時に巡業先が全く知らんぷりなのも嫌です。
青学場所やお台場場所、kitte場所と東京開催がやたら多く、散々宣伝のタネにしていた割には考案者の誰一人声を挙げないところも最低だと思っています。
これまで力士たちにお世話になっておいて、見捨てるようでいて辛いです。
神様の宿るとされているならば、その力士たちをまずは大事にするような体制にならない限り、悲しい事件はこれからも起こると思っています。
この節ではライブ音源を礎と築いた伝説とまで称されるマイク・ミラードという人物を紹介しよう。
彼自身に関してはWikipediaをはじめとして、雑誌の特集や個人のブログ記事を通して幅広い話題があるので人物名のみの紹介で割愛する。
前節でも話に触れたマイク・ミラードが伝説のテーパーと言われる所以は、何も伝説と称される名演を残したことだけではない。
本人の意図せぬ部分である可能性はあるが、彼の歩む足跡に付随したテープ・トレード文化の発展に貢献した軌跡である。
本稿はテーピング・ポリシーに則ったアーティストのテープ・トレードの文化に対して触れることはない。
確固たるシステム、または精神が介在することのない海賊版の流通経路、関わる人間達の側面に対して潜考するための草稿である。
容赦願いたい。
マイク・ミラードがパラノイアと誇張表現を得るまでに至るには、収集家、好事家といった類の人種が関与する。
聖地と呼ばれる西新宿で販売される製品も、データを取り出した後は製品としての価値が形骸化する。
生産数が限られた廃盤製品とは違い、複製されることが前提であるブートレグは実物として鑑賞に耐えうる強度を持たない。
昨日の日付の演奏も、インターネットの海を眺めれば数時間もしない間に流布されたライブ音源を入手出来る。
それは砂浜に漂着した瓶詰め入りの手紙のように。
収集物に関しては興味を持たない人間には一銭の価値も感じられないものが多い。
生前の身内のコレクションを二束三文で手放したという事例を耳にする限りでは少ない話ではない。
"事物が本来の実用的な機能から切り離されて日常とは別の体系に組み込まれること"という哲学者が打ち立てたコレクションの定義を借りて、ブートレグ・コレクターを表するなら鑑賞を前提としない膨大な演奏の記録を持つ人種である。
だが、彼らのコレクションがアーカイブとして日の目を見る日は来ない。
密造酒は興味を持たない人間には味を噛み締めながら酔うことは叶わない。
それは味を理解出来る人間にしか味を説明出来ないことでもあり、コレクターが希少価値を訴える相手が同種の人間に限られる。
マイク・ミラードは自身の録音が外部に供給されないようにテープにデジタル信号を付加するなどの工程を経た。
それは自身の録音のコピーが出回った際に誰が流布したか把握するように念を押した作業であった。
現在では容易にミラード・テープを見つけることが出来るが、当時は残したアーティストの演奏の内容、また入手のし難さから数多くの好事家が録音を欲した。
中には彼の死後に彼の生家を訪ねた者もいるという。
趣味で集め始めた者がいつしかコレクションの穴埋めをするという脅迫観念に囚われ、寄生した。
彼が懸念した事態は奇しくもミラード・テープを愛する人物達からの評価と、年月を経たテープ・トレード文化の発展の影に忘れ去られた。
市場が介在しない空間で語られる希少価値という曖昧な価値観に汚染された人種はやがて、パラサイトとなる。
マイク・ミラードが残した同時期から日本でも同じ状況であり、秘密裏に録音された多数のライブ・テープが存在する。
古くは音楽雑誌での投稿コーナー、インターネット黎明期に於いてはファイル共有ソフト、好きな内容を書き込むことの出来る掲示板まで、ライブ会場で知り合ったアーティストのファン同士の交流から、現在ではSNSまで水面下ではあるが数多くのブートレグが生産され、流通する。
Dead Headsに倣うように群れを成して活動した録音者達が、日本のアーティストの録音を販売したことで逮捕される事案も聞かない話ではない。
YouTubeから連なる動画共有サイトでも初期の段階では、日本のアーティストの動画も数多く見受けられた。エンコード情報を消す手段を知らない者から得られなかった者に供給される状況は、テープ・ヴァインに連なってコンパクトカセットかDATを使用しダビングによる劣化する状況を再現する。
とあるアーティストのニコニコ大百科の項目では、ブートレグの存在を明記されるほど動画共有サイトの発展は影響を及ぼした。
ともあれ、YouTubeでも著作権侵害での削除要請が相次ぎ、現在では日本のアーティストのライブ録音を公に聞ける場面は少ない。
コンサートワッチを嗜む人間は録音現場であるライブ会場で知り合うこともあり、時には機材者の駐車場の取り合いになることもある。
デビューを前提に結成されたアーティストではデビューからブレイクに至るまで、また精力的に活動する現在までの公演の80%の記録が現存すると言われている。
現在ではマスタリングの手法が容易になったこと、高品質の内臓マイクを備えた録音機材が安価であることも鑑みると簡単にミラード・テープに匹敵すると言っても過言ではない録音を生産出来る。またスマートフォンの流行による簡易的な録音も存在する。
特に売上の上位に列なるアーティストの大規模なツアーが行われる期間には、音楽交換掲示板の投稿の量も膨大に膨れ上がる。
彼らの多くはメールで連絡を募り、アップローダーを利用したオンライン・トレードを行う。
海外ではDimeを中心とした界隈があるが、ライブ会場に足を運べなかったファンが、その日の間に新しい演奏を聞こうとするのは日本でも難しいことではない。
時にテーパー、トレーダーの各種が集う場所には目的の物を耳にすることで出来なかった愚痴や被害報告の類も見受けられるが、
ライブ会場でのアナウンスにもあるように禁止行為ということを理解しながら禁忌に触れようとする連中である。
善も悪もないのが前提だ。
表立って行動しない録音者から音源を入手した後に、希少価値を訴え、人の褌で相撲を取るトレーダーも一定数はいる。
マイク・ミラードが至った思考は時代のうねりを渡ろうと、現在のテーパーにも精神は濃厚に受け継がれる。
( 4 ) 決別
筆者自身も隠しもしないがテーパーであり、コレクターでもある。過去形だが。
ひとつの音声ファイルでも再生時間は数時間になり、非可逆圧縮音源だとしても保存容量は比例して肥大化する。
ブートレグを入手することのメリットを語るとすれば、自身の生前以前のライブ音源を聴けることや限られた会場でのみ披露された楽曲を聴けることであろう。
だが、マイク・ミラードが録音を残したことは後世を憂いてのことではない。彼は自身の録音が拡散されることを望まなかった。
彼の近親者のみが入手したfirst-generation copiesと呼ばれる最初のコピーは、彼の直筆のイラストや文字が散りばめられ包装としても凝ったものであった。
簡素なダビングでも済む作業に余計な一手間を付け足したのは、彼がパラノイアであったからではない。
喜ばせることを前提として、実物としての鑑賞にも耐え得る付加価値を生み出そうとしたからだ。
複製の芸術でもある写真を表現手段と選択するアーティストは生産数を限定して、価値を高める。
現在、流通するミレード・テープのコピーに彼の意思は介在しない。
それは現在でも同様に個の間柄から逸脱しては配布されるブートレグに於いては録音者自身の意図は抜け落ちる。
ミラード・テープの精神はテープ・トレードの文化で生まれた星の数ほどあるブートレグにも共通する。
またテーピング・ポリシーを持たないアーティストのファンの間では、流通しないライブ・テープを持ち合わせないトレーダーは相手にもされない。
テーパー同士の限られた関係性の中でしか交換されることのない録音も存在する。同時に寄生虫は繁殖する。
自身の経験を振り返っても、総再生時間にして年単位に匹敵する膨大なライブ音源を耳にすることはない。
愛着と思い入れのあるブートレグ、またはテーパーとしての自身の録音を耳にすることの方が有意義であろう。
ライブ音源を耳することの最大限の感情の再現性にある。時にライブ会場の音響よりも優れた音質で聞かれる演奏には違った感情が湧き上がるかも知れない。
アーティストの込めた感情は違った形ではあるにしろ、いつか聞きたい者の耳に届くことだろう。
パラサイトから見れば喉から手が出るほど欲するブートレグの大半のデータを削除した。
人生を賭けて手に入れようとしたライブ・テープを入手した時から遅かれ早かれ決断しようとしたが、この瞬間に決別をしよう。
ミラード・テープは彼の友人のために。何より彼自身のためにある。我がテープは我が友のために、誰より私のためにある。
Thank You Tapers. I Love You Baby. Fuck You Traders. I Hate You Baby.
ろくでもない一日だったんよ。
休日出勤を早めに出て早めに片付けるつもりが、洗濯機が壊れて家を出たのがほとんど夕方でしょ、
帰りの終電で隣に座ったねーちゃんの凄まじい香水の臭いに吐きかけるでしょ(あれは香水じゃなくておかしなハーブだったのかも)、
漬け丼食べたくてマックスバリュで叩き売りの刺身買おうとしたらしょっぱいマグロの切り落としが900円超えでしょ、
仕方ないから塩鯖に切り替えて買い物してようやく家に帰ったら猫がゲロを五カ所でしょ、
片付けてやれやれとベランダで一服してはっと思い出したのはそういや洗濯機、乾燥メニューにしてなかったわって急いで洗濯機開けると脱水までしか終わってない濡れた洗濯物がもわぁって臭ってて仕方がないから匂い付きの柔軟剤多めに入れて洗い直しでしょ、
ああ、ひでぇ一日だ…と思いつつ昨日の風呂の湯を追い炊きして30分浸かってようやく人心地かと思いきや、
昨日の朝徹夜仕事で帰った後寝てる間に引っ掻いてどうも血管の近くだったらしく血がどくどく出てきて枕カバーと寝間着のパーカーを血染めにした傷が、血行良くなったお陰でまた開いて風呂上がりの体に鮮血が滝のように流れて必死で拭きつつティッシュで傷口押さえて止血して、昨日はガーゼがあったからどうにかなったものの今日はそれもないので絆創膏貼ってその上にティッシュの束をテーピングで止めてどうにかこうにか流血をおさめてやれやれでしょ、
そうこうしてるうちにもう丑三つ時の二時で、そもそも鬱で医者にかかってるくらいだからこんな感じだと何で俺生きてこんなことに右往左往してんだろ的方向に精神が偏向してて晩飯もういいかと思ったけどでも買っちゃったからには後で処理が大変だからってさっきの塩鯖焼いたらグリルを予熱しておくの忘れて網に焼き付いて身をぼろぼろ持っていかれるでしょ、
いいよ食うよってボロボロ鯖と期限切れメカブと総菜パウチのひじき豆と昨日の朝の会社帰りに買ってちょっと食べたけどあんまりおいしくなくて大半が残ってたセブンのシナチクをちゃぶ台に広げて、ぐい飲みになみなみ安酒注いで、さあ、って2時半だけどディナータイムって、お供に録画してたガンダム再生ですよ。
おもしろい。めっちゃあつい。この興奮。箸もぐい飲みも停まる。音楽もシナリオもストーリーもSF設定も(体当たりが艦船のメイン打撃力!)ロボットの動かし方も最高。なんかこの、こう、知ってるこの興奮って、スターウォーズのときのあれだ、スターウォーズ級にわくわくする。
このくそろくでもない一日が、この30分でもうなんかもう、良かった、気持ちよく寝られる。明日朝辛いだろうけど、首の傷からまた大量出血かもだけど、いい、いいよもう、気持ちよく寝られる。
そのジャンルでは割と強豪校で、某マイナー競技のマネージャーを、その部にいた友人に頼まれて、まぁ他にやりたいこともないしいいよーと引き受けた
部費獲得の折衝とか試合スケジュール、練習場所やスケジュールの確保連絡、備品管理、対外交渉もろもろ
あらかじめ決められた練習メニューのチェックや成果をメモして顧問やコーチ、部員と共有、練習試合やらのスコアリング、ぐらいが平常時のルーティン
夏と冬に合宿やるんだけど、その時は特別予算があって、その中で予算配分を顧問、部長・副部長と相談しながら決めて
マネージャーは私一人だったから、食材購入や調理は部員3人を当番制で手分けをしてやった。
何十人分ものごはんを色んなくだらないことをキャッキャと話しながら作るのは面白かったし、みんなそれぞれ色々な気持ちを持って取り組んでるのねとか
あの人とあの人はあんまり実は仲良くないのね、とか、恋バナとか、そういうのがとにかく楽しかった。
テーピングとかは手が届くところはみんな自分でやってたしやりにくい場所は男同士でやってたw
冷やす、道具を用意する、以上の医療行為、ケア行為は保険校医にお願いしにいってた。
大会期間中は運営補助もやったりするので、かなり忙しかったけど、他校のマネージャーと仲良くなって
練習試合やら別の大会やらで再開した時にキャーってなったりして、そういうのもすごく楽しかった。
最初はルールもあんまり分からなかったけど、色々勉強して、教えてもらってすごく面白くなった、スコア付けなきゃならないし必死。
マネージャーやったきっかけで、それまで運動音痴でスポーツは自分ではできそうにないと思ってたけど、色んな競技を見るのは大好きになった
それに趣味程度なら自分でもやってもいいかと思って、テニスを始めた(大学に入ってから、今でもやってる。あんまりうまくはならないけど)
3年のインター杯予選で負けて引退。1年生にマネージャーで入ってくれた子が居たのでその子に引き継いで
慌てて受験勉強のペースを速めて、がんばってがんばって、現役で志望大学に入れた。
色々な折衝やらなんやらで、マネージャー同士が仲良くなって、部活の引退後は、サッカー部のマネ、野球部のマネとつるんで行動してた、一緒の予備校の講習に行ったり
サッカー部マネは某有名私立大学、野球部マネは某有名国立大にそれぞれ合格
3人とも特に、部員とのロマンスもなく、普通に大学生になり、彼氏が出来たり別れたりしながら、一人はお母さんと主婦をやっている、一人は独身でばりばり働いてる。
私もまだ働いてる、バリバリかどうかは分からないけど。仕事は、色々大変だけど納得がいく仕事にはつけている。
「おにぎり握らせるなんて何の意味もない」って言いきっちゃうのが、心底理解できない。
少なくとも私は、高校生活がとっても楽しかったしマネージャーをやって後悔もしてない、失敗したとも思ったこともない、
むしろ自分が今まで見てこなかった新しい世界が見られて、すごく良い経験だと思ってた。今、楽しんでいるスポーツ趣味を得られたのは高校時代のマネージャー経験のおかげだってのもあるし
どんなことであれ「それを選択した結果、別の道が消失する」のなんて当たり前なのに、なんで「間違った道」だと決めつけるんだろう。
特に何があったというわけでもないけれど、この度陰部を脱毛致しました。
皮膚がたまに荒れるのが治まるなら、とか思ってたけど、かなり爽快。
そこにあった筈の、絡み付くあの茂みが一切伐採。
茂みを支えてた大地、もとい、思春期より、とんとお姿が見えなかった柔らかい皮膚と再会。
ここってこんな色になっているのかー!と僥倖。
夏は股間(デリケートゾーン)が痒くなる事も軽減される、とのことだけど、
既に服に擦れることによる引っ張られや、重ね着による蒸れ等から解放されて初めて知る不快感。
不快な状態に慣らされると人は不快だってことに気付かなくなるんだね、KA☆I☆KA☆N
これだけだとなんだから、一日体験記とか書いてみる。
もともと脱毛サロンでメニューを見つけた時から気になりはしていたけれど、申し込んでからも前日の昼間にスケジュールを見るまですっかり忘れてた。
光脱毛を知らない人のために書くと、毛が生える2か月くらいの周期に則って5~6回毛根が弱る光を当てて剛毛の生える毛根を徐々に薄毛の生える毛根に変えていく、というもの。だから一回やっても意味がないのです。今回は6回コースを申し込んでます。
受付を済ませて着替えをするとやたら愛想のいいお姉さんが現れたけれど、自分の陰部を会って2分も経たない他人にさらけ出すのは医者に対してでも何でも羞恥心巻き起こらないはずもなく。そんな当方の吹き荒れる心中などモノともせず、施術前に▼に生えている部分に対して、
どういう形にするか
についてコンサルされる。今のトレンドだと、まずは全部一度脱毛して、そのあと毛の質を徐々に変えていく、という方法があり、その方が清潔感もあるらしいのだけど、銭湯やジムに行ったときに、あまりに無防備な自分を曝け出し、防御力の少なさに涙する未来が思い描かれたので、ほんの少しだけ残して貰うことにした。
俯せ大股に寝っころがり、Oラインと呼ばれる尻穴回りを手際よく剃毛→お姉さんの手でジェル塗布→脱毛ライト照射
表に返って前の▼というよりも■になってる部分も事前の相談通りに僅かに残す部分以外は剃毛→ジェル→ライト
いわゆるIラインと呼ばれる前から後ろへ繋がる部分は、片足ずつ折り曲げて開いたのち、
昔の役者さんがやっていた前張りというのはこんな感じなのかなと納得させた。思いをはせた。
このシチュエーションは、何かを絶え間なく色々考えていないとやるせないほど恥ずかしい。
すぐになれますよ、お姉さん(たぶん同い年位)はそういったし、実際にきっとすぐに慣れていくのだろうけど。
こんなことで悩んでた小さな私はすぐに忘れ去ってしまうのだろうけどだけどもだけど。
排卵日近いし陰部近いしデリケートゾーンなのでエロい気分なわけでもなんでもなく、
ただその場所を守ろうとして体が条件反射的に分泌物を出してくる。
それを受けるための紙も敷かれているわけだけど、紙が濡れているのがジェルで濡れているのか何で濡れているのか、
お姉さん気持ち悪くないのかな仕事だけど嫌だよなと、脱毛終盤はただただ申し訳ない気分で一杯だった。
お姉さん、顔を合わせてるときは満面の笑みだったけど、見られていないときは滅茶苦茶ダルそうだった。
この間約30分。
30分前に生きていた人も死ぬし、新しい世界への扉を開ける人もいる。
肉体的な痛みは全く伴わない(光照射が痛いという人もいるけど自分はそんなに)けど
精神的な苦痛は若干あるので行く前には心の準備が必要なのかなとか思いました。まる。
ただ、それを乗り越え得た爽快感をここで伝えることについて、やぶさかではございません。
蒸れない・擦れない・熱くない。
カミソリで剃ることによっては得られない、新たな世界がそこにはありました。
ああ、ついでにいうと業者のものでもなんでもないです。利用者です。
これはやるまでの心のハードルがあるけれど、やるとなんでやらなかったんだろう、って考えるわ。マジで。
で
爪を噛む癖は、咬爪症(こうそうしょう)と言うらしい。ちょっと書きなぐってみる。長文。
初めて人に指摘されたのは記憶にある限りでは小二の頃、二十年ほど前。
調べてみたところ「愛情に飢えてるから」…てーことは自分は親の愛情を受けずに
育ったのか?……んなわけあるかい。
一人っ子だったが人並みの教育を受け、愛も与えられていたとはっきり言える。
しかし、ネット上で原因を調べて、いたるところに散見する「愛情不足」という
単語を知ってしまってからは、どこか親の所為にしたいと思う自分がいる。
バイターストップなるものを試してみた。舐めると非常に苦い味のする、無色透明の
マニキュアのようなもの。
まずマニキュアというものを塗る習慣が無かったため、2-3日周期で良いとは言うものの、
塗る作業自体が非常に面倒臭くなってしまった。
そして何より、爪を避けて周辺の皮を優先して噛んでしまうようになった。元々
経緯は割愛するが、不安障害とセットにして心療内科に持ち込んでみた。
が、当然根本的な解決にならず。半年ほど通ってある日ぱったりと行かなくなってしまった。
なるべく手の甲を相手に向けないように努めてはいるが、名刺交換の時など、どうしても
相手に指先を見られてしまう。指を傾けて隠そうとはしているが、相手にはバレバレなのだろうな。
いっそのことソープで魔法使いへの転職を阻止するか…とも考えたが、さすがにこの爪では
嬢と戯れることなんて出来やしない。下手すりゃボーイからご遠慮下さい状態だ。
爪の復旧には今から止めても数ヶ月かかるし、ううむどうしたものか。
また、爪はまだしも、皮の部分もボロボロで、風呂の後は水を吸ってボロボロな皮が非常に目立つ。
そのうち改善方法その3を試してみる。
亀レスごめんね。
いやいや、二プレスとかないから。ほんとないから。
あれはブラの代用じゃないから。
お前小さいからパンツ要らないよね?ぶらぶらしてていやならテーピングで止めとけば?
って言われて、納得?
お持ち帰りした女の子が、脱がせてみたらブラトップだったらどう思う?
ましてや二プレスだったらどう思う?
「全然気にならん」という人は乙女ごごろをわかってないんじゃない?
ちょっとは、は気にしてあげて。
「そんなのちくちく気にするのは女の子に失礼だ」という人は男ごころをわかってないんじゃない?
もし本当にそうだった場合は気にした上で気にしてない振りをするもの。
あと、ひんぬーがんばれ。
すみません遅くなりました。僕のやりかたが正しいのかは何とも分からないですが。
膝は左膝下側→右膝内側→右膝外側の順に、直ったと思ったら次にと痛くなりました。
左膝下側の痛みは筋力不足だと痛くなる位置ということで、筋力つくのを待つしかないためテーピング対処のみでした。膝の皿を包み込むような形で膝下を圧迫させるテーピングです。
右膝の痛みは着地時の左右のブレらしく、やはり筋力不足です。このときからスクワットを毎日やるようにしました。テーピングは痛い側の膝横をクロスさせる形です。膝サポーター等を買おうかどうしようかと、悩んでるうちに痛みが引いたり再発したりで、結局サポーターは買ってません。
あとは痛いところを庇い過ぎないように意識し、痛くても正しいフォームで走るようにしました。そうすると不思議と痛くなくなってくるのですよね。やはりフォームが乱れたときに痛くなるようです。もちろんそれでも痛いときは走るのを止めましたが、膝痛を理由に長期間休んだことは無いです。
あくまで僕の場合と言うことでご了承方。
http://anond.hatelabo.jp/20080827024642
走り始めてから6ヶ月が経過した現在、まだ走ってます。走れてます。
あの時点で目標だった「30分で5km」は9月末に達成、その後徐々に時間と距離目標で「2時間走」「20km走」「ハーフ走」と達し、スピード目標の「1時間で10km」を昨年末に達成してきました。現在は「30km走」と「30分で6km」を遠い目標にしています。総走行距離は850kmを越えたところです。シューズを新調したら記録が伸びたり、目標は潰えません。
本当にここまで走れるようになるとは思いませんでした。前回の追記にも書いたように「だれもが認める運痴」でした。今はどうなのでしょう。少なくとも長距離走に関しては運痴と言われないはずです。まだフルマラソンの距離は無理ですが、この分ならば半年後には走れる気がしています。「だれでも半年でフルマラソンが走れるようになる」というのもウソでは無かったのですね。半年じゃ無理でしたが。(歩きを含めれば今でも可能でしょう)
出来事、思ったことを項目分けして幾つか書いてみます。所々「運痴が――」と書いていますが、あくまで僕個人の場合であって、運痴の人全てを対象として言ってるわけではないので悪しからず。
もちろん順調ではありませんでした。膝の痛み悩まされ、テーピングを覚えました。腹痛で途中ダウンしたこともあります。一度派手にコケて血まみれになったことも。運痴はちょっとのことでも故障するから動いちゃダメだ、みたいに考えてました。痛いのは嫌ですが、ちゃんと運動した結果なんだなぁ、と考えて嬉しく感じたりして不思議な気持ちです。大人になると転んで怪我することなんて滅多にないですし、子供の頃が懐かしいような感覚です。
Mなだけですかそうですか orz
走っていると撮りたいものが沢山見付かります。まだ体力付けの段階だと我慢していましたが、昨年末に風景夜間撮りに適したコンデジを購入し(一眼レフを持って走るのはさすがに厳しい)、週末のLSD時のみバックパックに背負って走るようになりました。
夕暮れの空と雲、見慣れない花や虫、山の遅い紅葉、街のイルミネーション。自分の足で自由に動けるからこそ撮れる物が沢山あります。毎週末にどこまで走ろうかと考えるのが楽しみです。今は物寂しい冬景色ばかりですが、これからの季節変化を考えるとワクワクしますね。トレイルランしたらもっと楽しそう。
こういう写真の楽しみ方って何て呼ぶのでしょう。「撮り歩き」ならぬ「撮り走り」です。自転車が「ポタリング」だとすれば「ジョギング」に含まれるのかな。
運痴として生きてると友人関係が「動かない人」で構成されてしまうのですよね。他のスポーツをやってみたら、というコメントが前回ありましたがチームスポーツはやろうにも難しいです。スポーツクラブとかに行けば、とも思うわけですが、30年間染み付いてしまった引き篭もり気質はその扉を叩く勇気を与えてくれません。人見知り激しいんです。
ランニングはソロスポーツだからこそ始めれたのだと思います。気楽で良いのです。
じゃぁランニングクラブはどうだろう、と調べてみると情報がサッパリ。市民駅伝のチームリストを見る限りは沢山ありそうなんですけど。活動がしっかりしてて情報得られるものは超初心者向けの教室か上級者向けのモノばかり。ペース4分30秒/キロでLSDとか、全力疾走したって僕には無理です。初心者歓迎、とのことですが足引っ張りそうで嫌だなぁ、と思ってしまうのが運痴思考なのでしょうか。体育の授業で足を引っ張りまくった過去はトラウマになってます。
まぁネット上で繋がり作ればいいか、と思ってますが僕のJogNoteは未だに友達0人です。(ノ∀`)
よく聞く名前のものを調べると制限時間が厳しいものばかり。制限のゆるい大会を見つけても、申し込もうかどうか気後れしてしまいます。人見知りなのもありますが、そもそも観戦したことすら無いのでどんな雰囲気なのかも分からないのです。運痴には関係のない世界だと思ってたので、TV中継すらまともに観たことが無いのです。なので今期中は観戦のみにしようかと思ってます。そう言いながら箱根駅伝は見逃しましたが。
先日、市民駅伝を観戦しました。応援の雰囲気や色々な走り方を見ることが出来て良かったです。駅伝なので1区6kmくらい、職場の人何人か誘えば……っと思って出場資格を調べたら「5kmを21分以内で走れる人」とか。これは市民レベルなのか……?
自転車のブームもスゴイですよね。僕の目的(写真)からすると移動距離が長く荷物を運びやすい自転車は適してると思います。しかも機械いじりが好きなもので、見てると興奮します。パーツ変えたり改造したり、すごく楽しそう!
でも今始めてしまうと走ることが中途半端になりそうだし、せっかく膝のトラブル等も克服して長距離走れるようになってきたし、何よりお金がかかるし、と思い止まっています。反射神経鈍いのでスピード出すのは怖いですし。将来的には購入すると思いますが、少なくとも1年は買わずに、走ることに専念すると決めています。
ダイエットは二の次目的だったので、食事制限はしていません。それどころか距離が伸びるにつれてスタミナ不足を感じるようになり、食事量は増えました。それでも当初から体重8kg、体脂肪5%ほど減少しています。おかげで最近周りから「痩せた?」とよく聞かれます。二の次目的とはいえ、やはり嬉しいものです。
しかしですね、8割方の人が二言目に「どこか悪いの? 何か病気?」と言うのです。夜ばかりなので日焼けせず色白のまま、僕が体を動かすなんて思ってもない周りの人たち。こうも僕の運痴は浸透してたんだなぁと。心配してくれるのは嬉しいですが、これまた複雑な気持ちです。
最初の頃は隠してはぐらかしていたものの、最近では続ける自信もついたので走ってることを話します。もちろん驚かれます。人間やれば出来るものですね、でも僕がこんなこと始めるなんてある意味病気で間違ってないですよ、と。
運痴思考で「自分は動けないもの」と思い込んで生きてきたのが勿体無く感じます。過去を悔やんでも仕方が無いですが、走る決心をしたことは大きな転換点になりました。仕事は不況で辛いですが、精神的に色々な自信を持つことができたと思います。
これからも自分の足で進んで行こうと思います。何事も。
長文失礼しました。
「タテマエ重視の世の中は恐ろしい」
別に麻薬やったくらいでそんな大騒ぎする事か?
世界を導く立場のアメリカ大統領でも昔やってたと自分で言ってるんだぜ。
相撲取りに限らず世の中にゃそんな人もいるでしょ。
もちろん、法律は守らなきゃならんとは思う。
だから、「麻薬やりました、すみません」→「罪償う」→「次の日から相撲取る」でいいじゃん。
何を解雇だ除名だって騒いでんの。面白い見世物をしてくれりゃ、強けりゃそれでいいよ。
だいたい、相撲ってそんな神聖なものなの?
モグリ相撲ファンでも、昔は「勝敗」に加えて「預かり」ってのがあったって知ってるよ。
ちょっと解説すると、昔(江戸時代)は相撲取りは有力大名のお抱えだったので、
お家の面目を保つため、負けを行事が預かった事にして、なかった事にしてたのよ。
こんな灰色文化で育まれたのが大相撲なんじゃないの?
そういえば、最近でも張り手が強烈な旭道山に対して協会が自粛要請したこともあったような...
張り手が強い力士はそれを生かせば良いのにね。得意技取り上げてどうするの?
(ただし、旭道山は張り手用に硬いテーピングしててアンフェアとか議論もあった気がしたけど)
結局これもナアナアでここら辺までならOKって感じで解決したんじゃないの?
結論!!!正々堂々とはほど遠い世界ですな。
だったら、相撲を健全化しようという動きのほうが長年の伝統・文化に逆らってるんじゃないの?
マスコミもナンチャラ防止委員会も皆よってたかって日本文化を壊そうとしているわけ。
所詮見世物、横綱が土俵でガッツポーズしたって、面白ければそれでいいじゃん。
回りくどくなったけど、結局、今の日本はタテマエを重視しすぎる。
世の中、大人はタテマエを語らなきゃならないけど、結局はホンネで動いてきたし、これからもそうだと思う。
パレスチナの問題だって、金融業界のトップが巨額のボーナスを得ていた問題だって、
タテマエでは、対話で平和を築いた方が良いし、一連の問題の責任を取る姿勢を取るべきでしょ。
ちっちゃい頃習った、誰にでも平等にチャンスがあるとか糞くらえ。
格差は埋まらない、争いはなくならない、豊かになるためには犠牲が必要、ただイケ。
マスコミが、世論が好きなタテマエの理路整然とした話の裏で、一部の人はアッカンベーをしてますよって話。
IIDXer(5鍵もやってた)だったんですが。
音ゲ自体には5鍵4thから入って、IIDXは3rdから本格的に。
(substreamとか2ndは入荷店舗が遠かったのであまりやれなかった)
んで、受験が理由で9th10th稼動時は休止、
RED(11)で復活、DistorteD(13)の稼動終盤にはやらなくなってた。
別に「俺は音ゲをやめる!やめるぞ!」とか思ってやめたわけじゃないけど、
いつの間にかゲーセンにも行かなくなったし家庭用も押入れから出さなくなった。
やってるときはまるで麻薬で、暇を見つけてはゲーセンに入り浸ってた。
今にして思えば指と爪の間から出血したりだとか、
それを絆創膏やらテーピングやらで保護して痛みに耐えながらプレイしたりだとか、
でもサントラとかはプレイしなくなった今でも聴いてるし、新作買ってるのよね。
んで古参特有の文句をぐだぐだ言って。「最近は渋い曲が無くて困る」とか。
2chの音ゲ板で次回作のポスター見てお茶吹くとかもやってる。
プレイ自体はしなくなっても、ある意味依存症が治ってないのかもしれない。
今日(もう昨日)発売したSota Fujimoriのアルバム「SYNTHESIZED」を聴きながら
ちなみにこのアルバムの収録曲のオススメはI Need YouとBack Into The LightとANDROMEDA II。