はてなキーワード: ジャンクとは
私は抑圧されて育った子供だ。
「いやあんたそのレベルで抑圧されてたとかナメすぎ。世の中にはもっと~ アフリカの恵まれない子供たちは~ 云々」
などと言われるようなものかもしれない。
しかし、重要なのは私がどう感じていたかであって、世間から見てどうかとか、世界レベルで考えてどうかとか、そういう相対的なものではないのだ。
とにかく、私は抑圧されて育った。そう強く思っているので、このことは揺るぎない事実である。
どのように抑圧されていたのか。
ゲーム禁止、ペット禁止、ベッド禁止、高校に上がるまで21時以降のTV禁止、基本的に漫画禁止、基本的にジュース禁止、ポケモン禁止、等々。
私が今でもこのことを根に持っているのは、「なぜ禁止なのか」が明確でなかったからだと思う。
「なんで駄目なの?」と私は親によく尋ねた。
しかし返ってくる言葉は「ダメなものはダメ!そういうルールだから」
そんなよくわからないふわっとした思想によって幼少期の私は支配され抑圧されていたのだ。
ベッド禁止という謎ルールに至っては「私(母親)が布団が好きだから」という感想によるものだった。は??????
問い詰めるとヒスを起こすエモーショナルな女性だったのであまり話し合いができなかった。
思春期のころ、男子でなくて本当によかったなと強く思ったことを今でも覚えている。
私はクラスで皆が話しているゲームの話や21時以降のTVの話にまったくついていけなくてすごく悲しかったのだが、
男子はゲームやってないクラスメイトを非人間扱いしていたが女子はそこまでではなかったからだ。
年に1回あるくらい。
母はメシマズではなかったがめちゃくちゃ薄味だった。
だから、ごくたまにいくファミレスの雰囲気と、そこで出てくる濃い味の食事にすごく憧れがあった。
また、おこずかいがものすごく少なかったので、高校生になってバイトをするまでは、友達同士でちょっと都心におでかけするとかがまったくできなかった。
そういう子供がどういう成長を遂げるのか。ここに記すのはその一例である。
①性欲が強くなる
「それは関係ないのでは?」とおっしゃる輩もいるかもしれないが、抑圧されたいろいろをそういう形で発散するためにそうなったのだと自分では考えている。
性的なことに目覚めるのが早かった。第二次性徴があらわれるのは遅かったが、小学校高学年の頃には既に自慰を覚え、それから30才の現在に至るまでほぼ毎日している。
恋人の有無に関わらずだ。
初めてセックスしたのは17才の時で、その相手には性欲が強すぎてフラれた。
③深夜のファミレス大好き
深夜のファミレスの何がいいのか。
まずファミレスが出すものは高級感があまりなくちょっとジャンクな感じがある。そこがいい。
昔の親が見たら怒られそうなことをしていると思うと、罪悪感とぞくぞくする気持ちが混ざり合ってたまらない。
④夜型人間になる
深夜まで起きて生産性のないことをしていると、上記③と同様の快楽におそわれるためやめられない。
⑤ジャンクフード大好きになる
ある時期、数年にわたって主食がコイケヤのコンソメパンチだったことがある。
⑥ズレた人間になる
「天然だよね(苦笑い)」
と言われる。私は中学高校といじめに遭っていたのだが、自分で何かした訳ではなく何か変で気持ち悪いという理由でいじめられたらしい。
(理由を聞いたらそういわれた)
これは抑圧されて育ったせいで変になってしまったせいだと思う。
今では昔ほど変に思われないが、たまに素でいると変な風になってしまうのか、相手の顔が「あっ、この人変な人だ…」という感じでこわばることがある。
変に思われないよう気をつけ続けるというのはとても疲れる。
もし同じように悩んでいる人がいたとして、アドバイスできるとしたら、とりあえず礼儀正しく、丁寧な対応をするよう心がければ大目に見てもらえるよということだ。
変な人間でもいいじゃんという人がいるかもしれないが、世間の人々は変な人間は基本的に排除しようとするのでそれは無理である。
⑦コミュニティに属すると息苦しくなる
上記⑥の理由から、人と接するときは常にどこかしら緊張している(変に思われないように)ので、あらゆるコミュニティが苦手である。
上記⑦とも関連している。
私は20代前半のときに実家を出たのだが、荷物を抱えて一人きりで夜真っ暗な自分のアパートについたときの幸福感が忘れられない。
あのときほど、脳内麻薬的なものが大量に分泌されたことはなかったし、この先もないだろうと思う。
引越し先や自分が地元を出てどういうことをするかを、家族以外の誰にも告げずに出てきて、それからは地元の知り合いには誰にも会っていない。
私にとって、自分の故郷とそこでの様々なコミュニティというのは抑圧されてきた忌まわしい記憶を想起させるものだからだ。
そうやって家族以外すべてを切り捨てたときの快感、身軽さ、リセットして新しい自分でいちからスタートできるような気持ちがあまりにも絶頂だった。
私は今大学に勤めているのだが、学食のおばさんなどに顔を覚えられて話しかけられたり、いつものでいい?と言われたり、
近所の人にあいさつされたり、どっかのお店の店員さんとかに「お久しぶりですね」とか言われたりするとああああ~となってしまう。
そのせいで学食には行けなくなったし、引越し代はかかるし何もいいことがない。
世の中の親に伝えたいのは、
教育方針とかは各家庭でいろいろあるのは別にいいのだが、抑圧しすぎると子供は変な人間になり最終的にあんたらが困るよということだ。
新型のMacBook AirやiPad Proの発表を待ってはみたが、結局、秋葉原に行って再生品のThinkPad X240を買った。中古ではなく、再生品だ。
37000円くらいだった。RAM が4GBのモデルだったので、Amazonで8GBのメモリを6000円くらいで買った。だから合計43000円くらいだ。
新型のMacBook Airで最低スペックのものを買う代わりに、このThinkPadが3台買える計算だ。
X240はいまから5年も前のモデルなので、もちろんCPUの速度は最新型のMacBook Airより遅い。
でも普通にネットサーフィンをしたり文章を書いたりするくらいの用途だと、第3世代のCore i5はじゅうぶんすぎるほど快適で、起動も早い。
重量はMacBook Airとほとんど変わらない。
IBM Refreshed PCという、IBM委託工場のラインで検査を行いリファービッシュしたものなので、パーツがきれいで不具合もいまのところない。正規ライセンス品のWindows 10もついてくる。
なぜこんな古いモデルのPCを買ったのかというと、自分で分解して、自分で取り寄せた部品で修理して、使い続けることができるPCが欲しかったからだ。
Apple製品を買うようになってから、PCを含む電子機器を少しずつアップグレードしたりメンテナンスして使い続けるのではなく、まるごと買い替えることに慣れてしまった。
iFixitというサイトでは、電子機器の修理のしやすさに点数をつけて評価しているのだが、最近のApple製品は軒並み最低評価となっていることは、よく知られている。
つまり、Apple製品に不具合が起こった場合、素人が自分で分解修理することはまず無理なので、Macはブラックボックスになってしまっている。
最新テクノロジーを詰め込んで、しかも軽くしようとしたら、こんな構造になってしまいました、という言い訳もたつのかもしれないが、結果的に、Apple製品が分解できないという事実は、PCを使う人を完全な消費者にしてしまう傾向を強めていると思う。
毎年Apple新製品の発表をそれとなく待ってみても、前のモデルから少しずつスペックが増すだけで、さほど変わり映えのしないものがどんどん高くなって登場してきて、買ってもさらに買い替えなくてはならないと思うと、最近はなんだかもういやになってしまった。
ThinkPadを使っていると、PCは概念にすぎないのだと思えてくる。
X240というモデルに限らず、ThinkPadの旧製品の主要なパーツは、秋葉原のジャンクパーツ屋を覗かなくても、eBayを検索すると、いくらでも中国製の新品が見つかる(しかも秋葉原より安い)。
換えようと思えばだが、マザーボードまで買って取り換えることができる。
ThinkPadの旧製品を分解してパーツを換装するための情報は、検索すればほぼ必ず見つかる。Lenovoはご丁寧に、自社製品を分解するための動画まで公開している。
このように、部品と分解のための情報が充実しているので、ThinkPadを使っていれば、世界中どこにいても、自力で部品を取り寄せて修理することが(ある程度まで)できる。
バッテリー、キーボード、ファン、スクリーン、筐体等はどんどん交換していくことができるので、ThinkPadという同じPCでありながら、気づけばほとんどの部品が別のものになった状態でも、使い続けることができる。
ThinkPadのこういう周辺環境は、不思議な安心感と楽しさを与えてくれる。
まるで、旧式の戦車やバスや列車の部品を自分で換装しながら、運用していくような楽しみを感じる。
これは、Apple製品を使っていた時とは違って、自分が受動的な消費者ではなくなった安心感と楽しさなのではないかと思う。
ThinkPad X240の弱点は1366x768という解像度の低いディスプレイなので、あと1万円くらい追加して、フルHDのディスプレイに換装しようかと思っている。
今年で30才。転職したいとか、今の職場を辞めたいと思っているありきたりな人間だ。ちなみに女性で、結婚はしていない。
差し当たって食うに困らないし、繁忙期はあるけど、アベレージにすると月残業40時間程度という半端な拘束時間。また勤めているのが名前だけは大企業と言っても差し支えない会社であり、踏ん切りがつかない状況だ。
転職について踏ん切りがつかないので、転職サイト、エージェントにはちゃんと登録していない。ネットサーフィンしていて転職や退職についての記事やブログ読むだけ。そんな生活がかれこれ3年は続いている。(上記についてご意見あるのは分かってます。)
そこで、転職についての様々な体験談を読む度に自分とスペック違うな〜と思う。
学歴とかの話ではない。
自分自身がパソコンだとすると、CPUとかメモリとかHDDの容量が根本的に違うように感じるのだ。
例えば転職だって真面目に始めようとするならツテを頼るとか、エージェントに依頼するとか、もっとやる気があれば起業しようとかってなると思う。
でも始められない。差し当たって食うに困ってないし住むとこにも困ってないから。ただ今の仕事は私には合わないのか、30歳を過ぎて急に髪が抜けたり痩せたり体に出だした。これも見通しできる能力があるなら、ここに長くはいられないと結論づけて動くだろう。でも私は動けない。CPUがポンコツだから予測も計画も判断もできないんだな〜〜
そしてワーキングメモリも絶望的にダメだ。直前にしていたことをすぐ忘れる。タスクを貯めまくって自爆する。またご存知の通り、こういう人間はメモをとってもメモを無くします。
長期記憶も恐らく人よりかなり悪い。子供の頃からの記憶が中学生くらいまで殆ど無い。両親は育児に明け暮れた30〜40代は年齢なりのドメスティックさをもっていたが、同じくらい愛情深い人間なので育て方の問題では無いと思う。また過去の記憶は自分の中で古くなれば古くなるほど破損データのようになってしまってて、さらにヤバいことにその壊れた記憶を無意識にねつ造して修復するらしく、人から度々指摘を受ける。そのため常に自分の記憶に自信がない。
あと人の顔を見分けるツールが搭載されていなかったり、適切な台詞を選択する辞書が入っていなかったりで、コミュ力という外部インターフェースも死んでいる。
先日、何か変わるかもと思って病み顔で精神科に行った所、それっぽい病名がついてそれっぽい薬が処方された。一応毎日飲んでいるが、いままで失敗する度にドタバタ音がうるさかったパソコンが、失敗しても静かになったという感じであった。いやいや音なんてどうでもいいから。直したいのはそこじゃなくてPC自体の性能なんだよと。結局、ポンコツはポンコツのままなのだ。
考えてみればみるほど転職するにあたって、こんなジャンク品をよそに売り込もうとすることに罪悪感を抱いてしまう。これが成功してしまったら立派な詐欺である。ヤフオクで怒られるやつだ。
先日、職場の壊れたパソコンを入れ替える作業があった。壊れたパソコンを指定の場所に持っていくと、小さな部屋に古い黄ばんだパソコンが小山になっていた。彼らはまだ使えるパーツとしてメモリを抜かれたり、グラボを抜かれたりするためにここにいるのだそう。
頭が悪いのでうまく締められ無いが、どこにも行き場が無い人間もいるのではないかと思う。そういう人間は小部屋で山となって西日を浴びながら黄ばんでいき、会社から肩を叩かれるのを待つ。そういう状況に諦めを持てるくらい早く歳を取ってしまいたい。
https://anond.hatelabo.jp/20180923171114
上のエントリを書いた者である。DTMはパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。
この話は「素人が自己満足のアルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人がDTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。
音楽的素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代にギターをやっていたわけでもない。完全なる素人。
ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。
「自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。
■初めての曲
きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事に絶望していた時だったと思う。
学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリースの特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。
で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないから適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分。歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。
Windowsであった。製作工程はdominoでmidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集、audacityでミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかわからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUでボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金、ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。
後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。
■本格的にDTMを始める
本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということである。コスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。
いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。
曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギターが全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である。
アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタで印刷する。空のCDケースとブランクのCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードをはめ込み、CDを焼けば世界でひとつだけのアルバムの出来上がり。
で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。
■どんな音楽作ってるの?
もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近はEDMみたいなのも作った。
自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。
■ボーカルの録音
最初のうちはクルマで山奥やイオンの駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。
DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中は自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。
■ギター
DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコードは練習して押さえられるようになった。
ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。
DTMをやる上で必ずしもギターやベースは必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。
■曲作りのコツとか
最初は暗中模索。理論も何もない。例えば「ベースとバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんなものは今は作れないなとも思う。音楽は自由だ。恐れるな。
プロのミュージシャンのインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。
曲作りにはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派である。メロディーに各パートの伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードにメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。
1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分のオリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽はパターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。
そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい。
なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程が楽しい。
■歌詞
伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉は自由だ。好きにやるのが一番。
歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。
■まとめ
とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。
学生時代にバンドをやると無駄にモテる、そこまでイケメンじゃなくてもモテる
イケメン扱いされているとオタクであることなんか些細なこととされて、むしろ女の子からグッズを貰うことすらあった
俺がどういう形でオタク文化に触れていたか?と言えば、そもそも小学生の頃から電子工作が得意だったんだ
中学生の頃BOSSのオーバードライブエフェクタの回路図を入手し、エフェクタの自作へ手を染めた
はじめてのエレキとアンプはジャンクで売ってたヤツでこれも自分で修理して使いはじめた
謎ガジェットはピーキーであるが故に人柱があればこそガジェット野郎どもに普及していくのであるが、
おそらく元々業務用でメーカーのオンラインストアで少量のみ発売? だと買いようが無いってか買ってもナレッジが広まり辛い。タッチパネルなんつードライバ揃えたりしなきゃいけない製品だとリスク高すぎる問題がある。
これがいつかどこかで秋葉原にて新古品が大量に流れてきたことがあるとかならまだいいものの、ショッピング検索しても出てこないってことは「小売店に出たことが無い」品なわけで、
謎ガジェット好きがコレクションのつもりで買うのは良いけど標準装備か普段使いとして買うことは好事家以外にはお勧めできない。
「中華タブレット」とかの用語で括られるべきもので、扱いはジャンクかな。
まともに使えるものじゃあないって事さ。
https://twitter.com/takabon0506/status/999610306778120192
AKB方面のグループに加入している方々が各メディアやSNSで媚びるのは当たり前だし、嫌ならスルーするけど、
xxちゃんかわいいでしょ?応援したくなるでしょ?推したくなったでしょ?会場に行けばファンになって推したくなるから劇場公演・握手会・写メ会行こ!
あなたの推しは解ったから、そこから先どうするかは自分で決めます、これ以上の売り込みは「推しの押し売り」という迷惑行為ですよ、
とストレートに言わないと解らない連中が年齢問わずに多すぎる。
結果、AKB方面の話題には触れない、反応もしない、話題を振られても「へー」としか返せない。
あと、休日は秋葉原に居ることが多い、と話すと「AKB好きなの?」と話を振られるのも、苦手。
ジャンク屋巡るのが好きなのに…