はてなキーワード: カニバリズムとは
Bloombergの報道によると、TikTok(ティックトック)のモデレーターが、生々しい動画による精神的トラウマを理由に、同ソーシャルメディアプラットフォームとその親会社であるByteDance(バイトダンス)を訴えたという。提案されている集団訴訟の中で、モデレーターのCandie Frazier(キャンディー・フレイジャー)氏はこれまで、暴力、学校での銃撃、致命的な転落、さらにはカニバリズムなどが映っている動画をスクリーニングしたと述べている。「(結果)原告は睡眠障害に悩み、眠れた時には恐ろしい悪夢にうなされています」と訴状には記されている。
問題をさらに悪化させているのは、TikTokはモデレーターたちに12時間のシフト制で働くことを要求し、1時間の昼食と15分の休憩を2回取ることしか許さないことだという。訴状によると「膨大な量のコンテンツがあるため、コンテンツモデレーターは、1つの動画につき25秒以内の視聴しか許されず、同時に3~10本の動画を観ることになる」とのこと。
TikTokは、Facebook(フェイスブック)やYouTubeを含む他のソーシャルメディア企業とともに、児童虐待やその他のトラウマになるような画像にモデレーターが対処するためのガイドラインを作成した。その中には、モデレーターのシフトを4時間に制限することや、心理的なサポートを提供することなどが盛り込まれている。しかし、訴訟によると、TikTokはこれらのガイドラインを実施しなかったとされている。
コンテンツモデレーターは、ソーシャルメディアに掲載される生々しい画像やトラウマになるような画像の矢面に立ち、ユーザーがそれらを体験しなくて済むようにする役目を背負っている。大手テック企業にコンテンツモデレーターを提供しているある企業は、この仕事が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を引き起こす可能性があることを同意書の中で認めているほどだ。しかし、ソーシャルメディア企業は、心理的な危険性を考慮して十分な報酬を支払っておらず、メンタルヘルスのサポートも十分ではないとして、モデレーターなどから批判を受けている。2018年には、Facebookに対して同様の訴訟が起こされている。
フレイジャー氏は、他のTiktokスクリーナーを代表して集団訴訟を起こすことを希望しており、心理的傷害に対する補償と、モデレーターのための医療費支援基金を設ける裁判所命令を求めている。
とくに若者に対する悪影響が大きいと思う
At tonight’s opener, the organizers used the music of Koichi Sugiyama, a notoriously homophobic and ultranationalist Japanese composer—despite warnings that it might go over very badly.
(今夜の開会式では、主催者側からの警告にもかかわらず、ホモフォビアで超国粋主義者の作曲家として知られる すぎやまこういち氏 の音楽が使われた。)
He’s denied the Nanjing Massacre by Japanese troops in the late 1930s. He has stated that the Korean women who were working as sexual slaves to the Japanese empire were actually happy-go-lucky prostitutes. He’s a misogynist who does not believe in the equality of the sexes, and a homophobe who doesn’t believe children should be taught about homosexuality or that LGBTQ people should receive government support as “they don’t produce children.”
(彼は1930年代後半の日本軍による南京大虐殺を否定している。日帝の性奴隷として働いていた朝鮮人女性は、実は幸せな売春婦だったと発言している。彼は男女の平等を信じないミソジニストであり、同性愛について子供たちに教えるべきではない・LGBTQの人々は "子供を生まない "ので政府の支援を受けるべきだとはないと考える、ホモフォビアである。)
The Tokyo 2020 Olympics were supposed to be a showcase of all that’s good about Japan. But through carelessness, greed, and incompetence, it keeps showing that Japan is run by an ossified elite who lack an understanding of basic human rights, tolerance, and common sense.”
(2020年の東京オリンピックは、日本の良いところをすべて見せてくれるはずだった。しかし、不注意、強欲、無能によって、日本が基本的な人権や寛容さ、常識を理解していない骨抜きのエリートによって運営されていることを示し続けている。)
[The Daily Beast] A Notoriously Hateful Japanese Composer’s Music Just Opened the Tokyo Olympics
ドラクエの海外知名度が低過ぎて今は無名の人がぽつりぽつり呟く程度で済んでる
海外フォーラムでなんか言ってるのも今のところ日本人っぽいのしかいない
あと全体のクオリティが低過ぎなのも救いの要素
なにせ、worst って入れると "worst olympics" 、"worst ceremony"、"worst olympics ceremony" って
FOXは割とばっさりいってる
This looks like the rehearsal! Hard to watch !
[FOX SPORTS] ‘Like attending a funeral’: Fans slam ‘worst ever’ Opening Ceremony
But in another – especially considering the controversy behind the Games and the toll they are taking on Japan and the world – this lackluster ceremony is a huge letdown. What's the point of all the risk, all the testing and quarantining and masks, if this is the best emotion and spectacle we can muster?
(しかし、大会の背景にある論争や、大会が日本や世界に与えている影響を考えると、このつまらない式典は大きな失望です。これが私たちが集めることができる最高の感情と光景(スペクタル)であるならば、すべてのリスク、すべてのテスト、隔離、マスクに何の意味があるのでしょうか?)
[USA TODAY] Review: The Tokyo Olympics opening ceremony was more of a whimper than a bang
でも低温のまま(誰も興味がない状態のまま)どこかの団体が抗議を入れると思うよ。すぎやん起用に
NieR も倫理的に十分ヤバいけど NieR は誰も触れないのかもな
▼ NieR
→ NieR はドラッグ オン ドラグーン シリーズと世界を共有している悪趣味な厨二ゲーム
- やたら近親相姦匂わせる妹萌え推してくる
- ケツ
- ショタ
- 兄貴とファックしたいオナニーしまくり公式淫乱処女(フリアエ)
- ペドフィリア(レオナール)
- カニバリズム(アリオーシュ)
- 児童虐待(マナ)
- 獣姦 (DOD3:公式設定でウタウタイと使徒は性的な関係を持っている。使徒は鳩)
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ウマ娘なんてえカニバリズム・ゲームが流行るいまの日本ははっきり言って異常だ
どうせ美味・娘でウマ娘なんだろう?
ウマ娘っていう、見た目人間なのに人間ではない生物がいるらしい
知らねーけど、なんかそのウマ娘を走らせるらしいな
よく走らせて筋肉をつけさせたらより"ウマ"くなる、どーせそんなところだろう おぞましい!
で、食人鬼たちが「感動!感動」なんて喚いてやがる
走ってる途中に骨が折れたりもするらしいな ひどすぎるよ
食うなら食うで、ひと思いに殺せよ
どうして泳がせるんだよ
そんでその、あがく姿を見て感動してんだろ 完全に狂っちゃってるじゃん
銃を突き受けて、ガンガン後ろから撃ちまくってるからみんな必死に走ってるのか
ひでえよ マジでひでえ
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。