はてなキーワード: アフロとは
江差の詳細は知らないけど、おそらくテレビ局は無断引用を認めたわけじゃなくて、「偶然似た表現になっただけだ」って主張してるんじゃないの?
に対してアフロはパクツイを認めてるわけで、参考にならんと思うけど(まぁ実際にある江差のイベントと創作ストーリーじゃ偶然一致する確率は全然違うからな)
しかも微妙に変えてるあたり、ばれないとでも思ったんじゃないかと
引用しようとしてる書き方に見えない
まぁこれが普通の漫画だったら、「うかつだったな、編集仕事しろ」、で終わるかもしれないけど、
作風が作風だけに、「普段はあれだけ意識高いこと言っておいて、自分が加害者に回ったらそれで終わりです、か」って言いたくなっちゃうよね
俺は小さい頃はとても明るいムードメーカータイプだった。クラスの中心でリーダーシップを発揮して引っ張っていくタイプではなかったものの、お茶らけて人前で話すのが苦にならないタイプだった。
当時髪はさらさらだったが、濡れると林家ぺーみたいな天パになった。当時は髪質なんて全く気にしていなくて、夢にあふれ明るい子供だった。
小学生の高学年ごろ、自分が周りの生徒と比べれて剛毛なことに気づいた。大人になれば綺麗な髪質になる、きっとトリートメントとかリンスとかすればなんとかなる。そんな認識だった。
中学にあがるといっきに髪質が変化していった。剛毛の太い縮れ毛生えてきて、うねりだし、髪が爆発しだした。
卒業までの間についたあだ名は「ちん毛」「陰毛」「チリ毛」「アフロ」「堅焼きそば」「スチールウール」散々だった。
学生時代の人間関係という名のスクールカーストにおいて、こういう負のステータスである重度の天パはカーストの最底辺で生きる羽目になる。中1の頃は、持ち前の明るさでお道化ていたが、「ちん毛の癖に調子のるな」と蔑まれ、いつもニコニコヘラヘラしていた俺はフラストレーションが溜まる思春期の同級生たちの捌け口となり、「何を言ってもいい」「何をしてもいい」相手になった。文房具を投げられ、男子トイレで首を絞められた。
運動も勉強もできない俺は、このあたりで心の底から人生がどうでもよくなってしまった。頑張ったところでどうせちん毛だし、どこに行ってもこれから先こういう目に合う事も凡そ想像がつくようになった。
学校に行くのが酷く嫌だったが、親に学校での扱いを素直に言うのはもっと惨めな気持ちになって辛くなって俺が立ち直れなくなりそうだったので、その事は黙りつつも学校を休みがちになった。
俺は学生時代の同級生の事は恨んではいないけど、もしも目の前で中学の頃の同級生が死にかけていて、俺が今すぐ救急車呼ばないと死んでしまうなら、俺は素通りすると思う。
出席日数はと学力は学年でドベだったので、近所の偏差値30の高校に通うことになった。
取り急ぎ追記するが、排除とか多様性とか言っている人がいるが、では職場や居酒屋から水着のグラビアポスターがなぜなくなったのか教えてもらいたい。あれははてブでもセクハラだとして、なくなったことを喜ぶ声が大半だった筈だ。
さらには「私作る人、僕食べる人」以降、「ブレンディ 卒牛式」「志布志市 うな子」「サントリー コックゥ~ん!」「アフロヘア黒人女性 ツヤッツヤのサラッサラになりたい」「リカちゃん 個人情報暴露」など不適切として取り消された広告はいくつもあるのだが、それらは一切取り消す必要はなかったという認識で良いだろうか。もちろん今回の「仕事は、楽しみですか」も含む
それら全てが、本件とは全く問題が異なる事例ですね。(これらはこれらで個別に論点が異なりますが。)
私はこれらに全く興味が無いので、肯定的でも否定的でも、そちらは勝手に論じてくれれば良いと思います。
フィクトセクシュアルという言葉が社会学の論文に現れるようになったのも最近の話ですし、フィクションやキャラクターを性的対象としたり、イラスト・創作表現やアバターを介してファッションやジェンダー・エクスプレッションを表現する人々が確かに存在するということが発見されたのは、つい最近のことなんですよね。
それまでの間、私たちの存在はずっと周縁化され続けてきたわけです。対人性愛者の、対人性愛者による、対人性愛者のための論理によって、一方的かつ不当に断罪され続けてきたわけです。
私はフィクトセクシュアルですが、私にとって「私はフィクトセクシュアルである」というアイデンティティの中心は、「二次元キャラクターを性的対象としている」ことよりも、むしろ「人間を性的対象としない」ところにあります。空想のキャラクターを人間の人格と同様、あるいはそこに紐付ける論理、バーチャルなアバターを物理的な身体と同様、あるいはそこに紐付ける論理は、対人性愛を自明視した論理でしかありません。私たちは、キャラクターがキャラクターだから性的対象とできるし、アバターがアバターだからファッションとして消費できるのです。あなた方対人性愛者とは、全く異なる常識、文化圏に生きていることをまずは認めてください。「私たちの論理」を尊重してください。
そして、「私たちの論理」は、必ずしも、私のように対人性愛を一切持たないフィクトセクシュアルのみが共有しているものでもないでしょう。セクシュアリティはスペクトラム状の広がりを持ちます。実際のところ、譬えばバイセクシュアルのように、対人性愛と二次元性愛を両立させている人が大半でしょう。しかし、彼らがキャラクターやアバターを消費する時もまた、「私たちの論理」に即した消費が行われているように私には見えます。対人性愛者の論理と、「私たちの論理」が、ある程度適切に使い分けられているように見えます。(完全に無垢無謬とまでは言いませんが。)
あの程度の表現が、許容できないほどに「性犯罪を誘発する」「ジェンダーバイアスを強化する」と言うならば、「異性と結婚する」ことや「自身のジェンダー・アイデンティティに一致する服装・メイク」などの方が、よほど「性犯罪を誘発」し「ジェンダーバイアスを強化」するでしょう。このようなミラーリングは、先程述べたようなスペクトラムにいる人々にも受け入れ難いもののようですが。
対人性愛者の論理と、「私たちの論理」の使い分けは、時に未熟なこともあるかもしれません。だからと言って、その責任を私たちに押し付けるのはいい加減やめてください。「対人性愛者の論理に一括すれば、問題は起こらない」と、民族浄化しようとするのをやめてください。「私たちの論理」に一括するのではいけないのですか?野蛮で危険な対人性愛を一刻も早く卒業して、誰もがキャラクターのみをパートナーとし、誰もがアバターのみで自己表現を行うようになればいいと私は思います。「(俺たちの)常識に合わせろ」と言うなら、逆に、「私たちの常識」に合わせてくれてもよいのではないですか?
今では6桁もいるTwitterのフォロワーが4桁だった頃から推していたし、現実の人間でこんな長期間好きだった人も初めてだった。
5年の間に掛け持ちで別の人を推していたことも何度かあったが結局は降りてしまいずっと好きだったのはこの人だけだった。
イベントにも足を運び、接触も積極的に参加した。今月は厳しいから接触行かないぞ!と意気込んだはずが昂ったテンションで安くはない接触を購入したこともしばしばある。
手紙も毎回書きたいことが有り余って何通も出した。プレゼントを贈った回数も他の元推し達とは比べ物にならない。誕生日にそこそこデカくて高い家電を贈った同担にイラついたりもした。
流行りなど気にしない自分をしっかり持ったファッションへのこだわりがある所が好きだったし、実際この人の好みも自分の好みだった。
だけどこの人の好みは一般的な自分の感性を遥かに超越していた。
ずっとやりたかったことらしい。好きにしたらいいよ。本人の自由だもの。タトゥーやピアス、スプリットタンなどの人体改造くらいなら全然受け止められた。
この部分は私の読解力不足が多いと思われる。
2話時点ではプリンセスと入れ替わる作戦。プリンセスにスパイとばれたことから背後関係が謎めき(プリンセスにバレている=背後の組織にバレている)、提案を受け入れプリンセスと協力関係に。プリンセスはスパイ活動で共和国を利してかつ王国の女王を目指す。実質的にチェンジリング作戦は棚上げ。
終盤、チェンジリング作戦は再始動。理由は共和国が画策した王国側のテロの主導者に仕立て上げ王国を揺さぶる。作戦後、プリンセス(に成り代わったスパイ)は不要。
………?入れ替わって主導者宣言させておいて入れ替わったスパイは処理するの?かなりもったいなくない?現場の判断じゃ事前に殺して弔い革命扱いでもOKと言ってるし。
「コントロール」が採算度外視な行動を取るようになったことは理解しつつも自組織スパイのあまりにも贅沢な使い捨てにクラクラしてしまった。謀略でプリンセスが主犯のように見せかけて殺すだけの方が手軽でリーズナブルに思えてしまった。
プリンセスの死後、チェンジリングの主人公は替え玉としてはたしかに不要だけれど替え玉をさっぴいても世代最優秀のスパイなんですが……
ストーリーを動かすために知能を落とすのはお約束として納得していますが、落としすぎるとダメなラインがあって、今回はかなりギリギリのラインでセーフでした。「止まるんじゃねぇぞ」レベルじゃないですが気になったかな。たぶん自分の見落としがなにかあるはず。
2重スパイ容疑の同期を探る話。終盤、容疑が確定し同期を撃ちたくないドロシーに対して目の前で自殺する同期だが、外では狙撃ポジションを維持するアンジェが。
スパイとしての正解は「自殺を阻止して身柄を拘束する」だと思うがドロシーはともかくアンジェがスルーは意外。話もスパイ露見時点で成功のようで死んだことが低評価にはなってないみたい。
自分がアンジェの人情深さを見誤ったかな。露見したスパイの末路はいつも悲惨だ。恐ろしい恐ろしい。死なせてあげるなんておやさしいこと…?最初は確保しようとしてましたけど……
しかし天才たちのスパイ頭脳戦なら自分より優秀なアンジェが安易に罠に引っかかるのか?と慎重に動いてほしかったところ。そこまでするとやりすぎでお話が動かないんだけどね。
ちせ登場話。
列車で移動中の日本の要人を暗殺者が狙う…という話。序盤でちせが顔見せし停車駅でのアンジェとちせのやりとり。
ちせ「仕掛けてくるならここか」
あのー、ちせさん走行中の列車に飛び乗り進入しましたよね!それに気づいたのもアンジェさんでしたよね!ちせさんと同等くらいの暗殺者を警戒するのなら停車中かは関係ないですよね!ギャグかと思ったら普通に進行して結構もやった。案の定襲撃は走行中だったし。
ギャグかと思ったと言えば3話。飛行船に乗り込み原盤奪取な特攻野郎話ですが、敵が自分たちの船に向けて銃撃しまくりで、比喩でなく船外でも船内でもバカスカ撃ちまくりで流石に笑ってしまった。強度的に大丈夫だとしても私にはわからなかったのでね。銃弾は当たらないのはお約束なのでそれはヨシ。でもアンジェの拳銃狙撃でピタゴラスイッチは…。
硬派なスパイアクションにしたいのか爆発でアフロになるコメディにしたいのか。ストーリーはシリアスなだけにところどころの不自然さが浮き立つ。その中で3話は一番ギャグしていると思われる。
ありえない場所に人が立ってることが幾度かあり気になった。ありえないと言っても塔の先端などではなく、「そこに立つまでに気づかれないのは変だろう」レベルの瞬間移動のような人のあらわれ方。たとえば尾行訓練に失敗したときの背後の取られ方。船で背後に着地して横に走り兵士が振り返ったときにはその背後に居るような超高速(ちせの超人範囲内?)、列車上でちせの背後に立つアンジェ(気づいていたけど声をかけられるまで無視?)、何人も居る狭いボロ屋の中に唐突に現れ男の腕を掴むアンジュ。ドアを開けた形跡はなし。もしくは開けて閉めたか。
ここまではほぼスパイ対素人。ちょっと過剰演出かな程度の感が、後半ではアンジェたちに気づかれずまっすぐな廊下を早足で移動していた最後尾の背後を取るアンジェに劣る万年二位委員長に極めつきは最終回。一瞬?で窓から部屋に入り背後から殴るアンジェからのそのアンジェの背後に立ち銃を掴み取るドロシーさんwithアンジェの驚き顔つき。いくらあせっていたとはいえ一流スパイの背後に唐突にあらわれるこのドロシーさんは瞬間移動でっせ…
やりたいよねーわかるー。だけどできれば一瞬でいいので近づく動きを入れてほしかった。
男が愚鈍。
はい。時代的に男ばかりなので敵役のモブが馬鹿でもいいです。いややっぱり男?最初は声優の演技が下手っぽかったり悪ノリが過ぎているのかなとスルーしていたが、だんだんとあ、これキャラクター設定時点でアレだわ。変なキャラにしてるんだわ。と気づいた。相手の文化に合わせず土下座しまくる日本外交特使。過剰に露骨に過ぎる借金取り(監督曰く「美味しいキャラに仕上がった」)。思慮が浅い父親。ステレオタイプすぎるジョック。典型的無能軍部のジェネラル。そこで絆されたそぶりを見せるとそりゃ殺されるよというイングェイ少佐。少佐!?そしてモブがハニートラップに引っかかりまくる。一般人やプライベートならわかるが職務中の衛兵や軍人がガンガン引っかかるのは頭を抱えた。船上に突如現れた不審者には見惚れねえよ…。リアリティラインなりレベルなりはルパンレベルでいいのんか?そりゃ攻殻機動隊でも色仕掛けはあったけどさあ。ハガレンのラスト(ボイン)みたいな方向がよかった。安易なハニトラ演出に引きづられてドロシーへの好感がやや下がる。
すべての男が悪し様に描かれているわけではなく王国・共和国組織のトップ二人は非常に知的に描かれていると思うし、主人公たちの見せ場にはなるものの変声に対してカマをかけた機転がきく軍人もいた。1話の兄さんやモルグのおじいさんなど光るキャラもいる。しかし全員優秀な主人公チームに対してところどころポンコツな人物たちという構図はやりとりが浅くなりがちでシリアスや緊張感といったものがガシガシ削られていった。スパイの悲哀や政治への夢を語られたところでなんかもうそういう作品じゃないしなあと乗り切れない自分がそこにはいた。
スパイという基本、上からの命令が絶対で自己決定権がないような立場でどう自分の意思を実行するのか。命令違反すればもうスパイではなく排除対象で不可逆であろう。オムニバス形式の作品で上からの指示を受け行動するスパイというのはわかりやすく毎回異なった展開が用意されていてよかったが、主人公たちのやりたいことをどう実現するのかは気になっていた。
結果、自分の意思で動くスパイを作るための終盤はその原因や免罪符含めて司令部の「コントロール」の指揮権簒奪、暴走という形で表現された。司令部に逆らったけど悪い司令部だったからお咎めなし。なかなかいい落としどころだと思いました。軍部の暴走や短慮ぐあいはもうそういうものと受け入れるしかなかったけれど。ラストの収まりはよかったです。
ふたりの再会時にアンジェが語ったゆめかわファンシーな逃避行の実現性も不明ですが、叶うと素敵そうでしたね。叶わないんでしょうけどね。
プリンセス・プリンシパルは「敵側のコメディ」に失敗した作品な気がする。主人公側のそれは良く出来ているものの、それ以外の「崩し方」といったものかなにかが私と相性が非常に悪かった。とくにこの作品を「硬派」とみていた自分には。これを女の子のかわいいスパイアクションアニメとしてみていればぜんぜん許容範囲で自分の落ち度とも言えなくもない。
「まじめな敵(組織)だけど滑稽なシーンもある」作品は浅学ながら少しは思いつき、どちらも漫画だけれど「ドロヘドロ」は初見怖い存在の魔法使いだけれどどんどん愛着がわいていくし、それでいて強さ感や怖さは保っていた。最近の作品だと同じく分断もので暗躍組織対政府組織モノの「東独にいた」は敵役?の政府側のキャラクターがいい感じにコメディしていて好きだ。それでも緊張感は保っているし、スイッチの切り替わりがギャップとして機能し緊張感が増しているすらあるかもしれない。
オムニバス形式でモブやゲストが多いプリンセス・プリンシパルと比較するのはやや違うかもしれいないがそういった両立できている作品を知っている身では「両立できなかった作品」ととらえてしまった。全体を通して不自然と思う部分もあり、後半戦はなんとか我慢して完走できた作品だった。俺は12話だから我慢できたけど24話だったら我慢できなかった。だから劇場版はたぶんごめんなさい。
https://www.tyoshiki.com/entry/2021/08/25/221310
https://togetter.com/li/1709770
ネットの巷で有名なポリコレアフロが出てくる「ミステリと言う勿れ」を4巻まで読んだ。ネットで有名なのは「子供はバカじゃないです」と「父親教室の体験学習でテスト」のくだりだろう(子供はバカじゃないですのくだりは3巻P37、テストのくだりは3巻P133に出てくるが、ぶっちゃけ3巻だけ買って読んでも前後の話は大体つかめる)。
ざっくりいうと「アフロで偏屈な大学生がうんちく垂れながら事件を解決していく漫画」なのだけれど、ネット受けしやすい部分が変に切り取られて無駄に拡散しちゃってるだけな気がする。
脳内インデックスから似た作品を探してみて、「ちひろさん」と「クロエの流儀」が出てきたけど、「ちひろさん」はショムニの作者の主義主張を元風俗嬢に喋らせてスカッとコンテンツに仕立てたいわば海辺のショムニで、「クロエの流儀」は「ちひろさん」をものすごく邪悪にした作品だけど、ポリコレアフロは「ツッコミ役のいるちひろさん」かなって最初は思ってた。
でもポリコレアフロは育児家事を母親任せの昔ながらのザ、父親が大嫌いで「男も主体的に育児をやろう」的な言動がものすごく目立つだけで、別にポリコレ部分はない。というか真偽不明なうんちくがクソほど多くてそっちに飽きてくる。
というか、アフロの話をスルーしたり首根っこ掴んで遮ったりして登場人物にすら飽きられている。
しかもそんなうんちくやら女尊男卑気味な言説を初対面の人間にもれなく高説垂れるもんだからほとんどの人間にはウザがられているし、なんならキレられてる。
テストの説教のくだりにしても「ネットでちらっとみた記事で詳細はわからない」と前置きしているし、しかも説教の相手は容疑者の父親で容疑者の子供を預かっていただけで、名前も不明な実質モブだ(ちなみにこのオッサンはその後本編に出ない)。
距離感バグって「FF外から失礼するゾ〜」を地で行く人物で、正直友達には欲しくないし職場の新卒でこんなのいたら「あ〜またアイツなんか言ってるよ」で終わるやつなんだよね実際。
でも相手を貶めようって悪意だとか自分が絶対正しいって独善性のようなものは全然感じられなくて、ネットや本で見た知識をひけらかしたい一種のアッパー系コミュ障のようにも感じた。
まあ1巻の後書きで作者が「閉鎖空間で主人公がひたすら喋るだけの漫画」と書いてるくらいだから、そういうのがハマる人にはハマるんだろうけど、自分は例のテストのくだりが出るまで我慢してKindleで買って読み進めていたけど肝心のミステリー部分はなんの驚きもなく内容を覚えてもいない有様だった。
うんちくも量が多くてうんざり気味だし、ミステリー部分も読んでてめんどくさいので4巻の広島八つ墓村編から先を読もうかどうか迷っている。
ところで、自分がこの作品を読んで仮面ライダー龍騎の北岡弁護士の名言(?)「英雄ってのはさ、英雄になろうとした瞬間に失格なのよ。お前、いきなりアウトってわけ」を真っ先に思い出した。
(それはそうと公式が百科事典的なコンテンツを写真付きで提供してくれるのは本当にありがたい)
https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1723
言ってること自体は正しいようにも見えるし実際言葉だけ切り取られて変に論争されているのも観測したけど、本編を見たらわかるようにアレは相手を撹乱させるための出まかせ(そもそも北岡弁護士は悪徳弁護士である)で、相手によっては「英雄になろうとする意思が強いやつだけが英雄になれる」とか真逆のことを言いそうでもある。
コンテンツを雑に切り取られて変に拡散して本編を見てもない人らで不毛な言い争いが続いているのはなかなかしんどいものがあるっていうところは、ミカンの人に同意する。
あのさ、
最初番組の始めに今日のピアノの人ですって登場して紹介するシーンがあってポロン~って一節弾くんだけど、
あのときに
足元映ってないけど裸足みたいな。
てーかそんなの笑うわ!
あれのEテレテレビ体操のピアノの人紹介大喜利とか考えると結構私ツボるわー
ベタだけど今人気の人だと、
ラジオ体操をしたくて見ていたら、
日替わり体操が尺が長めで、
ついにいよいよ本編のラジオ体操始まった!って思ったらラジオ体操第2から始まるんかーいって
第1は最近しない流れなのかしら?
あと公園とかでさ
年配のベテランの人が自分で開発した体操の動きをしている人ってあるじゃない、
あれはきっと彼らが長年追い求めた身体のあちこちを伸ばすための自分で開発した体操なので、
その人のオリジナル体操はその人にしか効果が無いって思うのね。
公園でそういったベテランの独自に編み出した体操をしている人を見ていると、
なかなか自己開発旺盛な人とか多くて
本当にたまに公園とかでのんびりしているとそう言った光景が目に飛び込んでくるから、
でも、でもよ
まず基本と思ってラジオ体操ちょっと見てみっかーって3日経ったんだけど
やっぱり自己開発のオリジナル体操の動きを編み出すのはなかなか難しそうよ。
あと
ピアノの話しに戻るけど、
あの一節だけをピアノで覚えたら、
とりあえずは格好がつくじゃない?
私あれやりたいわあの一節のやつ。
でもやっぱりピアノの達人から見たらおぼつかない一節を披露しても
見破られるかも知れないわね。
そう考えると
ピアノの達人はあの一節を弾いて見極めて上手いか下手かを判定するのかなーって思うのよ。
譜面を見てない人が多くって、
あの人達の頭っていったいどうなってるのかしら?って思うわ。
松下奈織さんのライブにもなぜかよく招待券が3回ぐらい当たってみたことあるんだけど、
あれはきっとお嬢様のライブに空席をあるわけにはいけない!って
残った席を何となく興味のあるひとに
分け与えてる席だと私は思ってるので
自慢出来る唯一の話でもあるわ。
私は譜面が読めないけど
でもそれだけ読めても卓越したピアノ技術が付くとは限らないし、
ああいうアーティストの人は楽譜見ないですごいなぁーって思うのよね。
私も何か自慢出来る卓越した技術とか特技とかあればなーって思うのよ。
まあ卓越してるか分からないけど、
ここでよく披露している、
飛び込み前転は得意な方かなー。
でもそれができてもねーって感じよね。
また何かテレビ体操のピアノの人を紹介する大喜利で面白いものを考えたら披露するわね!
うふふ。
昨日買ってまた食べ損なった夜を朝に持ち越した
鉄火みあふれる鉄火巻きです。
2位鉄火巻き
1位納豆巻き!
そんでさキュウリ巻きあるじゃない、
かんぴょう巻きとか食べたら本当に顎が外れるぐらい美味しいからね!
スイカの8分の1カッツのヤツを買いたいんだけど、
器のパックに入ったカッツスイカを買ってカッツスイカウォーラーにしがちなんだけど、
あれも上手い具合ラッピングしてあるのがあって、
もうすでにラッピング自体に取っ手が付いている物はそのまま持って帰りやすいから
あ!この人スイカ買ってワンハンドスタイルで持ち帰っててカッコいいなーって
片手のワンハンドスタイルでホットドッグ食べて街を闊歩してる!ってやつをスイカでやる!みたいな格好良さがあるわよね。
みんなにスイカ買ったことを見せびらかしているようでちょっと恥ずかしくもあるけど、
まあスイカに取っ手が付いてるととても便利よねって話しで、
とってもが付いてるスイカだと嬉しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!