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はてなキーワード: 対照的とは

2023-10-05

結婚したくない

結婚したくない」


のような"~したくない"系の意思表明は、

それが自発的ものであろうと、質問への回答という形のものであろうと、

意思表明をした当人に「やろうと思えばできる」能力がなければ意思表明自体悪徳や恥であるので、糾弾することは正義だし、からかうことも意地悪でない


…という謎のポリシーの持ち主は大量にいて私の観測範囲ではなぜか彼らの社会性はクソ高い

当人能力があることの有無と当人意思は全く関係なくね?

能力がなければ意思表明してはいけないみたいなの考えたこともないんだがなんで???

という私は社会性がべらぼうに低い


この対照的な状況ってたまたまですか?

anond:20231005004125

例え話の理解が苦手みたいだから詳しく説明するね。

まず「男の年収価値はあるが、女性年収にはそれほど価値はない」は理解できてる?

それはちょうど「女性若さ価値はあるが、男性若さにそれほど価値はない」のと対照的なんだ。

まり年収が高い女性」は「年齢の低い男性」程度の価値しかない(というかほぼ無価値)なんだ。

そして女性の「家事ができない」は(多くの場合男性の「仕事ができない」に相当するんだ。

もちろん男性に稼ぎを求めない女性もいるのと同様に、女性家事求めない進歩的な」男性いるか絶対ではないよ。

だけど残念ながら現代日本ではそういう男性多数派ではないんだ。

もう一つ言うと、女性の30歳は婚活市場では男性40歳程度に相当するのだ。

実際、どちらもあと数年が婚活リミットだと考えればわかるのと思うのだ。

以上、ずんだもんがお送りしたのだ

2023-10-03

anond:20231003190106

逆に女オタクの方は昔はBL一色だったのが今は男女ものが増えてるのが対照的

オタクは昔は百合マイナーで竿役の男がいないと、ってのが多かったのにね

2023-09-29

anond:20230927190903

「文藝春秋」2016年9月号の芥川賞選評。受賞作「コンビニ人間」を、普段辛口村上龍が絶賛し、島田雅彦が"不本意な結果"として多少の疑問を呈しつつ、候補作「ジニのパズル」を評価しているのが、何だか対照的で興味深く、逆に「ジニのパズル」を読みたくなる。

2023-09-28

現代社会では、人々は無意識のうちに消費者としての受動的な生き方に馴れている。この現象は、iPhoneの購入においても顕著である。この小さな画面の中で、人々はコミュニケーションの大部分を行い、情報を受け取り、そしてエンターテインメントを楽しんでいる。しかし、この便利なデバイスは、実際には人々の創造性を制約し、受動的な存在へと導いている。

iPhoneの透明な利点に魅了されるあいだ、我々は独自創造の道を踏み外す可能性がある。常に他人の作ったアプリゲームソーシャルメディアに囚われ、自分自身創造力を発揮する機会を失っている。

対照的に、ポメラはそのシンプルさと機能性で主体的生き方支援する。ポメラDM250のようなモデルは、文字入力に特化した機器であり、他の多くの機能排除している。これにより、ユーザー集中力を高め、創作活動に専念することができる。

ポメラ使用することで、余計な情報アプリから解放され、自分自身思考と向き合うことができる。キングジムのこのモデルは、現代情報過多の世界で、集中力創造力を高めることを支援してくれる。

主体的創造者としての道を歩み始めるためには、ポメラのような道具を選択する勇気必要であるポメラは、我々が真の創造者としての人生を再発見する手助けをしてくれる。

iPhone受動的な消費者玩具

ポメラ能動的な創造者の武器

2023-09-27

anond:20230927080103

はてサ金玉増田最近活躍ぶりは飛ぶ鳥を落とす勢いだな。

才能の枯渇した老害となり果てたデリヘル増田とは対照的だ。

2023-09-26

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

2023-09-24

増田典型的エコーチェンバー&陰謀論に墜ちていく人の群れを見たので備忘録

5ちゃんねる嫌儲板荒らしているのはネトウヨ工作員ではないかとの増田

5ch嫌儲画期的方法荒らし工作員勝利しつつある

https://anond.hatelabo.jp/20230924125813

スクリプト荒らし自民党委託のDAPPIによる業務説もあるため、住民を真似て安倍バカにする名前欄には対応できないとの期待もあった。

(略)

思わぬ形でネトウヨ工作員説も真実味を帯びてきた。

これは安倍バリア、ABフィールド、アベガード等と呼ばれている。(エヴァATフィールド広告ブロックアプリのAdGuardが由来)

それに賛同するブコメの一部

天安門事件と入れると中国から接続遮断できるといういにしえの手法に似たもの

・なんとなく見てたけどマジでナントカさんやその一派に関する時だけ露骨にシュバってて笑った。>>4あたりからスクリプトになってんだもん

・死せる安倍、生けるネトウヨを走らす。なんJ民のネトウヨBAN祭りの時に「差別は許されない」と言った安倍国会答弁を盾にネトウヨ煽ってた動画思い出すわー。安倍信仰が強すぎて踏み絵踏めないの気の毒ですらある

ただ、これはこのスクリプト現在名前欄まで対応していないだけで、名前欄をデフォルトからのものに書き換えれば安倍晋三でなくともなんでもいい。

単に嫌儲が(はてなと同じく)左翼が異常に多い板(投票行動アンケートをとったら共産党れいわで過半数とるところだ)であるから、みんなのオモチャとして安倍晋三が選ばれただけだ。

また、左翼スレが多いことからネトウヨに都合の悪いスレが優先して荒らされているように見えるだけだ。

その証拠に、スポーツ特に野球)実況を中心に雑談から政治から何でも煽りバカにする、古き悪しき2ちゃんねる文化を残すなんでも実況J(G)ではそんなもの関係なく、政治関係ないスポーツ実況スレやもちろんサヨスレも含めて荒らされまくってるからだ。

こちらでは新たになんでも実況Eという板を作って荒らし対策としている。根本的だね。左翼煮詰まりすぎて、安倍晋三であればバカにする対象として良いとしている嫌儲とは対照的対応

こうやって陰謀論にはまりエコーチェンバーと化していくような見本を見たので備忘しておこうと思う。

というか安倍晋三を神格化してるのは嫌儲民ではないのかとも思う。

追記

もっと増えてたので記録しておこう

・これは面白い安倍信仰傍証でもあるね

・聖帝:安倍晋三で荒らしはできないよなぁ。教義的に。

・なるほどー。敵側が死んでも言いたくないワードを入れとけばいいのか

他多数

追記2

スクリプト名前欄変更に対応するまでのイタチごっこと思われたが、なぜだが対応してこない」の理由説明できてなくない?

それは嫌儲に限ったことじゃないからね

2023-09-18

anond:20230918115202

どーでもいいけどさあ

ドラクエって完全に世代交代に失敗して老年による中年の為のブランドになっててもう滅びゆく事確定みたいなブランドじゃん

ポケモン普通にの子供にも人気あるのとは対照的

かつブクマカ殆どナンバリング最新作の11にすら言及せず(つってもそれも何年前だよ?って感じだけどな)

自分子供の頃にやったもっと昔のシリーズしか知らない

って事でもう「昔のコンテンツに今更突っ込んでもしょうがない」って話でしかない

どうせ12出たってお前らやる気ないだろ?で大昔の精々7くらいまでの話し続けるんだろ?

2023-09-01

anond:20230901002212

そのかわり批判する時とかダメ出しする時も遠慮なくガンガン来たりするから怖い。表現が割と大袈裟っぽいしね。まあ、わかりやすいと言えばわかりやすいんだけどね。

その点、同じ英語圏でもイギリス人の控えめでわかりにくい表現とは対照的でなんか面白いイギリス人が Perfect! なんて言うと皮肉で言ってるんじゃないかと疑ってしまうもんね。

2023-08-28

マストドンを試してみる8つの理由

マストドンは、現在利用可能な多くの Twitter 代替手段の 1 つです (他には、Threads や Bluesky などを聞いたことがあるかもしれません)。私はマストドンを使い始めていますが、非常に楽しんでいます。ここでは、あなたも試してみることに興味があるかもしれない理由リストを示します (そしてサインアップ (ttps://mastodon.social/) することでそうすることができます)。

 

1. 広告は無いほうがいい

マストドン広告収入によって支えられていないため、有料広告宣伝広告タイムライン強制的に表示されることはありません。

 

2. 見るものもっとコントロールしたい

マストドンには、フィルター(特定単語を含む投稿非表示にする)、一時的ミュート(ユーザーからコンテンツ一定時間「一時停止」できる)、自分コンテンツを見ながら人々からブースト」(「リツイート」に相当)を非表示にする機能、(見たくない人や交流したくない人に対する)無制限ブロックがあります。そしてツイッターのような「アルゴリズム」はありません。アルゴリズムというのは、あなたが興味を持ちそうなものに基づいて、他の誰かがあなたタイムラインコンテンツを押し込んでいるのです。

 

3. 分散

しばしば予測不可能な所有者の気まぐれに左右される他の多くのソーシャル メディア プラットフォーム (Twitter などを参照) とは異なり、Mastodon が構築されているプロトコル分散化されており、コンテンツ制御する単一個人や団体は存在しません。

 

4. 不安のないソーシャルメディア体験

プロモートされたコンテンツタイムラインにプッシュするためのアルゴリズム金銭インセンティブがないため (上記の項目#1と#2を参照)、ユーザーが慣れ親しんでいるような、エンゲージメントを促進するために設計されたノンストップの「怒りを煽る行為 https://gizmodo.com/10-internet-rage-baiting-techniques-to-know-about-1850615967 」ははるかに少なくなります

 

5. あなたコンテンツに実際に興味を持っている人々のフォローを構築できる

ソーシャルメディアフォロワーを増やすのは難しいことを知っていますあなたソーシャルメディア「群衆」のために「パフォーマンス」するのが好きなタイプでない場合さらに困難です。Mastodonではありのままでいられます

 

6. 質の高い市民的な議論を求めることができる

全体として、マストドンでの会話は、LinkedIn を含む他のソーシャル メディア プラットフォームよりもはるか礼儀正しく、思慮深いものであることがわかりました。ランダムに返信に現れてあなたに怒鳴ることなく、微妙議論をすることは実際には可能です。そして、そのような行為に関与したくない場合は、その人をミュートまたはブロックするツールがあります

 

7. コンテンツ管理

主にボランティアコミュニティメンバーによってモデレートされているにもかかわらず、マストドンコンテンツモデレーションは非常によく行われています。これは、 TwitterやBluesky でさえ現在起こっていることとはまったく対照的です。マストドンでは「コミュニティを守る」ことが最優先事項です。

 

8. お金を払わず上記のすべてが欲しい

Twitter (現在特定機能を利用するには月額料金が必要です) や他のソーシャル メディア プラットフォーム (広告主と共有されるユーザー データの形で料金が発生します) とは異なり、Mastodon のすべての機能使用するのに月額料金は必要ありません (いつでも好きなとき投稿編集できることも含まれます)。サーバー (「インスタンス」とも呼ばれます) を管理している人への寄付は、もちろん推奨されますが、必須ではありません。

2023-08-27

[]8月26日

ご飯

朝:焼きそばカイワレ大根。昼:袋ラーメンピザマン。夜:だし豆腐納豆サバ缶。間食:豆菓子アイスクリーム

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

○夜、灯す

○はじめに

数十年前の女生徒同士の心中事件真相を探るサスペンスな展開と、琴を演奏する部活筝曲部の大会を目指す熱血青春な展開を、女の子同士の関係性の変化で魅せるノベルゲーム

公称ジャンルホラー×百合だが、ホラー成分はかなり薄めで、熱血青春部活ものの味わいがかなり多め。

琴を演奏することとは、そんな大きなテーマを掲げつつ、音楽と向き合う真摯な態度がカラッとしてて楽しめた。

○琴最優先の主人公ヒロイン

優れた琴の才能を持ちつつも筝曲部部長から教わった楽しむの精神に重きを置き、仲間との和を重要視する主人公の鈴。

彼女対照的ヒロインの有華は、琴の世界では有名な家に生まれながらも、良い演奏をすることだけに重きをおき、その家の中ですら孤立してしまっている。

そんな二人がぶつかりつつも、他の部活メンバーが抱える課題解決に取り組んでいく。

鈴に依存しすぎて自立できない真弥、まだ周りと合わせる技術が不足している累、そして何かを隠している麗子たちの解決していくのが現代編のメインの筋になっている。

王道青春モノとして課題解決ちゃんとしており、かつ鈴と有華共に琴の技術面において優れているからか、琴のエピソードと、心情のエピソードとをすぐさま繋がらせかなりサクサクお話が進む。

もう少し余韻が欲しくもあるが、二人の優秀さの表現としては面白かった。

それぞれのメンバー視点人物になっての回想シーンもあるので、ここに文量が割かれていたら群衆劇的な楽しみもあったのかもだけど、あくまでここは課題解決のための自問自答で、そういう多様的な面は少なめ。

二人ともやり方は違えど最終的に琴の演奏が一番大事という目的共通しているからか、琴以外の例えば恋愛的なドギマギする展開はかなり少ない。

公称ジャンルには百合言葉も入っているが、この二人がそうとは言っていないので、そういう意味なのだろうか。

○小夜子さんと妹の過去編は切ない

戦後まだ間もない人権意識平等概念が浸透しきっていない時代の生きづらさが、小夜子さんと彼女を姉と慕う妹との関係を歪めていく。

最終的に彼女たちが心中するのは前提条件として粗筋にも書いてあるので、破滅に至るまでの過程は読んでいて辛かった。

そんな辛さの中でも、スキンシップを求める妹の肉食な感じは、なるほどなるほどな見所だ。

現代編のカップルとは違い、こちらのカップルはそのような描写たっぷりと楽しめて良かった。

幾人かのサブキャラもいるのだけれど、二人の目にはお互いしか映っていないせいで、どんどん深く落ちていくような関係性が描かれていた。

十六夜妙蓮さんが格好いい

から見るとお爺ちゃんの姉、大叔母にあたり今は保護者もしてくれている尼さんの妙蓮さん。

厳しくも優しい良いキャラで、老人ながらピザ唐揚げが好きというあざとい一面や、イタズラ好きな部分など様々な表情を楽しめる。

かなり格好いいキャラ彼女活躍するシーンは文句なしに決まっていて大好きになれた。

老齢ということもあって年月の重みを感じさせるエピソードは、このゲームらしさも感じられて一番好きな部分だ。

かに殉じることの複雑な尊さがあり、格好良さに滾りつつも、悲しくもあると、彼女が魅せるいろいろな側面のように、多様な感情が湧いてきた。

○おわりに

見所は沢山あったのだけど、ちょっとテンポが良すぎたかもしれない。

ストーリーの大筋や、その時々の文章に惹かれる部分もあるのだけれど、悪い意味でそれだけ。

ボリュームが少ないと一言で終わらせるというよりは、良い意味での遊びの文章が少なかったのが気になり、エピソードの数に物足りなさを感じたわけではなく、メインキャラ5人の掛け合いや心情を語る文量の少なさが物足りなさを感じた。

特に主人公の鈴が音楽のこと以外には鈍感なタイプ恋愛的なエピソードもあるのに無頓着なのがそれに拍車をかけていた。

とはいえ、良きところも沢山あって、文化系部活の熱血パート面白く、青春モノの良い展開が楽しめた。

過去編の時代のような見えないものと戦う小夜子さんと妹のエピソードも重たくて辛いけど良かった。

そして何より、何十年もその道に殉じてきた妙蓮さんの出番は最高に決まっていた。

彼女のその重みを出すためにもボリュームの少なさだけが惜しい作品だった。

2023-08-26

anond:20230826212842

対照的に、発がん性のある核分裂同位体であるセシウム137ストロンチウム90、ヨウ素131の存在は、最初バッチの水が放出される前にチェックされるべきである2011年災害中およびその直後に福島海域に沈着したこれらの同位体は、魚介類放射能とその後の漁業禁止の原因となっている」

沈着してるのほうが嫌だなあ

ファンレターの書き方

最近ファンレ界隈が騒がしいらしいのでファンレ書くの大好きオタクがいつもファンレ書くとき気をつけていることを列挙しようと思う。

ファンレは作者のファンサなのでみんな勘違いせず楽しくウキウキファンレター書こうな!

なおオタク文章なのでめちゃめちゃ長いぞ!流し読み推奨だ!

いち

ファンレターは好きですありがとうを書くとこ」

ファンレターってなによ?ってこれに尽きるよね。

批評とか批判とか書く必要マジでないです。

そもそもファンレターってこっちが出したくて出してるものなので「書いてあげなきゃ!」とか思うくらいなら書かなくていいと思ってるまである

だってファンレターって紙ならかさばるし量あったら読むのに時間も体力も使うし作者は絶対読まなきゃいけないものでもないんだよ。でも喜んで読んでくれるんだよ。好きなもの作ってくれる人に作ってくれてありがとうって伝えられて、それを喜んでこちらこそありがとうとか言ってくれるんだよ?ファンサだろ。

ファンレターくれって言ってるじゃん」と思う人もいるんだろうか。まぁ大事なのは間違いないと思うよファンレのあるなしで人気具合が決まるとかあるみたいな話も聞くし。

でも正直書籍とか歌なら販売数のが重要じゃねとも思わんか。どんなに熱烈なファンレ届いたとしても一冊しか売れてなかったら打ち切りでしょ。

「書いてあげなきゃ」思考で書くと絶対自己顕示欲が滲むと言うか、「このファンレターで作者に爪痕残してやろう」みたいな気持ちが入っちゃうんだよね。それいらないから。作者は作品感想が聞きたいのであってファン執筆者自己顕示欲には用がないから。中古で買いましたとか図書館で読みましたとかのこと書いちゃう例のアレ自己顕示欲の発露だよ。作者の精神に影響を与えようとするな。心に残ろうとするな。大体本が売れた売れなかったは作者の収入につながる超センシティブ話題なんだから気安く触れるもんでもねえ。

本当にめちゃめちゃ好きで堪らなくて言わないと爆発するという気持ちを込めるのがファンレターやぞ。

「結局引用が1番最強」

本なら「2巻の◯ページの☓☓ってセリフが刺さりました」音楽なら「△△って歌詞が心に響きました」「Aメロの頭のギターテク最強すぎて震えました」絵なら「髪の先の線のしゅぱって感じがめっちゃ好きです」などなど、引用ってめっちゃ簡単に好きなところをダイレクトに伝えられてとても良いです。

めちゃめちゃ好きなのは本当でファンレターも出したいけど何を書いて良いのかわからないし語彙力もないって悩む人いるじゃん。引用が最強やぞ。

読書感想文では引用差し控えろって言われがちだけどファンレターにおいては作者側も読者にはここが刺さるんだな〜って分かって嬉しいんじゃないかな。どこがどう好きってのを言えたらより良いファンレになると思うけど言えなくても引用してあれば少なくとも好きって言ってもらえる場所はわかるし。とにかく好きです!だけより伝わりやすい。語彙は正直なくて良い。と思ってる。文章プロじゃないんだから語彙力なんかあるわけねぇだろ。あったら良いかもだけど「あなた作品梅雨の朝の貴重な晴れ間に水の冷たさを残した空気を吸い込むときのような気持ちになります」とか書かれても嬉しいけど具体的にどんな気持ちで……?ってなりかねん。平易な言葉ってのは伝わりやすいという利点がある。「好きです!」は「好きです!」以上の意味にならないかダイレクトに好きが伝わるぞい。

さん

赤の他人に書いてるってことを忘れない」

作者って友達じゃないんだよね。いや同人とかで友達の作者にファンレ送ることもあるかもだけど(その場合友達に許される距離感で好きにしてくれ)商業販売されてる作品とか舞台に立ってる役者とかYouTuberとか画家とかバンドとかまぁなんか色々あると思うけど大体は会ったこともない人だったり顔も知らなかったりすることのが多いわけじゃん。

「身内ヅラ」「タメ口」「アドバイス」が書き始めにハマりやすい三大危険思想だと思います

身内ヅラってのは例えば好きな俳優さんとかアイドルとかバンドマンに「☓☓のママとしては〜」とか「お兄ちゃん心配です」みたいなこと言っちゃったりするやつ。普通にこわい。誰だお前!みたいな奴から突然身内ヅラファンレ届いたら引くだろ。後方腕組彼氏面はやってるだけならおもろいけど彼氏面で話しかけたら不審者やぞ。過度なイジりとかも控えよう。過度っていうかイジるな。そういうキャラだったとしてもイジらないほうが絶対平和

笑ってくれる神のような御心の持ち主も稀にいるかもだけど何度もいうがファンレはファンサなので推しに1グラム心理的重りも乗せないように気をつけようね。君から送られるのが1グラムだとしてもそれが何百何万の数になったら推しは潰れちゃうよ。

タメ口についてはこれ言う必要あるか?初対面でタメ口は相当思想強いぞ。敬語っていうのはあなた他者として尊重する意思がありますという1番分かりやす表現から悪いこと言わないから使っとけ。あの人はノリ軽いしそんなん負担にならないもん!と思ったとしても使っとけ。推しが「敬語ファンレ受け取らねえから」って言ってたら使うな。そんぐらいのレベルの話です。

アドバイス。これが1番良くない。「△△の書き方はもっと♡♡にした方が良くなると思いました」「□□のときの言い方はもっと優しくしたほうが良いと思います」みたいなやつ。

聞いてねえ!!アドバイスするな!!!

いか!!!アドバイス!!!!するな!!!アドバイス全部うるせえ!!!!!!同業者でもしねえ!!!!!素人は黙っとれ!!!!!!!!!

えー、アドバイスについて恨みがあるのでうるさくなります推しアドバイス送って良いことはひとつもありません。アドバイスというのは無用ものです。そんなもん書くくらいならおすすめラーメントッピング書くほうがよっぽどマシです。世に出ている作品商業だろうが同人だろうが人の手と目を通って世に出ています自分が読んですぐ思いつくようなこと作者も周りも一回は口に出してます。それを捨てて出来たのが作品です。どうしても気になる、ここの展開は絶対この方が良い!と思うなら自分創作しようね。

誤字脱字報告とかも作者さんが「してね」って言ってないならファンレには書かないでください。十中八九萎えます配信者の言動とかもそうだぞ。「もっとこうしたら〜」みたいなのは他人に言うことじゃないです。推しアドバイスが欲しいと思うときは周囲の適切な人に相談しています。お前には聞いてねえです。夜露死苦

よん

「じゃあ何書けば良いんだよの話する」

・好きなシーンの引用

・書けるならそれをより具体的に何故好きか

・もらった喜びや感動など

を書くのが1番分かりやすいです。

引用はさっき言ったやつ。具体的に何故好きかって言うのは、じゃあそのシーンを好きな理由ですね。

みんなカチカチ山って知ってる?知ってる前提で話すね。カチカチ山を例にしてファンレ文を2個作ったので読んでみて欲しいんだけど

例1

・兎がおじいさんのためにめちゃめちゃ頑張っててえらいと思いました。

例2

・兎がおじいさんのために、憎いたぬきに友人のように話しかけたり、辛子味噌泥舟製作など一切手を抜かず復讐への手間を惜しまない姿勢に感動しました。

例2のがわかりやすくね?

これが具体的に書くの話ね。でも前者が悪いわけでは全くない。例1の方がパッション伝わることもあるので、例2の方がより良いわけでもないんだけど、具体的なシーンの伝わりやすさは2の方だと思うんだよね。

他にも作った。これはさらに何故好きなのかの説明を深堀りした例ね。

例3

復讐劇としての完成度の高さと、主人公であるうさぎたぬきキャラ対照的で良かったです。

例4

・おばあさんの慈悲の心を踏みにじった非道な行い、それを反省もせず人の誠意を足蹴にするたぬきの圧倒的な残虐性が、その後のうさぎの強い復讐心に対する説得力に繋がっていて作品構成力に感動しました。たぬき刹那主義快楽主義性格と、恩を重んじて誠意を大切にするうさぎ性格とが、対照的な二人のキャラクターを引き立てあっていて、ストーリーに深みを感じます

めっちゃ書くこと多くなった。何を書いたら良いか?ってつまりこれを書くとめちゃめちゃ伝わりやすいよね。

これはカチカチ山ベースで書いたからこうだけど音楽でも配信でも演劇でも漫画でも同じことができます

この書き方は「何故」を主軸にすることが多いです。

何故このストーリー展開なのか。何故このキャラはこんな動きをしたのか。何故私はこのシーンがこんなに好きなのか。そこを掘り下げると作者に伝えたい大好きなポイントや、それを具体的にどうやって自分が感じ取ったのかの言語化が出来るようになります

でもめっちゃ練習がいるのと、私は声に出して「何故こうなんだろう」「どうしてこう書いたんだろう」と疑問文口に出してた。あと感想文上手い人の文章めちゃめちゃ読んだ。論文とかも読んだし書いた。そこまでやる必要はないと思うので、そんな手法もあるんだな〜くらいに見といてもらえると良いと思いました。

もらった喜びや感動についてはもう言葉のまま。

あなたがいてくれたからこんなに毎日に喜びがあふれてます

あなたのおかげで辛かった日も乗り越えられました。

あなた作品毎日の楽しみになっています

そういうことを素直にそのまま書く。これが作者にとって嬉しいことなのかは正直わからん。拙者ファンレ書くの大好きオタクなだけでファンレもらうことねーもん。でもファンレを送るのってこれを言うためだよねって気もしている。

あなたのおかげでこんなに私は幸せですって伝えるものファンレターなんじゃないでしょうか。技術のこととか書くなよ!ってこととかの話もしたけど、これが書いてあればファンレターはそれで良いんじゃないかな。

推し迷惑をかけない。推し不快な思いをさせない。推しにありったけの感謝を捧げる。

そういうファンレターが書けるようになりたいものですね。


おしまい

2023-08-23

anond:20230823132224

月がきれい」(2017)

岸誠二監督柿原優子脚本オリジナルアニメーション。中学生主人公2人の恋愛を中心に卒業までの日々が淡々と描かれてる。

舞台埼玉県川越市小江戸と呼ばれる美しい街の描写地元お祭りなども出てくる。

中学生日記のアニメ版といった感じで、LINEでのメッセージのやり取りの描写が当時のアニメとしては目新しかった。

エンディング後にCパートもあり、こちらは現実寄りの生々しい感じで、本編主人公たちのピュア恋愛対照的になってる。

「初恋」「やさしい気持ち」「夏祭り」など歌謡曲挿入歌に使われていてMV風にストーリーシンクロしている構成も珍しかった。(YouTubeで公開されてる)

2023-08-22

なぜ戦隊シリーズ仮面ライダーに差ができてしまったんだろう

先週のギーツは酷かった

ギーツの良さって何だろうって考えるとギーツそのものの造形の良さや玩具としての完成度みたいな部分が殆どで、ストーリーはどんなに擁護しても「悪くないが別にどうでもいい」って感じだ

もちろん良い部分は多少あって、終盤でタイクーンが闇落ちする当たりはとてもよかった

ケケラは好きになれないがタイクーンあんな形に落としたのはグッジョブといえる

あと、各ライダーの願いがほんの少しづつではあるが叶っていくのは意外と胸熱だった

逆にいえば全体的に低空飛行でタイクーン当たりがちょっと面白かったくらいなんだよな

そしてラスト1話を残した48話だけど、なんだこれって感じでオチを間違った感が否めない

正直ギーツが母親の身代わりになって創世の神になってしまい、バッドエンドになったほうがよかったんじゃないだろうか?あるいはギーツを救うために仲間が戦うってパターンでもよかった

そういうのに比べると蛇足感が強い

着地点を誤ったといっていい

また、ラスボスのスエルだが全然強そうではないしラスボスとしての風格がない

圧倒的な強者キャラが立っているかのどちらかならいいんだけど、なんか裏でゴニョゴニョしている小物だったからね

思想カリスマ性もない中ボスがいいところ

そんでその中ボスクリアする秘策がオーディエンスを懐柔するってのがなんだこれって

ガンダムとかでもロボット同士の戦闘だけじゃなくて政治駆け引きがあるってのは展開としてはわかるんだ

けれどギーツでいままでそんなところなかったんだよね

子供たちにとっては「ギーツにもっと強いアイテムや力をくれるんじゃないの」ってことだろう

クソゲー攻略がこれまたクソみたいな唐突な盤外戦術ってどうよ

観客としては一番覚める手段からやっちゃダメなんだよな

そういう意味でこの数話は完全な蛇足って感じでほんと締まらない

対照的キングオージャーやばい

なんだあれ、20人で合体とか馬鹿だろ大好き

いやほんとキングオージャーって登場人物全部好きなんだよな

戦隊シリーズって主人公たちが勝手チャンバラしているだけなのが普通なのに、ちゃんと国と国民が登場してみんなで生きていこうってのが伝わる

モブに焦点を当てるってのは意外と大変なんだよな

例えばブリーチナルトなんかでも、そこらへんにいる何の力も持たない人たちが一緒に戦ったり考えるってのは殆どないよね

あんなにキャラが多いけどみんな戦闘員ばかりだ

日常戦闘員同士の掛け合いばっかりで、非戦闘員や何の特徴もないモブって全然出てこない

けどキングオージャーはそれを国民という形で表現できているから凄いと思う

しかもあの人数だ

こんな面白戦隊ものって滅多にないと思う

いや、仮面ライダー戦隊ものって本当はライダーのほうがシリアス重厚感あって面白いって印象だったけど、もはやライダー脚本下手糞過ぎてどうでもよい感じになってきたな

2023-08-18

anond:20230817202136

既にいくつかの増田において触れられている点ではあるが、元増田見解類似性解釈適用の面で、相当程度「アイディア保護論的な立場に立っており、一般的な法解釈裁判例の理解とは遠い立場となっているように見受けられる。ただ、その点の指摘よりも増田の大まかな論調同意する反応も比較的多いようであるので、念のため著作権法学部時代に諦めた現役ヘボ弁護士言及しておきたい(著作権の基本書等すら引っ張り出さずに雑に書いただけなので匿名で。)。

そもそも著作権は、実質的要件を満たしただけで、つまり創作をしただけで当然に発生し、他者に対する差し止め等、排他的独占的な行使をすることができる極めて強力な権利であるという性質を持つという基本的なところを押さえておきたい。知的財産法で言えば、特許権商標権実用新案権等、いずれもその強力な権利の代わりに、形式的要件として登録や公開などの制約が課せられていることと対照的である

これは、著作権法目的である文化の発展」のため、創作活動を行った者を保護することが重要であると考えられたために作られた制度であるが、他方で表現は多かれ少なかれそれまでの表現歴史との連続性の中にあるものであって、いかなる他の表現に一切依拠しない表現というものはあり得ない以上、創作者の保護にも自ずから限度も存在する。著作権保護範囲を過大なものとしてしまえば、強力な著作権排他性ゆえに後続の表現が委縮してしまい、逆に文化の発展が阻害されることになってしまいかねないためである。そこで、アイディアとそれを具体的なものに落とし込む表現とを峻別し、具体的「表現」のみを保護対象とし、「アイディア」は保護対象にしない、という「アイディア表現二元論」が著作権保護範囲論の最も重要原則として長く受け入れられてきているわけである

類似性における「表現上の」本質的な特徴が何であるのかということを考える際も、この点は忘れてはならない点であり、その絵がどういう物を描いているのかという漠然とした「本質」ではなく、その絵をその絵たらしめる「表現」がどこにあるのかということを考えなくてはならない。

その意味で、増田

それは、赤い帽子と青いオーバーオールの組み合わせが、「マリオ」というキャライラストの「特徴」だからでしょ?

と書いていることや、

目の見えない人に、件の女性が描いたイラスト説明することを考えてみろよ。

・真横を向いてふりかえった構図

・赤いベレー風の帽子に特徴的な大きな黄色の丸い飾り

スマホの画面をこちらに見せるポーズ

について言及しないことある

と書いていることはかなり「荒い」議論であることがわかってもらえるのではないだろうか。

もちろん、構図や身に付けているものポーズ等の選択表現と言える部分もあるが、「表現」となった部分には独占的な権利がこの作者に与えられるのだと考えれば、この程度の特定の仕方では「アイディア」に近いものと断ぜざるを得ないことはわかるだろう。元の絵の構図やポーズが、この作者にしか生み出せない創作表現で、この作者のみが独占的に描くことができるものだとしていいのか、と考えれば、「いやいや、そういう抽象的な構図、ポーズはありふれたもので、独占的に他を排除できるほどオリジナリティがあるものではないだろう」と思う人が多いのではないかポーズ選択についても、せめてもう少し具体的な言及必要である(「半身(横向き?)に構えて首を曲げて顔を正面に向けた状態で、奥側にある右手を顔の付近に持ってきてそこに画面を正面に向けたスマートフォンを持たせたポーズを、胸元から頭頂までをグラデーションの背景のみで画面中心に収める構図で描いていること」とか、絵の心得がないので適当だが。)。あえて言えば帽子は特徴的だが、全体として見れば帽子比重は強くなく、塗りの特徴やくっきりとした主線等の「絵柄」、表情や体形、手に持った筆や鉛筆等の小道具選択スマートフォン画面の表示内容、服装選択等といったあたりも、元の絵の「表現上の」本質的特徴に含まれると考える方が私としてはしっくりとくるところである。無論この辺りの具体的線引きは最終的には正解のないところであろうが、元増田のとらえ方は不正解と言ってもおかしくない程度に極端な議論であるとは言えるものと思われる。「本質的特徴」や「創作表現」というテクニカルタームはその文字面に反して非常に解釈が難しく、安易素人判断を信用するのはやめた方が良いだろう(それは私のこの投稿も同じようなものだが。)。

なお、依拠性がある以上類似性で争うのは無理があるだろうとか、AI翻案したんだから翻案侵害は確実だろうというような反応がブコメに見られるが、コーヒーを飲む男性写真トレースした事案で侵害否定されている地裁事例からすれば単純化し過ぎた判断だろう

さて、突っ込みは以上だが、ついでにもう少し著作権保護範囲について考えたい。完全に私見だが、著作権侵害事件における本質的特徴とは、「その人にしかできないその表現の魅力はどこにあるのか」というところから考えれば少しわかりやすくなるのではないか著作権法運用するにあたって、何を保護し、何を保護してはならないのかと考えると、それを作った人が生み出した、その人らしさの表現こそが保護されるべき、でいいじゃないのというイメージである。恐らく、現実に絵を描くときには、構図や服装を考えることも大変で、そのためにいわゆるトレパクが嫌われるのだろうが、構図や服装だけでその人らしさが出るレベルとなると相当特異だと考えられ、それを保護してしまえば逆側の弊害(委縮)が大きすぎるのではないかと考えるし、その人らしさの部分が保護されれば、いくらトレパク等の邪魔が出ようとその人が創作をする価値は失われないはずなのではないだろうか。無論、この辺りの創作側の主観的「大変さ」と法的保護乖離の部分はまた難しいところではあるが、意図的特定作家からのトレパクやそれのみを材料にしたAI学習、出力が続けば場合によっては不法行為等を構成することはあるだろうし、ばれた時の社会的制裁は大きなものになるだろうというあたりでバランスをとるしかないのではないかと今のところは考える次第である

2023-08-13

男はマンスプレイニングが好き!

男はマンスプレイニングが好きなんだけど、実は、これは自分が話すだけではなくて、聞く方も好きだったりする。

たとえば、男が映画ゴッドファーザー蘊蓄を垂れるとき、多くの女性我慢ならないみたいなんですが、男同士だと「へぇ」って感じになるんですよね。

逆に、自分感情の話になると「知らんがな」って感じになる。これは、女性とは対照的だなぁ、と。

どっちが優れているか、偉いか、そういう問題じゃないわけだけど、今の世の中は「女性お気持ち語り」は上等で偉いものとされて、「男の趣味っぽい蘊蓄」はクソみたいな、道徳支配しているようで、男にとっては生きずらい。

少なくとも女性とは話したくない。

2023-08-09

anond:20230809084844

この母親のどこが光だよ。対照的って言葉がピッタリハマる闇だろ

anond:20230808223819

退職金狙って熟年離婚企てる甲斐性のないBBAとは対照的だな。

 

年金免除されてるこんなの養うために年金納めるの馬鹿らしいか母親にも早くニートから覚醒するよう言ってやってくれ。

 

お父さん長生きするといいな。

2023-07-30

東京3区じゃないと子供も産めない

東京中央区出生率トップ結婚出産も豊かな貴族夫婦けが享受できる特権的行為」となったのか?』

https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20230124-00334087

何故か「東京出生率は低い」という前提で語られる事が多いけれど

現実はこれだよね。

都会の女の方が産んでいる。


「さて、その東京都の23区内でもっと合計特殊出生率の高い区はどこだと思うだろうか?

実は、中央区なのである

2021年は1.37で、23区中のトップであるばかりか、市部を含んだ東京全体でもトップである人口の少ない町村島部を除く)。しかも、2020年は1.43であり、2015-2018年はずっと1.42-1.44という高い水準をキープしている。

ベスト3は、中央区港区千代田区となっている。別の見方をすれば、これら3区は、平均所得の高い区でもある。東京においては、所得が高くなければ子どもを持てない状況なのだろうか。

一方で、すでに出生率1.0を切っている区が、6つある。新宿区豊島区など巨大繁華街をかかえる場所での低出生率はわかるが、杉並区板橋区など住宅地の多いイメージの区が低出生率になっているところが気になる。特に板橋区などは、かつては団地などがあり、家族の多く住む場所だったのではなかったろうか。」

出生率1位の中央区だが、当然過去はむしろ下位の方に位置していた。2006年過ぎから急上昇し、ゴボウ抜きでトップとなった。これは何か特別少子化対策をしたからではなく、単純に子育て世代転入が多いためである

実際、中央区の平均年齢は若い。なぜなら、0-9歳の子もの人口が多いからだ。これらは東京のタワマン需要と密接に関係している。タワマンに住める高所得パワーカップル移住子どもを産んでいるのだ。

注目すべきは、23区ほとんどがこの5年間出生率を落としているのに、中央区けが高い値をキープしている点である

一方で、かつてベスト3の常連だった、江戸川区足立区葛飾区といった下町3区の出生率2015年ごろをピークにここ5年間で急激に減少に転じている。

中央区港区とは対照的に、これらの区は平均所得も低く、家賃相場住宅購入の相場も安いところだ。つまり所得の低い人達出生率が下がっているという見方もできる。」

2023-07-29

酒々井町という平凡な田舎で生まれ育った私は一橋大学商学部在学中、ストックホルム商科大学留学。そこでストックホルム貴族達の有色人種虐殺計画を知った。

帰国後、大学卒業叔父の家に居候しながら1年間勉強神戸大学医学部医学科に進学。大学卒業後は初期研修に進まず基礎の道へ。

結果的にはストックホルム貴族達の不興を買うことを恐れた教授たちから追放されサナトリウムに拘束された。

活動開始後に知り合った男性の父はストックホルムの息のかかった医師から毒物(SGLT-2を阻害し血糖値抑制すると謳っているが、実際にはランゲルハンス島活動抑制してインスリンの分泌異常を促し、膵管内における悪性腫瘍増殖と他臓器や骨への湿潤を促し死に至らしめる薬剤である)を投与され膵臓癌に犯されていた。

ここまで来て初めて彼は私の元に助けを求めてきたが、ここまで来ると既にどうしようもない。

私はせめてもの延命を行うため、酒々井町で収穫された新鮮な青梅と氷砂糖を瓶詰めにしたシロップ炭酸水で割り、それを男性の父に与えた。

彼は当初既に殆ど食事ができる状態ではなかったが、梅シロップ炭酸水割りと処方薬断ちにより徐々に軽快し、最終的には医師からの余命診断(実際には計画に基づく死の予定日)を大幅に超える4年を自宅で健康に過ごし、最後心不全によって眠るように亡くなられた。

これと対照的であったのが、酒々井町酒々井中学校同級生であり千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進学した私のかつて交際していた女性である

彼女栄養士として働き、夫と幼い子供幸せ生活を送っていたものの、計画子宮頸がん発症最後ステロイドを過剰投与され死に至った。彼女の無念と死は工作員を通じてストックホルム貴族達に報告され、彼らの晩餐会における肴となったのである

この醜悪な現実に対し、ベルナドッテ家は人間としての良心から怒りを感じているようではあるが、立憲君主制スウェーデンにあって外国出身君主の力など狡猾で老獪、かつ軍産複合体金融資本と結びつき力と金も持つストックホルム貴族達を牽制するには遠く及ばないのであろう。

これがベルギーのサクス=コブール=ゴータ家のように欧州屈指の財産(この財産レオポルド2世の血塗られたアフリカ政策によって築かれたものであるということには注意)を持っているならば貴族議会軍産複合体牽制することもできたのであろう。

いずれにせよ、北欧至上主義に基づく人種政策地球規模で推し進め、ストックホルム世界体制を維持しようとするストックホルム貴族達をなんとしても挫かねばならない。

そして私たちの子供の命を守らねばならない。

これは善良な日本人ならば誰もが負う義務であろう。

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