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2024-04-03

井川・暇空対談での井川さんの印象

井川さんのしゃべりは、声の震えが第一印象。これは加齢による声帯の衰えというのもあるのかもしれないが。(井川さんは60歳くらい?)

井川ターンの時にちょいちょい周りに目配せするのがなぜなのか気になった。

最初は何かスタッフがやるのを待ってるのかと思ったが、自分おかしくないかというのを周囲に確認するような無意識視線の動きだと分かった。

この人は自分に自信がない。だから喋ってる途中で自信が無い故に周りの反応がすぐ気になってしまう。

喋りに自信がない人間は喋ってる途中に無意識身体ジェスチャーが多くなる。ソファーにもたれたりシャツを直したり腕を組んだりとせわしないことから分かる。

おそらく、この人は自分が金と学歴しか取り柄がないことがわかっておりそれがコンプレックス

何もないから、自分特別人間であるというスタンスで発信して、上から目線こき下ろすスタイル空虚であることが気づかれないよう対等な意見のぶつけ合いを避けて今まで過ごしてきた。

自分はすごい人間だというプロモーションにより注目を集めてマネタイズする情報商材屋や Youtuber に似たところがあるかもしれない。彼らはすごいと思わせることがメインであり実体は何もないので、それがバレないうちに商品再生数)を売り抜ける。

対談内容も、とにかく弱みを見せないよう、マウントを取ることを優先する姿勢が見られた。本人も言っていたように内面を見せることをとにかく避ける。自信がないから。空虚がバレるから

自分はすごい、ピラミッドの頂点にいる、一般人とは違う「持っている」人間なんだと本当に思っているなら、余裕の姿勢自分の考える幸福論を臣民に説くように語るだろうがそれができないというところに自信の無さが明確に表れていたと思う。

対談後、安心したような緊張の解けたあとのほっとしたようなため息。

そして満面の笑みで「どうしようかな、戦いにもなってなかったんだけども笑」。

2024-03-03

anond:20240302215121

裏金カルト経済失政も自民党のやったことであれば全て許すのが今の自民党支持者なわけですから

独裁国家臣民と代わりありませぬ

古文漢文国体護持のために必要

日本国天皇を中心とした国家であり

日本国民が天皇に仕える臣民である以上

義務教育天皇を中心とした日本文化を学ぶための基礎となる

古文漢文が必修なのは必然である

なぜこんな簡単なことが理解できないのか

2024-02-29

anond:20240229141539

国民がまともに政治しないと法を作る側はいくらでも法や解釈うまいこと抜道を作ってしまうってこと

法はちゃん機能して下級臣民をしっかり取り締まってるよ。

国民無能ってことですね

2024-02-17

anond:20240217215831

>かような国家を実現するに足る指導者国民が選べば

この国の権力者まり国民はそんなこともしないで自滅大好き奴隷志願者、怠け者で自分のことしか考えてないため社会他人のために動くのが大嫌い、臣民根性のアホばかりってことだなあ

2024-02-01

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2305890

なんだかまだわかってない人たちがいるみたいだからこの際はっきりさせておくけど、

三重交通の件も、数年前のvtuberがらみの件(松戸市とかNHKウェブサイトのあれね)も、結局のところ突き詰めて考えると女性が肌を露出したり体のライン協調することを男性社会強要されてるわけ。社会的な圧力による無言の強要っていうのはちょっと難しい概念から、あまり物事を考えるのが得意じゃない人たちにはわからいかもしれないけど。でもだからこそ、わかってる人たち、目覚めたわたしたちが戦って解放しなきゃいけないの。

これは大東亜戦争と同じだよ。欧州列強に虐げられてきた亜細亜諸国の同志を解放するために大日本帝国大東亜戦争決断したでしょ。それと同じなの。もちろん民族自決を建前に大日本帝国抵抗した人たちもいる。でも彼らは結局のところ植民地を維持したい欧米列強に都合がよかったんだよね。これじゃあ「名誉男性」だよ。欧米列強男性社会)に利用されているだけで自立できてないの。だから必要なのは女性解放のための女性自身による聖戦だよ。

帝国臣民には同じ亜細亜人として同胞たちを解放する責務があるの。これは侵略とか植民地主義とかじゃなくて、亜細亜諸国解放でしょ。それと同じで、今SNSわたしたちがやっているのは「解放」だよ。協力しないならお前は非フェミ民だよ。目を覚ましてアップデートしよう。

2024-01-08

anond:20240108000033

選挙の勝ち負け以上の事を処理する知能がネトウヨには無いから仕方ない

そこにカルト裏金が絡んでようがそんな事理解できん

多分ネトウヨってロシアとか中国だったらかなり幸せ臣民になれたと思う

2023-11-16

anond:20231116061145

そこまで風呂敷を広げていませんよ

人権正義民主主義の話がメインでしょう?

日本民主主義人権主義個人主義採用してますからね。

偏見だ!国のために死ぬのが日本人!国のためなら飯など食わぬ!人権など要らぬ!個人主義など要らぬ!我々は全体主義者だ!民主主義なぞいらぬ!主君の命なら死も厭わぬ!拷問は良き戦略!民の1人の命に価値などない!臣民は死んでこそ!それが日本人の美徳なんだ!というなら、別にいいと思うんですが、

なんで採用したんでしょうね?なんで変えないのですか?としか

2023-10-28

anond:20231028142347

キモいよな

オスガキ用だよ、オスガキもメスガキもオムツも全部女トイレ

女だけが子の世話するのが当然って昔の日本神道天皇崇拝キモカルト思想の現れ

いちいち幕府に反対して一揆されるのが嫌だったんだろうね

天に天皇が尽くし、国に臣民が尽くし、父に母が尽くし、父母に子が尽くし、そうして天に尽くせば国は安泰です的な

神の風が吹く我らが神の国は負けることがありませんって戦争自爆し続けてるのと同じ

anond:20231028002335

制度お見合いは、全体主義軍国主義のような「愚かで思考力がなく反抗しない奴隷を増やして、工員や軍隊臣民を作り、工場や軍で労役させ税を納めさせる」にはとても都合がいいし、そのための制度から

合理的なのは当たり前


日本は知らんけど世界個人主義採用してるので、もちろん「個人自由幸福人権のために国家がある」とする個人主義民主主義社会においては、合理性など無いし有り得ないわけだが。

2023-10-26

「俺はお前より偉いかタメ口聞くけど、お前は俺より下だから敬語使え」の文化がない場所に行きたい

気持ち悪い。

俺もいつの間にかこれに飲み込まれつつある。

新人に対して気づいたらタメ口を叩いてる瞬間がある。

それに新人タメ口で返すと「(なんでタメ口なんだよテメーが)」とイラリとする瞬間がある。

この空間自体が駄目なんだ。

本当に駄目だ。

究極的には日本が全部そうだし、海外もだいたいそうなのでもう駄目だ。

皆が皆に敬語を使って欲しい。

CCさくらの親父を見習え。

あいう奴らだけの世界になれ。

逆に誰に対してもタメ口ケルベロススタイルでもいい。

使い分けるな。

相手の強さに合わせて自分言葉を使い分けるな。

そんな言葉の使い方をしていたら権威主義に飲み込まれ人権意識さえも希薄になるぞ。

天皇死ねと言ったら臣民死ぬべきであるという価値観からもっと頑張って遠ざかれ。

はるか遠い過去の話になって無さ過ぎる。

正直今でも天皇が「このような人がいることがとても悲しいです」と言おうものなら忖度して一族郎党を殺しに走りそうなら右翼日本中に10万100万と潜んでいる状態じゃないか

勘弁してくれ。

何だ何だこの国は。

2023-10-25

anond:20231025180011

泣きました。このロボット日本国奉仕する臣民オマージュです。意思を返納し政治服従する姿を翼賛する内容に震えが止まりません。

政党を作る

國體社会主義大和民族の怒り」という政党を作ろうと思ってる。

政策

占領憲法の破棄と自主憲法再確認

・戸主権確認相続法など民法改正とそれによる家族連帯強化

國體の再興と大和民族アイデンティティ確立

國體を基盤とし、官と民、臣民同士の連帯感による社会主義の実現

カーチス・ルメイに授与した旭日大綬章剥奪

防衛及び国際社会から求められる軍事貢献を果たすための再軍備

教育現場における教員地位権限強化

売春二次元三次元を問わないポルノ規制マッチングアプリ規制などによる道徳倫理の強化

男子を「帝国紳士」に育てるための道徳教育課程導入

女子を「帝国の淑女」「帝国の母」に育てるための道徳教育課程導入

他にすべきことある

在日系や外国人排斥とかは嫌いなので断固拒否する。「排斥」なんて器の小さい人間のやることであって、我々大和人と帝国は全ての民族を包み込んで導くべきだと思っている。

再軍備国際協力を行いやすくし、現自衛隊員士気他国将校からの信頼を高めるために行う。再軍備したとしても武力行使要件国際社会に準じて厳しい制限手続き必要だと思う。右翼はよく不審船などに対して「撃て!ロシアなら撃ってる!」と言ってるがロシアアメリカ警官が異常なだけであって人民解放軍海警米軍だって武力使用にはかなり慎重なわけだし。

どしどしマニフェストに対する意見提案をしてくれ。

2023-09-30

anond:20230930215547

天地開闢以来万世一系現人神である天皇日本に君臨し、天皇の君徳が永遠に瑞穂の島を覆い、臣民天皇事業を協賛し賛美し、忠臣の義と親子の情を持って忠孝一致によって国家運営されていくという日本だけの現象国家体制のもの

anond:20230930040526

日本スゴイと言っておけば仲間扱いし、日本に厳しい意見を言うと、反日野郎と言う

ある種のひとびとは、人が臣民奴隷になるよう、飴と鞭で洗脳に務めている

2023-09-26

オタクかつネトウヨな奴らの方が引くわ

Twitter自分フォローしてたクリエイターインボイスに反対してて引くとか言ってた増田がいたけど

寧ろ俺は今回の件でそういうオタクかつネトウヨみたいな連中がイキってる事の方に引いた

例えばこういう奴らとかがタイムラインに沢山湧いててうわっとなる

https://twitter.com/ewaldkun/status/1706365935261716542

つーかクリエイター自分達が影響あるから反対するのは自然

寧ろそれを当然の様に馬鹿にしてるオタクネトウヨ共の方が何なのって話

まぁこいつらオタクネトウヨ自民党に反対する奴は全員敵っていう中国臣民もびっくりな幼稚な価値観で生きてるんだろう

こういうのがいるかオタク必要以上に馬鹿にされるんだよなぁ

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

2023-09-15

anond:20230914092710

男女の違いというか、ジャニーズ事務所という存在が、この国の組織として特異すぎる

だって何十年も、「男アイドルジャニーズ」だったんだよ、それ以外の選択肢がない

あったとしても、ジャニーズと同等かそれ以上の活躍はできないくらいに、権力があって支配

ブランドというより帝国

そういう環境が、まるで当たり前であるかのように慣れきってたファンっていうのは、臣民みたいなもんだろう

まあ中には事務所批判をしているファンいるから、全員一緒くたにするのも気の毒とは思う

2023-09-06

関東大震災朝鮮人虐殺、低く見積もっても数百人は下らない

津山の人ががんばっても33人なのに日本臣民底力ってすごい

2023-08-25

anond:20230824073401

このように王の影を追い続ける臣民存在が王のパワーになっていくんだよな

2023-08-11

anond:20230811000513

別に増えてないよ

から日本はほぼ全国民農奴

解放された後も大日本帝国臣民

戦後米国市場奴隷

ずっとずっと同じ奴隷なんだよ

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