はてなキーワード: 否定論とは
プーチン大統領 軍事作戦実施表明 “ウクライナ東部住民保護” | NHKニュース
モーリー・ロバートソン on Twitter: "先ほど「スッキリ」をご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。以下、ウクライナ情勢に関する一問一答を列記します>>"
だめだからねこの人の言うこと信じちゃ。軽々しく次は日本ていって危機煽るやつはみんなバカ/追記:危機時に根拠のない仮説を立ててばらまくと必ず間違った判断下します。冷静にならなくてはいけない。
侵略でなくアジア解放だと主張し、それを「歴史戦」とやらで一生懸命に広め、この主張のアシストに長年努めてきた方々が本邦にも多数いらっしゃいますよね。彼らの根本思想に大きな違いはない。
だから台湾を殴るぞと。これ、プーチンに、9条否定論を仮託して調子乗ってるウヨと発想が全く同じでなあ・・・。便利だよな。「攻めれる前に攻めろ」と、「自衛のための戦争」論を一度に口にできる。
このブコメ欄含め"ほら国際社会はこうなんだ!早く改憲してフルスペックの戦争準備を!"みたく国際問題を国内の左派を叩く好機としか見ない連中が沸いてるが、改憲しても中国の軍拡加速のいい口実にしかならんでしょ
で、これを賛美している日本の愛国ウヨども。外交なんて無意味だ、武力で脅せ!といきり立ってる人たちには、他人の戦争はさぞかし美味しいイベントなんだろうな
これ調べたらソースのOVD Infoってアメリカから資金供与を受けてる組織なんだよな。アメリカ系組織「ロシア各地で反戦デモやってる人たちが拘束された!」→流石に嘘くさい
アメリカの核の傘に入ってるうちは自国で核兵器持つ必要はないかな。中国に侵略されて米軍がさっさと逃げ出す状況なら日本も下手に抵抗しないでさっさと降伏した方がダメージ少ない
志位和夫 on Twitter: "憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです。"
まぁ9条無い状況で通算9年もアベ氏に首相やらせてたら、国内のウヨを煽りすぎて引っ込みがつかなくなり隣国とドンパチ始めてても全くおかしくないからな。
そのとおり!日本は安倍のような無法者がトップに立ったことがある歴史を直視しろ!9条がなかったら自衛の名のもとに中国を攻撃した可能性は十分にある!
【動画】これ、全部フェイクです。ロシアのウクライナ侵攻めぐる誤情報にご注意を! | BuzzFeed Japan
youtubeでキエフ市街地のライブカメラ生放送やってるけど、今の所中心部は自動車も走ってるし、大きな被害もない。ただし、チャットが9条憎しでプーチン支持してるアレの棲家になってる
ロシアって国家かと思ったらテロリストだったんだ。最初から交渉しちゃいけない相手だった。1.4億人のテロ組織って半端ねえな。ところで、ロシアが風下なんじゃないの?
松井一郎(大阪市長) on Twitter: "志位さん、共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰ってたのでは? https://t.co/WMqoGYkZuj"
相手の言ってないことを藁人形にして叩く定番の右派ムーブ。ウクライナに9条はないし、有ったらむしろ攻め難かったのでは。コロナ+紛争のW参事でやることが政敵への難癖…せこい汚い。
「現代では戦争なんてやるだけ損だから誰もやる訳がない」って皆思ってたよね
弁護士しのだ奈保子🕊️(立憲民主党道7区総支部長) on Twitter: "世界的にみれば、日本は過去には、今のロシアのように加害者であったし、今はいわゆる前科者です。その国が、日本も侵略されたらと被害者的立場で、過去の侵略者に逆戻りするかのような軍事力増強や核武装を今声高に主張することは方向が違う。憲法9条を世界に広めることこそが日本の役割です。"
これに反発している連中は、何に反発しているのか理解しているのだろうか? まぁ、兵器軍隊というおもちゃで遊べない鬱憤があることだけは、見て分かるわけだが(自分は兵隊にならない前提でね)
日本の右翼に「反省」の二文字が有ればまだ違った世界になってたろうに、これについてるリプ見る限りはお寒い状況は変わらずか…
中国総領事がツイート「強い人に喧嘩を売るな」 台湾や日本を牽制か(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
中国総領事のこのツイート、憲法9条Disりたくてたまらん自称リアリスト君が今回の事態を前にSNSに嬉ション垂れ流してるのと同レベルなんだよなあ。権威主義を刷り込まれた木偶共の行き着くところは変わらんねえ。
ロシア大使、日本に対抗措置 ウクライナ大使は中国に期待:時事ドットコム
いや、それなりに武装しているウクライナが、抗戦しても全く歯が立たずに悪戯に国民を死なせてる現状を右翼はどう思ってるの? 靖国に逝けてよかったね、みたいな感覚なの?キモっ。
昨日から「ほら見ろ、ロシアが攻めて来るぞ。護憲派は退場しろ」な人が元気だ。軍備増強、核軍備のためには、むしろ北方領土ぐらいには侵攻してきてほしいのかもしれない。「ほら見ろ」って言えるし。
今回の件は簡単で、ロシアはウクライナがNATOに加盟するのを嫌がったのだから、軍隊を持たない状況なら侵攻はしてこなかった。たぶん政権の買収を延々続けていただろう。
9条を守って無条件降伏に賛成。弱者男性は戦争が無くても性淘汰されるし、女性は侵略者へ股を開けば生きられる。戦争で命を賭けて戦う意味って、強者男性にしかないのでは。
「プーチンありがとう。戦争始めてくれたおかげで憲法9条攻撃出来る!」みたいな醜いクズが予想以上に沢山湧いてて昨日からめちゃくちゃ引いてる。
CDB on Twitter: "もうなんかまるでウクライナが平和憲法を持つ非武装国家だから侵略されたみたいな空気で論じてるにゃんね。徴兵制復活させて対ロシアにバリバリ軍拡したのにそれでもやられたにゃんね https://t.co/Uq4XXl48KA"
武力を用いた侵略をしないというのは、無駄に戦争・死地に駆り出さないということにつながり十二分に国民のためであるな。細野は視野が極めて狭く、政治家の見識として不適当。
いや、これは違う。日本の安全保障を考えるわけでもなく、サヨク叩きに邁進したいだけよ。そういうのは右翼ですらなく、反サヨクっていうんだけどね。細野氏はその程度の人材だったというだけだ
状況的に見ればどちらかと言えばむしろ平和憲法持たずに軍拡してNATOに参加しようとした結果戦争になったんだから、彼らが妄想する世界とは真逆だよね。NATOを無視していればこうはならなかったというのが基本的な見解
(再)ウクライナ侵攻で和リベが終わる
「国内の左派を皆殺しにしたい」という願望以外何もない糞エントリー。国内から左派がいなくなれば好き放題弱者を攻撃できるからな
もういいんじゃねえの。どうにでもなればいいよ。改憲して20代全員徴兵しろ。日本人なんて戦争大好きなのが本質で、その痛みが忘れられたらどうなるか、繰り返す歴史が教えてくれる。俺は逃げる。
ロシアの反戦デモ参加者とウクライナで逃げ惑う市民と連帯します。両国政府はともに命の簒奪者。正義に狂って殺戮大好きな本性を丸出している日本人は頭を冷やせ。
サンモニ「ウクライナは一方的な被害者でもない」「コメディアンが大統領に選ばれる民主主義の末路」 : 痛いニュース(ノ∀`)
政治は結果責任というなら、西側諸国の出方を見誤ったゼレンスキーの失政の責任は大きいよ。でもロシアが先制したことで善悪二元論にハマって思考停止するから、当たり前の話が通じない。
このニュースについて。
ウーピー・ゴールドバーグさん ホロコースト発言で出演停止に | アメリカ人種差別問題 | NHKニュース
私は増田ではホロコーストオタクとして有名な人だ(自分でそう思ってるだけだ)が、ホロコーストって調べれば調べるほど深くて広くて細かくて、どんなに学んでもその難しさが一向に消えないくらいの難しさがある。どっかで読んだ話では、どんな歴史学者でもホロコーストの全てを知ることは無理と言われるくらいだ。
私のホロコーストに対する関心部分は偏っていて、否定論にあり、否定論の理屈を反論・批判する部分に特化しているわけだけれども、ホロコースト否定論の中心となっている欧米の否定論者は否定論を主張することを商売にしているプロなので、情報量があまりに多いため、それを調べて反論する方も大変である。欧米にはそれを細かく反論する人たちもいるので、そこを参照すれば済む部分も多く助かってはいるが、一方で知らないことも多いのでその否定論に対する反論の内容がよくわからない、みたいな悩みもないわけでもない。
そのホロコースト議論(否定論に関係ない部分も含め)で難しい部分は色々あるが、当時の一般的な認識を理解するのが難しいというのがある。何故、ナチスドイツ=ヒトラーは「ユダヤ人」を絶滅させようとしたのか? は、簡単なようでこれに答えるのはなかなか難しい。
この問題については、様々な角度からの検討がなされており、現在では明確なユダヤ人絶滅計画はそもそもなかったのではないか? とすら言われているようでもある。否定論者がうるさく言うように確かにヒトラーのはっきりした命令書や、ユダヤ人絶滅を命じたと言う明確な証拠は残っていない。もちろん、間接的な証拠はいくらでもあることは言っておかねばならないが、ユダヤ人問題の最終的な解決を最初に言い出したのがヒトラーではないことだけは確かなのである。
「ユダヤ人」って、何かわかりますか? これ、なかなか簡単に説明するのは難しいのです。単純な説明だと、ユダヤ人=ユダヤ教徒、でありそう思っている人も多いだろうし、間違いでもありませんが、ナチスドイツは「ユダヤ教徒=ユダヤ人」とは見做さなかった、と言われたら「え?」となる人もいるのではないでしょうか。ナチスがドイツの政権を獲得して2年後に発布された「ニュルンベルク人種法」、すなわちユダヤ人の公民権を明確に剥奪した悪名高い法律にはこう書いてあります。Wikipediaからコピペします。
4人の祖父母のうち3人以上がユダヤ教共同体に所属している場合は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」[18][16][3]。
4人の祖父母のうち2人がユダヤ教共同体に所属している場合は次のように分類する[18][3][16]。
ニュルンベルク法公布日時点・以降に本人がユダヤ教共同体に所属している者は、「完全ユダヤ人」
ニュルンベルク法公布日時点・以降にユダヤ人と結婚している者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」
ニュルンベルク法公布日以降に結ばれたドイツ人とユダヤ人の婚姻で生まれた者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」
これを読めば分かる通り、ユダヤ教徒=ユダヤ人なのではありません。「本人の信仰を問わず」とはっきり書いてあります。この法律でこのようにユダヤ人の範囲が定められたのには理由があって、そもそもユダヤ人とは何か、定義すらなかったのです。そこで、「血さえ繋がっていたらユダヤ人だ」と極端なことまで主張する人も多かったのですが、そんなことを言い出すと、ユダヤ人の範囲が膨大な人口に膨れ上がり、影響が大きくなりすぎるため、その範囲をできるだけ狭めたのがこの定義です。野放図にユダヤ人を認めると百万人をはるかに超える人口になったのが、このニュルンベルク法の定義により77万人程度に収まることになりました。この定義でも、まだまだ十分ではありませんでしたが(有名なヴァンゼー会議では、その大半がユダヤ人の範囲について確認の話だったようです)、要するにユダヤ人をなんとかするべきと考えながら、ユダヤ人がなんであるかはっきりと知っていたわけではなかったのです。
自身の信仰を変える人はそうは多くないので、アバウトには「ユダヤ人=ユダヤ教徒」は遠からず合っているとは思いますが、少なくとも当時は人種、乃至は民族と捉えられており、ユダヤ人だけでなく、ロシア人はスラブ系民族、ドイツ人はゲルマン民族でありアーリア人などと、人種・民族として人間が区別されると考えられていたのです。この辺から話が難しくなっていくので、私にもそんな難しい話はできませんが、人種間で優劣があると考えられるようになっていたのです。その背景には、科学の発達があり、進化論があります。人種・民族の優劣は進化によって決定され、遺伝的なものであると考えられるようになっていたのです。広義的な優生思想ですが、狭義的には安楽死作戦(T4作戦)で障害者を殺したのははっきり優生学として考えられたからです。
そして、ユダヤ人達は歴史上、古くから色々と差別を受けてきたわけです。大きな話としてはキリスト教の発達と共に、ユダヤ人は社会的な差別を受けることが多くなりました。ユダヤ人が「ゲットー」に住まわせられたのはナチスドイツが初めてではなく、中世にもありました(ただしナチスドイツ時代ほど悲惨なことはなかったようです)。しかし、近世代に入ってユダヤ人に対しての偏見として大きな意味を持つようになったのは、ユダヤ人には富裕層が目立つことでした。これには理由があり、歴史的に金融的な仕事は卑しい仕事としてキリスト教社会では規制されていたのですが、ユダヤ人には認められていたからです。ところが、それによりユダヤ人(の一部)が富裕となると、資本主義の発展と共に、ユダヤ人の影響力が大きくなり、20世紀初頭、影響力の大きかった偽署『シオン賢者の議定書』に代表されるように、ユダヤ人が世界支配を企む陰謀者だのようなことまで言われるようになるのです。ヒトラーも相当程度、『シオン賢者の議定書』を信じていたとされます。そして、ドイツが第一次世界大戦に敗れ去って、不当に領土を奪われ、膨大な賠償金を課せられて国が酷いことになったのも、ユダヤ人のせいだと思われるようになったのです。こうした、社会的な悪影響をユダヤ人のせいにする考えは欧州では広く当たり前のように行われていたのです。ヒトラーもその一人だったに過ぎません。
ホロコーストが何故起きたのかについては、以上のような背景事情を認識する必要があります。だから、例えばユダヤ人を根絶させるためにユダヤ人に対する不妊治療まで行われました。ユダヤ「教徒」を問題にするならば、単純に日本がキリスト教にやったように禁教にして仕舞えばいいのですが、そんなことはしませんでした。ユダヤ人はあくまでも「人種」だったからです。ユダヤ人は特徴的な外見を持っており、当時はその外見的特徴をやたらに強調した差別広告も珍しくなく、またユダヤ人の識別図まで公式に作られたのです。これによって、ユダヤ人ではないのにユダヤ人と間違われて収容所送りになる人さえいました。ナチスドイツはユダヤ人排除政策として最初は、ユダヤ人のシオニスト(ユダヤ人の国を作るべきと考える人)と協力してユダヤ人のパレスチナ移住を推進しましたが、途中でやめています。何故なら、それではナチスの管理外にユダヤ人を温存させることになり、将来的な憂慮すべき問題として残ってしまうからです。イスラエルは欧州に近すぎると言うのもありました。だから、マダガスカル計画にように可能な限り遠くの土地に強制移住させることまで考えたのです。結果的には戦況の悪化と共にそれも不可能になり、ドイツ支配地域内で虐殺するしかなくなってしまいました。
それもこれも、ユダヤ人を人種として災厄の元凶=悪と考えたからです。未だにそのように考える人は後を立たず、反ユダヤ主義が絶えたことはありません。ウーピー・ゴールドバーグが番組を二週間出演停止になった理由は、人種問題が黒人・白人間にしかないのような印象を与えることを述べたからだとされているようですが、だとするならば、もちろんそんなことはありません。白人至上主義者の多いアメリカでは、同時にその白人至上主義者の多くは反ユダヤ主義者でもあり、ホロコースト否認論者もかなりいます。その根底にあるのはあくまでも、ナチスドイツと共通する「人種差別」であることは間違いありません。
個人的には、「人種」という考え方にはほとんど意味がないと思っています。不当な差別を生むばかりの概念であり、悪影響しかないのではないでしょうか? 極端な言い方ですが、人種が違っても、人間でありさえすれば基本的には交配が可能なわけですから、こうした「混血」の存在こそ人種という考え方は誤っている証拠ではないか? のようにさえ感じます。
死刑制度が無ければ、自分の大切な人間を殺した人間に報復しても制度に殺される心配が無いから、廃止した方が良いやん?
……というのは冗談だけれども、「復讐したい」という気持ちと「死刑という制度への反対」は同時に成立し得るわけで、その二つを直結させるのは、ちょっと飛躍があるよ。同じく、死刑制度存置派が悪でリアリストで、死刑制度廃止派が善でグローバルスタンダード、みたいな思い込みも、ちょっとものごとを単純に見過ぎているよね。
個人的に感じる、そもそも漠然と「人を殺すこと」への忌避感は、「死刑だ!」と叫ぶ人の中にも当然あるわけだよね(だからこそ殺人に対して過剰に反応するわけだから)。だから、「人を殺してはいけない」という規範と整合的なのは、むしろその「人を殺したくない」という気持ちであって、制度をそちらに寄せて設計するというのはそれなりに理には叶ってると思うんだよ。死刑制度が必要と叫ぶ人は心の中では、周囲が蛮族しかいない状況で暮らしていて制度的にそこまでキツく縛らないと誰もが人を殺しかねない、と感じているのかもしれない。……まあ、昨今のニュースを見ていると、ここが蛮族の地であることを、いまいち否定しきれないけれども。ただ、安心を求めたいのは分かるとしても、それはいわゆる「お気持ち」であって、本当にそれが制度としてベストなのか、っていうのはまた議論の余地があると思うんだよ。
たとえば、いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか、まさに「現実的に」考えて疑問に思うことはあるよね。どちらかというと、「人を殺したら自分が殺されるから利益が無いな」と考えて殺人を止めるという思考はほとんどサイコパスの(=極端に合理的にしか物事を処理できない)それであって、一般的な人は、よほど追い込まれたか自暴自棄になって殺人を犯すんじゃないだろうか。だとしたら、「死刑がある」から歯止めがある、という論には説得力がないよね。まあ、「自殺したいけど自分で死ぬのは怖いから死刑になるような犯罪をやりました」とかいうとんでもない人間がいる時点で、歯止め論は破綻しているんだけども。
いわゆる凶悪犯罪(殺人も含めた)を犯した人が社会に戻って、再び刑務所に入る確率って、だいたい1~2割だと言われている。やっぱり1~2割のヤツは凶悪じゃん! て思うだろうか。それとも、刑務所帰りの人にそれなりに冷たい社会であるにも関わらず、凶悪犯罪をする人だって、状況が違えば、あるいは、適切な教育を経たなら、8~9割の人は殺人なんかしない人だった、と考えるか。これは、半分水が入ったコップを眺める楽観論者と否定論者の議論のようなもので、取りようによって見方によって異なるのかもしれない。けれども、これが(すぐ隣にある)死刑囚にも延長して考えられるなら、少なく見ても「死刑」になる人の7~8割は、状況が違えばそんなことしなかった、「普通の人」なんじゃないだろうか、と推測することは可能だ。まあ、そういう風に考える人も世の中にはいるという話として聞いて欲しい。
……自分自身が、生まれつきそんなこと考えるほど楽観的な人間観をもっていたわけではないんだけど、上のように考えて実際に行動に移す人が世の中にはいるんだよ。そして、多年にわたる行動の結果、「どう考えても救いようなんてないヤツ」としか思えないような言動をしてた死刑囚から、真人間のような言葉を引き出すのに成功したりもしている。いや、そんなことお前にできるのかと言われても、普通にできないと思うよ。でも、出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。実際やってる人は強いよ。死刑制度というのは、そういう人や考え方を否定する制度だと思うんだよね。それって、おかしくないか。
よく言われる「遺族感情」というヤツ、これもくせ者だと思う。遺族感情って何だろう。遺族は全員「復讐」を望まなくてはいけないのかな。復讐を望むことだけが「正しい遺族」なのかな。なんでそれが決めつけられるのだろう。だって、物語とかなら誰だって言うじゃん、「復讐は何も生まない」とか「復讐にとらわれるのではなく、お前の人生を生きろ」みたいな。で、大体においてそれは正しいよね。現実世界でも同じだと思うんだけど。警察があり裁判制度が整備されている現代では、(死刑制度の有無は別として)不公正な行いに対しては社会的に処罰が行われ、個人的な敵討ちをする必要がなくなっている。それは何よりも、「復讐」から個人を解き放つことが社会としては「正しいこと」だと考えられているからじゃないかな(だから、冒頭の話は私の本音とかではなくて、ただの冗談だよ?)。死刑を存置する理由として「遺族感情」をもってくるのは、個人的には危うい理論だと思う。そもそも検証できない一時の感情を絶対の事実のように語って全体の制度の前提にする危うさ。だから「遺族感情」論にも説得力を感じない。実際に遺族になってみないと分からないし、自分がそうなったとき何を感じ何を望むかは分からない。少なくとも、誰かに勝手に自分の錯綜する内心を決めつけて欲しくないとは思うと思う。
そして、もう一度「更生」に関する話に戻るけど、そんな手間を一人ひとりにかけていられるわけないじゃん、って「リアリスト」的な方々から反発の声があがることも予想できるんよ。でもちょっと待って。それって「余裕が無い=お金がない」という、ただそれだけの話だよね。じゃあ、死刑賛成派のリアリストは、「悪いことしたからお前ら死んで」と言うフリをしながら、本当は「いや、お金がないからお前死んで」って言ってるってこと? それってひどくない。何よりも、そもそも「殺人は(理由のいかんを問わず)許されざる罪」というのは、死刑賛成派の大義名分だったのではないのか。そして、百歩譲って「その殺人の罪が余りにも重いがゆえに、死をもってしか購えず」というのが死刑肯定の最後の妥協点であるはずではないの。なのに、いつのまに「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってんの? それ、お金目当てに強盗殺人とか犯した犯罪者の言い分とどれほど違うのか教えてほしい。そんなこと言う人間に、誰かを裁いて死なせる権利が本当にあるの。自称「リアリスト」による死刑賛成論にも、こうして同意はできないことになる。
そして最後に、これは同意されるかどうかは分からないけど、「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。明治、大正、昭和と近代史を勉強したせいかも分からないけど、ものすごく大雑把に言うと「国家」だって運営しているのは人間なので、とても未熟な人間がやらかしがちな誤りを犯すことがよくあるんだよ。善意でつくった法律がとんでもない運用をされて混乱引きおこしたりとか、末端の人の過大解釈を引きおこしたりとか、それによって取り返しの付かない傷を国家が負ったりとか、そんな事例が山ほどあるのね。その中でも特に致命的で取り返しの付かない被害を引きおこしかねない制度が「国家が国民を直接殺せる制度」なんだよ。たとえ獄中であっても、生きていれば、体制がまともになったときに再び戻ることもでき、取り返しがつくこともある。だけど、死んだら全て終わりなんだ。その意味では、余談になるけど、東京裁判で戦争犯罪人を死刑にしたのも、本質的には誤っていると思ってる。東京裁判自体が勝者の裁きであり……云々という話もそうだけど、彼ら戦争犯罪人に真の意味での「責任」があるかないか、生きて語らせた上で、占領終了後に改めて日本人自身の手で検証をさせるべきだったと思う。危険だと言うなら、終身刑として、検証まで徹底的に隔離して置けばよい。彼らを死刑にしたのは、復讐と、象徴的行為(つまり見せしめ)と、それから一歩踏み込んで言えば、別の責任者を免責するためという、きわめて政治的な行為だったんだろうね。戦争をきちんと精算しきれていない、という問題は、そのせいで今も日本に残る「疚しさ」という課題になっている。まあ、多少の「疚しさ」がある方が結果的には全体として健全さを保てる、という見方もあるから、そのことを100%否定したいわけでもないけどね。
まあ、まとめると、元々あった漠然とした「人を殺すことは正しいのか?」という疑問、更生に関わった人の記録、制度的矛盾への気づき……などから、20代半ばからゆるやかに死刑には賛成できないという立場になったという感じ。死刑賛成論が、純粋な正義感から発していることは重々理解する。けれども、今のところ「消極的に、現状を追認し、急激な変化への対応を先送りする……」以外に、現代において死刑を存置すべき理路が全く見当たらないんだよね。というわけで、質問に答えたので逆に教えてほしいんだけど、死刑を存置すべき、何か自分には想像もつかないような理路が他にあるのかな。それとも「死刑は行うべし」というのは、増田にとってはもう公理なのかな。
大阪市、米サンフランシスコ市との姉妹都市解消 「慰安婦」像めぐり
https://www.bbc.com/japanese/45755385
日本の右派は、市長や市議、CWJCや彫刻家のホワイト氏にまでも数千通におよぶ抗議メールを殺到させた。
同じ文面の大量の抗議メールは嫌がらせとしてしか取られず、右派在米日本人らが公聴会などで発言しても、常に同じ「慰安婦」否定論を繰り返すばかりで説得力がなく、日本国内の右派へのアピール以上の効果はなかった。
https://websekai.iwanami.co.jp/posts/563
ホロコースト否定論者だったり、
ユダヤ人の欺瞞や嘘がまた明らかになったな。ホロコーストと同じ事が今中国で堂々とやられてるのにまるで非難をしない。これではユダヤはナチスによるホロコーストがなかったと実質認めるようなものだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/372801399/comment/mouseion
関係なくはないけど、この件でアウシュビッツに関する猛批判が展開されたのにもう一つの南京大虐殺については皆も懐疑的なんだと分かるね。いや、これの黒幕は蒋介石で日本軍に罪を擦り付けた説が有力視されてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4666033719371942434/comment/mouseion
何の根拠もなく飯塚幸三は飯塚洋の親族ではないかと言い出したり、
これ見て思い出したけど安倍総理やそのパパ晋太郎氏の秘書務めた人に“飯塚洋”って監禁レイプ疑惑で上級無罪になった奴のパパなんだけど、確か飯塚幸三氏って安倍政権支持者なんだよね。親族でなく偶然?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4667797860698989858/comment/mouseion
これセキュリティシステム解除してたのが問題なんだけど、一番の問題NHKが取材のために要請して解除させてた事なんだよな。この件について謝罪も釈明もないんですか?NHKさんは。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4671733787707738178/comment/mouseion
1 捕.ホロコースト否定論
2 一.江戸しぐさ
7 二.アジア解放
9 投.白人至上主義
控え
・日ユダヤ同祖論
ホロコーストはねつ造であるという言わずと知れた世界的に有名なトンデモ論。ちなみに国によっては否定するとこの論を唱えると逮捕されるので要注意。できれば他のトンデモ説もこれと同様に法律で取り締まってもらいたいものである。
江戸時代には傘かしげ(傘を指したまますれ違うときには傘を傾ける)、時泥棒(アポなし訪問、約束の5分前に到着しなければ死罪)などのマナーが普及していたが、明治政府の虐殺により失われてしまったというトンデモ論。これの恐ろしいところは小学校の道徳の教科書で取り上げられたり、ACのCMで放送されたことである。
南京大虐殺はねつ造であるというトンデモ論。犠牲者の数については意見が分かれているが、虐殺そのものがあったことは否定できない。しかし、自称愛国者達の間で固く信じられている。愛国者であるなら、正しい歴史を学んで国の恥を晒すようなまねは止めて頂きたい者である
原爆は戦争の早期終結のために不可欠だったというトンデモ論。原爆投下はソ連への威嚇のための人体実験であり、決して正当化できるものではないのだが、アメリカ人達の間では広く信じられ、学校の歴史教科書でも取り上げられている。日本人でも信じている輩がいる
アイヌ民族はいない、もしくは先住民ではないとするトンデモ論。アイヌの人々が日本による弾圧や差別によって苦しめられ続けた事実を無視し、現代でも差別の正当化に利用される非常に害悪な思想である。南京大虐殺否定、アジア解放と並びネトウヨの間で固く信じられている。
第二次世界大戦は悪の枢軸国と正義の連合国の戦いであるというトンデモ論。日本軍やナチスの残虐行為は決して擁護できるものではないが、原爆投下、ソ連抑留など連合国も信じられないような悪行を重ねており、単なる正義と悪の戦いではないことは明らかである。また、東京裁判、ニュルンベルク裁判は連合国の悪事に一切触れず、枢軸国だけを糾弾する、事後法で裁くなどの無茶苦茶なもので、その実態は裁判ではなく報復としかいえない。
太平洋戦争は東南アジアを欧米の植民地支配から解放するための正当な戦争であったというトンデモ論。無論、これは大義名分に過ぎない。白人の植民地支配が残忍であったのも事実だが、日本軍の残虐行為も許されて良いものではない。東南アジアの罪のない人々が数百万人犠牲になったこと、現地の人々が戦後自らの努力で独立を勝ち取ったという事実を無視しており、余りに無礼である。日本軍が独立に寄与したというのはあくまで結果論であり、現地の人々の思いを踏みにじってはいけない。そもそも、フィリピンに至っては近い将来に独立が約束されており、この大義名分は一切適応できない。
薩長はテロリストであるというトンデモ学説。歴史”評論家”原○伊○によって唱えられた。何事にも正と負の側面があるにも関わらず、「明治政府は100%悪!江戸幕府は100%正義!」と極端な善悪二元論で歴史を唱えるのは御法度である。
白人がアジア、アフリカ、新世界を植民地化できたのは白人が優れた民族であるからだというトンデモ論。長らく植民地支配や人種差別の正当化に利用された害悪な説で、今でも信じている輩が少なくない。歴史を全体的に見ればヨーロッパが覇権を握ったのは比較的新しく、その発展も中国、イスラムの繁栄があって初めて成り立つものであることは火を見るより明らかである。白人の覇権には地理的要因も多く絡んでおり、白人崇拝は偏狭な解釈であるというしかない。日本人でも右翼・左翼問わずこの論を受け入れている者が少なくなく、日本人は朝鮮人・中国人よりも白人の遺伝子を多く受け継いでいるという新たなトンデモ論を生んだ。
・日ユ同祖論
日本はユダヤ人の失われた支族であるというトンデモ論。明らかに嘘と分かるもので、フィクションとしては面白いのだが、まれに本気で信じている輩がいるので笑えない。
昭和天皇が自らの意志で積極的に日米開戦を推し進めたというトンデモ論。左翼の間で固く信じられている。確かに軍部の暴走を抑えられなかった天皇の罪は重い。しかし、僅かでも日本史の知識があるなら、天皇は日米開戦には反対であったとうことは分かるはずである。東條英機が首相に任命されたのもそのためである
大正時代が短いのは天皇が知的障害者であったからとするトンデモ論。大正天皇は病弱だったが、多くの漢詩を残す、朝鮮語の学習に努めるなど教養のある人物であり、決して知的障害者ではない。天皇をどうしても貶めたい左翼にねつ造された。
余談
最後にトンデモ本を見分ける方法を紹介したい。しかしながら、このやり方は完全ではないため、結局の所大切なのは、ものごとを多面的・批判的に判断し、すぐ「AはBである」と決めつけない慎重さである。またトンデモ論を信じ、発信してしまえばあなたも共犯者になってしまう。情報の受け入れだけでなく、発信の際にも慎重になろう。
・著者の経歴を確かめる
博士号はおろか、大学の歴史科学科すら卒業していない著者もいる。また、学術論文を雑誌に発表していない著者にも要注意である。更にプロの歴史学者にも専門外の分野に手を出すものがいるため気をつけるべきである
例外もあるが、”~のウソ”、”~の真実”、”~の陰謀”、”反日”などの扇情的な見出しには要注意。
・参考文献がない、もしくは一般書ばかり
・出版社を見る
講談社、岩波、中公は”比較的”信用できる”かもしれない”。百○尚○先生御用達の幻冬舎などの出版社には要注意。ただし、原○伊○の明治維新非難は講談社で出版されたものである。
皆さん、そろそろ「ベース電源」て言葉は忘れてくださいの続きというか、コメント増田への返答です。
安田先生は風力屋じゃなくて電力取引市場制度の研究者だよ。あと、引用したコラムは2015年のものなのね。そこから7年経って、太陽光と陸上風力は欧州でも中国でもグリッドパリティ(fitなどの補助金なしのメリットオーダー最上位)を達成しつつある。中国ではこの8月にFITが終了し、純粋なコスト競争力の面でも再エネが最も優位のエネルギーになった。海外の再エネ業界では次のマイルストーンは「洋上風力がいつグリッドパリティになるか」で、風況がよいロケーションなら、既にグリッドパリティの8円/kwh台に突入しつつある。これってどういうことかわかる? 環境正義とか、カーボンニュートラルとか、原子力発電のリスクとかは、もう関係なくなってくんの。正しく設計された電力取引市場では、追加仕入コストがほぼ0のエネルギーに、追加仕入コストに燃料代がかかるエネルギーは絶対に勝てない、ということなんだよ。 火発や原発は、環境倫理ではなく、純粋にコストで再エネに駆逐される。
安田先生の主張が「ポジショントーク」で信頼できないなら自分で色々調べてみればいい。例えばデロイトトーマツのレポートなんかどう?
あるいはwikipediaの「ベースロード電源」項目の英語版やドイツ語版、スペイン語版を読んでみるのもいいかも。日本語版にはない、「ベースロード電源は時代遅れ」という言葉がしっかり書かれている。"baseload outdated"とかでぐぐってみるのもいい。2010年頃から(ベースロード電力需要に対応する)「ベースロード電源という考え方はもう時代遅れだ」という論考がズラズラ出てくる。インテリジェントな電力グリッドと取引市場が整備されれば、ベースロード電力需要はVRE(変動性再エネ)だけで満たすことは理論的に可能だ、という認識自体は、先進国の電力業界ではだいぶ前から常識になっている。日本はこういう議論が10年ぐらい遅れてて、つい最近まで「ベースロード需要はベースロード電源で、ピーク電力はVREで補う」と言い続けてたけど、電力取引市場の導入でこれもだんだん変わってくると思う。
風力発電はコスト的に原子力の1.5倍以上だしもともと需要が低めの冬と夜が良いとなると,市場の余剰電力の飽和が常態化するとかなり設備負担が重くなってきそうだし,供給を絞ってくるように思える.(というか電力市場で売るという想定を立てた場合風力発電はコスト的に成り立つのか?)
これは上でも書いたとおり、少なくとも陸上風力は海外ではグリッドパリティを達成し、コスト的には「成り立つ」ことが証明された。あとは洋上風力をどこまで低コスト化できるかという段階。日本でも、北海道から東北・北陸にかけての日本海の風況なら、洋上風力でもいずれグリッドパリティが成り立つと見込まれているから、かなりの数の開発計画が目白押しになっている。https://mainichi.jp/premier/business/articles/20210421/biz/00m/070/002000d。
ただ,付けたり消したりが二番目に難しいのが原発である以上(一番難しいのは自然エネルギー発電ですよね,逆ザヤでも売らないといけないわけで)調整目的で動かすのもなかなか難しそう.
再エネには、長期償却計画的な意味での逆ザヤはあっても、限界費用的な観点での逆ザヤ状態はない。だから、設備が発電してる時は最安値でも売ればよくて、売電を止める必要は全くない。もし止めるとしても、太陽光はただ系統から切り離すだけ、風力はブレードを寝かすだけなんで、別に大変じゃないけど(九州で太陽光の出力制御をしたとき、「停止や稼動が大変だ」って声は全くなかったでしょ?)。稼働自体に追加コストがかからない再エネ発電設備の事業者にとって、安値でも売るのと設備を止めるののどっちが得か、少し考えてみればすぐわかると思う。
ちなみに、今は日本では出力制御の順序が国によって決められてて、発電量超過の時は、最初に火発を止め、次に太陽光と風力を止め、最後に水力・原子力・地熱を止める、ということになってる。なんでかというと、原発は国が定めた「長期安定電源」だから。経済合理性よりも「最後まで止めてはいけない電力はこれ」という国のルールが優先されて、限界費用が安い電力のほうを先に止めてる。つまり「長期安定電源」という概念自体が、電力エネルギーの効率的な生産と利用を阻害する反市場的な障害物になってしまうわけ。国民が損するってことだよ。
世界的には電力をめぐる議論の中で非主流になったどころか、すでに現実自体に追い越され否定されたようなことを、日本では未だに大真面目に主張してる既存電力業界のステークホルダーの人達がいる。で、ネットには、その人達の言うことを鵜呑みにして10年前の再エネ否定論を信じてる人達がこれまたいっぱいいる(実は俺もそうだった)。「ベース電源」はその象徴みたいなもんだよ。せっかくここまで読んでくれたなら、そのへんの状況は自分自身で納得行くまで調べてみてほしい。その上で生産的な再エネ否定論・懐疑論をやるのは良いことなんだから。
「ホロコーストは嘘」って主張自体が嘘である、と言うことは日本ではあまり知られていない。せいぜいが「ホロコーストを否定してはいけない」程度の認識であるようだ。私ほどの物好きでもない限り、そのファクトチェックを行うという面倒なことをする人は滅多にいないから仕方ない。欧米は否認論の本場なので、否認論に対抗する人もそれなりにいて「ホロコーストは嘘」自体が嘘であることはそこそこは知られているようである。Twitterなどで状況が意外と簡単にわかる。
だが「嘘」と言っても、その実態はややこしい。そのほとんどは事実を用いた印象操作のようなものであり、細かな具体的主張それ自体が嘘そのものであることは少ないからである。いわばホロコースト否定論はその主張をする人が意図的か無自覚であるかは別として「詐術」なのである。しかし、あなたの知性が正しく働いているのならその詐術に騙されることはない。例をあげよう。
「アウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、親衛隊員や囚人が水球で楽しく遊んでいたという事実まで存在する。アウシュヴィッツ収容所は地獄のような過酷な収容所ではなかったのか?」というものである。後段の疑惑はともかく、これは事実であり、確かにアウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、元囚人の手記によると親衛隊や囚人が水球などで楽しんでいたようである。
先に結論を言うと、遊泳プールがあったからと言って、アウシュヴィッツ収容所が地獄のような過酷な収容所であった事実は変わらない。登録囚人に限定しても(登録されずに殺されたユダヤ人が圧倒的に多いが)、毎月数千人単位で死者が出る収容所だったのである。だけど、そう説明されたところで、遊泳プールの存在は思っていたアウシュヴィッツのイメージと全然違い、かなり違和感があると思う人もいると思う。実は肝心なことは「思っていたアウシュヴィッツ収容所のイメージ」なのである。そしてこのプールの話は、実際、相当色々とよく知っていないと納得しづらい人もいて当然だと私も思う。
あまりに何もかもをここで説明するのは無理なので、アウシュビッツ収容所のみに限定して簡単に解説する。アウシュヴィッツ収容所はポーランドにあり、1940年5月ごろから実質的にスタートした強制収容所である。最初は、ユダヤ人のためではなく、政治犯を主体として収容するための強制収容所であり、ドイツ人やポーランド人などが収容されていた。翌年1941年6月を過ぎると独ソ戦によって発生した赤軍捕虜が大量に収容されるようになっていく。が、この赤軍捕虜に対する扱いはあまりにも非道であり、特に政治将校はその大半が銃殺刑で処分された。いわゆる国際法ガン無視のコミッサール司令である。また、アウシュヴィッツで行われた最初のガス室での殺害犠牲者はこのソ連兵捕虜だった。そして、元のアウシュヴィッツ強制収容所から三キロ離れたところにあるビルケナウ捕虜収容所の建設が始まると、そのソ連兵捕虜が建設労働に駆り出され、一万人くらいいたはずのソ連兵捕虜の大半は一年も経たずに大半が過労・餓死などで死んでしまったのである。
ユダヤ人については、当初からユダヤ人も含めて政治犯として収容はされていたものの、囚人登録もせず収容もしないで収容所到着時にそのままガス室送りにしてしまう、いわゆる「ユダヤ人の絶滅」がアウシュヴィッツで始まるのは1942年3月からであり、ビルケナウの敷地外にある農家を改造したガス室(ブンカーと呼ばれる)で最初の一年くらいは実施されており、1943年3月にクレマトリウムと呼ばれる火葬場が完成すると、その後はビルケナウのクレマトリウムで行われるようになっていく。アウシュヴィッツの基幹収容所のガス室は併設された火葬場の火葬能力が低いこともあり、実は絶滅にはほとんど使われておらず、1942年末でガス室の使用を終了している。ともかく、ビルケナウ収容所でのユダヤ人のガス室での大量殺害は、ヒムラーが中止命令を出す1944年の10月末ごろまで続いた。ガス室ではトータルで100万人程度虐殺されたと言われている。
もちろんだが、ガス室での殺害は何も囚人にさえしてもらえなかった非登録ユダヤ人だけではない。最初の選別では老人や14歳以下の子供、子持ちの女性などが労働不適格としてガス室送りにされたが(概ね到着したユダヤ人の75%、ただし選別条件に当てはまるのに例外的に囚人登録された人もいた)、囚人登録されたところでその大半は3ヶ月程度で役立たずになりガス室送りになるか病棟バラックで注射で殺されたりもした。こうした収容所内での「選別」は常時行われており、その選別方法も親衛隊の選別の担当長が適当に恣意的に選んでいるだけなのが実態だった。親衛隊員による囚人への暴行も日常茶飯事であり、殴り殺すことさえ珍しくなかった。些細なことでも見せしめ的に処刑されたし、収容所内での配給食料だけに頼っていたらすぐに死んでしまうほど食料の質も劣悪だったりもした。
……とまぁ、これだけ酷い話を聞いていたら、「プールで遊ぶなど考えられない」と思う人がいても全く不思議ではないと思う。プールの存在に対する疑念はこのアウシュヴィッツの悲惨なイメージとあまりにかけ離れているから生ずるのだ。だが……。
このプールの詐術に引っかかる人は、人間が斯様にも残酷になれるということを理解出来ていないのである。ここで一つ解説を加えておくと、このプールは絶滅の行われていた現場であるビルケナウではなく、アウシュヴィッツ基幹収容所の方にあったが、元々の目的は防火用であり、完成したのは1944年8月ごろであると推定される(フランクフルト・アウシュビッツ裁判の証言にある)。収容所の親衛隊員は、ユダヤ人囚人に命じて飛び込み台を作らせ、遊泳プールとしても使えるようにした。で、このプールを利用して遊んでいたのは親衛隊員と、上級囚人だけだったのである。上級囚人とはユダヤ人でない囚人のことであり、おそらくは過酷な労働をしていなかった囚人長であるカポなどであろう。つまりは、大半の囚人が毎日酷い目にあっているそのすぐ側で、収容所生活を存分に謳歌している人たちがいたというのが事実なのである。ビルケナウの方ではサッカーでさえ楽しんでいたそうだし、有名なアウシュヴィッツオーケストラに演奏会をさせたり、囚人に劇団まで作らせて劇場で公演させたりもしていた。また親衛隊員は当然として上級囚人も、ユダヤ人ら下等囚人の食事量・質とも全く違ったし、親衛隊員は恣意的に食品などを横流しさえしていた。さらに、ユダヤ人が持ってきた私物(「再定住させられる」と言って騙されて連れてこられているのだから、それらはユダヤ人の全財産と言っていい)を全部収容所の方で掻っ攫うのであるけれど、そこから横領しない親衛隊員などいなかったと言われるほどである(ただし横領は発覚すると厳罰な処分が下される)。
もちろん、囚人たちの多くはそうした私腹を肥やす親衛隊員たちの行動や、プールなどを楽しんで収容所生活を謳歌している姿も知っていた。だから戦後の地元法廷で、少ないとはいえ裁かれた親衛隊について証言者となった元囚人たちのほとんどは、それら親衛隊員被告の非道ぶりを存分に告発したのである。
ほんとに否定論の細かい具体的な主張ってこの手の話があまりに多い。例えば「ガス室の扉が木製だなんておかしいじゃないか。アメリカの死刑用ガス室は鉄製の部屋でありドアだって厳重なハンドルまでついていて非常に厳しい毒ガス管理をしているくらいだ。あんな木製の簡易な扉だったらガス漏れして外にいる人まで死んでしまうに違いないから、あれがガス室だったなんてあり得ない」ってのがある。んでこの話、たくさんの米国の死刑専用ガス室の写真とともに出回っている。
えー、青酸ガス発生用に使っていたチクロンBは害虫駆除用として当時一般に広く使われており、それなりに密閉処理さえすれば「どこでも」使えた。それなりの密閉処理とは空気漏れ起こしそうなドアの隙間などにダクトテープを貼る程度のものである。アウシュヴィッツ収容所にも、殺人ガス室以外に衣服などのシラミ駆除のための専用ガス室が複数存在し、現在も現存しているが、それらのガス室の扉も殺人ガス室と同じ木製扉であり、気密には隙間にフェルトが貼られているだけである。チクロンBの製造元であるディケシュ社の文書にも別に木製扉がダメだとは書いてない。専用の頑丈な鉄製のガス室でしか青酸ガスを発生させられないような害虫駆除剤だったとしたら、当時一般的に広く使われたはずがないだなんて、少し考えればわかることなのに。
「じゃぁ何故米国の処刑ガス室があんなに頑丈そうに出来ているのか?」と聞かれたって答えは知らないが、それなりの要求仕様があるとか昔からの慣習であるとか、何か理由があるからであろう。でもそーういうことは否定派さんは全く調べない。いずれにしても、実際にチクロンは当時広く使われていたのだから、米国の処刑用ガス室の構造は、アウシュヴィッツのガス室に関しては何の参考にもならないのである。どうしてそんな見た目の単なる印象に過ぎないことが、アウシュヴィッツのガス室を否定する理由になるのか?
今年はホロコースト映画公開が少し多いようだけど、一つとして見に行こうとは思わなかった。あんまり興味が湧かなかったからだけど、しかし最近、古い映画にすごいホロコースト映画があるのを発見した。YouTube全編上がっているのだけど、惜しいのはポーランド映画であり全編ポーランド語でさっぱり言語がわからなかったりすることだ。日本でもDVDは発売されてるけど、買ってまで見ようとは思ってない。しかし何が凄いって、何気に再現度が凄い。興味がなければ何のことはないシーンだけど、ガス室にガスを投入する作業のシーンが思ってた通りの再現だった。ガス室というかクレマトリウムはすでに破壊されてなかったからわざわざセットで作ったのかと思うと尚更すごい。何気にあのチクロン投入煙突の位置が正確なのも素晴らしい。未完成で監督が死んでしまい、友人達で残っていた映像を繋ぎ合わせただけらしいけど、唐沢寿明の『白い巨塔』よりもずっと前にアウシュビッツ収容所をロケ地に使っていた映画が存在したというのも発見だった。
PASAŻERKA - POLSKI FILM PSYCHOLOGICZNY HD, WYSTĘPUJĄ: ALEKSANDRA ŚLĄSKA (SOUS-TITRES FRANÇAIS)
「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
今回の小林賢太郎氏への声明においても、SWCは決して解任を求めているのではなく、あくまで謝罪と教育が求められているのだと思っていた。
昨今の「キャンセルカルチャー」とは一線を画すものだと思っていた。
この数年で、趨勢が変わったのだろうか。
でもそのクーパー氏はかつて雑誌『マルコポーロ』がガス室否定論を掲載した時には広告出稿のボイコットまで呼びかけてるんですよ。
結局雑誌は廃刊に追い込まれ版元である文春の社長も辞任することになった。
もちろん「自主廃刊」であってSWCは事前には廃刊を求めていなかった。しかしそれを言えば今回も当初の声明では解任を求めてはいない。
だいたい、廃刊決定後にSWCと文春は共同記者会見まで開いてるわけよ。
本当に「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすること」なら次の刊のマルコポーロで正しい内容の特集を組ませるとか色々あったでしょ?
しかしSWCは廃刊決定を受け入れて共同記者会見を行った。それが全てです。
もちろんマルコポーロ記事と今回の小林コントを同列に扱えるかという話はあるでしょう。
でもそれなら欅坂46やBTSの衣装がナチス風に見えるという話と今回の「虐殺ごっこ」を一緒にできるものだろうか?
加えて今回の件は外務省が談話を発表していて一見過剰にも見える反応をしているけど、
1. オリンピックという国際的な大イベント(しかもオリンピックでは過去ユダヤ系の選手がテロに遭った過去がある)で
2. ホロコーストやSWC関連という徹底的な糾弾が行われていた歴史的蓄積がある分野の問題
想像だが欅坂46やBTSは内容的差異もあるところ1の要素も薄く謝罪だけでOKになったんじゃないかね。麻生さんも未だに大臣やってるしな。
しかもアイドルを辞めさせるなんてことをしたら逆風待ったなしだし、「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」は過去のSWCの行いに鑑みればおためごかしである種の宣伝的アピールというかプロパガンダに過ぎずピュアに真に受けるようなものでもあるまい。
ところでこういう事件があると昨今の趨勢に引き付けてつい物事を語りがちだ。キャンセルカルチャーみたいな用語ができるとついその物語の中で解釈してしまう。
確かにネットが発達して過去の発言を拾いやすくなった影響は大きかろう。
しかしポリコレやキャンセルカルチャーという言葉が生まれるずっと前からホロコースト関連での糾弾・追及は凄まじいものがあったんですよ。
上で歴史的蓄積と書いたけど、例えば他のポリコレ事案で外務省が声明まで出すか?女性差別とかでは出さないよね?
そういうずっと続いてきたものを最近の趨勢や運動での解釈に寄り過ぎてしまえば現象の一部分を切り取ってしまうことにはならないだろうか。
これまでの蓄積というか過去に行われた首級狩りを等閑視することにならんか。
それって昔もあった問題なのを忘れて懐古に浸るメンタリティとそこまで変わらなくないか。
世界的には昔からホロコースト関連は厳しく論難されてたし、SWCは昔も今もたぶん未来も強力な圧力団体(価値中立的な言葉です)として君臨し続けるだろうよ。
増田と立場は違うかも知れないけど、私が表現規制について日々考えていることと近かった。
表現に対する批判について、「規制を要求するものではない」という前置きは、よく見かけるものだけど、
その批判のスジの中に「人権侵害」が含まれていれば、それは国家による強制力によるものでなくとも、
直ちに有形無形の圧力による、事実上の規制へ繋がるご時世なのだよね。
これに抵抗するのは、なかなか難しい。
SWO副代表もその辺りはよく分かっているようで、彼のコメントでも、肝になる部分はここだ。
ホロコーストを冗談めかして語ることが「ユダヤ人の尊厳」を傷付けるものだと言ってるのだよね。
これを「ぐうの音も出ない正論」と捉える人もいれば、
ホロコーストといえども、明確な否定論でもないものに対して「人間の尊厳」を持ち出すのは行き過ぎと捉える人もいるだろう。
もちろん増田の文脈に沿えば「ユダヤ人たる私が尊厳を傷つけられたように感じた」主張をすることに、何の障害もあってはならない。
ただし、このSWO副代表の主張は、小林氏に釈明や謝罪の機会すら与えず、問答無用で解任したことを支持する内容なので、
私はそれには明確に反対だ。
もちろんそれはまず、判断の主体である組織委員会に向けられるべきものだが、
20年前の表現について、釈明や謝罪の機会を与えず解任したことを正当化するに足る理由にはなっていない、
と私は考える。
私は小林氏やラーメンズに詳しくないが、多くの人が、この20年間に彼らの表現に対する姿勢が変わったことを指摘していた。
なぜ、その変化について、釈明や弁明が許されないのだろうか。
駐日イスラエル大使なども誤解したままだが、まず重要な事実として、
彼らが「ホロコーストを否定」したのでもなければ、「反ユダヤ主義」的な主張をしたわけでもないということは、確認されなくてはならない。
「コードに触れたら終わり」という事例が、徐々に増えていっていることだ。
その表現が、誰の人権を傷付けているのか、傷付けているとすれば、どの程度傷付けているのか、
それは、その表現が置かれた文脈を幅広く見据えた上で、なされるべき判断だ。
不快感と、人権侵害のあいだに、明確な一本の線を引くことが難しいことは理解しているが、
一般世間で強い否定論がなく、現状が容認されているから「消極的肯定とカウントされるべきだろう」というロジックは、危ないよ。一般世間の中には「性的表現に感じて不快に思ってるけど、自分があえて何か言うことではないと思ってる派」というのもいるからね。
一般世間の人達の多くは、それまで知らなかったことや関心がなかったことでも、あえて事実を説明して是非を質問されれば、そこで何らかの価値判断をする。「献血を促すポスターとして、この宇崎ちゃんポスターはTPOに合っているか」「こうした表現を公共空間で掲示することを不快に思うか、思わないか」みたいな聞き方されたら、「どーでもいい」「よくわかりません」という感想よりも踏み込んだ価値判断(どちらかというと「よろしくない」「けしからん」側の価値判断)をする人は、結構多いんじゃないかなあ。
あとトレーダー3号店のエロゲ広告撤去は、反規制派はどう捉えてるのかなと思う。
https://twitter.com/milkfactory_/status/1190189530449473536
「これは表現の自由に対するガチの規制・検閲だ、絶対反対」って息巻いてた人(https://togetter.com/li/1432498)もいたんだけど、これに対してはオタク層でも見解が分かれてた記憶がある。
「野菜ジュースは砂糖の塊の割には対して栄養価がない」という理論が最近持て囃されている。
だがそこから発展して「そもそも野菜って別にそんなに体に良いわけでもないだろ」という答えにたどり着くものが少なすぎる。
・ビタミン
・ミネラル
・食物繊維
ビタミンとミネラルはビタミン剤やカロリーメイト程度といった簡単な栄養食品で摂取できるし、なにより何も考えずに野菜をとっても多くが流れていくので、漠然と野菜を食べるだけなら野菜ジュースを飲むのと大差ないレベルでしか取れていないと思っていい。
食物繊維は単なるウンコの原料であり、大量に摂取することで得られる効果はウンコの量が増えることだけである。
最低限の摂取においては海産物・穀類・麺類でも足りており、極端にスナック菓子に偏った食生活を送らなければ問題ないし、それこそ野菜ジュースでも十分なレベルである。
・砂糖
の1点だが、そもそも砂糖とは単なる炭水化物であり、つまるところはカロリーというだけでしかない。
カロリーの過剰摂取は問題となるが、それが問題となる原因は食べ過ぎでしかない。
「うるせー俺は医者に痩せろと言われているけどポテチが食いたいからジュースなんて飲んでる余裕はねーんだ」というのならば勝手にすればいいが、その場合憎むべき対象は野菜ジュースではなくて自分の代謝の低さと歪な食生活の積み重ねである。
多くの野菜ジュース否定論者が言ってるのはまさにこの「ポチチは食いたい。ダイエットはしたくない。だから俺はジュースを叩くことでなんか痩せる努力をしてる感だけは出していきたい」でしかない。
そしてそんな連中に限って「野菜」として「じゃがいも」や「コーン」といったカロリーの高い物を思い浮かべ、好んで摂取し「俺は健康に気を使っているのに痩せない!」と言いがちなのである。
デブの最大の欠点は、自分がデブである理由について科学的に考えたがらず、そのくせインストラクターの語る安易な悪者探しには飛びつくことにある。
結論から言えば「栄養食品を憎む前に、白米を食べたがるのをやめろ」である。
コーンフレークの食べ過ぎは健康に悪いが、白米を食べることに比べれば全然問題はない。
「野菜ジュースが~~」は米びつの中身を玄米に変えたものが口にすべき言葉だ。
デブの原因が自分の栄養学に対する杜撰さと、運動習慣のなさであることを認めたがらないだけのやつが、雑なインストラクターの適当な戯言に飛びつく姿はいつの時代も醜い
私には30代中盤で母親と同居中の弟がいるのだが、
みたいなことが書いてあって、
もう一刻も早く打って欲しい私としてはびっくりした。
とりあえず、事情を聞いてみたら
どうも弟がワクチンが危ないみたいな情報を母親に吹き込んでるらしく
不安に駆られて、私に連絡してきたとのこと。
弟を問い詰めてみると、
「姉貴もワクチンは打たない方がいい」と説得してきた。
1時間くらいLINEでやりとりしたんだけど、埒が明かないので
ZOOMで話してみたけどやはり同じ。
耐え凌ぐとか謎なことを言い捨てられて終わった。
今の時点でのイベルメクチン信仰する方が私は信じられないのだが)
弟自身が打たないのは百歩譲って良いとしても、
コロナ 重篤化リスクの高い母親に何吹き込んでくれちゃってるのと、
非常に困っている。
弟はもう勝手にすれば良いとしても、
母親に速やかにワクチン打ってもらうにはどうしたら良いのだろう。
母は来週1回目の摂取の予約入れてるみたいだが、
無料で受けられるワクチンなのに否定するって相当ヤバいやつしかいないと思ってた
そんな低確率の副作用が気になるならその辺の薬ですら飲めなくない?
国内の類似品はすぐに承認されるとかいうクソみたいなプロセスを支持してるってことなんかな
まぁ結局これも蓋を開けて
「もうみんな打ちましたよ?」
って言うと慌てて打ちに行くような純日本人的な奴が多そうな気はするけど
もしも「シェークスピア、バイロン、シェリー、ブレイク、コールリッジ、ワーズワース、テニスンの詩なんか学校教育で教えるのは無意味」とか言う英国人がいたとして、それを見たら、英国人じゃない自分でも「うわ……」と感じるだろう。上の例でピンとこない人は、ホメロスなり、ダンテなり、ゲーテなり何なり、適当な人名に入れ替えて下さい。
実際は、欧米の政府首脳や政治家は、演説で聖書の一節、ギリシャ/ローマの古典、有名な詩人の詩から引用することが珍しく無い。そういう場面を見ていると「風雪に耐えて残った古典」の価値を見抜ける/理解できるような頭の持ち主でなければ、国家百年の計と云う長期的なプランを建てる重職を任せられないと云うコンセンサスが、政治家や有権者の間に有るように見える。
また、古典は宗教その他の思想的バックボーンを反映しているものなので、良かれ悪しかれ国民性を反映している。政(まつりごと)をするには民の心を理解して掴まねばならない。したがって、為政者は和漢の古典を読み、よく人の心を学ぶべしと云う旨を、江戸の学者は説いていた。昔の中国でも、知識人は同じ旨を説いていたと思う。それらは理想論に過ぎなかったのかもしれないけれど、理想を失くしたら人間は御仕舞だと私は思う。
自民党の政治家もそうだし野党の政治家もそうだけど、日本の政治家は古典を引用した演説をしない(できない)。それを見ると、この人たちは、行き当たりばったりで長期的に物事を見る能力に欠けている、その場凌ぎ思考の人間ばかりなんだなと私は思う。五十年〜百年経ったら、後は野となれ山となれと云う考え方の持ち主なのだろう。
虚偽答弁をする政治家に対して、対立政治家が「いつはりの無き世なりせば如何ばかり人の言の葉嬉しからまし」とか知的で洒落た皮肉を言えたら、グッとくると思う。しかし、現実の日本の政治家は、バラエティ番組的な物言いをする人間ばかりである。
古典に関する教養は、即物的な意味で役立つ訳ではないのは確かである。けれども、頭の中身や心が貧しい人間か否かを見抜くためのバロメーターにはなり得ると思う。心が貧しい人間が政治家をすると、人間に対して酷薄な政治をすると思う。例えば、麻生太郎の言動を見ると、そう思わないだろうか?まあ、野党の政治家も五十歩百歩なのだけれども。
少なくとも、口先だけは愛国心を説くくせに日本の古典に対する教養を持たないような政治家を、私は信用できない。そして、それを国民が見抜ける状態でいるためには、やはり古典に対する教育は必要なのだと私は思う。