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2021-10-22

歴史トンデモ論で打線組んでみた

1 捕.ホロコースト否定論

2 一.江戸しぐさ

3 右.南京大虐殺否定

4 中.原爆神話

5 三.アイヌ否定

6 遊.東京裁判史観

7 二.アジア解放

8 左.明治維新非難

9 投.白人至上主義

控え

・日ユダヤ同祖論

昭和天皇戦争引き起こした論

大正天皇知的障害者

解説

ホロコースト否定論

 ホロコーストねつ造であるという言わずと知れた世界的に有名なトンデモ論。ちなみに国によっては否定するとこの論を唱えると逮捕されるので要注意。できれば他のトンデモ説もこれと同様に法律で取り締まってもらいたいものである

江戸しぐさ

 江戸時代には傘かしげ(傘を指したまますれ違うときには傘を傾ける)、時泥棒アポなし訪問約束の5分前に到着しなければ死罪)などのマナーが普及していたが、明治政府虐殺により失われてしまったというトンデモ論。これの恐ろしいところは小学校道徳教科書で取り上げられたり、ACCM放送されたこである

南京大虐殺否定

 南京大虐殺ねつ造であるというトンデモ論。犠牲者の数については意見が分かれているが、虐殺のものがあったことは否定できない。しかし、自称愛国者達の間で固く信じられている。愛国者であるなら、正しい歴史を学んで国の恥を晒すようなまねは止めて頂きたい者である

原爆神話

 原爆戦争の早期終結のために不可欠だったというトンデモ論。原爆投下はソ連への威嚇のための人体実験であり、決して正当化できるものではないのだが、アメリカ人達の間では広く信じられ、学校歴史教科書でも取り上げられている。日本人でも信じている輩がいる

アイヌ否定

 アイヌ民族はいない、もしくは先住民ではないとするトンデモ論。アイヌの人々が日本による弾圧差別によって苦しめられ続けた事実無視し、現代でも差別正当化に利用される非常に害悪思想である南京大虐殺否定アジア解放と並びネトウヨの間で固く信じられている。

東京裁判史観

 第二次世界大戦悪の枢軸国と正義連合国の戦いであるというトンデモ論。日本軍やナチスの残虐行為は決して擁護できるものではないが、原爆投下、ソ連抑留など連合国も信じられないような悪行を重ねており、単なる正義と悪の戦いではないことは明らかである。また、東京裁判ニュルンベルク裁判連合国悪事に一切触れず、枢軸国だけを糾弾する、事後法で裁くなどの無茶苦茶もので、その実態裁判ではなく報復しかいえない。

アジア解放

 太平洋戦争東南アジア欧米植民地支配から解放するための正当な戦争であったというトンデモ論。無論、これは大義名分に過ぎない。白人植民地支配が残忍であったのも事実だが、日本軍の残虐行為も許されて良いものではない。東南アジアの罪のない人々が数百万人犠牲になったこと、現地の人々が戦後自らの努力独立を勝ち取ったという事実無視しており、余りに無礼である日本軍が独立寄与したというのはあくま結果論であり、現地の人々の思いを踏みにじってはいけない。そもそもフィリピンに至っては近い将来に独立約束されており、この大義名分は一切適応できない。

明治維新非難

 薩長テロリストであるというトンデモ学説歴史評論家”原○伊○によって唱えられた。何事にも正と負の側面があるにも関わらず、「明治政府100%悪!江戸幕府100%正義!」と極端な善悪二元論歴史を唱えるのは御法度である

白人至上主義

 白人アジアアフリカ新世界植民地化できたのは白人が優れた民族であるからだというトンデモ論。長らく植民地支配人種差別正当化に利用された害悪な説で、今でも信じている輩が少なくない。歴史を全体的に見ればヨーロッパ覇権を握ったのは比較的新しく、その発展も中国イスラム繁栄があって初めて成り立つものであることは火を見るより明らかである白人覇権には地理的要因も多く絡んでおり、白人崇拝は偏狭解釈であるというしかない。日本人でも右翼左翼わずこの論を受け入れている者が少なくなく、日本人朝鮮人中国人よりも白人遺伝子を多く受け継いでいるという新たなトンデモ論を生んだ。

・日ユ同祖論

 日本ユダヤ人の失われた支族であるというトンデモ論。明らかに嘘と分かるもので、フィクションとしては面白いのだが、まれに本気で信じている輩がいるので笑えない。

昭和天皇戦争引き起こした論

 昭和天皇が自らの意志積極的日米開戦推し進めたというトンデモ論。左翼の間で固く信じられている。確かに軍部暴走を抑えられなかった天皇の罪は重い。しかし、僅かでも日本史の知識があるなら、天皇日米開戦には反対であったとうことは分かるはずである東條英機首相に任命されたのもそのためである

大正天皇知的障害者

 大正時代が短いのは天皇知的障害者であったからとするトンデモ論。大正天皇は病弱だったが、多くの漢詩を残す、朝鮮語学習に努めるなど教養のある人物であり、決して知的障害者ではない。天皇をどうしても貶めたい左翼ねつ造された。

余談

 最後トンデモ本を見分ける方法を紹介したい。しかしながら、このやり方は完全ではないため、結局の所大切なのはものごとを多面的批判的に判断し、すぐ「AはBである」と決めつけない慎重さである。またトンデモ論を信じ、発信してしまえばあなた共犯者になってしまう。情報の受け入れだけでなく、発信の際にも慎重になろう。

・著者の経歴を確かめ

 博士号はおろか、大学歴史科学科すら卒業していない著者もいる。また、学術論文雑誌に発表していない著者にも要注意である。更にプロ歴史学者にも専門外の分野に手を出すものがいるため気をつけるべきである

扇情的見出しには気をつける

 例外もあるが、”~のウソ”、”~の真実”、”~の陰謀”、”反日”などの扇情的見出しには要注意。

・参考文献がない、もしくは一般書ばかり

出版社を見る

 講談社岩波、中公は”比較的”信用できる”かもしれない”。百○尚○先生御用達幻冬舎などの出版社には要注意。ただし、原○伊○の明治維新非難講談社出版されたものである

2020-12-06

anond:20201205155542

東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます

私は昭和高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸から明治大正戦前昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。

まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方なまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。

平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラーベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーション潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意解釈すると、そこまでシャイ内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺

因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル日本暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街はいちいち挨拶なんかしないけど、郊外住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたヤバイ人じゃないよね、安全普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌からまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。

米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化女性ニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。

私は特に今の日本悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊おんぶ犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます

昔は良くも悪くも男尊女卑時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性権利時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代電子記録に、残しておきたい思いです。

2020-07-29

anond:20200729060853

傘かしげや肩引きなどというのは

傘をさしたままでもすれ違える最低限度の幅の歩道すら整備してこなかった建設省言い訳なのだ

 
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