はてなキーワード: 性的指向とは
女に生まれた私を呪う。女であることを考えなくちゃいけない世界を恨む。
ワークライフバランスってなんですか?
身重な体に鞭打ってギリギリまで働くことですか?
働き盛りの時に一年以上の断絶を作って、その後を死にものぐるいで取り戻すことですか?
それとも、仕事はそこそこに収めることですか?
私は、女に生まれた私が憎い。
男の人が軽々片手で持てるものが両手でしか持てない非力さが。いつか自分の名前を捨てなきゃいけない日が来るかもしれないことが。もしかしたらキャリアが途絶えるかもしれないことが。そしてそれが、幸せなことなのだと言われることが。
なにより、こんな事を考えなきゃいけないことが悲しい。
結婚とか出産とか、考えたこともなかったと言った兄弟が羨ましい。
母親からは無邪気に「孫の顔が見たい」「孫の顔が見たくてここまで貴女を育てた」とせっつかれ、堪らず逃げ出した先に遊びに行きたいとせがまれて、拒めば「何かあるんじゃないのか。もしかして彼氏と住んでるの?」と疑われるのも疲れた。
男だったら良かったのに。
男だったら、こんなこと考えなくて済んだ。
好きな人に、好きだと言って一緒に歩こうと言えた。この人から「普通の幸せ」を奪えないなんて、思わなかったのに。
もちろん、男性には男性の生き辛さがあることも、マジョリティな性的指向の持ち主にも似たような苦悩があることがあるのもわかってる。
コールドスリープから目覚めた私に、30代のアフロヘアの友人は楽しそうに語っている。
右手には30年前も見かけたシェイクが握られている。この時代では黒人であるか否かは、差別であるか否かを問うことと同様に意味がない。
ただし30歳年上になってしまった友人に知識量で負けているという落差はあるような気がしてならないが。
「だからね、お前の時代にあったストレージなんて今の世の中にはないんだよ」
右手のシェイクはすっかり空になり、彼はフライドポテトを口の中へと放り込む。塩か粉かが宙を舞った。
「いやそうじゃない」
窓の外の手すりを猫が歩いている。
「このケーキのようなんだ、ちょうどね」
彼は私が目覚めた際に用意したホログラフィックVRケーキを4等分すると言った。
「これが俺」
とケーキを指差す。
「つまり、どういう?」
「ある日人の思考をデジタルデータ化する方法が編み出されたんだ。こいつは面白い技術でね。そこからあらゆるコンテンツや映像が生み出された。するとそこから自然とイメージをどう保存するかという問題にもさしあたる。イメージは大量のデータ容量を消費した」
話を遮ってしまったが彼は口角を上げると口笛を吹いた。
「良い質問だ。大量のイメージは妄想も含んでいた。そこからイメージを調律する学校もできたし、東洋的なメディテーションの技術も科学的に研究されるようになった。ただ、これは人間側の努力にすぎない」
目線を一時だけ窓にやると、窓際の猫が群れをなして規則的な動きをしている。思えば妙な動きだ。色は真っ黒で統一されている。
「イメージはやがて機械的な手段で"間引き"されるようになった」
「それとケーキはどう繋がるんだ」
「まあ待てよ。それでもデータは膨大なんだ。するとお前の生きた時代じゃストレージなんてものが必要になってくる」
持って回った言い回しに僅かな違和感を感じる。そして窓際の猫はまるで蟻のように同階のマンションへと消えていった。
「俺たちの時代にはこう考えた。いっそ全てのマシンをつないで、そう、トレントやブロックチューン、それの人間版といったところさ。そいつに全てを共有させる。フィルタリングは各人の無意識の脳の領域と顕在意識の2つを使って最適化された。つまりつながれば繋がるほど最適化される」
「それじゃマイノリティは大変だな」
猫がまた列をなして下の階から上がってくる。そうかと思えば彼らは急にバラけて別々にマンションの窓へと飛び込んでゆく。
「マイノリティ。ずいぶん古い概念だな。少なくとも今そんなやつはいないさ」
「そんなはずはない。社会が最適化されてもニッチは消えないし、マイノリティはますます先鋭化されるはずだろう」
各マンションですべての猫が一斉に鳴く。それはまるでハーモニカとクラクションを混ぜた音に聞こえた。
「だからケーキの一部なのさ。あらゆる動物も含むイメージが連結されて、各人がそれぞれの存在でいながら全てが共有される。あらゆる性的指向も暴力も好きなタイプも優秀な頭脳も全てだ。フィルタはグローバルフィルタとプライベートフィルタリングで制御される」
「それじゃプライベートなんて」
鳴き声が一斉にやんだ。
「あれってなんだい」
「猫さ」
彼はまた口笛を吹いた。
「ああ、俺にゃ見えないね」
「もう一つ疑問が。こちらはその、なんでイメージが繋がってないんだ。コールドスリープから目覚めたばかりだからか?」
「それも少し違うかな。その質問に答える前に、お前に話しておきたいことがあるんだ」
「もう何年も前になる。俺にはお前に似た友人がいてね。コールドスリープするってきかないものだから、俺りゃ友人として何度の止めたのさ。何しろコールドスリープなんて未来になんの担保もない技術だ。あいつはそれでも聞かずに冬眠に入っちまった。そこから数年後に冷却装置が故障、契約者の大半の脳は凍傷を起こして死亡した」
部屋の隅から白と黒の二匹の猫が入り込んできて、くわえたネズミを床に落とすと去っていった。ネズミはたちまちシェイクへと姿を変える。
「ところが我が友は幸運だった。やつの脳だけは無事だったのさ。そこからイメージを再生するのもね。今だって自由にイメージの世界を行き来してるさ」
「そいつは願いがかなったのかな」
「特定のデバイスがあれば幽霊じゃねえけどよ。そうじゃない限り、そうだな、お前が見ている猫みたいなもんさ」
黒猫たちに混ざって白猫もたくさん見えるようになった。私は窓の外へと飛び出すと、今まで味わったこともないスピードで彼らを追いかけていた。
性的指向を明らかにしてない同性愛者が部下にゲイセクハラして告発された場合、本人の意に反して性的指向を暴露されることになるわけだが、これはアウティングに当たらないのだろうか。
「セクハラする奴が悪い」としても、世間一般に実名で性的指向を晒されるのは通常のセクハラよりきつい社会的制裁のような気がするが。
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「お客様に向って"さん"とは何だ」
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「"それ以外"という言い方がマイノリティを想起させる」
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乳児(男女)と幼児(男女)と少年少女と成人男性女性の皆様、大志を抱け
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「色々な性的指向があるので、男女という区分けで表現するのは適切ではない」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様、大志を抱け
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「知らない人に命令口調なのはどうかと思う。命令口調で傷つく人もいるんです」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様、差し支えなければ大志を抱いて頂くようお願いいたします。
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「どこからの出典になるでしょうか?出典がない場合は要出典タグを付けてください。」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様(白人だけではなくあらゆる人種の方々に呼びかけています)、差し支えなければ大志を抱いて頂くようお願いいたします。【要出典】
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「文字を読み上げることができない人のために音声版を用意すべきだ」
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乳児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と幼児(LGBTQ+(シスジェンダー含))と未成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))と成年(LGBTQ+(シスジェンダー含))の皆様(白人だけではなくあらゆる人種の方々に呼びかけています)、差し支えなければ大志を頂くようお願いいたします。【要出典】
※様々な方に配慮し、こちらの音声版もご用意しています。https://sound.cman.jp/voice/download/2020061111550219190Ov1_002.mp3
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感情を整合性の取れる文章にするのが苦手だが、この感情は文章化しておきたいと思い、書く。
大学生 22歳 女
性的指向は基本ノーマル女性のそれだし、ジェンダーロール的に定められた女の役割を果たすのも苦ではない。
だが物心ついた頃から、一般的な人間の根底にあるジェンダー観から外れることを、時たまだが、していた。一人称を俺にしてみたり、家のトイレで立ちションしてみたり。
やがてこの行動は社会的に正しくないと指摘されるようになり、中学に入る頃には完全に辞めていた。
大学で所属している学部は7割以上が男性だ。いちおうは、物理的な意味で男性に囲まれて講義を受けている。
男子学生から性的な意味で言い寄られることは皆無では無かったが、どうしても自分の事を性的に見ている存在を受け入れられず、全て断ってきた。
異性と付き合った経験が無いと異端者扱いされるような年齢になった頃、彼に出会った。
名前と容姿は芸能人に疎い自分でも知っていたが、バラエティ番組や歌番組で上っ面の部分を見たことしか無かった。
紆余曲折あり、2018年に開催されたコンサートの映像を鑑賞した。
登場したのはピンク色の衣装をまとった彼。女性とのデートを意識したコーナーが終わり、曲が始まった。
おそらく女性目線の歌詞。それを嫌味なく歌う彼ら。そして性別を超越した彼の"可愛らしさ"。
この曲、パフォーマンスで、私の中で何か引っかかっていたものが救われた。
と同時に、(少なくとも私の中では)性別を超えた魅力を放つ彼になりたくてしょうがなくなった。
これをきっかけにジャニオタになった。「彼になりたい」という欲が落ち着いてからは彼に疑似恋愛したり、純粋にエンターテイメント性を楽しんだり、短い期間だが色んな感情を自担に抱いた。
ここ数日、何の波かは分からないが、また自担になりたくなってしまった。彼らの冠番組を観て、パフォーマンスを観て、やっぱり自担にはなれないことに気がついて、少し泣いてしまった。
これをキッカケに自分のジェンダーについて整理しておくべきではないか、とも思ったが、怖くてやめた。
結局、身体は女で、内面はよく分からない性別のまま、しばらく生きることにした。
自担には私にとってエンタメであり、疑似恋愛の相手であり、いっそ取って代わりたい存在でもある。
自分の性別に決断を付けるのは怖いが、自担の存在がそんな曖昧な自分を許してくれる気がする。私の勝手な解釈だが、そんな考えにすがって生きている。
件名のような風潮があるらしい。又聞きだけど。
そしてそんな風潮に対して「異性愛すると叩かれるのにレズビアンは叩かれないのはレスビアンに対する差別では?」という声を見かけ、
素朴にいろいろ思うところがあったので書き置いておきます。想像に想像を重ねていく文章ですが。
実際の自分の気持ち。前提、自分は身体は男で性自認はその他って感じ。
まず、男と付き合っているだとか女の子のアイドルが公言したらたぶん応援しなくなると思う。推しだったとしても。
いや、うーん、推しだったら……許せないけど通ってしまうかもしれない……わからない。でも嫌悪感は持つと思う。
それはともかく、アイドルという言葉が生まれた頃とは状況が異なっていて、結婚してもアイドル続ける人も出てきたけれど、自分は青春を火に焚べて輝こうとしてる人の方に惹かれる。
実際のところ彼氏いるんでしょ?みたいなうっすらとした諦念を抱えつつ、アイドルでいる間は最後まで騙し通してくれたら良いなと思う。道化でいさせてくれたらいい。手の届かないところで輝く存在として。
で、女子アイドルが女の子と付き合ってること、同性愛者であることを公言されたらどう思うか、想像でしかないけれど、考えてみる。多分そこに嫌悪感はない。素直で素朴な気持ち。
アイドルをしている一人の人間が、人として誰かを愛している、そこに変わりはないのに、どうして受け止め方は違うのだろう、と考えてみた。
ひとつの仮説。今の日本では同性愛は規範となっていないこと。家族制度のなかに同性婚は含まれていない。
個人的に規範・家族制度が苦手で、人の結婚ニュースが入ってくるたびにまあ人って結局そういうもんだよねと感じてしまう。
だから、アイドルが(今のところ)規範を外れた同性愛をアピールするのは疎ましい規範への反抗に見えるのでは?というもの。
でもこれは多分違う。同性愛がいつか規範になって、当たり前に同性婚が行われる世の中になったとしても、
男と付き合う女の子のアイドルには嫌悪感があるし、女と付き合う女の子のアイドルには嫌悪感を抱かないとおもう。
実際なってみないとわからない部分は大いにあると思うけど、今の想像では。
そこでもう一つの仮説。女の子のアイドルが同性愛者である、と公言されること。
すなわちそれは、身体が男の自分にとって追いかけてるアイドルは、
本当に手が届かない存在なんだと実感できるのではないか?ということ。
手の届かない星のような存在が、ハナから手の届かない存在であったと心から実感できる。
もともとオタクなんて相手にされてないって?そんなことはわかってるの、こっちの気持ちの整理の問題なの。
これもレズビアンの方に対する差別になるのかなあ。無学なので…わからん。
それで気になるのは、いわゆる女オタがどんな受け止め方をするのだろう?ということ。とりわけ、ガチ恋に至っている人はどう思うんだろう、と。
生まれてこの方他人を恋愛感情で好きになったことがなく、もちろん性的感情を抱いたこともなかった。
色々調べて、アセクシャルという言葉を知ったが、しばらくは受け入れられなかったが、昨日になって受け入れられるようになったので増田に書いてみる。
アセクシャル(Aセクシュアル)とは無性愛のことで、他人に対して性的感情を抱かない性的指向のことだ。
解釈によっては性愛だけでなく恋愛感情も含む。私は男に対しても、女に対しても恋愛感情を抱かない。
恋愛をしたことがなく、他人と付き合ったこともないので、運命の人とやらに出会っていないからとかそういう可能性もなくはないが、とりあえずアセクシャルと言っておけば現状に納得がいくんだから別に後々誰かに恋愛感情を抱いて実はアセクシャルじゃなかったと撤回してもいいと思っている。
性的指向なんて決めるのは自分なんだから、誰かにそれは勘違いと言われる筋合いはない。
私がしばらく受け入れられなかった理由の1つ目は、そもそも恋愛をしたことがないんだから男が好きか女が好きかも決められないのではないかと思っていたからだ。
両方と恋愛してからでないと恋愛ができない、性的感情が抱けないなんて決められないのではないか。
だが、そもそも恋愛ができない体だと受け入れてしまえばこれはそんなに大きな問題ではなかった。
付き合う以前に、好きにならない。何も進展しない。
万が一好かれたとしても自分にその感情がないのに試しに付き合ってみよう、とは思えなかった。
人と付き合おうと思わない、誰からも思われないのは私の見た目にも問題があるのかもしれない。性格かもしれない。
だが、こんなふわふわした人間と付き合うなんて相手の時間を無駄にしてしまうようで忍びないし、アセクシャルだと認めてしまえば「他人に対する恋愛感情がないのだから仕方ない」で納得できる。私が。
実に都合がいいと、受け入れた今なら思う。
私は幸い毒親に育てられることもなく、親にはこんな私に金をかけてくれたことに感謝しているので、親孝行をしたいとは思っていた。
孫の顔を見せることが最大の親孝行だと思っているので、それは叶いそうにもないのは申し訳ないが、これも「アセクシャルなんだから仕方ない」と納得した。
生まれ持ったものはそうそう変わらないと思うので、仕方ないと思う。それなら諦められた。よかった。
受け入れられなかった理由の2つ目は、私は恋をしている。
他人に恋愛感情を抱かないのは、現実に限った話で、二次元のキャラクターに所謂ガチ恋をしている。もう10年近く片想いをしている。
夢女ではないのでそのキャラクターとどこで出会ったか、どっちから告白したか、デートはどこへ行ったかなどの妄想はしたことがない。
私の好きな人は私のことを知らないし、私は好きな人と知り合いですらないからそんな妄想するのはおかしくないか?と思う。だが片想いをしている。
他人のために無茶をするくせにそれを隠そうとする不器用でかっこつけなところが好きだ。考え方が好きだ。好きな人の幸せを祈ることができるその人が好きだ。
私は恋をしている。永遠に片想いで、好きな人が一生私のことを考えることはないが、私は恋をしている。
二次元のキャラクターとはいえ、恋をしているなら恋愛感情があるのではないかと思ったが、それが二次元のキャラクターを認識している以上、どちらかというと異常性癖にあたると思う。
フェチとか、性癖とかと同じものだとしたら、現実の人間に恋愛感情も性的感情も抱かない無性愛と私の片想いは両立すると思う。
だからアセクシャルだと受け入れられた。受け入れられても恋をしたままでよかったから。
受け入れられなかった理由の3つ目は、有り体に言って、私は自慰をするからだ。
AVも観る。18推シチュエーションCDを聴く。AVは無理矢理シチュや複数も嫌いではないし、シチュエーションCDは和姦が専ら好きだ。初夜が特に好きだ。
道具を使うことはないが、そういったもので性欲を解消している。
これが一番ネックだった。自慰をするということは性欲があるということで、なら無性愛は当てはまらないのではないかと思った。
しかし、無性愛者も自慰をするケースもあるとネットで見た。この衝撃は大きかった。
私は確かに自慰をするが、現実の誰かに犯される妄想をするわけではなく、女優が気持ちよさそうだとか、シチュCDの男が気持ちよさそうだとかでしている。
対象が自分ではない。だが自分の性欲を解消している。それでもアセクシャルだと言ってもいいらしい。
シチュCDは自己投影をして聴くこともないので、シチュCDの男が現実にいたら、というのも愚問だ。私は良い女を好きになって行為をしてるシチュCDの男が好きなんだ。私じゃない。
自慰をしてもアセクシャル。だって現実の人間には恋愛感情も性的感情も湧かない。
だから受け入れたこれからも好きなシチュCDを嗜んで良い。これは本当にありがたかった。
私には大好きな彼氏がいる。今は電車で2,3時間の距離に離れて住んでいるけれど、かれこれ5年以上付き合っていて本当に大切な人だし、仮に結婚するとしたらこの人しかいないと思っている。
私自身、セックスは好きだ。本当にクソだとわかっているが、大切な彼氏がいながらにして何人もの男性とセックスをした。性欲は人並みかそれ以上にあるのだと思う。セフレと呼べる関係の人も複数人いる。そのセフレたちは性的に唆られるが、付き合いたいとも結婚したいとも思わない。嫌いではないが、断じて好きではない。
彼氏と月1程度会うとき、さあセックスをやるぞ〜という状況になるが、びっくりするほど濡れず、セックスが困難なまでだ。彼氏はきっと毎回悲しいし、私も「どうして濡れないんだろう」と不甲斐ない気持ちになる。彼氏のことは間違いなく大好きなのに、どうにも性的に唆られない。
セクシュアリティについて調べてみたら、人を好きになるポイントと性的指向はまた別のものだよと書かれていた。自分はまさにそれなのかもしれないなあとぼんやり思ったけれど、だからと言って道を踏み外していい理由にはならないよなとも思った。
もう絶対彼氏以外とセックスしないようにしようと思ったこともあったけど、性的に唆られる男性から誘われたら、倫理観がよく分からなくなってヤッてしまうのだった。性的に唆られる相手に好きという気持ちは全く湧かないから、これは浮気じゃないとすら思った。気持ちは彼氏一筋で、全く浮ついていない。正直なところ、罪悪感も薄かった。
でも、このことについて絶対にバレてはいけないということは分かっている。セフレは自分のコミュニティに全く属さない縁遠い人を選んでいるし、連絡の履歴は逐一消している。この秘密は墓場まで持っていくつもりだ。
今の彼氏とは5年以上も付き合っているし、プロポーズされることだってあるかもしれない。もしそんなことがあったら、どうしたらいいかわからない。結婚して一緒に住むことになったら、当たり前だがセフレとのセックスも諦めることになる。これについてはもう覚悟しているし、そもそも不倫する度胸はないし、彼氏との濡れないセックスを甘んじて受け入れるつもりだ。
世の中の夫婦がセックスばかりしてるとは思っていないけど、性的に全く唆られない相手と結婚するというのはどうなのだろうか。
もちろん、年齢を重ねるにつれセックスの頻度が減るとか、家族の情に変わっていくとか、そういうのは分かるのだが、最初から唆られないとわかっていながら結婚するのは不誠実なのだろうか。
そもそも、こんな軽々しく彼氏以外とセックスする人間が結婚について考えること自体、腐れ外道だとも思う。
セックスはしたい、しかしそれは彼氏ではない。風俗はセーフみたいな風潮があるが、それはセフレならどうなのだろうか。風俗と同じように絶対に情は移らないのに、それでもダメなのだろうか。
ということを最近とみに感じるようになった。
少なくとも、本当に最初に成人向けコンテンツに触れたあたりでは
まだそこまでこじれた性的指向はなかったと思う。
当時から触手やオークに女の子が襲われるシチュエーションは好きだったけど、
でも基本的にモンスターであまり意思がないので、単純にぬるぬるしてて
割と女の子も(手段はどうあれ)気持ちよさそうになるやつが好きだった。
けど歳を重ねるにつれて、どうやら自分は社会の底辺なんだということに
薄々気が付きはじめた。何をしてもどんくさくて笑われるし疎外される。
みんな愛想笑いしてるが、本心ではこんなゴミと一緒に居たくないと思ってるのだろうなと
そういうことがようやくわかるようになったあたりで、
攻め役が人権を剥奪して罵倒し暴行まがいの行為をする話に興奮するようになった。
あれこれ作中で顔なし主人公が褒めそやされてもまったく感情移入できない。
たんなるフィクションだとはっきりわかる。
ラブラブなイケメンと美女がエッチしてるのはそれはそれでいいなと感じられるし、
ある程度は興奮もする。まあ普通に絵がよければヌける。
でも罵倒されて豚以下の扱いになる話の方が十倍くらい興奮する。
肯定された気分になるのだ。人間捨てて獣みたいに這いつくばって
喋んな動物らしく鳴いてろみたいな話も、
もう一生懸命考えて口に出した言葉でみんなが変な空気になることもないと思えば
嘲笑はされるけど、それは頑張った結果嘲笑されてるわけじゃない。
そのままバカをやってバカだと笑われるだけだ。裏切りはそこにない。
頑張れやればできるなんてまったく思ってもいない言葉を吐かれて
結果できないやつだと笑われるよりよほど単純明快、わかりやすくていい。
周りは何も求めてない。クズがみじめに踊ってれば笑える。それで十分だ。
もちろん、実際にそういう行為をやりたいわけではないし、
当たり前だが痴漢も拉致監禁強姦も違法薬物も全部犯罪だしやる奴が100%悪い。
うんこしか食えなくてもケツからアルコール注がれても死なないしね。
頑張れ前向きに生きろ努力して偉くなれなんて誰も言わない。
人生は空っぽの壺で、最初は粒の大きいものも入れられるが最後には水みたいなサラッとしたものしか入らなくなる…って話をピクシブのエロ絵を見てて思い出した
ケモノなんかはかなり粒がでかい感じがする ケモナー属性持ちの人は結構な確率でマジでケモノの絵しか描いてない
拘束あたりもけっこうそう ちょっと縛られてるのっていいよね、みたいなレベルじゃなく、ガチで1センチも身動きできないくらいの拘束を好む人もかなりの確率でそういう絵しか描いてない 彼らを見てて面白いのは性行為が二の次になっていることで、ただ縛られてもがいているのを映しているだけのAVなんかもあるっぽい
性的指向とも関係しそうだけど、ショタとかフタナリもでかいな 一般的な異性愛絵師がちょろっと手を出したりもしがちなジャンルだけど、ガチでやってる人達は熱量が違う
かわいらしい女の子たちが出てくるコンテンツの二次創作沼にいる女です。
同じく二次創作をする周りの人たちが、
作中で性的指向を明言されていないキャラやキャラの振る舞いに対して「このキャラは(振る舞いは)レズ」と悪気無く当たり前のように発言する度に、勝手に傷ついてしまう。
発言する人たちも、悪気がないのはわかってる。むしろどの人も「私は同性愛に理解がある」ってスタンスだと思う。
女性が女性を好きで良い。女性同士が恋愛しても結婚しても良い(もちろん男性同士だって)。
そういうのが自然に当たり前な世の中になれば素敵だなあ、って思う。周りの二次創作をしてる人たちだってきっとそうだ。
私は二次創作で同性同士が手を繋いだりキスしたり、抱きしめ合ったりセックスしたりするのが嫌なわけじゃ無い。
ただ、
「このキャラはレズ」っていえる人たちも、男が好きな女を見て、女が好きな男を見て「これはヘテロ」とかわざわざ言わないだろうなあ、と考えてしまって。
「このキャラはレズ」っていう発言がもう、区切らなくてもいいものを区切ってるような気がして、悲しくなってしまう。
キャラのことを、都合の良いように勝手に決めつけているように感じてしまう。
テンプレじみた男女の恋愛関係を同性同士にすげ替えてるだけのようにも感じてしまう。
し、なんだかんだ私もそこから抜け出せてないのだろうとも思う。
という吐き出しでした。