はてなキーワード: 姦しいとは
ついでに何故か返答消されたけど、その前に用意したので投げるね……
なんか関係ない話くっつけてるだけに見えるな 画像認識の進歩のために画像生成は遠慮する? そもそも事業主体が違うだろうというね
Xでは絵師が反AIとして姦しいから勘違いされがちだけど、AIの用途ってそもそも画像生成だけじゃないんですよ!
入力をAIに投げて、AI側で加工して投げ返すという基本的な機序は、文章や画像を入力することで画像生成するAIでも、
画像や他のパラメータを入力して、それが何であり、どのような状態であるかを返すような認識用AIでも一緒なのよ。
で、加工内容を左右する学習データをどのように作るか、作って良いかが喫緊の課題の一つなんだけど、「そもそも無断学習するな」というのが反AIの主張なわけ。
なので、画像生成AIでも、データ分析AIでも、対応する法律はモロ被りします。
とはいえ、14年前に合法化され、あることを前提に動いている現代社会で無断学習禁止なんて、無理に決まってるじゃん! インターネット壊れるぅ!
当時、クラスメートが書いてたのを思い出す。
俺はというと内心“そういうカルチャー”を下に見ているような、文化人を気取る典型的イタい若造だった。
そんな陰キャと、そのクラスメートは仲が良くも悪くもなかった。
だが、クラスメートだから教室内にいれば姦しい会話は嫌でも耳に入ってくる。
耳にこびりついてしまったので、気になってその小説に目を通したこともあった。
結局、面白かったんだが、面白くなかったんだが、今ではタイトルすら思い出せない。
俺がケータイ小説の潮流を特に感じたのは、確か『あたし彼女』っていう作品が何らかの賞をとったというニュースだったか。
ケータイでメールやブログを書くような文体で書かれた本作は、ある意味で「ケータイ小説」というジャンルを象徴していたように思う。
それは、このジャンルに今まで触れてこなかった人間も巻き込み、賛否両論の渦を起こした。
そして“賛否両論”なんて表現をするときは、えてして“否”が多いものだ。
かくいう俺も“そのクチ”だった。
小馬鹿にする意図で『あたし彼女』の文体を真似てSNSに書き込んだりした。
「完全に駄作だし、こんなのに賞をやる奴らも阿呆」といった具合の振る舞いである。
今でも本作を面白いとは思っていないが、あれにも評価すべき点があったのは確か。
あげつらうこと自体が目的になっていたのは文化人として3流だったな、と我ながら思う。
そんな潮流のケータイ小説にも「定番の材料」といえるものがあった。
今でいうなら“なろう系”の「異世界」だとか、「転生・転移」だとか、「RPG要素」だとかだが。
ケータイ小説でいうと、それは「セックス」だとか「不倫」だとか、「妊娠・中絶・流産」といったものだった。
なぜそういった材料が定番化したのかを分析できるほど俺は有識者ではない。
それでも考察するならば、「自分にも関係なくはないけど、非日常感のあるシリアスな材料」がそれらだったんじゃないかと。
あれらの書き手や読み手には学生が多いと思うし、学生は保健体育で性知識を学んだばかりだから創作で使いやすかったんじゃなかろうか。
はてさて、なんでこんな話を、今さら。
はてブでもホッテントリになったようなので、既に読んだ人も多いだろうか。
作家は普段「りぼん」で描いているらしく、なるほど絵柄もそうだが表現や演出、コマ割なども実に少女漫画って感じだ。
漫画なら何でも読んでた頃は家族が買ってきたマーガレットも貪っていたが、概ね製法は変わってないんだなっていう安心感を覚えた。
そんな製法で作られた本作は、扱われる題材がケータイ小説みたいで不思議と新鮮。
皆にはどう映ったのだろうとブコメを眺めてみると、“リアリティ”があるだのないだの語る様子が目に留まった。
そういえば『あたし彼女』の選者にも、あれ(あたし彼女)を“リアル”だと評価している人がいたのを思い出す。
その妥当性はともかく、その時に俺はケータイ小説の潮流を、ふと感じたのだった。
潮の満ち引きは海が枯れない限り続くのかもなあ、みたいな?
https://anond.hatelabo.jp/20220817003734
そのとき、姉さんのほうから僕にキスをしてくるんじゃないかって思った。
でも違った。
姉さんは僕の尻を軽くポンと叩き、「こら、そういうのは好きな子としなきゃ駄目だよ?」と諭すように言ってきた。
それから手で涙を拭い、笑みを見せると窓に目を移す。
「綺麗だね」と姉さんが窓に目を向けながら、微笑んで言った。
だから
被害総額50万の詐欺師でも、田舎ではそれなりのニュースだったのかもしれない。
けれど僕は興味がなかった。
「よう、泡姫」
クラスメイトに呼びかけられ、振り返る僕。にやけ顔を目にしたとき、気付けば相手を殴っていた。
クラスメイトは不意をつかれて吹き飛び、クラスに悲鳴が上がった。
放課後、姉さんが呼ばれた。当然、向こうの親も。
その場には僕と担任の先生しかいなかった。ガラガラと戸が開く音。僕は振り返らず、背中越しに聞いた。
担任は立ち上がって会釈するように軽く頭を下げ、僕は振り返らなかった。
足音がすぐに近付いてくる。
でも姉さんは僕の横に来るといの一番に「すみませんでした!!」と大きく頭を下げた。
深々と頭を下げ続けた。
僕はなにもできなかった。
それに母親も。坂井なんとかっていう女優に似ていた。黒っぽいワンピースのような服を着ていて、何かの帰りに見えた。
姉さんは二人にも深々と頭を下げ、僕はそれでも頭を下げたなかった。
僕はまだ、怒りが収まりきれてなかった。
姉さんは深々と頭を下げ、僕の手を引いて廊下を歩こうとする。
僕はそれに従い、けれどこんな姿を誰かに見られなくもなかった。
すぐに手を離し、姉さんは困惑した表情を見せた。
それから僕と姉さんは学校を出るまで一メールぐらいの距離を隔てて歩いた。
帰り道、「もうこんな時間だし…晩御飯、ファミレスで食べてく?」と姉さんが言う。
僕は拒否した。迷惑を掛けたのに、さらに無駄遣いさせるのは忍びなかったから。
だから「いいよ、そんなの」と断ると、姉さんは「あっ」と言った。
でも違う。けど正しい。
姉さんはお店の客を自宅で相手することもあった。
僕はそのお金でゲーセン、カラオケ、たまに漫画喫茶へと足を向け、時間をつぶした。
それからお金をいくらかもらって姉さんと別れると、僕はゲーセンに向かった。
2時間ぐらい、時間をつぶしてから帰ると家の近所からカレーのにおいが流れてきた。
物心付いたころには”家族団らんでカレーを食べた”なんていう記憶はない。
にも関わらず、そのにおいは僕の哀愁を刺激した。
家に入ると「あ、おかえり」と姉さん。
「えっ?」と僕。微笑む姉さん。
姉さんは、そういう人なのだ。
だからこそ
省略されました。全てを読むにはわっふるわっふると書き込んでください。
よだかは、実に超絶みにくいクソブス鳥です。
顔は、ところどころ、味噌を嫌というほどつけまくったようにきったないまだらで、くちばしは、悲しくなるくらいひらたくて、耳まで60キロ程に超絶さけ倒しています。
足は、まるでクソザコナメクジみたいによぼよぼで、3ミリとも歩けません。
ほかのバリイケメン鳥は、マジでもう、よだかの汚物顔をチラッと見ただけでも、心底いやになって烈火の如くゲロを吐きまくって死に絶えてしまうという工合でした。
たとえば、バカデカひばりも、そんな言うほどあまり美しい怪鳥ではありませんが、顔面土砂崩れなよだかよりは、マジでずっと5京倍は上だと死ぬ気で思っていましたので、20連勤の帰りのバチクソ疲れた夕方など、よだかの顔面テロにあうと、さもさもいやそうに、60時間かけてしんねりと目をつぶりながら、首をそっ方へ捩じ切れんばかりに向けるのでした。ミジンコ程にもっとちいさな、嫌んなっちゃうくらい姦しいおしゃべりのアホ鳥などは、365日年中無休でいつでもよだかの完全まっこうから自殺に追い込まんばかりの悪口をし倒しました。
「ヘン。又また出て来やがりまくったね。まあ、あの目を覆いたくなるようなザマをごらん。ほんとうに、どうしようもないくらい、鳥の仲間のムナクソつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちのヤバいおおきいことさ。きっと、ハマダの親類か何か生き別れた遠い遠い兄弟のご先祖様なんだよ。」
もう嫌んなっちゃうくらい、こんな調子が永遠と地球滅亡の日まで続くのです。おお、マジで真剣によだかでないただのバキバキマッチョな鷹ならば、こんなチンケで生なまはんかのミクロ級にちいさい庭鳥(チキン)共は、もう名前をガチの最小ボリュームで聞いただけでも、エグいくらいの超音波振動でぶるぶるとふるえて、顔色をカプリ島の青の洞窟もマジで超灰色に見えるくらい真っ青に変えて、からだをパキッパキに圧縮した羽毛布団くらいちぢめ倒して、草葉の葉のかげにでもマッハでぶっ飛んでかくれたでしょう。ところがどっこい、薄々気づいてたけど夜だかは、ほんとうは鷹の腹違いの兄弟でも親類でもマジで全然ありませんでした。かえってその実、クソブスよだかは、あのアホみたいに美しく艶めかしいかわせみや、きったねえ鳥の掃き溜めの中のメチャクチャ高級な宝石のような蜂すずめのバチボコ兄さんでした。蜂すずめは超高級・花の蜜みつを腹が炸裂せんほど食べにたべ、かわせみはくっせえお魚を一湖まるごと根絶やしにする勢いで食べまくり、一方チンケな夜だかはザコい羽虫をチョロっと取ってたべるってのだけでした。それにクソザコよだかには、超絶切れるカッター程するどい爪も、エクスカリバー程するどいくちばしもありませんでしたから、どんなに悲しいくらいクソ弱い鳥でも、ナメクジの500倍の強さのよだかをこわがる筈はずは微塵も全く全然なかったのです。
突然だが俺はもう止めようと思う。
『地球に優しい』とか『地球を守ろう』というスローガンに代表される、環境に配慮した生活を、である。
別に今更「"地球の為"なんておためごかしだろwww 人間が困るからやってるだけだろwww」みたいな中二病に開眼したわけでも、宗教右翼的な温暖化懐疑論に鞍替えしたわけでもない。気候変動の対策は何より人類の為なんてことは、重々承知だったし、少なくとも今のままなら温暖化は進むだろうと思っている。
端的に言ってもうモチベーションが無い。尽きた。というか何で今まではモチベーション続いてたんだ、ってレベル。
世間は『サスティナブルな社会の在り方』とか『SDGs』とかで姦しいけど、そもそも俺には『今の社会を持続させる』動機がなーんも無いことに、遅ればせながら気付いたわけだ。
俺には子供はおろか姪や甥もいないし、何か後世に残せるものもない。何者でもないまま孤独に死んでいくことしか出来ないしがない一市民だ。(同世代のいとこは結構いて子供もいる家庭持ちも多いが、いとこやその子供たちが俺を孤独から救ってくれるわけでもないだろうから遠慮はしないことにする。そもそも同世代でも、家庭持ちと独身の間にはどうしたって断絶が生じるのである。)
だから俺は下りる。環境に配慮することはもう止める。石炭発電もバンバンやれば良いし、コンビニでは毎回袋貰おうと思うし、ガソリンエンジン車の暖気運転もガンガンやろうと思っている。
別に環境に配慮した生活にウンザリしたわけではない。地球温暖化対策にネガティブになったというより、温暖化が進むことにポジティブになったと言うべきか。仮に温暖化で生活が苦しくなったとしても、自分一人なら全然平気な気がするし。
それよりも運が良ければ地球温暖化による世界の変革を目の当たりに出来るかも知れない。そっちの方がよっぽど楽しみだし、モチベーションも湧くってものだ。
グレタ・トゥーンベリさんとかには怒られるかもしれない。「私たちの未来を奪うな!」って。うん、ごめんね。でも俺にはそもそも未来なんて無かったんだよ。そんな人間に自分がいなくなった後の未来のことまで考えろってのは、そもそもリアリティのある話じゃないんだよね。
オタクのお気持ち表明文やらなんやらが最近増田で流行っているらしいので、便乗して自分も反転増田を語ります。
特定されたくないので全部フェイクです。適度な反転だと思って読んでいただければ。
例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲに重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂腐女子な事も含めて。
腐女子と言うと語弊がありそうですが、ここで言う腐女子は「メイクやファッションやスキンケアに興味が全くないどころかそれを憎んである節があり、ある程度有名なアニメや声優やソシャゲを知っていて、それを腐女子なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。
自分はあまり(上記の基準で語るところの)腐女子ではありません。
アニメなんて今期のアニメ全部チェックしなくても問題ないし、最低限自分の好きな物が見れれば作画崩壊だろうが知ったことではないです。アニメのことはオタクと関わるための手段ではなく、自分の中で楽しむものと考えています。
ソシャゲだってパズドラと刀剣乱舞くらいしか知りません。ゲームなんてツムツムやポケモンGOで問題ないでしょう。それなりに楽しめます。
声優もよく分かりません。アニメを好きになったら声優の名前も全部覚えなきゃいけないんですか。声がかっこいいなとは思うけど「耳が孕む」とか下品な言葉は嫌いです。
萌えキャラだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整ったキャラと区別がつきません。というかそもそもその子は可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います。
ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私は腐女子と話す機会が何度がありました。
初めは何気ない世間話から会話が始まります。最近天気悪いねとかコロナはやく収まれとか食って痩せたい とか、そういう。
そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。腐女子の私生活の話なんて、まあCPとか鬼滅とか流行りものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります。
「へえ」
推しに流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように覇権を知ってると思って話を続けているんですから。
黒子のバスケだったかハイキューだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。
私からしたら、好きな本読めばいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、推しを決める判断基準は覇権という点が1番大事なことなのでしょう。
姦しい声を上げつつピスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクをミュートにしました。
また別のある時、好きなキャラの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、
「どのカプが好きとか、ある?」
と聞きました。
ないよ。と返せる訳もなく(この場でカプとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホで画像検索をして適当な漫画のキャラの名前を読み上げました。正直ジャンプかどうかも自信がなかったですが。
すると相手は
と言われ会話が終わりました。
私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのカプの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた漫画の話は知らないで切り上げ。
私がもっとジャンプをしっかりチェックしていて、神絵師も知っていて、アマプラでちゃんとアニメを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。
そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のコミケ知識程度なら付き合えるようになってきた頃。
彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服が高級感溢れてて嫌味ったらしい。話すことも仕事や子供のことばかり。アニメなども全く見ていない。そもそも化粧バッチリな日もある。オサレで陽キャ気取ってて最悪」だと。
私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。
服装は何を着ても清潔感のある格好ならいいじゃないですか。わざとみすぼらしい格好する必要がわかりません。
話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。自分が無職で独身だからと言ってAの近況にいちいちムカつかなくていいのでは。
メイクだって服だって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか?陽キャ気取ってて最悪なんて陰口叩かれるのは心外です。
化粧してるのも肌質の問題や、仕事の都合もあるでしょう。化粧したからといって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室で好きなメイクくらいしたっていいでしょう。
と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「社会人デビュー乙」という感じで私とは違いました。
この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはホモやアイドルや声優の話が好きなちゃんとしたオタクです。
世間的にちゃんとしてるというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。
32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。
金遣いに関しても、好きな物にお金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金も自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。
長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとしたオタクと、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間が相互理解するのも難しいのでしょう。
私は金は単行本やインテリアや旅行に使いたいですし、架空のキャラに馬鹿みたいに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人が自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います。
自分の悪い所…ちゃんとしたオタクの話についていけず、いつまでもこんなお気持ち長文書いて周囲の同情を引こうというところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。
自分を自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとしたオタクにならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。
変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。
オタクのお気持ち表明文やらなんやらが最近Twitterで流行っているらしいので、便乗して自分もお気持ちを語ります。
特定されたくないので一部フェイク含みます。半分フィクションだと思って読んでいただければ。
Twitterを見ているオタクの人であればきっと分かるであろう例えで自分を評するなら、自分は32歳腐女子です。通称京極夏彦が書いた方の30歳腐女子でもあります。
例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲに重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂ちゃんとした女な事も含めて。
ちゃんとした女と言うと語弊がありそうですが、ここで言うちゃんとした女は「メイクやファッションやスキンケアに興味があり、ある程度有名な女優や俳優やモデルを知っていて、それを女なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。
自分はあまり(上記の基準で語るところの)ちゃんとした女ではありません。
メイクなんてそれなりの見てくれになれば問題ないし、最低限整えば使うものがプチプラだろうが知ったことではないです。メイクのことは自分を可愛く見せる手段ではなく、社会に出るにおいて文句を言われないようにするためだけの邪魔なものだと考えています。
ファッションだってブランドなんてGUCCIやPRADAくらいしか知りません。着るものなんてGUやUNIQLOで問題ないでしょう。十分外に出ても文句言われない格好が出来ます。
スキンケアもよく分かりません。名前もよく知らない洗顔剤使って風呂上がりに化粧水ぶちまけるだけでいいと、ここ数年間信じていました。
モデルだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整った女と区別がつきません。というかそもそもその子は可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います。
要するに、私はちゃんとした女から見たら無知なガキなわけです。
ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私はちゃんとした女と話す機会が何度がありました。
初めは何気ない世間話から会話が始まります。最近何のアニメ/ソシャゲ/漫画見てる? 前描いてた絵がさあ〜、あの動画みた? とか、そういう。
そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。歳若い女の私生活の話なんて、まあメイクとかファッションとか流行りものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります。
「あっ、そういえばこの間新しいコスメと服を買って」
「へえ」
「○○のところから新色が出てて、これは今年の流行りの色で……」
色に流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように流行色を知ってると思って話を続けているんですから。
マカロンカラーだったかシャーベットカラーだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。
私からしたら、好きな色着りゃあいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、服の色を決める判断基準は流行色という点が1番大事なことなのでしょう。
姦しい声を上げつつコスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクをミュートにしました。
また別のある時、好きなモデルの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、
「どのモデルが好きとか、ある?」
と聞きました。
ないよ。と返せる訳もなく(この場でモデルとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホで画像検索をして適当に好みな女性の名前を読み上げました。正直モデルかどうかも自信がなかったですが。
すると相手は
と言われ会話が終わりました。
私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのモデルの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた女性の話は知らないで切り上げ。
私がもっとインスタをしっかりチェックしていて、美容系アカウントも知っていて、テレビでちゃんとドラマを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。
そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のデパコス知識程度なら付き合えるようになってきた頃。
彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服がガーリー系で大人っぽくない。話すこともアニメや流行りのソシャゲのことばかり。メイクなども流行り色全く入れてない。そもそも化粧してない日もある。ダサいし陰キャだし最悪」だと。
私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。
ガーリー系の服に何か問題があるのでしょうか? 大人だからといって大人びた服装をするのは必須なことなのでしょうか?
話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。Aもオタクでアニメやソシャゲをやっているのだから、気にしなくていいのでは。
メイクだって服だって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか? 流行り色に囚われなくても死ぬ訳じゃあるまいし。
化粧しないのも肌質の問題や、昨今のことですしマスクの都合もあるでしょう。してなくたって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室でメイクとかめちゃくちゃめんどくさいですよ。着替えてるだけで偉くないですか。
と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「アニメしか見てねえのかよ」という感じで私とは違いました。
この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはファッションやメイクやモデルの話が好きなちゃんとした女です。
ちゃんとしていないというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。
32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。
金遣いに関しても、好きな物にお金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金も自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。
まあ、正社員になりたがらなかったり歳下とこの時期にオフ会したりするのはなかなかだと思いましたが、その辺以外は別に何か言われるようなものでも無いんじゃないか? と。
長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとした女と、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間が相互理解するのも難しいのでしょう。
私は金は同人誌やグッズや遠征費に使いたいですし、どうやっても自分以外になれないものに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人が自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います。
自分の悪い所…ちゃんとした女の話についていけず、いつまでも子供らしいところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。
自分を自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとした女にならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。
変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。
追記1:
30の女の話だとは〜等色々な反応があったので、答えられる部分は追記しておきます。
私の年齢は21です。例として挙げた32歳腐女子とは年代も違えば環境とか考えた方も違うでしょうし、並列として語るのはおかしかったかもしれません。すみません。
ちゃんとした女という言葉を用いた理由としては、彼女達がメイクやファッションに興味が無いのはおかしい、と言ったようなことを語っていたので…。なら私は普通でなく、ちゃんとしてないのか? と思い、そういう表記にしました。
ちゃんとした女の例として挙げた人達は、(一部はリアルでも友人関係の人もいますが)ほとんどはネット上だけの付き合いの友人です。
元々某アニメのファンという繋がりでTwitterで話をしていて、そのうち他人行儀な態度がなくなり、私生活の話を話題に持ち込むようになった…というわけです。
今でもそのアニメの話をしている時等は楽しく話せていますし、彼女達の事を嫌いだとかそういうことは思っていません。メイクの話等もその話を心底辞めて欲しいと思っているわけでもないです。ただなんとなく、価値観にズレを感じ心苦しいのです。
増田(この増田で引用している増田、つまり君だよ)は勘違いをしているみたいだね。
上は、元増田(君が引用している増田)からの再引用だけど、元増田が本当に書きたかったのは、「『増田ガール』じゃないか!(ガールじゃないか!)」って意味なんだよ。
「バカー」と「大好き」ぐらいの違いがあるけど、きっと、元増田はカタカナ入力できない昔のキーボードを使っていたんだね。
ところで、「増田ガール」とは、結城浩著「数学ガール」みたいに、ある分野に卓越すると、教えを乞う女の子が現れてその子たちと親しくなって生き甲斐を得られるその現象のことだよ。
えっ? 実際にそんな女性が現れる訳がない?
そんなことはどうでもいいんだ。現象としてネーミングをつけ周知することによって、実現の可能性が生まれるんだ。フレーミング効果ってやつだね。
例えば、「増田ガール」こそ、最近はコロナ関連で特に姦しい、レスバではしゃぐ増田たちが本当に必要だったもの、なんだよ。だから、元増田は卒業式の「呼び掛け」手法で、
と復唱しているわけだ。カタカナが入力できない昔のキーボードだから伝わりにくいけど、復唱部は増田たちの心の声を現しているんだね。レスバをする増田たちが微笑ましく見えてくるね。
だから、「レースクイーン」のように「増田クイーン」と呼ばれないのも、そこに理由があるよ。
言うには、「レースクイーン」のように、ただ観戦して励ましてくれる女性では、増田たちのレスバ心(老婆心)を満たさないようなんだ。「教えを乞う」という要素が、論破を生き甲斐にする彼らにはどうしても必要なんだね。
増田(この増田で引用している増田、つまり君だよ)も、「増田ガール」の存在に期待して、7年と言わず、今後も生きて増田を続ければきっと良き日を迎えられるよ。カラスの咥える御手紙みたいに、教えを乞う女性が現れるよ。わかったかな。
最近痴漢対策に安全ピンがどうとか姦しいが、痴漢対策に関する議論が巻き起こると必ず出てくるのが、「冤罪が」「無関係の人を巻き込むのか」という痴漢被害者による被害を懸念する声だ。
個人的には安全ピンによる痴漢対策は反対だ。その場でのちょっとした罰で済ませるなんて、その時の被害者の胸が少しすく程度だろう。それよりはガンガン声を上げてどしどし犯人を警察に突き出すべきだと思っている。
さて、痴漢冤罪だが実際どのくらい起こっているのだろうか?ググってみれば分かるが、『○○年度の痴漢冤罪件数』みたいな統計資料は存在しない様だ。
つまり『痴漢冤罪』なんてものは存在しないのだ。2015年の痴漢件数は約3200件だそうだが、その内1件も冤罪は無いのだから如何に痴漢冤罪の発生が極々稀なケースであるかが判る。
言うなれば痴漢冤罪とは、イメージだけが先行して勝手に膨らみ過剰に恐れられている空想上の怪物に過ぎない。屏風の虎と言ってもいい。
痴漢冤罪が云々言う人間はおそらく自分はおろか知り合いが痴漢の濡れ衣を着せられたことすら無いだろう。
と言うわけでそんな1000件に1件あるかも怪しい痴漢冤罪に時間や金を割くのは無駄と言って良い。仮に冤罪が発生してもそれは痴漢を撲滅する上での必要な犠牲であろう。