はてなキーワード: フレーミング効果とは
そのことを思えば、生来の名前とその人の「体」、すなわち人格は何の関係性も無いことがわかる。
すると、「名は体を表す」での「名」は、その人の人格が明確になった後に名付けられる名称、すなわち、「あだ名」のようなものだと考えるのが自然な解釈だろう。
そうだとすれば、「名は体を表す」という言葉は、「あだ名」はその人の性格を表している、といった意味合いになるはずだ。
これは、「名」を生来の名前だと解釈するよりも、ずっと納得しやすい理解の仕方だろう。
しかしながら、その人の性格が「あだ名」を決める、すなわち、「体が名を表す」の方が正しい因果関係にも関わらず、格言化されているのは「名は体を表す」である。
ならば、重要なのはここからだが、「名は体を表す」という言葉は、「あだ名」の付け方によって、その相手の性格をオーバーライドできる可能性を示しているのではないか。
もちろん、「あだ名」の付け方によって、その相手の性格が本当に変わることは少ないだろう。
例えば、相手のことを「馬鹿」と呼んで、本当に馬鹿になる相手は居ないだろう。
しかし、確実にオーバーライドできるものがある。それは、「あだ名」を付けた側の自己認識である。
例えば、相手のことを「馬鹿」と呼んだ人間は、確実に相手のことを馬鹿にする。
ちなみに、これは「嫌な上司」など嫌な相手が居るときにも応用できる。その相手のことを、陰で「○○たん」とか「○○りん」とか、かわいい「あだ名」で呼ぶのである。
そうすると、相手が変わらなくても自己認識が変わってくる。嫌な奴に好ましい別名称を与えることで、あなたの認識も好ましい場所へとリンクされるのだ。
以上をまとめると、「名は体を現す」という言葉の本当の意味合いは、その相手の人格を名前付けによってオーバーライドできるということなんだと思う。
これが、タイトルに書いた「『名』で『体』を逆定義すればいい」という発想だ。自己にとって好ましい「あだ名」を付けることにより、その相手への認識を改めることができるのだ。
もっと言い換えるなら、「あだ名」にもフレーミング効果がある、というのが「名は体を表す」の本当の意味合いであり、その格言が示したいのは、「あだ名」は自己認識を変えて人間関係を改善するのに役立つだろう、ということだと思うのだ。
増田(この増田で引用している増田、つまり君だよ)は勘違いをしているみたいだね。
上は、元増田(君が引用している増田)からの再引用だけど、元増田が本当に書きたかったのは、「『増田ガール』じゃないか!(ガールじゃないか!)」って意味なんだよ。
「バカー」と「大好き」ぐらいの違いがあるけど、きっと、元増田はカタカナ入力できない昔のキーボードを使っていたんだね。
ところで、「増田ガール」とは、結城浩著「数学ガール」みたいに、ある分野に卓越すると、教えを乞う女の子が現れてその子たちと親しくなって生き甲斐を得られるその現象のことだよ。
えっ? 実際にそんな女性が現れる訳がない?
そんなことはどうでもいいんだ。現象としてネーミングをつけ周知することによって、実現の可能性が生まれるんだ。フレーミング効果ってやつだね。
例えば、「増田ガール」こそ、最近はコロナ関連で特に姦しい、レスバではしゃぐ増田たちが本当に必要だったもの、なんだよ。だから、元増田は卒業式の「呼び掛け」手法で、
と復唱しているわけだ。カタカナが入力できない昔のキーボードだから伝わりにくいけど、復唱部は増田たちの心の声を現しているんだね。レスバをする増田たちが微笑ましく見えてくるね。
だから、「レースクイーン」のように「増田クイーン」と呼ばれないのも、そこに理由があるよ。
言うには、「レースクイーン」のように、ただ観戦して励ましてくれる女性では、増田たちのレスバ心(老婆心)を満たさないようなんだ。「教えを乞う」という要素が、論破を生き甲斐にする彼らにはどうしても必要なんだね。
増田(この増田で引用している増田、つまり君だよ)も、「増田ガール」の存在に期待して、7年と言わず、今後も生きて増田を続ければきっと良き日を迎えられるよ。カラスの咥える御手紙みたいに、教えを乞う女性が現れるよ。わかったかな。