はてなキーワード: 名前とは
立花氏が言及していた百条委員会の音声データの疑惑、クーデターの資料、局長の不倫の疑惑など。
今回の選挙はこういった疑惑について当事者が反論するだけで稲村側の圧勝だったよな?
「立花氏のいってることは名誉毀損です、陰謀論です、デマです、荒唐無稽の戯言です」
根拠を元に反論するだけでよかったんだ。それだけで圧勝できたはずだ。
なんでしなかったんだ?
なのにプライベートだからの一点張りで公開しなかったのはなぜなんだ?
ここまでだんまりを決め込まれると疑心暗鬼になるのは当然だろ?
稲村側とメディアはくだらない陰謀論と一笑せずすべてに言及反論すれば良かったんだ。
それだけで立花氏は再起不能にできたはずだし兵庫県知事も稲盛の圧勝だったはずだ。
そういった成果を得られたのに、言及反論することがそんなにコストを気にすることだったのか?
圧勝できるのに?
ほんとそれだけで圧勝だったんだ。
みんな稲村に入れてた。
なのにそれをしなかった。
なぜなんだ?
※追記
訂正:稲盛→稲村
十年弱飼っていた猫が死んでしまう。
ある日突然全くご飯を食べなかった。
前の日まではこれまでと同じように普通にご飯を食べていたのに、その日、一日中何も食べなかった。
ちゅーるやウェットフードをあげたら少しだけ食べたけど、ほんの少しだけだった。
元々痩せている小さい猫で(あまり胃が大きくないのか、若いころからあまり多くは食べなかった)、数日あまり食べないことが続くだけでみるみる細くなった。
ほぼ食べなくなってもう2週間経つ。
まるで自ら死に向かうことを望んでいるように、多分猫としては最低限の妥協ラインなのか「ちゅーるを小指の先くらいだけだけ」のご飯しか食べずに痩せていく。
ちゅーるをひと舐め、ふた舐めすれば「頑張って少し食べたな」と思う。
数日前は鼻先にもっていけば、少しは自分でちゅーるを舐めたのに、ここ二日は持って行っても食べなくなった。
人差し指でほんの少しちゅーるを口に入れると、少しだけ舐めるが、飲み込みづらいのか口をくちゃくちゃさせている。
まだ少しだけ歩くことは出来るので、飲み込みも出来るだろうと思って口に入れてあげているが、だんだん体力も落ちてきているし、もしかすると飲み込めなくなるのも時間の問題かと感じる。
今では背中を触ると骨がごつごつとしているのが分かるので、いつものようにむにゅむにゅと撫でることはできなくて、そっと毛に触れる程度で背中をなでている。
錠剤のステロイドと注射の抗生剤を使い緩和ケア(ターミナルケア)をしている。
インターネットでステロイドは食欲が出ると見たけど、それでもご飯は食べなかった。
良くなったのは「暖かい場所に居るようになった」ということくらい。
ステロイドを使う前は、猫は冷たいところに行きたがった。私が少し目を離したら、部屋の隅の寒いところ(ベランダへ出る引き戸の近く)に一人で行って身体を冷たくしていた。
慌てて猫のそばに行って抱きかかえた。猫の手も足もびっくりするくらい冷えていて、体温も感じられなくて「こんなに冷たかったらすぐに死んでしまう」と思った。
私が少しでも目を離せば、猫は冷たいところに行った。そうして身体が冷たくなった猫に毛布を掛けたり、弱にして少し布団を上げて熱すぎないようにしているコタツに入れたり、ほのかに温かいカーペットの上にのせたりすることを何度もやった。
身体の冷たくなった猫が一回呼吸をするたびに、「次の息はするのだろうか。寒い場所で冷たくなって死ぬのだろうか」 と怖くなった。
ステロイドを飲むようになったら、自分でコタツに入っていった。
猫が自分でコタツの奥に入っていくだけでこんなに心の底から嬉しい。
コタツでゆっくり眠っているのを、起こさないように少し見るだけで、わたしは感激して胸が詰まってしまう。
きっとこうして温かい場所に居るだけで、猫の寿命は少しだけ延びたと思う。
逝ってしまうその瞬間に私の腕の中に居たらいいが、ずっと抱いているわけにもいかないしタイミングによると思う。
最初出会ってわたしがその猫を「自分の猫」にしたのは、「冷たい場所に居てほしくなかった」という理由だから。
私はその猫が大好きで、今までとても可愛がってきた。
毎日「可愛いね」と言った。誰よりもその猫を撫でて、抱きしめてきた。
自分に余裕がなくあまり撫でてあげられなかった日もあったが、まるで自分の子供のように基本的に毎日ずっと可愛がってきたと思う。
私の人生の悲しいことも嬉しいことも、何かあれば猫に報告していた。
この十年弱はどちらかと言うと悲しいことが多かったけど、猫は優しい重みとほのかな熱で、いつも私の心を温めてくれた。
まだまだ元気な時にも、年に3回は「猫が死んでしまったら」と考えて一人で大泣きしていたくらいには大好きだった。
もう何十回も考えて涙してきたことなのに、いざその時が来るとそんな「心の準備」は役に立たなくて、毎日大泣きしている。
ほんの少し前に、いたずらな猫を見て「もう年だけど、まだまだ元気だな」と苦笑いしていたのに。
猫も、私のことが一番大好きだった。
家族が名前を呼んでも返事をしないのに私には返事をしてくれたし、私が帰宅する3時間前から少し寒い玄関の前で座って待っていてくれた。
猫はおしゃべりでよく何か話していた。私がお風呂やトイレに行く時もついてきて、猫はドアの隙間から私に話しかけていた。
わたしがご飯を上げるときに「ご・はーん」 「ご・はん」と言っていたら、猫も「にゃ・にゃーん」 「にゃ・にゃ」と鳴くようになった。それまでは「にゃー」 「にゃ」と言っていたのに。
ずっと「ごはん」のリズムで鳴いているのが面白かったけど、私と会話したくて真似して覚えたのかな、と思うととても愛おしかった。
猫が返事をする時は、嬉しそうに目を閉じながら「にゃ」と言った。今はもう鳴かず静かに過ごしているけど、私が呼びかけるとゆっくり目を閉じてくれる。
私の大好きな猫が死に向かっていくのを、毎日ボロボロ泣きながら最期のお世話をしている。
撫でる時は優しい声で話しかけて、なでてあげている。
後悔はいくつかあるけど、沢山撮った写真が、今まで猫が過ごしてきた沢山の穏やかな時間の証拠となって、私の心を少し穏やかにしてくれる。
少し前、居なくなるのは本当に悲しくて辛いし怖くて、信じられないし、受け入れられなかった。今でも完全に受け入れられているとはとても言えないけど。
でも少しずつお世話をする中で、「 『平均寿命』と言われる年まで生きて、猫の一番の死因となる病気・ガンを患って死ぬのなら、ある意味老衰のようなものではないか。それはそれでまだ幸せな逝き方だ」と少し考えられるようになった。
せめて暖かさを感じながら逝ってくれるならいいと、少しは思えるようになった。
猫はコタツで眠りながら、私に心の整理をさせてくれているのかなと少し思った。
大好きなわたしの猫。
猫はいつまでも私のことを大好きでいるのが分かるし、そして私もいつまでも猫が大好きだよ。
こんな猫がどこかに居たことを誰かに知ってほしくて書きました。
これを読んでいるどこかの猫の飼い主さんへ。沢山可愛がって、写真も沢山撮って(撮りすぎとか似たような写真多すぎって思うくらい撮ってください)、思い出を残してあげてください。
>癌を治してやれよ
そうできたなら良かったのにと思います。
もちろんごはんを食べなくなって病院にすぐ行き相談しましたし、猫の検査も色々しました。通院も何度かしていますし、緩和ケアだとしても二週間に一度は通院しないといけないと言われました。
自分でも色々と調べた上で、猫の状態や、体力、治療の副作用、猫へのストレスを考えてこの選択をしました。
余談ですが、私はこうなって初めて、人間とは違って猫は点滴で栄養を殆ど取れないということを知りました。
私は猫の状態を見て、治療よりも猫が少しでも穏やかに過ごせるようにする緩和ケアの治療の選択をしました。
優しい言葉や、経験の話や、アドバイスなど頂き、少し励まされました。ありがとうございます。オムツもさっそく用意しました。
猫が穏やかに過ごせるように気を付けながら最期までしっかりお世話してあげたいと思います。
(根気よくちゅーるを口もとに持っていくことを日々していたら、ちゅーるを1本弱くらい食べました。1本だけでは生きるエネルギーには全然足りないけど猫も頑張ってくれているのが分かります)
こんなどこかの猫(と飼い主)に言葉をかけてくださったり心のなかで少しでも想ってくださった優しい方々が、健やかに過ごせますよう願っています。
隣に住んでいた人が引っ越した。50代くらいの男性で、無口で目立たない人だった。廊下ですれ違う時に軽く会釈を交わすくらいで、名前も知らない。お互い特に干渉せず、近すぎない距離感が心地よかった。
引っ越しの朝、たまたまゴミ出しのタイミングで顔を合わせた。「お世話になりました」とだけ言って、小さく頭を下げていく姿を見た。それが最後だった。
その後、管理会社から手紙が届いた。部屋に荷物が残っているから確認してほしいという内容だった。正直、自分には関係ないと思ったけど、なんとなく気になって覗いてみることにした。
ドアを開けた瞬間、思わず言葉を失った。家具も家電もそのままだった。食器や衣類、本棚の本まで手つかず。まるで「この家で暮らしていた証拠」を全て放置して出て行ったようだった。
その中で、棚に置いてあったノートが目に留まった。開くべきじゃないと思いながらも、どうしても気になってしまった。
「隣の部屋の物音が聞こえると少しホッとする」
「引っ越しが決まった。ここを離れるのは少し寂しい」
最後のページにはこう書かれていた。
「誰にも迷惑をかけずに終わりたい。それが一番だと思う」
その一文を読んだ時、胸が詰まった。隣の人が何を考え、何に苦しんでいたのか、何も知らなかった。話しかけるべきだったのか、それともただ静かに見守るべきだったのか。答えは出ない。
ノートはそっと棚に戻し、部屋を後にした。それからしばらく経つけれど、隣人のことを考える時がある。静かだった隣の部屋から、あの人の足音が聞こえてきそうな気がする時がある。
名前も知らない人のことを、こんなに思い出す日が来るなんて思わなかった。
いくら名前を並べたところで、あんな高圧的な書き方じゃ逆効果なんだよなぁ
判官びいきになるだけだ
辞めさせられる者も辞めさせられなくなってしまう
そういう構成要素からくる成り立ちもそうだけど、やっぱりパッケージング、「ロングノーズ・ショートデッキ」の本当にお手本のようなスタイリングなのがスポーツカーの基本原則といった感じで素晴らしかったとおもう
…まぁ(リヤ)ミッドシップも良いんだけど、あれはやり過ぎるとぜんぜんカッコよくなくなるのが痛し痒し
(最近だと、とくにフロントエンジンからリヤミッドシップになったコルベットにおいて顕著、名前はいっしょだけど別のクルマに感じるくらいそれまでのカッコ良さが無くなったとおもってる)
Swing state Trumpの有権者からの何百時間ものインタビュー映像を調べた後、他の要因が選挙の結果に影響を与えたのと同じくらい、民主主義に亀裂を引き起こした私たちの崩壊しつつあるメディアの風景が最も責任があると確信しています。
戦後、ニュースは三つの主要なチャネルによって支配され、公平性の教義のために、各局は同じ話を報告し、各問題の複数の側面をカバーしました。 視聴者は、主にニュースアンカーの性格に対する好みに基づいて、どのチャンネルを視聴したかを選択しました。 もちろん、このモデルには問題がありましたが、結局のところ、アメリカ人は共有された一連の事実を扱っていたことを意味しました。
共有された一連の事実は、私たちが今日住んでいる世界ではありません。
私のインタビューを通して、陰謀説は横行していました、そして別々の州全体で少なくとも5つの別々の機会に、私はビルゲイツが私たちの食べ物を改ざんし、彼の医療投資をより収益性の高いものにするために私たちの果物と野菜にプラスチックを加えていると言われました。
有権者との会話では、どちらの側も彼らが気にしていた多くの特定の政策問題に名前を付けることができなかったようでした。
この行動は有害ですが、私は毎日のアメリカ人を責めません。 非難は、彼らを追放し、幻滅させ、そして誤った情報を伝えたメディアに落ちます。
こういう「一般人の感覚」を異常に重視して大事なこと決めちゃうのがこの国の根本的な問題なんだよね
この件にしても、300万円そこらで海外の優秀なエンジニアを雇ってるって考えれば、将来何も還元せず卒業後すぐ帰ったとしても破格の働きじゃないか?
OISTに来てるやつらなんて、国に帰れば卒業後すぐに日本円で年収2000万とかもらうような連中だぞ
能力も卒業前後で大きく変わるわけじゃなし、300万で買いたたいて日本の機関として世界中に名前を売ってくれてるって考えればおかしいと思わないか?まさか学位とった瞬間にポケモンみたいに進化して急にできることが増えて年収2000万に値する人間になるとか思ってる?
ましてやタダ働きして学費払えとかになると頭おかしいとしか思えないんだが、最近学外の人とかと話してると「学生」と「社会人」で大きく分けてるっぽいんだよね
こんなだから修士号すら持ってないポンコツ研究者を「社会に出てる」という一点だけで世界的スーパースターの博士課程学生より上位に置いて物を考えたりしてしまう
「学生」っていう言葉が独り歩きしすぎなんだよね 認知がゆがんでいるしいつまで昔の話してんの?って感じ 学生も教員も遊んでテキトーにやってる時代はとっくに終わってるんだよ
序盤にネット世界にはリアル世界の違いとして「三大法則がある」と書かれていて、これは現在どうなったかと言うと
(1)(企業に膨大な顧客データが集まることにより)神の視点を獲得できる
→ その後、ビッグデータ活用とかデータサイエンスの話になって現在も進化中。
(2)リアルで仕事をしている間もネット上に作った分身で金を稼げる
→ アフィリエイトブログを経て現代ではYoutuberになった。
しかしYoutuber同士の競争が激しく、結局はみなリアルで体を張っており、お気楽な副業というよりは専業職と化しつつある。
(3)(≒無限大)×(≒0)= something (塵も積もればなんか新しい価値が見つかる。「「一億人から3秒ずつの時間を集めてなんかやる」的発想)
→ この方向性はニッチな分野での活用に留まったように思われる。
00年代には「数十万人の個人PCの余った計算資源で白血病ゲノム解析を!」みたいなプロジェクトがあり(名前忘れた)、参加者も多かった。
しかし計算資源の確保というジャンルでは結局データセンターで集中的にやる方が効率的という世の中になった。
他には大人数でGoogleEarthの衛星写真から遭難者を探せ、とかもあったな。
現代でも、散歩してる人にそのへんの電柱を撮影してもらい写真を保全チェックに使う、というタイプのプロジェクトはあるが、そこまでメジャーではない。
1/2週目
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03 ゲーテ
・04 火の鳥
・07 京子
・08 夢(をたくして
・09 [近似値]622
・13 家綱 いえつな
・16 20[チーム
・18 [英語]チャプター
・22 土方歳三 ひじかたとしぞう
・25 夢枕獏 ゆめまくらばく
・26 [3択]第 十一 章
・27 メディチ(家
・29 [あずき]大納言 だいなごん
・33e [2択]ハリ モグラ
犬のハチがいなくなった。
ふと目を離した隙に姿が見えなくなってしまった。
リードが外れてしまったのか、どこかへ走って行ったのか、とにかく姿が見えない。
慌てて名前を呼びながら近所を探し回ったが、どこにもいない。
普段はちょっと呼べばすぐに戻ってくるハチなのに、今日はどれだけ呼んでも反応がない。
頭の中で嫌な想像ばかりが膨らむ。車にひかれたんじゃないか、迷子になったんじゃないか……。
夕方になっても見つからず、日が沈むとあたりはすっかり暗くなった。
心細さと不安がどっと押し寄せてきて、家に帰ると自然と涙があふれた。
「ハチ、どこ行っちゃったの……」
声を出して泣くなんていつぶりだろう。悔しいやら寂しいやらで、気持ちはぐちゃぐちゃだ。
膝を抱えてしゃがみ込み、わんわんと声を上げて泣いていると、ふと、頬に何か湿ったものが触れた。
「え?」
びっくりして顔を上げると、そこには――ハチがいた!
「ハチ!」
思わず声を上げて抱きついた。ハチはいつものように尻尾をぶんぶん振って、まるで「ただいま!」と言うように私の顔をペロペロと舐めてきた。
怒るどころか、嬉しさで涙が止まらない。ずっと胸に溜まっていた悲しみが嘘みたいに消えていって、ただただ幸せな気持ちに包まれた。
もとの増田の文章をまったく読めてないし理解もできてないから教えてあげると、元増田は不倫する議員は危機管理なってないしその時点で議員として擁護する価値なしやなって話をしていて、どの政策を扱ってるからどうのなんて話は一切してないよ。
政策云々の以前にあほすぎるね、議員としてだめやろって話しかしてないのね。
個々の政策について全く触れてなければ、特定の議員の名前も出してないのは読めば分かると思うのよ。
だから勝手に思いついた議員の話だということにして、政策が絡んでて不倫と同等の話だという俺ルールで語りだしてる時点で論点が違いすぎてみんな笑ってるのよ。
増田とか知恵袋で、「あの人は男か、または男ではない」みたいなこと書いて何か回答しているつもりになってる馬鹿を結構見かけるんだけどさ、こういう行動って何か名前ついてたりするのかな
親戚にいるアスペがやってくる、本人だけバレてると自覚できなくて誰もが気づいてる噓を永遠に言い続けてくるみたいなのと根本が同じとおもってる
対して名前売れてない議員でも撮られてんのに、その程度のリスク管理すらできないバカを擁護する必要ないだろ。
って地方議員のおれは思うよ。
地方議員でも元ご当地アイドルとか、観光大使、キャンペーンガール的なのに手を出したり、
俺は気づいてないふりしながら世間で不倫の話題が出た時に議会で当事者もいる場なんかで「いや〜不倫なんて足元掬われるだけなのにその程度の危機管理もしてないとか間抜けが過ぎますよね、議員になって勘違いしてんですかね〜笑」みたいな痛いやつ扱いみたいな感じで話をして釘刺してるけど。
まあでも言い寄られることはあるよ。
不倫の話が出るたびにハニートラップとか言って擁護してるアホには笑っちゃうけどさ、向こうがハニートラップのつもりでもただの恋愛のつもりでも言い寄ってきた人なんて断って適切な距離感保ってれば良いだけだからな。
リスク管理じゃんこんなの。
突風が吹いている日だった
母、叔母、妹、私が車に乗ると、叔母の様子がおかしかった
叔母は「ここは強者のみが勝ち残れる」「これ以上先に行ったらアウト」などと運転しながら発狂していた
墓地につくと、祖父の墓にお参りをしようとするのだが、恐怖を感じるほどの突風であった
私はそのとおりにすると、突風が一瞬で収まった
私が振り返り、「手をかざしたら突風が収まったよ」というと、叔母は「それはあんたがdrftgyjだからだ!」と怒りの形相だった
また突風が吹き始めた
私は「わかったよ」といい、再び線香の火に手をかざした、突風は収まった
家に帰ると、妹と母が意味不明に発狂していたので、私は警察に電話した
「すみません、事件です。母と妹の様子がおかしいんです。外に行って帰ってくると、異常な発狂をしているんです」
文学風にしたよ
父は正月になると決まって「死んだら終わりだ」と言った。炬燵に突っ込んだ足を小さく揺らしながら、何を見ているのかもわからない視線を窓の外に向けてつぶやくのだ。その言葉を聞くたび、子供だった僕はなんとなくその空虚さに不快感を覚えていた。正月にはもっと夢のある話がふさわしいはずだし、人生がそこで途切れるなんて考えたくもなかった。けれど、気がつけば僕も同じ言葉を口にするようになっている。年を取るとは、こうして父の言葉を無意識に引き継いでいくことなのだろうかと思う。
昨夜、行きずりの女と部屋で夜を明かした。名前は聞かなかった。年末の街角で、半ば流れのように出会い、自然な成り行きで一緒にいたに過ぎない。彼女は朝になって静かに立ち上がり、玄関先で一度だけ僕を振り返った。口を開きかけて、何かを言おうとするように見えたが、結局何も言わずに扉を閉めた。その後ろ姿を見送ったあと、残った雑煮を口に運びながら窓の外を眺めた。曇り空の下で、近くの神社から上がる初詣の人混みのざわめきがかすかに聞こえる。
「死んだら終わり」という言葉が頭の中で何度も反響する。それは父の声であり、僕の声でもある。いつの間にかそれを自分のものとして受け入れてしまったらしい。ただ、その奥底で何かが不穏に蠢いている気配がする。死んだら終わりであることの気楽さと、その先にあるかもしれない何かへの漠然とした恐れ。その二つが正月の静けさの中で拮抗している。雑煮の出汁の味だけが現実感を持ち、僕はそのぬるい温度に救われるようにまた一口すすった。
その訴訟では、伊藤和子が他の人とのレスバの中で「難癖つけて女性支援活動を潰そうとするならお前はミソジニーの暇空と同じだな」といった伊藤の発言が問題に
裁判所は「暇空敗訴。暇空の普段の言動を見るとミソジニーと言われても仕方ない。根拠なく私怨で活動妨害しているのは明らかだ。伊藤の発言は真実性公益性がある」と判断
今回は伊藤側が暇空を訴えた
暇空が伊藤を「ナニカグループ構成員」だと主張し続けたことを名誉毀損として訴えた
ナニカグループは暇空の造語であり、ハンタに登場する正体不明の闇の存在の名前が由来だ
暇空によれば、ナニカグループは日本崩壊を企む反社会的な悪の組織で、近年の悪政は彼らによるもので、日本人の子供や女性を海外に人身売買もしている
公明党共産党れいわ、警察、自衛隊、NPO、財団、法曹界、ありとあらゆる組織がナニカグループに乗っ取られ、その元締めは元官僚の村木厚子だという
ナニカグループの存在は増田でも信じ込む者が大量発生し、一時期はナニカグループ糾弾記事がホッテントリ入りしまくった
政治家、社長、漫画家、アニメ監督、イラストレーターらも日本崩壊を阻止するために命をかけて戦う暇空に魅せられ実名で応援表明した
暇空は、ナニカグループとは一部の尖った悪だけではなくもっと曖昧模糊としたものを含むのでナニカグループ認定は名誉を低下させるものではないと主張
伊藤に訴えられてからの暇空は、それまで盛んに使っていた「ナニカグループ」を封印し、もっぱら「カルピス軍団」「下田」を悪人詰め込みBOXに使うようになった
今度こそ暇空は勝つだろう