はてなキーワード: 体重とは
コロナ、夏の暑さ、その他色々が重なって妻が塞ぎ込んでいる。鬱みたいな感じでどうしたらいいのか分からないので、こちらの気持ちを整理するためにも初めてだが、書いてみる。
ーーーーーーーーーー
私
31歳
妻
現在育休中
30歳
家事、育児は基本的に半々だが、食事や離乳食の準備は妻、その片付けは私という形になっている。
もちろんどちらかが出来ない時は代わりにやる。
ーーーーーーーーーー
妻の出産直前に義祖母が亡くなり、妻が精神的に不安定な中での出産だった。
義母は出産前からこちらに来て、色々とお手伝いをしてもらえるはずだったが、上記のゴタゴタもあり、しばらくは来ることができず、代わりに二ヶ月ほど育休を取得して義母の代わりをできるように頑張ろうと思った。
初めての育児で二人とも寝不足な中、赤子の一挙一動に笑い合いながら基本的にはなんとかこなせたと思う。
その間妻の母乳の出が悪くなり、塞ぎ込むこともあったが、ミルクを飲んですくすく成長する子どもの姿に癒されたのか、いつしか吹っ切れていたと思う。
ミルクで育児できたのは私にとっては内心幸いで、妻の負担を減らすことが少しでもできたし、育児に参加できた感が強くなって嬉しかった。最もこんなことは口が裂けても言えないが。
そうこうしてるうちに義母が手伝いに来てくれて私も職場復帰し、ある意味で日常が回り始めた。
義母が手伝いに来てくれたのは本当に大きかったと思う。
精神的に不安定だった妻が甘えることができたし、育児のあれこれも教えてもらえた。
しかしながらいつまでも居ていただけるわけもなく、一ヶ月ほどで帰ることになった。
そんな中新型コロナが流行り始め、出歩くのも難しくなってきた。
もちろん元々子どもを連れて遠出出来るような年齢でもないのだが、1日の外出も躊躇うようになった。
個人的、妻の気持ち的にはそこまで気にしていないのだが、実家からの心配、世間体などを気にして遠慮するようになってしまった。
これが外出してデパートをぶらついて甘い物を食べるのが大好きな妻にとっては一番辛いことだったようだ。
低地胎盤の問題もあり、出産前から大事をとって外出を控えていた妻には、動けるようになったのに何もできず、家に篭りきりになる生活がとてもとてもきついようだ。
さらに最近は連日の雨に続いて厳しい暑さにより気軽に散歩するのも難しい。
見る見るうちに塞ぎ込んでしまい、見ているのも辛い。
食事は朝食くらいしかまともに食べず、その他はきゅうり一本や桃一個で済ましてしまう。
もう少し食べた方がいいと言っても暑いからいいとか細い声でしか返事してくれない。
体重も減ってきている様子。
この前義母と電話しているときに泣き出してもいて、大分不安定になってきているようだ。
思い当たる原因としては
・単純に暑い(夕方に30分ほど散歩に行くだけでもう動かなくなる)
・実家に帰れなくなった(コロナの影響で両実家から帰ってくるなと言われた。これが一番大きい様に思える)
・育児、家事疲れ(最近夜泣きが復活してきた。といっても一晩に一度起きるかどうかくらい)
見ていてもつらいし、家の空気も重くなんとかしたいがどうしようもない。
子どもを置いて外出を薦めても暑いから嫌がるし、甘い物を買って帰ってもあまり効果はないし、土日の家事を丸々交代しても響かない。
こちらとしてももうどうしたらいいのか分からず、こっちまで滅入ってくる。
無理やりにでも実家に帰らせるべきだろうか。
誰かアドバイスください。。。
勝手に自分が抱ける範囲の容姿+近場にいる設定に脳内変換してるよな
痩せ形~で普通体型で黒髪ロングストレートでちょっと地味だけど清楚で美人の女の子くらいにしか思ってない
実際は体重80kgで肉割れ起こしまくりで毛深くて臭くて顔は肉で埋まりにきびまみれで髪もバサバサで
岩手や島根とかの超遠方に住んでるとか親が宗教にズブズブとかの地雷要素あったりするかもしれないのに(というか喪なんだからその線が濃厚なのに)そういう可能性は微塵も考えてない
27歳まで童貞。性欲はあるけど、好きな人がこれまでに2人しかできたことがなかったり、どうしても人間の体温や体液が嫌で適当に捨てられなかった。自分のそれでさえ嫌悪感がある。
中学生の時の初恋は恋に恋する感じだった。2度目は24歳の時。相手の人のことが気になって仕方がなくて、色んなことを知りたくなった。会話は弾んだ。とても楽しかった。お互いに「いい友達ができた」と思っていたはず。
でも、相手にパートナーがいるとわかった瞬間、自分の気持ちに下心が混ざっていたということに気づいてしまった。友達以上の関係になりたいといつの間にか思っていたのね。
なにせ人を好きになることが少なかったので、これがいいことなのか悪いことなのかがわからない。相談していいものなのかどうかもわからず、相手を避けることで自己防衛に走ってしまった。
恋人にはなれなくても、いい友達にはなれた人を失ってしまったというショック。自分がひたすら悪い。嫌な気持ちにさせてしまっただろうし、あの人とのことは後悔しかない。
年を取ったからか、体重が落ちない!寝落ちする!メンタルがいまいち安定しない!でも、人生自体は充実していると感じているし、これまでの人生の中でも一番いい状態の人間だという謎の自信がある。
この歳で新卒として会社に入って、研修頑張って、いろいろ褒められたからだろうね。今だったらあの人に謝れる気がする。しないけど。きっと忘れられているだろうし。
あー特に意味はないけど恋愛したいなーって人生で初めて思ってる。体温や体液に対する嫌悪感ってカウンセリングでどうにかならないだろうか……。この歪みをなんとかしたい。
増田は29歳の独身女性。営業マンであった。出世街道まっしぐらと言うには今ひとつパッとせず、営業成績もいつだって二番手止まり。
焦燥感ばかり募り、空回りを繰り返す。そんな時期に直面していた。
デートをドタキャンされたある週末、昼間から1人缶チューハイを開け、増田ははてな匿名ダイアリーを巡回した。下ネタ、政治、男女論、いつも通りのくだらないエントリが並んでいる。この間の釣りエントリはまだホッテントリに登っていない。ああつまらないな。そんなことを考える増田の目にある文字列が飛び込んだ。
「おっさんの皮」
真っ白なバナーに地味なフォントでポツンとそう書かれた広告は、いつもみる洋服のセールやソシャゲの広告とは違っていた。
気になった増田は広告をクリックした。古臭いhtml形式のホームページには、スーツ姿の3人のおじさんの写真が並んでいた。下には2万円、と価格らしきものが書かれている。
4、50代だろうか?3人とも違った顔立ちをしているが、どれも似たような印象のおじさんだ。冴えない、少し脂っぽい、髪の薄くなりかけた、どこにでもいそうな普通のおじさん。
一番左のおじさんは、高校の頃の数学教師に少し似ていた。似たり寄ったりのおじさんの中から、わずかな親しみを感じられる1人を見つけた増田は、青い字で表示された2万円、をクリックした。
「おっさんの皮。48歳、73kg、173cm。老眼あり。眼鏡付属。」さっきと同じおじさんの写真の隣には、短くそう記されていた。後は、「戻る」「カートに入れる」があるのみだった。
不思議なサイトに好奇心をかられた増田は、ほかのおじさんのページも覗いた。身長体重は異なるものの、説明文は似たりよったりだ。
初めのおじさんのページに戻って、写真をまじまじと眺める。平凡でつまらないおじさんだ。良く見ると色々な人に似て見える。取引先の川上さんにも、政治家の武川にも。親戚にこんな人がいたような気にもなる。増田は、カートのアイコンにカーソルを重ねて考える。
2万円、それはちょうど今日の増田が彼氏の誕生日を祝うために予約していたコース料理の値段と同じだった。記念日にドタキャンなんて、もう別れどきということだろうか。心の底で澱が渦巻く。
酔っていたせいか、それともドタキャンされた腹いせか、増田は「おっさんの皮」をカートに入れ、レジに進んだ。Amaz○n IDでの決済が可能らしい。どういうことなのだろう……強く回り出した酔いに身を委ねながら、増田は考えようとした。が、暫くして暗い部屋に増田の寝息がスースーと聞こえた。
ーーー
「おっさんの皮」が届いたのは、増田がすっかり忘れ去った頃、一月もしてからのことだった。増田が、興味半分疑い半分で、その変に軽い段ボールを開けると、そこにはおっさんの皮があった。
ああ、そういうことか。
ひと目見て理解した増田は、試しに皮をまとってみた。浴室の鏡の前に立つ。そこにはあのおっさんがいた。増田より10センチも高く、20キロ近く重いおっさんが。白目は黄色がかり、眉はひょろりひょろりと伸びている。近くで見ると想像以上に肌の凹凸が激しい。ああ、おっさんだ。と増田は思う。
翌日増田は、自分のスーツの上から皮を着て会社へ向かった。皮を着ても、皆増田が増田と分かるようで、「増田さんおはようございます」と声をかけられる。いつも通り……、ではなかった。いつもなら「増田ちゃんおはよー」と声を掛けてくる鬱陶しい同僚も、今日はどうしたことか「どうも」だけであった。いつも煩わしいほど和かにお節介に挨拶をしてくれる老齢のヤクルトレディも、今日はやけにさっぱりとした対応だ。
おっさんの皮の効用は、取引先で顕著であった。いつも若造扱いされているような、舐められているような、どこか雑な対応が今日は違った。
増田の口からでる言葉、一つ一つが地に足がついたような、しっかりとした印象を与えてるのがわかる。それに今日はやけに取引先の社員と目が合う。
二週間が経った頃。おっさんの皮の影響は、如実に成績に現れていた。いつも良くて2番、4、5番を浮き沈みしていた増田の営業成績は、ついに1番になっていた。
おっさんの皮を着てからというもの、いいことづくしである。月に1度は遭遇していた痴漢も、皮を着て乗るようにしてから全く合わない。電車で妙に密着されて苛立つこともない。夜道を歩くのも平気だから、残業も気にせず出来る。
普段皮を着て過ごしている分、彼氏や友人と会う時は目一杯のおしゃれを楽しむ。似合わないからと敬遠していたリボンやレースをあしらったフェミニンなファッションにも挑戦した。最近の増田はいつも明るい。そのせいか、会社でもデートでもよく褒められる。
今日の増田は一段と楽しそうだ。金曜の夜だからか?いや、それだけではない。今日は、彼氏が家に来る日だからだ。それというのも、来年の4月と2人で決めた、結婚式の招待状を書くためだった。……招待状なんていうのも一つの口実で、再び愛に火がついたのだから家でのんびりいちゃつきたい、というのが真の目的なのだが。
増田は思ったより遅くなってしまった帰宅に、焦りながら部屋を片付けた。会社帰りの崩れたメイクじゃ嫌だ。この間買ったばかりの可愛い部屋着もだそう……と、背中に手をやって気づいた。
脱げないのである。おかしい。そんなはずはない。どんなに試しても脱げないのだ。皮はまるで初めから増田のものであったかのように張り付いている。今までどうやって皮を脱いでいたか、思い出そうとするが、うまくいかない。焦る増田の脂汗はおっさんの皮をつたう。臭いまでおっさんそっくりだ。このまま一生見ず知らずのおっさんの皮を貼り付けたまま生きていかないといけないのだろうか。
ああ、彼氏が来てしまった。すぐに合鍵でドアを開ける音した。でも大丈夫だ。おっさんの皮を着ていたって、わたしはわたしと認識されるんだから……。大丈夫、大丈夫。
ほら、いつも通りの表情だ。あはは、なんだ心配することなかったじゃない。皮の脱ぎ方は後でショップに連絡すればなんとかなるはず。今はせっかくの彼氏との時間に集中しなきゃ……。
彼氏が役所で貰ってきたばかりの婚姻届を取り出す。増田は笑顔を作ろうとするが、口角はぎこちなくひくつく。机の上には金色のインクで細かな縁取りのされた可愛らしい招待状が並び、まるで幸せの象徴のようである。しかし増田の頭の中は貼りついたおっさんの皮のことでいっぱいで何も頭に入らない。彼氏がなにかと尋ねるが、今日の増田の返事は要領を得ない。
最近仕事も忙しかったようだし。もう休もうか、と彼氏が言う。増田は皮に気を取られながら、口先の同意をする。
そうして、気もそぞろの増田を、彼氏がそっとベットに押し倒した。そういえば久しぶりな気がする。ここ最近お互い仕事が忙しくて会えなかったからな……。鏡を見なきゃ自分じゃわからないんだし、電気を消してしまえば……と、増田が彼に身を委ねよ……
「なんだお前おっさんじゃねーか!!」
突然彼の声が響いた。
暗い部屋にはおっさんが1人、残されるばかりであった。
逆だよね。
フィクションを変えるためにはまず社会を変えなくちゃいけない。
体重計の数値がやばい数値を叩き出してるからって、メモリをいじっても意味がない。
あれって、「現実をまず変える」ことよりも、フィクションという鏡を変更したいと思ってるんだよね。
でもフィクションで、黒人役を増やすだけで「一応やってますよ」というポーズにはなる。
しかしそれだけ。結果としては何も変わってない。ごまかしなんだよね。アメリカ。そのごまかしの積み重ねがポリコレ。
今までポリコレを積み上げてきたけれど、結局差別は残ってる。鏡に書き込みを増やしても、実像は変わらない。
あたりまえのことがあたりまえに起きてる。
最近の話ではなく幸いにも真冬で水路に水が流れていなかった時のことなんだが、用水路に子供が落ちていた。たぶん小学三年生くらいかな。私が旗降り当番で近くの交差点に立っていた時に、数人の子供達が助けを求めに来たのだった。
子供達に引っ張られて現場に行ってみると、広くて深い農業用水路に男の子が一人落っこちていた。水はないし、深さも男の子の背の高さよりはないので、何とか自分で上がれるようにアドバイスすることにした。何しろ少年、ドスコイ系で私の腕力では引き上げられなかったし。
っていうか、普通片手でも貸してもらえばこんな高さくらい上がれんだろと思ったらダメだったのである。なんかね、手を貸した瞬間もう全力で手にぶら下がって何もしねえの。いやいや無理だって、自分でもさあ、用水路のコンクリを足掛かりに登ってこようとしないと、ぶら下がってるだけじゃ永劫上がってこれねえから。でもひたすらだらーんとぶら下がるし、このままじゃ私まで引摺り込まれるようにして落ちそうだと思ったので断念した。
それで、何とか自力で上がってもらうには、まず身軽になってもらわなければならない。まずはランドセルを背中から下ろして岸に上げてくれと言ったら、何故かデモデモだってをしてランドセルをおろさない。しばらく愚図愚図してやっと、ランドセルを草の上に放り投げてくれた。
で、次に、足が川底に溜まったヘドロのせいで上手く動かせないと言うので、もういっそ靴脱いじゃえ。どうせ中まで泥んこだし、靴ががばがばして歩けなくなってんだからって言ったらこれまたデモデモだってを始めて脱がず、歩けないもうダメだとか騒ぐ。裸足になれば確かに川底に沈む何かで怪我をするリスクが生じるのだが、護岸コンクリートを登るには裸足の方がまだやり易いぞって言ったらまたデモデモだってで、登れない登れない言いながら、ヘドロの中を行ったり来たりしている。
ヘドロの深さは踝が沈むくらい。当人、ブーブー言いながら普通に歩いているし、そこまで障害になってはいなさそうだが、どうしても無理ダメ上がれないというので、仕方なく何か足掛かりになるものを皆で探す。と、仲間の一人が田んぼと用水路を繋ぐ穴を塞ぐのに使われていた薄い板をひっぺがして持って来た。農家の人には悪いんだけど、これは使える。これを壁際のヘドロに刺して踏み台にすれば上がれるはずだ。ほんの十数センチあればよく、ぺらくても一瞬でも体重を支えられればいい。そう伝えたがやはりデモデモだってと言うばかり、うろうろするばかりで時間だけが過ぎて行ったが、最終的には子供達の中の一人が私の言ったことを理解して川の中に落ちてる子に伝えたら、素直に聞いていともあっさり川底から脱出してきた。これってむしろ私がいたから川に落ちた子が愚図愚図反抗して時間がかかったんじゃね? もしかすると知らんぷりして去れば子供達だけで解決してさっさと学校に行ったのでは。
その頃にはすっかり授業が始まっている時間で、私は小学校に電話で連絡した。すると川に落ちた子の親が学校から連絡を受けて駆けつけ、子供を回収していったのだけれど、他の子供達はサクッと置いていかれてしまった。しょうがないので、私が子供達を車で学校に送り届けた。車の中で子供達から聞いたが、彼らの仲間内の誰かが用水路に落ちたのはこれで三回目? くらいだそうで、学校の先生からはあの用水路には近づくなと言われているんだが、つい脇を通ると見ちゃうし(歩道と用水路はつい見ちゃうほど近距離ではない。)見てるとなんか落ちちゃうらしい。
自転車で1.6キロあおり運転? 傷害容疑で男を逮捕:朝日新聞デジタル
[B! 自転車] 自転車で1.6キロあおり運転? 傷害容疑で男を逮捕:朝日新聞デジタル
はてなに限らんが、ロードバイクという乗り物に対して、「速度が簡単に出て、乗り手は走り出すとヒャッハー!な感じで暴走してる」という前提で批判を始める人は多い。
よく考えてほしい。一般的なロードの速度である20~35km/hくらいの速度はママチャリでもそこそこ出せるが、その速度で走っている時に何も考えずヒャッハー!な頭でいられるだろうか。
これに「イエス」と答えるならあんたはイカれている。とまでは言わないが、批判している筈のロード乗りのイメージと何ら変わらない人間だと言える。
交差点がなく路面状態の良い場所ならまた話は変わるが、みんなが批判している街中というのは自転車にとってそんなに恵まれた環境ではない。
まず車がいる。
交差点の度に「前の車が左折する可能性」や「対向車が右折する可能性」を念頭におかなければならないし、駐車場から車道に入ってくる車も予見しなければならない。
後続の車が自分を抜かし難そうにしているならもう少し左に寄ったり、避難出来る場所か歩道に入り道を譲る場合もある。
間隔を空けず真横ギリギリで抜かしていく車もいるし、抜かした瞬間に幅寄せする車も結構いる。
目の前を走っていて路駐する体勢に入る車がいれば後方を確認しつつ無理そうならこちらも止まるし、そういう車を追い抜く際にはドアが開く可能性も考えなきゃいかん。
マナーの悪い車の中には窓を開けてゴミを捨てて、それがこっちに衝突する事だって極稀にはある。俺が経験した最悪の例はボトラーなトラックの運ちゃんが窓から小便を振りまいてくれた事だが、当たっただけで転倒するものが落ちてくる事だって考えられる。
なんか全部書くと長くなりすぎるんでここで切り上げるが、車との関係性だけでこういう懸念事項を考えながらロードは走る。と言うか、ロードに限らず車道を走っている乗り物はみんなそうだろう。
これは平地の話だが自転車の場合は上りや下りでも色々と不安が出てくる。
ここから更に他の自転車やバイク、歩行者、路面状況や体調、天候や時間帯、そういうものを加味しながら、決して息が上がったり心拍数が高くならないよう、冷静な頭で走らなくてはならない。
抜かされてキレると言うよりは、こちらがこれだけ気を付けて走ってるのに他の自転車は好き勝手に走っていて辛い、という様な悩みを持つ者が多く、今回の爺さんはその辺で正義感拗らせたタイプではないかと個人的には思う。まあそれにしても短気で決して擁護出来る話ではないとは思うが。
(こういう話に「じゃあ歩道走れよ」と言う人がいるが、本来は歩道だってこれくらい神経質に走るべき場所だ。死角が多く路面は悪く幅も狭く左側通行という概念もない。正面衝突の可能性なら車道よりずっと高い。歩道の方がマシと思っている人は本質的にロード乗りより安全なわけではない。反対に、車道をもっとゆっくり走れと言う人も、その弊害を理解していない)
当たり前だが、こういう諸々を考えずヒャッハー!な頭で走っている奴はいる。それは否定しない。
あるいは、普段はある程度冷静でも、定番の田舎のコースなどに行くと、あたかもクローズドなレースであるかの様に走る馬鹿はいる。
しかし「街中で走っているロード乗り」の大半はそうじゃないと俺は思う(と言っても俺は都民じゃないんで、本当の都会ではそういう連中が蔓延っている可能性を必ずしも否定は出来ないが)。
と言うか、俺が一番怖いと感じるのは歩道をメインに走っているクロスバイクやMTB勢なんだが、まあその辺の対立を煽るのも嫌なんで割愛するとして。
ロード乗りへの批判ってみんな、「ロード乗りは速く走ってるんだから無理して息上がってて冷静じゃないんだろ」みたいな考えが背景にあると思うんだよな。あんなに速いんだから、その時点でおかしいだろ、みたいな。
しかしながらロードの利点というのは「速く・楽に・長時間」走れるから万能なわけで、一般的な自転車より速く走っているからと言って冷静さを欠いているわけではない。ぶっちゃけジョギングしてる時やバイク乗ってる時より視界も頭もクリアだ。長時間走る時には小まめな給水・補給・休憩を心がけ疲労がたまらないように気を遣う。
最近は乗り心地を重視したフレームや幅広タイヤ、制動力の高いディスクブレーキなんかが普及してるんで昔より更にそういう傾向にある。
みんながレーサー気取りだと思ってるレーパンやジャージだって俺達一般の乗り手にとっては快適性を上げるためのアイテムだ。
だがどうも、みんなの中ではロードというのは「速く」だけで「楽に・長時間」という要素が抜けて周知されているのではないかと感じている。
ロード乗りの頭の中を指して批判するなら、先にも言ったイカれた連中に限定するか、ロングライドの帰りで本当に疲れている時なんかが妥当なのだが。
以下、追記。
id:kae1990 停車時のロスが大きいからか赤信号無視のローディーはよく見るし、横断歩道で何度か轢かれかけたわ。極端な前傾姿勢、ビンディングペダル、ゴーグルで視界が狭いなど、普通のチャリより危険だろ
赤信号無視なあ…。
いるいるとは聞くしそれを許せないのは同感だが、自分の身を無駄な危険に晒してるし、一つ無視しても街中じゃその次の信号で止まればママチャリにだって容易に追いつかれるのにという理解出来ないものがあって困る。
前傾姿勢が危ないのは慣れてない初心者なら確かにそうで、それに関しては細心の注意が必要なのだが、腰自体は起きてるんで一定以上に乗ってる人なら別にハンドル位置が低いから下を向くというものでもないし、乗ってない人には分からんだろうけど肉体的なストレスもない。疲労をためず上半身や体重を使い足を回す為にはママチャリやフラットバーよりあの姿勢が理にかなっている(勿論ドロップバー握るのは駄目だが)。極度に疲れた時に下を向くのはどの自転車でも同じだし、心がけてればそれは避けられる。
と言うか、俺はクロスバイクもMTBも乗るんで言うんだが、この二種もポジションが適切なら実はそこそこ前傾で、更にハンドルがフラットで幅広だからロードよりそれほど前が見易いという事はないんじゃないかと個人的には感じている。
ビンディングとゴーグル(と言うかサングラス)は安全上のメリットとデメリット両方があるので何とも言えんな。足の固定が外れる可能性のあるフラットペダルは車道を走る上ではどうしても不安が残るし、ゴーグルは砂などの異物から目を守るというかなり重要な役割がある。仮に停車時にビンディングに不具合があり外れなくても基本的には左側にコケるから致命的な失敗にはなりにくく、ゴーグルによって視界が悪くなると言ってもバイクのフルフェイスヘルメットよりはマシだし、ほぼフレームのないゴーグルが多いんで対策はされている。
鉄骨に複数人の絞首刑用の縄をつなげて、重機で持ち上げるやつのこと。
首つりは、日本の絞首刑みたいに高いところから落として脛骨骨折させるか、脛骨内の椎骨動脈を体重で止めるかするから、「人道的な刑」として成り立つ。
動画見ると、鉄骨が持ち上がって縄がピンと張った瞬間にぶらーんと反応しなくなる人と、いつまでも足をバタバタさせている人がいるでしょ。
足をバタバタさせている人は、頸動脈だけしまって、ひどい痛みと、明哲な意識を保ったまま、いつまでも死ねないで苦しんでいるんだよ。
せめて、ちゃんと椎骨動脈が締まるようなロープの掛け方をしてあげないと、「野蛮」と言われてもしょうがないのではないか?
「ダイエット中の目標体重と現在の自分の体重との差」を「キロ」と呼んだり
「マラソンもしくは電車などのある目標地点までの残り距離」を「キロ」と呼んだりしたら
何で「パケ」が滅んでしまったんだ。
太ったとかデブだとかの話題に湧いてくる、「その程度で」「BMI xx を超えてから出直せ」みたいな人たち、不思議。
その状態が嫌なら食べなければ良くない? これだけ多くの人が肥満に悩んでいる以上、現代の栄養状態では一般的な一人分は多すぎるんだよ。外食だと調整しにくいが、どんな怪しげな情報を得なくても、全体的に量を減らせばいい。まあたまに食べたくなるものもあるから、一週間全体でバランスが取ればいい。
それすら嫌なんだろうか。だとしたら、体型よりも食欲を満たすことを選択したのではないだろうか。
自らの選択によって自らの体型を決めている。それなのに他人を妬む。分からない…。
あ、ちびまる子ちゃんのお母さんが、まる子の残したご飯を食べるから太ると言っていたが、そういうことだろうか。食べ物を大事にする心は大事だけれど、残り物を自分で食べることは、自分の命をないがしろにしている。結局命を捨てているよ。アレンジして家族分の副菜にできないなら、処分するより手段がない。
それも嫌というのも分からないでもない。でも自分の現状を回避する手段がいくつもいくつもあるのに、それを選択しなかったのは他に優先すべきことがあったのだろう。自分より軽い自称デブを批判するのは、その優先したかった項目を否定することなのではないだろうか。