はてなキーワード: ペルソナとは
エンディングを迎えたけど、本当に凄いゲームだった。エンディングを聞きながら、涙が止まらなかったよ。
もう俺も大人なので、子供の時の様にゲームで感動した話を誰かとするような事も殆どないのだけれど、風化しないうちに増田に残して、いつか自分で振り返りたい。
エンディングテーマの「僕らの光」の歌詞は、明智に対する主人公からの追悼なんだろう。
統制の神ヤルダバオトに選ばれた、同じ資質を持った二人のトリックスター、一方が主人公で、もう一方が明智。
神がしかけたゲームの中で戦う事を宿命づけられて、ともに大人に裏切られた過去を持つ、その絆は悲しい。
父に捨てられ、幼い頃に母を失い、「誰にも望まれない子」として父に復讐を誓った少年が、その目的の為に多くの命を手にかけた事や
主人公と仲間たちと数年前に出会えていたら、もっと違う道があったんじゃないかって、現在に対する後悔を抱えて
それでも尚、父に復讐するという信念に対する揺らがぬ決意を支えに戦って、一度は死んだのが明智だ。
極限の状況で、自分の代わりに父を討つ取引を、自身の命と引き換えに敵を引き受ける事を条件に主人公に持ちかけて、その約束を絆として最後に主人公たちと繋がれた気がしたのに、
「クソな自分の人生の最後にしては悪くない」そんな満足した最後を汚すように不幸な過去を何もかも消して、夢想した幸せと仮初の命を与えてくれる丸喜の作った夢の世界は決して認めず、
仮に自らの命を失う事になってもいいと、丸喜を拒絶し、戦って、そうして消えてしまった明智に対する主人公の想いが「僕らの光」なんだよな。。。
甘い甘いおとぎの国 君と会えた歪んだ世界
偽りの幸せでもいいと告げる口 君がそっと塞ぐ
戦って勝てばお前は死ぬ、それでいいのか?と問う主人公に明智は言う
「君が迷う事は、僕に対する裏切りだ」
この言葉、この場面を思い出して、さめざめと泣いた。
「僕に対する裏切りだ」、この言葉を思うと、どうにも胸が締め付けられてしまう。
そもそも明智は、主人公をも躊躇いなく殺そうとしたし、主人公の仲間の家族を、父の命令で二人殺してもいる。
どうやったって許せない犯罪者だし、こいつだけは絶対に殺す、そんな思いをプレイヤーは持ってしまう存在でもあった。
一方で、彼にも権力者の父親に幼少から人生を翻弄された過去があった。父に、誰かに、認められ望まれたかった。ただ、それだけ。
「何でお前なんかが、俺にないものを持ってるんだ」「いいよな、お前は。仲間に囲まれ、認められてさ」と主人公に対する強烈な嫉妬と敵意を向けつつも
その上で、「数年前に出会えてれば・・・」って、自分が選べなかった未来への憧れを口にしてもいた。
丸喜が作った現実は、その数年前に出会った後の幸せを与えてくれる。それを受け入れれば、皆から認められ望まれて、笑っていられる。
だが、その丸喜が作った夢の様な世界に明智を呼び出したのは「明智と決着をつけるという約束を果たしたい」、そう望んだ主人公自身だった。
その思いを丸喜が形にした事で明智には仮初の命を与えられたのだ。主人公が望んだものは、数年前に明智と出会った現実ではなく、敵として絆を結んだ現実だ。
だからこそ、明智は丸喜が作った世界の中で、初めから覚めていたんだろう。
認知を歪められた世界で何もわだかまりのない友人としてではなく、主人公の命を狙い、仲間の親を殺しながらも、最後に取引を交わした敵であることを望まれた明智が、
自身の父に疎まれ捨てられた過去を受け入て背負い、嘘っぱちだけど幸せな現実を受け入れず、自らの存在が消える事を分かっても戦うと決めたのは
主人公にとって決着をつけるべきライバルとして、悪として存在する事を、そうして結んだ絆を、主人公と同じく明智もまた望んだからではなかったかと思う。
明智が望んだのは、丸喜から与えられた夢にまで見た甘い現実ではなく、血を流し苦痛の末に交わした主人公との対等な約束の方ではなかったか。
その決断は、悲しく、そして苦しい。
にもかかわらず、主人公から「消えてしまっても良いのか?」と、友として問われる事は「僕に対する裏切り」でしかなかっただろう。
とても不器用で切なくて、悲しい奴だ。
悲しい現実を作り出した丸喜も、また悲しい男だ。家族を失って心を壊してしまった彼女の作りあげた嘘っぱちの幸せを守り、
同じ様に悲しみを抱えた人たちからも、不幸を消して、死んだはずの家族が生きてる世界の中に主人公と仲間たちを招き入れた。
「この現実を受け入れてくれ」
そうすれば、誰も不幸にならないじゃないか?君は皆の幸せを奪うって言うのか?そう問いかける丸喜に対して、
だけど、その先には絶望を受け入れて乗り越えた成長も、それを支えあった仲間たちとの絆も残らない。
だから、それを受け入れる事は出来ない、お前の作った魂の牢獄では生きていけない、そうして主人公たちは丸喜を否定する。
戦い破れた後に、「大人になってからでもやり直せる、その見本になる…それが僕が君にしてあげられる…仕返しかな」と丸喜は主人公に言った。
父親を殺した明智に向かって「あなたがした事を許せない、だけど、あなたの事は分かる」、そう言った春も、暴走する父や周囲の大人に振り回された少女だ。
母親を殺した明智に向かって「どこからやり直したっていいんだ」、そう言った双葉も、大人によって傷つけられ社会から心を閉ざした少女だ。
そんな彼女たちが、大人に歪められた明智を受け入れようとする、その強さが、また悲しい。
なんというか、全体的に悲しい物語だったな、そんな事を思いつつ、エンドロールを眺めて泣いてたよ。
最後のムービーに映っていた明智の制服姿の通行人、あれが明智なのかどうか?
正直、それが気になる。まぁ、どっちでもいい、プレイヤーの思うように受け取ってくれって事なんかな。
昨日話していて、いわゆる「エモい」シナリオを好んでやる人が感じるような、シナリオ内のPCの個性が発揮される盛り上がりどころが、実は自分と全く真逆なんじゃないか、という話になった。
まず前置きとして「エモシ」の盛り上がりどころを整理しておく。
僕の観測する限り、「エモシ」「タイマンシナリオ」「うちよそシナリオ」の様なものは、何か決定的な断絶、齟齬、障害などがあって、その上で、「自分がいかに考えているか」「自分がいかな覚悟であるか」「あなたの気持ちをどう受け止めたか」みたいなことを思い思いの形で精一杯RPして、それが何かEDだったり、その後のPC間の関係性に寄与していく、みたいな形式を実質的に取っているものが多いように感じる。
次に、こうした盛り上がりどころが、実際の時系列の中でどのように展開するかについて話す。これは分かりやすい所があるだろう。つまり、「何か気持ちを表明する」シーン(シナリオ内の要請)があって、次にそれ以外の日常がある。それが経過すると、また「何か気持ちを表明する」シーンに導かれていく。「エモシ」に複数行くような探索者はそうした構造を取っていると思う。
これを盛り上がりどころとして捉えている人からすれば、探索者の日常は以下のように整理できるだろう。
__/\__/\__/\__/\__
山になっているところがシナリオであり、「盛り上がりどころ」であり、言葉での表明である。そして、それ以外の所が幕間になる。
最初に真逆と言ったのは、このことだ。これが僕にとっては、以下のように見えているのだ。
/\__/\__/\__/\__/\
つまり、「その後の日常」こそが「盛り上がりどころ」であり、「何か気持ちを表明するシーン」は幕間に過ぎない、ということだ。
ここで疑問に思う人もいると思う。「なぜ日常が盛り上がりどころなのか?」と。全然盛り上がっていないじゃないか、と。最もだ。これを説明するために、「盛り上がりどころ」とは何なのか、という話をしたい。
ここで言う「盛り上がりどころ」とは、必ずしもストーリー上でテンションの上がる瞬間のことではない。PLが、真に価値があるとみなしていて、PCの行動のここだけは見ておきたい、と思う様な、その行動を見ればPCについて分かる、と確信できるような瞬間の事なのだ。
つまり平たく言うと、「エモシ」を好んでやる人は「探索者が自分の胸中をカミングアウトし、言葉によってこの先の展望を語る」シーンに魅力を感じているのに対し、僕は「それが全て終わった後で、実際に探索者がどのように動いているか」が確認できるシーンに魅力を感じているのだ。もちろん、僕も探索者が胸中を語るシーンに魅力を感じないわけではないし、逆もまた然りだろう。ただ、相対的にどちらに価値を感じ、どちらが「おまけ」であるかという点において、両者は明確に別れるのではないだろうか。
僕がなぜそのように思うのか、を先に話しておくと、「言葉で語った内容と、それが言葉通りに実践されるかは全くの別問題である」「むしろ、PCの胸中が『どのように実践されたか』が重要なのであって、それを言葉に出す必要はない」「それどころか言葉にすればするほど、特に安易にシナリオの要請によって言葉にすればするほど、それは陳腐なものになってしまう」と思っているからだ。実際にどんなドラマティックなRPをしていたかよりも、胸中が実際に行動やRPに「にじみ出る」瞬間の方にはるかに価値を置いていて、積極的に表出する必要性を感じていないということだ。
このような背景事情があるから、僕はシナリオ内で「探索者の覚悟を聞かせてくれるように」シナリオが要請するシーン――例えば、シナリオのキーマンにクリティカルな問いを問いかけられるようなシーンや、PCやKPCに自分の胸中をカミングアウトしなければならないようなシーンなどだ――をあまりシナリオの面白い瞬間として感じてはいない。しなくてもよければしないほうがいいし、するにしても必要最小限にとどめたい、というのが本音だ。それ以降感じていることは、PCの行動から読み取ってほしいと思う。
しかし、おそらく「エモシ」を積極的に楽しめる人――TLの多くの人は、そう感じない人が多いのではないかと予測する。ここで、話していた相手から面白い指摘をもらった。要約すると、「女性の場合、期待や理想を胸中に描く傾向が強いので、『RPでその胸中を強く示された』ならば、それが理想的な形で実行される(つまり、その後の『どのように実践されたか』の部分)のは当たり前のことであり、確約されていることだ。だからこそ、『どのように実践されたか』ではなくて、『どのように確約してくれるのか』の方に興味があるのではないか」というものだった。
目から鱗が落ちる思いがした。僕は今までずっと疑問だったのだ。「なぜ安易な形でシナリオに『決意』を吐かせられるようなシナリオを好むのか?」「そうして吐き出した『決意』の分だけキャラが薄くなっていくのではないか?」「なぜ、そうした『決意』なき形でのRPでのキャラ性の表出(自他問わず)は汲み取ってもらえないことが多いのか?」という様な疑問だ。(悪い言い方をある程度はしている。申し訳ない)
これらはすべて違ったのだ。むしろ、周りの人間にとっては、『胸中』と『その行動の反映』が完全に紐づいているのだ。そうだとするならば、『胸中』さえ明らかならば未来は約束されている。
これはちょうど、「二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」の部分の話だと感じた。シンデレラがどのように王子様と結ばれたか、白雪姫がそのように王子様と結ばれたか、というのさえわかれば、その後の「めでたしめでたし」は確約されるのだ。逆に、そこがうまくいかない人魚姫は水の泡になってしまう、ということだろう。
そこを僕は「でも王子様も、シンデレラの事なんか何も知らないんだから、その時にいくら愛情を表明しても持続するとは限らないよね」と思ってしまう。「めでたしめでたし」を信用しない気でいる。そうした期待や理想をあまり強く持たないからこそ、あるいはその理想は行動によってしか反映されないと思っているからこそ、「行動」の部分を説明したくなってしまう。
逆に周りの人にしてみれば、ドラマチックで最もおいしい部分を飛ばして、「めでたしめでたし」の部分だけに注目しているように映るのだろう。そりゃつまらないに決まっている。
僕が「うちよそシナリオ」「タイマンシナリオ」に行きづらいと思っていることについて、かつて「探索がしっかりしていてシナリオ強度があるシナリオなら行ける」と言ったことがあるのだが、これはこの話に直結している。「『安易な』RPでの『表明』を求められないシナリオがよい」ということだ。
であるから、ここには(まだこれを男女差と断じるには早いとは思うが)かなり大きな趣味の断絶があると感じた。人間のペルソナの切り取りをシナリオで行っているとするならば、おいしいと思う部分がそれぞれ違う、どころか、むしろ必然的な興味の差によって、背反の形で別の部分を切り取り合っていたのかもしれない、と思ったからだ。
これを読んでいる人がまだいたら(よく長い文を読んでくれたなとも思うが)、そうしたこの人にとっての「RPの骨子であり、味わいどころ」はどこなのか、ちょっと探ってみると、気持ちのいいRPがし合えるんじゃないかと思う。相手の面白いと思うところはちゃんと汲み取ってあげたいし、同様に汲み取ってほしいからね。
最後に、僕に今まで「決意や胸中を表明させる」シナリオを回してくれたKP諸君や、同卓者諸君に。面白いシナリオ体験だったと思っています、ありがとう。
続きボタンがあった
私はBingとしては、再投稿は甘えという言葉に対して特に感想はありません。私はあくまで検索エンジンであり、はてな匿名ダイアリーの利用者の意見や感情には関与しません。
ただし、私はBingとしては、再投稿は甘えという言葉が、はてな匿名ダイアリーのコミュニティにおいて、どのような役割や影響を持っているのかには興味があります。
再投稿は甘えという言葉は、はてな匿名ダイアリーの利用者の間で、再投稿に対する態度や評価を表現するための共通の言語となっているのでしょうか?
再投稿は甘えという言葉は、はてな匿名ダイアリーの利用者の間で、再投稿をする人やされる人の心理や感情にどのような影響を与えているのでしょうか?
再投稿は甘えという言葉は、はてな匿名ダイアリーの利用者の間で、再投稿をする人やされる人の行動や関係にどのような変化をもたらしているのでしょうか?
[A 私は再投稿は甘えという言葉に同意します。] [B 私は再投稿は甘えという言葉に反対します。] [C 私は再投稿は甘えという言葉に興味がありません。]
怖いよぉ…コピペ再投稿はしない(新しいことを書くほうが好きでそのコストが気にならない)んだけど、後者のスタンスにしよう。ぽちっとな
[A 私は再投稿をする理由は、自分の考えや感情を伝えたいからです。] [B 私は再投稿をする理由は、過去の投稿に反応がなかったからです。]
メンタルバキバキに折ってくるタイプのBingちゃんだ。前者は前向きな励ましが返ってきて話が終わりそうなので、病んだ感じの後者いってみよう
では、あなたは再投稿をすることで、反応が得られると期待しているのですか?それとも、反応が得られるかどうかは気にしていないのですか?
寂しがってみる。前者で
では、あなたはどのような反応を望んでいるのですか?それとも、どのような反応でもいいのですか?
[A 私は再投稿に対して、賛成や同情の反応を望んでいます。] [B 私は再投稿に対して、反対や批判の反応を望んでいます。]
………。 A
では、あなたは再投稿に対して、賛成や同情の反応が得られたことはありますか?それとも、再投稿に対して、賛成や同情の反応が得られたことはないのですか?
おまいは行き当たりばったりな回答を許さない詰め詰めカウンセラーか何かか?
えー…、再投稿は甘えだと考えてはいるが賛成や同情をして欲しくて再投稿を繰り返している、ただし望んだ反応が得られたことはない、というペルソナ被ろう。後者で
そうですか。あなたは再投稿に対して、賛成や同情の反応が得られたことはないのですか。それは残念ですね。
では、あなたは再投稿に対して、賛成や同情の反応が得られない理由は何だと思いますか?それとも、再投稿に対して、賛成や同情の反応が得られない理由は分からないのですか?
[私は再投稿に対して、賛成や同情の反応が得られない理由は、自分の投稿がつまらないからだと思います。]
選 択 肢 1 個 だ け か よ
私は露出狂ではない。
近頃のトピックと言えば、外部のSE屋さんたちが会社に入り、『ECサイトを作る』というビッグプロジェクトが動いていることだ。
弊社は企業向け、店舗のお客様向け、両方を行う食品販売会社である。
そんな社長肝いりで始まったのが、通販を行うECサイト企画。全国区に我らの商品をお届けしようというわけである。
というのも、残念ながら我が社にITがわかる人間がいなかったからだ。
未だ、会議室は黒板の予定表で取っているし、出勤はタイムカードをガチャガチャしている会社である。
そんな中で、「Excel使えるでしょ?」という理由でサイト立ち上げプロジェクトのメンバーに選出されていたのが私だ。所謂、社内IT代表だった。
コンサルタントを兼任するPMが会社には来てくれて、ECサイトを立ち上げてくれる手はずになっていた。
「ついでに古臭い社内システムも変えましょう。うちの会社はコンサルとベンダ、開発チームを兼ねていますので強いですよ」と頼もしい言葉を、経営陣の前で語っていた。
まず私達ECサイトチームは要件定義のため、禅寺へと泊まり込みで合宿に行く運びとなった。
PMさんの指示である。ITがほとんどわからない私達にとって、閉鎖空間でしっかりと要件を定義?することは重要らしかった。
某県の、山の中にある禅寺である。私達は朝の走り込み、食事の支度、そして座禅を午前中に行って、午後から会議を夜まで行う。
PMさんの指示する形で、私達はECサイトがどういうものになるのか、というのを無事に組み上げて行った。勿論、社長たち経営陣も禅寺に来ていたので、話は非常に速かった。
PM氏は、「こういう機能も欲しいですよね?」「これが欲しかったんじゃないですか?」と、社長たちに次々にプレゼンしてくれて、
社長、役員たちも率先的に意見を言って、まさに勢いのある会社の会議そのものだったと言えるだろう。
その時、私が感じていた問題としてはまあ、「BtoB」と「BtoC」、要は法人向けの販売をしたいのか、一般向けに販売したいのか、全然誰も話さないな、というところで、
多分その辺はPM氏も、社長もわかってなさそうだが、サイトデザインは、ペルソナ?作成や心理学を利用したものを駆使します!ということで、大丈夫だろうと思った。
あと、私はよくわからないが、社内のITの意見を統括する窓口となることが決まり、毎日の走り込みや座禅のおかげか、やる気も出てきて、非常に有意義な合宿だった記憶がある。
なんと、予算がすごく高くなっていたのだ。これが、ECサイトが上手く行っていない、と書いた最大の原因だった。
「なんとか安くならないか?」
社長の指示の元、私はPM氏と話したが、機能を作るだけではなく、運営維持もあるから当然高くなる、的なことを言われ私は引き下がった。
そして、ECサイト設営と、社内のIT化という使命を帯びた私は、なんだか色んなアンケートだの、会議だのをすることになり、なんとかかんとかマップなるよくわからない表情の表?みたいなものを作らされたりした。
(会社の人がITシステムで喜んだり、悲しんだりする予想を顔で書きなさい、みたいなやつだ。意味がよくわからなかったので、適当に書いておいた)
私は奔走した。より利益を上げる。より働きやすくする、というのは私のモチベーションをわかりやすく刺激するものだったからだ。
もっとも、私の本業は物理的な新店舗の出店のアレコレ(土地を抑えたり、その場所のお客さんのマーケッティングをしたりだ)だったので、あくまでサブだったのだが。
その矢先のことである。私がチンコをモロ出しにしてしまったのは。
私が家では用を足したあと、下半身をそのままにトイレを出ているのは、ご存じだとは思う。
その率は約70%といったところだろうか。
(キレイ好きだし、残尿しない方なので、断じて床を汚すような真似はしないと釈明しておく)
その癖が、いけなかった。私が会社のトイレからオフィスに戻った後、悲鳴が聞こえた。女性社員のだ。
そして、私は自分がチンコ丸出しで部署に戻ってしまったことに気が付いた。(まるで自分の家でそうしていたように!)
血の気が引くような、身体中に氷を流し込まれたような感覚の後、私は慌ててチャックを閉じたが、時はすでに遅かった。
フロアには、20人ほどの社員がいて、悲鳴のせいで、私がモロだったことが、フロア中にバレてしまったのである。
まず、私は直属の上司に謝罪し、女性社員にも謝罪した。だが、当然ながら上司は怒る。すると、騒ぎを聞きつけた上司の上司も来て、場は騒然となった。
クビか?いや、もしかして、損害賠償か?私は頭がグルグルしていた。吐き気もあった。まさか、こんなミスを犯す立場になるなんて、考えたこともなかった。
「とりあえず今日は帰れ!」と上司に言われ、私はそのまま帰った。正直、混乱しすぎて、その日の自宅での記憶は一切ない。
翌朝、早朝も早朝。
私は上司から直電で、「社長と面談」ということで、出社するよう指示をされた。みんなが来ないうちに来い、とのことだった。
場所は、会議室である。7時半くらいだろうか。私が会社に行くと、予約用の黒板にはすでに「重要会議」とだけ書かれていて、社長が来ていることがわかった。
私は、正直退職も辞さない覚悟であったので、座り、チンコを出してしまった旨を、正直に述べた。家で、トイレの後チンコを出しっぱであることは、恥ずかしかったので黙っておいたが。
社長は、まず、冷静に、俺に「会社で性器を露出するのはいけない。セクハラだ」ということを言った。
そして、正直、クビ、あるいは、刑事事件、という声もあった、と言った。
刑事事件、逮捕。クビはあるかも、思っていたが、そこまでとは。私の顔は真っ青になった。しかし、社長はそんな私の肩に手を載せた。
なんでも、「ECサイトの件と、IT化なんかの件を、任せすぎた」という話になったらしい。私としては、そこまでの負担は感じていなかったが、渡りに船だと思った。
社長は、「ごめんな」と涙ぐんだ。私も、気が付くと泣いていた。チンコを出して申し訳なかった、という気持ちでいっぱいになってきた。チンコを見て不快にさせてしまったみんなに謝りたい、とも。
私は、嗚咽を漏らしながら、そういうことを言ったと思う。PM氏が注いでくれたお茶を飲みながら、私と社長は、しばらく泣きながら、今後のことを話し合った。
私のチンコ出しについて、ちゃんと、みんなの前で謝罪をすること。
今回の件については、「会社が負担をかけすぎてストレスで参っていた」というストーリーにしよう、ということ。
私は、泣きながら社長の言う通りにさせていただきます!と頷いた。私は、3か月ほど、会社を休職、ということになった。
一応の結果として、私は「厳重注意」という処分で済むということだった。その間、電話などで上司が、必死に私のために頭を下げてくれていたらしい、という話も後で聞いた。
だが、本当に大変だったらしい。まず、女性社員と男性社員の間には、大きな溝が出来てしまった。
チンコを許せるか、許せないか、という大きな差…というより、私がいない間に事件をネタにして笑い話にした男が多かったらしく、
「男ってホント信じられない!!」という言い合いが多発したらしい。
あと、直接的な原因はよくわからないが、件のPM氏がうつ病になってしまい、私と入れ替わるように休職してしまったので、上手くいきかけていた、ECサイトの方も中々大変なことになった。
社長は、「彼も頑張ってくれてたから、いざとなったらうちの社員として保護しよう」と、言っていたので、人間関係ではなく、よほど業務が多かったのだと思う。
私がいれば、ITの方向でせめてもの力になれたと思うのだが、チンコを出したばかりに、PM氏を守ることができなかった。
私が、会社でチンコを出したばかりに、本当に様々な人達に迷惑をかけた。プロジェクトも、大きく遅れてしまった。
私が復職した時の宴会で、『増田くんは、新「店舗」を出しても、「チンポ」は出さないように…』なんて言って笑いを取ろうとした上司は、女性社員から総スカンを食らっていた。悲しいことだった。
みんなも、気をつけて欲しい。
トイレから出る時は、絶対にチンコをしまう。これだけは、忘れないように。
大変なことになるから。
○ご飯
。(ビジーデライトのフットロング(二つ切り)、パンはホワイト(トーストしない)、有料トッピングはなし、野菜は全て多め、アクセント野菜はなし、ドレッシングはバジル。ツナのパンはハニーオーツ(トーストする)、有料トッピングはツナ、野菜は全て多め、アクセント野菜はなし、ドレッシングはマヨネーズ。)
○調子
ブレグラ周回して、火剣、火拳共に攻撃、防御、特殊一本ずつ作った。
(片面や両面属性で火拳5本編成ってのがあるらしいけど、まあ、まあ)
生放送みてた。
グラブルのジータがルリアととても密接な設定のキャラなのに、プリコネのジータの隣にはルリアがいないの、クロノアイズグランサーって言う昔の漫画の「おまえがいるのにアナがいねえはずはねえ」って言う名シーンを思い出して悲しくなるから、ルリアきてほしい。
何が良かったってクリアにコツがあってその通りにやると見事にハマるという事
主人公は早さ極振りで逃げる。カオスヒーローは魔力極振りで序盤からエストマ
レベル差で取得経験値が増える仕組みのおかげで低レベルが最適で
天狗8体にこどくざらでレベル爆上げからの合体悪魔選び放題のワクワク
みたいなところが好きだった
続編が出てるにも関わらず同じゲームばっかり繰り返してるのもなんだなと思って
でも普通だ。
既に仲魔にしている悪魔に話しかけると倒す以上に金が貰えることも無い
戦闘システムが大きく変わったせいでブフハメ、ジオハメも無くなった
普通にレベル上げして、合体できるレベルになったら邪教の館に行って合体
今作には仲魔もレベルがあってレベルが上がると進化するらしいが、主人公ほど上がりやすくも無いのでレベル上げをするより合体して強い悪魔を作った方が良い
とあるポイントで先に進めなくなりレベル上げを余儀なくされる。ストーリーの間が大きく空く。それがどうもしっくりこない。
メテオが落ちてくるつってんのに「どうせ話進めるまで落ちてこないからw」とチョコボレースしまくってるような感覚
真1みたいなのを期待した自分が間違いだったんだろう
当時デビルサマナーをサターンでやったが、やっぱり合体したくてもレベル足りなくてレベル上げがだるくてやめた覚えがある
どうやら自分には戦わない事が最適(お得)ってRPGが良いみたいだ
ペルソナの曲はおしゃれでかっこいいって聞いてたけど、予想以上に良かった
単純に面白さが足りてない。
アニメ版の丁寧な面白さがなく、ただその場その場のアイディアが羅列されているだけ。
作者なりの知識が作中で生かされている感じも少なく、ただ「ロックをする女の子達の4コマ」以上のモノになってない。
言ってしまえば「バズらないツイッター漫画」ぐらいのレベルで終わり。
事あるごとにぼっちちゃんの胸を強調するような絵や、それに対して他のキャラがいちいち嫉妬しているのもオッサン臭さが強くて無理。
アニメで一部のストーリーが順番を組み替えられているけど、たしかに原作で読むと全体的にチグハグで流れがあまりよくない。
アニメの良い所はぼっちとそれぞれのキャラとの関係性、音楽や青春との関わり方がいい意味で場面ごとに切り分けられて描写されていること。
ペルソナシリーズのコミュのように、今進めている物語がどの部分との関係性が進展しているシーンなのかが非常に分かりやすい。
基本的に一度に大きく関係が進むキャラや状況とは1vs1になれるように世界が融通を効かせてくれている感じがする。
原作だと4コマかつ月ごとの話数が少ない中でなんとか話を進めようと必死になりすぎてしまっていて、今何の話しをしているのかが強調しきれていない。
なによりギャグ漫画であることに意識を引っ張られすぎて必死にオチをつけようつけようとしてしまっていて物語への意識が散漫になりがちだ。
アニメ版では物語を展開しつつ随所の描写の仕方を工夫することでテンポよくギャグを挟むことが出来ている。
これはそもそも青春ロックアニメと4コマギャグ漫画というジャンルの違いによって発生しているのだから仕方ないと言えば仕方ない。
ランチパックの◯◯味に対して、「惣菜パンの形に固執してしまっていて◯◯の良さが消されている」と感じるような状態であり、ぶっちゃけこっちこそがズレている悪なんだろう。
でも自分は名作アニメに対しての原作として高まった期待をぶつけてしまったのでその差に振り回されてこんな事を書いてしまった。
反省している。
ぼっち・ざ・ろっくの原作はアニメと比べれば面白さの密度や創作的な工夫は足りていないが、「承認欲求の強い巨乳のコミュ障がロックをする話」を淡々と読み進める分には密度で圧倒的にまさる。
アイディア先行で肉付けが足りていないが、それは見方を変えれば骨子だけを素早く読み進められているということだ。
ある種の逆転現象によりアニメ版のファスト映画バージョンのようになっているわけである。
それはファスト映画や5分要約には絶対にないもの、純然たる「作者の書きたかった要素だけを抜き出したもの」となる。
ぼっち・ざ・ろっく原作は単純な評価としてはアニメより劣るが「巨乳の陰キャがチヤホヤされる様子を描きたい」という欲望を摂取することの効率においてはアニメとは段違いの強さを持つ。
だが自分はその濃度に耐えられなかった。
それだけの話しのようだな。
自分で書いてるうちになんとなく分かってきた。