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はてなキーワード: ハルキストとは

2024-10-14

anond:20241014113706

ハルキスト女性のほうが多いイメージがあるのでそこだけ違和感があった

キモいかどうかは個人の嗜好の問題

村上春樹について思うこと数点

追記

ブクマカありがとうございます

冒頭書かせていただいている通り村上春樹を数冊読んだ程度の人間コメントなので、ハルキストの皆さんの春樹評とはもしかしたら乖離があるかもしれません。

現実だと作家作品感想を交換する場はなかなかないので、この投稿への感想含め皆さんで自由村上春樹について話すきっかけになれば幸いです。

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Xで盛り上がっているので便乗。

増田村上春樹好き嫌いがはっきり分かれるタイプ作家だと思う。

全部読んだわけじゃないけど数冊読んだ者として魅力と好きになれない点を書く。

スマホから操作なのではてな記法は使わない

【魅力】

•特徴的な文体

よくネタになってる突拍子もない比喩と気取った語り口の主人公が織りなすおしゃれっぽい会話、そして英文和訳のような文体の作り出す雰囲気の良さが唯一無二

世界観

性にあけすけな人間特に女性)がよく登場する。村上春樹世界に登場する女性孤独を抱える自由人が多くて失踪するパターンが多いと感じる。

Xでも指摘されているように大学生位までに読まないと村上春樹世界に登場する人々の青さに共感したり憧れたりするのは難しいと増田は感じている。

•実は短編面白い

代表作が長編からまり語られないが増田村上春樹は対談や短編集の方が面白いような気がしている。

文章力が高くて大きな出来事がないストーリーでもあっさり読ませる力のある作家なのでコンパクトにまとまってる作品は読みやすさと満足度がかなり高い。

【好きになれない点】

大人になってから読むと気持ち悪い

やはりこれ。性に対する忌避感なんだろうか。自分が通り過ぎた若さを見せつけられている気恥ずかしさなんだろうか。大人ぶって気取った高尚な趣味の会話をする主人公ややたらねちっこい性描写が読んでいてストレスになることが多い。

•あの比喩がダサく感じられる

フィッツジェラルドに憧れていたという逸話を目にして増田フィッツジェラルド作品もいくつか目を通してみた。

結果村上春樹比喩力が圧倒的に安っぽい二番煎じに感じるようになった。

世界観を寄せてるだけで表現力が追いついていないのだ。

英語ならではの言い回し日本語に落とし込んで誰が読んでも村上春樹と言わしめる文体を産んだセンスは間違いなく天才所業

ただ英語を操る天才作家センスまでは真似しきれなかったんだなという印象を増田は受けている。

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一般的に言われるのは村上春樹が凄かったのは男らしさ女らしさがステレオタイプ化していた時代に性にあけすけな若い女性や繊細な若者男性主人公として作品に登場させたこと。

多様性が叫ばれる今の時代に読めば目新しさがないのは当然なので今から村上春樹を読む人は単純に文体世界観好き嫌いを決めるのがいいと思って魅力として書いてみた。

村上春樹ユーモアがあって博識でオシャレな人だし村上春樹と同じ系統趣味で固めている層にはど真ん中で刺さると思う。

最後まで読んでくださった皆さんの読書人生が豊かになりますように。

2024-10-13

ハルキストって男ばっかりなの?

個人的感覚でいうと自分(30代半ば)より上の世代では男性比率が高い気がするけど同世代以下は圧倒的に女性比率が高いんだけど

実際はどんなもん?

2024-10-12

女「私の嫌いなもの世間も嫌ってないと嫌だ」←これ

こんなツイートがバズっていた

村上春樹は『ノルウェイの森』を小学生ときに脱落して以来ずっと気持ち悪くて、でも尊敬する先生や仲よい男子にもファンは多く、新作で書店行列ってドラクエハリポタレベルハルキスト多い…いえない…と萎縮してきたけど、この数年「キモい」という声が聞こえるようになってきてほっとしてる。

https://x.com/cobta/status/1844565013480317196?t=YpSIEgrpnGynNbahZ9B2oA&s=19

男の俺の感覚からすると何がどうほっとできるのか本気で意味からないんだけど、割とこういう「私の嫌いなもの世間も嫌ってないと嫌だ」「友達と違う意見は表明できない」っていう女多いよな

政治的トピックならまだしも文学映画はむしろ友達意見が食い違った時のほうが面白いだろ

この手の共感ばかり重視する人って居酒屋友達と「お前はわかってないなーあの作品はここがキモでさー」「いやお前の方がわかってないだろ、だってあの描写はさぁー」って個人の感想をぶつけ合ったりしないの?

しろ意見が違うほうがお互い思ってもみなかった色々な発見が得られて楽しいじゃん

昔なんかツイッター漫画で「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」ってやつがバズったこともあったよな

好きなアニメ友達に貶されて以来そのアニメを観られなくなったとかいうやつ

ほんとこの手の人間思考回路意味わからん

別に世間の多くは好きらしいが私は嫌い」「世間の皆様は嫌いらしいが俺は好き」でいいし、それを表明して何か息苦しいことある

自我が薄すぎるでしょ

「なるほどこういうところが好かれ(嫌われ)てるのか」って勉強する姿勢や「いやそれでもやっぱ世間の皆はこのポイントに気づいてないな」って自分視点を再評価する姿勢を持ちなよと

自分意見世間様の声で補強しようとするのを前提に作品鑑賞するのは普通に生きづらそうだなって思う

何ならちょっと精神的に病的ですらあるなって思うんだよね

自分の好きな作品の星1レビュー読めないやつは客観的に言って病的だけど、女社会ってそういうのがマジョリティいか不思議だわ

あえて煽らせてもらうけどこういうのを見るにつけ男に生まれてよかったなーって思う

男は忌憚なく作品感想を言い合うって楽しみを弁えた人が多いからさぁ

オタク活動するにも友達共感ベースでずるずる話をするとか寒気がするわ

2024-07-27

anond:20240727235319

世にはびこるやれやれ主人公村上春樹アティテュードから飛び出したものだとしたら彼のノーベル文学賞候補妥当であり、ハルキストセックスの種にされる罰がふさわしいともいえる

2023-10-17

anond:20231017112350

言うほどハルキストは毎年ノーベル賞の時期に騒いどるか?

しろ「もうそっとしといたれや」と思ってないか

毎年ノーベル賞の時期に騒ぐハルキストに聞きたいんだが

村上春樹よりはハンチバックの作者の方がまだノーベル文学賞に近いのではと思ったんですがどうなんでしょう?

私が考える根拠村上春樹は良くも悪くも文学真正道なため同じような人は世界を見渡せばいくらでもいるため審査員に対して存在感を発揮できない

・ハンチバックは障害者から見た文学に関わる不自由という斬新なテーマでありまだ審査員の目を引くのではないか

2023-10-10

anond:20231010132725

紙の本は学タブ浸透してない公教育届かない感じの限界集落ではまだ見られるな。都内で紙めくってるのハルキスト以外居ないでしょ笑

2023-08-04

その日もバーに行った

そこは場末バーと呼べるかもしれない。

飲み屋横丁の外れに店を構え、レンガ調の外壁は色が擦れている。

錆びた看板。溜息のような、湿気交じりの風が吹き込み、鈴の音を二度鳴らす。

狭い店内。向かって正面、カウンター席の一角

彼女の姿は既にあり、温かみのあるランタンの光が顔をうっすら照らしていた。

いつも通り隣に腰かけるとハニーウッドの香りわずかに鼻をくすぐった。

仮に彼女名前増田としよう。

増田はおそらく20代。いや、30代かもしれない。

このバーで知り合った女性で、酔った俺がいっぱい奢ったのが、こうして話すようになったきっかけだ。

増田は既にほろ酔いで、俺のことを一瞥するとすぐにグラスへ目を戻す。

端整な顔立ちの増田は言う。

「そういえば、この前に面白い話の聞いたんだけど」

へぇ、どんな?

外套を脱ぎながら尋ねると、増田はグラスを傾け、俺に見せる。

同じものを、と俺。

トランスジェンダーって知ってる?」

増田は置かれた酒をいっぱい、軽く傾け喉に流すとそう言った。

もちろん。まあ、なんとなくだけど。

わたし、誤解してたんだ」

何が?

「ほら、トランスジェンダーって、要はホモとかレズとか、そういうのでしょ?だから

から

聞き返すと増田はクスりと笑って眼を細くする。

彼女福田沙紀に似ている。

増田は言う。

ホモって男が好きってことでしょ?ってことは、そのホモっていうのは、自分のことを女だと思ってる~って思ってた」

マスターがちらりと増田を見る。

それに気づかないふりをして俺は酒をあおり、それで?と促した。

「でもほんとは違うみたい。聞いたのよ。本人に。そしたら、”男のことを好きな自分のことも男だと思ってる”だって

くく、ふふっ、と増田は体を折って笑う。

やれやれ、と俺は思う。

しかしこの表現はあまりきじゃない。

軽々しくも、”ハルキスト的”だなんて称されるのが気に食わないからだ。

そもそもやれやれ」といった表現流行させたのは村上春樹ではなく、それは寺山修司舞台青森県のせむし男』に出てくる萩村の口癖が元だ。

閑話休題

増田は「レズレズでも自分は女だって思ってるってことだよね?」と俺に問い、俺は何となく頷いた。

ただそれだけの話。

マスター流し目にちらりと俺を見る。

俺は再び、酒をあおった。

2023-05-29

anond:20230529143755

やっとハルキストが足元見られ始めたな

やつら頭悪いからそれでも払う

2023-03-10

特定の界隈のクラスタを指す名称

ラジオ部門

オードリーANNリスナー→リトルトゥース

ルネッサンスラジオリスナー檀家

めがねびいきのリスナー→クソメン・クソガール

 

アイドルアーティスト部門

BTSファン→ARMY

キンプリファンティアラ

NEWSファンパーナパーナさん

サカナクションファン魚民

ももいろクローバーZファンモノノフ

BiSHファン→清掃員

ピロウズファンバスター

日向坂46ファンおひさま

櫻坂46ファン→buddies

LUNA SEAファン→SLAVE

GLAYファン→Swinger

嵐のファンARASHIC

X JAPANファン運命共同体

藤井風のファン→風民

YOASOBIのファン→夜好性

 

YoutuberVtuber部門

加藤純一のファン→衛門

 

スポーツ部門

FCバルセロナファン→クレ

レアル・マドリードファンマドリディスタ

アーセナルファン→グーナー

マンチェスターCファンシチズン

リヴァプールファン→KOP

インテルファンインテリスタ

ミランファンミラニスタ

ユベントスファンユベンティーノ

ローマファンロマニスタ

ナポリファンパルテノペ

 

【その他】

村上春樹ファンハルキスト

ラーメン二郎ファンジロリアン

 

こういうのもっと集めたい

教えてくれ

2023-02-01

村上春樹の新作に対する懸念

「春樹、ノーベル賞取れないってよ」増田です。増田村上春樹ファンではあるんだけど、ハルキストと呼ばれる浮かれた連中が「今年こそノーベル文学賞だ」と報道されているのをみて苦笑いしちゃってるんだけど、新作も反社的、犯罪的な匂いが漂っていたら、またまたノーベル賞も遠のくよね。村上作品に出てくる、幼年美少女レズビアンとか、淫乱婦警さんとか、妄想ストーカー伊達男以上のキャラが登場するのは楽しみなんだけど、もっともっとノーベル賞から遠のくっていうのよ。ファンには楽しみだけど、賞はますます遠のくって話。

2022-01-13

ハルキストに怒られる「ドライブ・マイ・カー感想

ドライブ・マイ・カー」を見に行きました。広島ロケということと、何か凄い賞をとったということで、広島在住でミーハーの私は遅ればせながら見に行ったのでした。


原作村上春樹ということは分かっていたのですが、序盤から村上春樹感が強すぎて笑ってしまいました。

決して村上春樹が嫌いな訳ではないのだけど、私の乏しいイメージ通りの村上春樹すぎたので。村上春樹の誇張したモノマネだと思っていたものが、割と本人のまんまだったというか。


ここで言う村上春樹イメージとは、

セックスアンドセックス

とりあえずオナニー等の単語を言わせる

ロートークが詩的すぎて何言ってるか分からないが、相手もそれを理解して詩的に返す

ロートークだけではなく、二人で話す場面は基本的に詩的なことばっか言う

洒落バー ウイスキー タバコ

ということなんですが。別に馬鹿にしてる訳ではなく、私の教養とか感受性とか経験の乏しさ故に、表面的な部分しか拾えていないんだと思う。


大して村上春樹を読んできた訳ではないけれど、私自身に性的経験が無さすぎて、村上春樹に触れるとどうしても、「すぐセックスするじゃん!隙あらばセックスじゃん!」って心の中で照れながらツッコミを入れてしまい、集中できなくなってしまう。


別に映画自体が嫌だったわけではない。

ドライブシーンなんかとても良かった。

運転手役の女優さんが格好良くて、色気があって最高だった。ドライブシーンに関しては、詩的なやり取りとか、ちょっと儀式的な言動自然に受け入れられたし。まあそれは主人公運転手セックスしなかったからなのかもしれないけど。

あとユナさんもソーキュートだったし。稚拙表現だけど、ユナさんの手話はおまじないみたいで、表情と手だけで声を出すよりも感情を伝えていて、ユナさんが話してるときには相手魔法をかけてるように感じて、とても良かった。もちろんセックスもしなかったし。


村上春樹に触れると、すぐセックス連呼したくなってしま自分がいる。もし私に少しでも経験があったならば、セックス呪縛に縛られずにこの映画を見ることが出来たのだろうか、悔しい。

2021-12-02

anond:20211202084240

ハルキストかい気持ち悪い集団も結局自己泥酔してるだけで本当は内容もよくわかってないんだろ

2021-06-08

anond:20210608150949

優しい人がつられてあげてるけど単なるハルキスト崩れだろ

2021-03-07

ハルキストではなく村上主義者な。そんなのも書けないようなら、ピンクの太った娘とやみくろに襲われて、ナカタさんに挨拶して、冷凍豆腐の角に頭を30回打ちつけてからやり直し。

anond:20210307055157

「上手さ」の問題じゃなくて「好み」の問題じゃないの?

最近村上春樹文章下手くそだという人がいるらしい。

私は、そこまでハルキストでもなんでもないのだが、ツイッターで「村上春樹文章下手くそ」っていう意見を見るとちょっと驚く。

私はそこまで文学に詳しいわけでないし、文章を書く人間ではないので、文章を書く技術はよく分からない。

から、(そもそもまり村上春樹を読んでないのだから当然だが)村上春樹が本当に文章が上手いとか下手くそだとかどっちなのか私には判断できないし、

たぶん小説をあまり読まない分、たぶん読んでも上手いか下手くそかは、分からない。

判断できるのは、「好み」かどうかか。私が好む好まないか判断できる(と思う)。

技術は分からない。この辺は料理に例えられるんじゃないかと思う。

例えば、料理とかは私はそこまで上手くないが、自分にとって好みの味に作れる。

だけども、どっかの料亭懐石料理は私は好きじゃない。あの味付けとか具材やら嫌いなものが多い。

でも、じゃあその懐石料理を作る料理人は料理は下手くそか?と言えばそうは思わない。

まず私には作れない(そもそも作ろうとは思わない)。おそらく、懐石料理勉強をしてしっかり

技術を学ばれて、それで料亭プロ料理人としてやっているだけなのだろう。

私が「村上春樹文章が下手くそ」と聞いた時、私が邪推してしまうのが

村上春樹文章が好みでない」というのと混同してるんじゃないだろうか?と思うのである

村上春樹はおそらくプロの物書きだろう。ある程度何かしら、技法やらを学ばれて、研究されているに違いないと思うのである

果たして、そんな人が「文章が下手くそ」というのがあり得るんだろうか?私はそうは思いにくいのだ。

そうするとおそらくだが、「村上春樹文章が下手くそだって言う人にとって「村上春樹は好みでない」と思っていて、

それを「文書が下手くそだ」と勘違いしているんだろうと思うのである

もちろん、同じく物書きの勉強して研究して同じくらいのレベルの人が「文章下手くそ」って言うのはありえるかもしれない。

もしくは、他の物書きの小説を沢山読んでいて、その平均的な技術比較してプロとしての水準じゃないことを「下手くそ」って言ってるのかもしれない

(もちろん、その場合はおそらく、その人が持つプロの水準がイチローレベルに高いのかもしれない)。

ただ、こういう人は、同じプロの物書きか、その辺のことを普段から研究したりしている詳しい研究者やら評論家だろうと私は思う。

でもそうじゃないならば、それは「好み」と「上手さ」勘違いしたり混同したり、してるんじゃないだろうか?と思うのである

村上春樹がなぜ評価されているのか

たくさんの人が誤解していると思ったので、一応記しておく。

ちなみにハルキストではない。本を読むのは好きだし村上春樹作品も一通り読んでいるが、ハルキストと名乗れるほど心酔している訳ではない。念の為

村上春樹大衆に受け入れられ、なおかつ世界的にも評価が高いのは、「アメリカ文学」を日本文章環境時代に上手く落とし込んでいるからだと思う。

読みやすいとか安っぽいとか性描写が多いとか、そういう指摘は本質的でない。

村上春樹チャンドラーサリンジャーフィッツジェラルドなどを好んで読むことで知られている。何なら自分で新訳を出し、巻末の解説作品のすばらしさをくどくどと語っているくらいだ。

そしてこれらのアメリカ文学は、概ね「喪失」を題材としている。私個人意見だが、一般に名著と言われる小説は、喪失を落とし込むのが抜群に上手い。

喪失文章で表すのは意外と難しい。なぜなら日本という国は、ここ半世紀以上明確な危機経験していないからだ。例えば、戦争ベトナム戦争も、民族紛争も、宗教戦争もない。平和といえば聞こえがいいけれど、要するに、物語を紡ぐ必然性がないのである

その中で村上は、そこはかとない喪失と、日本で起こった/これから起こりうるキャッチー事件とを繋げていく。綿密な情景描写不思議比喩をもって。

からこそ、読者の幅が広いのではないかと思う。

余談ではあるが、中村文則にも同じことが言える。彼はドストエフスキーが好きだと公言している。ロシア文学に多い徹底的な自己分析と暗い雰囲気が、彼の作品には投影されている。

ほのかに匂う異国感が、難病犯罪という一見手垢のついた題材を、何段階か上のレベルへ押し上げているのではないか

以上、読書好き大学生偏見でした。

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

2020-12-26

anond:20201226163219

直流行りのものは何でもそう

ハルキストも鬼滅のオタクも、普段物語に接しない層が「流行りだから」という理由で接して「最高!」と言っている

比較せずに崇拝できるのは本人たちには幸せなんだろうな

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