はてなキーワード: ナルトとは
そういう人を宝の持ち腐れ等と表現する事がある。
あるいは、宝ではなく無駄な雑学、トリビア知識だけ海馬に蓄積されていく代わりに勉学や仕事のスキル、ノウハウが駄目になった人と見られやすい。
ゲームのし過ぎで現実と空想の区別がつかなくなっている人、ゲーム脳のそれとは異なるものの、知識の多くは仕事上では殆ど全く活かされないのが常である。
ともすれば、面白い知識や雑学を披露できる場は限られてしまう。
といっても活かせる場所が全くない訳ではない。
無論、それに関係する職業であれば、知識を活かすに越した事はなく、また披露の場はそのまま商品企画や営業トークのアップに繋がる事もままある。
しかしながら、それに関係しない職業であれば、活かされる事はなく、また会社によっては趣味と断じられてしまう事もままあるのである。
どうせ活かせないならば、活かせる場所を探してみようではないか。
例えば、お酒の席で、若い人同士の会話には欠かせないネタとして用いる事が出来そうだ。
だが、基本的にアニメ鑑賞およびアニメオタクを自称している人というのと、普段からアニメを見ていてそれに関する知識、例えばこのアニメではワルサーあるいはルガーが使用されてる、といったような知識をひけらかす人とは相容れないものである事は確かだ。
何といっても自称アニメオタクのマニアックなアニメの代表作がエヴァンゲリオンや涼宮ハルヒの憂鬱程度に留められている事に留意したい。
あるいはワンピースやナルトなど大衆アニメの知識はあっても、深夜アニメの知識はほぼ皆無である。
一般的に自称しないアニメオタクはこうした深夜アニメが中心である。
自称アニメオタクと話が通じない以上は、仮にお酒の席でアニメの話題が出てもそれについて行けない事が多いと思われる。
アニメに詳しいと言う事は、世間的には内向的であるとか引きこもりがちであるとか昼夜逆転した生活を送っているなど暗いイメージを持たれがちである。
そういった人種が、いざ会社で仕事をするようになると、どうしても疲れや飽きが出て来てすぐに辞めようと思うようになる。
それは雇用のミスマッチなどではなく、単純にそういう向きの人種でない事はあきらかである。
そのため現在社会問題となっている若者のジョブマッチミスはただ単に仕事に従事するだけの力を持たなかったという事である。
それでもなお仕事に従事する人は、件のイメージから脱却できる、元々そういう人種でなかった人であろうか。
あるいは、小学校や中学校では神童だった子供であったのかもしれない。
それがいつからか勉強やスポーツに身が入らなくなった結果、アニメに依存するようになったのではないか。
アニメの知識量が多い人ほど、人付き合いが苦手であるのは、そのような過去のしがらみに囚われて未だにその呪縛から解放されない人種なのかもしれない。
マガジンやサンデーと違って、特別別格に可愛いヒロインがいるというわけではない。
それなのにごく稀に現れた別格に可愛いヒロインがいたら、腐女子が何故か騒ぎ立てて存在を抹消されるか、リナリー・リーのように没個性化される羽目になる。
そもそも少年誌なんだから、少年がヒロインのために悪と戦う構図が王道なのは当然なのに、そして、ジャンプ漫画というのは古くから伝統的に少年がヒロインの少女を守るべく立ち上がって出会った敵と闘い、仲間と切磋琢磨して成長して行く物語が主だったりするのに、昨今のジャンプ漫画の人気作品には殆どそれが見られない。
一体何に支えられているのか、不思議でならない。
ネット界隈ではやはり、というか腐女子が作者の物語をアンケートなどによって強引に捻じ曲げているのでは?と見る向きもあるが、最終判断はあくまで作者の意向に委ねられているから、それも難しいかなと思う。
いずれにせよ、天下のジャンプ漫画である以上、腐女子向けに描かれる必要性は皆無だし、そんなに腐女子向けがいいなら少女漫画とかレディコミとかでやればいいわけで、
ジャンプにそういう外道を持ち込むなと長年ジャンプを愛好している私は訴えたい。
しかしながら、アンケート至上主義の編集部がアンケートの結果如何で全ての事を決定しているとなると、今後も腐女子の意向によって外道漫画が増えるのは間違いない。
けれど、それでいいのか?
いいわけがない。
何故なら、ジャンプ漫画はあくまでボーイミーツガールを主とした少年漫画でなくてはならないからだ(懐古的な私見であるが)。
その意味では、昨今外道漫画たちは友情とかいいながら、少年漫画から逸脱した、性的な意味での男の友情物語が描かれ過ぎている。正直吐き気がする作品が多々ある。
先日起こった黒子のバスケ脅迫問題にしても、やはり外道作品だからこそ道から外れる犯罪者が生まれたんだと考える。
昔のジャンプであれば少なくとも読者が世間を騒がせる犯罪行為に走るなんてことは殆ど全くなかった。
ジャンプはいつから少年諸君に夢を与える雑誌でなくなったのだろう。
ワンピースやナルトが売れて、確かに全盛期に近い売り上げを誇ることになったが、しかし全盛期に迫るかというとそうではない。
明らかに購買層が変わったせいもある。
恐らく硬派な漫画が好きな層が、この外道な現象に失望して、あるいは幻滅して他誌に乗り換えた可能性も否定できない。
少なくとも私は購入しなくなった。殆ど立ち読みで済ませるようになった。
それは単純に漫画がつまらなくなったというより、読みたい漫画がジャンプになくなったのだ。
今、巷では売上げが伸びていると言われているが、だからどうしたというのだ。
無知の知? って奴かな。
これについては読んだような気がするけれど俺にとっては高尚過ぎたので気付いたら部屋を彩るオシャレ雑貨と化していた。
自分で言うのもなんだけど、20年間生きて来て、俺と同じくらい本を読む同年代の人間には出会った事がない。
本を読み始めた切っ掛けは13歳の頃に定期テストの結果を無かった事にしたことが親父にバレて部屋の漫画を全て処分されたからだ。 あんなにあったナルトやブリーチが綺麗すっかり消えていたことには本当に驚いた。 驚いたというか、悲しかった。
漫画という最大の暇潰しを失い、暇で暇で仕方なかったけれど、また漫画を本棚に入れると叱られそうなのでとても漫画なんて買う事が出来ない。
暇で暇で仕方なかったのでとりあえず小説を買うことにした。 確か伊坂幸太郎だった気がする。 面白かった、抜群に。感動するくらいに。 この感動は面白い漫画と出会った時と同じものだった。 それからは小説を買い漁るようになり、高校に入ってたから小説以外も買うようになった。 セネカとかショウペンハウエルとかまぁそのへん。 そんな感じで今まで生きて来て、俺より読書する奴には会ったことがないけど、俺なんかと比べることがおこがましいくらいに賢い奴らとは遭遇した。 そいつらは読書を全くしないらしい。いつかはしなきゃな、とは言ってたが。 すこし驚きだったけど、まぁ賢くなりたくて本を読み始めた訳ではなかったので、多少納得した。 本当に頭のいい奴らは読書の有無如きに左右されないのではないかと。
Jリーグと言えば地域密着らしいが、ロゴ、エンブレムがあまり地域と関係ないものばかり。そして、ダサい。
ヨーロッパのエンブレムの見よう見まねで日本らしさの欠片もない。地域の関係も分かりづらい。
家紋でもいいし、着物の柄でもいいし、参考にするものがあるなら参考にしてよ。
ほとんど作りなおしてほしいわ。
とりあえず、今のJリーグのチームのエンブレムは総じてダサくて、センスなくて、ヨーロッパの見よう見まねで、その地域らしさも日本らしさの欠片もない。だから、変えてほしい。
来年J3が出来るらしいので、どのチームもとりあえずエンブレムのことしっかり考えて、変えたらどうですかねって感じ。
http://www.kimono-sagano.jp/kamon.html
↑ここに家紋たくさんあるけど、家紋とか使っちゃいけないわけじゃないでしょ?ナルトに出てくる写輪眼っぽい家紋とかもあるし。googleで家紋で画像検索してくれ
http://www.j-league.or.jp/club/
エンブレムに継承された伝統 http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=1925216.html ←ここに海外のサッカーチームの色々書いてる。
現代に息づく紋章 エンブレム http://d.hatena.ne.jp/lastline/20091123/emblem ←ここも面白い。車のエンブレムとかね
チェルシーなんかはエンブレムを途中で変えたらしいし、インテルもコロコロ変えてるとか。Jリーグのチームもエンブレム変えてほしいわ。
少年向けのアニメや特撮は「エネルギー弾」の概念なしには語れない。
ウルトラマンが1966年の初出だからかれこれ50年近くこの概念は少年達の心を掴んでいる。
けど、どれもこれも共通点がある。
エネルギーの発生場所が掌だったり、足だったり、全身、口、目など。発生場所が固定されているのだ。
それなら、リンパ腺のある脇の下とか、こめかみとか、足の付根、膝裏、
も気は溜まるはずだし、説得力があると思う。
リンパ節からしかエネルギー弾が出せないバトル漫画があっても面白いと思う。
気合を溜め溜め、開放するやいなや出てくるのは
膝裏!
みたいな。
ベジータの連続エネルギー弾は、まんぐり返しの要領で、膝をへぷへぷ鳴らして
攻撃する、みたいなの。。。。
「おらに力を分けてくれ!!」
友達にしたら全く、
興味を示さなかった。
( `・ω・´) =3
▼▼▼▼追記▼▼▼▼
90件近くブックマークされて驚いたけど、一件目のトラバが一番驚いた。
記事に自分で歳書いてたの忘れてて。
一件目のトラバに
「同じ1985年生まれのよしみで〜」
という書き込み。
個人情報ぬかれたんかな!
もぅ、はてなは知らん!!
と、気が付くまで一人で騒いでた。
まっつねのアニメとか作画とかが、つい最近ブログ内で歴代最高のブクマ数を叩きだした。
それがこの記事だ
久々に絶望感を味わった
一昔前(2003年~2007年辺り)は真の意味で作画的に見所のあるアニメが奇跡のように連発し、それに伴ってアニメ作画の考察や啓蒙を目的としたブログが数多く乱立した。(以下、作画系ブログとす)
その代表格が「あんていなふあんていダイアリー」や「電源を入れてください~都市ノォト~ 」とかだ
今はどちらも更新停止状態だが、自分は今でも作画系ブログといえばこれらを真っ先に思い出す
作画系ブログの乱立は、この時期のアクエリオン第19話やSAMURAI7第7話などを発端とする、ネット上における「作画崩壊厨」とか「萌え豚」とか言われる無知を盾にした傍若無人な連中のアニ
メーター叩きに対してのカウンターの意味合いも多く含まれていたはずだ。
(電源を入れてください~都市ノォト~ 森久司&奥野浩行コンビに対する,ちゃねらーの容赦ない反応)
そしてどうしても忘れてはならないのがkanose村長の「ARTIFACT-人工事実-」
別にそこは作画系ブログではないのだが、松本憲生作画で今でこそ有名なNARUTO第30話をリアルタイムで真っ先に紹介していた( 『NARUTO −ナルト−』第30話「蘇れ写輪眼! 必殺・火遁龍火の術!」 : ARTIFACT ―人工事実― )
これが作画系ブログの始祖とも言える内容。キャプ画でアニメを紹介する文化は既に根付いていたが、作画オタ的な啓蒙記事でここまでやったのは初めてだったと思う
アクションカットの特にインパクトのある画を並べさらにgifアニメで動いている所を見せ、キャプションまでつける。
それまでもネット上での作画オタの作画語りは多数存在した。「沓名設備の「作画オタク的日記」などがそれだが、完全文字ベースであり、内容も備忘録のようなものなので、一般的なオタが読んだ所で何も感じはしないだろう。(※1)
ところがどうだkanose氏のこの記事は。これほどまで広く解りやすく作画の凄さが伝わる方法は、作画系ブログ乱立時代に多くの所で真似され、作画記事のフォーマットとなった。
kanose氏のこの記事でNARUTOにもの凄い作画の回がある事を知った人間は想像以上に数多いのではないか?色んな意味でブレイクスルーとなった記事だった。
作画系ブログではない、とは言ったものの当時のkanose氏はかなり作画オタ寄りであり、他にも作画啓蒙記事を多く書いたし、こういう今でもダメな作画オタがよく繰り出すジョークもすでに
やっていた→ アニメスタッフに多い名前 : ARTIFACT ―人工事実―
その後、2chの「作画を語るスレ」から作画MADが生まれ、作画@wikiが設立され、一大作画ブームが巻き起こった頃にkanose氏はこんな記事を書いた。
まったくもって耳が痛い内容である。大勢の作画オタクを生み出した記事を書いた人間にこう言われてはぐうの音も出ない。作画ブームはこの辺りがピークとなり、あとは徐々に下降線をたど
っていった。
で、そんな作画ブームの収束期に始まったのが「まっつねのアニメとか作画とか」だ。
作画系ブログとしてはかなり後手だしあんていなふあんていダイアリーや水池屋無呂具堂とか流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~とかに比べたら考察もデータベースとしても劣る内容だ。だ
が別にまっつね氏が作画ニワカとは思わないしひと通りの知識は備わってる人だとはわかってる。何よりほとんどの作画系ブログが更新停止状態にある中で今日まで継続してコンスタントに記
事を書き続けている貴重な存在として一定のリスペクトは持っていた。そして徐々に閲覧者が増えてきたのか、平均でも20~30ブクマはつくようになっていった。
だがそれに比例して、何となくだが(特に今年入ってから)妙にある方向性に恣意的に書き立てるようになっていった印象がある。身も蓋もない言い方をすると"バカを釣る"ような記事をよく
書くようになってきた。アニメについて良く知ってもいないような連中のか細い知識欲を刺激して注目を浴びるような、karimikarimiとかがよく使う手をまっつね氏も使うようになって来た。
そしてつい先月、まっつね氏のブログ史上最高のブクマ数を叩きだした記事が前述のこれだ。
あのさぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(怒)
はっきりとした絶望を感じたよね、まさかこんなくだらない記事が「まっつねのアニメとか作画とか」の最高ブクマ数なんてさ
ちょっと前にも大匙屋さんがこの記事を書いて(あずまんが大王 第04話のプール表現。と、その先 - 大匙屋)、ブクマ数500以上の超大台
を叩きだして、まだまだ作画系記事はイケるぞと思い込んでいた。この記事は岸田隆宏という実に捻くれた作オタ好みのリトルメジャー的人選を題材にして、(※2)ここまでの注目度を浴びた
のだから、人々(ニワカ)に作画の素晴らしさや尊さを伝える記事は全然廃れちゃなんかいないと実感した。のだけど、今にして思えば大きな勘違いで、この記事に注目してる奴等は岸田隆宏
に注目したわけじゃなくて寒天プール云々のエセ薀蓄のほうに食いついたわけで、これも"バカを釣る"要素が含まれてだったのかと。個人的意見を言わせてもらうとアニメバブルによる疲労と
寒天プールの台頭は特に関連性は特に無いと思うし、アニメーターの作画技術に絡める話題でも無い気がする。作画云々で言ったらし寒天よりも水しぶきの塊が空中で雑に消滅する方がよっぽ
ど気になるし、しかしそれを言ったら今も昔も凄いのは凄いしショボいのはショボいという事でいいと思うが、そんな事よりも岸田隆宏という途方も無い能力を持った"アニメーター"を知らし
めてくれた事の方に感謝の念を覚えたので寒天云々の是非についてはどうでもいいやとすら思ったのです。でもやっぱこの記事に注目してた連中は寒天がどーたらの部分を見てたのだろうし、
画像スライダーの物珍しさしか見てない奴も多かっただろう。500ユーザーのうち何割が岸田隆宏の名前を覚えてくれたのやら、半数以上はもう忘れちゃってる頃じゃねーかな。
結論としては、
作画系ブログはとっくに終わってました。作画オタクの時代も来ません。いくらアニメーターや作画を啓蒙したって無駄です。そこにいるのはバカしかいません。
(※1)
「沓名設備」は現在アニメーターである沓名健一(作画@wiki - 沓名健一)のHP。ここのBBSはネット上の作画マニアの溜まり場の元祖であり、そこにはNARUTO以前から松本憲生の熱心な追っかけみたいな人がいた。
その人物、HN:中古マニア氏が2002年までの松本憲生の仕事を網羅したリストを作り、その上に注釈や見所などのコメントを付けた資料的価値のもの凄い投稿をしていた。作画@wikiが生まれる約5年前だ。
あまりに凄いのでログから該当箇所をjpgにして置いておく。これは見てほしい。アニメ様こと小黒祐一郎も驚嘆のレスしているのもポイントだ。
http://dl1.getuploader.com/g/butagoya/13/noriomania.jpg
(※2)
まどかマギカとかでもう有名だろーがという声も聞こえてきそうだが、あんなん岸田隆宏の魅力を語る上では100分の1以下も伝わらないような作品だ。総作監の谷口淳一郎のほうがまどマギを
代表作と呼ぶに相応しい。
ライター(笑)の古田ラジオさんの作品を仕方なく「読んであげた」。 - とある青二才の斜方前進
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20130505/1367758802
より。
アニメで言うと「凄腕の原画マン」だけでアニメは作れない感じ。作れるんだけど、背景が雑になったり、(全部一人で書かない限り)絵柄が崩れて醜い感じ。典型的なのが「松本憲生」さんというNARUTOや鉄腕バーディーなどのアニメに携わっている人のアクションシーンの作画。「アニメとしての疾走感」が話題になるが、彼が1パート丸々担当したシーンは背景もキャラの顔、モノの質感も崩れる。演出で「崩してる」のだが、20分間のうち彼の担当するパートだけ別のアニメのようになってしまう。
あのね。ふつうアニメーターが描いた背景は絵として画面に出ないの。
逆に言うと背動しないとこで見られることはめったにない。
何か勘違いしてるんじゃない?
それとNARUTOやバーディーはそもそものデザインが簡素なの。
少ない線で立体を表現することを美としている人たちなのよ。
あと逮捕しちゃうぞの2話は見てる??
あれ見ててもこんなこと言えるの?????
そのデザインをうつのみや立体の描ける憲生が作監することによって至高の人体になってるの。
アゴを見ろ首を見ろ指を見ろ。わかるか?
濡れたあとのタオルで拭いた髪をこんなにエロく描けるやつ他にいる?
ずっとワイシャツ着てるアニメだからシワも贅沢に楽しめるようになってる。
Fate/Zeroみたいな棒立ち糞アクションならあんまり変わらないんだけどね。
有名なのはNARUTOの「ナルトVSペイン」の作画シーン(一応、松本さんがしたことになってるけど、後半はちょっとだけ違う人のパートも出てきます)
むしろ後半が全て松本憲生だ。その動画だと8分過ぎからラストまでがそう。
当時話題になった5分過ぎまでは山下清悟パートで、作画オタクの誰もが彼の仕事だと最初からわかっている。
わりとうまいのでバーディーでも松本憲生と間違えられたことがある。
ネット作画論壇以前、フリクリやアニメスタイルがきっかけの現行世代の古株。
グレンやコイルから入った未だにニワカと呼ばれるかわいそうなやつら。
その中でも一番厄介なのがNARUTOの松本憲生で目覚めた人間。
30話や133話を見て作画オタクになったやつは憲生狂信者と言ってもいい。
…作画オタクから「こっちがむしろスタンダードで、予算がないから制作枚数を制限してる。日常シーンだってヌルヌル動きまくるアニメ(例:『涼宮ハルヒの消失』『劇場版けいおん!』など)も予算と時間さえあれば、作れないわけじゃない」と言われそうだけど…ここで言いたいのは、そんな話じゃありません。
私たちはヌルヌルという言葉を肯定的な意味で使うことはありません。
かんなぎ2話のような無駄に枚数のかかった気味の悪いアニメを批判するときにのみ使います。
あとヌルヌルしていることと動いていることは直接関係ないからね?
ヌルヌルを褒め言葉、動いている様を指す言葉として使うことは絶対にやめてください。
これはid:TM2501さんだけでなくみんなへのお願いだよ。
id:TM2501さん、パートチェックすら怠るあなたはまだニワカにすらなれていません。
それで何も感じなければ才能がありません。
潔く諦めて今後一切作画に言及しないでください。
ポケモンやらガンダムやら長くヒットしている作品に共通してるのは、
「最初は特定の層を対象にした内容を(小さく)作り、後に子供向け・女性向けというふうに、消費者層を拡大していく」という戦略だ。
誰にでも好かれようとするあまり、通り一遍な作品となり、有象無象の一になってしまうからだ。
これではコアとなる層がつかない。
逆に、一度コアとなる層をつかめば、その層は後の消費者層を拡大した際に生じる路線変更があっても付いてきてくれる。(*1)
消費者層の拡大が重要なのだ。古参の意見のみを取り入れた尖鋭化は大して重要ではない。
格ゲーやシューティングが衰退したのはこのあたりが原因だと思われる。
(*1):あれ、でもアイマスは路線変更で失敗したんじゃなかった?
と思って調べてみたが、
などを見るに、俗に言う9.18事件の影響は大したことがないようだ。
路線変更によりコアとなるファンが離れるのは不可避であるが、その離れるファンの数が多すぎなければ積極的に路線変更はしていくべきだ。
路線変更しなくても、結局は「時の流れ」によってコアとなるファンも遅かれ早かれ離れて行ってしまう。
一方で、ジャンプの漫画、DRAGON BALLやONE PIECE、ナルト、BLEACHなどは始めの方は冒険やらなんやらやってたのに、次第にバトルものになっていった(先鋭化していった)のに、続いている。
これは何でだろう?
お前が読みたがってるような暗い漫画じゃねーんだよと言われたらそれまでだが、俺もおんなじこと思ってた。
じゃあ今はなんなの?
「血なんかFuck!」
が初期テーマだったよな?
それがナルトであり、ハクであり、ネジであり、リーであり。
里の住人だって、一族がなんちゃら才能がなんちゃら、本家が、分家がっと、とくだらないことばっかり言ってばっかりでさ、罪人の弟だとか化け狐の依代だとか、本人がどうしようもないことを影で言うクズどもだったよな。
そういうクズ親どもとそっくりな、嫌なガキどもの間で育ったって話だったじゃん。
そこに、「力こそ全て。お前は無価値なんかじゃない。」
とささやく大蛇丸、ザブザ。
それにそそのかされ、ダークサイドへの誘いに乗ってしまうかどうか。
そういう漫画だったよね。
「一族一族うぜぇ」っと言わんばかりに。
あの感覚すげぇわかった。
一族のしがらみやつながりを全部すて、ただ高みを目指す求道者、一族殺しも、弟を復讐者にするのも、ただ高みを目指すため。
っていう当初の設定のほうがよかった。
で、第二部。
結局血かよ。
里のみんなに愛されて、パパママからも時空を越えて愛されて、化け狐とも仲良しかよ。
承認欲求なんかもうみちみちてるだろ。
手に入れたいものは既に手に入れてる。
一時期、
全部「子供の頃に親の愛情が不足しててさびしかった」になってたんだけど、
(ナルト、サスケ、ガアラは勿論、割と冷血悪党ポジションのサソリや大蛇丸すらそうだった)
更にその全部に「実は勘違いだよ、上手く伝わらなかったけど愛されてたんだよ」というオチがつく。
今週とうとうサスケの過去まで「実は両親にも兄にも愛されてたんだよ」で決着してしまった。
やめてほしい。
便所でクソと一緒にひりだされて嫌々面倒見られながら生き延びて
少なくとも小学校卒業ぐらいまでは誰にも目をかけられずに大きくなった子、
そういうのを描いて欲しかった。
一人ぐらいは。
本当はナルトがそういう奴なはずだった。
里中の大人から嫌われて憎まれて、親のそういうのが子供達にも伝わるから友達ができなくて、
里の上層部は別の意味では気にしててたまに人が見に来る(実は強力な兵器だから)っていう、
初期設定ではナルトはそういう奴だった。
開き直って馬鹿な事や迷惑な事を繰り返すパッと見明るいワルガキ、
でも中身はどす黒くて真っ黒の黒黒、
自分を一番可哀相だと思ってたサスケがナルトの内面に気付いたら「えっ?」てビビるとか、
火影の爺さんがなんかケツ持ちしてくれるので
ごまをする為に&いつものみんなの気を引く癖で「火影になるってばよ!」を口癖にしてるけど
もちろん木の葉の里になんてなんの愛着も無いから上っ面で言ってるだけ。
根底の本音はむしろまるっきり正反対、
みたいな人間のはずだった。
超エリートのお父さんと慈愛にあふれるお母さんが時空を超えて愛情を伝えてくれるようなぶったるい夢はもちろん夢で、
子供の頃は毎晩そういう夢を見て泣きながら目が覚めては暗い部屋に自分しか居ない子の筈だった。
そんなナルトの友達であり家族であるのは自分の中に居る九尾だけの筈だった。
誰も認めてくれなくても九尾だけは自分のそばに居てくれて、
檻としてだろうがなんだろうが互いに一対一の関係で、
なによりある日特別な力を与えてくれる。
里を滅ぼせるほどの!
特別な力を自覚したときに、
まず「これで里の奴等を皆殺しにしてやるのはどうか」と悩むナルトであって欲しかった。
「ああ、おれがずっとやりたかったのはこれだった!」と感動するようなナルトが見たかった。
サスケやサクラに話を合わせてるけど内心密かに大蛇丸のビジョンに打ちのめされてるナルトの筈だった。
幸せや家族を奪った兄(後期はその黒幕たる木の葉の里)に憎しみを抱くわかりやすいサスケと比べて
はるかにあいまいでスケールの大きい負のポテンシャルを持ったナルトの筈だった。
カカシのように自分を鍛えてくれたわずかな人間の思い出を糧にして
里を守る側に立つっていうならそれはベタだが泣ける。
もっと酷い話にするなら、
木の葉の上層部が派遣した女(アカデミー低学年からずっと密命を帯びてる同級生とか)に騙されてて
操られる形で里の側に立つならそれはそれで忍者らしい話になる。
が、実際のナルトは
初期設定から当然ある筈だった辛い境遇からも負の人格からもほぼフリーになる。
ほぼ序盤から。何の説明も無く。
街を歩いてて嫌な視線や陰口に悩まされてた事もないし、
誰もナルトに対して軽口以外の、侮蔑や疎外の態度なんか取ってない。
なんだこれは。
せっかくの初期設定が
何の葛藤もカタルシスもなくボンヤリと薄まって解決してしまった。
これは本来一番おいしいところを手をつけずに捨てるような物では無かったか。
単に「成績悪かったおちこぼれがど根性でこんなに出世しました」程度のカタルシスになっていた。
ナルトも大して感慨も戸惑いも持っていない(とっくに受け入れられていたから)。
なんなのこれは。
お前が読みたがってるような暗い漫画じゃねーんだよと言われたらそれまでだが。
今思い出した余談だけど
「人間を食わないと死んでしまう」「生きる為に食ってるだけの俺を殺すのか正義の味方が!」という設定のパピヨンが
後に「なんか人間以外の食料でも生存できるようになった」とか言い出して、これも心底呆れた。