2012-02-29

就活に失敗して思うこと

現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道世間ムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言

大事なのは企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。

この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。

「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材いかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。

そこを絶対に勘違いしないでほしい。

「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」

本当にこの一言に尽きると思う。

0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合地獄を見る。

これは絶対にやってはいけないことだと思う。

3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。

当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。

わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げもっともらしい理屈ガチガチに固めた。

どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。

どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。

正直、SEにまったく興味はなかった。

そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。

とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。

採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社就職してはいけない!」と思った。

志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。

しかし、せっかくこんな立派な会社採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。

親に迷惑をかけたくない、というのもあった。

泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。

そのとき就職が決まっていなければただのフリーターである

そのことを考えると、ぞっとした。

そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。

研修が終わると辞令下りて配属先が決まる。

先輩たちはかわいがってくれた。

1年目の12月、寿退社した先輩の後釜にあてがわれた。

小さなプロジェクトリーダーだった。

1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。

確かにそうだったようだ。

わたしはあっけなく潰れた。

から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。

翌年の12月、辞表を提出した。

辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。

誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。

けれどわたしには乗り越えられなかった。

もともとのモチベーションがほぼ皆無だったからだ。

「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」

これが本音であった。

ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社デスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。

働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。

からわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。

単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。

それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。

社会とは、そうして渡っていくものだと思い込んでいた。

派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。

そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。

身体がうまく動かせなくなったのだ。

病院に担ぎ込まれ、うつ病と診断された。

半年間、暗いアパートで何もしないでぼーっとして過ごした。

それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師バイトを始めた。

楽しくて仕方なかった。

漠然と「先生になりたい」と幼い頃から思っていた。

うちは田舎で、県の教職員採用ものすごい狭き門だ。

加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。

氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。

それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。

それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。

でも違ったのだ。

たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。

自分大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。

親に話したら猛反対された。

から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。

早期退職した父親と専業主婦母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。

以前勤めていた派遣先事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。

身体は本当につらかった。

もうやめてしまおうか、と何度思ったかからない。

でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。

翌年の秋、わたしはある私立高校採用試験に受かった。

どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。

高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。

私立なのに、職員の給料も決して高くはない。

でもわたしは満足している。

県の採用試験はだめだったが、来年はもう受けないだろう。

ここにわたしは骨を埋めようと思っている。

モンペ対応など面倒なことも多々ある。しか仕事のものが苦になることはない。

同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。

してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。

わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。

とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。

でもそれは絶対違う。


自分大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。



就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。

「この会社就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。

から就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。

きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。

もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。

運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。

愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。

辞めたくなることもあるだろう。

けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。

そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。

「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。

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