はてなキーワード: アニメーターとは
地方かそうじゃないかで絶対的な差が生まれるしsnsが発展しすぎた今ネタバレする奴ってほぼ避けられないんだよね
なんなら公式が開き直って放送開始直後にネタバレになるような情報公開するし(ひぐらしの沙都子も公式のedジャケで知った予想はしてたけども)
そんで地上波のスケジュールに合わせて何話かみたいなのも合わせないといけないし
いいこと一つもないでしょスポンサーの意見聞かなきゃいけない分やれることも狭まるし
ネットでスパチャ投げれるようにして全国で一斉に生放送しろってまじいい加減
今生主(vtuber)のスパチャが流行ってるけどそれ自体が面白いわけじゃなくて気軽に見られる金が投げられるシステムからあそこまで流行ってるんだよ
前に一回フィギュアがくるくる回るだけの配信24時間耐久みたいなのあったけどもうスパチャが飛び交う飛び交う
今やってるラブライブの生放送も投げれるようにすればいいのにしてないしコメント見てる?スパチャして〜ってコメント
お前らもらえる金全部放り投げてるんだよ
なんでもいいからもらえるもんもらってアニメーターに還元してあげろよ
そりゃあアニメ会社の事情があるかもしれないけどどうせ昔からこうやってるからって雁字搦めのくだらないルール守ってるからだろ?変えよう?いい加減ていうか俺も金投げたいんだよ
ブルーレイ?そんな高えもん買えねえよでも数千円なら払えるってやつはクソほどいるってことだけはマジで覚えといてくれ
コロナで給料下がって買いたいものもろくに買えないやつは更に増えた
見る側が支えようにも正直無理でもアニメは見たい
とりあえずラブライブに関しては生放送はできてるんだから後はスパチャオンにするだけ誰でもできるでしょ?
今一度お願いします
ジャンプなんか公式スピンオフを原作のBL描いてた同人誌作家に描かせてるし
加えてその漫画のアニメ担当したアニメーターもBL同人誌を描いてたし
最近では腐女子除霊師オサムみたいなのも恥ずかしげもなくやってるし
不快になるだけだから読んでないがルックバックみたいなのもやってる
もう完全に論外なのですわ
ワイがアニメ・ゲーム業界にいた時からこの人らの倫理観とか社会性ってヤバいなって思ってたけど
アニメ・ゲームは役員と本社の事務方以外は平民かつ高学歴じゃないんだよね
一方、出版大手は問答無用で高学歴。そして倫理観がめちゃくちゃ終わってる
電通みたいに自浄作用もないし二次創作の規約を作るくらいのモラルは見せて欲しいところ
父親が3ヶ月半ずっと探し回っていたアサヒの泡の出るビールを、
祖母がお盆に親戚(近所に住んでる)に配りまくって全部なくなった。
あからさまに父親が真面目に傷ついた顔していたし、父は父でちゃんと親戚配布用に普通のアサヒビールを買ってきていた。
祖母は「これって手に入らないビールなの?なら尚更あげた方が喜んでくれていいじゃない。」と言っていた。
私は日本酒を月1でほんの少し飲む程度で、ビールは年に1度飲むか飲まないかくらいなのだが、
毎回泡の出るビール探しのお供に駆り出されていた。
ブツが手に入った時、どれだけ父親が嬉しそうにして「楽しみが増えた」とウキウキしていたか知っているので
別に父親のことが特別好きなわけじゃないのにモヤモヤとした怒りがわいてしまい、
「毎年普通のアサヒビールあげてるし、今回も買ってきてあるんだからそっちを渡せばいいじゃん。」と反論してしまった。
祖母は「余計なことを言うな。他人の喜びの方が大事でしょう。こすい奴だね。」と言い、圧倒的『善』な反論にぐうの音も出なかった。
だが、祖母は酒を飲まない。
このビールを手に入れるまでの背景を知らない人間が「またすぐ買えるこんなの」などと言っているのが何か解せなかった。
祖母はもともと見栄っ張りで、客を呼ぶごとに机やコタツ、カーペットをわざわざ新調する。
だから小中学生時代は友達を1回しか家に連れてくることができなかった。
何か決め事をするときも見栄を張りがちで、いつも家族に止められている。
そういうところを長年見てきていたので、内心「何をビールごときで反論してんだ私は…アホくさいな…」と思ってはいたのだが
ちりつもで怒りが溢れてしまったのかもしれない。
ちょっと違うかもしれないが、漫画家やアニメーターに「似顔絵タダですぐ描けるでしょ?」と言ってくるような
なんかそんな感じのモヤ〜っとした何かを感じた。
通り魔とか無差別殺人って、現実に加害者男性が圧倒的に多いから。
理由は、現実、通り魔とか無差別殺人って、被害者が自分の腕力でねじ伏せられるような、女、子供、障がい者、アニメーターみたいな弱者がターゲットだから。
それとは別に、現実の女性の複数人殺人って福田和子の保険金殺人みたいに、金と色恋とか親族とか絡んでる。被害者が金もない女である場合は、女の集団のいじめのターゲットになっても殺人のターゲットにならない。女性の場合、単純に腕力がないので、弱者を対象にした「むしゃくしゃしてやった」系の無差別殺人が起こりづらい。
犯人=クリエイター説もない。犯人をクリエイターにするなら、犯人を嫉妬や自己の才能のなさに狂わせるために、被害者の同級生にしないといけなかった。それかメディア露出が多い有名アーティストにして、アーティストをストーキングさせる必要があった。
犯人=精神障がい者説もない。だって病気だから。統合失調症の人が、身内や医者を敵だと思って暴れて人を傷つけたとか、うつ病の人が無理心中したとかならともかく、わざわざ、自分の半径5メートルより外の世界に出て無差別に人殺しに行く元気なんかない。病気だからそんな元気なんかないわけ。
ちなみに、「悪役は何で女性じゃないんだよ、男女差別じゃないか」って言うなら、同じ作者のチェーンソーマンを読んでくれ。マキマがいるから。作者のためにチェーンソーマンのマキマの悪事と派手な死にっぷりを見てやってくれ。
あの犯行動機の変更で、最初の主人公が漫画書いていることをバカにされて、漫画を描くのをストップし、周りの目を気にして空手に行ったとこと繋がったんだよね。
差別の根本的に良くないところって、自分が理解できなくて役に立たないものは奴隷扱いしたり消してしまってもいいっていう思想ですよ。それ、ルックバックの無差別殺人のシーンで書いてますよ。それと、事実として、無差別殺人者は精神障がい者も女性も少ないから、統計として会社社会の中でヒエラルキーが上で役に立つと思われていたけどそこから転がり落ちることがこの10年20年で増えた上下関係に敏感なオッサンを犯人にしないと漫画のストーリーとして帳尻が合わないんだよ。
ディズニーはコンスタントにディズニーみたいな映画作れてるじゃん
なんで日本のアニメ業界はジブリみたいな映画作れないの?作れば絶対売れるのに
宮崎駿にかわる1人がいないなら、ディズニーみたいにチームで制作すればいいじゃん
個々の技能を持つ人は山ほどいるのに、なんで分業して上手に活かせないの?なんで活かそうとしないの?
ってか、アニメーターってアニメの絵を描く人でしょ。なんで最終的に監督になって脚本書くの?実写映画で言うとカメラマンが脚本書くみたいなもんじゃん。
ほんとによくわからない
それで上手くいってるならそういうものかと思うけど、上手くいってるように見えないから意味不明だ
さすがに細田守系とか鬼滅呪術とかの有名どころしか見てないみたいだが
アニメーターの中で順位ってつくのか知らんし、その先があるのかもよくわからんけど、今のおばさんが相対評価しかできてないことを自覚してほしいって話だったんや
アニメーターがいなければ、おれは好きなアニメを消費し続けることができない。彼らはアニメ文化の礎であり、リスペクトすべき対象なのだ。
ということを、おばさんにはお伝えください。
正確に言うと専門というより総合学校?みたいな。調べたら”各種学校”って書いてあったけどよくわからん。年代は通常の高1~高3と同じ。なんていうカテゴリなのか分からんから知ってるひといたら教えて。
その学校の中にいくつかコースがあって、おばさんの娘さんはアニメーターコースみたいなのに通ってんのね
実技で一番かどうかはよくわからんけど、いつも「テストでまた一番で~」って言ってたので筆記の点数がいいらしい
普通の高校とかじゃないので学校自体の偏差値も分からんのだけど、娘さんがクラスで一番って事実がおばさんの心のよりどころっぽいのはなんとなく分かる
娘さんが社会に出たとき、大海の中で一番じゃなくなったとき、おばさんがヒステリーおこしたりしないといいな、とうっすら思った
細田守はスティーブン・スピルバーグ、そして、彼と比較されがちな日本の偉大なアニメーターである宮崎駿の両方に不満を抱いています。
細田(人道的傑作『未来のミライ』が三年前にアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートを受けた)はハリウッドのデジタル至上主義や宮崎の女性描写にうんざりしたものを感じているといいます。
最新作である『竜とそばかすの姫』がプレミア上映されたカンヌ映画祭におけるAFP通信のインタビューで、細田はスピルバーグの『レディ・プレイヤーワン』をはじめとする多数の映画に視られるネットに関するディストピア的な表現は万人にとって、特に女性にとってあまりよろしくないと発言しました。
自身も幼い娘の父である細田監督は、彼女たちの世代が恐怖に怯えるのではなく、デジタルな運命をコントロールできるように力づけていきたいと考えています。
「彼女たちはインターネットとともに成長してきました。しかし、常々、ネットが悪意に満ちた危険な空間であることも教えられてきたのです」
『竜とそばかすの姫』では、内気で無垢な少女すずのジェットコースターのような感情の体験が、21世紀を舞台にした『美女と野獣』をベースに見事に表現されています。
彼女自身にとっても、他の人々にとっても驚いたことに、すずは「U」というアプリの仮想世界内で、ベルと呼ばれるポップ・ディーヴァになります。何十億人ものフォロワーを獲得したすずはネット上でいじめやハラスメントを受けたりもしますが、「ベル」の歌を通じてアンチや自分自身の悩みを乗り越えていきます。
「若者にとって、人間関係は複雑で、甚大な痛みを伴うものです。私が見せたかったのは、こうした仮想世界が辛く、恐ろしいだけなく、ポジティブなものとなる可能性です」
すずとそのギークの友人は日本の一般的なアニメの女性とはかけ離れています。ここが名作『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞を獲ったレジェンド、宮崎駿との態度を異にするところです。
「日本のアニメを観るだけで、日本社会において若い女性がいかに過小評価され、見下されているか(underestimated and not taken seriously)がわかります」
この監督(その映画は宮崎作品よりも現実に根ざしている)は、当時として珍しいことに、シングルマザーによって育てられました。
2012年に公開された名作『おおかみこどもの雨と雪』は、彼女がたった一人で”小さな群れ”を育てた、その猛烈な自立心を讃えた作品です。
細田監督は、「日本のアニメでは、若い女性が聖なるものとして扱われていますが、それは彼女たちの現実とは無関係です。そのことに私はとても腹を立てています」と、悔しさをにじませます。
細田監督はジブリの創立者である宮崎駿の名前を出さずに、厳しい意見をのべつづけた。
「名前は伏せますが、アニメーションの巨匠でいつも若い女性をヒロインにしているひとがいます。率直にいうならば、彼は男としての自分に自信がないからそのようなことをするのだと思います」
「若い女性を崇拝することははっきり言って不快ですし、わたしはやりたくありません」と彼は主張する。
彼は、彼のヒロインを美徳とイノセンスの模範とすることや、”誰からも好かれなければいけないという抑圧”から解放されなければならないと考えています。
53歳のときの彼は宮崎駿の正当な後継者とみられていました。のちのオスカーノミネート作『ハウルの動く城』の監督として外部からジブリへ招聘されたのです。
しかし、細田は制作なかばでジブリを辞め、自らのスタジオを立ち上げました。
細田は「人間の良いところも悪いところも描く、その緊張感こそが人間の本質」というような物語を好んでいました。
そうした性向が『美女と野獣』を現代にアップデートすることに惹かれたのでしょう。
「原作における野獣は最も興味深いキャラクターです。彼は醜く、暴力的ですが、同時に繊細で傷つきやすい内面を持っています」
「美女(ディズニー版ではベル)は取るに足らない人です。見た目がすべての存在です。私は彼女を複雑で豊かに作り変えたかった」
そうした二面性は、彼の最初のヒット作『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』から観られるようなデジタル世界の魅力にも現れています。
「私は事ある事にインターネットへ立ち返りつづけています。最初は『デジモン』で、2009には『サマーウォーズ』、そして、今もまた」
そして、インターネットを諸悪の根源とみなしてはいけないと、これまで以上に確信しています。
「若い人たちはそこから離れることはできません。彼らはネットともに育ってきたのだから。私たちはネットを受け入れ、よりより使うことを学ばねばなりません」
ダイナゼノンのキャラクターソング、出ましたね。アマゾンから来たメガジャケがマジででかくでびっくりした。
ガウマ隊のキャラソンは言わずもがなほんとマジ最高で、特に夢芽のキャラソンは既に擦り切れるほど聴いているし、涙腺がガチで緩む。この前なんか「ユメエッしあわぜになっでなぁ!!!」と口走り後輩に「頭大丈夫ですか?」と心配された。大丈夫大丈夫と目元を拭いながらまた泣いた。ヤバい人である。
しかし今回話題にしたいのは怪獣優生思想の方のキャラクターソングである。
爽やかで明るいナンバーとなっているが、タイムラインではこの曲の解釈の仕方に納得できない声も多かった。
というのも製作側の話を伺う限り怪獣優生思想は一枚岩ではなく絆もガウマ隊ほどではないのだという。
「それを絆だなんちゃら歌うのは流石に原作を見てないんじゃないか?」
と原作重視のファンからしてみれば不満な気持ちはあるだろう。実際そういう声も多かった。
自分もこれを聞いた時待て待てどうしてこうなった?急にアイドルグループみたいになったぞ!と思いしばらくネタにしていた。
ところでダイナゼノンは素晴らしい作品だったと思う。みんな知ってるよね。
俺はもうなんか最終回では涙がボロボロになって画面見えなくなってよもゆめぇ!ちせえ!暦就職したんか!ガウマさんを姫とあわせてやれよ!とかそんな言葉を嗚咽と共に吐き出したことを覚えている。目が冴えて全然眠れず気づけば朝だった。
よくある倒される敵集団という感じである。ジュウガの告白をネタにしたくらいであとはムジナのグッズたくさん出るといいなあ、くらいの気待ちしかなかった。
怪獣優生思想も被害者だ!という意見が流れてくることもあったがまあなんだかんだであいつら好きにやったし良かったんでない?という感じであまり気にしてはなかった。
怪獣優生思想のファンも、俺たちとおなじように嗚咽と共によもゆめぇ、したかったのではないだろうか?
いや本当によもゆめぇ!なわけではない、俺たちにとっては怪獣優生思想はわりとどうでもいい存在だ。しかしファンにとっては違う。
怪獣優生思想は救いを求めていないかもしれないが、ファンには救いが必要なのだ。
男女比率3対1。
ムジナが圧倒的人気を誇っているとは言えポジションとしては前作の新世紀中学生に近いだろう。つまり怪獣優生思想はどちらかといえば女性向けのキャラクター集団だ。
最終回当時のあの展開はわりと怪獣優生思想ファンをやっていたお姉様方にとっちゃショッキングな出来事だったようでだいぶタイムラインが荒れていたことも覚えている。回ってくるツイートをマジで女って怖えな…と思いながら目を細めて眺めていた。
しかし女性特有の閉鎖感のあるファンコミュニティで、顔しか見ていないメンヘラというレッテルを貼られるとなればどうだろうか?
だがそのキャラ設定を今更覆すわけにはいかない。彼らは犯罪者だし、大量殺戮をしているのだから、そこは受け入れるしかない。
そこでつけ入る余地となったのが絆だろう。
犯罪者同士の間にも絆は生まれるし、そういったキャラがウケやすいことも経験上よくわかる。
言っちゃなんだが怪獣優生思想に悪役としての魅力はあんまりない。
イモータンジョーのように目的意識はなくジョーカーのようなカリスマ性もない、レクター博士のようにぶっ飛んでもいない。流されるままというキャラの特徴は魅力からはかけ離れている。
しかし絆は別だ。
目的意識がなくとも、カリスマ性がなくとも、絆はそれに拮抗しうるくらいに強い属性になりうる。
六アカのクソデカ百合感情という奴だ。さらに絆は売れる。六アカがどれほど売り上げに貢献してきただろうか?
女性界隈では布教という文化がある。詳しくは知らないが布教と言うからにはそれにもある程度の説得力がなければ困るのではなかろうか?
男性向けの同人誌が実用第一の一方女性向けの同人誌が関係性を描くと言われていることはよく知っているが、そうなるとないないづくしの彼ら彼女らを布教するにあたっては絆のようなものがないとかなり難しくなるのではないだろうか?
ただでさえ犯罪者を推しているとならば自分の人格まで疑われる可能性があるのだ。
ちょうどルックバックが公開されてそう思った。
アニメーション会社が襲撃されたという点もあって統合失調症の殺人鬼に対する当たりは強い。もちろん犯罪はあってはならないことだがあの一件で犯罪者というものがよりオタク界隈でリアルな敵となったように思う。
昨今女性の自立が叫ばれる空気感の中、そう言った人格上の弱点と疑われるようなことがあっては、そのコミュニティで不利になるのではないだろうか?
本当に倫理観のある人間ならそんなキャラは好きにならないはずだ、と侮られるかもしれない。
言い過ぎかと思うのならばダイナゼノン本編を見て欲しい。イジられキャラであった夢芽の姉は、平気そうに見えただろうか?
これはおそらく怪獣優生思想のファンである人間達に向けたせめてもの慰めなのだと思う。
怪獣優生思想に絆がないにせよサイコパス集団であるにせよ、それが示されたのは終盤も終盤で、それまで彼ら彼女らを追っかけてきた層に取っては彼らは人間的であって欲しいし、絆があって欲しいし、周りの人間にも彼ら自身を尊重してもらいたい。
キャラを、アイドルを推している自分たちに対し、でも犯罪者じゃん、でも大して仲良くないじゃん、などという冷めたマジレスを送ってほしくはないのだろう。
「それは現実逃避だろ…女ってそんなんばっかかよ…」と思われる向きはよくわかる。
既に怪獣優生思想はグッズも多数出ている。製作側としては人気がでないよか人気が出た方が助かるという気持ちはあるだろう。在庫の山を抱えたままでは次回作を作ることもままならない。
キャラソンという媒体を買う人は少ない。ただの歌である。リーズナブルな値段とは言え本編のファンでもない限り、サントラでもあるまいし手を出す人間は多くはない。
ゆえに少なくともキャラに入れ込んでない層はキャラクターソングの複数購入などしないだろうし、待ちきれなくて配信で買うなんて真似もしない。
大抵の人はガウマ隊のグッズに手は出すが、という感じだろう。それでは商売上困るのだ。搾り取れるだけ搾り取らなければ社員を食わせていけない。次回作の質も上がらない。
とは言え傷の舐め合いには限界がある。
そしてそれに対して彼らは実はこうなんだよね、と外野が口出しするのも悪手だ。
対岸の火事に対して講釈垂れてるオッサンのレッテルを貼られてしまう。ファンたちは現在進行形で辛いのだ。
そしてそのファンたちの心を救う上で大事なのは、やはり公式からの言及だろう。
今回のキャラソンはそう言った視聴者に対するいわば手当て、治療薬、心の包帯のような面もあるのではないだろうか。
そんな奴はさっさとファンを辞めろ!という意見もあるにはあるだろう。俺だって一部の強いファンによって公式が歪められるのは本意ではない。
この曲の絆の部分のオーダーがトリガー側から来たのかそれとも作曲者側がそう言った視聴者側、というかファン心理を汲み取ったのかはわからないが、下手に解釈を深めるよりいい結果になったのではないかと思う。
字面通りにコンテンツを受け取りがちでそのコンテンツの受け取り方はディープな層からの受け売りであることが多い。
多数の意見に流されがちな無垢な視聴者は「良い」と言われたものにはそう言ったバイアスをかけがちだし、逆も然りだ。
実際検索をかける限り厳しめな意見が多かった怪獣優生思想へのツイートはキャラソンの発売によって曲自体の評価とその歌詞の明るさから好意的な方にスライドしたように思う。
こういう誤謬が広がることによって少しでもファンをとどまらせる目的もあったのではないか?
次から次へとコンテンツが現れるこの時代、都合が悪いことが起こったらやーめよ、と他のコンテンツを楽しめてしまうのがこの世界だ。
そしてその数はSNS上で見るよりも遥かに多い。アカウントを取得したとしても実際に積極的に発言する層はそこまで多くはないし、そもそもツイッターをやらずにアニメだけ見る人間も多い。そんな人間でもキャラグッズを買うのは珍しいことではないらしい。
自分の立ち位置を意識し、攻撃されないように流されるまま生きる。
そしてそれに向き合った夢芽は傷つき追い込まれ、だんだんおかしくなっていった。
そんな彼女を傍観者だった蓬が救う世界を、ダイナゼノンは描いた。
キャラクターのファンの心を救い、作品も汚さない。そう言った狙いがキャラクターソングには託されたのではないのだろうか?
もちろんただの製作側の一発ネタが良いように動いたという可能性も否定できなくはない。
けれど少なくとも作曲者側は売れるように書かないと次の依頼も望めないわけで、視聴者目線については意識するであろう。
どんな曲を顧客は求めているのか、そしてどんな曲ならば視聴者が受け入れ、話題にしてもらえるだろうか。プロである以上そこら辺は当然意識する。この解釈は受け入れられるだろうか?という問題も考慮しないはずはない。
その結果生み出されたのがこの曲ならば、それにも意味があるはずだ。
作曲家が魂を込めたこの歌を軽んじたくはないと推しの子を読んで思った。GOAさんがんばれ。
もう次回作にはマジでマジで期待している。前作の期待を遥かに上回るダイナゼノンがお出しされた今ハードルは上がるばかりである。
しかし市場至上主義の荒波にいる中、純粋に作品を愛しているファンだけに接してはいられないだろう。今回獲得した新規客層がお金を落としてくれるよう、そして次回作がより良いクオリティになるようにその客層の目線に立って考えなければいけない。
そのためにも俺たちにはいくらかそういった媚びをゆるす鷹揚さが必要なのだと思う。
それは間違いなのだと断罪するのではなく、たとえ嘘や誤謬でも受け入れる鷹揚さが。それくらいでダイナゼノンという作品の輝きは消えはしない。
監督は人気のために作品を歪めるほど、作品に対して真摯さを欠いていないはずだ。
六アカを出せなくてもやってやると言ってくれた監督だからこそ、そしてこの素晴らしい物語を作り上げてくれた監督だからこそ、信用できる。
怪獣優生思想のファンが離れず、次のグリッドマンユニバースを楽しんでくれるよう、そのためにアニメーターを応援してくれる気持ちが萎えないように祈るばかりである。