はてなキーワード: 安産とは
街なかのAVショップには美女の作品がたち並び、ネット上には淫らな動画がごまんとある。
昔よりもはるかに進歩したと思われる性的環境を幸せなことと男は考えるかもしれないが、はたして本当にそうだろうか。
むしろ現代の性的環境のせいで日本の男が廃れつつあるというのが私の考えだ。
男どもには、皮相的な代物に狂喜乱舞するのではなく、もっと深いところを見られる存在に立ち返ってほしい。
第一に確認しておきたいのは、女性の魅力は曲線美とやわらかさにあるという真理のことだ。
頭頂部からゆるやかなカーブを描いて垂れさがる黒髪、首筋から二の腕にかけてのやさしいライン、胸部に光るおわん型の丸いもの、あらたな生命を宿そうと待ちかまえるくびれ、そして芸術的な臀部。
自分のごつごつした体と女性のたおやかな体との隔たりをよくのみ込むことが鍛錬の大前提となる。
まず、スマホやパソコンを用いて全身の写ったビキニ画像を求める。
できるだけ若い方がいいだろう。いわゆる"安産型"の女性ならなお良い。
そして、ペットボトルや空き瓶など、曲線を帯びる容器を探しだす。
自分はポン酢の空き瓶がお気に入りだけれども、あき缶でもボールでも曲線がありさえすれば何でもかまわない。(練乳のチューブを使おうとしたときは牛のマークが目に入って萎えたので選定は慎重に)
容器には水を入れておく。
よし、準備は整った。
部屋のドアを閉め、容器を目の前に置いて、えり抜きの一枚を凝視する。
女の子のからだは宝箱。画像には見えない深いところから宝のありかを探るのだ。
息子が反応したら画像を離し、こんどは容器をじっと見つめる。
ペットボトルのキャップが頭だとすれば、首から胴体への線はもちろん、下方のウエストラインや、えもいわれぬ柔らかい感じまでが女性のそれとそっくりであることが認識されよう。
さっき得られた女性の美が、容器と照応して、息子はいっそう堅くなる。
右手はしずかに動きはじめる。
慣れないうちはときどき画像に頼ってもいい。女性のすばらしさを復習し、また容器に見入る。そのくり返し。
やがて調子がでてくると、おもむろに目をつむり、容器へ唇を合わせるようになるはずだ。
曲線のあたりを、きわめて優しい唇づかいで、そっとなぞる。舌を使うのもよい。
中には水が入っているけれども、あまり強く口づけすると倒れてしまうので、やさーしく、やさーしく、ふんわりと。
右手はあいかわらず息子を刺激しているのだから、気分はほとんど性交しているのと変わらない。
さあ、ついに興奮は頂点に達する。
ティッシュに発射するもよし。容器にぶっかけるもよし。
物と人間との最終勝負。
ふぅ。
安易なAVやヌードにすがるのでなく、生まれながらの想像力を駆使して、しかもペットボトルや空き瓶で抜けたときの達成感は言葉では言い尽くせない。
以上、読んでみるとわかるように、これは少々難易度が高い。「自慰革命」(http://anond.hatelabo.jp/20140410163334)を中級とすれば上級クラスに値する。私自身まだ完全に会得したとはいいがたい。
そんなの難しくてできない、あるいは恥ずかしくてできないと言う人もいるかもしれないが、この方法は創造性を育むためにも早漏を改善するためにも有効だし、容器を増やしての疑似3Pなど工夫もいろいろ考えうる。実にファンタスティックだからぜひ一度ためしてみてほしい。
ただし家に人がいる場合は十分注意すること。ペットボトルや瓶をなめながら手淫するところを見られたら面倒くさいことになると思うので、自己責任でやるように。
今回紹介したオトコの磨き方が、日本の発展に少しでも貢献できるとすれば、筆者としてこれ以上の喜びはあるまい。
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
体型や顔色、血行、柔軟性によって、
安産かどうだかは大抵わかる、と。
子供を産む為に、
体を変化させるよう、
脳、体、心理が反応するんだろう。
乳首が濃くなったり、大きくなったり、
毛が濃くなったり、様々。
そして、目に見えない内面でも多くの変化がある。
普段食べないもの食べたくなるし、
習慣化してしまうし。
顕著なのは、
会話が成り立たないくらい自分の事ばっかり話したり。
元々が、そういう気質の人物と言うこともあって、
産期には、それはそれはひどいと。
おっぱいが出たり、出にくかったり、出なかったり。
出ない人は本当に出ない。
手は物凄い掛かるけれど・・・。
おっぱいはじゃんじゃか出るらしい。
そういう傾向がある、と言う事なのだろうけれど、
なんだか、納得した。
体が反応しまくるんだろうね。
逆説、生物学的には、
メンヘラの方が子づくり、幼児期の子育てに向いてんじゃないかね。
社会性は欠くんだろうけど。
今年はじめて出産した。
男性が経験したら死んでしまうような痛さ、鼻からスイカをひねり出すような痛さ、ひどい便秘のような痛さ…などなど、人によってその痛みの表現はまちまちだった。
おおよそ陣痛はから出産まで16時間ほどかかると聞いていた。痛みがひどくなるのは後半で、はじめの頃は談笑もできるらしいとも聞いた。
いよいよ予定日になったが、陣痛のようなものは来なかった。その日の午前2時半頃、寝ていると突然お腹が痛み出した。腹を下した。トイレから出たあともお腹が痛い。何か変なもの食べたかなあと思った。少し寝ぼけていた。
もしやと思って病院に行くと、子宮口が開いていた。おどろいた。お腹はどんどん痛くなる。生理痛に似ていた。私は生理が重い時はお腹の内側から錐でメッタ刺しにされるような痛みを感じる。陣痛はその痛みに波があり、次第に強くなっていく感じだった。
分娩台にかじりついてヒーフー息をしながら、次は絶対無痛分娩にしようと思った。真剣に無痛分娩について考えていたわけではない。とにかく痛かったのだ。陣痛の痛みを舐めていた。こんなにハードだとは思わなかった。世の中のお母さん方はすごいと思った。涙目になっていた。
痛くて仰向けになれなかったので、体を横向きにしていたが、いよいよいきんでもよいということになったので、仰向けになった。助産師さんが足を持って分娩台の足置きにおいてくれた。その時、私の太ももに謎の青あざが四角の形でできていたことに気づき、みんな口々にどうしてこんな形のアザができたのかしらと話していた。私はそれはいきむ前、体を横向きにしてヒーフー言っていた時にできたアザかと思いますと言いたかったが、とても話せる状態ではなかった。岸辺に打ち上げられた魚のような私と、冷静な助産師さんたちのギャップがおかしかった。
いよいよ最後のいきみがはじまった。分娩室の窓の外が明るかった。助産師さんは自分のおへそを見る感じでがんばって!と励ましてくれた。私はふくらんだお腹のへそを見て、思いっきり下腹に力を入れた。顔の中央に目鼻が集まる感じがした。いきみながら、なぜか私の脳裡に青森のねぶたの山車灯籠が浮かんだ。険しい顔の武者の灯篭が、どんどん迫ってくる。もう一回いきんで!と助産師さんの声が聞こえた。私は思いきりいきんだ。ねぶただ!ねぶただ!と何故か自分に言い聞かせていた。意味がわからない。私は青森出身ではない。しかしおそらくねぶたの山車灯籠の武者のような顔をしていたと思う。
「お母さん、見て!」と助産師さんが武者を呼んだ。股の間にお医者さんに抱き上げられた真っ赤な赤ちゃんが見えた。いつの間にか産まれていた。頭が瓜のように縦長になっていた。鳥山明の描いた何かに似てると思った。
赤ちゃんは元気に泣いていた。私は助産師さんが枕元に運んでくれた赤ちゃんに「おはよう」と言った。赤ちゃんは本当に真っ赤で、とてもとても小さい人間だった。
時計を見ると7時前だった。
それから切れた局部を塗ってもらった。陣痛も痛かったけど、その縫合も痛かった。一針一針、注射器で刺されるようだった。
ともかく無事に産まれてよかった。私にとって出産の痛みはねぶたを思わせるものとなった。
まわりの人には安産だと言われた。たしかに時間的には短かった。トラブルもなかった。陣痛は24時間以上続く人もいる。帝王切開の人も大変だと思う。本当に世の中のお母さん方はすごいなあと、病室で横になりながらしみじみ思った。
妊娠前は深夜帰宅のそこそこ激務なIT系ブラック企業に務めていて
学生時代にはスポーツをしていたから、心身の健康にはまあまあ自信があった。
私は健康優良妊婦だった。つわりは人並みにあったものの、血液検査の結果も尿検査の結果も毎回良好、血圧も正常。
陣痛は、予定日を3日過ぎた日の夜中にはじまった。
陣痛は、私のちんけな想像をはるかに凌ぐ、ものすごい激痛だった。
痛みの感じ方には個人差があるというが、私にとっては鋭いナイフで下腹部をえぐられているかのような痛みだった。
はじめは軽い腹痛みないなものなのだが、時間経過とともにどんどん痛みが増してくる。
脂汗が全身から吹き出し、痛さからなんとか逃れようと、体が勝手にのたうちまわる。
陣痛のピーク時には、あまりの痛みに気絶し、また痛みで覚醒する、というのが数十秒〜数分ごとに数時間続く。
本当に地獄だった。
見ていた実母が言うには、私は白目をむいていたらしい。
あとから見たら自分の腕が傷だらけだった。こぶしを握っていた手のひらからは、血が滲んでいた。
永遠に続くかと思われた陣痛を超えて、分娩台に移動し、死ぬ思いで我が子を産み落とした。
でも想像してほしい。8時間もの間、一昼夜を越して不眠不休だ。
食べ物は一切口にせず、激痛に体をこわばらせ、死に物狂いでお腹から3キロの塊を出すのだ。
産んだあとは骨という骨がきしみ、体中が鉛のように重く、分娩台から上半身を起こすことさえできなかった。
どこにも力が入らないのだ。
助産師の手を借りて体を起こすと、頭がふらふらとする。
自力ではとても歩けなかったので、分娩台から長い時間をかけて車椅子に乗せてもらった。
その後、入院する部屋のベッドに寝るまでの間、トイレで二度倒れた。
猛烈に体が疲れていた。こんなに疲れたのは生まれて初めてだと思う。指一本だって動かすのがおっくうだ。
体中が汗と血でベトベト、身をよじりまくっていたおかげで、髪の毛は鳥の巣のようだった。
股間は麻酔が効いていたが、鈍い痛みが続いていて、姿勢をかえることすら一苦労だった。
前日から何も食べてないし一睡もしてないし、とにかく疲れきっていて、ゆっくり寝たかった。
だけど、産んだ直後から、母子同室で3時間おきの授乳が始まった。
分娩台で1時間休んだあとは、すぐ個室で赤ちゃんと二人きりにされた。
ゆっくり寝ることも体を休めることもできないまま、ハードな育児の始まりだ。
こんなにボロボロに疲れているのに、すぐとなりに、かよわく、自分で首一つ動かせることもできない赤ちゃんがいる。
「私はゆっくり休んではいけないんだ」という暗い事実は、くたくたの私にとって絶望だった。
この体中の疲労に身を任せた瞬間、赤ちゃんに何かがあったら。この子の命は、この精魂尽き果てた自分次第なんだ。
体中の疲労とともに、ヒリヒリするような緊張感と責任感が重くのしかかった。
産んですぐに母乳がでるお母さんは、実は少ない。
赤ちゃんに吸われることで、それが刺激となって脳内ホルモンが乳房に働きかけ、母乳が出るようになるという。
だから、でなくてもとにかく3時間おきに赤ちゃんに乳首をくわえさせなくてはいけない。
でも、産まれてすぐの赤ちゃんは吸いつく力も弱く、「吸う」こと自体がとても下手くそだ。
赤ちゃんの位置、乳首との高さの調整、手の置所、クッションや座布団をいくつも使って、位置を調整しながら、汗だくで吸わせる。
まごまごしながら右の乳首をどうにかくわえさせる。吸い付いたと思うとすぐに口から外れてしまう。またくわえさせる。また外れる。
そのうち疲れて赤ちゃんが寝るので、起こす。
今度は左右逆のおっぱいだ。
左を吸わせて、おしめを替えて…これでもう一時間だ。
体中が悲鳴をあげていて、眠たくて眠たくて頭が割れそうに痛くて、貧血でふらふらするのに、寝る時間は二時間しかない。
横になる。
すぐには寝付けない。
三十分ほどでようやく眠りにおちる。これで一時間半。
さあ、もう一時間半たった。睡眠時間一時間半で、赤ちゃんが泣く時間だ。
これが朝まで繰り返された。
初日の夜を超えた時点で私の疲労はマックスをとっくに超えてた。
授乳の合間の2時間以下の細切れ睡眠しかとっていないまま、迎えた朝。
翌朝は6時に検温があり、9時に朝食があり、合間に授乳をする。
何をするにも体中が痛くて、だるくて、眠くてたまらず、すごく時間がかかる。
12時にお昼があり、見舞いにきた実母に子を見てもらってる間に急いでシャワーを浴びて歯を磨く。また授乳。
たまった洗濯物をランドリーで洗う。戻ると検診がある。担当の看護師が交代したとかで挨拶がある。また授乳。
赤ちゃんの顔を見に見舞い客がある。相手をする。帰る。洗濯物をとりに行く。
また授乳。
昼はまとめて寝るどころか、横になる時間もろくにとれない。
ねむい、ねむい、ねむい、ねむい…
横になりたい。ゆっくり、ぐっすり寝たい。お願いだから起こさないで。辛い。辛い。辛い。
横になれない。眠れないし休めない。
昼間はろくに眠れない。寝れなかったことに猛烈に焦る。そしてまた夜が来る。
深夜の授乳は鉛のように体が重い。
赤ちゃんは相変わらず上手に吸えないのに、乳首がめちゃめちゃ痛くなってくる。
例えるなら、尖った爪で皮膚をおもいっきりつねられているような痛み。
乳首が切れて血が出てくる。
それなのにそこを吸わせなくちゃいけない。
傷口に鋭い爪がたてられるよう。
授乳のたびに歯を食いしばって、息をのむ。叫びだしそうな痛さに耐える。
出がよくないからマッサージもされる。これがまたすごくすごく痛い。
赤ちゃんがゴクゴク、と美味しそうにおっぱいを飲んでるのが見える。
幸せそうに微笑んでそれを眺めているお母さん。
我が子はおっぱいを一滴も飲めず2日目。産まれてからまだ何一つ口にしていない。
何も飲まなくても3日は胎内にいたときの栄養が残っているから大丈夫だという。
でも、赤ちゃんは日々痩せてる。お腹がすいて泣いてる。まだ産まれてたった2日しかたってないのに、飢えて泣いてる。
大人だって2日くらい食べなくたって死なないけど、すごく辛いよね。
こんな小さな我が子が空腹に耐えてると思うと、切なくて切なくてたまらない。
隣の子はお腹いっぱいで満足して寝てるのに、私の子は空腹に泣き疲れて眠ってる。辛い。眠い。
体中がふらふらして頭がぼーっとする。見舞いに来た夫や実母にひどい態度をとって、ケンカをしてしまった。
看護師が心配して「何か悩み事があったら相談してくださいね」と言う。
「ただ寝たいんです。」
と言いたかった。でも他にもたくさんのお母さんが寝ずに赤ちゃんを見ていて、そんな情けないことどうして言えるだろう。
哺乳瓶でおそるおそるあげると、手をグーにして、目を大きく見開いて、必死に飲んでる。
飲んでる姿を見て涙がとまらない。
飢えさせてごめんねという気持ち。やっとお腹を満たしてあげられるという満足感。
おっぱいが出ない敗北感と屈辱と疲労と、いろんな気持ちがないまぜになる。
4日め、私はもうボロボロだった。見舞いにきた妹に顔を見て絶句された。
赤ちゃんにはミルクを与えることになったものの、母乳への刺激をなくしてはおっぱいが出なくなってしまうため、
つまりは今までのおっぱいとの格闘に、ミルク作りがプラスされて、授乳にもっと時間がかかるようになったのだ。
その分削られるのは眠る時間。ただでさえ1時間半しか眠れないのに、もっともっと眠れなくなる。
でもふらふらで、眠さとだるさは蓄積されて楽になるどころか、いっそう辛くなる一方だった。
とにかく体がしんどくて、ほとんど何も考えられなくなっていた。拷問みたい。
ただひとつ、「ねむい」という欲求だけが、こびりついて離れない。
鏡の中の自分は、真っ青で目の下にくっきりクマができて、10は老けたように見えた。
何もしてないのに、涙が出てとまらない。赤ちゃんがなんだか恐ろしい。かわいいのに、愛しいのに、何より恐ろしくてたまらない。
だって、まだたったの4日め。長く長くいつ続くともしれない育児の、たった4日めなのだ。
このしんどい日々が延々とこれから続く。こんなに疲れてるのに、ぐっすり眠ることの許されない日々が待ってる。
5日め。私は退院を迎え、自宅に戻った。
産後は実家で1ヶ月お世話になったが、こんな調子が2週間続いた。
むしろ、病院では哺乳瓶を洗ったり消毒したりするのは病院がやってくれたから、その分の仕事が増えてますます眠れなくなった。
赤ちゃんが泣く→起きてミルクの支度をする→ミルクを人肌に冷ます間におっぱいを吸わせる→
搾乳した母乳を与える→ミルクを与える→げっぷをさせる→寝かしつける→
たとえば寝かしつけに手こずったり、オムツからウンチが漏れて着替えさせたりなど
何かアクシデントが発生すれば、眠れずに次の授乳時間になることも珍しくなかった。
日に日に、赤ちゃんを見ても可愛いより何より、ただただ、怖い気持ちが蓄積されていく。
赤ちゃんが怖いのに、離れるのはもっと怖い。何かあったらどうしよう。
30分の睡眠は、いつも悪夢を見た。赤ちゃんを落とす夢、踏んでしまう夢、誰かに連れて行かれる夢。
今思うと完全な鬱状態だった。
生まれてから14日めの夕方。
赤ちゃんと二人きりになるのが恐ろしいと、実母の前で号泣した。
陣痛のあの夜から2時間以上眠っていないこと、眠くて眠くてたまらないこと、
夜になるとまた今晩も眠れないと思って焦りと不安で動悸がしてくること、
こんなに体中がふらふらなのに赤ちゃんに何かあったらどうしようかと想像すると恐ろしいこと、
かわいいより赤ちゃんがとてもとても怖い存在に思えること・・・・
泣いて訴えながら、睡眠不足がつらくて赤ちゃんが怖いなんて、自分は母親失格だと思った。
世間のお母さんがみんなできていることができないなんて。
母親なのに、情けなくて仕方がなかった。
その夜は両親が赤ちゃんを一晩みてくれ、私にゆっくり休むよう言ってくれた。
15日目の朝は、驚くほど気持ちが落ち着いていた。
その後の日々は、私の両親はもちろん、夫も毎晩仕事帰りに車を飛ばして会いにきてくれ、手伝ってくれた。
それから、母乳マッサージに通った結果、母乳が十分量出るようになって、
ミルクをあげなくてよくなったため、深夜に哺乳瓶を洗ったり、消毒したりということから開放された。
三ヶ月たった今でも、産後からの2週間のことを思い出すと、絶望感でいっぱいになる。
あのころ本当にただただ寝たくて、寝たくて、
それなのに「もしこの子に何かあったら」ときう緊張感で常に気が張っていて、目を離すのが恐ろしくてたまらなかった。
そのうち、「もしこの子に何かあったら」「病院に入院することになれば」
「そしたら眠れるな…」と考えたことがあって、ゾッとした。
もちろん、あくまでこれは個人的な体験だ。
でも、多かれ少なかれ多くのお母さんに共感できる部分も多いはずだと思う。
もし里帰りしなかったらどうなっていたことか。
私の出産は初産の平均時間12時間より短かったけれど、精も根も尽き果てた状態で育児がスタートしたのがよくなかったと思う。
病院によっては、出産したその日はナースステーションで赤ちゃんを預かってくれるそうだ。
私も、出産後1日でいいからゆっくり眠れていたら、その後に2週間は違ったものになっていただろう。
今は、子はあやすとニコニコ笑って、母乳も順調だ。夜は相変わらず3時間で起きるけど、体が慣れた。
やっと我が子がかわいく、愛おしく見える。
でも、我が子がとても恐ろしく見えた産後2週間のことが忘れられない。
あと三週間で正産期。
二年前の夏、一人目を産んだ。陣痛はまじでクソだった。
MAX時点の痛みは、膨らんだお腹の表面積全体が極限まで攣った状態になったところを象に思いっきり踏まれるって感じだった。ふくらはぎが攣って悶絶する種類の痛み。あくまで私の場合だけど。そんでそれが二分間隔とかで際限なく襲ってくる。絶叫してた。ありゃ完全に錯乱してたわ。
それでも母子ともに健康だったし、実質ほんとに痛かったの三時間くらいだったから、安産の部類だったみたいね。でもあの痛みはとにかくクソだったよ。そして産後からがやっとこさスタートライン。育児超大変。とってもかわいいけど、たまに結構地獄。
とにかく、一部の女が「男は陣痛には耐えられない、よって女のほうが強い偉い(?)」みたいなこと言って、それに対して一部の男が「いや耐えれるし。女はクソ」みたいに言ってるらしいけど、はっきり言ってどっちの意見も見当違い。陣痛はまじで拷問以外の何物でもなくて、そしてそれは女だけに課せられた業務であるということ。ただそんだけ。偉いとかどっちが上とかじゃなくてさ。まあこんな的外れの議論をしてるのは、大概どっちもまだ未婚なんだけどね。
まあせめてこんなに辛いってことをパートナーたる男性たちには分かってもらえれば、そして労ってもらえたら嬉しいな、と思う。それだけで苦しみが報われます。この人との子供を頑張って産んで良かった!って思う。
はああ陣痛やだなああああでも早く会いたいなあああ
尻の穴が、である。
事件が起こったのは昨日。
うーやれやれと思って水を流そうとしたら、便器の水がほのかに赤かった。
昨日の風呂に入る際にパンツを確認したが、血がついている様子もなかったため、
特に何もしなかった。
トイレに駆け込むと、昨日よりかは安産であったがまぁそれなりに苦しんだ。
そしてやはり赤く染まっていたのだ、便器の水が。
これはそろそろ治療を始めるべきなのか?
とりあえず塗り薬薬局で買うべき?専用薬買うのはなんか恥ずかしいんだが。
そんなことを考えながら仕事をしている。
特に尻が痛いとかというわけではないので、緊急性は感じていないが、
2日連続ということで薬を買うかどうか少し戸惑っている。
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追記。
お前ら尻ネタ大好きなんだな…いろんな人に注目されて気持ちいいです。
患部に力入れたらちょっとだけ痛い。さらに触ってみたらちょっと痛い。多分切れてるんではないだろうか。
切痔でググってみたら「昔からなりやすかったけどひどくなって手術するはめになりました」という
QAサイトが複数見つかってブルブル震えている次第です。
多くの人に「とりあえず病院いけ」って言われたので明日辺り行けそうなところいで行ってみるよ。
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調子に乗った追記その2。
しばらくしたらそれなりにじんじんしてきた。尻に力入れるとひりっとくる。
これは明日行くべきだな。
ちょっとおもしろいなと思ったのが、この記事のはてブ70、Twitterが58に対して、
facebookは0だということだ。
facebookじゃ尻の話はできんらしい。
日韓通貨スワップ協定を維持すべきか破棄すべきか、議論がありますが、私は破棄はともかく更新延長はしない方がいいと思います。日韓通貨スワップ協定は日本のためでもあるよという意見もあるのですが、
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20111023/1319390638
それらを踏まえても、全体の利益から言えば韓国を支援する理由は少ないと思います。今、私は韓国を支援すると言いましたが、日韓通貨スワップ協定が、形の上では互恵的であっても、事実上、片務的であるのは事実です。これが互恵的というのは詭弁でしかなく、日本側にとって益があるとすれば、韓国の崩壊が避けられるという安全保障上の理由でしかありません。もちろんそれも重要な利益なのですが、要は韓国が崩壊するのとしないのとどちらが日本の利益になるのかと言う話です。従軍慰安婦の問題にせよ、竹島の問題にせよ、崩壊していない時点でこれだけ韓国が「日本を貶める方針」を外交政策として維持しているのですから、崩壊して貰った方が救済策等々で日本側が使えるカードが増える、という認識です。
韓国のいわゆるIMF敗戦の時が実は日韓の摩擦が一番少なかった時なのですから、日韓友好を言うのであればこの策が最も友好を実現し得る策でもあります。
そもそも通貨スワップ協定とは何かという点から話してみたいと思います。
韓国は外資依存度が高く、加工貿易立国ですが、外貨を積み上げると言うことが出来ていません。借金操業と言われるゆえんですが、返済できている限り、大きな問題ではありません。ただ、この構造を狙われやすい立場ではあります。貿易立国であるため、ウォン安が望ましい国ですが、稼いだ金をドルで返済しなければならないため、ウォンが安すぎても運営できない国です。通貨水準が非常に狭いゾーンで安定していなければならず、そのため韓国は、先進国では本来禁止されている通貨当局による為替介入を頻繁に行っています。
高くてもダメ、安くてもダメなのですから、どちらにぶれたとしても必ず為替介入があり、国際投機筋から見て韓国の行動は非常に予測しやすい、言わば定期的にカモにされる状態です。韓国一般国民の生活水準が一向に向上しない根本的な理由でもあります。
日韓通貨スワップ協定は言ってみれば韓国が為替介入をする時に、使えるドルを融通すると言うことです。あげるわけではありません。これはインターバンク市場に似ていて、緊急的に必要になった場合、貸してあげるということです。ただし貸してあげるだけでも利益供与であるのは間違いなく、これが韓国の利益ではないというのは間違いです。IMF危機以後でも約2年ごとに韓国は為替危機を繰り返していて、特に直近の危機では日本の支援が無ければ乗り切れなかったことは明白です。
一方で、日本側に実際には「韓国の崩壊を防ぐ」という以上のメリットがないというのも事実です。日本には膨大な外貨準備金があり、塩漬けにしているドル資産もありますから、日本でドル資産が枯渇すると言うことはありません。韓国は債務国であり、日本は世界最大の債権国です。年収200万の人と年収1億の人が「家計が危ない時にお金を融通しあいましょう」と協定を結んで、年収1億の人にメリットがある、ということは基本的にはありません。
韓国は日本から部品などの中間財を輸入しており、多額の対日貿易赤字を毎年計上しています。韓国が組立経済、鵜飼経済と揶揄されるゆえんですが、いわば韓国は貿易上の顧客であって、その崩壊を防ぐのは日本経済にとっても意味があるのは確かですが、韓国は加工貿易国として日韓以外の市場で、日本製品の市場を奪っているという側面もあります。貿易面から日韓通貨スワップ協定を擁護する面々がこの点をまったく無視しているのは理解しがたいことです。
第三国市場から得る利益-(韓国が得る利益-日本企業が韓国から得る利益)=韓国が実質的に得る利益
となっていますが、「韓国が実質的に得る利益」は借金返済のためかなりが蒸発するとは言え、一応はプラスではあるわけです。韓国が貿易立国として崩壊すれば、その利益のかなりを日本企業が吸収することも考えられますので、完成品市場においてすでに日本企業のライバルとなっている韓国とその製品を日本が支援する理由はありません。
ライバルはむしろ徹底的に叩き潰すのが長期的な利益を確保する上では常套です。自転車操業とは言え、自転車が稼働する工程の中では、雇用が創出されているわけです。その雇用によって、韓国は資産の蓄積がなくとも生き延びているわけですが、これを日本が奪うことも可能なわけです。
全体の利益から言えば、韓国が崩壊するのが日本経済のためにはむしろ望ましい。あと問題になるのは純軍事的な安産保障問題のみです。
これは「崩壊していない韓国が反日外交を繰り返している」という点から、危機と平常時との距離が結果的に近くなっているという側面があります。難民が発生する可能性もありますが、それらは経済難民なので国際的にも受け入れる国はありません。基本的には入獄審査を厳しくし国内の不法入獄者取締を強化すればいいだけの話です。
従来の融和路線は、李大統領の言動によって完全に破綻しました。韓国崩壊に向けて、日本政府は積極的にかじをとるべき時期に来ています。
いや、「見てた」にしても、だよ。
本当のことなら、具体的に言いなよ。
そして、全体に関わる部署なら、逆に個々の患者のことなんて詳しく「見て」ないと思うんだけど。
ちゃんと「見て」ないから(話聞いたとか、書類見たとか、すれ違ったとか程度だろ)、そして増田が鈍感で冷たい人間だから、「自分はこの人たちとは違う。自分は健康で、安産で、健康な子供が産める」って思ったんだろ。
性格の違いって言うなら、それは確かに増田の性格が悪いからってことかもね。
もし、ちゃんと「見た」ことがあったのに、「いや、自分は無関係だし。自分はそうなんないし。」って思ってたなら、相当な性格だよね。
(ジュネーブ発 西山 章宏)
スイスの保養地、ダヴォス・プラッツで3月2日から12日まで、行われた、世界知覚認識学会(ミシェル・ポーター会長)で、北海道大学医学部の斉藤信(まこと)教授が提唱した、痛みを表す「hanage」と言う単位を、世界で共通の単位とする事が承認された。
本来、痛みは、個人差が大きく、同じ刺激でも主観によって感じ方が異なるため、客観的に数値で表すことは、不可能であると思われていた。
しかし、斉藤教授は、「鼻の粘膜は、人体の中で一番個人差が小さい。」事に注目し研究を進めた結果、1㎝の鼻毛を、1N(ニュートン)の力で、引っ張る時に生じる痛みを、1hanageと定義出来ることを発見し、そして今学会で単位として承認された。
斉藤教授によると、足の小指を角にぶつけたときの痛みは、2~3Khanage(キロハナゲ)、お産の時の痛みは2.5~3.2M hanage(メガハナゲ)になるのだそうだ。
「痛みを数値で表すことにより、正確な治療に役立つ。」(斉藤教授)そうで、今回の発見は、大変画期的だそうだ。
「日本人の提唱する単位が、世界で認められるのは、非常に珍しい。」(京都大学 横田昌平教授)そうで、日本発の「グローバル・スタンダード」は、驚きをもって迎えられている。
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日本や欧米各国の政府は、来年から痛みの統一単位、「ハナゲ」を採用することに決めた。ニュートン、ヘクトパスカルに続く新単位の登場で医療機器や薬品のメーカーは対応に追われている。
国際標準化機構(ISO)によれば、1ハナゲの定義は「長さ1センチのハナゲを鉛直方向に1ニュートンの力で引っ張り、抜いたときに感じる痛み」
大気汚染とハナゲの成長速度の相関性について研究していた永井花外・室蘭私立医科大学教授が、二年前、鼻毛を鉛直方向に抜いたときの痛みに、性別さや個人差がまったくない事を偶然発見したため、この基準が採用された。
これまで、痛みについてはその程度を示す明確な数値がなかったため、「子どもを産んだときはすごく痛かったわ」「痔の手術の後の抜糸は痛いなんてもんじゃない」「ムチがいいか、ロウソクがいいかと問われれば私は迷わずムチを選ぶ」といった論争が起こっていた「ハナゲ」の採用で、これらの無意味な論争にも決着がつくとみられる。
永井助教授によれば、麻酔なしで虫歯を抜いたときの痛みは=500ハナゲ、タンスの角に足の小指をぶつけたときの痛みは=200キロハナゲ、分娩の痛みは=2、3メガハナゲ程度だという(安産型骨盤の場合)
関係者各位
以下の国際標準化機構(ISO)の発表に伴い、昨日、東京・国際フォーラム
において行われた日本非政府団体連盟主催の標準化単位認定評議会が
行れましたので、議事録を送付致します。宜しく御査収下さい。
http://www.stellaworks.info/blog/2007/07/post_131.html
出産にまつわる話なので、ナマナマしいのがだめな方はご勘弁を。
祖母は助産婦をしていて、小柄な人だった。
自分の初のお産、臨月を迎え陣痛が来た時、祖母の骨盤は常人よりもあまりに狭くて、
お産婆さんは母体を守るために赤子の頭を潰し、殺して、引きずり出したのだそうだ。
頭を、と訝しがる小学生の私に、生まれたての赤ん坊の頭は親指でぐいと押すと、
簡単にべこんとつぶれてしまうのだ、と祖母は言った。
その後は産み月を迎える前に、胎児が大きくなりきる前に、
なんとか胎児を引っ張り出すという方法で祖母は5人の子を産んだ。
その当時にどうやって早期出産ができたのか詳細は不明だ。
祖母の長女である叔母もまた、祖母の細い体型と骨盤を受け継ぎ、
臨月を迎えた時には、やはり自然分娩は無理だと言われた。
なので、大変な思いをして帝王切開で従姉妹を産んだ。
時代が時代なら、従姉妹もまた死にながら産まれることになったのだろう。
祖母の次女にあたる私の母は体型こそ堂々たる安産型だが、私を産んだあと流産をしている。
有名な山寺へ詣でた時、水子供養の蝋燭を買って点し、熱心に拝んでいた姿が忘れられない。
流産を経てまた子を授かった時は、大層神経質になっていて、わざわざ遠い病院まで通っていた。
大丈夫、あの病院の先生は上手で有名だから大丈夫、そう言いながら。
飼っていた犬も、猫も、初めての出産の時は不器用に苦しんで仔を産んでいるように、私の目には見えた。
出産とは、恐ろしくて、命がけの行為なのだ。
それを何度となく聞かされて育った私には「案ずるより産むが易し」とはとても思えない。
職場に、もう6ヶ月は過ぎたであろう妊婦の人が働いているのだが、
正直その人のそばを通るのが怖くて仕方がない。
仕事を一緒にする機会もあったが、強いことを言うと何か差し障りがありそうで、ろくな修正も提案もできなかった。
本人は気丈で、快活な方なのだが、それだけに綺麗に膨らんだ腹部が怖くて、
なんかあったらどうする! 早く休んでくれ! とずっと念じている。
自分も結婚して数年が経つのだが、まだ怖い。理屈じゃなく怖い。
そして恐怖ゆえに、自分が子を持っても大丈夫じゃないか、と判断できた時にはじめて避妊をやめようと思う。
自分が丸々何年か子供にかかずらっていても支障のない経済力がほしいし、
なにしろ性格が30代とは思えぬくらい子供なのでもうちょっと成熟したら……
とかなんとか、言い訳をして、しまくって、恐怖から逃げ回っている気もする。
おうじゃのつるぎと、ひかりのよろいと、ゆうしゃのたてと、てっかめんが揃わないと、ゾーマは倒せないと思い込んでいるかのような。
恐怖を打ち砕くのが先か、年を取るのが先か。