はてなキーワード: 失言とは
「うーん。露出は問題ないけど、扇情的なポーズや表情も気になる」
「そのあたり難しいな。駅乃みちかみたいな炎上事例もあるしね。じゃあ個別に議論しよっか」
「おけ」
「じゃあさっそくだけどなんでこのキャラはこういうポーズしてるの?それには必然性あるの?」
「このキャラはこういうキャラでな。このキャラは特に作中とは関係ないかな」
「それならこっちのキャラはいいわ。でもこのキャラはそうする必要もないのにやらせてるからダメ」
「確かにそうやな。ちょっと安易にそういう表情にしちゃったかも。じゃあこっちはやめとく」
「うんそうして。
キャラの内面によらずに表紙だけ見て無差別にエッチなのはダメなんていうと行き過ぎなのはわかってる。
でも売るためだけにエロくしておけみたいなのをやめてほしいだけだよ」
「わかってるわかってる。というかスマホでエロ動画やエロ漫画見放題の時代に微エロ要素なんて大して効果ないから」
「冗談で言ってるのはわかるけど、そういう問題じゃないだろ。ふざけてる場合じゃないぞ。
実際にソシャゲーだったら、自分の好きなキャラが水着になっただけで喜んで大金払うやついるんだから。
作品のキャラクターに売上目的で目的でエロい格好させてるって話は全然ありえるでしょ」
「失言だったわ。ごめん。でも本当にソーシャルゲームだとファンユーザーしかいないからあんまり問題にならないんだよな。
本って相変わらず書店に並べないといけないからなにかとチェックが厳しいってのは意識しないとな」
「電子書籍化も進んでるけどまだまだだしね。」
「というよりネット広告やネットマンガの方は自由にやってるよなぁ。広告とかも結構際どいもの平気で流してくる。
あれのせいで、読んでもいないのにライトノベルとかマンガにすごい偏見持ってる人生み出してる気がするんだよな。
「ネット絡みでなにか縛り始めたら自分たちにも被害が及ぶかもしれないからあんまり文句言わないんじゃないの?知らんけど」
「さっきのFGOもそうだったけど結局自分が関心のないところだけ厳しいってだけかよ。」
「そういうもんだって。ananとかは表紙が全裸でも問題ないっていうような連中もいるんだし気にしたら負けだよ」
「話は変わるけど、売上目的のために不必要なエロってのがダメってのは分けるけど。
エロだから即ダメって考えはないからね。これからもエロ要素も頑張るからね」
「お、ご時世に逆らっていくのか?」
「ご時世も何も。辞める理由がない。
保守的な人は嫌がるかもしれないけど、そういうひとに合わせて性的な要素を完全に排除すようとすると
逆に、女性は保守的な人が認めるようなイメージしか許さないっていう抑圧になると思ってるんだ」
「ああ、性的消費とか性的搾取とか言ってる人がぜんぜん考えてないやつね。
女性を自分のイデオロギーのためにモノ扱いしてるのは誰だよって話だよね。」
「そう。ワンパターンなキャラしか出さずに望ましい女性像を固定することのほうが問題だと思ってるから。
性的な要素を匂わせるようなキャラクターは今後も登場させていくよ」
「その心がけはわかるけど、そういうのやりたいならR15とか指定つけて棚分けるようにしたりしたらいいんじゃないの?」
「そういうのはありかもしれないね。まぁ15歳にもなって胸がちらっと見えるくらいのことで大騒ぎするのもなんだから
そういうレーティングしたほうがレーティング守ってれば好きにできるからね。」
「そうだよ。ゾーニングしろって言ってる人、一部の過激な人除いたらそんな感じだよ。
過激な人は無視して普通の人の感覚には配慮するんだったら、そういう考えでいいんじゃない?」
各出版社の合意も要るし、それこそ行政との折衝もやってそのレーティングの正当性も認めてもらわないと。
そこまでやったところで、どれほど売上が変わるんだって話だし。
けものフレンズの製作委員会なんかよりはるかに大変なのに、どこが主導してやりたがるんだよって。」
「でもそれが嫌なら、やっぱりエロを自重するとか、ジュブナイルポルノみたいな方向で行くしかないんじゃない?」
「いやいやー。さすがにそれは極端すぎるでしょ。じかに性交に関するような生々しい話じゃなくて
青少年時代のほのかなエロスみたいなものを表現するのってそこまで規制されなきゃいけない話か?」
「内容についてじゃなくて表紙だけの話なんだから、面倒なら表紙だけ自重すればいいじゃん」
「あー、まぁそれはあるな。表紙だけの問題なわけだし。というかさ。
でも、全くエロくない表紙で中身エロい話ってのも、それはそれでどうなんだよ。今度は読者が怒るだろ。」
「まぁどうやっても文句言う人はいるからな。どっちを取るかって話になるな」
「そんなの読者をとるに決まってるじゃん。なんで本を買いもしない人にそこまで配慮しなきゃいけないんだって話だよ。
不買運動でも、書店に行かない運動でも勝手にしてくれって話だよ。書店にいったって普段ラノベコーナーなんか見もしないでしょどうせ」
「あれもうほとんど純血主義みたいな極端なこと言ってる人いるよね。
そもそも二次元の女性キャラが表紙になってる時点で何言っても怒る人いるからね」
「人工知能学会の話は嫌な事件だったね……もうあれから4年経つんだな」
「そういえば、批判された次の号はそれに答えるような上手な表紙やったんだけど、
批判してた人はとっくにそのこと忘れててろくに反応なかったんだってさ」
「まじかよ。あいつら本当に無責任に騒ぐだけ騒いで後始末もせずに去っていくよな。イナゴかよ」
基本的に知性のないイナゴを相手にしてるつもりで、イナゴにどう対処するか考えないとね」
「あいつらの行動特性がランダムで目についたものについて騒ぐってことを考えたら
最終的にはこっちにくるなーってお祈りするしかないんじゃない?」
「ははは。なんだか文明のレベルが原始時代にまでさかのぼってるな」
続きます
※この増田はランダムお題で連続小説を書こうとする増田の無謀な挑戦である。
その日、俺は同僚とある[賭け]をしていた。
このホラーハウスでは演出としてお経が館全体に響くことがあるのだが、それを聞いた時に日本人の中には[耳を塞ぐ]人がいるが、外国人はどうなのだろうか?
更衣室で同僚たちがダラダラとそんな世間話をしていたのが事の始まりである。
同僚たちがアレコレ言い合うのを聞いて俺は、お経が霊を鎮めることを知っている日本人よりも、意味も分からずに不気味な声を聞かされる外国人の方が強い拒否反応を示すんじゃないかな、とまくしたててみせた。
何気ない日常の中でさらっと発想力を見せつけてマウントを取ろうとする俺の態度が嗅ぎ分けられたのか、同僚の何人かは何とも怪訝な顔を浮かべていた。
それならば、外国人と日本人でどっちがリアクションが大きいか実際に観察しようじゃないか。
当然のように俺は、外人が派手なリアクションをしなければ賭けの負け分を徴収されるポジションへと収められた。
慣れてしまえば以外な程に退屈な仕事に彩りが生まれたよ[ありがとう]、同僚の1人がそう言ってくれたのは、純粋なGJなのか、失言へのフォローなのか、この賭けの勝利宣言だったのか。
1-2 完
ここしばらくの間で、シンデレラガールズ界隈ではボイスのあるアイドルの担当とボイスの無いアイドルの担当の溝が深まっているように感じる。
その原因は、おそらく「ボイスの有るアイドルの担当の失言」が主だろう。「ボイス無しは金にならない」や、「出番が少ないのは担当の努力が足りない」等々。明らかに煽りが目的の輩もいれば、素でそういうことを思ってしまっている人もいる。無論、これに関しては許されるような発言ではないし、直していかなければいけないと思う。
そしてそれに対するボイスのな無いアイドルの担当だが、果たしてこちらは全く否が無いと言えるのだろうか。 「ボイス有り担当はこちらのことなど微塵も考えていない」や、「人気のあるアイドルを描いてる人はイナゴ目的だ」等と言ってる人を少なからず見たことがある。
確かに相手に心無いこと言われた方は怒りを抱くだろうし、文句の一つや二つ言いたくなるのも分かる。だが、そこで担当P全体を叩いたりアイドルそのものを叩くのはまた別の話だろう。「これだからボイス有り担当は」という言葉をよく目にするが、これは貴方の担当にボイスがついたとしても同じことが言えるのだろうか?
アイドル間の差だが、これはボイスの有無に限った話でもないと思う。ボイスが有っても出番の無いアイドルもいるし、ボイスが無いアイドルの中でもさらに格差はあったりする。その各Pにそれぞれの思いがあって、それぞれの不満がある。何もお互い敵ではないのだから、一蹴せずに話し合ってみてもいいのではないだろうか。
正直、出番が明らかに偏っていたり、SSRすら未だ全員に実装されていなかったりと最近の運営の、特にデレステの方針はお世辞にも良いとは言い難い。多少荒れるのは仕方の無いことなのかもしれない。
それでも、今のP同士が殴り合うような環境は改善していかなければならないと思う。どの立場にいる人でも、今一度自分の発言を見つめ直してほしい。
他人を悪く言うことでストレスを発散させようとするのはもうやめないか。
LGBTも女性差別も社会にとっては大事な課題点だが、少なくとも底辺を生きる多数派の人間にとっては関係ない問題だ。
その問題にかかわることで、または解決することでお前の人生が好転するのか?
収入が増えるのか?
病や悩みが消えるのか?
お前は本当は自覚しているはずだ。仕事から帰ってゆっくりできる貴重な時間を自分以外の問題に費やす愚かさを。スキルアップのため、夢の実現のために本当は勉強しなければならない、準備しなければならないと認識しているはずだ。お前以外の問題にではなく、お前が対峙している目の前の問題に集中しなければならない。
直接会ったこともない誰かが失言して炎上したとしても、それはお前に関係あるのか?その人をたたくことで気持ちよくなっていないか?くだらない屁理屈で自分の行為を正当化していないか?
お前は気づいているか?
お前がせっせとネット記事を見て憤慨してコメントを量産している間に、他人は恋人や家族と楽しい時間をすごしているかもしれないぞ。お前が叩いた人間だって、今まさその瞬間はリアルで充実した時間を過ごしているだろう。何年もたてばみんな叩いたことなんて忘れる。現実はそんなもんだ。みんな本当はそこまで真剣にコメントしていないなんてわかるだろう?なのに自分の貴重な30分をかけて書いたコメントがほかの人間が書いたコメントに押し流されていく光景を見てなにも思わないか?だれもスターつけてくれなかったことなんて山程あるだろう?
無駄なことだということを理解しているのだろう。反対しても賛成してもよそから批判されるだけで何の得もないからだんまりをきめこんでいるのだろう。まさに「沈黙は金」だ。そして「雄弁は銀」だ。たとえ正論であっても「うるさい」という事実が煙たがれる理由になる。日本にいるならばこの事実は覆らない。内部告発者が守られないのもこの心理が上層部に働いているからだ。そして法の整備は追い付かない、これが現実だ。
もちろんお前が当事者ならば声を上げることは無駄ではない。だがそうでないならば関心を向けないほうがメリットがでかいぞ。怒るのはエネルギーを使う。インキャでインドア派ならばお前のエネルギー量は他人より少ない。その少ないエネルギーを自分以外のために使うなら、お前は自分のために使う余力なんてないだろう。だから勉強も集中できない、集中できないのはあの問題のせいだと思い込み、怒りは倍加する。でも怒るエネルギーは自分に向けられることはない。他人に向けて鎮火するのがオチだ。そしてまた誰かの失言、不祥事、また批判。それで何年分の時間を浪費してきた?何人が自分の上を通過していった?いくつものサイトのPVに貢献してきた?そしてお前はいつまでそのままなのか。
ニート、引きこもり、無職、フリーター。お前の苦悩はよくわかる。自分が辛い状況なのに他人が輝いてるように見えて苦しいのはわかる。自分はもう詰んだと自虐したくなるのもあきらめているのもわかる。
運ちゃんが重い荷物を運ぶ。客のクレームに頭下げてあやまる店長。失敗したら医療ミスで訴えられるかもしれない手術をおこなう医師。エリア内売り上げ一位という上からの数値目標を達成するために客先に足を運ぶ営業マン。それと同じ時間だけパソコンの前に座ってネット記事を読んでは気軽にコメント。書いてすっきりしては惰眠をむさぼっているお前。みんな同じ時間を過ごしているが、お前だけは何のスキルもない。お前が追い付こうとしても追い付けないはるか前を彼らは歩いている。
もうそろそろよくないか。ストレス発散でも、お前の時間をクソみたいにどうでもいい他人のために使う余裕はお前にはない。だからその時間を自分のために使おう。本当に簡単なことからはじめてみないか。深呼吸、ストレッチ、本や新聞の音読、本当に簡単だ。そうして自分の時間を自分のために使うことを心掛けてほしい。社会問題に目を向けるのはお前が社会で一人前になってからで全然遅くない。5年後、10年後のお前が社会で批判されるような上の立場にたっていることを願うよ。
どこでそんなこと覚えてきたのか謎だが、原因は三つあると思う。
1、情報が間違っている
2、頭が足りない
3、情報発信の仕方が間違えている
順にセンサー、プロセッサー、アクチュエーターに当たる部分が総てがフルコンボでイカれた時、失言や暴言が現れると思う。対策は以下の通りすれば良いだろう。
1、情報の感度を高め、一方向だけでなく、幅広くアンテナを張る
2、自分の頭で考える
3、信頼できる人に話して問題がないかを確かめてから、ツイッターのような拡声器で発信する
シンプルにまとめればこうなる。情報が足りてなければ、集めて、噛み砕いて理解し、言葉にできるようにするということである。
で、なぜ、偉い先生がこれができていないのか疑問だったのだが、恐らく、既得権益から逸脱できないため、思想の制限や時間を用意できず、話し相手も同質のものばかりだからではないか。
☆まとめ
◯結論
杉田水脈氏の意見全体に賛同するわけではないけれど、「LGBTは生産性がないから、結婚制度による社会的優遇には適さない」という主張は、重要な主張であって、暴言・失言扱いで軽く片付けられる話ではない。
LGBTの結婚を認めるかどうかは、社会の制度設計の問題としては非常に難しく、かつ、本質的な問題をはらんでいる。そして、賛成にしても反対にしても、「非常に難しい」ということを認めた上で、議論しないとそもそも議論そのものが非生産的なものになってしまうのだが、最近の論争を見ていると、まさにそういう非生産的な議論になっていると思う。
◯議論
そもそも結婚は個人間の契約だという立場に基づけば、結婚に対する公的支援は、せいぜい、公証人制度のような形で、契約の正当性を担保する程度の話のはずで、結婚した人を税制、社会福祉の受益者として優遇する措置自体が、平等原則に反するという見方もできる。
では、なぜ結婚制度があるのか。平等原則に反する優遇措置には、理由がなければいけない。これを正当化するロジックとして、2つの立場が考えられる。
1. 結婚は次世代の子供を産み育てる個人の営みを、公的に支援するためのものであり、公共性の観点から、結婚した人を優遇することの正当性が確保される。もちろん、結婚制度を利用しながら、子供を産まない、育てないことで差別されるべきではないが、結婚制度を最初からそうした目的で利用することは、制度上期待されることではないという立場。
2. 結婚は、個人の親愛の情に基いて、生活をともにしたいと考える個人の性質に基づく普遍的な権利であり、子供を産むか、育てるかという個人の選択とは切り離されて考えられるべきであるという立場。
最近、社会の風潮としても、特に「リベラル」の立場からの主張としても、2の立場が取られることが多い。でも、1はそんなに間違っているのだろうか?契約の保証という観点からは、2の立場も理解できるけれど、たとえば、配偶者控除など税制上の優遇制度を、2だけで、1と切り離して正当化できるのだろうかという問題はあると思う。
また、2の立場が理念として正しいとしても、むしろ、それはLGBT<だけ>を結婚制度の枠内にしようという中途半端な仕組みではなく、友人同士であっても、3人以上であっても、共同生活をする人たちが、社会的に優遇を得られる制度に一般化することでしか正当化されないのではないかという疑問がわく。そして、この立場は、(陰謀論的な意味ではなく)結果として結婚制度の解体という方向に結びつかざるをえないとも思う。
こういう議論全体について、自分が言いたいのは、2はダメで1が正しいということではなくて、これがすごく難しい問題だということ。1と主張するにしても、2と主張するにしても、そこには掬いきれない問題があり、それを無視して片方の立場の主張をしてもそれは空虚であるということ。
その上で、昨今の論争について言うと、「LGBTに生産性がない」という言葉が独り歩きしているけれど、そもそも結婚制度は、社会の「生産性」のために設計された制度という見方もできるし、現状の結婚制度はむしろそのように設計されている。結婚制度を自体を解体して、「共同生活支援」のような制度を目指すのなら話は分かるけど、そうじゃないのであれば、「生産性」という言葉尻をとらえて批判するのは、態度として一貫しないだろう。
自分はどちらかというと、杉田水脈氏のような「エセ保守」は滅びてほしいと思っているし、擁護したくもないのだけど、批判する側がきちんと批判できてなければ、批判したつもりでも、むしろ彼らを助長させることにしかならない。だからこそ、この論点に関しては、杉田水脈氏の側にも一理あると指摘したい。
その点、選挙が終わるまでシールズの存在を隠してたのは本当にうまかったと思う
以前からバカ晒してばかりのあいつらが最初から前面に出てたら、立民ごと嫌われるに決まってんだから
そもそも立民の躍進というのは、はっきり言って大部分が小池の失言に支えられている
でもそれはあくまで枝野個人のイメージでしかなく、後から入ってきた面々は相変わらず悪印象のままだし、
実際今ニュースに出てきて政権の文句を言うのも蓮舫とか辻元とかそんなんばっかりで、昔の民主党とイメージが変わらなくなりつつある
あいつら自民で言ったら森さんみたいなもんで、キャラとしてはいい加減飽きられてるし、口を開いて何か言ったらもうそれだけで反感買う存在でしょ