はてなキーワード: 再雇用とは
家族生きてるの?
さっき自分の人生語らせてって言ったけど2行で終わってしまった。
少し考えたけど本当にこれ以上何もしてない。
3年間、三食食べてテレビDVDBD見て新聞雑誌漫画小説読んでネット見てみたいな生活の繰り返しだから
本当に何も書けない
改めて今涙がでてきました。
ああっ女神さまっシリーズやキノの旅は本当に好きで何度も見返した。
セリフも覚えてるくらい
昨日自分の人生が24年経っていたことに気づいてゾッとしたと同時に、
何のために生きているんだろうって涙が止まらなかった。
他の人は山ほど人生経験してるだろう中、人生の感想文が2行しか書けない。
何のために生きているんだろう
でも普通の人間なら、誰々とどこそこに言ったとかの思い出とかがいくつかあるんじゃないのかな?
普通の人がどうなのかよく分からないけど、多分そうなんだと思う。
だけどそれが俺には全く無い。
ただ3年もテレビを見て、録画してた番組を見て、小説や漫画や雑誌を読んで、ネットをやって、最近はSIMなし中古スマホでソシャゲをしてってだけ。
高校時代から大学時代までいとこの家(一戸建てで都内)に住んでいて、高校は公立名門校、大学は公立大学だった。
でも大学卒業の年に障碍を患った。だけど成績が良かったものだから中退するのはプライドがゆるさなかった。
親にはまだ生きていてもらわないと。
俺が年金もらうより先に親が死んじゃったらどうしよう。
普通のニートでも大抵は、職安にいってやりなおそうとした。でも挫折した。
だけど、俺は本当にそういうのすらない。
働こうとも思わず飯食って息してたら25になってた。
最近は障害手帳を取った後の就職活動で住宅問題のNPOにいってる。
自宅も住民の多様化が顕著になってきていて、子供にとっては辛そうなのと
うちは子供部屋だし、仮に俺が低学歴で長年のいじめられっこならば引きこもりになっていたかも。
暇でブラウザ検索を長いこと続けていて、あるネットのスレッドから。
ある大学の調査によると、高学歴のニートが低学歴者を上回っているそうだ。
そして完全にニートと認められている20代の30%は大卒以上だそう。
読みながら涙がでた。大学院卒のニートを抱えた親子の心情や葛藤が書かれた記事だったが、自分の生き写しのようだった。
彼らにはまだ40代になる前ならやり直せるといいたい。働き盛りだろう。
例えば今日はセガのゲームを遊ぶ日にしようと決めたら、ずっとセガ系を丸一日遊んだり。
そしてその次はバンナム系のゲームを遊んでおくんだ。この繰り返し。
ソシャゲを覚えてからはソシャゲの方が楽しくてゲームをする時間がかなり減った。
父親は地方公務員だった。母親は郵貯のキャリア職員である。妹は今の大学に二流公立高校からAOで進学している。
家は自家用車無くても困らない場所に住んでいるから免許すらない。
妹はバイトしなくても問題ないとこ通っているからバイトしていない。
でも今、親が再雇用になって経済面もやや厳しそうで、最近は中学生向け予備校で講師バイトすることがほとんど。
そんなとき、俺がブラックな職場で働いてたら経済的に支えてあげられるのにと最近よく思う。
失ったものなんてない
工場は高卒あがりばかりで、こういっちゃアレだが、自分の学歴からするとかなり格下の会社に入ったと思う。
人事的には数年現場も経験させて管理職ってプランだったんだと思う。
ネジしめたり掃除したりする単調な日々のなか、ある時60過ぎの再雇用の人から統計の手ほどきを受けた。
専門家からしたら子供の遊びみたいな簡単なものだが、不思議とスラスラと頭に入った。
一緒に習った数人のなかで、ドロップアウトしなかったのは自分だけだった。
自分だって数学なんか好きじゃなかったが、世の中の人は数式が苦手らしい。
ネジの長さやら瓶の重さみたいな単調なデータでも、解析すれば次から次へと新しい発見があった。
自分に統計を教えてくれた人は、統計は使えても、パソコンが並の老人よりマシ程度のスキルだったので、紙の記録からせこせこエクセルに手打ちで入力して、都度せこせこと式を立ててというスタイルだったので、自分だけが機械から出力されたcsvファイルからスイスイと統計解析できた。
仮説をたてて、データぶっこぬいて、統計量をだして、分布表にあててp値を出す、それだけのことが世の中の人はなかなか出来ない。
世の中の人のほとんどは、プログラミングはおろかエクセルもろくに使えない。配列数式くらいで部署で1番になれる。
あの頃は天狗だった。
そのうち現場を離れることが多くなり、法律を読んだり役所にだすお堅い書類を作らされたりさせられた。
世の中の人の半分くらいは、法律みたいな少し堅苦しい文章になるだけで、日本語の文章を読むことすらできないようで、その手の仕事でも重宝されるようになった。
そうこうしてるうちに、かなり大きな会社に買収された。
上司は親会社からの出向組で占められ、ここから出世は難しそうだなあと思い始めた矢先、人間関係のトラブルで会社を辞めた。
しかし、今度は大卒、しかも修士とか博士ばかりで、びっくりした。
ここでは大半の人よりも自分のほうが手が早いし、数字のハンドリングも、ITスキルも役所とのやりとりも出来る。
手先が器用で、サイエンスな文章を理解できて、数式を理解出来て、法律文書を理解できて、クラシックな統計解析が出来て、データベース操作と簡単なプログラミングが出来て、報告書とプレゼン資料が作れれば、どんな会社にいても重宝されると思うのだ。
ちょっと困るな。。
なんで、こんなに話をしないといけないのか。
なんというか、部門の壁を超えて話すっての、かなり難易度高いんだが。
競合部署との調整とかも、面倒。
うーんと、混み合っている会議室スケジュールとか、例えばだけど。。
はー。それで派遣社員って、笑わすわぁ。。
なんか、そんな責任終えないですよねっていうことまで振られる。。
まー、60代の人や団塊の世代の人が再雇用される時代だからかもしれないが。
ただ作業をやればいいって、だけでなくて、社内営業的なことまで、求められのって、どうなの?
やってられないなぁー。。
せめて、直接雇用のバイトとか、厚生年金会社が払ってくれるとかだったら分かるが。
酷すぎる。。。
最近やたらとニュースで見かけるが、あんなの「当たり前」と冷ややかな目で見ていた。
・昨今話題の二重払い。新しい契約に入っても、古い方は半年続けてくださいなんて言うのはザラ。お客さんに何のメリットもない。(商品にもよるが)
・営業の締切が金曜の時はチャンス。明言しないが、土日の手続きでも金曜の日付を書いてもらう。そうすると活動できる日が2日増える。
・締切間近でも契約0件の場合、親戚・友達は何とかならないかと詰める。営業本人がダメなら、管理者がなんとかする。
・膨大な量のデータを載せた会議資料を作るが、会議中におさまりきらないので省きまくる。(改善しないのか?)
・土日出勤当たり前、振替休日は取ったふり。他人のPCで仕事。
・セキュリティ管理されてる執務室は20時までしか在室できないので、PCを持って仕事のできる部屋で業務継続。
・経費削減と地域に配るチラシ数千枚を夜な夜なプリンターで印刷している。紙とトナーの補充、紙詰まりと格闘するバカバカしさ。もちろんサービス残業。
非効率でコンプライアンスぎりぎりを攻める管理職、残念な営業達、昔はこうだったとふんぞり返る再雇用のオッサン。自分が疲弊していくのを感じたし、こんな所で自分の将来のキャリアを描くことはできなかった。他人に胸を張れない事象が目につくのも辛く退職した。
同業他社に転職したが、あまりの違いに驚いている。給与も働きやすさも上がった。業界内での転職が非常に多いので、話題の某社の面々は不適切な営業に手を染めずに転職してはどうだろう。
>同一労働同一賃金や雇用と責任の分離が進めば、当然、正規/非正規という言葉はおかしいことになる
果たしてそうだろうか
同一労働同一賃金や雇用と責任の分離が日本より進んでいる欧米諸国でも
雇用区分の切り分けは「典型的な雇用条件に合致するか、しないか」を軸にされる
・欧州では「典型的か否か(typical or atypical)」
・米国では「標準的か否か(standard or non-standard)」と
考え方の根本や言葉の使い方の傾向は、欧米と日本で然程変わらない
>すでに使われてる「有期/無期」が適切
これは明確に間違いである
⑶直接雇用
の3つを満たす従業員、とされている
この要件で考えると
平成27年の労働者派遣法改正によって、近年増加傾向にある「無期雇用派遣」は
逆に「統計調査における労働者の区分等に関するガイドライン」(平成27年5月19日)によると
「契約上は嘱託・契約社員だが、事業所において、正社員・正職員として処遇 (位置付け)されている社員」は
具体例を上げると、平成24年の高年齢者雇用安定法の改正によって
近年増加傾向にある「定年再雇用嘱託社員」のうち、「定年退職前と同様の職務、給与等になっている人」は
実際、平成24年度(2012 年度)就業構造基本調査によれば
私は「65歳以上」は、免許を一律返納すべきという立場を取りたい。
なぜ65歳かというと、年金を貰えるのが65歳だから、定年退職する年齢を65歳と仮定しての線引きである。
例えば、トラックやバスの運転手などの職業ドライバーも、定年で「引退」すると考える。
再雇用云々……は今は置いておいて、例えばバス会社が運転手を雇うのは「65歳の定年まで」とすれば、それが運転を引退する年齢にすべきだと思うのだ。
よって、この年金を貰うラインを、一応「現役」か「引退」かの無慈悲に引くラインとして採用したい。
だから、トラックやバスなど、プロ運転手に給料を払う企業に対して、厳密にその「現役」と「引退」の年齢ラインをしっかり決めて欲しい。
安心して雇い、安心して給料を払えるのは、何歳の運転手までか。
職業運転手は、人命や大切な荷を運ぶプロだ。事故を起こされたら会社もたまったものじゃない。
なぜなら、高齢者はどうしても、認知・判断・操作能力が、衰えていくからだ。
60歳から65歳になって、年齢が若返ることはもうない。時間は過ぎる。
池袋の暴走事故の遺族は「少しでも運転に不安のある人は免許を返納してほしい」と訴えた。
私もそう思う。
足が衰え、ガニ股になり、バックなどで腰をひねった際、身体の柔らかさが衰えた身体では足の位置がずれてしまい、
その甘い感覚のまま、ブレーキに添えていたはずの足はアクセルにずれ、思い切りアクセルを踏んでしまう。
なぜなら「ブレーキを踏んだのに進んでいる」→「アクセルと踏み間違えている」→「ブレーキを踏みなおそう」という、
むしろ「ブレーキを踏んでるのにどうして進むの?」とパニックになり、踏み間違えたアクセルを踏み続ける。
その間も、轢いた歩行者を踏み続けていることになる。無慈悲だ。これは殺人と等しい。
「年を取っても元気に運転できる人がいる」とか「田舎では移動手段がない」とか、しまいには「生き甲斐」とか言い出す始末。
要は車を取ったら不便になるから、ギリギリまで運転したいということ。
そして「家族が顔色を窺って、免許返納を遠回しに勧めて」ほしいとか言っている。
なぜそこまで気遣いをしなければならないのか。
であれば、「一律」に「平等」に免許返納の年齢上限を設けるべきだ。
18歳未満は運転できないのと同じだ。
福岡市逆走暴走事故は、事故のほんの十分前はまともに運転をしていたそうだ。
もしかしたら当時意識を失っていた(突然体調不良になった?)のかもしれないと、事故の原因を調査中だ。
高齢者は、いつどうなるかわからないから、運転はやめるべきだという事実が露呈したと言える。
ほんの十分前まともに運転していた人が、一瞬でまともな運転ができなくなったのだ。
それが「年を取る」……ということなのだ。
これが一番言いたいことだが。
「歩行者の命」に関わることだ。
健康寿命の長い、特異な人に合わせないでほしい。
平均点以下……むしろ運動神経の悪くおぼつかなくなってきた人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
運転偏差値なるものがあるなら、30とか20とかの人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
車は、踏んだら動く。
座ってるだけで移動できる。
けれども、最低限「安全な操作」ができる「身体能力」が必要だ。
それは、高齢になるとどうしても不足してくる。スポーツと同じだ。
プロであればあるほど、自分が全盛期の動きができなくなったとすぐに気付く。
自動車の運転にも、職業運転手の定年退職と同様に、年齢に上限を決める。
どうか、運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい。
私はペーパードライバーだ。
45歳までに車を買えなかったら、返納しようと思っている。
45歳以上になったら、ペーパードライバー講習を受けても無理だろうと思っているからだ。
21歳で免許取得したのに、自動車そのものも維持費も高く、いまだに持つことができない。給料が低いのだ。
だからどこにでも歩いていく。汽車に乗っていく。バスに乗っていく。そして歩く。
齢90の祖母、65の父もそうだ。
祖母は免許を持っていない。運転できる祖父が亡くなってからは、ずっと歩いている。バスに乗ったり、バスがなければ歩いている。
祖母のような高齢者でも、車がなければないでなんとかやっている。
父は車の維持費が大変で、55歳ごろ車を手放した。
車を手放したらタクシー代が…という人は、車のほうが金食い虫と言えないだろうか。
父は、バスの通る場所に引っ越したし、祖母は、生協の宅配を利用して日々の買い物は賄っている。
車って、一度持ってしまうと手放せないんだなと、高齢者の誤操作による事故のニュースを見ていて、日々思っている。
そして不思議だ。
実家には車のある時期もあったが、私自身は車を持ったことがない。
そういう人間からしてみれば、なぜそこまで車に固執するのか不思議でならない。
事故のニュースだって、決して交通の便が悪くなさそうなところで起きている。本当に不思議だ。
おまけに、高齢者が若かったころ、そもそも車なんか発明されて間もなく高価で手が出せなかったのではなかろうか。
便利なものはなかなか手放せない。仕方ない。踏めば走る。便利だ。