はてなキーワード: ベトナムとは
ベトナムではよくあること
大人8人は既に食事を終えていて、そこに中学生が下校してきて合流した。
中学生がまだ食事を取ってないとのことだったので、フォーの店に連れて行った。
大人8人は注文する気はないので、席に座らない。
ちなみに、ベトナム現地のお店では閑散としている時間帯限定で、店主から座ってていいよと案内があると座って良いことになっていて、
実際、何も食べないのに店で座って談笑している風景はよくある。
中学生が食事を終えたら、みんなでどこかに遊びに行ったんだと思う。
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成田空港のホテルは常に戦国時代で、大体2-3年単位でお得なホテルが変わる。
しかし、2023年のベストステイは間違いなく東武(旧ホリデイイン)である。成田の前泊に情熱をかけ、10年間泊まってきた自分が言うので間違いがない。
どれくらい情熱があるかというと、予約後にももっといいプランがないかを毎日トラベルコとagodaで確認するほど。バックテストと称してる
※ちなみに、トラベルコはなぜかAgodaの料金だけは正確に出してくれないので別個で調べてる
どんくらい安いかというと、物価高の中、2人で泊まって朝食付きで1泊4750円だった。10年間見てきたが東武はこんな値段だったことはなかった
何があったのかはよく知らんけど大体ゲートウェイ、それよりワンランク上ならばマイステイズが鉄板だった。
流石にやばいと言わざるを得ない。しっかり朝食も美味しい。2600円という値段は妥当というレベル。
つまり、部屋代が2150円ということで、物価も税金もSky Highなこの時代においてバグだと言わざるを得ない。
安さには訳があると思われがちだが、今回の宿泊ではなんと見当たらなかった。
スタッフに爪切り売ってるか聞いたら売ってないと答えられたが宿内のマツキヨに普通に売ってたのが唯一のマイナス(そんくらいしか不満点が出せない)
あと、電話応対も全体的にどこか塩対応だった。これが四つ星ホテルならちょっとアレだが、この価格となると流石にどうでも良くなる
さらに、フィットネスは1600円とお高めだが、故にプールもガラ空き、大浴場に至っては入浴者0人。
休憩スペースは漫画付きで、ゆったり寝れる椅子もある。ロッカーもあるのでタオルを丁寧にひけばサウナ後に音楽を聴きながらゆったり寝るということも可能。
宿代が安い分、ここは課金するのを勧める。サウナも普通にアチアチで何より水風呂がこの夏に冷え冷えなのだ。さりげなくサウナマニアが大喜びな設定になっている。
第三ターミナルからはgooglemapベースで徒歩10分、バスで行けば第二、第一までざっくり10分だ
えぐすぎ
羊頭狗肉が蔓延るこの世の中で、このホテルは色んな意味で狗頭羊肉だ。
こんなに神ホテルなのに、サイトもスン...としてるし、ホテルの中も静かだ。アピールしようと言うガツガツ感がない。
まぁ成田のホテルは全体的にそんな感じで落ち着いてる。多分森の力だと思う
僕はこの宿、もはやスタッフより好きだ。この文章の量でおわかりいただけると思う。
最後に、大体agodaでお得なのだがどうせなら直予約でも十分勝負したほうがいいと思う
直予約で、フィットネス付きで一人6000円くらい出せばagodaともいい勝負できると思うし、手数料を節約できるくない?
さらに最後に、この後ベトナムに行ってそれもそれで楽しかったのだが、
一点だけ反論しておく。
共通の常識や文化を持たない外国人との接触において「相互理解」なんてものは綺麗事にしかならない。
そんなものが成立すると夢見てるオマエの外国人蔑視が不愉快の極み、ゲス。傲慢。
意味わからんだろ?自分は差別思想を持たない公平な人間だと思ってるだろ?
それがクソなの。
オマエは「理解」すべきはアッチって前提なんだよ。
日本が最高、その最高の文化、礼儀、やり方を教えてやるからそれを理解せよ、なんだわ。
大半の日本人がこれ。
俺はベトナム人(含め外国人)にパワハラをせぇとは言うてない。
だが彼らの文化は上下関係や指揮命令系統を明瞭にする、指示は文書でガチガチのマニュアルで仕事する、マニュアル逸脱の権限はワーカークラスの人間には与えられないの。
例えば、標準作業マニュアルがあるとする、それに反する指示を口頭で出されたとする。
ベトナムに限らず欧米含め海外はこれが明瞭なの、文書以外の指示はダメ、口頭指示を真に受けたオマエがダメ、指示した人間はそんな指示は出していないと平気でウソをつくし。
そういう文化土壌の中で育ってきた人間に口頭での指示なんて出しても聞きゃしない。
使う側があっちの人間に合わしてやるのが最適解なんだよ。
口頭のやんわりした指示でもちゃんと従ってね、逸脱が原因でミスが起きてもまぁ組織全体でふわっと責任取るのが日本文化だから心配すんな。
こんなもん「理解」なんてできるわけねぇの。相互もクソも無い。
指揮命令系統を明瞭にして指示を出す、ある意味彼らは威張って指示されるのは安心感でもある。
昨今の日本では社長もさん付けで呼びましょう、フラットな組織です。
彼らはそうではない。
そんな彼らの文化や社会を後進国の時代遅れのものとバカにしてんだよ。
なーにが相互理解だ、あめぇんだよ、国外で外国人と仕事して外国人の嫁と10年過ごしてみろ。
絶対にそんな戯言出てきやしねぇよ、違うものは違う、相互妥協しかねぇの
その他オマエの指摘は全て机上の空論、理想論、全員がオマエほどの能力も胆力もねぇの
少なくともクソ安い給料で働かされてる底辺が給料以上の責任を負わされる社会をさっさと瓦解させたほうがマシ。
それには下の人間が「責任取らない」って風潮作ったほうが早いと思うぜ
まぁ昨晩のテキストはエントリ時間を見てもらったら分かる通り真夜中に酔っ払って書いたものだ。
これも酔っ払って書いてる
オマエの言いたいこともわかるんだけどな
暇なんでマジレスしてやるがオマエが悪い。
不器用にも程がある。
外国人は別の文化や常識や価値観を持っていることに不見識すぎる。
オマエはベトナム人に対して上司であり昇給や配置などの決定権を持っていることを誇示しなきゃならない。
威張って堂々とな。
あと仕事の指示、文書で出したか?口頭指示なんて誰も聞かねぇよアホか。
あいつらマニュアルを出せばそれには素直に従う。曖昧な口頭の指示は縛りがないものとしか認識されない。
あのな、社会は建前で回ってるの。
書面体裁が整えばいいの。管理会社の人間は「下から書面を取った」って事実をエビデンス付き(反省文)で「残す」ことにしか興味が無い。ようは管理会社責任者の責任逃れの体裁を整えてやればいいの。
テンプレ反省文をコピペで作ってせいぜい本人にサインさせるだけでいい。
オマエは方方から放り投げられてくるボールを素直に受け取っちゃってるの。無駄
どんだけ不器用なんだ。
クレームが来たら会社に「ちゃんと教育した人間を寄越せ」と文書(メール)で放り投げるの。
教育はオマエがせぇと返されるだろう。
「それは俺の仕事では無い」「他人を教育をするスキル教育を受けてない」って意味の返事をぶん投げる。
アホみたいにそのまま書くなよ。
やんわりとだがそう解釈せざるを得ない、自分は責任を負いませんよというサジェスト込みの文書を書くの。これ社会で重要なスキル。
念のために「他人を教育をするスキル教育を受けてない」を補足しとくぞ。
オマエに他人を使役する能力があるかってのも含まれるわけだが、それが欠けているならその職能を取得させる教育投資をするのは会社の責任なの。金がかかるの。
そういう会社ならそういう会社で生き延びるスキルも身に付けなきゃならない。
無責任でいいんだよ。
責任持った生き方をしろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。
頑張れ。賢く生きろ。
天災が起きた時、コロナが流行った時、「BCP必要!」と思い出したように言い出す人達が湧いて出てきてたけど、今こそ台湾有事を想定したBCPを策定しとかなきゃヤバイんじゃないか?
いざ台湾有事が起きたら世界中で半導体が絶望的に不足して、中国との交易は経済制裁で著しく制限される。
半導体とレアメタルが止まるから自動車は生産ストップするだろうし、中国からの輸入食材が入らないと家庭の台所も困るが外食産業が壊滅的なことになりそう。
海運も滞るだろうし、世界恐慌になるかな?日経平均1万円割るんじゃないか?
今のうちにできることは台湾・中国から購買している物資をできるだけ多方面からの分散調達にすることぐらい。
アパレルはすでにベトナム、インド、バングラデシュなんかに分散しているけど、どんどん推し進めてメイドインチャイナ率を下げていくしかない。(生活雑貨・玩具・家電・PCサプライなども)
半導体は韓国とのパイプを今から太くしといたほうが良いのでは。
建築資材とかもかな、知らんけど
山一證券に内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶がちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。
山一廃業のニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。
10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。
内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、不況だからね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっとも公務員試験も教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。
当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。
まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビ、それから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京で流行っているファッションやアイテムが地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。
就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さないものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキで資料請求。
そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業はハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知もほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。
パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミは卒論を手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書きの履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。
ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。
しかしながら増田の周りの女子大生、特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員は結婚を理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。
男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかったから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党に相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。
氷河期世代を理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生、短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。
もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。
結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。
内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業のアルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。
アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学は増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。
増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。
数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算の仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。
だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。
転職しようと就職支援の会社に行くと「年齢とキャリアがミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書を手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcelの履歴書をダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。
無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村のニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況の煽りを受けて職場が倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。
それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分で健康保険と国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。
増田には今、大学の同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNSで積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。