はてなキーワード: ベイズとは
他の検査と同じく、PCR検査にも偽陰性や偽陽性はあります。とうぜん、他の検査と同じく「ベイズの定理」は適用可能です。「ベイズの定理」はPCRの特性的に妥当しないという増田の主張は誤りです。増田は匿名ダイアリーではなくBMJにレターを書くべきでしょう。
https://www.bmj.com/content/369/bmj.m1808
「PCRに消極的な人たちが主張するほどはPCR検査の特異度は低くない」「ときに偽陰性偽陽性があったとしても積極的にPCR検査をする利点は大きい」ならまだ適切な批判でありえたのですが、いったいなぜだか、「PCR検査でベイズは使えない」「PCR検査の感度特異度は100%」という間違った主張がまだあるようです。
今のはてなは女叩きのメッカと言っていい状態で、特に最近運営が手を入れるまで半年ぐらい主に増田の女叩き記事が延々毎日複数個ホッテントリ入りしていた。
元々弱者男性論が幅を利かしているところで、そこまでは許容範囲なのだがそこで男性社会での疎外や表現規制の主題を扱えばいいのに女叩きの方に行ってしまい、雪だるま式にルサンチマンやデマで埋まってしまう。
更に最近だとコロナ初期での反PCR運動という反技術ラッダイトムーブメントの中心となり社会に甚大な悪影響を与えたのが記憶に新しい。
はてなは2010年頃からブクマリニューアルとか日経との提携とか「キャズムを超える」為の施策を色々やってたんだが、その結果キャズム超え出来ずに土着化したようなユーザーの楽園になってしまったんじゃないかと思われる。
創業当初のはてなは個性的な「変な会社」で、技術志向のユーザーと運営の距離が近かった。障害が発生したらその障害の内容を技術的に解説する、todoリストを公開する、ユーザーがwantリストに書き込める等の特徴があった。
人力検索だけだったサービスにはてなブックマークとダイアリーを加えると数年でユーザーの特徴や偏りが顕著になった。
IT技術者、経営者ワナビー、リベラル、非モテ、がメインユーザーとなった。
IT技術者が多いのははてなの運営特性に合致するターゲット層だから。
経営ワナビーは小泉改革と大人気学者だった竹中の影響だが、肝心の経済に弱いという特徴があった。日本の経済構造を一新する改革側に居れば既存の経済活動に関する知識や経験は必要ないしそれが自分を幸せにすると信じていた。金融とは証券取引の事と信じそれらとM&Aの記事に金融タグを付けて経済通のつもりになっていた。商慣行や銀行との付合いには無知だった。
リベラルが多かった理由は2chの隆盛の為だ。まだネットの書き込みに関する事件捜査は行われておらず、ブログや掲示板を炎上させれば意見が通ると信じられて全能感に浸る2chネラーが暴れており、その対極としてはてなが位置づけられていた。故にこの頃のはてなは一部のネラーに憎悪されていてはてな=在日朝鮮人などという病識がないコピペで溢れていた。「2chの専門板ははてなでは敵いませんよ」という有名な文章があった。このころの2chネラーの全能感に棹さしてキャリアスタートさせたのが佐々木俊尚。
非モテは今に繋がるが、この頃は革非同などネタに昇華させて外国メディアに記事にされたりもした。
はてなユーザはこういう布陣でいた訳だが、一方で「キャズム」が問題になっていて『キャズムを超えろ』なんてブログが人気をはくしてもいた。
キャズムとは断崖の事で、新製品の受容ユーザーをイノベータ→アーリーアダプタ→マジョリティと分類した時に分布が正規分布になり、そのベルカーブの縁の部分を超えて広がるのが困難だという事である。
当時のネットはキャズムを超えられずベルの端っこの下、ロングテール部分にしか訴求出来ていない。これは製品の販売量で規模の経済が働かない、それ故広告料も上がらないという事である。
はてなはユーザーが特殊で偏っていて更にブクマのせいで喧嘩も多いという特殊な環境で、それで一般の人に忌避され、日記を始めてみたけど止めちゃう、アメーバに乗り換えちゃうというケースも多かった。
そこでキャズムの中のキャズムを打破すべくはてなは2010年頃から色々なイメージアップ策をするようになった。
・日経と提携する:経済意識が高いユーザーが多いのに応えてだと思われる。B層的であり経済事件などに不如意な点も経済記事を毎日読めばリテラシーがアップすると期待されたと思われる。
・綺麗なオフィスを公開する:会社のイメージアップと社員の採用面で重要。
・旅ブロガー等の推し:ココロ社氏やメレ子氏、在華紡氏など、一般受けしやすい旅&食べ物ブロガーを推してインタビュー記事などを掲載。最後の在華紡氏は喧嘩や炎上があると必ず火事場にガソリン持って立ってる人で推していいのかと不安に思うが、この甲斐あって彼等ははてな出身ライター、ブロガーとして多種媒体に出るようになった。
・はてブの改変:人気コメントだけだが表示されるようにするなど。ブコメ欄での論争低減を狙ったものと思われるがかなり不評でユーザーの流出もあって元の仕様との折半になっていった。
だがこうやって一般化を目指すと一つまずい事がある。
はてなのユーザ層はオタクに寄っている。そこでキャズムを埋めると一番流入するのは当時隆盛を誇っていたまとめブログ層じゃないのか?すると一般人とのキャズムはより深くなってしまう結果となる。
このまとめ民流入が増えた時機ははっきりしていて2018年だ。18年にネトウヨ春のBAN祭り騒動というのがあり差別デマや文字スクロール動画で埋まっていた日本版Youtubeが大掃除されたのだがそれでネットでの風向きが変わった。
更にこの前後からまとめブログでの広告引き上げが続いており、要するにまとめブログがおいしい商売では無くなった。元々差別的なまとめブログが隆盛となったのは広告料の上昇によるもので商売の形として確立され情報商材屋のシマともなった。しかも情報商材屋はネット広告でカモを集めるというループである。ネット広告キャパが拡大するに従って拡大した循環参照だが、広告料の上昇で審査が厳しくなって商売にならなくなったのだ。
ヘイト動画の方は18年の前から米国で悪質動画が問題になっており、極右や極左、イスラムの過激派が過激動画で勢力を伸ばしている事が問題視されてgoogleは対策に追われていた。ISの殺人動画等は消されても支持者がアップしてしまうのでそれを上回る速度で面制圧して統制しろとの要求がユーザーだけに留まらず行政司法機関から出されていた。
その為にガイドラインが相次いで変更されノウハウが蓄積され組織化されていた。結局広告キャパの拡大がそれらのコンテンツを爆増させ、それにより広告料の上昇が阻害され、対策されて消され市場として消沈するという流れだ。
ところでイーロンマスクは買収相手の業態の上記の流れを知らなかった為に「広告料上昇阻害」のラインまで広告引き上げされた訳で素人丸出し過ぎるんだが、まとめキッズとかツイ廃キッズのままで経営出来ると思っちゃったんだろうか?不思議な人である。
こういう流れがあってまとめブログのパイが急速に縮小して代わりにはてなにまとめキッズ(中年)が増えたという流れである。
彼等はtwitter社の大量解雇ではコンテンツ制御部署や法務部署の存在理由や綺麗なオフィスをわざわざ見せる理由が判らずにバックオフィスを「キラキラ世田谷自然左翼」だとの認識に蝟集し、めいろまの「twitterはアニメやプラもが好きな人らのものなのにユーザーに背を向けている」との論難に快哉を送ってしまっていた。会社にバックオフィスがある理由やこれまでのネット事件での流れ(特に米国内)、メジャーサービスでのキャズムの超克というテーゼなどを何も知らない無垢さを現していて侘び寂びの念に包まれる。
ついでにM&Aでイーロン下でtwitter社が多額の負債を抱えることと成長企業は積極的に融資を受けて投資に回す事を混同しており、企業体質が巨額赤字だと信じていた。税制への無知である。後になって「LBOはそういうもの」等と誤魔化しているが、そもそも個人が手持ちの金で買うというスキームで考えていたので無駄である。これは給与生活以外の世界を知らないからでネットの経営者ワナビーの悪影響である。
新型コロナが流行し始めるとはてなでは「インフルより弱毒」「ゆっくり感染して社会免疫」「PCR検査数が増えると偽陽性が激増するので検査してはならない」との危険なデマが席巻する事になった。また悪質なブクマカがPCRを受けたいとの願う患者や意志を見つけ出しては悪罵して叩き潰すという行為に出た。
最早社会に対する驚異である。この時のはてなはパブリックエネミーと呼んで差支えない。
これらの主張が「科学的」の表皮を被っていた事は忘れてはならない。有名なのがベイズ推定での偽陽性の議論の援用だが、ベイズ推定はベイズ統計学の一つのタームでしかないので概念の理解が簡単な上に知的に背伸びした気分になれる。だがPCRの特性上、偽陽性が発生しないのだから適用出来るはずもない。
PCRは独立で機能出来る検査じゃなくて、DNAシーケンサーの開発と普及に拠っている。2001年頃にシーケンサーが開発され、塩基配列が容易に読めるようになった。更に開発競争により世に普及するとともにありとあらゆる生物、ウイルスの遺伝子が読まれるようになった。この時に沢山使用される試薬の需要に応じて多くの試薬ベンダや製薬会社の部門が設立され、例えば焼酎の宝酒造が設立した子会社がタカラバイオだ。
この流れでコモディティ化した技術がPCRで、生物由来の物品を扱う様々業種で利用されるようになった。もうコモディティ化して普及が始まって20年以上になる。
要するにバイオテクノロジーにキャッチアップ出来てない人間があれらのデマに乗っかっていたのである。そもそも遺伝子検査で偽陽性が出るという事に疑問を抱いて調べないものだろうか?遺伝子偽陽性とは端的に他の生物と配列が一致するって事で、人間ががんになったら光合成できるようになったとか、人間同士から時々マンモスが生まれるって事だぞ?
しかもコモディティ化した技術なら必ずマニュアルと技術説明は公開されている。ソーシャルブックマークなのにそういうのを探しに行かないのだ。
代わりに「最先端の特別な知」的なものに弱い。これは、それらは具体的に判る所まで判らなくても背伸びした知的な自意識が満足させられるのに対して、コモディティ化した技術や常識では具体的に判ったところでスタートラインのペエペエだ。自意識の面では効率が悪いのだ。
これは経済分野でも同じで、日本が発達した資本主義社会なので経済知識を身に着けるのは大変だ。学校では教えてくれずに社会に出てしか判らない秘術みたいな知識もかなりある。それを身に着けて初めてペエペエなのだ。
だが給与生活者が経営者エアプしている限りはそれらの摩擦に晒されずに済む。こうして「ネット経済通」となって中年の永遠に終わらない青春に浸り続ける事になる。
コロナ初期にはてなスターが機能停止し運営はテストだと言い、それをブクマカらは無能だと評していたが、まず考えるべきなのははてなの異常なデマバブルだろう。SIモデルとベイズ推定を全能感の為だけに消費して批判的に検証しない、技術マニュアルを見に行かないという自意識フィードバックを停止させるために止めたのではないかとまず考えるべきだろう。
元から弱者男性論が多かった地でまとめキッズの植民が始まったら女叩きに移行するのは目に見えている。自分たちの権利擁護として表現規制反対が多くなるのは当然の権利で真っ当な事だ。だがそこから批判対象がフェミに収斂し、女叩きへと容易に至る。
だからcorabo叩きの最中に男女平等パンチ賞賛の増田なども当然にホッテントリ入りする。
https://anond.hatelabo.jp/20230110202355
女に対する恨みの蓄積なんだそうだ。しかも世の男は皆女に恨みを抱いていると考えている。それは弱者男性だけであるし弱者男性の敵はそもそも「男らしい男」やその概念ではないのか?
それからcorabo叩きの最中には「西早稲田2-3-18-51」デマも複数ホッテントリ入りしている。これはプロテスタント教会が市民運動に事務所貸ししてるのだが以前は在日朝鮮人の根拠地という噴飯な差別デマであったものをアレンジしたものだ。エグザイルの伝統舞踊を踊りなんである。
非モテ+リベラル+経営者ワナビーの集団のうち、非モテは残って女へのルサンチマンで上書きされ、リベラルの非現実性とのバランスに実務者や現実主義ではなくて自称リアリストが蝟集して現実から遠ざかってしまい、経営者ワナビーの経済音痴は温存されたままになってしまったのが現在のはてなだ。
故に10年前のリニューアルはうまく行かなかったと言える。一般人を呼び込むつもりが一般人が近寄りがたいデマが横行するルサンチヘイトサービスの方に行ってしまったのだ。
ベイズ因子の話だけ見るとまともだと思ったが
政治について議論したことがある人なら、比較する2つの仮説が当人にとってはどちらもデータを同じくよく説明していて、対立点として残るのは事前の信念だけという状況を経験したことがあるだろう。
データが増えても何も変わらない場合、他人や自分の考えを変えるにはどうすればいいのか。
私が「オバマは爬虫類人」という仮説を信じていて、あなたが「オバマが爬虫類人であるという主張はフェイクニュース」という仮説を比較する場合、いくらデータが増えても相手の主張を信じる程度は一切変わらない。
それはあなたの仮説も私の仮説も、そのデータを同じく良く説明するからだ。
私が「オバマは爬虫類人だ」とあなたに納得させるには、あなたの事前の信念を変えさせるしかない。
例えばあなたが「それはフェイクニュースだ」と疑っているなら、爬虫類人を1匹捕まえて見せれば良い。
あなたがその人が爬虫類人ではない証拠を示してもなお、私は別の爬虫類人を捕まえてきて「この爬虫類人はその証拠に合致しない」といって、何らかの遺伝子データについての予測を私が成功させ続けたとすれば、あなたは納得し始めるかもしれない。
2つの仮説が互いにデータを等しく説明する問題ではこういう論理が成り立つ。
こういう場合は、自分の事前の信念に変えられる点がないかどうかを検討すべきなのだ。
あなたが別の証拠を持ってきても、私は爬虫類遺伝子に関する予測を成功させ続けたとしよう。それでもあなたは信じずに、今度は「予測に不正があるに違いない」と言い始める。
そこで私は、予測器の仕組みを完全に調べられるようにあなたに見せて、あなたにその予測器を使ってもらい、やはり特定の人間の遺伝子が爬虫類人に関するなにかだと予測するが、それでもまだあなたは納得しない。
このシナリオでは、単なる隠れた仮説以外の何かが働いている。
あなたは私が完璧にだましているという仮説Xを持ち出して、自分の考えを変えようとしない。
つまり試行回数nがいくつであっても、P(D_n|X)=1ということだ。
あなたは自分の考えをけっして変えないと事実上認めたことになるので、明らかにベイズ推論の範疇を外れてしまっている。
それでも私があなたを納得させようとし続けたらどうなるか。
予測器の予測が9回当てて1回外したというデータD_10を使って、あなたの仮説Xと私の仮説Yを競わせるために、ベイズ因子を求める。
BF=P(D_10|Y)/P(D_10|X)=(9/10)^9*(1-9/10)^1/1≒1/26
BF=P(D_100|Y)/P(D_100|X)≒1/131272619177803
データは私の説を支持しているのに、あなたは信念を変えないからデータを受け取ってますますあなたが正しいと信じ始めたのだ。
間違った自分の考えを変えることを認めないと、データが増えるとかえって信念が強まる。
というわけで、信念を変えようとしない人間に正しいデータを与えてるお前はベイズ推論すら知らない無能。
自分もずっと仕事でプログラミングをして来ましたが、コンピューターサイエンスを学ぶべきというのは正しいと思います。
前から、フーリエ変換と、プログラミングのソート(SQLのorder by)との関連性については「何かあるのでは無いか」と思っています。
ただ、無制限にコンピューターサイエンスを勧める事が出来ない自分もいます。
プログラミングや設計やプロジェクトマネージメント(以下ソフトウェア開発という)もコンピューターサイエンスの恩恵を受けるべき
それに対し、フーリエ変換などが得意な人(以下数学が得意な人)が、ソフトウェア開発に対して、ためにならない事をやり続けているのは
ベイズ論(因果分析あり) と頻度論(因果分析なし)との長い死闘の1断面と言っていいと思います。
主に2点
1.数学が得意な人が、それと「似ている」ソフトウェア開発に対して片手間的に関与して来て、自分の資格を以て、なんの実績も無しに
ソフトウェア開発での「上級の資格」を無条件に得ようとする事です。
それを実現するために、数学と相性の良い、ソフトウェア開発が抱える問題のサブセットを切り出し、そうでない問題は、問題が悪い
2.数学が得意な人が、それと「似ている」ソフトウェア開発に対して真剣に取り組み、相当の時間をかけて「プログラミング」や「設計」
や「プロジェクトマネージメント」について、自分だけでかなり体得し、
その過程でプログラミングなどの実務はやっていない(実質的に同等の事をやっているにも関わらず)という事実をもって、
(たとえば)「プログラミングなんて不要だ、自分がその実例だ」といって信奉者を集めるのです。(それは自分が天才なだけでは)
1.ですが、原因があります。人間は「似ている仕事では手を抜く」という性質です。
一番身近な例として、プログラミングと設計があります。似ている仕事ですが、プログラマーとしての自分が現役の頃は絶対に設計は
させてもらえませんでした。逆も真でしょう。もちろんプログラミングの経験は設計に生きると思いますが、
コンバートするには前職の匂いを消し去り、手を抜かない様な心構えを持ってから出ないとダメだと思います。
数学が得意な人は現役の内は、似ている分野のソフトウェア開発では手を抜くでしょうし、逆も真だと思います。
2.ですが、そういう天才は、プログラミングと同等の事を、自分だけで体系化出来、実績も上げます。信奉した人間はたまったもの
では無いと思います。
「努力してパーティーに出席した人間には、ウェイターしか道が無かった人間の事は分からない」のも人間の性質です。
だから頻度論なら「同じ観測」を何度もやってカウントした頻度のことだと定義する(しかない)し、ベイズや決定理論なら観測者の頭の中にある行為の決定基準が期待効用として書けるときにそこに出てくるものを「確率」みなすと定義してるだけやで。そっから先は科学哲学やるしかないと思うで(やってもあんまり意味ないと思うけど)。
レスしてる方の増田だけど、例えば数学や物理学(基本的に順問題の学問)は人類には早いということはないと思う。
統計学は本質的に逆問題で、決定不能性を常に孕んでるんだよね。そこをどうにかするために頻度論とか決定理論とかベイズとかの主義を入れるんだけど、それはロジックを完結させるためにはそうするしかないという形で導入される原理なので、往々にして現実に起こっていることとは乖離がある。
統計学を使うときは常にその乖離を意識して結果に悪影響を及ぼしていないかを確認しながら使う必要があるんだけど、これが人間の認知能力的にほぼ不可能に近い。だから一般人はもとより研究者でもすぐp値ハックにハマったりクロスバリデーションを怠ったりして意味のない分析を量産してしまう。