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2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。

第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである

第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること

↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる

第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない

 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)

 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。

(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)

・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている

科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。

構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-12-11

訳が分からない「うらやましさ」

会社社員寮にて。

後輩たちが忘年会に行くのを見た。

うらやましい。

自分の代は既に同期の中で仲良しグループが出来上がっていて、そうしたグループ内だけで忘年会をやることになっている。

自分はどのグループにも所属しておらず、誘われない。

先輩の部屋の前にスキー板が立てかけてあった。

スキーから帰ってきたようだ。

休日アウトドアか。

うらやましい。

自分インドア派だから

なんでうらやましいと思うのかが自分でも分からない。

忘年会に行きたければ同期を誘えばいいし、スキーに行きたかったら、スキー板とか一連の道具を買うなりレンタルなりして、スキーに行けばいい。金ならボーナスも出て500万以上の貯金がある。

できるのに、やろうとせず、そしてなぜうらやましがるのか?

自分でも不思議だ。

いや、違う。

自分忘年会とかスキーをすることがうらやましいんじゃない。

忘年会を楽しめる」「スキーを楽しめる」その体力や感性がうらやましいんだ。

正直、忘年会に誘われても酒が飲めないから酒臭いのが嫌だから行きたくない

スキーに誘われても寒い上に、滑れないし、疲れるだけだから行きたくない

でも、自分にとっては苦痛以外の何物でもないこれらを、彼らは楽しそうにこなしているのだ。

社会でより求められる、もしくは、実社会により適応できるのは、私と彼らどちらだろうか?

当然彼らである

淘汰圧は、彼らではなく私を排除する。

このことを無意識に私は感じていて、それで彼ら(彼らの体力や感性)をうらやましいと思っていたのだろう。

2011-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20111118000946

同級生や同僚が風俗で働いてても全然苦しうないし、

俺は結婚しないだろうから嫁どうこうは考える立場にすらない。


っていうか真面目な話で

俺以外の人はどういう感覚なのかな。

嫁、つまり家族になるぐらいだとまた面倒なこともあるのかも知らんけど

同級生や同僚が水商売やら風俗やらで働いてるとして

なんか不利益とか不都合とか不快とかあるのか?


俺の場合は、今リアル想像してみて本当に全くなかった。

マジでどうでもいい。余暇趣味スキーサーフィンかっていう話題ぐらいどうでもいい。

まだ世の標準的な常識とか良識っていうものではそこは抵抗ある人のほうが多いのかね?

2011-10-31

からスティーブ・ジョブスへの弔辞

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs

モナ・シンプソン (Mona Simpson)

2011年10月30日

私は母子家庭一人っ子として育てられました。

しかったので、そして父はシリアから移民だと教えられていたので、

父については、オマル・シャリフのような人ではないか想像していました。

裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。

のちに面会したとき、私は、父は理想燃える革命家で、アラブ新世界を導く人だったのだと、

から転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。

私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。

二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。

25歳になってその人に出会いました。

それが兄でした。

私は当時、ニューヨーク処女作を書こうとしていました。

他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌仕事をしていました。

ある日、弁護士が私に電話をかけてきました。

その弁護士は、上司健康保険をねだるような、カリフォルニア中流階級の娘である私に、

「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。

同僚編集者たちは騒然となりました。

時は1985年、そこは新興文芸雑誌の事務所、

それでも私は大好きなディケンズ小説の筋書きに放り込まれたようでした。

弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。

一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ

私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズ後継者

何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。

初めて会ったときスティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。

オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブユダヤの顔立ちでした。

私たちは長い散歩しました。

偶然にも二人ともそうするのが好きでした。

何を話したのかはあまり覚えていませんが、

とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています

彼はコンピュータ企業で働いていると言いました。

コンピュータのことはあまり知りませんでした。

私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。

コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。

Cromemcoという名前でした。

スティーブは、そのときまで待ったのは良かったと言いました。

彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。

これからスティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います

つの期間、合計27年間に渡って、私は彼を知っています

期間を区切るのは年数ではなく、生き様です

彼の充実した人生

彼の病気

彼の死。

スティーブ自分の愛するもの仕事しました。

彼は頑張って働きました。

毎日働きました。

とても単純ですが、本当のことです

彼は散漫の対極のような人でした。

彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。

スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。

彼はAppleを追い出されて、つらい時期を過ごしました。

彼はシリコンバレー指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。

スティーブはそこに招待されなかったのです

彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。

スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。

イノベーターにしては珍しく、スティーブは物事に忠実でした。

シャツが気に入れば、同じものを百枚注文しました。

パロアルトの家には、黒いコットンのタートルネックが、

おそらくこの教会にいる全員分はあると思います

彼は流行や小道具を好みませんでした。

自分と同世代の人が好きでした。

彼の美学はこういう言葉を思い起こさせます

ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの

スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。

彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。

パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーNeXT に通い、

あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。

それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、

ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。

愛について話す時間の長さにかけては、スティーブ女の子並でした。

愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。

はいつも、一緒に働く人々の恋愛生活を気にしていました。

女性が気に入るかもしれない男性を見つけると、

独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。

彼がローリン出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。

「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」

リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族愛情を注ぎ続けました。

彼はどの子にとっても実の父親でした。

リサの彼氏と、エリン旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。

リード卒業パーティに出席した人はみな、リードスティーブゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。

ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。

はいつでも、どこでも発露するものだと彼は信じていました。

スティーブ皮肉や冷笑や悲観とは無縁でした。

私は今も、そのことを学ぼうとしています

スティーブは若くして成功した人でした。

彼はそのことで孤独を感じていました。

私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。

ロスアルトから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。

二人にとって、リサとリードエリンイヴ普通の子供として育てることは重要でした。

彼らの家には押し付けがましい美術品などはありませんでした。

スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、

夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。

一種類の野菜をたくさん。

一種類だけです

ブロッコリー

旬の野菜

簡単な調理。

とれたてのハーブなど、適切なものを適切なだけ。

若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。

ジーンズを履いて待っていてくれました。

家族会社電話をしたときには、秘書のリネッタが

「お父さんは会議ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。

リードが毎年ハロウィン魔女のかっこうをしたがったときには、

スティーブ、ローリンエリンイヴ魔女になりました。

彼らはキッチン改装に取りかかったことがあります

何年もかかりました。

そのあいガレージでホットプレートを使って料理しました。

同じころ建設されていた Pixarビルはその半分の時間で完成しました。

パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。

バスルームは古いままでした。

ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。

スティーブは目利きでしたから。

彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。

何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。

パロアルト自転車屋に行って店内を眺めて、

その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。

そして実際、買いました。

スティーブ謙虚でした。

スティーブは学びつづけるのが好きでした。

彼はある日、育ち方が違っていれば自分数学者になっていたかもしれない、と言いました。

彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードキャンパスを歩くのが好きでした。

最後の数年間、彼はマーク・ロスコ絵画の本を研究していました。

それまで知らなかった美術家を知ってから

未来Appleキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。

スティーブは物好きなところがありました。

イギリス中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッドオースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?

はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。

たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、

きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います

彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム

彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、

ニューヨークタイムズを開いて会社特許の特集をみたとき

こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。

四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブ楽しい人生を送りました。

彼は幸福大事しました。

そしてスティーブ病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。

それまで彼は、パリ散歩するのが好きでした。

彼は京都で手打ちそばを見つけました。

スキーでなめらかに滑降しました。

ドタドタとクロスカントリーしました。

もうできませんでした。

最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。

ですが、私が驚くと同時に彼の病気から学んだことは、

多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。

兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。

彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。

メンフィス病院廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、

そこで座って一休みして、

引き返してまた歩きました。

彼は毎日歩みを数え、毎日より遠くまで進みました。

ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。

あなたならできる」と彼女が言うと、

彼は目を見開いて、唇を引き締めました。

彼は挑戦しました。

いつもいつも挑戦しました。

その試みの中心には愛がありました。

彼はとても直情的な人でした。

その恐ろしい時節、私は、スティーブ自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。

目標をさだめていたのです

息子リードの高校卒業エリン京都旅行

家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。

病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。

看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。

トレイシー、アルチュロ、エラムです

スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき医師はすべてを、氷をも禁じました。

私たちは標準的なICUユニットにいました。

スティーブは普段割り込んだり自分名前ものを言わせたりすることを嫌っていましたが、

このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。

「これが特別治療だよ」と私は伝えました。

彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。

挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。

そしてiPad病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。

新しい液晶X線装置設計しました。

特別さが足りないと言ってユニットをもう一度描き直しました。

妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。

一生のお願いから、頼む、と彼はメモ帳に書きました。

こちらを見上げて、お願いだから、と。

彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。

私たちは自分が何年生きられるか知りません。

スティーブ健康だったころには、その最後の数年にも、

彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。

オランダ造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。

三人の娘はまだ結婚していませんし、二人はまだ女の子です

私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。

私たちはみな、最後には、途中で死にます

物語の途中で。

たくさんの物語の途中で。

ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、

スティーブの死は私たちにとって突然でした。

二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。

どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです

火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。

声には熱と愛情がこもっていました。

同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまたかのようでした。

申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、

私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。

彼がさよならを言おうとしたとき私は引き止めました。

「待って。行きます空港タクシーで行くから。きっと着くから

「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」

着いたとき、彼はローリン冗談を言い合っていました。

毎日一緒に暮らしてきた夫婦のように。

視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。

昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。

そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。

呼吸が変わりました。

つらそうに、やっとの思いで息をしていました。

彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。

これが私が学んだことです

彼はこのときにも努力していたのです

死がスティーブに訪れたのではありません。

彼が死を成し遂げたのです

彼はさよならを言い、すまないと言いました。

約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。

そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。

フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。

彼はその夜を越しました。

ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。

彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。

やらなければならないことでした。

はいまだに、厳しいハンサムな顔立ちをしていました。

絶対主義ロマンチストの顔立ちをしていました。

その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。

山を登っているようでした。

その意志、その使命感、その強さと同時に、

そこにはスティーブ不思議を求める心、

美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。

その数時間前に出た言葉が、スティーブ最期言葉になりました。

それは三度繰り返す単音節言葉でした。

船出の前、

彼は妹のパティを見て、

子供たちをゆっくり見て、

人生の伴侶ローリンを見て、

そして皆の肩の向こうを見ました。

スティーブ最期言葉は次の通りです

OH WOW. OH WOW. OH WOW.

2011-07-31

この一ヶ月くらい、同期の女の子と一緒に仕事をしていた。

まあ色々と助けてもらったし、一緒にランチも誘われて行ったりしたから仲は悪くないと思う。

で、金曜に打ち上げで飲みに行ってそのまま各自解散して就寝したんだけど、彼女が夢に出てきた。

と言っても、実際に夢に出てくる感じとは少し違う。

スキーを滑りに行ったり、一日泳いで帰ってきた後、夢の中でもスキーを滑ったり泳いだりすることがある。起きている間に散々体感した身体動作を、夢の中でもトレースする感じ、と言えばいいだろうか?その感覚に近い。

その子と技術的な議論をしたり、打ち合わせをしたり、雑談したりする会話のリズムを夢の中でトレースしている感じ。不快ってんでもないんだけど、人間人間の会話でリズムを取る行為って、案外身体的なんだなー、というのが率直な感想

2011-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20110719230215

「もう一人の増田」の方だけど、「オフ会」ってコミュニティネットにあってオフで会うこと全般だべ。

大規模な催しもあれば、小規模なものもあるし、大規模な物でも「フットサル大会」とか「スキー合宿だってあるんだぜ。

全国から集まるタイプものも、自転車ツーリングオフとか腐るほどある。

ほかのところでも書いたけど、観測範囲と想像の方向が偏りすぎてるように思う。

んで、そういう自分の考えに不都合なものを全部「元々リアルで知り合い」ってカテゴリに閉じ込めようとするから、無理が出る。

http://anond.hatelabo.jp/20110719184119

確かにある程度何かを突き詰めて楽しもうとするとそれなりの金がかかるものだしな。

別にスキーゴルフだいわんでも、ある作家の作品を全部集めるとかしようとしたら、明確な意思を持って予算をそれに振り向ける必要がある。

同じような趣味の持ち主は経済階層も似たような者になる確率が高いから、カップルが成立しやすいというのもあるんじゃないだろうかと思った。

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110718144443

だよね。もともと需要がないんだから、そこに無理にお金動かしたって歪が出るだけ。

まあ弱者擁護スキーな人々にとってはそんなの関係ないんだろうけど。

2011-06-20

腐女子」とマスゴミ

マスコミ腐女子言葉定義を「=女オタク」にしたいわけか?

ガチ晒し者にしてあざけりたい、ヲタカルチャーにおいても言葉定義から支配したいわけか?

・・・あえて大げさに言っては見たものの、しかしてマスコミ(主にテレビ)がヲタクカルチャーに何をしたいのかわからない。

電車男から男性オタクを数々釣るのに成功してきたマスコミだが、ヲタ女が釣れないからと必死なのか。

ヲタ女を報道する際意図的に「BL801スキーの」という部分を「オタクの」に摩り替えるように報道して

腐女子オタク女子」という定義を世の中に作り上げたいのか?そのメリットは?

キモイ女とスイーツ女みたいな差をつけて好奇の目で面白おかし晒したいの?

今のところ、というよりも、元々腐女子たちは腐女子であることを理解ある人間以外に漏らすべからず、

むしろ平然と嬉々として腐であることを口に出すものを嫌う閉鎖的文化がある為に

ヲタよりも報道される数が圧倒的に少なくてすんでいるという部分はあると思う。

そもそも腐でなくたってヲタ属性がある女のサイレントマジョリティは隠れヲタなはず。

いい年こいて家に漫画が数百冊数千冊ありますとか、フィギュアタワーがありますなんて絶対口外できない。


そしてちょい脱線

本音をいうと、腐でない、801が駄目な属性純粋漫画好き女や男女カップルが好き女さん達)からすると

腐という言葉801好きと一緒にされたくないという意識はすごいあるはず。

漫画読んで作品考察をするのが好きなのに、男同士をカップルにして萌えるのが好きな人種と一緒にされたらそれは、

ただ南の海の景色が好きなのに、砂浜でナンパするヤリマンと一緒にされたという位嫌なこと。

同じオタク属性だけれども、嫌悪すら抱く人も居るくらいだし。

からこそ腐女子属性は腐でないヲタ女とも一線を引くし、腐でない女はまだ「オタク女」と呼ばれる方がましと考える。

そんな女オタク世界漠然とした空気もあるよということで。


一時腐女子彼女だの801ちゃんだのプチブームになったけれど、大ブームにはならなかった。

本当にブームにならなくてよかった。ならない土壌があったともいうけど。

なってたら腐女子という言葉定義ヲタ女として世に浸透してたかもしれないし。

出来ればこのままマスコミ腐女子とその世界に触れずにいるか、飽きてしまうことを心底祈る。

最近になって偏見の目でみられるその数十年以上前から、自らを変態だと自覚して腐と自嘲し、世間では擬態し続けているのに

その辺の女心を踏みにじって好奇心のまま荒らそうとするマスゴミはとりあえずガチで逝ってほしい。

2011-06-16

ドラッカーなんかより本田宗一郎藤沢武夫

ドラッカーなんかより本田宗一郎藤沢武夫のほうがと思うんだがね。

彼らのエピソードなんかはいくらでもあるけど、まあそんなことよか本田技研がどんな会社Wikipediaやらなにやらで調べてみてくれ。

精神性が伺えると思わない?

人事・就労条件

縁故採用をしない。

社長技術

・積極的な中途採用

・他社より良好な労働条件

環境に対する取組

・マスキー法の環境規制を他社に先駆けてクリアするもその技術を他社に無償提供

バイオマス発電

砂漠緑化運動

・CO2排出量において優位性を持つクリーンディーゼルエンジン

太陽電池事業

安全に対する取組

日本車で初のエアバッグ搭載

寒冷地仕様がなく全車種が寒冷地でも乗れる

世界初追突軽減ブレーキ

・追突前に自動的にシートベルトを引き込む「E-プリテンショナー」

その他

・超小型の発電機

・芝刈機のシェア世界一

発電機除雪機、小型耕うん機のシェア国内トップ

・他社に先駆けて船外機の4ストローク化を行い、その性能は米国で4年連続顧客満足度第一位

ホンダジェット

ASIMO

防災ヘリコプターの運航受託救急ヘリでの医療搬送サービス

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E6%8A%80%E7%A0%94%E5%B7%A5%E6%A5%AD

2011-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20110516152300

クロポだけじゃ実芋スキーなのかさいろー好きなのかまた別の要因か分からんから何とも

エロけりゃなんでも良いなら妻みぐいとか

2011-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20110212224956

オレは初音ミクスキーだが、なんか違う気がするな。

ミクの声に違和感?とかなんとかって違うんだよな、人は人それぞれで声が違うもので、ミクの声の人との違いはその個人差の中に埋没すると思うんだよ。

からあとは曲の問題だし、歌わせ方の問題だし、PVの問題だったりするわけだ。

ドラマアニメ主題歌がたくさん売れるのは、そのOPEDPVの役目を果たしているからだと思うよ。

からPV重要で、ニコニコ動画youtubeがない時代だったらミクがこんなに売れることはなかっただろうね。

萌え絵なんてものはお上手とかお下手ですねとかより、可愛いかどうかでしかなくて、その点ちょっと小奇麗な絵よりヘタクソなほうがかえってよかったりするわけで

たとえばさ、ピカソってめちゃくちゃ絵上手い人なんだよ。

でも晩年は一見下手な抽象画を描いてたろ?

あれ、上手いんだよ。

つまりさ、君が言ってる上手い下手っていうのは恐らくはより写実的かどうかということなんじゃないかな。

でも萌え絵ってさ、写実じゃないんだよ。現実はいないんだから

抽象画なんだから、より抽象的に可愛い表現できれば写実的である必要性はないんだよ。

下手に見えるのにこっちの方がいいなーっていうのは、可愛いをちゃんと表現できてるってことなんだよね。

から、不完全なわけではないと思うんだ。

むしろ萌え絵としてはより完全に近いと言っていいと思うよ。

2010-12-04

再び、恋愛について

彼女いたことはあるんだよね?」

はい。」

恋愛に興味が無いとか言ってたけど、実際どうなの?」

「なにがですか?」

「だから、興味ないとか言いつつ恋愛してるじゃん?」

はい。」

「それってどうなの?」

「どう、と申されましても。」

「嘘なの?」

「嘘ではありません。」

「じゃあなんで付き合ったの?前も聞いたかもしれないけど」

「そうですね。成り行きで、とでも言いましょうか。前も言ったかも知れませんが。」

「…まあいいや、成り行きで付き合った。確かどっちも告白とかしてないんだよね?」

はい。」

恋愛は、楽しかった?」

「そうですね。」

「楽しかったの?じゃあ、またしたい?」

「それは、いいです。」

「え?なんで?楽しかったんでしょ?」

「そう、ですね。」

「どういうこと?はっきり言ってよ」

「細かいことになってしまいますし、言い訳じみたことを言わないといけませんから。」

「いいから、細かく聞きたい

はい。正直なところ、あまり覚えていません。すぐ最近の話ではないので忘れていることもありますし、特に、当時の心境などというのは、『今思い返せば楽しかった』というのと、『当時楽しんでいた』こととはまた違いますから。今思えば楽しかったんだろうな、とは思いますが、当時自分がどう思っていたかは思い出せません。」

「好きだったの?相手のこと」

はい。当時は。」

「今は?」

「今はもう、一番最近の人でも、別れて何年も経ちますから。」

「好きじゃないってこと?」

「そうですね。」

「なんとも思ってない?」

「なんとも、というわけではありません。今は友人です。」

「友達になったの?」

「そうです。一度付き合った人なので、他の友人とは少し違いますが、親しい友人です。」

「へえー…なんか変だね、それって、今まで付き合った人全員?」

「全員というわけではありません。中には連絡が取れない人もいますので。」

「だよね、全員だったら気持ち悪いよ」

「そうですか?」

「だって、また好きになったりしないの?」

しません。」

「なんで?当時を思い出したりしないの?」

「思い出すこともあります。かといって、また付き合いたいなどとは思いません。」

「でも、当時楽しかったんでしょ?」

はい。」

「もしかして、遠慮してる?」

はい?」

「本当に楽しかったの?今も友達だから遠慮してるんじゃないの?いい人だし、彼女だったんだから、本当は付き合って楽しくなかったけど、楽しかったって思わなければ相手に失礼だとか思ってない?」

「思ってないです。」

「じゃあ、おかしくない?なんで楽しかったのにまた付き合いたいと思わないの?しかも今も親しいんでしょ?前は好きだったんでしょ?ちょっとぐらいそう思わない?」

「当時、楽しかったのは遠慮でもない事実です。そして、また付き合いたいなどと思わないのも事実です。」

「うーん…なんでもう付き合いたくないの?」

「え?」

「だって、前好きだったんでしょ?なんでもう付き合いたくないの?」

「なんでって、別れたからに決まってるじゃないですか。」

  

「え、別れたらもう好きにならないの?」

「私は、なれません。」

「なんで?」

「なんでと申されましても、じゃあ何故別れたんですか?もう無理だったから別れたんですよ?それなのに、また好きになるとか、おかしくないですか?」

「おかしくない。また好きになることもあるよ」

「…そうですか。私はありません。また好きになるぐらいだったら、別れたりしません。」

「壮絶だったの?」

「なにがですか?」

「…えっと、じゃあ別れたら絶対好きにならないの?」

「ならないと思います。」

「そこまで割り切れるの?」

「割り切るというわけではなくて、私にとっては好きになったり付き合ったりというのが、ものすごく不自然ことなです。よくあること、ではなく、普通に生活をしていたらまず無いことなです。それは、私の日常生活および、人生の中で、人を好きになること、恋愛をすること、というのが、初めから含まれていないから、とでも言いましょうか。

つまり、前にお話したように、元々関心の無いことなので、非日常なのです。異常事態なのですですから、一度その異常事態に突入して、別れたという形で失敗したにもかかわらず、もう一度その異常事態に突入しようと思いますか?失敗の原因が解決できているなら、それもあるかもしれません。しかし私には何が失敗だったのかもわかりませんし、もう、そういう原動力は起こりえないのです。」

恋愛は、ハードルが高いってこと?」

はいハードルなんて生易しいものではありません。私にとって宇宙旅行のようなものです。」

「なにそれ、それは言いすぎでしょ、意味わかんない」

「それぐらい難しいということです。第一、私は恋愛したいなどとは思いませんから」

「でも楽しかった」

「どちらかと言えば、やはりいい経験だったと思います。でもまたしたいとは思いません。特に同じ相手とは無いでしょう。あなたにもそういうことあるでしょ?」

「ないない!恋愛はずっとしてたいし」

恋愛はなくて、いい経験だったけれど、二度とごめんだという事です。すごく厳しかった習い事とか、アルバイトとか、受験勉強とか、そういうのありますよね?」

「あー、そうだねー、就職活動とかかな?二度とやりたくないけど、自分を見つめなおす機会になったし、勉強にもなったかもしれない。就活中に友達になった人もいて、楽しいこともあったけど、やっぱり二度とやりたくない」

「それと同じよなものです。」

「え?、違うでしょ?だって就活は、できればやりたくないけどみんな仕方がなくやってるものだよ?基本的に楽しくもなんともないよ?みんな嫌々やってるし」

「そうですね。その点は違います。そこまで深刻ではありません。でも似ています。」

恋愛と?」

「私にとっては。」

  

「何がそんなに嫌なの?」

「嫌、というわけではないんですが。単純に関心が無いだけで。」

「でも嫌だったんでしょ?」

「そうではありません。楽しかったと思いますよ。」

「でももう二度としたくないんでしょ?」

「そういうわけではありません。恋愛については、したいもしたくないもありません。ただ同じ人と付き合うことはもう無いだろうってだけの話です。」

「なんで?」

「別れた、という結果を経ているかです。もう一度同じ事をしたとしても結果が見えているかです。それはあまりに不毛なことでしょう?そのために傷ついたりするのはごめんです。」

「傷つくの?」

はい。だって、異常事態ですから、負荷や圧力は尋常ではありません。ましてや、一度別れるに至るまで冷め切った間柄なのですから、それを乗り越えてもう一度付き合うなどということは、私個人の心情としてはあり得ません。」

「じゃあ、あなたから見て、一度別れた人とまた付き合ったりしている人はどう思うの?」

「くっついたり離れたり、というやつですか?」

「そうそう」

「そうですね。私から見て、彼らの付き合うことに対するハードルは、私に比べると非常に低いものだと思われます。軽いという意味ではありません。彼らの中には恋愛というものが日常に組み込まれているのではないでしょうか。私にとって異常事態でも、彼らにとっては普通ことなのかもしれません。ですから、私のように恋愛に対して脅えることもなければ、血圧を上げることも無いのかもしれません。失敗も成功も、それも日常的なのかもしれません。私にとっては宇宙旅行ですが。」

「よくわからないけど、恋愛が好きか嫌いかってことね?好きだから簡単に付き合うけど、嫌いな人は付き合ったり別れたりするのも嫌ってことね。」

「少し違うような気がしますけれど、似たようなものです。」

  

「じゃあ、新しい人となら付き合いたいの?」

「これは、何度もお答えしたように、どちらでもいい、です。」

「じゃあ、好きになったりしないの?」

「そうですね。その好きというのがよくわかりませんから。」

女の子に興味ないの?」

「語弊があるかもしれませんが、飽くまで本能的には反応します。理性的には、女だからというだけで特別興味を示すことはありません。」

「どういうこと?」

ですから、これも前回の繰り返しになりますが、女性を性欲の対象としてみることは出来ます。その時以外は、ただ人間としてみるだけです。」

「惚れたりしないってこと?」

「そうです。その感覚です。私がよくわからないのは。」

「うーん…簡単に言えば、興味持つってことじゃないの?」

「興味ですか。」

「うん」

性的にではなく?」

「どっちも含めて。でも、普通付き合いたいと思う相手を最初っからただセックスの対象としてだけは見ないよね?」

「そう、でしょうね。」

「だから、人として興味を持つことと、惚れることって同じじゃないの?」

「難しいですね。」

「なんで?」

「だって、ヘテロセクシャル人間でも、同性にも興味は持つでしょう?」

「あ、そうだね。じゃあ相手のことをもっと知りたいって思うこと?」

「それも、同性にだって思うことはありますよね。」

「あるね。じゃあなんだろう、相手と一緒にいたいと思うことかな?」

「それだって、同性にも思うじゃないですか。家族にも思いますよね。それが惚れるとか付き合うとかと同じですか?」

「違う違う!、なんて言えばいいんだろう。」

「私が思うには、」

「なになに?」

はい。私が思うには、これはとても単純なことで、本当は言うまでも無いと思いますが、」

「うん」

恋愛というのは、やはり、根源的には人類が子孫を残す上で必要な、ボカシ、マヤカシに過ぎないんですね。神聖なものでも高等なものでもなく、とても純粋な、ただ子孫を残すためだけの、言い訳とでも言いましょうか。それが人間心理、知能の発達に比例して、他の動物よりやや複雑になったというだけなのでしょう。結婚という制度もその上で出来上がったのでしょう。

人間特有の芸術文明といった、子孫繁栄に直接不要なもの、とは少し違いますが、同様に発展した、子孫繁栄という目的を完遂することだけに囚われなくなった、文化の一つだと思います。」

石田純一たいなこというね」

「趣は全然違うと思いますが。」

「うん、全然意味わかんないし

「そうですね、例えばですね、」

「例えば?」

「例えば、有名な話で、スキージャンプという競技がありますよね?」

「うん、冬季オリンピックってもう終わったの?」

すみません、それは知りません。」

「まあいいや」

はいスキージャンプという競技、もともとは刑罰だったと耳にした事があります。」

「そうなの?刑罰って、鞭打ちとかと同じ?」

「そうですスキーを履かせて高いところから飛ばせる刑です。」

「恐ろしいね」

「そうです。恐ろしいですが、今は競技になっています。」

「なんで?」

「なぜかは知りません。囚人面白がって病みつきになったんじゃないですか?それはともかく、もともとの、刑罰という目的から外れて、スキージャンプは競技として、オリンピック種目になるほど発展しました。」

「そう考えるとすごいね

はい、それと同じです。」

「何が?」

恋愛です。」

「どこが?」

子供を作る言い訳だったのが、子供を作るという本来の目的だけに囚われることがなくなり、その言い訳の部分だけ人類の叡智と長い年月を経て文化的に発展を遂げたことです。」

「急にわからなくなった」

「私にもよくわかりません。」

  

「何が言いたかったんだっけ?」

はい。元を辿れば、子孫繁栄です。」

「うん、そうだね」

ですから、私で言えば性欲が存在しますので、その点ではズレは生じておりません。」

「子孫繁栄だけで見ればそうだね」

「そうです。そして、恋愛とは、その子孫繁栄に付属する要素の発展系です。」

恋愛=子孫繁栄じゃないからね」

はい。私はその、発展についていけませんでした。」

「なにそれ、どういう意味?」

はい。私にとっては、スキージャンプは刑罰以外のなにものでもないのと同様に、私にとって、子孫繁栄にとりまごまかしというのは、スキージャンプオリンピック競技までの発展についていけませんでした。」

「わかりにく!」

「子孫繁栄だけに囚われなくなった、発展した概念として、そこに存在はするのはわかりますが、理解や関心の対象とならなかったということです。」

「…ううん」

ですから、惚れるということがよくわかりません。」

「ごめん、やっぱりわからない」

「私も言っていてわかりません。」

  

「じゃあ、恋愛についてどう思った?」

「どうといいますと、恋愛の何についてですか?」

経験してみて、どう思うの?楽しいって言ったり、もうしたくないって言ったり、どうでもいいって言ったり、結局どう思ってるの?」

「ええと、ちょっとまってください、それぞれ言ってることを整理してもいいですか?」

「どーぞ」

はい。まず、私はもともと関心がありません。」

恋愛に?」

恋愛に。」

「うん、それで?」

はい。元々関心はありませんが、何度か付き合うことになりました。」

「うん」

「それは、今思えば楽しいことでしたしかし、別れました。」

「そうだね、今独りだもんね」

はい。楽しかたから、といって、やはり興味をひくものではありませんでした。」

「え、ちょっとまって、」

はい。」

「それはどういうこと?」

はい楽しいと感じたからといって、全てにおいて興味を持ちますか?そんなこと無いですよね?」

「うーん、どうだろう」

「例えば、私はスノーボードを2回だけやったことがあります。」

「2回?なにその2回って」

「なんかそういう機会があったのです

「うん…そうなんだ。それで?」

はい。それでですね、スノーボード2回だけやったんですが、楽しかったです。でもその2回しかやったことはありません。」

「それって最近の話?」

「2年前です。」

「もう行きたくないってこと?」

「そういうわけではありませんが、楽しいと感じたからといって、興味は持てなかったという意味です。」

「うーん、めんどくさいって事かな?」

「少し違います。心が動かないとでも言えばいいでしょうか。ただ楽しいだけなのです。」

「そんなに言うほど楽しくなかったってこと?」

「そうですね、熱狂するほどではなかったですけど、楽しくなかったわけではありません。」

「なるほどねー面白いって思っても、誘われないとやらないこととかあるしね」

はい。私の場合恋愛もそれと同じです。」

「…同じなんだ」

「同じですですから、楽しいかったですけど、関心はありません。」

「それって、もてるって言いたいの?」

「なんかそれ、前も聞かれましたね。もてませんよ。」

  

「まあいいや、恋愛についてはどう思っているの?関心が無いにしても経験したんだから感想ぐらいあるでしょ?」

感想ですか。」

「そうそう、どうだった?」

「そうですね。非常に苦しかったですね。」

「苦しい?さっき楽しいって言ってなかった?」

はい。一経験としては楽しかったですけど、恋愛そのものは非常に苦しいものだと感じました。」

「何が苦しいの?」

「なんといいますか、この、システム苦痛なのです。」

システム?なにそれ?」

システムってなんでしょうね、何て言えばいいのでしょうか、恋愛の仕組みとでも言いましょうか、過程、ですかね、わかりませんけど、それがとても辛かったです。」

「何がつらいの?」

「あの、感情のぶつかり合いです。」

「うわ、苦手そう…」

「あれは恐ろしいです

  

※前回、前にも、

http://anond.hatelabo.jp/20101122004732

2010-10-24

北の国からが苦手だ

あれのせいで、北海道に変なイメージを持っている人が未だに多すぎる。ネット越しに色々な地域の人と話すようになって、それが顕著に頻繁に感じられるようになってきた。

以下は極端でもなんでもなく、しょっちゅう言われる事だ。

冬は二階から出入りするんでしょ

北海道でそれほどの豪雪なのは、日本海側の一部だけ。だとしても、二階から出入りするという話は聞いたことない。殆ど雪が積もらない地域もある。札幌比較的雪が多いけど、それでも本州日本海側の豪雪地域程ではない。

基本的に、寒さと積雪というのは別の要素。

家が寒い

最近、ちゃんと理解してる人が増えてきたかも。

北海道の家は作りが違うので、冬でもあったかいし、部屋の一部分しか暖かくならないなんてこともない。例えば今の外気温は、13度だけど、暖房はつけてないよ。室温は22度くらいある。ちなみに今半袖だよ。

最寄のスーパーまで車で数十分かかるんでしょ

少なくとも市がつく所に住んでいれば、そんなことはない。札幌に住んでいると言っても、本気でこう聞いてくる人がいる。

スタバの話して、「え?北海道スタバあるの」な反応されるようなケースも結構ある。もう慣れたが。北海道にしか住んだ事のない自分でも、札幌本州都市に比べれば田舎だと思うが、それでも過剰に田舎(店が無い、隣の家まで数百メートル等)と思ってる人がいまだにいるのには困惑する。

家の裏に熊がでるんでしょ

でねーから。

山近くにいたら野生動物がでるのは、北海道じゃなくたって同じだろ。なんで北海道だけ街中に熊が出ると思ってるんだ。

泳げる海が無い

夏になったら普通に海水浴場は人であふれる。

積丹や島牧方面にいけばダイビングスポットになるほど綺麗な海もあるけど、観光客は何故かあまり興味を持たないようだ。灰色によどんだ海しかないと思ってる方が多い。"積丹ブルー"で検索してみるといい。

逆のケース

と、このように変に偏った見方をされる反面、肝心なところはさっぱりだったり。

道央道道東を2日で観光などと言い出す

旅行計画を立ててる人にありがちなんだけど、距離感根本的に違ってる。

都市間が200~400km離れてたりするよ。地図を良く見ること。一般道でもかなり流れが速いから、一日に車で移動できる距離は首都圏に比べたら圧倒的に大きいけど、それでも無理な計画をする人が多すぎる。

新幹線がないし非電化区間が多いからJRは遅いと思われてるけど、スーパー北斗などの振り子特急ディーゼルとしてはキチガイじみた速度で走ってる。JRも意外と使えるよ。非電化区間の架線のないクリア風景をお楽しみください。

経済状況

悪い。

最低時給とかちゃんと見てね。多分本州のどこよりも低いよ。首都圏とは話がかみ合わないくらい、賃金感覚が違うよ。そして実際に最低時給しかでない環境が多いという事実ももっと知られるべき。

夏すずしい

一般住宅クーラーはないよ。小さな会社だと無い事も多いよ。札幌は夏30度いくよ。それでもそっちの夏よりは過ごしやすいらしいけど、クーラー無いとダメって人は覚悟した方がいいかもね。

もちろん、夏でも涼しい土地もある。南ほど暑いわけではなくて、函館札幌よりも夏涼しく冬暖かいし、旭川は夏暑く冬寒い

イクラ丼

筋子買って、イクラの醤油付け作って、自分で作って食え。

ゴキブリ

何故か最近北海道でもゴキブリが出ると思ってる人が多い。潜まれる恐怖だろうか。24時間営業暖かいお店に小さいのがいるくらいらしい。自分は生まれてこのかた、ゴキブリを見たことがない。

旅行に適した季節

避暑のイメージがあるのか夏に来る人が多いけど、北海道7月中旬8月は天気が悪い。7~8月に訪れて、雨天に泣いた人を何度も見てきた。一年で最も晴れているのは6月花粉症梅雨を避けて、花も芽も一斉に芽吹く快晴の6月旅行おすすめ。日が長いので日程を余裕もって取れるのもいい。

道民は大抵6月って答える。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1780166.html

でも6月が良いと思うのは雪国の人の感覚で、普通はありがたくもなんともないと首都圏の方に言われたのだがそういうもんなのか。普通に快晴続きだし過ごしやすい天気で日が長いし旅行向けだと思うんだが。

冬に来る人はスキースノボ目的だから天気関係ないよね。冬は殆ど天気悪いし。

2010-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20101013154149

おっさん(30歳以上)

  →ぎりぎり当てはまらない。

身長(170cm未満)

  →165です。

低学歴マーチすら出てない)

  →首都圏国立大学。調べたら、河合塾偏差値で60ぐらい。マーチっていうのがよくわからない。

不細工(下の中~下の上)

  →下の上と思いたい。けど実際は…。

ネットでは嘘ばかりつく

  →読むだけで書き込みはほとんどない。ブログもツイッタもやってない。

部屋が汚い、生活がだらしない

  →部屋がない。朝おきるのは8時、寝るの1時。夜はジョギング

中学高校は帰宅部

  →中学パソコン部の幽霊部員。高校は運動部

習い事をやらない、やっても続かない

  →たしかに。スキーダイビングも2~3年しかやらなかった。高校3年生の春に塾もやめた。金がない。

理屈っぽい

  →そのとおりだ。けど最近は年のせいか頭が回らない。長く生きても50歳だと思う。

実績も無いのにプライドだけは高い

  →ニートだから実績はない。プライドは高かったが、最近はそれを感じる機会がない。

友達がいない

  →友達はいない。彼女もいない。知り合いもいない。

アニメマンガネットなどインドア趣味しかない

  →ネット趣味だけど、最近ジョギング趣味。カネかからないから。

うまくいかないことは親のせい、社会のせい、時代のせい

  →そうだ、と答えるしかない。けど、何かやるなら、すべて自分のせいと考えるべき。

母親に対してだけ強気

  →母とふたりきりなので仲良くやっている。ふたりでよくサイクリングに行く。

年代の男女の前ではオドオドビクビクする

  →それはない。けど、10代の若者が怖い。いつも「殺される、あいつら麻薬やってる」と感じる。俺のカンは当たる。

ロリコン

  →中学のころはそのケがあった。いま好きなのは30の人。だが残念ながら結婚している。

どこへ行っても孤立する

  →一時的な関係の人とは仲良くできる。けど、長期的な関係は難しい。

人の話を最後まで聞けない、文章を最後まで読めない

  →そのときの精神状態による。女の話は先が見えるのでイライラする(出さないが)。文章は読める。

男には笑いものにされ、女にはキモがられる喋り方

  →ない。常に敬語。声が小さいので、「ささやくようにしゃべるな!」と言われたことがある。自覚はない。

嫉妬心が強く攻撃的な性格で、中傷が大好き

  →嫉妬心だけは強い。ほかはない。いや、攻撃的かも?

若者高校生大学生)が羨ましくてしょうがない

  →ない。そのころのほうがつらかったし、戻りたくない。

この投稿に「自己紹介乙」とコメントしたくなる

  →スラングいまいちよくわからない。「乙」の使い方がわからない。

2010-09-28

女は子供作りたくないっていうけど

なんでかね、と妹に聞いてみたら、

子供作ったら面倒だし大変だし、子供ができるぎりぎりまでは楽しみたいんだよ」

って言ってた。

…ま、それは一理あるとは思うんだけど、一つ盲点があると思うんだ。

子供ができるぎりぎりの年齢の女に、チンコ立つかどうかってことなんだけどさ。

30後半になってきたからそろそろ子ども作ろうかなー、ってのは、正直手遅れすぎると思うんだけど。

そんなの、熟女スキーじゃなきゃチンコ立てられないんじゃないのか。

好きな女なら高年齢でも立つのか。俺自信ないわ…

2010-09-17

価値観が同じ人に限る。

もう同じじゃない人と付き合いたくない。

本当に長くなればなるほど絶望の渦に巻き込まれるから。






例えばシーズンが切れたら服なんて流行遅れで着なくなってしまうモノだから

そんなに高いモノを買わなくたっていいと思う。

でも敢えてシーズンとか時代とかから外れきった、体にも合ってない安い服を着るのは許せない。

お金がないなら全身ユニクロ全然構わない。だから最低限の出資見立てはして下さい。全身8千円以内でコーディネイトでいいから。

例えば髪だって少なくたって構わない。ハゲとかボールドとか言い出す人もいるかもしれない

それは年齢重ねた証じゃないか。胸を張ればいいと思う。

ただ、抜けるのが怖いからとかで清潔にしないのはどうなの。

シャンプー水道代はケチると後で皮膚科の世話になる位荒れる人だって居るんだ。洗って下さい。

例えば食べるモノだって安くたって構わない。でもどう考えても材料費を物凄くケチったような安い店に入っていって、

店の中で不味いというのは辞めて下さい。不味いのに気付かないで美味しいとか言われると更に不安になります。

そして記念日に高い店に入ったら値段対サービスが合わないからってイライラしないで。貴方も店にそぐわない振る舞いしてるの。

だったら一緒に最低の価格よりも少し財布が痛む程度のレベル食材と酒を買って一緒に調理しようじゃないか。

不愉快になるようなレストランより余程いい。


例えば専門バカでも構わない。貴方が今生きる為の糧を稼ぐために重ねてきた知識じゃないか。

胸を張って専門を晒すがいいと思う。その内貴方の右に出るものはいなくなる筈。

でもね、せめて中学あたりで習う知識は忘れないでくれ。常識レベルの知識は保持して。戦国武将大化の改新よりずっと後。

専門の事は知らなくても恥を掻かないけど、そこは抑えておかないと一緒にいる人も恥ずかしいです。

将来子供に説明出来なかったり、子供自身が同じように見られるかと思うと心配です。


例えばスポーツに後ろ向きでもいい。元々運動神経がいいのはよく知ってる。

貴方は結構なんでもこなせます。テニススキーサッカー水泳もこなせます。正直羨ましいです。

私より後に始めたボードも初日から普通に滑ってジャンプも決めてましたね。アホかと。

でもね。同じ筋肉組成ではないので私は運動してないと太らなくても動けなくなるの。一人でも頑張ってるけど無理なの。付き合え。って

セックスだけがスポーツじゃないんだ。タコが。


そう。セックス。はっきり言って満足はしてます。でも貴方は供給過多。いえ、過剰。

私も貴方も残業月50越えは当然酷いときは150~200ですものね。ええ、ストレスが溜まってるのもわかります。

でもね、二人で合ってるからって疲れてる時は疲れてる。人が寝てるのにごそごそと動いて勝手に始めようとするのは

強姦行為に値します。デートレイプだばかやろう。もげてしまえ。タコ。こっちは眠いんだ。寝かせろ。

どうしてただ温度感じる程度に抱き合ってるだけじゃダメなんですか。脳の神経が異常をきたしてるんですかああ納得。





外の文化に触れる事に後ろ向きにならないで。旅行に出かける事にすら拒まないで。

日本にも見てない所が沢山あるじゃないとか言う割に旅行の計画を立てると仕事だなんだと大変後ろ向きですよね。

私実は海外旅行とか好きなんですよ。ええ、あまり行った事無いけどあの全くレンジの違う価値観に囲まれる瞬間好き。

あの文化的差異の中で普段気にもしなかったような事が見えるような現実逃避が好きなんです。

長くいたらそこにはそこの人達の生活もあるのは重々承知だけど、そういうのに憧れるんです。どうしてそこまで背を向けるのか。

じゃあもういいです。一人で行きます。だからその一人になる時間を下さい。






こういう理由で結婚直前までこぎ着けた相手と別れました。

今までに2度。

ちなみに両方とも仕事上の理由で別れた後に海外出張で飛ばされて散々こちらが言ってた意味が分かった、楽しいな。

とか言ってきました。あほか。もげてしまえ。

そんなちっちゃな事を気にしてた昔を思い出しました。

結婚前は両目を開け、結婚したら片目を瞑れっていうけど、

結婚間の時点で随分色々瞑っていたなああ。結婚したら瞑る所なくなるんじゃないかて程迄に。

恋愛は救いにもなる要素は沢山あったけれど、それ以上のストレス。歩み寄りを相手に求める割に歩み寄らない奴多すぎ。

仕事もやめたし、もはや恋愛にも結婚にも夢もないし、なんかいい事ないかね。

2010-09-16

今朝の夢はすごい

ホテルの部屋にいたら、なんか外国人スキー客?がどやどや入ってきて、

は?と思って、出てってもらったんだけど、

女の人が一人残って、なんか攻められた。

元からいっしょにいた店長と鏡の前でやった。

お漏らししてしまった。

不毛だ。

2010-08-17

問題と対策、そして次の時代の考察

不老長寿の時代は間違いなくやってくる。だが問題が一つある・・

それは、文明の発展を阻害する要因の一つ、老害だ。

老害高齢化が急速に進む今、間違いなく問題になってくる。

不老長寿が可能になれば、まず最初に利用するのは死を恐れる老人達だろう。彼らはだいたいが金持ちなので、若者と比べれば簡単に費用を出せる、病院にとってはありがたい客だ。

そうなると、老害いつまでも死なないということになり、今まで老害が死ぬことで前に進んできた文明が停滞する可能性が高まる。

老害過去に固執する性質をもつやっかいな人種だ。高齢化が進めば、確実に老害率も高まるはず。困った。

対策を少し考えてみた。

若者重視の政策をよりいっそう推進する。これがまず第一だろう。高齢社会とは子供が少なく老人が多い社会。ということは、手厚く保護されるべきは少ない子供。今までのように、5,6人産んで3人死ぬのが当たり前という社会ではないのだから、子供手当をはじめとして子供重視の政策は重要だ。

次に、体外受精の推進。現在はまだ発展途上だが、より優れた子供を産み出すデザイナーチャイルド社会にはたくさん必要になるはず。優れた人間がたくさん誕生すれば、老害社会から蹴り落とすことも可能なはずだ。

次に、それと関連したエリート教育の徹底化。哲人政治ではないが、社会は真に優れた人間が動かすことでより発展できる存在だ。現在エリート教育は行われているが、問題はエリートではない人間への待遇が悪すぎること、選択権がないことだ。私が描く社会とは、エリートだけが社会を動かすために要職に就き、それ以外の人間は就けないというものだ。もちろん、働かない自由も認められる。エリートではない人間達は一定水準の生活を保障される。現在社会は欠陥だらけである。まず、働かない人間を守る術がないこと。人権という言葉がにわかに注目を浴びてきてはいるが、それならば生まれてきただけで生存権完璧保証されなければならない。働かざる者飢えるべからずとは小飼弾言葉だが、本当に人権という概念を追求していきたいなら、人が生きるのに条件をつけてはならないのである。

そして、不老、若返り技術の発展が必要だ。老害がなぜ生まれるのか、簡単なことだ。老害は脳が正常に働かなくなっているから老害なのだ。つまり、脳の衰えを防ぎ、若返り出来るようなテクノロジーが求められる。

これはデザイナーチャイルドエリート教育によって発展することが望まれる。人権がますます強大な権利となれば人を殺すことは出来なくなる。加えて不老長寿技術がある。ならば、老害を排除するというより、無害化する方向に持って行くのが一番いい。罪を憎んで人を憎まずである。老害生得的なものではなく老化の弊害に過ぎないのだから。

こうして老害もいなくなり、人々は生まれながら生活を保障され、エリート社会を動かす。次の時代はどうなるだろうか。

エリートにも限界はある。エリートは所詮人間でしかない。人間機械には絶対に勝てない。だから、次は機械の時代になるだろう。

エリートは人を超える機械を作るだろう。人を超えた機械は、エリートという最後の人間を労働から解放する。そして人類労働から解放される。

労働から解放されれば娯楽の時代が到来する。現在も「暇つぶし」というジャンルの娯楽が存在するが、おそらくこの時代以降はすべての娯楽が暇つぶしとなるだろう・・

ものがあふれれば人は飽きやすくなる。たとえば今目の前に20枚の映画DVDがあるとしよう。正直うんざりするはずだ。それら全てはだいたい平均して1時間半~2時間人間を拘束する。よほどの映画好きでもない限り、1、2本観れば飽きてしまう。そういった時代がくれば、娯楽は使い捨てが主になっていくはずだ。

現在あるゲームがブームとなっている。それはソーシャルゲームと呼ばれるものだ。ゲームファンからすれば、なんだこれはと憤慨されそうなお手軽かつ短時間プレイ出来るゲームが大半を占めている。

ソーシャルゲームは隙間時間で楽しむことを目的としたものだが、未来の娯楽はこれに似たものになる。

ただし、このような不完全な娯楽ではない。VRが普及することでよりリアルに、臨場感をもってゲーム体感出来るようになるだろう。それも、ゲームセンターではなく個人の家で。

たとえば仮想空間で愉しむスポーツ。カーレースなどもいいだろう。このようなゲームは、いくら見た目だけを立体的にしてもしょせんはゲームでしかなかった。スポーツは体全体に楽しむものだからだ。VRによって、自宅にいながら大海原でマリンスポーツを楽しんだり、雪山でスキーをしたりということが出来るようになる。

それだけではない。リアルゲームといっても、能力が伴わなければつまらないものとなる。そこで、プロプレイ体感できるものが流行るようになるはずだ。以前世にも奇妙な物語殺人を追体験出来るメディア流行るという物語があったが、あれと同じようなものだ。現実にはありえないような巨大なゲレンデ縦横無尽滑るプロスーパープレイをまるで自分がやっているように体感出来たら、本当に気持ちのいい体験となるはずだ。このように、未来の娯楽はなるべく手軽で受動的なものが中心となっていく。

1年間に現代の5年で作られる全ての娯楽作品が消費されるような時代になるだろう。芸術というジャンルは生き残るだろうが、規模は小さくなるだろう。人々は娯楽を高尚なものだとは思わない。娯楽とは使い捨てるものである。そこには誰でも気軽に作れるようなテンプレートが出回り(現在RPGツクールのようなもの)、星の数より多くの娯楽が出回るだろう。

それが良い時代か悪い時代かは分からない。

2010-07-25

Aとの結婚

お盆に、付き合って三年目の彼女実家に、挨拶にいくことになりそうだ。

まだ正式なプロポーズはしていないし、実家に泊まりにおいでよ、と彼女から非常に気軽に誘われ、

彼女母親とも電話で話したが、多少なまりが強くて聞き取りづらかったが、

「うちの娘なんかと付き合ってくれてありがとう、ぜひ今度遊びにきてくれ」というようなことを言われた。

お互い三十近いし、それとなく「この人と結婚するんだろうな」という雰囲気はある。

付き合い始めた頃のようなラブラブさはすでにないが、お互い一緒にいて居心地がいいし、価値観もあう。

もちろんたまにはケンカもするけれど、翌日にはどっちかが謝って仲直りする。

子供の頃憧れていたような、「普通の付き合い」をしていて、そのまま「普通夫婦」になれる気がしている。

彼女実家に遊びに行ったら、酔った勢いで「お嬢さんを下さい」とか口走ってしまいそうだ。

とまあ、なんの問題なさそうなんだが、問題は彼女の胸――というより、僕の性的嗜好だ。

彼女はいわゆる貧乳Aカップなのだ。

世の中には貧乳スキーの方もいるそうだが、残念ながら僕はそうではない。

セックスの相性自体は非常にいい。お互い求め合い、気持ちよくなっている。

ただ、おっぱいを揉めない。

あの「むにゅ」がない。

だからせっかくセックスをしても(いい表現じゃないけど)片手落ちというか、何か物足りない。

愛情があれば気にならないはずだ、といわれるかもしれないが、

たぶん僕が重度の「おっぱいスキー※ただしCカップ以上に限る」なのだ。

あのおっぱいの「むにゅ」には男のロマンが詰まっている。そうだろ?

彼女にとても失礼なのはわかっている。

そしてものすごくくだらない問題なのもわかっている。

ただ、これから一生彼女Aカップ以外に触れられないかと思うと、

大切なものを失ってしまうような気がする。

いやウソだ、彼女のほうが大切なんだけど。

結婚してから、彼女内緒風俗に行けばいいんだろうか。

でもそれもなんだかとても失礼な気がする。二重の意味で。

友達にも彼女を紹介している手前、まさかこんなこと相談できないので、

増田につらつらと書いてみた。

Aカップ妻を持つ非貧乳男性は、いったいどうしているのだろう?

2010-07-21

他の女性を抱くからこそ、彼女の良さが分かる

人が人に感じる好意ってのは相対的なんですね。

毎月他の女性2,3人とまぐわうからこそ彼女の良さを認識する。

パートナー女性もそうらしいです。他の男(俺)に抱かれるからこそ旦那や彼氏の良さが改めて感じるらしいです。

但し、女性場合は俺とは違い罪悪感的なものを感じるのが大変みたいだけど。

なんだかんだ自分彼女いいな~って感情は、他の女性との比較の延長なんだろうかな?あっちもいいけどこっちもいい。その結果、部分的にはムカつくところあるけど、全体としてはスキー!!みたいな感情とでもいいましょうか。

SEXも同じような感じですね。飽きないようにしているというかなんというか。プレイに差が出るので、マンネリ化も防げるし、なにより能動的に彼女を求めることが出来るのが嬉しいですね。

大学時代の友人とかは面と向かって非難してくれているので、世間的には間違っていることは折り込み済み。でも女性側も俺みたいな考えの方が多くて安心したのは事実です。

みんなもいっぱいの異性とまぐわおうよ!!

2010-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20100714185550

http://anond.hatelabo.jp/20100714171439

君はここで私の増田に対し「そういう一般人向けの話じゃない」と明確に書いている。

私はこのとき「ここでのパラドックスの使われ方は慣習として世界中で使われていますよね」という含みを持たせているのだが、それを違うというならば、なるほど、

「バナッハ=タルスキーパラドックス一般人向けの使われ方で、そうでない特殊な分野の人々は定理(あるいは他の何か、バナタルって言ったりするけど)を使うんだーへーすごいなー」と感心したところ、

http://anond.hatelabo.jp/20100714171803ウィキペディア批判の典型的なことば

一般人向けの説明はいい加減で正しくない」

を持ち出してきたわけだ。なるほど、そのとおりかもしれない。

しかしながら、我々の争点は「バナッハ=タルスキーの」に続く言葉は「パラドックスか、定理か」である。ぶっちゃけてしまうと互いの議論は此処から先脱線脱線を重ねるわけだし、そんな名称論議もどこぞへとんでやれリファレンスだやれ中身を読んだか、と不毛な道に突入するわけだけども、まあ、そんなことはいい。

で、あなたがパラドックスを用いることに否定的な根拠は何?何があなたをアンチパラドックスに駆り立てるの?

「だって証明された定理だもん」じゃなくて、「慣習としてパラドックスを使うことの何が悪いのか」を教えてね☆

http://anond.hatelabo.jp/20100714165908

バナッハ・タルスキー定理パラドックスじゃないぞ。

非可測な要素を考えると気持ち悪いことが起こるってだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20100714160855

えー、バナッハ=タルスキーパラドックスの方が響きもかっこいいよー

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