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2024-08-17

anond:20170910231734

運が良ければたった数時間20万円稼げるんだぜ?

運が悪ければたった数時間で数万が飛ぶんだが…。

「店側に操作される」「ハマってる連中にろくなイメージがない」「パチカス借金まみれ」ってろくでなしレッテルを貼られまくってんのに今更やる奴いないだろ。

そもそも気軽に行こうとしても数千数万って必要で、進捗データすら手元に残らない(金は儲かるかもだけど)って時点で遊びとして敷居高すぎる。

(0.5円パチ?普段行かない奴存在知らないだろ。)

気軽に行けない。

パチンコってゲームへの理解を深められない。

→稼ぐ方法に繋がらない。

って感じじゃないか?今はソシャゲも家庭用機も充実してんだからそもそも手軽な遊びではもうないよな。

anond:20240817002317

イメージTikTokで見るものとかJKが好きそうなやつ

歌、ダンス芸能人漫画エンタメコンテンツコスメ流行りの食べ物ファッションブランド

ここらへんこの10年で韓国発がかなり増えた、でもこの先どうなんだろうと思った

2024-08-16

anond:20240812101346

自分観測範囲だけかもしれないけど、普段は平日昼間に低質なブコメトラバが付くけど、

今週はなぜかド深夜に低質なブコメトラバが付くイメージ

普段はこどおじ・こどおばが荒らしてるんだろうと思ってたけど夏休みにこうなるのはなぜだろう

イメージビデオとかグラビアを見ていて、初見の見た目が好みの子が出てきてうっひょー!ってなっても

その出演者は実はAVにも出てるって知るとなんだかガッカリする

Twitterなどで(R18ではないレベルの)セクシーイラストを見てうっひょー!ってなっても

作者がリプなどで「もっとえっちものはfanbox / R18アカウントで見れます!」とか書いてるとなんだかガッカリするのは、それと同じ理由かもしれない

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

anond:20240816190146

政治がらみの話題は、こいつらだけで回してるイメージだな

令和6年「内外情勢の回顧と展望」の公表について | 公安調査庁

https://www.moj.go.jp/psia/kaitenR6.html

https://www.moj.go.jp/content/001423285.pdf

1.オウム真理教

COLUMN① ターゲット若者

COLUMN② 「Aleph」の“資産隠し”

2.過激派

COLUMN SNSを通じたソフトイメージに注意

3.共産党

4.右翼団体など

COLUMN① 街宣車に見る右翼団体活動形態

COLUMN② 右派グループによる外国人排斥運動

内患やで~~~😉!

つっかかるみたいな攻撃的なイメージを含まれ言葉行為認識するからただの質問攻撃性を帯びたものだと認識するんじゃないか

言葉認識に影響を与える研究とかあるそうだが、そうなると語彙が少ないと解像度の低い認識になるってことよな。

シーエムをスキップしようとしてしまう本放送増田すま脳そう本法まして紫桃良しぷっ鱚を無エーシ(回文

おはようございます

なんだかいよいよお盆休みも終わりの終盤をフィナレーを迎えようとしているグランドなんとか感があるスタンディングオベーションでぱちぱちぱちって感じなんだけど、

まあまだ3日今日も含めてあるんだけど、

結局私は何も成し遂げぬままありのままでお盆休みを走り抜けようとしているわ。

まだ3日あるので一発逆転あるかも!って

何が何に対しての逆転なのかはよく分からないけれど、

かにそうよね。

でも早寝早起きはやりましたで賞!は受賞に値すると思うわ。

昨日はちょっと遅かったけれど、

だいたい21時に寝て5時に起きるという離れ技をやり遂げるか否かまだ残りの日にちがあるので、

どんどん記録を伸ばしていけると思うわ。

映画の一本でもそうよね観ればいいものの、

外に出かけるのも億劫で昼間に出かけたものなら

ジリジリとアスファルトの熱しられた熱さで焦げてしまいそう。

もう1日中エアコンの中にいて

涼しいけれど、

何か外に出なくては勿体無いと感じてしまうこともあるし人間というのは贅沢なものよね。

贅沢な悩みといえば、

私は新しいゲームに挑戦しようとして新しいゲームをまあリメイクファイナルファンタジーの何かしらのピクセルリマスターなんだけど、

あれって経験値4倍設定ってのができるみたいで、

これを使うか否か葛藤があるのよね。

強い強敵に辛くイジメられて苦戦すると思うとそれも味わいたいと思いつつも、

物語ストーリーお話ををサクサクと進めるために経験値4倍モードを使う進む優先で進めるのか。

悩ましいところよね。

禁断の経験値4倍モード

逆にいえば4回戦う分が1回で済むっていうところもあるけれ、

あれ逆に経験値0倍モードっていうもう井森美幸さんの絶対に当たらない解答で倍率が20倍になるぐらいの逆にビックリするような設定もあって、

あれって低レヴェルでクリアするチャレンジスピリッツの人用なのよね?

話は戻すんだけど、

うーん経験値4倍モードにするか否か迷うわー。

時間のない現代社会社会人において社会における時間の損失はとても大きいところがあるので、

私は見たことも使ったこともないんだけど、

VHS番組を録画した時に標準モードか3倍モードで録画したかは画質で見分けがつくっていう街の巷の港の噂だったけれど、

HDDレコーダーで録画した番組って、

リアルタイム放送と見分けがつかない画質じゃない?

高度に発達したテクノロジー魔法と見分けがつかないってどういう意味ですか?って問い詰めたいぐらい

今のリアルタイム放送と録画した放送再生させているのと見分けがつかずに、

わず録画じゃないのに

リアルタイム放送CM早送りしてしまいそうで、

ボタンを押してもスキップできなくて、

何度も何度も押してもスキップできないぐらい、

1回のボタンを押すごとで15秒進む間に、

スキップボタンを16連打してしまいそうなほど、

いやむしろ連打してしまってから気付くことってあるわよね。

ああ!

これ今の放送分なんだー!って

それを気付いた瞬間の名称をつけるとしたらなんて名付けようかしら?って思わずはいられない衝動にも名称をつけたいわ。

あと話戻すんだけど、

経験値の話、

スプラトゥーン3の経験値ってあれいる?必要なの?って思ったらギアパワーギアのかけらがもらえるぐらいなので今それ自己解決したわ。

でも無駄ランクが上がるのはスピン気味のセリフにノーサンキューなのよね。

何の話してたんだっけ?

もはやすっかり忘れてしまったわ。

言葉意味はよく分からないと思うけど、

とにかく凄い自信なのよ。

それだけはあるわ。

残りの夏休みを欲張ったら何も成し遂げることができないので

まあ気楽にのんびり夏を過ごすことにするわ。

あといつもカッツスイカめちゃくちゃよく食べてたと思うイメージ自分にあったけど、

気がついたら昨日今シーズン初めて買ったわ。

スイカ今年食べてないなぁーって思ったら

それと比べて今年はキュウリめちゃ齧ってたわ。

思い出すたびにキュウリ

そんな夏のキュウリの思い出になりそうね。

キュウリまだ齧ってない人は齧ってみてよ。

うふふ。


今日朝ご飯

トースト目玉焼きモーニングね。

今日和食と気分を変えて、

行くお店は一緒のみかん花咲く丘公園前駅の駅前商店街喫茶店

シンプル目玉焼きサラダトースト

嬉しいことに目玉焼き玉子ダブル

まり2つなのよ。

ダブルダブルって言っていいのは高見山大五郎さんだけよ。

私が悩んでいるのは経験値4倍モードにするか否か。

目玉焼き美味しくいただきました。

今日デトックスウォーター

水出しルイボスティーウォーラーね。

夏の元気の源の水分補給の決定版!私的にはのね。

結局は籠って終わっちゃいそうな夏休みになりそうかしら。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Vって初音ミク期待してたのに現実は地下ドル絶望するよね


VTuberほど始める前のイメージと実際が大きくかけ離れてる職種もなかなか無いよな。私も初音ミク!?みたいな期待で始めたらやってる事はただの地下ドルwww 普通に絶望するし活動も辞めるだろ。

初音ミク声優も危なかったよな。調子に乗ってミクだよ~とか言いまくってたら絶対こうなってた可能性ある

ママ友進化してる?

テレビとかネットとかで見ていた「ママ友」のイメージがキツくて「ママ友作るの嫌だな〜」と思っていたのだけれど、少し驚いたことがある。てっきり「◯◯君ママ」のような「子供名前ママ」と呼び合うものだと思っていたのだが、下の名前で呼び合っている。「かおりさん」とか「ちかちゃん」とかそんな感じ。自分より先に母親になった高校同級生に聞くと「最近"◯◯ママ呼び"減ってきてる」と言っていた。


ついでに夫婦間の呼び方も「パパ」「ママ」みたいな呼び方をしている人たちが激減しているように感じる。普通に付き合っていたとき呼び方?で読んでいる。「さとし君」「森ちゃん」とかそんな感じ。要するに、親子間でしかママ」「パパ」呼びを使っていない家庭が増えているように感じるのだ。個人的には、親になると、子どもを中心に「ママ自意識個人が塗りつぶされていくような気がしており、それが非常に怖かったので、この流れは結構好き。いつ頃から変わったんだろう?


自分が住んでいるのが東京なので他の地域はどうなのか気になるところでもある。

anond:20240815191551

キャバクラって金持ち道楽って感じで並以下の収入の男はまず行こうと思わなくて

大抵の男は1~3万の風俗で時々抜いてもらう位で満足できちゃう

男があんな感じになるのはあまりイメージ出来ないが

とはいえ風俗狂いみたいなのはたまにはいるよな

anond:20240816020224

から国がサラ金規制かけたんだが

キャバクラ営業変えたのはイメージを良くするためで男のためじゃないのはそうだけど

サラ金やらせたことをホストがやってるんだから同じだよね

若い人はイメージいから仕方ないのかもしれないけど中年キャバクラ借金作る男とか散々ネタにされたのに忘れてるのどういうことだよと思う

織田信長越前征伐から小谷城平定へのスピード感に震える

最近織田信長関連のYouTube動画ばかり見ているが、天正元年(1573年)のスピード感にうっとりと酔いしれてしまっているので、少し語らせてほしい。

大前提として、信長の天下取りあゆみは、秀吉のそれと比べると結構ぐだぐだしてる。これは、戦国時代時間の過ぎ去り方というのがそういうものであり、また、何事もそうであるが、物事趨勢が決まるまでが大変なのであるということしか意味しないが、単純な年月の経過からいえば比較的ゆったりしているのである

信秀が死去したのが1552年(天文21年)、そこから桶狭間の戦いが1560年(永禄3年)なので、8年が経過している。また桶狭間の戦いのあとの直後のようなイメージのある松平元康との清洲同盟は実は合戦の2年後、美濃平定にはさらに5年を要する。本題の朝倉浅井関連でいえば、コトの起こりにあたる、信長越前出兵から金ヶ崎撤退戦が1570年4月(元亀元年)で、その2ヶ月後に姉川合戦勝利するものの、1573年(天正元年)に至るまで3年以上、朝倉浅井氏とは対立を続けている。繰り返すが、織田信長のんびりしていたわけではなく、それが、俗に言う信長包囲網などの当時の状況における当然の時間の経過である問題はこの後の経過の早さだ。

天正元年8月8日に、浅井配下武将織田方に裏切ったのを契機に小谷城に向けて信長出兵、救援に来た朝倉軍を4日後の8月12日小谷城付近撃破撤退した朝倉軍を越前まで追撃して、その8日後の8月20日朝倉義景を自刃に追い込んだ後、とって返して小谷城攻撃9月1日までには浅井長政も自刃させている。この間、1ヶ月に満たない。本当にすごい。

anond:20240815191551

男の体売る のイメージってそこそこきれいな女とセックスすることだろ?

甘ったれすぎてて腹立つレベル 

おっさんのお前がみても「ウワ」って思うような男とセックスすんだよ ボケ

若くてまともな女とレズセして金貰えるなら、私だって相手に体売るわ でもチゲーんだよ 底辺なのは底辺なりの理由があるんだよ

2024-08-15

Vtuberイメージ=ホロライブ→なぜなのか

どう考えても時代を作ったのはにじさんじの方なのに。

結局、「ぼっち・ざ・ろっく!」って、音楽だけでは勝負できないかアニメという皮を被った、みたいな音楽の敗北を感じるんだよね

ぼっち・ざ・ろっく!」自体面白試聴してたし、楽曲自体も嫌いではなかったけど、

なんか映画に合わせて曲増やしたりしてるの知ったら、なんか複雑な感情が湧き上がって来たんだよね

だってアニソンだよ?

そういえば、アニメ店長が言ったセリフは、天上天下唯我アニソン!だったっけ…(うろ覚え

アニメイトに行く奴なんてキモイスクールカースト最下位人間なわけじゃん…

自分もそのひとりだったわけじゃん…

まあ、この十数年間、アニメイトに行ったことは一度もない気がするんだけどさ…

自分世代で考えたら、「バブルガムクライシス」の「今夜はハリケーン」とか、そんな感じなわけですよ

アニメの中の主人公ボーカル架空バンド楽曲で、にわかアニメオタクとか、どっちかというと一般人が盛り上がってる

ちょっと気持ち悪いわけですよ

だって、俺、小中で周囲がジャンプ読んでるのに、俺だけモデルグラフィックスとかホビージャパンとかファンゴリアとか宇宙船とかニュータイプとかアニメ雑誌読んでるわけじゃないですか

完全に迫害対象でしたよ

My Chemical Romanceの"I’m Not Okay (I Promise)"のMVじゃないですか

もしくは、Lordiの"Hard Rock Hallelujah"のMVじゃないですか

https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc

https://www.youtube.com/watch?v=-6Xl9tBWt54

やばいわ、小中時代自分思い出して泣きそう…😟

クラス自分だけしか知らないアニメがあって、そのアニソンに夢中になってるとか、完全に迫害対象でしたよ

ヤンキーDQNに殴られたり蹴られたり、クラス女子にまで馬鹿にされたり、そんな青春

というか、どこが青い春なんだかさっぱりでしたよ

そんな自分でも、なんか一部の女子にはモテてたらしい、ような噂を後々になって聞きましたが、仮に本当だったとして、あのな、悲劇どん底ときに俺を助けろや…

話が完全にそれたけど、まあ、そんな自分の半生?もあるんで、なんかアニソンがもてはやされるの、ちょっとムカつくんですよ

正直言うと、涼宮ハルヒとかあの辺からうそうですよ

例えるなら、俺は黒人だったわけですよ、ブルースが好きな黒人

でも、白人社会では黒人音楽ゴミ扱いされて、忌み嫌われてた

俺と違う点があるとすれば、黒人音楽ブルース白人の不良にはウケてた

不良とか、ブルースの良さが分かる白人は隠れてコソコソ聴いてたわけですよ

ところが、エルビス・プレスリーが登場して、事態は一変するわけですよ

そこで黒人音楽ブルースイメージが逆転して、白人にとってカッコいい、ステータスなっちゃうわけですよ、"Johnny B. Goode"みたいに

ブルースロックンロールになり、白人ツイストして踊る、プロムというスクールカースト最下位には忌々しい場での音楽になってしまうわけですよ

back to the futureなわけですよ

みんなが陰キャの曲だって馬鹿にして、石投げたり、生ゴミ投げてたのに、ある日、陽キャがそれを自分たちのものにしてしまうわけですよ

悔しいと思いませんか?

まあ、なんだか話がまったくまとまらなくなっちゃったけど、アニメの皮なんて被らないで、音楽だけで勝負しろや、と思っちゃうんですよね

音楽だけで人をひきつけられない、吸引力がない、だったらアニメという物語を付けて楽曲意味を持たせよう、客を感動させようって、別に悪くはないけど、なんか卑怯なんじゃないかな、って思ったのでしたおわり

[]寝落ちもちもち

寝落ちもちもちとは、電話オンライン通話寝落ちする行為と、その相手との親しい関係を指す言葉です。

寝落ちもちもちが指す「寝落ち」は、通話中に相手が寝てしまうことを指します。一方で「もちもち」は、その通話相手との関係が親しいことを示すスラングです。

この二つが組み合わさって「寝落ちもちもち」という言葉が生まれました。

例えば以下のようなイメージです。

カップルが長時間電話でお互いに寝落ちするケース。

友達同士で深夜までゲームをして、その後寝落ちもちもちする例。

生理っていつ来るイメージある?

女の生理臭が月末は特に酷いという男の書き込みがあった

この男の家族が月末に必ず生理があったのか、はたまた完全にテキトーに言ったのか分からんけど、生理が月末のイメージというのは興味深い

推古天皇って古参ファンが多そう

なんとなくイメージなんだけどね

anond:20240815161425

増田ダメなところを教えてやる。

まず最初に、「自分アラフォー男性です 名古屋在住でもありません」と書いているが、その情報は話の本筋とは何も関係ない。要するに無駄情報だ。どれだけ昔のことを語るにしても、現在自分の年齢や住まいオチまで引っぱる必要がないから、はやり書く必要はなかった。

次に、「そもそもヴィジュアル系』という言葉自体がもう死語であろうが」とあるが、つかみが弱い。自分がこれから語ることに対しての情熱を感じさせられない。これでは読んでいる人が興味を持ちにくいぞ。

ヴィジュアル系バンドの細分化説明するところで、「名古屋系」とは何かを明確に説明するのが遅すぎる。また、「自分が好きだった」を強調するのも、どうも訴求力がない。具体的にどのバンド名古屋系と呼ばれるか、増田なりにイメージもっと早めに描き出してほしい。

そして、「ロックステレオタイプに対して、ロックという枠組みの中でのアンチテーゼとしてヴィジュアル系の流れが生まれ、その流れを決定的にしたのが名古屋系であり、黒夢だというのが増田の持論だ」とあるが、この部分が冗長すぎる。もっと簡潔に説明できるだろう。

さらに、「衝撃的だった」と言うが、なぜ衝撃的だったのかを具体的に説明するべきだ。読者にとっては共感できるポイントが欠けている。

名古屋系のバンドは軒並み短命、あるいはだんだん方向性が変わってポップになっていくことが多かった」というところも、具体的な例やデータを添えると説得力が増す。主観的意見だけではなく客観的事実重要だ。

最後に、「同志と心ゆくまで語り合いたいと思っていたのだが、リアル出会うことのできないまま」という部分は感情的で良いが、現実感に欠ける。こうした経験を書くだけで終わるのではなく、今後どうしていくかを少しでも示してほしい。

どうだ増田。返信は不要。礼も不要だぞ。

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