はてなキーワード: アクション映画とは
「金をかけまくったアクション映画なら受ける」という事実から導きだされるのは
「日本でアクションは受けない」ではなく「日本ではアクションに金をかけられない」だろ。
さすがにここはひっくり返せない。
別にるろ剣や鬼滅のファンは「アクションは嫌いだけど我慢して見ている」わけじゃない。
私はゲイだ。
自覚したのは中学生の頃だ。友人を好きだったが、誰にも言えなかった。
親にはまだ話していない。妹が子供を生んだので、このまま親の前では異性にモテない独身男性として生きていったらいいかと思っている。
学生時代は所属していた団体でカミングアウトしていた。変な人間が集まるので有名な大学で、ただのゲイだった私は平凡な存在だった。彼氏(現在は友人)もできて楽しかった思い出がたくさんある。
世の中変わってきている、もうゲイを隠す必要なんてない。そう思っていたが、就職してすぐ職場で「お前カマっぽいよな」と笑われたときは、やっぱり目の前が真っ暗になった。
職場では今後カミングアウトする予定はない。親にも言う気はない。
そんな私がいま注目しているのが現在4話まで放送されている「おっさんずラブ in the sky」である。
「おっさんずラブ」と言えば、田中圭演じる春田が、職場のゲイたちにキスされ交際を迫られ気持ち悪がるも、そこから「性別の壁」を乗り越えて純愛に発展する話、という認識の方が多いと思う。
正直に言って、私はこの作品が好きではない。
「弟の夫」「きのう何食べた?」「となりの家族は青く見える」は好きだった。「おっさんずラブ」はそれらに比べて、あまりに私が傷付く表現ばかりあるドラマだった。
友人に勧められて数話までは見ていたが、ドラマの内容と、それにはしゃぐファンを見ては毎週どんよりとした気持ちになり、視聴を止めた。
「逃げるは恥だが役に立つ」で、主人公が「ゲイはイケメンを襲う人種だ」と思い込んでいた自分を恥じるシーンがあった。
やっぱり世の中は「ゲイは嫌がるノンケを襲うもの」と思っていて、それを笑っているのか、と思うと落ち込んだ。
だから、おっさんずラブの続編が放送されると聞いたときは心底やめてくれと思った。
だが、2話が終わったあと、友人から連絡が来た。私がおっさんずラブをよく思っていないことを知っている友人だ。
今回のは見られると思うし、見てほしい、という知らせだった。
同性愛を扱うドラマは好きな方なので、友人を信じて2話から視聴した。
3話では切なさを感じ、4話は笑って泣いた。
パイロットである上司の黒澤は、職場の新人である春田にだんだんと惹かれ、恋を自覚する。告白をするも断られ、同じく春田を好きな娘・緋夏を応援することに決める。
整備士の四宮は、春田に恋心を抱いているがそれを隠し、仲の良い緋夏の恋愛相談に乗り、二人が付き合うように仕向ける。
二人とも緋夏と春田が付き合うようにと動くが、それは「自分が男だから」ではない。
黒澤は「かわいい娘の幸せのため」妻を亡くした黒澤にとって緋夏は大事な一人娘である。
四宮は「自分には幸せになる資格がないから」と発言している(これは5話で詳しく明かされる様子)。
「男の俺なんかより緋夏ちゃんの方が」などという台詞は出てこない。これは意図的だと思う。この世界では同性愛は問題にならないのだ。黒澤や四宮がもし女性であっても、二人とも緋夏を応援していたはずだ。
また、緋夏は四宮が春田を好きだということを知り動揺するが、こちらも「四宮が男だから」ではない。いままで恋愛相談に乗ってくれていた相手が同じ人を好きだったことに対しての衝撃だ。そして彼女は四宮によきライバルになろうと握手を求める。
パイロットの成瀬は春田のことを好きではないが、遊びで寝た男が職場まで押し掛けてきたとき、新しい恋人ができたと嘘をつくために春田とキスをする。
春田は成瀬が男と寝たことに対して特に反応しない。突然のキスについても「好きでもない相手にキスするなんて信じられない」とこぼしている。男相手に、という言葉は出てこない。
4話では四宮の気持ちが春田にバレるが、春田が四宮を気持ち悪がる様子も一切ない。「俺なんかのどこがいいの?」と聞いたり、自分の好きはライク、好きになるってなんですか、と同僚に相談している。気持ちに応えられないことへの申し訳なさはあるが、そこに「男だから無理」という感情はない。それどころか、5話の予告で春田が成瀬に無理やりキスをするシーンがある。
春田は2話終わりで緋夏にもキスをしかけており、ノンケだと見られていた。
その春田も、男同士であることには疑問を抱かず、成瀬に惹かれていっている。
キャストもスタッフも言及していないようだが、ドラマが終わったらその辺について語ってくれるのかもしれない。
(ちなみに四宮の気持ちを成瀬が伝えてしまうところをアウティングだと批判する声があるようだが、同性愛差別のない世界においてのアウティングとは一体?)
(それを言ったら前作の春田の牧に対するアウティングは許されるのか?私なら死ぬ)
私は4話でこの世界観に気付いて、泣いてしまった。緋夏が四宮に「はるちゃんが好きなんですね、私もです。私たち、ライバルですね」と握手を求めたシーン。胸が熱くなった。こんな世界があるといいと思った。男が男を好きであることを認めてもらえる世界だ。
同性を好きになっても、悩まなくていい、苦しまなくていい。引け目を感じなくてい。誰かに否定されなくていい。
この感動を噛み締めたくて、ツイッターで同じようなことを感じた人を探そうとサーチした。
そこで出てきたのが冒頭のツイートだ。
「同性愛をこんなにすんなり受け入れるなんてリアリティがない」
打ちのめされた。
ファンタジーとはなんだ。
つまらないとはなんだ。
現実世界でゲイが差別され苦しむのがそんなに面白いのかこの人たちは。
こういったツイートをする人のホームに行くと、全員が「おっさんずラブ(無印)」のファンだった。
曰く前のドラマでは「恋愛をするのに性別なんて関係ないと思えた」らしい。
ならば、性別なんて関係なく恋愛できるin the skyの世界をなぜ応援できないのだろうか。
私が個人的に傷付いただけで、あれを好きなゲイもたくさんいる。
あのドラマで、同性愛は気持ち悪いものじゃないと思ってくれた人が大勢いるのも理解している。
同性愛の苦悩を描いたドラマが放送されるのはとてもいいことだと思う。
やめてほしいのは、「同性愛を扱うなら葛藤や苦悩を必ず描かなきゃいけない」という考えを押し付けることだ。
前作ファンの人、「おっさんずラブ in the sky」のことは放っておいてくれないか。
自分に合わなかった、自分は腹が立った。それはわかる。私も前作でそう思った。
だけど、あなたが嫌な思いをしたこのドラマに、心が救済された私みたいな者もいる。
私は、こんな世界になりますようにと願う。このドラマを作ってくれて感謝している。
気に入らないからって、「番組の打ちきりを求む署名運動」とかやめてくれないか。目を疑った。嫌いなものは排除しないと気がすまないのか。
署名が集まっても打ちきりにはならないと思うけど、ドラマを楽しんでいる人間にとって、この仕打ちはあまりにむごい。
もし、in the skyのような世界が待っているなら、私は親に自分のことを話したいと思う。そして、パートナーを家族に紹介して、誰にも隠れることなく一緒に暮らすのだ。
ドラマは残り4話。どのような結末になるのか、楽しみにしている。
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気付いたらコメントが増えていて驚きました。
気になるコメントについて追記しておきます。(11/28 18:20)
私は「無印ファンはin the skyの批判をしないでください」と言っているのではありません。批判はいいと思います。私も無印の批判をしてますし。
やめてほしいなと思うのは、差別を描けと強制すること、放送中止を求める署名などでドラマを妨害する動きをすること、この二つです。
求めてません。逆です。私は「リアルから先に進んだin the skyは夢のある世界だ」と思って喜んでいます。
リアルさを求めるな、は、ぜひ無印ファンに言ってあげてください。
『アクション映画を見ろ』
「差別を扱うな」とは私は書いていません。個人的に無印は苦手でしたが、自分で見ない選択肢を取りました。
「差別を扱う作品が放送されるのはいいこと、だけど全部の作品に差別表現を入れることを強制するなよ」これだけです。
主要人物全員片思いですから、恋愛に関する葛藤は毎週描かれています。特にふられてからの黒澤は恋心と大事な娘の間で揺れてますね。面白いですよ。
『in the sky見てなかった、見ればよかった』
この作品が不発で終わったら「この路線は失敗だった」と思われそうで悲しいです。
話の流れはここで書いた通りです。5話からでも面白いと思うのでぜひ見てください!
現在「全員一方通行の片思い」となかなか類を見ない展開になっています。
公式サイト https://www.tv-asahi.co.jp/ossanslove-inthesky/
予告ツイート https://twitter.com/ossans_love/status/1198255673030692864?s=19
予告動画ロング(放送後消えます) https://youtu.be/mZXMufvCLyM
アクション映画に限らずだ。
なぜなら「うるさい人達に文句を言われないようにするキャラクター造形」になってしまっているからだ。
例に挙げるが、マーベル映画の男性キャラはどいつもこいつも個性にあふれたキャラクターだ。
あいつらの欠点も性格もコンプレックスもとりえもすべて知ってる。大好きだ。
ただめちゃ強いだけっていうだけしか残ってないよね。
あれって、「個性を出せないから」なんだよ。男を見るととりあえず口説くスケベ、一般生活が送れないレベルのものぐさとか、逆にシャイすぎて女性とまともに話せない、とか性格付けをするとすぐクレームになるから。
ゲーム大好きのオタク、とか、学校でいじめられる、とか、娘に嫌われたくないダメおやじ、とか、そういう個性をつけられない。
アクション映画以外の映画やドラマでも、すぐに同じような自立してる女性像を書こうとするが、だいたいワンパターン。
もっとフェミニズムやポリコレに配慮しながらも、いろいろな個性を出す方法はあると思うのだが、ポリコレに配慮をすると人格まで画一化されてしまってる。
もっと知恵を使ってフェミニズム的な価値観に配慮しつつも魅力的な女性像を描くようにしてほしいとは思うが、それにしても本当に「魅力がない」。
ダンオバノンという脚本家の卵が、ジョンカーペンターと一緒に「トムとジェリー」を宇宙人と人間に置き換えたようなお馬鹿映画を作ったり、
ホドロフスキーが構想を膨らませていたDUNEの製作を手伝ったりした経験から、着想を得て原案ができたのが「エイリアン」。
元々の草案は「宇宙船の中でH.R.ギーガーデザインの宇宙人と人間が戦う映画とか面白そうじゃないっすか?」というそれ以上でもそれ以下でもないSFアクションだった。
しかももっと遡れば舞台は米空軍の大型爆撃機で人間が対峙する相手はグレムリンだったらしい。
その原案を買い取って20世紀FOXに製作を持ちかけたのが、ウォルターヒルというアクション映画界の重鎮率いる「ブランディワイン・プロダクションズ」という会社。
この会社がスターウォーズのヒットを受けて「エイリアン」の制作に乗り出す。
元々ジェンダーに無頓着だったオバノンの原案に手を加えて女性クルーが主人公になるようにしたのはこの時で、その手を加えたのはウォルターヒル。
「ウォリアーズ」「ストリートオブファイヤー」等、ごりごりのホモソーシャル社会を熱く描き切ることに定評があるウォルターヒルが、どのような意図で「エイリアン」の登場人物を固めていったのかは未だによくわからない。
ダンオバノンは脚本家志望じゃなくて監督志望のSFX(特効)クリエイターだったね。
エイリアンもオバノン自身が監督するつもりで企画したらしいが、企画がどんどん改変された上に、しまいには20世紀FOXのスタジオから締め出されてしまったんだよな。創造主なのに。
ごめん、1と2が並んでるのが矛盾してると思う
遊んだ時間をかけた費用で割れば、1円で何時間遊べたかわかるわけだが、これが大きいほどコスパがいいわけじゃん
5000円で2時間で終われば確かに高いが、5000円で2年遊べたら安いでしょ
でも長く遊べるのは嫌だ、と
増田が言ってるのはそもそも、2時間程度で終わってほしいという前提ですべての余興を評価しているので、そりゃゲームと合わないわと思う
そりゃ2時間で終わって5000円なら高いもんな
ポケモンは5000円で2年遊べるぞ
2時間で飽きるゲームはクソゲーのたぐいで、それは100円とかで買えるけど、あんなんは満足度低いわな
3はツイッターとかで探せ
役にたつ時間の使い方したいなら役にたつことだけすればよいかと
新書読んで蕎麦打ちしてジムで運動するくらいでいいんじゃないですかね
楽しかったという経験がまるごと人生を豊かにしているわけで、趣味の時間というのは他に役に立たせるための時間ではなくて、役に立つ時間を使って趣味の時間を充実させるもの、つまり趣味そのものが結果、目的、ゴールにあたるものだと思っている
ジェミニマン見てストーリーの感想とは別に思ったのが、邦画アクションが低クオリティって言われがちなのって予算諸々は大前提として、銃文化の無い国だからこそガンアクションに不自然さがあるのかもな〜と思った。
向こうは一般人でも銃が扱える国だからこそ、銃に対する色々な面からの心構えとかって無意識下で身についてる訳で、そこはもう環境的な話だからいくら予算があろうと埋めようがない差だと思うのよね。(今後も日本は銃とは縁遠い国であって欲しいからそこは埋まらなくていいんだけども。)
それなのに邦画でガンアクションを演じるのってだいたい「公安」とか「殺し屋」みたいな、銃を扱い慣れているであろう役柄なのよね。構え方だとかある程度しっかり習うんだろうけど、なーんか薄っぺらく感じてしまうのは予算以上に根本的な文化の違いが原因なのかもしれないなあ。なんて思ったりした。
シン・ゴジラみたいな、日本にだけ通用する文化みたいなものをふんだんに使ったアクション映画が見たいなあ…でもそうなると何が適任なんだろう。やっぱ日本刀かな?そういや忍者アクションも最近見ないな。見たい。
それはどういう表現なのか。
そこをもっと詰めろ。
よく言われるのは、例えば今俺はガンアクション映画を見てきたが、あれは「人を銃で撃ってもいいというメッセージ」だったのか。またそのメッセージを受けて社会の銃犯罪は増えるのか。
そんなことは無いわけだ。
同様に、例えば女性がエッチな目にあっちゃう漫画を読むことで、女性はエッチな目にあってもいいんだ!と読んだやつが思うかというと?
そんなことは無いわけだよ。
かつてまいっちんぐマチコ先生という漫画があって、子供が真似してスカートめくりすると問題になった。スカートめくりしてた子供はいま大人になった。性犯罪者になったか? そんなことは無いわけだよ。
それはたぶん、スカートめくりしてた子供を先生や親が、即ち社会が怒ったから。これに関しては、明らかに「メッセージ」よりも社会が上位にある。フェミ連中だけが見出すメッセージが社会を構築?するなんてことはない。君のいうメッセージの影響など考慮する必要がないほどに微小だ。
もっとドギツイやつ見つけた時に言え。完全自殺マニュアルが自殺を助長するメッセージになる、ぐらいならあるかもしれん。幸いそういうエロは流石にいまの日本社会、規制されてる。
『ザ・インターセクションズ』はどうだろう。
酔ってチンピラに義父殺しを依頼しちゃった学生が、そいつに付いてって義父を殺しにいくストーリーと付いていかなかったストーリーが同時に展開するちょっと変わった映画。
徐々にチンピラから逃げようとする展開になる。ネタバレは調べないで見たほうがいいけど、結構好き嫌いは別れるかも。
アクションコメディだと意外と「逃げ切れちゃった」みたいな作品でスッキリする映画が多いのかも。
少し違うかもだけど、結構オススメなのがロバートデニーロの『ミッドナイトラン』。
ギャングの金を横領した会計士を賞金稼ぎのデニーロが護送するんだけど、いろんな奴に終われてアメリカを横断する羽目になる映画。
『ノッキンオンヘヴンズドア』は男二人が海を見に行くためにギャングの車を盗んで逃げ続けるアクションコメディ映画だけど、追う側の敵が確信的にゆるい作風だし、主人公達は不治の病で死ぬことが決まってるから、また少し違うのかなー。
ちなみにドイツの映画ね。恐ろしい事に、長瀬主演の日本リメイクがある。
他には、
ヒッチハイクしてきた宇宙人を乗せて政府組織に追われる『宇宙人ポール』、
実在の詐欺師と刑事を主人公にした、長年にわたる追いかけっこのスピルバーグ『キャッチミーイフユーキャン』、
あと『なんちゃって家族』も麻薬を輸送するコメディで、タイトルの割りに普通に面白い。
古いけど『お熱いのがお好き』は女装して逃げる映画で、流石に名作なだけあって今見ても楽しめる。
『ザ・チェイス』っていうチャーリー・シ-ンのコメディ映画もあったな。人質とって逃げるだけの映画。そこまで面白いかは微妙。
「逃げる」とは少し違うかも知れないけど、『ミッドナイトラン』みたいに護送中に敵に追われるアクション映画は面白いのが多い。
強盗のボスを護送する主人公たちとそれを追う銀行強盗を描いた西部劇の『3時10分、決断の時』や、
ブルースウィリスの『16ブロック』。これは結構『ダイハード』の続編っぽくてそっちのファンにもおすすめ。
詐欺師とか犯罪者が主役だと、デカイ事件に巻き込まれながらどう逃げるか?という話は多いかも。
『グランドイリュージョン』『マッチスティックメン』『コンフィデンス』とか。
大泉洋の『アフタースクール』は、逆に逃げた友人を追う内に色々ややこしい事情が明らかになっていく。
『バニシングin60』とかそのリメイクの『60セカンズ』は車がメインだし、爽快感あるかも。
シリーズ見てないなら、5作目の『ワイルドスピード MEGA MAX』くらいから見始めてもいいかも。ドウェインジョンソン出るし。
シリーズ的には4作目の『ワイルドスピード MAX』あたりからレースよりも追われて逃げるカーチェイスがメインの映画になってる。
『ボーンアイデンティティー』シリーズは国自体が相手だから、アクション映画ながら結構逃げ続けるだけかも。逃げるテクニックに爽快感あるし。
『逃亡者』『エネミーオブアメリカ』『イーグルアイ』も近い感じはあるけど、どっちかというと戦って勝つことがメインのストーリーか。
逃げつつ一矢報いる系だと『ランナウェイ/逃亡者』やスピルバーグの『激突』どうなんだろう。
「え、おまえが逃げるの?」みたいな変則的な逃げの映画だと『ノーカントリー』とか。でもこれはスッキリしないしやっぱり多分違いそう。
ゆっくり歩いて追いかけてくるからスリリングな展開ではなくて、じんわり追い詰められる系だし、ホラーだからやっぱり後味はそんなによくないんだけど。
『ファイナルデスティネーション シリーズ』も一応逃げ続けるだけかな、でも逃げ切れなかったみたいなパターンも多い。
『リング』なんかは逃げ切るパターンか。これも続編がアレだけど。
ホラーは基本的に敵わない相手に追い詰められるのでそういう作風になるけど、でも最終的には戦っちゃう作品が多いしなあ。
『エイリアン』『ターミネーター』がそういう作風で、『ターミネーター2』も割ときっちり最後まで逃げ続けるけど、最後は戦うし。
ストーカーものも逃げる系か。ジェニロペの『戦慄の誘惑』とか『ケープフィアー』
ゾンビものにも逃げる作品はあるけど、どちらかというとそこからどうやって生活していくかというポストアポカリプス的な作風も多い。
ロメロの『ゾンビ』『死霊のえじき』『ランドオブザデッド』はそういう作風で、逃げたり隠れたりするのは一作目の『ナイトオブザリビングデッド』とそのリメイクの『死霊創世記』、あとゾンビのリメイクの『ドーンオブザデッド』か。
『28日後...』は割と逃げる系?
ゾンビじゃないけどロメロの『ザ・クレイジーズ』とそのリメイクも逃げる系かな。
逆に閉じ込められた状況から「逃げようとする」ことがメインの映画はどうなんだろう。ソリッドシチュエーションとかいうやつ。
『キューブ』『ミザリー』『フォーンブース』とか、変り種だと『私が、生きる肌』。
『ソウ』は違うか。
これまた逆に、冤罪とか脱獄とか、刑務所にいる状況から逃れようとする話も違うのかな。
『ショーシャンクの空に』とか『真実の行方』とか、古くは『大脱走』とか『パピヨン』とか。
ネットの記事では「下ネタへの反応に困る…」みたいな記事をたまに見かけます。
私は下ネタ苦手だし口に出すのも恥ずかしいので心の底から同意できます。
の割に私のTL上ではいわゆるフジョシがたくさんいるので「お○ぱい!」みたいな呟きが多いです。でも下ネタ嫌いらしい。どの口で言ってるんや。
実際の会話では言えないけどSNS上では言えちゃうんですかね。これは本人にしかわからないので私はそれらしい言葉をミュート設定してますがミュートする時に入力しなきゃいけないのでそれも辛い。1回ミュートしたら大半のツイートが消えた。世の中ヤバイ。
もっというと映画とかドラマのラブシーンも苦手。最近はキスシーンまでなら我慢できるけど洋画の際どいやつが苦手。
アクション映画好きだけど不意打ちにやってくる。ホラーより怖い。
家族は全くそういう話をしないので環境のせいか?とも思い始めてる。
そもそもアクション映画とか撮りたい監督がいない。なぜならアクション映画は日本社会では評価されないからだ。時代劇にせよ任侠映画にせよ特撮にせよ、重厚なテーマのない映画はバカの観るものとしてきたのが邦画界である。アニメだって恋愛映画だって例外ではない。宮崎駿レベルにならなければ誰も彼らを評価しない。だからみんな文芸チックな映画を撮りたがるし、少なくとも何かひねったテーマを盛り込みたがる。
ドラゴンクエストというゲームをドラゴンクエストのまま映像化したい監督なんていない。そもそもなぜゲームの実写化などしなければならないんだ、俺たちは映画を撮りたいんだとなる。子供を砂利と呼んでいた頃から進歩していないし、そういう風潮を許容してきた社会も悪い。世界中でヒットするアベンジャーズもスターウォーズも主題はアクション映画ではないか。
このあたりの情勢に対して、仮面ライダージオウOver the Quartzerは痛烈だった。みんなみよう!
そもそも山崎貴はドラゴンクエスト映画化の企画を一回断っている。なぜ改めて受けたかといえば、例の時代錯誤なギミックを思いついたからだという。(https://mantan-web.jp/article/20190801dog00m200054000c.html)
なぜ山崎貴以外で撮らなかったのか?という疑問は当然だが、前述のようにそもそもこんな企画を受けたがる監督はいない。フルCG映画という体にすることで、フルCG映画で実績のある山崎とスタッフならば、という前提でようやく企画が通る。これ以外の座組は非現実的である。そして山崎貴も邦画監督なので、ゲームごときの物語をそのままやるわけにはいかない。そしてその結果がこれである。
ならば今でなくても…という意見はもっともだが、ドラクエ御三家もそろそろ危ういしスクエニの台所事情もあるので、そこを責めるのは不毛である。
そんな座組で始まったものの、観ての通りやっぱり予算は全然足りない。サンタローズの街もラインハットの城下町も描けないし、グランバニアは存在を抹消された。それもこれも予算のせいである。映画制作の現場が手弁当で回っているのはリアルな話であり、本当に金がない。もうお前らが期待する映画を作ることは不可能である。
■結論