はてなキーワード: めでたしめでたしとは
ステマ騒動から一年。いやー時が経つのはいつも早いなとしみじみする増田でございます。
さて皆さまは去年の年明け、何をしてらしたでしょう?わたしは2chが楽しくてしょうがありませんでした。
そこで今回はニュー速民移住の運びにスポットをあててエントリ書いてきます。
あれから一年たってあえてこのトピックを顧みてみる必要があるのかは、、、…思考停止といきましょう。HAHAHAHA!!
はい、無性に書きたいんです。書かせてください。あの時のことをもう一度ねちっこく掘り返したいんですよ。
◆食べログ騒動で話題になった「ステマ」ってどういう意味?:PC Online
◆ 2ch「ステマ」戦争 人気板が住民大移動で一気に縮小、その背景の事情と心情 (1/4) - ITmedia ニュース
◆ 「ステマ騒動」の矛先はゲハブログへ:ゲハブログ最大手「はちま起稿」が謝罪文を掲載、管理人交代へ (1/3) - ねとらぼ
◆今回のニュー速騒動のまとめ : 【移転しました】旧ロブ速 (ロブ速)
◆2012年、2ちゃんねると2ちゃんねるまとめサイトの間で何が起こっていたのか(前編) - 空気を読まない中杜カズサ
◇【ステルスマーケティングのプラットフォーム化とフレーマーの定住】
煽り調教を受ける日々が続き、煽り煽られ合う快感に溺れる者が出てきながらもN速民の間には鬱憤が積もっていく。
~
◇【ステマ騒動ここに起こる】
シャフトや食べログの不祥事を皮切りに、利潤主義的コピペブログやステルスマーケティング業者の問題が表面化し始める。ゲートキーパー事件やブログ連合祭り以来、住民の中で燻ぶっていた不満に火が付く。
◇【ステマ三段呪文が板内に渦巻き始める】
シャフト炎上をきっかけに、N速フレーマーと業者がここぞとばかりに躍動する。
◇【恰好の餌場を得たネットイナゴの襲来により、一方的なステマ連呼に拍車が掛かる】
連呼する者が大量発生したことにより、相変異を起こした一部のN速民が、ステマ連呼の群れに入り行動を共にするようになる。
◇【ステラおばさんの集団によってもたらされる持続的な蝗害に戦略的な爆撃が重なった結果、遂にニュース速報板は機能が麻痺した状態が続くようになる】
N速焦土作戦の手法は連呼から第二次自治戦争で見られたような爆撃兵器を使ったものへ移行する。
~
とあることから板運営の人間がグルだったという疑惑が浮上する。N速民陣営だと認識していた自治側にまで弄ばれていたことに、一部の家畜が発狂する。この事態に端を発した形で決起した住民により移動運動が起こされる。
◇【『1/09 N速ステマした』】
1月9日正子に住民の大半が移民によって成り立っている嫌儲板に移住を決行する。一方で、残留組のN速民も多く見られる。
大移動決行後も、立つ鳥跡を濁さず精神で、焼け野原と化したN速内をローラーがけ部隊による草刈り作業が続けられる。
ところで今現在はどうなってるの?と。要はここですよね。
廃れたまま板枯れしてしまったのか、はたまた焼き畑農業みたいに復活しているのか。
さて結果やいかに!!
ニュー速豊作祭りじゃぁあああああ!!!豊作わっしょぉい!!♪ヽ(^^ヽ)♪ニュー速よっこぉいっ!!♪(/_ _ )/♪
はい、ということで結局は元の活気あるニュー速に戻ったとさ。めでたしめでたし、、…なのかな?
何事も無かったようにもみえるし、一連の騒動が収束しているとも言い難い。
実際のところは分断で冷戦状態といったところでしょうか。
ただ一年前の騒動の時に板全体で運動を起こしたこと、そしてそれからの出来事。
これは明確な意思表示になったし、業界に対しての問題提起にもつながった。
そういえば検索トレンドのデイリーランキングに顔出ししてたし、あと年末の流行語候補なんかにもあがってたね。
ステマ騒動から一年。いやー時が経つのはいつも早いなとしみじみする増田でございます。
さて皆さまは去年の年明け、何をしてらしたでしょう?わたしは2chが楽しくてしょうがありませんでした。
そこで今回はニュー速民移住の運びにスポットをあててエントリ書いてきます。
あれから一年たってあえてこのトピックを顧みてみる必要があるのかは、、、…思考停止といきましょう。HAHAHAHA!!
はい、無性に書きたいんです。書かせてください。あの時のことをもう一度ねちっこく掘り返したいんですよ。
◆食べログ騒動で話題になった「ステマ」ってどういう意味?:PC Online
◆ 2ch「ステマ」戦争 人気板が住民大移動で一気に縮小、その背景の事情と心情 (1/4) - ITmedia ニュース
◆ 「ステマ騒動」の矛先はゲハブログへ:ゲハブログ最大手「はちま起稿」が謝罪文を掲載、管理人交代へ (1/3) - ねとらぼ
◆今回のニュー速騒動のまとめ : 【移転しました】旧ロブ速 (ロブ速)
◆2012年、2ちゃんねると2ちゃんねるまとめサイトの間で何が起こっていたのか(前編) - 空気を読まない中杜カズサ
◇【ステルスマーケティングのプラットフォーム化とフレーマーの定住】
煽り調教を受ける日々が続き、煽り煽られ合う快感に溺れる者が出てきながらもN速民の間には鬱憤が積もっていく。
~
◇【ステマ騒動ここに起こる】
シャフトや食べログの不祥事を皮切りに、利潤主義的コピペブログやステルスマーケティング業者の問題が表面化し始める。ゲートキーパー事件やブログ連合祭り以来、住民の中で燻ぶっていた不満に火が付く。
◇【ステマ三段呪文が板内に渦巻き始める】
シャフト炎上をきっかけに、N速フレーマーと業者がここぞとばかりに躍動する。
◇【恰好の餌場を得たネットイナゴの襲来により、一方的なステマ連呼に拍車が掛かる】
連呼する者が大量発生したことにより、相変異を起こした一部のN速民が、ステマ連呼の群れに入り行動を共にするようになる。
◇【ステラおばさんの集団によってもたらされる持続的な蝗害に戦略的な爆撃が重なった結果、遂にニュース速報板は機能が麻痺した状態が続くようになる】
N速焦土作戦の手法は連呼から第二次自治戦争で見られたような爆撃兵器を使ったものへ移行する。
~
とあることから板運営の人間がグルだったという疑惑が浮上する。N速民陣営だと認識していた自治側にまで弄ばれていたことに、一部の家畜が発狂する。この事態に端を発した形で決起した住民により移動運動が起こされる。
◇【『1/09 N速ステマした』】
1月9日正子に住民の大半が移民によって成り立っている嫌儲板に移住を決行する。一方で、残留組のN速民も多く見られる。
大移動決行後も、立つ鳥跡を濁さず精神で、焼け野原と化したN速内をローラーがけ部隊による草刈り作業が続けられる。
ところで今現在はどうなってるの?と。要はここですよね。
廃れたまま板枯れしてしまったのか、はたまた焼き畑農業みたいに復活しているのか。
さて結果やいかに!!
ニュー速豊作祭りじゃぁあああああ!!!豊作わっしょぉい!!♪ヽ(^^ヽ)♪ニュー速よっこぉいっ!!♪(/_ _ )/♪
はい、ということで結局は元の活気あるニュー速に戻ったとさ。めでたしめでたし、、…なのかな?
何事も無かったようにもみえるし、一連の騒動が収束しているとも言い難い。
実際のところは分断で冷戦状態といったところでしょうか。
ただ一年前の騒動の時に板全体で運動を起こしたこと、そしてそれからの出来事。
これは明確な意思表示になったし、業界に対しての問題提起にもつながった。
そういえば検索トレンドのデイリーランキングに顔出ししてたし、あと年末の流行語候補なんかにもあがってたね。
あついあついなつのひのことです
ありはみんなでちからをあわせて
それはそれはけんめいにはたらきました
まいにちねるまもおしんでけんめいにはたらきました
いっぽうきりぎりすはまいにちあそんいました
すきなことをやりつづけました
そんなあるひいっぴきのキリギリスは
たのしそうにうたをうたっていました
「ありさんありさんどうして
どうしてこんなあついひに
あせみずたらして
はたらいているんだい」
「なにをいうんだ
いまのうちにはたらいて
おかないともうすぐ
もうすぐさむいふゆが
やってくるんだ」
「せっかくのあついなつに
すきなことをしていないなんて
そういうとキリギリスはまたうたいはじめました
こうしてさむいふゆになりました
いっぴきのアリがいいました
「きみははたらきがわるい
すまないがきみにくわせるものはない
ほかにいってくれ」
こうしておおくのありがおいだされてしまいました
いっぽうキリギリスもさむさにこごえていました
のこったアリたちはことしもふゆをこせたと
ばんさんかいをひらいていました
アリはいいました
「ばんさんかいのために
うたでもうたってくれないか」
アリたちはたいそうよろこんで
よういしてくれました
いっぽうおいだされたアリは
いくあてもなくさむさのなかを
こごえていました
そういってしんでしまいました
「中華思想」はそう単純な思想ではないので
安易に「中華思想みたいだ」「中華思想を分かってるのか」などと言ったら
という教訓が得られましたね
絡んだはいいけど各個撃墜されて醜態さらしてるだけじゃないですか
「話をうやむやにして元増田を擁護する」すら出来てませんよ?
だから、白票の数が増えた場合、『実現不可能だが多くの国民に支持されそうな政策』を
マニフェストにする党がどんどん増える。
白票は絶対に投じるな。
つまり政策を理解できないバカは投票しないのが一番適切な行動だってこと?
あと,投票率が高い高齢者層は政策を理解している賢い人たちばかりってことなのかね.
わからないんだから素直にエキスパートに任せる,というのは賢明なふるまいではある.
全員がその行動をとったら成立するけど,ある特定のグループだけがそれに従ったら,
その賢明なふるまいをしたグループに属する人たちだけ不当に不利益を被るよね.
白票投票の価値は,自分が属するグループが「投票率が低いので選挙的にケアする必要のない層」と
まぁそれでも白票ではなくどこかに投票しろよ,という考えはわかるけど.
その場合,政策がわからないバカはどこに投票したらいいのかね.
バカだから『実現不可能だが多くの国民に支持されそうな政策』をマニフェストにする政党に投票しちゃうけど,
それでめでたしめでたし,なのかね.
今日から実質3連休で課題をたくさんやらないといけないのに悶々としてるので、
ここに書かせてもらう。
(何も起きません)
俺
42歳
169cm
ブサではないが、どうみてもイケメンではない。
妻一人子一人
いろいろな世代の人が来ている。18人とのこと。
俺は一番前の席なので、周りに気付かなかったが、
どうやら年長者の部類らしい。
なのに、後ろの席のお姉さんがちょいちょいちょっかい出してくる。
席が近いからすこし交流を持ちたいんだろう、くらいに思ってたんだが、
後ろの席のお姉さん
たぶん30前半
超スレンダー。出るとこ出てません
身長155くらい
色白
2児の母らしい
日ごとにいろんなことを、独り言のように、隣りの子と喋るように、俺に聞こえるように、
喋ってる。
「花柄のシャツ素敵~」
「え、お昼カレーなの?」
「ねぇ、似顔絵描いたんだけど~」
「俺さんてさぁ、一人で平均年齢上げてるよね」
「ねえねえ、俺さんて、授業中寝てるけど、何しに学校来てるの?」
そこそこ仲良くやってます。
個人的にはこれで幸せな学校生活を送れてめでたしめでたしなのだが、
事件が起きた。
実習があって、みんな席を立って歩き回ってた。
最後に席に座って…となったとき、どこでもいいから座ってくださーい、ということで、
その子が俺の隣りに座った。
「俺さんの隣りだ~」
少し小さな声。
「ん~?」と言いながら横を見ると、
160cmくらい
20代、たぶん。
ダボダボのオーバーオールの格好の時が多い→以後これをネタに話を成立させることが多い、というか毎回
喫煙者←あ~残念
あっちゃんのファン
「なにニコニコしてんの~?」とこちらもぎこちない笑顔になってみる。
その後、解散するまでずっとニコニコしてこっちを見てた。
その時は、おじさんが珍しい&会話のネタがないんだろうと思ってた。
翌日の帰り。
立ち上がって後ろを振り返るとあっちゃんがニコニコして立ってた。
どうやら俺の斜め後ろの席だったらしい。知らなかった。
「おっ、今日(オーバーオール)着てないね。お休み?」←これしか切っ掛け思いつかない。
「俺さんの低い声が好きです~」
え?え~?
ふたまわりくらい離れてる子に???
翌日、かな?
ビシッ、と俺の前に立ち、
「俺さんのご希望通り、着てきましたw」
「ははは、平常運航?」
暇を持て余している神々のような方が読んでくださればうれしいです。
http://wired.jp/2012/08/16/disney-vs-miyazaki/
こちらの記事を読んで個人的に感じたことを。
結婚について今更ながら考えるところのある33歳独身の女です。
うちの父にちょっと似てるな、と思い、なんとなく懐かしく思いながら読みました。
本人に育児方針など直接聞いたわけではないんだけれども。
父はとにかく宮崎アニメの大ファンで、わたしが小さいころから、新作が公開されるたびに家族で鑑賞するのが恒例でした。
わたしが初めて風の谷のナウシカの映画を見たのは4歳のときでした。
子どもに聞かせるつもりで話していたのかどうかわかりませんが、父が、クラリスやシータの受動性と対比させつつ、ナウシカの勇猛果敢でありながら豊かな母性に溢れる高潔な精神を繰り返し賛美していたのをよく覚えています。
「ナウシカ=父の理想の女性像=わたしがナウシカみたいになればお父さんは喜ぶに違いない=わたしはナウシカのようにならなければならない」
という式をわたしは自分の中で早い時期から確立させていたように思います。
もともとの性格に加え、夫の転勤について行く専業主婦、という立ち位置が余計に母をそうさせていた面もあるのかもしれません。
「これからの時代は、女性も社会に出て男性と対等に働いていかなければならない。そのためには小さいころから努力しなさい」
「お母さんのように専業主婦になってはいけない、これほどむなしい生活はない」
と母から繰り返し聞かされて育ちました。
ですからわたしは、周囲に比べるとよく勉強していたほうの子どもだったと思います。
ローラ姫を助けたときに抱いた嫌悪感を、今でもわたしはよく覚えています。
「なんて依頼心の強い女なんだろう!こんな女にだけはなりたくない!」
努力が実り、わたしはまずまずの大学を出て、同世代の他の女性に比べるとわりとお金をたくさん稼げて、しかも長く続けやすい仕事に就くことができました。
今の仕事に就くまでにはずいぶんと紆余曲折があり、決して順風満帆ではありませんでしたが、まあとにかく、わたしは母が願っていたとおり、社会的に自立した女性になりました。
このポジションを得てから、わたしの自己肯定感は急激に強く満たされました。
いろいろ考えてみると、そのひとつに
「これで父の期待にも応えられたはずだ」
という達成感があることに気づきました。
この仕事は、女という性の特質、具体的には「母性」を発揮するのに非常に適した仕事でもあったからです。
自分の中で、ナウシカという強く優しい理想の女性への父のあこがれと、母から期待される「女としての自立」という目標とが混ざり合い、そのすべてを叶えることができた自分が、何かすばらしい存在に思えたのだと思います。
念のために書き添えておきたいのですが、多くの若者がそうであるように、親の期待や願望の言いなりではなく、わたしもあくまで、ときに両親に反発もしながら「自分の意志」で道を選び続けてきました。
今から自分の落ち度というか、重大な取りこぼしを書くのですが、それを両親の育て方のせいにしたくて書いているわけではありません。
この文章を書いているのは、幼少期からの親との関係性がどのように「自分の意志」の形成に影響してきたのかを自分なりに分析してみることが、これからの自分の人生にとって、なにかしらの糧になるだろうと思ったからです。
わたしの取りこぼしとは簡潔に言うと「努力が報われるのは、正しい方向に努力したときのみである」ことを失念していたことです。
仕事で成功したいのであれば仕事を頑張ればよい。スキルを上げることはもちろんのこと、上司や部下との円滑な人間関係の構築、根回しのやり方なども含めて、的確な努力を続けていればだいたい結果はついてきます。
当たり前ですが、仕事を頑張ってついてくるのは通常、仕事の成果のみです。
という話は、わりとあるように思えるかもしれませんが、そのふたつは直結はしていないと思います。
仕事を頑張る姿に惹かれて、というのはあくまできっかけでしかありません。
過程には必ず、純粋に「結婚を成功させるための努力」があるはずです。
ここを穿き違えていたことがわたしの失敗でした。
「彼女たちは、男性との関係以外にも、自分というものを持っている。たとえば『千と千尋の神隠し』では、10歳の千尋が両親を助けるために自分の身を危険に晒す。ストーリー構成に含まれるロマンスは、本題から外れており、千尋の生活の中心ではなく、両親を助けるという使命のサイドストーリーにとどまる。こうした特徴は、『ハウルの動く城』など宮崎作品の多くに共通する。
わたしはロマンスに反対しているわけではない。わたしの大のお気に入りである宮崎作品は、『ハウルの動く城』と『耳をすませば』の2作品だ(後者は宮崎氏は脚本を書いたが監督はしていない)。いずれも完全に公式に従った古典的ロマンスだが、この2作品のヒロインであるソフィーと雫はいずれも、異性との関係のほかに、関心事や自分の生活、個性を持っている。」
他ならぬ『風の谷のナウシカ』も、まさにそうです。
多くの宮崎アニメにおいて、ロマンスはサイドストーリーなのです。
わたしは自分の人生において、これをそのままなぞってしまったのです。
その結果、33歳独身、あんまりさびしいから猫でも飼うか、などと考えているマンション暮らしの独身女性がここにひとり、できあがりました。
ナウシカとアスベルは最後まで結ばれません。千尋とハクだって。
ハウルとソフィー、雫と聖司は結ばれますが、後者が前者と違うのは、やはり作中で「恋」「愛」そのものに向かい合った努力をしているところです(耳すまでは、その努力をしているのは主に聖司のほうですが)。
ナウシカや千尋は、恋い慕う相手と結ばれることを努力目標にはしていません。
心が通じ合う喜びを知りこそすれ、そこまでです(ナウシカは原作を読むとその辺の距離感がよりわかりやすいのですが)。
そもそも、風の谷のガンシップとアスベルの赤いガンシップが「おい待てよ~」「つかまえてごらんなさいよ~」なんて楽しく追いかけっこをしているようなナウシカなんて誰も見たくありません。
ナウシカは、みんなの姫様であると同時に誰も同じ境地を理解しえない孤高の存在でいるからこそナウシカなのです。
千尋も「ハクと離れるくらいなら千のままでいい!」なんて言ってしまったらすべてが台無しです。
ともすればストイックなまでの、あの潔さが宮崎アニメのヒロインたちの魅力を何倍にも引き立てているのです。
そしてくどいようですが、わたしは自分の人生において、これをそのままなぞってしまったのです。
そりゃストイックにならざるを得ない人生が待ち受けているに決まっています。
もともと、結婚願望はそれほど強くありませんでした。
でも、したくないわけではありませんでした。
結婚はまさに「サイドストーリー」として、おまけのようについてくるものだと思っていました。
自分の今やるべきこと(=仕事)を頑張っていればそのうち結婚もできる、と、両者を直結させて同一視していたように思います。
ディズニープリンセスも最近ではいろいろで、リンク先にあるように宮崎アニメとはっきり対極をなしているヒロインばかりではないようです。
「伝統的スタイルのディズニー作品は、古くからある「囚われの姫君」モデルに頼っている。『眠れる森の美女』や『白雪姫』、『シンデレラ』といった物語のヒロインは、状況を打開するための行動を、ほとんど何もしない。ヒロインは自分自身のドラマのなかで主体になっていないことも多い。ただ料理や洗濯、掃除をして、美貌で王子を夢中にさせるだけだ。そしてヒロインに夢中になった王子が、ヒロインが受動的に身を委ねている苦境から彼女を救い出す。
ただし、新しいスタイルのディズニー作品では、少なくとも、物語に登場する女性たちも主体になり、しばしばヒロインは王子を救うために行動する。だがプリンセスの行動は、もっぱら王子との関係のために行われるものだ。」
あくまで王子との関係性において力を発揮する、という意味で、ソフィーは極めてディズニープリンセスに近いヒロインだと思います。
そして「ハウルの動く城」のラストは、ソフィーとハウルのキスシーンで締めくくられます。大団円です。
「恋」「愛」に正面から向かい合ってひたむきに(そして的確に)努力し、苦難を乗り越えたからこそ、彼女たちは王子様と結ばれたのです。
彼女たちにとっては、それはサイドストーリーではなく、達成すべき目標そのものだったのです。
ソフィーのモチベーションが「ハウルを助けること」ではなくて「世界平和」だったら、きっとハウルとは結ばれなかったでしょう。
「昔ながらのディズニー・プリンセスも、新しいスタイルのディズニー・プリンセスも、男性を虜にして、ぜひ自分の妻にしたいと男性に思わせるだけの美貌と魅力を備えている。プリンセスが登場するどのディズニー映画でも、ロマンスは「引力の法則」、もっと率直にいえば性的関心に基づいている。
父親であるわたしがさらに不満なのは、ディズニー・プリンセスの性的魅力が、周囲の男性を変えていくほどの強い影響力を持つことだ。『美女と野獣』や『アラジン』、『塔の上のラプンツェル』といった映画について考えてほしい。ディズニーのおとぎの国では、性欲に駆られた結果として、男性が「いい人」になるのだ。
わたしは個人的に、自分の性的な魅力によって彼らを変えられると信じて、感じの悪い男性と性的な関係に陥る多くの女性たちを知っており、娘たちにそのような女性になってほしくない。これはディズニー映画の問題ではなく文化的問題ではあるのだが(われわれが購入しなければディズニーも販売しないはずだ)。 」
しかし実際、意中の男性を虜にするには、十分な性的魅力がなくては話にならないのです。
「感じの悪い男性」と関係を持つのは確かによくありませんが、だからといって性的魅力がないと王子様とのロマンスも生まれません。
性的魅力を磨くことと、「感じの悪い男性」に引っかかることは直結しません。
ディズニーの王子様達は女性にとっても魅力的な男性ばかりで、このような男性と結ばれるには女性にもそれ相応の魅力が必須である、というメッセージはなんら間違っていないと思います。
このように十分な性的魅力を持ったプリンセスたちがまさに王子様との愛のために奮闘する物語、この要素が、わたしには決定的に抜け落ちていたのです。
リンク先にもあるように、古典的なディズニープリンセスのモチーフである「囚われの姫君」は、極めて非力で弱々しく、受動的な存在として描かれます。
この弱々しいお姫様が王子様によって助けられ、めでたしめでたし。
なんて女性にとって都合のよい展開なのでしょう。
なぜ彼女たちは、助けてもらえるのでしょうか?
プリンセスの性的魅力は、王子様を意のままに操る絶大なパワーを秘めているのです。
そのことに気付いたのは、大人になってからでした。
思春期のわたしが彼女に嫌悪感を抱いたのは、美しいお姫様だから、というだけで周囲に何もかもお膳立てしてもらえるのが気に食わなかったからですが、ではなぜ気に食わなかったのか。
本当は、そういう存在にもあこがれていたからなのだと思います。
自分の中の奥深いところには、ナウシカが理想像として根付いてしまっています。
しかし、小学生女子が当たり前に生活していて、いわゆる典型的な「お姫様」的概念に触れないでいることはまず不可能でしょう。
自分の家にはなくとも、たいていの友達の家には少女漫画がありますし、ディズニーのビデオ(当時はビデオ)だって。
思春期、わたしはまさに、ディズニープリンセスになるべきか、ナウシカになるべきか、で葛藤をし続けていました。
今思えば両立も決して不可能ではありませんでした。
わたしはナウシカを選びました。
そのまま中学生になり、高校生活を過ごし、大学生になり、社会に出ました。
そして、ディズニープリンセス達の力がいかに強大なものかを知ったのです。
彼女たちは、同期ばかりでなく上司や先輩の男性に対しても、強大な力を見せつけてくれたのです。
そして彼女たちはいつでも「恋」と「愛」については全力投球でした。
努力は彼女たちをますます美しく魅力的な女性へと成長させ、そうして十分に性的魅力を獲得した彼女たちは、王子様のもとへと嫁いでいきました。
プリンセスにも、いろいろいました。
賢くて仕事がとてもできる人、そこそこ普通に仕事をこなしてる人、どっちかっていうとあんまり仕事ができない人。
でも、彼女たちの結婚に、仕事で頑張っていたかどうか、は関係しませんでした。
あくまで女性として魅力的かどうか、でした。
当たり前すぎる話です。
もちろん、プリンセス達にも悩んでいる人はいるかもしれませんけど。
かつてのわたしの母のように。
わたしも今の人生を後悔しているわけではありませんし、今からでもご縁がないわけではないのかもしれません。
けれども自分にもし女の子が生まれたら「美しく魅力的な女性になってほしい」というメッセージは発し続けたいと思っています。
仕事を「サイドストーリー」にするかどうかは本人次第だけれども、性的魅力を高めておくことの大切さを知ることは、非常に重要だと考えます。
長すぎました。
申し訳ありません。
ネタバレです。
エンタメ映画としてはド迫力でとても楽しめるものだったと思うけど、どうもあのテロを金持ちヒーローの活躍で叩きのめすあたりが、「資本主義万歳、共産主義なんてクソ食らえ」っていうアメリカ的な考え方が満載でちょっとウエってなるよね。
あと、最後の最後でバットマンが核爆弾を海のはるか沖まで持っていって爆発させ、これでゴッサムは救われた、めでたしめでたし、って感じになったけどさ。
あれって要するに「自分の命と自分の住んでいるところが無事であれば、あれだけ遠くで大爆発が起ころうが知ったことか」っていう意味だよね。
あのシーンは、自国が戦場になったことのないアメリカ人たちがのたまう「自由と平和(笑)のための戦争」のイメージがもろに出てるような気がしたな。
てか大体あんなにでっかくキノコ雲が見えるような距離であんなに派手に核爆発が起こったら、ゴッサムだって放射性物質が大量に降ってくるだろうし、ただでは済まないと思うんだけど。
ま、フィクションにあれこれ文句つけるのは無粋だということは重々承知なんだが、やはりアメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための映画だよなあ、という感想を抱いたのでした。
私は少なくともお金持ちではないが、お金に対して恐らく真理であるだろうことの一端を掴んでいると思う。それは、お金に価値があるという誤解が経済を破滅へ導く、ということだ。
まず最初に自覚すべきことは、お金というものはそれ単体ではなんの価値もない、ということだ。本当に価値があるのは土地や食べ物といった現物であり、お金そのものではない。お金は単にそれらのものと交換が出来るだけで、もしお金を何かしら現物や権利と交換できないとしたら、それは単なる紙切れでしかないのだ。
ここで敏い方ならこう思うだろう、定義が違う、何かと交換できるものがお金と定義されているのだ、と。しかしそれはやっぱり違う。お米と着物を交換したとしても、お米も着物もお金とは違う。では、いったい何がお金をお金たらしめているのか?それは「信用」だ。
そもそも私たちは物を売るとき、買うとき、なぜお金を使うのか?それは、私達がお金は多くのものと交換することが出来ると信じているからである。ここで重要なのが、みんながお金を信じている、ということである。
ここでひとつ極端な例を出そう。あなたはコンビニでレジ係をやっている。やってきたお客が山ほどのお札を出してジュースを一本買おうとした。しかしそのお札は、ジンバブエ・ドルだった。あなたはジュースとジンバブエ・ドルの交換をするだろうか?しないだろう。お客は一生懸命あなたに説明する。このジンバブエ・ドルは偽札ではないこと。日本円で考えたらジュース一本分の値段に相当すること。しかしそれで納得するだろうか?しないだろう。なぜか考えてみた時、答えはジンバブエ・ドルは他の場所では使えないから、というものが出て来はしないか。それはジンバブエ・ドルが通貨として有効だと思われていない=「信用」がないからである。
この「信用」がなければ、お金はただの紙切れにすぎないのだ。
では、この「信用」を作り出しているのは何者なのか、現代のお金はいかにして発行されているのかを追求して考えると、巨大な詐欺と呼んで差し支えない構造に行き当たるが、それは本題ではないので置いておく。今私が話題にしたいのは、みんながお金を信じているという事だ。みんながお金に価値があると信じた時、お金は様々な手段で自己増殖をはじめる。
上手く説明できるかわからないが、例を紹介しようと思う。余談だが、この例を理解してくれる人に出会ったことがない。
AさんとBさんがいる。AさんはBさんに100円を借りた。利子は1割で、AさんはBさんに110円返せばいい。そしてBさんはAさんに100円を1割の利子で貸すという証文を書いた。この証文は約束を書いた紙切れである。しかし、お金を信じている人にとっては110円の価値がある証券である。けれども待って欲しい。今、AさんとBさんの間には100円しかない。だが、利子付きの借金のおかげで、二人の間では110円のお金がやり取りされることになっている。この10円はどこから生まれたのだろうか?それは二人の間の「信用」から生まれたのだ。Aさんは、後から110円にして返すから今100円を貸して欲しいとBさんに頼んだ。Bさんはその言葉を信じたから100円を貸したのだ。その「信用」を計ったところ、10円に相当した。言わば、この10円は「信用」に依って生み出された仮のお金なのだ。
さて、Aさんがどこかから10円余分に引っ張ってきてBさんに110円を返すことができたら、めでたしめでたしである。しかしそれが出来なかった時、どうなるのか?110円を用意できなかったAさんは、他の人から120円返す約束をして110円を借りるかもしれない。しかしそうしたらまた10円分仮のお金が増えてしまう。この利子分は仮のお金で現金ではないが、お金を信じている人は利子分を含めた証券を見て、120円のお金があると計算してしまう。こうして仮のお金は増えていく。このお金が増えるプロセスの中で、20円に相当する現物などの富が新たに生み出されたりしたわけではない。未来にそれが手に入ると信じて増えたお金なのだ。
この利子(と言うより信用取引全般)に依って増えるお金は「信用」さえあれば簡単に増える。実態のない仮のものという注意書きはつくが。そしてそれは条件を満たせば実際に現金に化けるのだ。お金そのものに価値があると信じている人は、額面のお金を増やすためにどんどん信用取引をはじめる。お金が自己増殖をはじめるのだ。
しかしこのお金は実態のない仮のものだということを忘れてはならない。それを忘れた顛末がバブル崩壊やサブプライムローン問題なのだと思う。これらの事件では膨らみすぎた架空マネーがポンとはじけて消えてしまった。増えすぎた仮のお金が実際の富と釣り合わなくなったのが原因だ。
だが、仮のお金が生み出される構造が残っている限り、同じ事件は何度でも起こるだろう。そして大きな問題は、現代の資本主義は信用取引なしでは回らなくなっている。
ここでもう一度声を大にして言いたい。本当に価値があるのはお金の額面ではなくて現物なのだ。それを忘れた取引を続ける限り、資本主義経済は自滅への道を歩み続けることになるのだ。
どうみてもアスペな親戚の医者がローラみたいな嫁さんを貰って真人間になった
http://kijyosokuhou.blog.fc2.com/blog-entry-772.html
結局、話は「破れ鍋に綴じ蓋。良い家庭ができてめでたしめでたし」で終わってる。
アスペ関係なし。
アスペって言わなくてもこの話十分通じる。
最初の部分は
うちの親戚に、
どうしようもなく空気の読めない男がいる
次の部分は
あれから十年
彼はなんかしらんが真人間になった
で通じる。
元の投稿者が意識的か無意識的かは分からないが、単にアスペって単語使いたかっただけ。
それが誤解・偏見をまき散らすことも知らずに。
頼むから、医師の診断書を見ずに「私、うつ病だー」「あいつ、アスペだー」みたいに自分や他人を勝手に精神病認定しないでくれ。
生活保護削減、防災に200兆円集中投資 自民次期衆院選マニフェスト概要判明
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120406/stt12040601150000-n1.htm
136 ソーゾー君 [] 2012/04/11(水) 12:24:16 ID:JlZTtBO2O Be:
一時的に豊かになりましたとさ…めでたしめでたし…
おしまい。
……ここからが始まりじゃねーの?人住めないよ?作物育てられないよ?
石油だけでなく食料も主食の米まで欧州の銀行家=米国=穀物メジャーに依存するの?
今米国に石油を一極依存しているから価格を好きなように操作されてるんだよ?
数字に価値なんかないんだよ…数字と交換するものに価値があるんだよ?
数字を保有していたら米が作れるのか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
生活保護削減、防災に200兆円集中投資 自民次期衆院選マニフェスト概要判明
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120406/stt12040601150000-n1.htm
136 ソーゾー君 [] 2012/04/11(水) 12:24:16 ID:JlZTtBO2O Be:
一時的に豊かになりましたとさ…めでたしめでたし…
おしまい。
……ここからが始まりじゃねーの?人住めないよ?作物育てられないよ?
石油だけでなく食料も主食の米まで欧州の銀行家=米国=穀物メジャーに依存するの?
今米国に石油を一極依存しているから価格を好きなように操作されてるんだよ?
数字に価値なんかないんだよ…数字と交換するものに価値があるんだよ?
数字を保有していたら米が作れるのか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
地熱発電の利用拡大に伴い、各地の温泉地付近に地熱発電所が建設されるが、その結果として温泉の枯渇が取り沙汰されるようになる。
そんなある日、山岡夫妻行きつけの温泉付近に、大規模地熱発電所の建設計画が持ち上がる。現地の反対運動に参加している山岡夫妻たちの前に、経産省の官僚と電力会社の幹部が現れて、説得を始める。
電力不足の時代には地熱発電所が必要であること、温泉資源が枯渇する可能性はあくまで仮説であり、因果関係は実証されていないこと、たとえ仮に因果関係があるとしても経済価値を考えれば地熱発電所の生み出す経済効果の方が遥かに大きい事を説く。
山岡「ふざけるんじゃない、経済効果とやらの為に、日本の温泉文化が失われてもいいってのか」
で、山岡さんが経産省官僚と電力会社幹部を別府鉄輪温泉に連れてって(陶山陶人辺りに誘いを掛けさせて、二人を呼び込むとかなら、まあ自然な流れだろう)、地鶏の地獄蒸しやらプリンやら地獄釜フルコースを食わせる。で、昔からの長逗留文化があることを解説する。
山岡「経済成長を追い求めた結果が福島原発の事故だ。あの事故で福島の貴重な食文化や農業が大打撃を受けた」
FlashとHTML5が棲み分けできればめでたしめでたしだけれど、
HTML5がごっそり持っていく部分こそが、
ウェブ開発においてまさにFlashが独占していた分野なわけで、
「Flashで実装されたキラーアプリ」も最近では全く見ないじゃん。
俺が知らないだけだったら申し訳ないけどさ。
「GPUアクセラレーションつきの3D」でグリグリ動くブラゲでボロ儲け、なんて事例が出てくればいいけど。
一般にFlashを必要とする場面が昔に比べて圧倒的に少なくなってるよ。
それに、ようやく現れた対抗馬が「Flashキラー」としてもてはやされるのは、
つまりみんな「Flashには死んでほしい」と思ってるってことなんだよ。
IE6みたいにね。
「金儲けなんかより善いことをしたい、何か社会貢献をしたい」と思う自分がいる一方、
「善いことなんてどうでもいい、金儲けをして贅沢な暮らしをしたい」と思う自分もいる。
これはあくまでも一つの例であるが、このような自身に内在する一見矛盾した関係にある二つの自分の存在に対して自分は深く悩んでいた。
自分の軸はどこにあるのか?そんなに優柔不断でいいのか?というように。
そこで、悩みを解消すべく、この自己矛盾の正体について考えてみようと思った。
まず初めに考えたのは、
仮に自分を中心とした円形に広がる輪(自分→家族→友達→所属するコミュニティ→所属する組織→…という広がりをする輪)
があったときに、「内側から外側に向けて優先度をつけて物事を考えていく自分」と、
「外側から内側に向かって優先度をつけて物事を考えていく自分」という二つの自分がいるのではないか、
それこそ矛盾する二つの自分の正体ではないか、というものである。
しかし、すぐにそれは違うと思った。
そもそも「外側から内側に向かって優先度をつけて物事を考えていく自分」なんて存在しない。
時と場合によって自分と対象との距離が変化することはあるけれど、
人は、自分を中心に輪の内側から外側に向けてでしか物事を考えることができないからだ。
ただ、そこでふと思ったのは、中心となる自分がただ一つとは限らないということだ。
人は自分を中心に輪の内側から外側に向けて物事を考えるが、中心には様々な欲求を持つ自分がいる。
そして、何か物事を考える際、その時の自分の欲求によって判断基準が左右される。
食欲、睡眠欲、性欲、購買欲、顕示欲、愛したい欲求、愛されたい欲求、悪意、そして善意も欲求の一つであるが、
これら判断基準を左右する「欲求」こそが自己矛盾の正体なのではないか。
つまり「金儲けなんかより善いことをしたいと思う自分」と「善いことなんてどうでもいい、金儲けをしたいと思う自分」
が共存するのは矛盾しているわけでもなんでもなく、
そう思う自分にいたるまでに生じた欲求がその時々によって異なるから、ということである。
例えば、誰かから善意を受けたときに自分の中に同様の善意の欲求が生じ、
それが自身の全体欲の大半を占めた場合、「善いことをしたい」と思う気持ちが強くなる。
逆に誰かから悪意を受けたときに自分の中の善意の欲求が削られ小さくなった場合、
「善いことなんてどうでもいい」と思う気持ちが強くなる、という具合に。
ここではあえて「二つ」としているが、実際には欲求の数だけ異なる自分がいるのだ。
ある欲求が満たされると全体欲に占める割合が小さくなり、
代わりに違う欲求の割合が相対的に大きくなることでその欲求が強くなる。
全体欲に占める様々な欲求の割合の変化によって物事を考える際の判断基準にも変化が生じ、
なるほど、と自分の中で合点がいった。
そしてさらに考えた。
様々な欲求を持つ人ほど多くの自己矛盾を抱えるのかもしれない。
満たされない欲求の数だけ判断基準に変化が生じるからだ。
また、欲深い人ほどその自己矛盾に悩むのかもしれない。
満たされない欲求の分だけ判断基準が変化する頻度が増し、それに伴い、物事を不要に多く考えてしまうからだ。
「自分が様々な欲求を持っていて、且つ、欲深い人間だから」なのではないか。
あれもしたい、これもしたい、でも何も出来ない。こういった焦燥がさらに悩みを加速させている。
でも、それならば悩みを解消するのは簡単だ。
欲求が多様性に富んでいるにせよ、欲深いにせよ、一つ一つの欲求を満たしていけばいいのだ。
そうすれば自己矛盾は小さくなり、物事を不要に多く考えることもなくなり、悩みも減るだろう。
では、どうすれば欲求を満たすことができるか。
残念ながら今の自分では多くの欲求を直接満たすことができず、その前段階である「準備」しかやれることはない。
それが結果的には多くの欲求を満たすことに繋がるからだ。
つまり、少なくとも今現在の自分においては、勉強することこそが、悩み解消への一番の近道なのである。
このようなことを考え、勉強机に向かったのであった。
っていうかネタだよね。まあ御免ね。
現在の中国には天子はいないので国家主席は天子では無いし、天命を受けてないよ。
違うよ。
天子やその一族がどんな要望を持っていようが徳が去ってしまえば皆殺し。
蒼天巳死という通り、天命と政治や王朝には大抵の場合タイムラグがある。
徳が失われている天子や王朝の政治が続くことはままあり、その場合世が乱れ民が苦しむってことになってる。
「ちゃんと禅譲しないから皆殺しにするしかなかったじゃん、テヘッ」というのも新たな天命保持者のコードとなってる。
残念ながら、これも間違い。
本朝で天命と言えば八州を治めることで、天子と言えば皇室のこと。
日本はつーねーに、海の外から取り入れたものを日本に適した形にカスタマイズして使うのだ。
日本人は感覚でそれをやりこなすので、そのあたりの勘を理解出来ない元増田のような間違いはむしろ中国人に多い。
もはや天命が云々ではなく人民解放軍の武力こそが支配権の背景となっている。
こういうと「なんで遠い辺境のミカドに?」と思う人もいるかもしれないが
代々そういう外部から来た民族の天子が平原に入ってきたのが中華の世界なので、理屈としてはマジでそうなる。
もちろん彼らとしても、今更そんなことするわけがない。