はてなキーワード: 児童とは
要介護者なんだといわれたらそうなのかもしれないけどそうするとヘルパー的な女性が訪問しておしゃべりする介護とかを想定するのか?
介護ってのは実際は賃金以上のサービスを要求されてる面もあると思うけど、建前としては身の回りの介助をするだけで、感情労働を求められているわけではない(だから人権侵害ではない)と思う。
でも、「女性とコミュニケーションしたい、優しくされて寂しさを満たされたい、満たされない恋愛の欲望に代わる擬似恋愛を得たい」ってのはどストレートに性別を限定した感情労働で、さすがにそれを公助として、金銭を対価に誰かの感情を要求するのはなんかさすがに超えてはいけない一線じゃないかって気がする。
とはいえ、老人ホームに中学生をボランティアとして派遣して交流させるとか、児童保護施設で親のように愛情を注ぐとかの感情労働は許容されてる気もするので、やっぱり恋愛とか男女の性愛の自由意志みたいなものだけに関してはお上が強要することに抵抗があるのかもしれん。なぜならば求められているものが女性であることという性別に関わるもので性差別に容易に結びつくからかな。
これが、「老若男女とわず誰かに優しくされたいので派遣してください」ならわりと通りそうな気がするが、「好ましく自分が求めるような女性でよろしく」とすると一気にアウトな気がする
ブラック校則の問題が取り上げられるたび、学校も先生も頭おかしい!おかしいルールは即撤廃すべき!って吠える人多いけど、どういう世界を望んでいるんだろうか。
子供たち自身が、自分たちで決めたルールに則って学校生活送る世界?それともすべての頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限を撤廃した上で、個々の子供と家庭に任せる世界?
自分が過去、学校生活で味わった理不尽さを思い出して憤り、「現在の学校や先生」に八つ当たりしてんじゃないかと思うことがある。
わたしは、子供の頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限、学校側が頭ごなしに決めるのは問題だと思うし、どれもなくていいと考える方だけど、
たとえばだけど、小学校卒業式の服装。とくに女子で和装の流行が問題となってきて、実質規制する学校もある。
着崩れ問題とか着慣れない服でトイレいくのが難しいとかいう、児童一人で始末付けられない問題のせい。
誰が始末をつけるかったら、それは保護者じゃなく先生になるわけよ。
じゃあ一人で始末を付けられる服装という制限だけにしたらどうか。
それならと、和装着たい子のすべての家庭がきちんと練習して着用させるかったら、あやしいものだよね。
じゃあこの規制は「合理的理由」かったら、不合理と考える人だっているでしょう。うちの子は着付け習っててちゃんと着られますとかね。
合理的理由って一言でいうけど、線引き考えてルール決めるって本当にむずかしいよ。理由づけなんていくらでもできるから。
もちろん、下着着用問題、下着色問題とかは、明らかに不合理だし、女子もちでこのルールあったら学校にねじ込んでると思うけど。
なんかまあ、全部学校のせい!先生が悪!教育委員会はクズ!みたいな論調に違和感覚えるんだよね。
ルールを撤廃したり、子供に決めさせる、家庭に任せるにしても、実際の学校現場で子供たちに対応するのは先生たちだからね。
保護者が責任持って現場でサポートしてくれるわけじゃない。子供の学校外行動に、管轄外ですから!って割り切って電話切れる学校はない。
服装、頭髪どんな表現で登下校していても、個性的ねーってみんながみんなあたたかく見守ってくれる世界に生きてる?
家庭の問題だろっていうけど、制服着てる以上、学校に登下校する様子見てる以上、どうしたって評価は学校の方についてしまう。
規制がない私立の学校説明会で聞いたけど、生徒の「華美」な服装でイチャモン電話があったら、うちは生徒の自主性に任せる学校ですって応えてると言ってた。
公立小中、公立高校、すべての学校がこういう覚悟を持てるだろうか?
まあ一度、頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限とかなくしてみたらどうかとも考えるけど。面倒を考えると踏み切れんだろうね。
俺が中学校で働いてた頃、受け持った中1のクラスに障害児が2人いた。1人は車椅子。もう1人は軽度の知的障害児だった。
クラスに補助教員もいたが、俺は生徒にも障害者と共に生きることを経験して欲しくてお世話係を任命することにした。
1人目のお世話係は最初ということもあって小学校でも児童会長をしていた真面目でリーダーシップのある春菜(仮)という女子生徒にお世話係にした。春菜には、補助教員が忙しい時に車椅子を押すことを頼んだ。
初めは、同じ小学校からの友人とともにきちんとお世話係をこなしていた春菜だったが、2週間もして新しい友人が増えるにつれ、めんどくさそうにするようになった。
そして、ついには「車椅子が重い、なぜ自分だけが障害児の車椅子を押さなくてはならないのか」と不満を零した。
そこで俺は、体育倉庫から金属バットを持ってくると春菜の足の骨をメタメタに殴った。
◆
2番目のお世話係は、クラスで一番頭が良い英二(仮)に任せることにした。英二には、知的障害児に勉強を教えてやることを頼んだ。瑛二は育ちが良く、さっぱりして優しい性格で、持ち前の頭の良さを生かし、障害児にもわかりやすく勉強を教えてやっていた。お陰で、障害児は軽度の知的障害があるにも関わらず、クラスで下から3、4番目の成績を取れるようになっていった。
英二が愚痴を溢すようになったのはそんな折だった。
「障害児に教えているせいで自分の勉強の時間が減る」「どうして障害児は自分の力で勉強せずに人に頼るのか」、ある日俺は英二が放課後の教室で友人にそう話しているのを聞いてしまった。
そこで俺は、そばにあった椅子を手に取ると英二の頭をボコボコに殴った。
◆
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。
私は吃音症というやつで、うまくしゃべれない。「どもる」というやつだ。
「きよしこ」は、吃音症である重松清の実体験ベース(といわれている)の児童小説。
主人公の「きよし」の小学生~高校生時代を描く短編集の形になっている。
私はこれを読んで、はじめて物語の主人公と自分を重ねるというのを体験した。
今まで読んだ小説、映画、ゲームなどでは、どんなに不器用なキャラクターでも、「普通にしゃべる」ことができていると、「自分とは別の生き物が何かやってるなあ」という気持ちでしか見ることができなかった。
もちろんそれはそれとして楽しめるんだけど、「主人公に自分を重ねる」という楽しみ方とは縁がなかった。
言えないもどかしさで、モノに当たってしまう。
転校か、また自己紹介しなきゃいけない...
母親が吃音を治す教室に通わさせてくれるけど、効果があるとは思えない。
加藤くんと仲良くなりたいけど、「カ」は苦手な音だ。
いじめっ子が怒ってどもらせるためにちょっかいをかけてくるけど、全部無視。
今こう言ったら、みんな爆笑するだろうなあ。でも言えない。
言葉に詰まっていると相手が「コーヒーですね」と察してくれるけど、本当は「紅茶」と言いたかった。
全部覚えがある。きよしは私と同じだ。
そんなきよしが、吃音を抱えたまま大きくなっていくのを、自分のことのように喜べた。
大げさだけど、物語を味わう喜びをやっと知れた、という気持ちになった。
それだけです。
男児も含めて用語としては「児童性愛」だっけ? そうした考えを持つことそれ自体が悪だと見なす人がいる。
実際、Twitterでそうした主張の人と少しだけ意見交換して、「いくらなんでも内心は自由でしょ?」と言ったところで全く聞き入れてもらえなかった。
確か、幼女ドールで炎上していた頃だったかと思うけど、幼女ドールは児童性愛趣味自体を認めてしまうことに繋がるからダメなんだってさ。
でも無茶言うな、だとしか思えなかった。
私は特になんの変哲もないような大人の男性で、ロリ趣味はなく、どう説明すればいいのかわからないが、一般的なAV的なところを好む程度の性的指向があるだけだった。
だから、例えばまだまだ未熟な小中学生を見たところで、特になんとも思わない人間だ。……と割とずっと思っていた。
この冬、田舎に帰ったんだ。
この田舎には、地元では有名な温水プールがあり、冬でも楽しめる。
あんまり行かなかったんだけど、そこは大浴場もあり、ちょっとしたサウナもあって、それも目当てで半日くらいゆっくり過ごそうかとプールにも入ったわけよ。
その中に一人、ど偉い美少女がいたわけよ。
個人的には、かの国民的美少女コンテストの全国大会最終選考レベルだと思った。
歳の頃はどうやら小学六年生のようだった。その子が友達となんかそんな話をしていたのが聞こえたからわかった。
そこそこ広めの温水・室内プールに十数名程度しかいないんだから、どうしたってその少女に視線がいってしまう。
私は、田舎に来ていた親戚の子供を連れてプールに来ていたんだけど、親戚の子供なんか半ばほったらかし。
で、その少女が割と目の前のプールサイドに来て、ワンピースの水着の肩紐?を、その手でちょっと直すような感じで触れた時に、一瞬だけど胸が見えてしまったわけ。
勃起するな、なんて無理だった。
プールサイドの椅子に座っていた私は、慌てて近くの子供用プールの中に逃げ込んで、下半身を隠すようにして座るしかなかった。
その直後だったかと思うけど、ほんの一瞬だけその美少女と視線が合った。
彼女が私のえっちな視線に気づいたのかどうかは知らないが、それ以降は遠くの方へ離れていってしまったし、勃起してしまった私は恥ずかし過ぎて、もはやその美少女を見ることは出来なかった。
田舎から帰ってもしばらくはあの一瞬がどうしても記憶から呼び起こされてしまい、勃起こそ我慢できたものの、股間に熱いものを感じざるを得ない日々が数日続いた。
それくらい衝撃的だったんだと思う。
しかもそれ以来、街中で可愛めの小学生高学年くらいの女子を見かけてしまうと、どうしても意識がそっちにいってしまうようになった。
エロい想像まではしないように、別のことを考えるように努力はしているけど、一度そうなってしまうとこれがなかなか・・・。
p_funny 人口の3割もペドいないのに児童性虐待の3割がペドなら、ペド需要の児童ポルノ製作者も含めればペド犯罪率は十分高い。
心の中でお前を惨殺するだけの善良な人がお前そっくりな人形を滅多刺しにする権利でも守ってろ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/yukonakami16/n/n78561df61ce9
小児性愛的な内容に対して成人によるものと同等あるいはそれ以上の性的興奮を感じるという人に限っても成人男性の25%に達する
あなたが想像しているほど小児性愛に対して全く性的興味を抱かない人間は圧倒的多数派ではない
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0005789405800395
昨日の夜まで、Vの朗読!高専の検索避け!君はどっちの炎上バトルを選んで戦う?!みたいな感じだったのに、今朝になったら高専の検索避けに心痛めてツイ消しする人増えてて笑う 笑えんのだが タイムライン構築失敗したわ
そんなの少年漫画でも児童向けでも同人エロ絵が出てくる問題で学級会が年一回は開催されてるんだから、今回も絶対出てくるやろ、わかりきったことだろが
今なの? 今までその学級会見ずに生きてきたの?
同人何年もやってて、今回のジャンルに限って一般人からの検索を一切考えずに公開アカウントで腐ツイを投稿してたの?
で、今「この単語だと一般人の検索に引っ掛かるから………」って遠慮してTwitterやめるの?
今?Twitterで同人こんだけやってきて?インターネット一年生か?インターネット一年生なら仕方ないけど
Twitterのことゴミ箱だと思ってるから治安が悪いと楽しいんだけど、被害者みたいな顔をして「私は加害者だったんですね………Twitterやめます………」みたいなことを言われるとオイオイ待てやお前もゴミ箱に住んどったんやろ?!泥すすっても生きようや!これまで踏みつけたもの忘れてキレイに生きてる顔すんなよ!と思ってしまうんだよね………
いやほんと今さらなんだよな
よそのSNSに移住できないし公式も一般人もおるってわかりきってるTwitterなんかで腐投稿してたおまえが何もかも原因なのに今さら「私が悪かったです」みたいな顔をするな 極悪人のままTwitterを生きていけ
で、5分座ってられない。
あと、知らない場所に行くとテンション爆上げで走り回りながら色んなところを見て回るので、発達支援の先生からは、満面の笑顔で
「うん!!1学期は15分座れるかなって感じ!」
と言われズッコケた。
で、体育倉庫の南京錠に目をつけて、ガチャガチャやってたら、校長先生とか児童とかが4〜5人集まってきて、しまいにゃピッキングの真似を始めるも皆は見守るだけで、校長先生が支援の先生に
「これってちゃんと閉まってるよね?」
あとは、鶏小屋とか支援教室のトランポリンやバランスボールで遊んで、放課後になったら何故か校庭に飛び出して、鉄棒やってる高学年の女の子の真似してみたり、突如男の子に背後から襲われ鬼ごっこが始まり、息子はテンション上がりすぎて男の子の腕をがぶっと噛んだ。
あああ、またやった、これでまた子どもに謝って相手の保護者と談判しなきゃならん、と心中一瞬でぐったり疲れたが、児童はケロリと
「せんせー、かまれたー」
「そりゃ君が追いかけ回したら噛むよ」
世界ではそれを他害って呼ぶんだぜ?
いいの?それでいいの?
その後、高学年女子とじゃんけんやったり、けんけんやったりして、ご満悦で帰宅した。
普通の支援級のある公立小学校だが、私もここならこの子も多少は安心して学校通わせられるな、と思ったのだ。
「私から見れば息子くんが入学前だから大目に見てもらえたとしか思えないし、増田が子どもをどう躾けてるかとか、アクシデントの時にどんな対応するかとか観察してると思うよ。学区にその学校しかないから選べなかった子とか迷惑でしかないだろうし。大体子ども同士は仲良くしてたところで、保護者が増田と増田の子を受け入れてくれるかは別だから」
と、世の中の障害児観としてのド正論を突きつけられ、結局のところ、また保育園の時と同じく、学校に謝罪し子に謝罪し子の親に謝罪して私は生きるのだろうと覚悟しなおした。
親子ともどもこの世からいなくなりたい。