はてなキーワード: 児童とは
若い頃に心身がシャキッとしてた人が年老いてボケたら色んな悲哀がつきものだけど、
生まれつきボケた赤ちゃん、ボケた児童から人生がスタートして、ボケた青年ボケた中年へとシフトしていく人生にはまた別の幸福感があり、常人には想像しがたいものだとおもう
調べていたら運悪くtogetterなんか検索で出て、内容を読んでしまったので。
米国児童保護団体が国連の漫画アニメ規制への反対署名活動を開始。「架空のキャラを守る暇があったら、実在児童を守れ!」
https://togetter.com/li/1324410
関連:Experts to United Nations: hentai ban would be a mistake
https://prostasia.org/blog/experts-to-united-nations-hentai-ban-would-be-a-mistake/
児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書の履行におけるガイドライン案(仮訳)
https://beni-uo.hatenablog.com/entry/2019/02/15/221540
https://togetter.com/li/1319634
そもそも本来児童ポルノ禁止法自体日本に限らず、実在児童保護が目的なのだから、創作物まで含める事はその本質を歪ませる事になるので、まともな児童保護団体ならこのふざけたガイドライン改悪に反対するのは当たり前なのよね。
何故か児童保護を謳う団体にこの手のまともな団体が存在しないのが今まで異常すぎただけで。
本当何故か宗教団体がこの手の問題に絡んで色々やらかしているからおかしな方向に進んでいるんだわ。
児童保護施設の予算はつけずに規制強化ばかりに興味があって、挙句未だ児童ポルノとは関係のない創作物まで規制しようとしているとか本気でこいつら規制団体こそ児童の権利を自らの思想を押し付けるための道具としてしか利用しておらず、児童保護に興味がないと言われても仕方がない状況にあると思うんだけどねえ。
しかし相変わらずツイッターの界隈は変わってないなと読んでいて実感。
本当に読んでいるだけでイライラする。
でもツイッターの人間はどうせツイッターで騒いでいるだけで何もしないのが大半なのだろうなあと思ったりする。
やってても良くて署名程度でしょ。
特にこれを引き合いに出してリベラルのバッシングをしたいだけのネトウヨなんて絶対に何もしていないと思う。
奴等に関してはオタク界隈を利用しているだけでオタクであるかすら怪しいしな。
過去の都条例や児童ポルノ禁止法の時を見ているから余計にそう思う。
しかし署名なんかより普通に国連に対してパブコメ出してほしいと思うんだけどねえ…。
本当英語話せないにしてもgoogle等の自動翻訳でも短い文章ならまだ精度的にもマシなのも出るだろうと思うのにね。
3/31日までだからもう少ししか期間もないし、word方式で英語、スペイン語、フランス語のみと日本人からしたら敷居は高いけどさ。
DRAFT Guidelines on the implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the sale of children, child prostitution and child pornography
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRC/Pages/DraftGuidelinesOPs.aspx
本当最悪、61段落の
>61. Child pornography is defined in article 2 OPSC as "any representation of a child engaged in real or simulated explicit sexual activities,
>regardless of the means used, or any representation of the sexual parts of a child for primarily sexual purposes".
>The qualification "by whatever means" reflects the broad range of material available in a variety of media, online and offline.
>It includes, inter alia: visual material such as photographs, movies, drawings and cartoons; audio representations; any digital media representation;
>live performances; written materials in print or online; and physical objects such as sculptures, toys, or ornaments.
辺りを抜き出して、「漫画は児童ポルノではありません」とgoogle辺りで機械翻訳かけてwordファイルで出してくれるだけでもありがたいのになあと思ったりする。
パブコメは数が重要なファクターなのはどこであっても事実だったりするので。
そりゃ内容もあった方が良いけどさ。
本当一般人だけでなく、同人屋や漫画家なら猶更この問題ダイレクトに直結するだろうにと思ったりする。
ツイッターだけで騒ぐのではなくお願いだからパブコメを出してほしいと思ったりするよ本当。
それとメールなりで表現の自由を大事にしてくれる団体に国内外問わず意見しお願いするとか色々やる事あるのにね。
英語ができるならば猶更ね。
いつもながらツイッターで騒ぐだけの人が余りにも多すぎだわ。
本当ダウンロード禁止法問題がやっとひと段落したのにこれだから嫌になるね。
疲れるね。
わかる
もう完成してるモノを食べる場所について考えると、児童の時も学生の時も社会人の時も教室とかデスクしかないんだよね。社会人になっても食事に自由はないのか…。
でももしかしたら、近くの公共空間(図書館とか地区センターとか)だったら食べられるかもしれないよ。場所によっては認めてくれるところもある
男性オタクってひとくくりにすると「俺なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。
そうだね。でも傍観してたよね。
たしなめてる人見たことないよ。
もっともそんなことしても女認定されて取り合ってもらえなかったかな。
なに不自由なく伸び伸びできてた人達には私が感じた屈辱はわからないだろう。
美少女の乳揺れやロリエロネタは垂れ流されるのに、イケメン男キャラへの称賛は罵られる。
書き込みが少しでも女っぽいと「女だろw」「くっさ」とまるでそれが悪いことかのように嘲られる。
美少女アニメが飽和してるなかで、ただ男キャラが二人並んでるだけの絵がでると「腐向けかよ」「女に媚びてる」「腐女子に侵食された」と非難囂々。
少年漫画は腐女子に駄目にされた! オタク文化は腐女子に駄目にされた! 女はなんでも男の後追い!って主張を真に受けて悲しくなってたけど、調べたらコミケは当初九割が女で、今もサークル側は女が多いらしいじゃん。
後追いはどっちなんだか。
男性声優が出てるときに「かっこいい」「かわいい」「○○さん」などのコメがあったが、「腐女子わきまえろ」「腐コメするな」と言われコメが減り謝罪する人もいた。
ところが女性声優が出たら「くぎゅゅゅゅゅゅゆう!」が画面を埋めつくし、誰も文句言わない。
個人サイトを漁ったりpixivでゾーニングされてる作品を持ってきて笑い物にしたりもしてたよね。
BLだけじゃなくて女体化とか男体化とかのお遊びもキモイってこきおろしてたね。自分達がやってたクッパ姫とかは自画自賛してたのにね。
基本的に女は乙女ゲ好きだろうと腐女子だろうと攻撃されたけど、腐女子は特に人間扱いされなかったから夢女子の人が「腐女子と一緒にしないで」って必死で言ってるのもよく見たな。
あと「この作品は確かに腐女子に人気があるけどあいつらイナゴだから! ちゃんと熱い内容だから!」とか。
その一方で男オタクはどれだけ中身の薄い美少女アニメに熱狂しててもいいし、ロボットものなのにロボットそっちのけで女キャラの乳揺れに騒いでても文句言われない。
女オタクはアニメ映画の試写会で監督に「硬派な作品にしたかったのに女性がこんなに多いなんて残念」って言われたのに。
ずーっとずーっと理不尽な思いはしてきた。
直接男オタクに粘着されたり痴漢されたりした人に比べたら私はまだ被害がないほうだけどね。
なんで同じオタクのはずなのに性別が違うだけでこんな馬鹿にされなくちゃいけないの?って悔しかった。
それでもオタク文化が好きだったし、最近は女がお金だすって起業がわかってきたからほんの少し扱いがましになった。
たださぁ、「男オタクは優しいのにモテない。女はわかってない」「腐女子も他人事じゃないんだから表現規制に一緒に対抗しろ、仲間だろ?」とか言われると、「てめぇどの面下げて」って修羅の顔になっちゃうよね。
あいにく腐女子は隠れろ隠れろと言われ続けてきたのでゾーニングごときでがたがた言う人の気持ちはわかりかねます。
だって私、「原作好きな人が捏造カプや18禁エロ見たら不快になるから隠そう」っていう腐女子界隈の理屈はまぁ納得してたもの。
腹が立ったのは、男キャラ同士のハグ絵や笑いあってる絵、酷いときは男一人しか描かれてない絵に対し「腐向けキモイ」って大合唱する奴らと、そんなこと言っときながら美少女エロ絵はがんがん出してきて乳袋だのスジだのを喜んでる奴ら。
苛めてた方は覚えてないけど苛められてた方は覚えてるってよく言うよね。
君ら男性オタクは何故か自分が迫害されてる立ち位置で言うけどね。
正直私がオタクになり始めた頃はもうオタクはそんな忌避される存在じゃなかったんだわ。
今となってはすっかり市民権を得てるのに相変わらず被害者ぶって、そのくせ女への性器呼びも配慮なしエロ絵も女オタクはミーハーっていう見下しも続けてる。
連帯なんて世迷いごとはクソみたいな界隈の風潮自浄してから言え。
そして二度とオタクは優しいなんて抜かすな。
>たしなめてきたわ の人
そりゃ中にはまともな人もいるよね。
できれば私もそういう人は傷つけたくない。
でもヤバい奴が多すぎてそれが当たり前の界隈になってるんだよ。
漫画家が児童ボルノ所持で書類送検された時、ネタツイ大喜利ツイは万リツイートされてたけど苦言を呈した男性オタクのツイートは300リツイートぐらいだった。
残念ながらまともな人は少数派だ。
そうだね。
大人しくしてるとつけあがるよね。
でも当時の腐女子は男同士でカップリングするのは悪いことだと思わされてたし、女がエロ扱うのは白い目で見られがち(さもなくば痴女扱いされがち)だから、後ろ暗い気持ちがあって反論できなかったんだろうね。女の方が外聞気にするし、自分が好きな作品が自分のせいで貶されるの辛いし。
反撃すれば良かった?
確かにね。男性オタクの好きな同人誌晒して馬鹿馬鹿しい誇張表現あげつらってクスクスやればよかったかもね。うわ全然楽しくなさそう。
理論的に反論? 「顔真っ赤w」「ま~ん」ってやられるのが落ちだよ。
ただまぁ私のように若い頃は悲しい思いを圧し殺してオタクやってたけど段々成長して「あれやっぱおかしかったよね!」ってなる女オタクは一定数います。
そういう人たちがツイッターとかで今変なことを指摘しているわけ。
第一条 この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性に鑑み、あわせて児童の権利の擁護に関する国際的動向を踏まえ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を規制し、及びこれらの行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。
第三条の二 何人も、児童買春をし、又はみだりに児童ポルノを所持し、若しくは第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録を保管することその他児童に対する性的搾取又は性的虐待に係る行為をしてはならない。
児童ポルノ法を読むとこんな感じで書いてあるので
病気と断定しているのは現実の児童性愛にまでおよんで現実に支障をきたしてる奴だけだぞ。
実際のロリコンは児童性愛じゃなくて、「都合のいい女」を求めてて、それが二次元のロリ系と言われる女ってだけ。
女のサブカルが「都合のいい男」だらけのようにね。
君はあいつらが気に食わんからと現実を曲げて解釈してるだけ。自分に都合のいい異性を求めるのは男も女も変わらん。
じぶんでも「現実の女との関わり方を知らんから」といってるが、その石は「都合のいい男だらけ」のサブカルを好む女にも当たってるってこと。
定員数をはるかに超える囚人を収容しているアメリカの刑務所は看守の目が届かず、日常的にリンチが行われている。幼児/児童性愛者や性的暴行犯は「卑劣極まりない」と嫌われ、入ってすぐにリンチやレイプされることが多い。そんな目には絶対にあいたくないが、性欲は抑えられない...。だから、妻に気づかれないよう神経を尖らせ、我が子を脅して近親相姦を繰り返すのである。
https://www.nikkansports.com/general/news/201903190000235.html
小学生の男児に性的な行為をしたとして、愛知県警は19日までに、強制性交の疑いで、同県立港特別支援学校の元教諭横井正行容疑者(34=懲戒免職)を逮捕した。捜査関係者への取材で分かった。
逮捕容疑は2018年10月、私的に指導員として参加したボランティア団体主催のキャンプで、深夜の見回りの際、参加者の男児に性的な行為をした疑い。
県教育委員会は今月15日、横井容疑者が15~18年、被害者を含む計7人の男児に対し、キャンプの際にテントに侵入して下半身を触るなど、わいせつな行為をしたとして懲戒免職処分とした。キャンプには複数校の児童らが参加していた。
小学校教員経験者としての個人的な意見です。といっても大卒後2年だけ勤務(5年生, 6年生担任)してその後転職してるので、経験は少ないし時差があります。ただ最近、というか定期的に話題にあがる、かけ算の順序問題について自分の考えを書きたいと思ったので
(2)かけ算を元にしたわり算の理解
という2つを考えつつ書きなぐります。
ここではかけ算の順序を固定するという表現を使ってみようと思います。まず現状としてかけ算の学習では
(1つぶんの数)x(いくつ分)=(ぜんぶの数)
乱暴な言い方かもしれませんが、このように固定するのは必要悪だと思っています。
かけ算の順序を固定する理由をざっくり言うと、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するため、です。それに伴い、順序を固定する必要が出てくるということです。固定は副次的なものです。
例えば3 x 2という式において、(1つぶんの数)にあたる数は3なのか2なのか、(いくつ分)にあたる数は3なのか2なのか、順序が固定されない限り判断がつかず評価ができません。どっちの数がどっちだか混乱してしまいます。なので、かけられる数に(1つぶんの数)を、かける数に(いくつ分)を対応させることにより、明確に(1つぶんの数)と(いくつ分)を式の中で表明することができます。
あと、計算だけ指導するのであれば、順序の固定は不要です。実際に、意味がわからなくても計算ができる人は山ほど居ます。ただ、かけ算やわり算の意味をとらえるためには、(1つぶんの数)と(いくつ分)を区別して考えていかなければなりません。
これだけじゃわかんねーよって人は以下も参考にしてください。
授業をするからには、かならず評価をすることになります。実のところ、この順序をつけなかった場合、問題の文脈を正しく理解して立式したのかどうか、評価が難しいです。問題において提示されている事象、より厳密に言えば「現実モデル(*1)」を、正しく「数学化(*2)」して処理しているかどうかが、評価のポイントになるわけです。もちろん児童ひとりひとりにインタビューをして評価できれば良いのですが、ペーパーテスト上では、立式ができているかどうかをかけ算の順序で判断するしかありません。(もちろん、正しい順序で書けたからといって正しく数学的に理解できているかどうかはわかりません。適当に数字を選んで立式している可能性もあります。逆に、現実モデルは説明できるのに式でそれを表現できていない場合もあります。これは現在のペーパーテストによる評価の限界でもあります。)
このままだとわかりにくいので、次で具体的な例を挙げながら説明します。
(*1)「現実モデル」...例えば「1ふくろにつきももが3こ入っていて、それが5ふくろあります」というものが現実モデルの一例です。現実にはその場にももがあるわけではないですが、その現実事象を模したものが現実モデルです。
(*2)「数学化」...ここでは文章題から立式する過程のことを指しています。問題を数学(算数)の領域で解決できるようにすることです。数学化した時点で、現実モデルの情報はそぎ落とされます。たとえば[現実]→[数学]の動きの場合、「りんごが2こと3こでぜんぶでいくつ」→「2 + 3」と容易に数学化できますが、その逆の[数学]→[現実]の動きの場合、「2 + 3 」→「 」の部分は無限に答えが考えられます。りんごじゃなくてもも2こと3こにしてもいいし、今日は1月2日です3日後は何日ですか、でもいいわけです。数学化されたものはそれだけ抽象化されていて、元の現実モデルを言い当てるのは困難ですし、現実モデルがそもそも無い場合もあります。
よくあるひっかけの文章題では、文中で(いくつ分)をわざと先に出し、(1つぶんの数)をその後に登場させるものがあります。
「6枚のお皿にりんごが3個ずつのっています。りんごは全部で何個ありますか」
文章題の順序通りに立式すると、6 x 3という式になります。固定した順序で考えると、これは(1つぶんの数)と(いくつ分)の順序が逆になっています。この場合、実際には
1皿に3個のりんごがのっていて、そのお皿が6枚分ある(式 3 x 6)
1皿に6個のりんごがのっていて、そのお皿が3枚分ある(式 6 x 3)
という現実モデルになってしまい、結果的に6 x 3という式は後者の現実モデルを元に立式したと判断することになります。
りんごのぜんぶの数はどちらも等しいですが、6 x 3という式の元の現実モデルが実際の現実モデルとは異なるため、問題にある現実モデルを正しく数学化できたとは言えず、誤答になるということです。
(1つぶんの数)を3、(いくつ分)を6
として捉えているのか、
(1つぶんの数)を6、(いくつ分)を3
として捉えているのかには大きな違いがあるわけですが、(1つぶんの数)x(いくつ分)の順序で書こうと決めておくことで、どちらで捉えているかを特定することができるようになります。
そう考えると、順序は逆にして固定しても問題はなさそうです。今の
(1つぶんの数)x(いくつ分)
という順序は、ただ言語的な順序に従っているだけだと思います。
かけ算がたし算の延長ということを思い出すと、
2 + 2 + 2 + 2 + 2
を
2 x 5
と表しているだけで、これは
2 + 2 + 2 + 2 + 2
を、2が5つ分という風に捉えて、その順番で2 x 5と順序づけているのかもしれません。5つ分の2と捉えれば、5 x 2と順序づけてもいいので、捉え方の問題なのかもしれません。個人的には前者の方が自然に感じるのですが、刷り込まれてきただけかもしれません。
(共通性のある例を考えると、2/3という分数について、日本では「3分の2」と分母から読み、記述するときも大抵の人は分母の3から書き始めると思います。「3分の2」と考えなから、分子の2から書き始めるのは違和感があるのではないでしょうか。一方で英語圏の場合、Youtubeとかで実際に確認した限り、2/3は「two third」と分子から読み、記述の際も分子の2から書き始めます。)
繰り返しになりますが、順序自体が大事なのではなく、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現することが大事で、そのために順序の固定が副次的に必要になるということです。
改めて考えると、この固定というのは非常に厄介でもあります。まだ学習し始めの子どもを混乱させないために条件を固定しているという意図もありますが、順序を交換しても答えは変わらないという事実と照らし合わせたとき、納得いかないのも当然です。しかもその事実自体は小2の九九の時点で学習します。
順序が問題にならないときというのは、既に数学化されたものを取り扱うときです。つまり、そもそも数学化の過程が評価の対象にもなっていないものです。算数的に言えば、文章題のような問題ではなく、既に立式されている問題です。
2 x 3
という問題であれば、
2 x 3 = 3 x 2 = 6 答え6
と計算しても間違いはひとつもなく、正答です。2 x 3が計算できなくても、順序を変えて3 x 2で計算しても良いのです。その根拠は、かけられる数とかける数の順序を逆にしても答えは変わらないからです。むしろ学習が進むにつれて、交換法則は便利に使うことができ、積極的に使えるようにしていくべきです。(教科書でもちろん学習します。)
また、アレイ図(↓のやつ)を考える時、自分でどう括るかによって、(1つぶんの数)と(いくつ分)が決まり、どちらの順序でも考えることができます。例えば
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
上のようなアレイ図であれば、縦3個でくくれば3 x 4という式になりますが、横4個でくくれば4 x 3という式になり、かけ算の順序が逆になります。自分で現実モデルを作り出してそれを数学化しています。
わり算の考え方には2つがあります。「等分除」と「包含除」です。その違いを説明するために、虫食い算のかけ算を考えます。というのも、わり算はかけ算の拡張なので、発想として虫食いのかけ算で考えるとわかりやすいです。3 x 2 = 6と、順序を逆にした2 x 3 = 6を虫食いにして考えましょう。かけ算の順序を変えただけなので、どちらも答えは同じ6です。
・等分除
□ x 3 = 6
というかけ算をわり算では
6 ÷ 3 = □
と表します。この場合、求める□の部分は(1つぶんの数)にあたり、例のりんごと皿で考えれば、
「りんごが全部で6こある。これを3枚の皿に平等にわけると、1皿あたり何こになるか。」
という問題になります。1つぶんのりんごの数が、求める答えです。これが「等分除」です。わり算と聞いて想像しやすい、平等に分けよう、というものです。教科書でもこの等分除から学習します。
・包含除
3 x □ = 6
というかけ算をわり算では
6 ÷ 3 = □
と表します。この場合、求める□の部分は(いくつ分)にあたります。例のりんごと皿で考えれば、
「りんごが全部で6こある。1皿に3こずつりんごをのせていくと、皿は何枚必要になるか。」
という問題になります。皿の枚数が、求める答えです。これが「包含除」です。イメージ的には、6つある物を1セット3ことして何セット作れるかな、というものです。
以上のように、□ x 3 = 6と3 x □ = 6のどちらも6 ÷ 3 = □というわり算になるのですが、もともとのかけ算の式をみると、求めている□の部分が(1つぶんの数)なのか(いくつ分)なのか、という違いがあります。一見、全部わかりやすい等分除で考えればいいじゃないかともなりますが、包含除は等分除ではとらえにくい、余りのあるわり算を考えるときに非常に有用で、必要不可欠です。
この等分除と包含除の考え方は、かけ算での(1つぶんの数)と(いくつ分)を明確に区別しているからこそ理解でき、学習できることです。3回目くらいになりますが、(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するために、順序を固定する必要が出てくるということが、かけ算の順序を指導する理由であり、今回書きたかった結論です。もし順序を固定しない場合、式の中でどっちがどっちなのかを示す記号を加えるなどの工夫が必要なのではないでしょうか。
単に順序を逆にしても同じ、として学習を進めると、(1つぶんの数)と(いくつ分)に区別のない世界で考えることになります。このとき、子どもにかけ算やわり算の意味をどのように指導すればよいのでしょうか。計算だけ指導するのであれば、何も問題ないのですが。
「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育てる。」
「算数的活動」とは「児童が目的意識をもって主体的に取り組む算数にかかわりのある様々な活動」を意味しています。先ほど考えたわり算の理解は、この算数的活動を実現しうる機会の一例そのものだと思っています。
正直、計算自体が重要なのであれば、現代では電卓やコンピュータに入力する力が求められるだけです。もっと時代が進めば、こんな等分除や包含徐を学習しなくてもなにも困らない時がくるかもしれません。もちろん、先ほどの算数科の目標は社会の移り変わりによって広義に変容するものですから、時代が変われば内容も変わるでしょう。しかしそんな中でも、根本として算数・数学を探求することが大切ということはゆるぎないと思います。
小学校の教員は基本的にほとんどの教科を一人で担当します。私は自分の算数の指導に課題を感じ、よりよい授業のために調べたり足を使って研究会・学会に参加したりしてきたのですが、正直いうとそうしてきた算数だってあまり自信が無いです。すべての教科を完璧に仕上げるのは結構な難易度だと思います。
勤めている人はみんなそうですが、現場の教員たちも同じように膨大な業務に追われています。また、子ども・保護者のトラブルの対応も多々です。学校では毎日事件が起きているといっても過言ではありません。若い先生は特に教材を研究する時間が必要ですが、所定の勤務時間内にできる時間はほぼゼロです。朝と夜の残業時間も、授業そのものに関係しない業務が多いです。学校で子どもが過ごす大半の時間は授業時間なのに、その授業の準備が満足にできないということです。経験を積めば良いと言われても、今担任しているクラスの子どもが被害者になるだけです。あたりまえですが、その子たちは一度だけの1年を毎年過ごしているわけです。貴重で大事な時間です。
現場にもっと人が欲しい、というのが素直な感想です。算数では少人数授業やチームティーチングが増えてきていますが、根本的な問題は解決していません。算数に限らず、教員がもっと授業に関することに時間を割けるようにするべきです。毎日授業があるのに、その授業の質が低くなっては意味がないです。結局、先生たちもかけ算の順序について教えてくれる人なんて居ないのかもしれません。そんな状況で教えなくちゃいけないんです。