はてなキーワード: ホームシックとは
やけくそで「光の射す方へ」向かって、I can fly!なんてしてはいけませんよ。
さて、そんなみなさまの「帰りたい 帰れない」の思いを
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 勇次 | 長渕剛 | 1985年 | 過去 | 若気の至りで家出した | ★ |
| 新しいスタート | 岡村孝子 | 1991年 | 過去 | 人生の門出を前に意気込む | ★ |
| 郷愁 | 斉藤和義 | 1997年 | 過去 | 帰省が終わって、また普段の生活に戻らないといけない | ★ |
| Gates of heaven | Do As Infinity | 2003年 | 過去 | クスリがやめられない | ★ |
| 手のひら re-birth | MCU | 2006年 | 過去 | 自分探し | ★ |
| 鼓動 | GLAY | 2007年 | 過去 | 大人になるのって哀しい | ★ |
| 矛盾だらけのWedding Song | GiFT | 2008年 | 過去 | 子供の頃好きだった女性が他の男と結婚した | ★ |
| 燻-くゆる- | ナイトメア | 2006年 | 穢れなきセピア(過去) | 汚れる前に初期衝動を思いだせ(初心を忘れたくない) | ★ |
終わった恋は取り返しがつきません。
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 落葉の駅 | 八代亜紀 | - | 恋人 | 何も言わず恋人の元を飛びだして | ★ |
| 風立ちぬ | 松田聖子 | 1981年 | 恋人 | 恋人と別れてセンチメンタル | ★ |
| 無言坂 | 香西かおり | 1993年 | 恋人 | 恋人が浮気したので家出した | ★ |
| 涙の海峡 | 松原のぶえ | 1996年 | 恋人 | 北国の冬は人肌恋しい | ★ |
| 山吹色の木の下で | タオルズ | 2005年 | 恋人、過去 | いつもの風景に、昔を思い出した | ★ |
八代亜紀の「落葉の駅」なんて、
男が自分の為にあたふたしているのをみると
めんどくさいですねぇ。
でも、おじさんはそういうのキライじゃないよ。
日本歌謡曲における「北国」「津軽」「海峡」の頻度は異常でございます。
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 津軽 | 岩木淳 | - | 故郷 | やけ酒してホームシック | ★ |
| 帰りたい帰れない | 加藤登紀子 | 1970年 | 故郷 | 母からの手紙でホームシック | ★ |
| 望郷しぐれ | 山本譲二 | 1986年 | 故郷 | 実家からの小包でホームシック | ★ |
| カントリー・ロード | 本名陽子 | 1996年 | 故郷 | もう故郷に帰れない | ★ |
| 上野発 | 和田青児 | 1999年 | 故郷 | 上野発北国行きの電車 | ★ |
| 夢千里 | キム・ヨンジャ | 2002年 | 故郷 | 海を荒れてたからホームシック | ★ |
| 津軽慕情 | 山本謙司 | 2004年 | 故郷 | 酒飲んでホームシック | ★ |
| リンゴのふる里へ | 和田青児 | 2005年 | 故郷 | 雲が北に流れていたのでホームシック | ★ |
| ひだまり | 石野田奈津代 | 2009年 | 故郷 | 上京して大変だけど私は元気です | ★ |
| 帰りたい | 千田裕之 | 2010年 | 故郷、過去 | ふと思いだしてホームシック | ★ |
| 東京シャボン玉 | 天童よしみ | 2011年 | 故郷 | 上京したけど思い通りいかない四畳半生活 | ★ |
| バイ マイ タウン | HOW MERRY MARRY | 2011年 | 故郷 | 上京して大変だけど負けないよ | ★ |
昔はたまに来る手紙だったのが、
そんな中でも、最近の若い人の歌は、
上京したての初々しさが伝わってきていいですね。
「ひだまり(石野田奈津代)」は、いずれ「東京シャボン玉(天童よしみ)」状態になるのも、
頑張れ、若い人!
どのように歌われているのでしょうか。
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 大迷惑 | ユニコーン | 1989年 | 家 | マイホーム買ったら転勤を命じられたでござる | ★ |
あるあるwww
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| 雨の子守唄 | リサ | 2009年 | 家 | 子どもが家にいるのに水商売な自分 | ★ |
| 曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
|---|---|---|---|---|---|
| Tell me why? | Lil'B | 2009年 | 家 | デートしてるのに恋人に冷たくあしらわれた | ★ |
デートやめて家に帰っちゃえよwww
DV男ばっかり引き寄せちゃうんだよ!
なるほど、「帰りたい 帰れない」は様々ですね。
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
http://anond.hatelabo.jp/20100209065146
任期が終わろうとしていた昨年の末位から、あの大陸の北のほうは急にうねりを見せ始めた。
http://anond.hatelabo.jp/20100210201337
の方が書いていたように、インターネット・SNSが遂に大きな力になって、そして、ある側面では、それを見せ付けたかのようだった。
ジャスミン革命前のチュニスは、本当に短期だけなのだが、滞在したことがある。
エジプトは、10日間くらい、ナイル沿いを北から南に移動しながら滞在したことがある。
実にエキサイティングだったし、そんなに贅沢をしたつもりも無かったけど、快適な滞在だった。
そういえば、ギザのスフィンクスの前で、外国人旅行者から盗みを働いたやつがTurist Policeにボコボコに殴られているところに出くわした。
快適に過ごせたのは、やはり自分が外国人だったからかもしれない。
帰ってくる途中、イスタンブールに数日滞在していた。
可愛らしいお子さんを4人もつれた、リビア人のご家族と一緒に、ボスポラス海峡の船上でつかの間の楽しい時間を過ごしたんだ。あの頃は、まさか一気にこんな事態になるとは露にも思わなかった。
「まだ、リビアには行ったことがないんだ」
というと、誇らしげに、
「どうして来ないんだい?こないだまで君がいた国よりずっといい国だよ!」
と言ってくれた、お父さん。
元気にしているだろうか。
一年少し前、最初に「アフリカ大陸滞在中」のエントリで書いたように、僕が住んでいた場所は、確かに少々暮らしにくいところではあった。
ジャスミン革命に触発されたデモがあるや、ないや、という話を聞かないでもない。でも、酷い流血の惨事にはとりあえず今のところ繋がっていないようだ。
やっぱり、色々ある。
同じ大陸だけど、全然違うよな。リビアの件で、「アフリカ人傭兵」っていう表現をいろんなメディアで見るけど、あれほど違和感を覚える言葉は他にない。
エジプトの人を十把ひとからげに「エジプト人」と呼ぶ事だってある種乱暴なのに、それってどうよ、と思う。
それはともかく。
帰国にあたって、一緒に仕事をした現地人スタッフが、寄せ書きをして送り出してくれた。
結構、厳しいことを言ったりもしたので、まさかこんな事をしてくれるとは思わなかったが、とても嬉しかった。
「挨拶を」と言われたけど、感動のあまり何を言ってよいかわからなくなった。
「もう、僕は居なくなる。でもプロジェクトはまだ続く。君たちには全部伝えたつもりでいるし、君たち自身でもう全部できる。
このプロジェクトは君たちの助けをまだまだ必要としている。だから、今まで同様、今まで以上に、協力しあってやって欲しい」
みたいな事を言ったような気がする。
チュニジアやエジプトでは、「何もくれない奴等」をウマい事追い出したようだ。
でも、その後はどうなんだろうか?
あの「革命」、と言われる一連の動きが、「何かをくれる新しい別の人」を求めてのものだったとしたら、その「新しい人」はもしかしたら、ただの「新しい独裁者」に変わるだけかもしれない。
追い出したらから、「自動的に新しいものをくれる人が現れる」と思っているのだったら、そんな事はありえないよ。
追い出して、壊した所で安心していたら、多分何も変わらない。もしかすると、前よりずっと悪くなるかもしれない。
これからが、一番大変だ。言ってみれば、何も無いところから、自分たちの力で色々積み上げていかなきゃいけなくなるんだから。
急に色々頭に思い浮かんだので、何かを主張したいわけでもなく、以上、ちょっと雑駁に書いてみた。
こんなことが頭に浮かぶのは、もしかしたら、ちょっとホームシックなのか?などと言う考えが浮かんでしまい、慌てて頭をぐるぐる振ってみる。
「故郷は、遠くにありて思うもの」
とは言うけど、一ヶ月ちょっと再び日本で生活してみて、やっぱり色々この国は過ごしやすいよ。
俺のいとこは10人いるけど、一番歳が近いので6歳上、その上が11歳上。
親戚の集まりがあると誰とも話が合わないし、親も相手してくれないし、孤独だった。
だから実家がすごく嫌いだった。たくさんの人が集まる日も嫌いになった。
実家が嫌いで、できるだけ離れていたくて、大学で上京、就職しても地元にはほとんど帰らなかった。
26歳で大学時代から想っていた夢に挑戦するために会社を辞めた。
日々の生活費を抑えるために、実家に戻り、努力した。寝る間も惜しんで。でも、まだ芽が出ない。
親から援助してもらう生活が情けなくて、知り合いの会社で短期間世話になることにした。
そこでまた上京してきてるわけだけど、、、俺どうやらマザコンみたいだわ。
はじめて上京してきたときは気分最高だったけど、今は気分最低。これってホームシックなんだろうな。
さっき母親がメールくれたんだよ、寒いから風邪引かないようにねってさ。
あのさ、頼むから心配しないでくれよ、優しくしないでくれよ。
そんなときに優しくされたら、泣いちゃうだろ。離れられなくなるだろ。
26にもなって親から金もらって心配されて。そんなゴミみたいな息子のことは勘当してくれていいよ。
さっきから涙止まらねーんだよ。どうしてくれんだよ。
26歳でまさかのマザコン発覚だからなぁ、、、俺。我ながら痛い。
とか書いてたら落ち着いてきた。ふぅ。明日も頑張ろう。
25歳素人童貞彼女いない暦=年齢。手取り20万あるかないか。
会社は実家からも十分通える距離だったが、会社の同年代の人達に影響されて始めてみようと思った。
普段、あまり親とは会話をしない。
物件を勝手に探して、いきなりここに住んでみようと思うと言った。いきなりにも関わらず、承諾してくれた。
父親は家電買うのに必要だからとヤマダ電機のギフト券をくれた。
引越し先は家から車で一時間くらいなので、車で自分の荷物を運んでくれた。
自分も免許持っているけど、ペーパードライバーなので、父親任せだった。歳なのに重い荷物ももってくれた。
母親は一人暮らしすると言ってから、張り切って洗剤やら生活用品を用意してくれた。アイロン買ってあげると言ってくれたが、悪いので自分で買うと言って断った。
断ったときにすごい残念そうな顔をして「そう…」と言われたので、素直に買ってもらえば良かったと後悔した。
なんでそんなに親切にしてくれるの?しかも無償で。
今も細々した荷物を持ってきたところ。色々整理しようと思って、父親には先に帰ってもらって部屋に一人きりになった。
隣人のコンポの音漏れが聞こえてきて急にさみしくなったのと、申し訳ない気持ちで涙出てきた。泣きながら、2chのホームシックスレを見てたらもっと泣けてきた。おかげで、全然整理できてないよ。
住む前からこんな感情になると思わなくて自分でもびっくりしている。自分でも感じていたけど、かなり過保護に育てられたと思う。お父さん、お母さん、ありがとう。
「もう目標はない」と燃え尽き症候群に陥った。連続優勝は06年名古屋からの4場所連続以来、2年遠ざかっているが「どうでもいいんだよ」と闘志に火が付くことはなかった。
炎がともったのは10月だ。きっかけは赤いポストだった。秋巡業中、母校の高知・明徳義塾高を訪問した。どうしても行きたかった場所があった。それが校内にある郵便ポストだった。「寂しくてホームシックになるとここに来て手紙をモンゴルに送ったんだ。このポストが寂しいオレとふるさとをつなげてくれていると思ってね、がんばれたんだよ」。当時のままと変わらないポストに苦しかった日々をかみしめた。ポストは携帯電話で写真を撮って大切に保存している。「あの頃を思い出してやらないとね」
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20091122-OHT1T00248.htm
初めて留学する人にとって、クリスマスを迎えるまでは色々な面で苦労が多く、一番大変な時期だと言われている
私も9月から初めての米国留学をしており、まさに「クルシンデ」いる状態だ
ふと、その苦しさというのは、何からできているのか考えてみた
もちろん、言うまでもなく語学力
それに伴い、授業に付いていくのに必死(本当に必死)に勉強をしたり、
言葉の壁のせいでなかなか友達ができなかったり
また、新しい土地での生活に慣れるということも留学生活を苦しくしている原因であるだろう
一般的に、「ホームシック」になる人の原因はこんなところだと思う
しかし、最近もう一つ、留学をつらいものにしている原因が分かった
過去に留学を経験した人の話を聞くと、もちろん上に挙げたような苦労を色々語ってくれたので、
大体は予想はできた
でも、それと同時に留学でのパーティー三昧の日々や、文化・人種を超えた友情、
キャリアアップ、自己実現・自己発見、国際恋愛...など留学の楽しい一面ももちろん聞かされていた
facebookを見ても、友達をばか騒ぎをし、すっかりその国に馴染んだ彼らの楽しそうな姿を見る事できた
こうゆう楽しい一面があるからこそ、多くの人が留学に憧れ、そした海を渡るのだと思う
もちろん私もその一人だ
目の前には、自分の中で「理想化された留学」とは遥かにかけ離れた現実が広がっていたのだ
いつしかその「理想化された留学」は「留学はこうでなければいけない」という脅迫概念となり、
私は一人勝手に焦っていた
パーティー三昧なんてまずありえないし、パーティーに言っても言葉が分からないから楽しくない
白人金髪のアメリカ人の友達に囲まれて過ごすはずが、アジア系、さらには日本人とつるんでばっか
(今思うと自分は無意識のうちにレイシスト的な考えを持っていた)
日本でできない経験をしてキャリアアップ、自己実現のはずが、日々の生活を生き抜くので精一杯
など、例を挙げたらきりがない
自分自身が作り出した、勝手な「理想化された留学」に自分は振り回されていたんだと気が付いた
留学なんて、人それぞれ違うもの
ある種、「理想化された留学」というのは、留学斡旋会社によって作られた幻想であるとも言えるのかもしれない
(HPなど見るといかにも楽しそうな写真や経験談が語られている)
「理想」は理想でしかなく、「現実」というのはもっと辛く苦しいものなのだ
ただ、暗い一面はみんな語りたがらない(特に企業は)だけ
だから、自分のペースでいいだ
子供の頃から、学習と訓練によって身に付くものは大抵苦労無く身に付けてきた。
仕事においても、人並み以上に評価を受け、成果も出している。
そのために投入すべきリソースも惜しまない。
周りに頼りにされることも多いし、引き受けた仕事は期待値以上の結果を
返すように心がけている。
しかし、プライベートな関係ではあまり上手くいったことがない。
別段そのことを苦にしているわけではないのだが、人誑しの友人と話をしていて
その原因の一端を指摘された。
曰く「お前は寂しがらないからだ」と。
なるほど。
確かに私は「誰かがいなくて寂しい」と思ったことが無いし、元々他人に対する執着が極端に薄い。
思えば、東京に来て数年経つが、ホームシックの類も無いし、何か用が無ければ
知人友人はおろか親兄弟にさえ連絡もしない。
学習と訓練によっては身に付かない「寂しがるという能力」を、30目前にして今更どうこうしようと
いうのではないが、案外この手合いは多いのではないか、と思ったので書いてみた。
女です。
学部は09卒。有効求人倍率が高かった時期にも関わらず、就職活動に失敗。無い内定。
可も無く不可も無いような大学のねーちゃんの私が、身の程知らずと言いますか。
どこか足踏みしていられる場所が欲しかった。
だから大学院に行った。表向きは「やりたいことを見つけたから」。
合格した時、親は喜んだ。一応。名前だけは無駄に有名な大学の院だから。
学費は親の金。ここの時点でもう親不孝。
「絶対いいところに就職するんだ」って
でも現実はどうだろう。
時間を上手くやりくり出来れば色々とやれる事が多いのに
ダラダラする。後回しにする。
その癖に、「認めてもらいたい」欲が強くて、
首を突っ込もうとする。でも何一つ上手くやりくり出来ないから、
結局下っ端の労働で終わる。
タスクが溜まっていく。
体力が無い。1回徹夜すると、その後1週間は体調が悪いまま。
甘いものが大好きで、でも甘いものを食べると
ならない。それにも関わらず飲み会が続いて太って鬱々とする。
インターンの書類も殆ど出せない、
勉強したいとも、遊びたいとも思わない。
院内の付き合いで精一杯。趣味もない。
ただ寝たいだけ。
口癖は「恋愛したい」
する気力もありません。
もう一生好きになる人も現れないと思う。
前の彼氏が一番好きだったから。
でも、自分が男だとして考えた時、私みたいな女は
面倒臭すぎて即対象外。当然でしょう。
だからこんな口癖も無駄の産物なんです。
取りあえず起きて動いて喰って糞して寝るだけの親不孝者。
気に入られないというか、理解してもらえない。
自分のやりたいこと、能力とは懸け離れた別のタスクを振られる。
でも、それを「嫌だ」「他の事をしたい」とは
口に出して言えない。
それを行ったら、もう院内で私の立場はないだろう。
何してんだろうほんと、。何のために生きているのかな。
何も返せないのに、親不孝者だ。両親60超えてるのに。
因みに、表面上は明るくて活発なキャラで通ってます。
そしていい人キャラ。
それに必死に応えようとしている愚かな私。
一貫性の無い文章から読み取れると思うんだけど、
だから大学院生なんて荷が重いんですよ、多分。本当は。
というか、この文章を書いている
この瞬間こそが無駄。というか
親不孝を更に助長している。
そして
私にとって何の生産性も持たない。
この文章を書いている間にも、こなせるタスクは多々あっただろうに。
ああ実家に帰りたい。今からでも帰ろうと思えば帰れるんだけど。
こんな糞女なのに、帰ったら多分
「いつも頑張ってるから、疲れているのよ。」
とか言うんですよ?
開口一番に。うちの親は。
私という親不孝者のために。
「手もつなぎたくないし、キスもしたくない。嫌いになった訳ではないけど自分にも相手にも嘘をついて生活を続けることができない。レールに乗せられて将来が決められてしまった気がする。リセットをしたい。」
こんなことをパートナーの女性から結婚後一週間で言われてしまった。
遠距離だったパートナーとの新しい生活を、結婚の準備も終わってようやく始められるふたりの時間を、楽しみにしていた。
正直かなりつらい。
付き合い始めて、遠距離の時期も含めてもう8年。
この4月から、パートナーに田舎から東京に出てきてもらって同居を始めた。
一緒に住みだしてからずっと幸せそうに笑った顔が見られなかった。
相手も女の人だし、まぁいいか、くらいに思っていた。
でも、電話のときだけしか明るい声が聞こえてこないのは、自分がパートナーの幸せのために何もできていないことを自覚させられてつらかった。
今でもずっと愛しているから、本当にどうしていいかわからない。
「結婚後、しっかり考えて結論を出した」という。
「離婚したい」と。
他に男ができた訳でも、自分に落ち度がある訳でもない、ただパートナーの心が変わってしまったのだそうだ。
ならば、また心が変わるまでそばにいさせてほしいと言ってみても、「自分の気持ちに嘘をつくのでつらい、別居婚でも将来を決められるのは嫌だ」という。
話し合って二日目だが、整理すると仕事の件と自分への感情の件のふたつが障害であるような気がした。
田舎でしていた仕事がそこでしかできないすばらしい物だったこと、そして自分への気持ちが薄れてしまったということだ。
でも、今、机の上に束になっておかれている絵はがきを見て愕然としている。
そこには文通友達からの切実な「想い」が綴られている。
一見すると、熱烈なラブレターのようにも取れるほどだ。
自分の気持ちはこの友達にも負けないものだと信じているが、感情表現の苦手な自分には伝えられていなかったのだろうか。
この歳になってまさか泣くことになるとはね、かっこわるい。
一度離れてしまったパートナーの気持ちは取り戻せるのだろうか。
取り戻せずにいたずらにつらい日々を送らせてしまうのは、本当に好きな人にさせることじゃない。
取り戻せても、仕事面では理想とのギャップに苦しませることにもなるだろう。
頭で考えると全部ネガティブになってしまうけど、どこまでも客観的に見るならパートナーを自由にさせてあげるのが一番なのかもしれない。
結婚てなんだったんだろう。
ボクが大学に受かって一人暮らしをはじめるとやっぱホームシック気味になったり、ストレスが溜まってしまったり、寂しい気持ちになることが多々あった。
1年や2年のときは時間的に余裕もあって頻繁に帰ったりして、母さんの作るご飯食べたり、父さんに、「はよ結婚して、孫の顔みしてやー」なんてからかわれたり、地元の友達に会って、近況とか将来について話したりしてた。友達とはもっぱら恋愛の話だったけど。
地元に帰るとそういうつながりとかが実感できて、両親とか友達とかの関係がとても大切だなぁと思った。
けど最近はなかなか地元に帰れずにストレスが溜まったり、生活リズムが直らなかったり、いろんな面倒なことが入ってきて精神的にパンクしそうだったりする。
「誕生日おめでとう」
ボクはありがとうって言いつつも、「あ、そういや今日誕生日だったなぁ」ってそのとき気づいた。
忙しくて忘れてたし、まさか兄貴から電話がかかってくるとは想像もつかなくて、照れくさいけど嬉しかった。
その後、「頑張れよ」「いや、お前も頑張れよ」なんてしょーもない話を笑いながらして電話を切った。
自分が失くしてたのはこれだと思った。
両親でも友達でもなく、一番、気兼ね無く喋れるのは兄貴だった。
兄貴とは昔からいつも一緒で、兄貴のCDを勝手に聞いたり、漫画とか服とか借りたりして。おかげで趣味も一緒だったし、将来の方向性も兄貴に影響されてるし、RPGゲームも二人で一つのセーブデータで、夢中なときは親に隠れて深夜までゲームしたりして、二人揃わないときはレベル上げしてた。
いくつになっても実家に居るうちは一緒の部屋に居て。思ったことを気兼ねなく喋るし、喋ることが無くて黙ってても、一緒に居たりして。。喧嘩もよくしたけど、ああいう時間が幸せだったんだって今頃になって強く感じる。
ボクが家を出て、兄貴が社会人になって、会う機会がなかなか無くなってしまったことは自然な流れだから気づかなかったけど、兄貴との時間は自分にとってとてもとても大事だった。
一緒に住んでない上に、兄貴はもうゲームは時間の無駄だとかいって絶対にやってくれないけど、また二人で一つのRPGゲームとかやってみたいなぁ。
僕の母は未婚ですから、僕が生まれたときから母親一人の手で育てました。
名古屋、横浜と渡り歩いてから地元へ戻ってきたため、いろいろと苦労があったと思いますが、その点についてはとても尊敬しています。今の世の中は子供を平気で捨てたり虐待したりする親が多く、僕も少し虐待的なことを受けた記憶がありますが、一線を越えなかった母の強さに感謝しています。
また、子供の頃って、どういう仕事で生計を立てているか分かり辛いものですが、大人になった今、その苦労が身に染みるように理解できます。
「決別」という言葉については、元記事の追記にあるとおり行き過ぎた表現だと反省しています。
親とのコミュニケーション不足なのは正直否めないですね。コミュニケーションが不足しているところへ、突然の上京話をしちゃったんで、お互い刺激が強くなった部分はあると思います。
仮にこの就職話が成功したとしても、頻繁に電話を掛けたり話をしたりすると思います。ホームシックに罹りそうですから。
まあ、当面の問題は、面接する会社があるところまでどうやって到着したら良いのか、というルートの確認なんですけどね…。大阪や京都の地下鉄に乗ったときや、朝夕の名駅周辺も人の多さでウンザリしたんですが、東京は四六時中満員電車って感じがして何だか怖いです…。
返信するのめんどくさくなったからしばらく放置したら「どうしたの?」って返ってきて、適当なメール送って反応を楽しむことにした。
「ごめん、最近頭痛いし、気分落ち込んでるんだ」みたいに返したら「相談乗るよ!良かったら電話で話そう」って返ってきて、それはちょっと予想外だったけど、まぁいいや、むしろ好都合だって電話番号教えてもらってかけた。
何が好都合かって言うと、電話だと録音できるからそっちの方が楽しいかなって。ネットで発表するつもりはないけども。
ちなみに自分は18歳ってことになってて、初めての一人暮らしにホームシックかかってて大学生活に馴染めず鬱って設定にした。本当は二十歳でずっと東京に住んでて大学の友達とハウスシェアしてる。声は頼りなさげな年下くんって感じで高く甘めにした。
「とにかく寂しい」ってアピールする。相手は心配して親身になってアドバイスしてくる。かかった。「どうしたら元気になる?」って言ってきたから「誰かに抱きしめられたら元気出るかも」「セックスしたい」って言ってみた。
相手はちょっと笑って「君の年齢はやりたい盛りだから、元気出るかもね」って言う。こっちはさらに「セックスさせてくれる人紹介して」って言ってみる。また笑って「そんなのいないよ」って言う。「風俗行ったら?」って言われるが拒む。しばらくお店に行きなさいとそれはヤダっていう会話が続くとなんと向こうが「じゃあ、私とセックスする?」って言ってきた。
予想外。そこで今まで元気なさげに話してたのを急に明るくして「ホントに? したい! 嬉しい!」って無邪気に言ってみる。「エッチのためだけに会うのは不本意だけど、元気になってくれるなら」って、あっという間に話が進んで六月始めの午前中なら会えるよってことになった。日にちはもうちょっとしたらメールで送るからって会話は終わった。
うーん、まさかこんなことになるなんて・・・。相手が困ってるのを録音して友達と聞いて笑って終わりのつもりだった。
同居してる友人にこのことを話したら「会え会え」って言うんだけど、どうしようかなぁ・・・。
相手の顔はまぁまぁ。中の上が年齢で劣化したって感じ。会うんならボイスレコーダー隠し持って会話や喘ぎ声録音しようかなー。
一回だけじゃなくてセフレにして何回も録音するっていうのも良いかも。「野外でしようよ」とか無茶なプレイ要求してみたり、中出ししてみての相手の反応とかとってみたいなー。
あー、なんか楽しくなってきた。増田のみんなは会ったほうが良いと思う?そしたらここでも報告するよ。
うぉー、おまいらはおれをホームシックにさせる気か。
ああ、もう。
後悔なんてしたくないのに。
後悔しないと思ったから言ったのに。
今更になって凄く後悔してる。
だって、あの言葉を言わなければあんなのこといわなければ今だって、ぼーっとベッドに入りながらさ、馬鹿話してたのに。
ぐたーって。
頭なでてっていったらなでてくれたのに。
ホントにさ、好きって思ってくれてるのはわかってた。
それに今の私の心境では返してあげられない事もわかってた。
その話をしている間は凄い冷静で。
それほど辛くないな、なんて大人っぽく思ってみたけど。
あとからあとから色々思い出して、泣けてきた。
ホームシックになったときも、珍しく熱が出たときもずっといっしょにいてくれたから。
気づいたら泣けてきた。
家に帰って、一人になって、友達に話してみた。
そのときは後悔しないって言ったけど。
ホントは今ものすごく後悔してる。
でも、今ヨリを戻しても多分前と全部同じにはなれない。
多分謝ったら許してくれるんだろう。
優しい人だから。
もう一度チャンスがあるなら・・・どうするだろう?
ああああああああああ。
どうしたらいいんだろう?