はてなキーワード: VbAとは
仕事が暇すぎる。
年齢としては中堅ではあるが管理職ではない。
去年異動になった。
異動先の部署がとても忙しいと聞いてきたので戦々恐々としていたのだが、蓋を開けてみたら、謎の手作業(こっちのエクセルをこっちのエクセルにコピペみたいな)が時間を食ってるだけだった。
VBAに特別詳しくわけでもない俺でも、テキストを見ながら自動化とかしたら、仕事が一瞬で終わるようになってしまった。
一瞬は言い過ぎか?1日8時間の作業が2時間以内になった感じ?
時間ができても、他の人が仕事をくれないので(仕事を属人化している。クソである。)、暇を持て余して虚空を見つめたり、こっそり資格の勉強している。
仕事したいのに。やる気あるのに。
高い時給で虚空を見つめていていいのだろうか。
武器としてpythonなりでできることを持っておくことは良いと思う。
今、便利じゃない、VBAでできるじゃんって感じているのであればそれはそれで正しくてできないことがあった時にpython(他の言語でも)ならできる?って調べてみて試してみて使うって感じじゃないかなあ。適材適所で。
と思ってちょっとググってみたんだけど、実現できなそうなんだよなぁ
だから、VBAでスクレイピングはできそうだけど、サーバーは無理みたい
Excelファイルの内容を社内のどこからでもExcel立ち上げずにWebブラウザで見れると便利かなと思ったとき、
ExcelファイルをDBの代わりにするみたいなのはVBAでは無理に思えたんだけど、どうなんだろ…
あと、Pythonの強みは何でもglueとしてくっつけるところにあるわけで、
対象がExcelだけならPythonである必要はない、VBAでもRubyでもExcel操作はできる
でも、機械学習や人工知能系のみならず、PythonはExcelと膨大な何かを組み合わせることができるわけで、
でも、井の中の蛙大海を知らず、と言うけど、別に井の中で済むなら問題ないというか、
それどころか大海を知ってしまうと、自分の身の丈の小ささにショックを受けたり、
ぶっちゃけ、個人レベルで何でもかんでも1からコード書いて、便利!情報技術の勝利!、とか言ってるのはプログラミングそのものが好きな奴らのポジショントークでしかないよ。そうじゃなくてマジでコスパ含めて個人で便利にできるなら似たような機能の商用ソフトだのノーコードツールだのがこれほど乱立してない。
Excelの記録機能で雛形を作ってVBAマクロを微調整するのだって立派なプログラミングだし、それで用が済むのならそれでいいんだよ。エクセルwwwwVBAwwww情弱wwwwみたいなこと言ってるのもプログラミングそのものが好きな連中の中の一部勘違いした野郎がイキってるだけで何か深い思考があって言ってるわけではない。
Pythonだって機械学習系のフレームワークがpythonにロックインされちゃったから流行ってるだけで言語としては別に新しくもないC++と似たような時期からある古いクソ言語だし、最新のpythonプログラミングでキラキラエンジニアみたいなこと言ってる奴らは全員勘違い野郎だと思って間違いない。
キー操作,マウス操作を代行させたいならPyAutoGUIを使うと良い。
Windows+shift+Sでクリックさせたいボタンとかテキストボックスとかのスクショを取って保存しておき、locateCenterOnScreenにその画像を渡して帰ってきた座標をクリックすれば自動化が出来る。
日本語入力させるときはpyperclipでクリップボードを操作し、Ctrl+Vで貼り付けるとよい
と書いて拡張子".bat"でpythonファイルの横に保存すれば良い
PythonでGUIを組むならPySimpleGUIを使えばいい
そんでボタン押したときのアクションに実行したい関数を割り当ててやれば良い
定型的なデータ処理をしたいのならJupyternotebookを使うと良い
スキルというか"プログラミング"についての理解が足りてないだけだと。
適材適所。スキルレベルも含めて、そのとき一番"自分に"いい(楽とかスキルアップ)と思うものを選べばいいのでは?
なければ自分でやる。そもそも連携可能でなければ出てこないし、労力に見合わなければやらない。
Pythonからエクセルを動かすのは、試してみたが、VBAマクロの方が楽に感じる。操作を記録する機能はあるし、そこから不要部分削ったりすればよく、Pythonでエクセル動かそうとすると読みにくいし何やってるか結局わからない。
汎用型か、特化型か。Pythonで楽になるならVBAマクロはいらない。汎用性無双ならアセンブラか機械語でプログラミング言語は止まってる。
プログラマーの人はエクセルなどを嫌うけれど、matplotlibを細かい調整しようとすると調べて描画し直してを繰り返さないとならず、GUIでポチポチ調整する方が楽に感じてしまう。
エクセル含め便利なツールはがっつり使う。楽だから。エクセルで辛くなったら、GUI=>VBAマクロ=>自作ツール。GUIで楽なら無駄に自作ツールなんか作らない。楽になりたい時だけ
個人でGUIを作るとして、ボタンやプルダウンは簡単だけど、マウスを使ってインタラクティブになるとググってもすぐ出てこない。
Python使いじゃないのでなんともだけど、PythonオンリーならDjangoとか?
PythonはGUIが得意な印象がないので、自分ならJS(TS)+Pythonで。Python部分は必要最小限にして、Node.jsで呼び出しか、ReactでAPIコール。
プログラム同士を連結しにくいので、どうしてもその目的限定の用途しか持てないし、アプリの機能に深く依存した作りになってしまうから、賞味期限も短い。なにせプログラミング界に「過度の対話的インタフェースを避ける」って原則があるくらいだ。VBA や Applescript はまあまあ上手くやっているけどね。
個人用の作業補助ツールを黙々と作ってきたけど、今は、なるべくやるべきではない、って考えを持ってる。
社会全体をひとつの大きなソフトウェアハウスとみなすと、各ユーザーが独自に自分用ツールを持ってコッソリ使うという状況は、コードの重複に他ならない。各個人でメンテする必要があって、バグもそれぞれの環境で発生する。それよりも、機能要望の声を集め、製作に手を挙げたプログラマーが責任を持ってプログラムを管理し、ユーザーはバグレポートをその人に報告する方が、労力の集約・責任の分担の観点でより効率的だ。
twitter でその道の専門家を探し、ツイートを引用して議論に引っ張り込み、目的の機能がないって言質をとる。やり取りを togetter にまとめる。暇なプログラマーが最初の実装を書く。reddit で紹介されて世界に広まり、 github でフォークがたくさん作られる。プログラミング言語を換えた、より洗練された Yet another ツールが作られる…
SNS は汎用の、新機能リクエストプラットホームとしても使われてる。
自分で自分のためのツールを作る気になって、でもそれを使う想定ユーザーがどう考えても自分以外に思いつかないときは、糊(のり)だけを作りたい。アプリの拡張フックと、配布されてるモジュール・コマンド・汎用プログラミング言語、OSの標準機能。それらを繋ぐだけの簡単なお仕事を。
ただ個人かチームの改善レベルのプログラム書いてるハードウェア設計者のワイに、
「これやるならPythonでしょ!」
「Railsでフロントエンドの何か書いて欲しいからRubyで書いたら?」
「これくらいならPowerBIでいいんじゃね?」
運動会の進行表や楽譜もプログラムの一種で、上から処理し実行して進んでいくものは、プログラムといっていいだろう。
それぞれの言語に得意不得意があることが分かれば、大きな進歩だろう。
要はやりやすい言語で、ちゃちゃっとやってしまうのが一番便利なんだ。
ちょっとしたアプリは、AutoIt が楽という人は、それで作ればいいし、
自分はプログラマーではないので、スキルが足りてないだけなのかもしれないけれど・・・。
例えば動画を編集していてDaVinciと他のソフトを連携したいなと思っても、そういうのはググっても出てこない。
Photoshopのプラグインとして機械学習を使ったものを入れたいと思っても、ググっても出てこない。
Pythonからエクセルを動かすのは、試してみたが、VBAマクロの方が楽に感じる。操作を記録する機能はあるし、そこから不要部分削ったりすればよく、
Pythonでエクセル動かそうとすると読みにくいし何やってるか結局わからない。
プログラマーの人はエクセルなどを嫌うけれど、matplotlibを細かい調整しようとすると調べて描画し直してを繰り返さないとならず、
個人でGUIを作るとして、ボタンやプルダウンは簡単だけど、マウスを使ってインタラクティブになるとググってもすぐ出てこない。
詳細はボカすが吐き出したくなったので投稿。
厳密に言うと同じ現場の別業種の他会社の( その業種はそこの1社しかない)話で、直接俺とは関係ない。
そこの会社の業務はサービス業の側面が強く、客先の従業員への窓口対応がメインの業務で、テキパキと迅速な対応が求められる場面が多い。
その為か、指導が割と厳しい。服装の乱れや持ち物から髪色まで細かく言われる。ミスが発覚すると裏で詰められる。(1人で多くの人数を捌くので早く覚えて欲しいという意図もあるんだと思う)物言いがキツい社員と穏やかな社員で二極化していて、割合は半々ぐらい。
そこの会社に新人が入ってきた。20代の男性で、物静かそうな、大人しそうな子だ。こっちが挨拶をすれば返ってくる。
そこの会社の従業員たちが言うには、その子はとてつもなく仕事覚えが悪いらしい。受け答えが覚束ず、メモばっかり取っていて、ろくに客と対応が出来ないと嘆いてた。最初は物言いのキツい社員たちが口を揃えて言っていたので、「新人の子も大変だな」と思いながら小耳に挟んでいたが、次第に穏やかな社員たちも痺れを切らしてイラついてきているのがわかった。今まではミスが多い新人が入っても、穏健派の社員たちはイラだっている気配が無かったから、これには驚いた。指導員のひとり(穏健派)がノイローゼになりそうだとボヤいていたので、他会社の問題ではあるが、野次馬心で気になってしまった。
そこの社員たちの話を盗み聞きしてたら、俺はなんだか具合が悪くなってきてしまった。なぜなら新人君は新卒時代の俺、なんならその延長線にいる俺に死ぬ程そっくりだったからだ。
彼は間違いなく、「俺と同じで脳のメモリがとりわけ小さいタイプ」だ。事務処理を中断して電話対応したり、目の前の人の対応をしている時に後ろに人が並んでることを認識しただけで脳みそがオーバーフローしてショートして目の前の処理が一気に吹っ飛ぶ。その癖すぐにパニックになったり頭のキャパが小さいくせになまじ責任感があるので、「間違えたり失礼な対応をしては行けない」という強迫観念みたいなものがあって、速攻で脳が逝く。
キツい社員が言う、「あんだけメモとってんのに、メモの内容間違ってんだもん、その場で書き直させたわ」
違うンだわ、もうな、人前で読んで理解するってのは俺たちは出来ねンだよ、理解出来ねえし頭で噛み砕けねえけどメモとるしかねえし、メモとれって言われたらメモとるしか出来ねえし、その場で理解して噛み砕いてメモに落とし込んで咀嚼する事も出来ねえから音声として言われたことをそのまま文字に書き落とすしかできねンだわ。いっぱいいっぱいなンだわ。噛み砕けない食べ物を口に入れられた状態で引き続き業務に戻らされて、また噛み砕けない別の食べ物口に突っ込まれる感覚なンだわ。仕事終わったら焦燥感と疲弊感で全部吐き出して、残るものと言えば恐怖感と食べかす程度の業務知識しかなンだわ。
キツい社員が言う、「あんまりキツく言うと萎縮しちまうからよぉ、なるべく優しく教えてんのに、途中で返事しなくなるんだよ、やる気あんのかアイツ」
頭の中真っ白になって、声すら出なくなンだわ。こっちが欲しいのは落ち着いて仕事覚えられて少しでも仕事を覚えられてる実感と、分からないことを聞きやすい心理的安全性であって、お前が思ってるお前の優しさなんて糞の足しにもなんねンだわ。お前ら同じこと聞いたら怒るンだわ。でも俺らは同じことを何度も聞いてようやく刷り込めるンだわ。「前にも教えたよな!?」って眉間にしわ寄せて聞いてくるけど、沢山のこと詰め込まれて全部覚えられねンだわ。アンタらは覚えられるかもしれねンだわ。ストレスや緊張感が職場にいるあいだ普通の人はニュートラルが30だとしたら俺たちはニュートラルで80ぐらいなンだわ。仕事始まるだけで不安感とか緊張感とかまた責め立てられるフラッシュバックで140とか150まで上がンだわ。(これに気づくのはGARMINのスマートウォッチを手にする三十路過ぎまでかかった)もうさ、いっぱいいっぱいなンだわ。
そりゃなんでこんなに理解できねえのかお前らわかんねえよな。俺だってお前らがなんでほんなにすらすら出来るのかわかんねンだわ。
キツい社員が言う、「客の前でメモ読ませるの止めさせたわ、間違えてもいいからメモみないで喋れってよ、そしたら挙動不審になんだよ。コミュニケーション能力が低すぎるんだよ」
もうね、地獄かと。いや、コミュニケーション能力が低いのは間違いなく当たってるンだわ。俺たちみたいな脳小さい奴は口頭のコミュニケーションは壊滅的に苦手なンだわ。だけどこういう奴は文書だと人並みにコミュニケーション取れたりすンだわ。何故なら文書ベースだと自分のペースで相手の文章を何度も繰り返し読めるから漏らさず理解も出来るし、自分でメモとる工程もないから相手の要件や必要としてるものを理解することにリソースを費やせるからなンだわ。お前らが一瞬でできる事を、俺たちはジャグリングしながらリフティングする曲芸をしてるの見てる気分で滅茶苦茶なゴミみたいな頭を抱えながら目の当たりにしてンだわ。何が言いたいかっていうと、俺たちはメモの内容を完全に理解していても喋れるフィールドに立ててないンだわ。何故なら俺たちはワーキングメモリ極小故にそもそも喋ること自体が難しいからなンだわ。メモを見るのは、喋る直前のパニックを抑えるルーチンなンだわ。
そんな事を思いながら、俺は新卒で入ってすぐ辞めた職場を思い出して、あの時の地獄のような苦しみが鮮明に思い出されて、食慾が失せて、憂鬱な気持ちになってしまった。
特性上、俺も彼も、彼の仕事は向いていない。俺は今の職場でも無能ではあるが、仕事の補助のOA事務(vbaや関数の知識)能力がたまたまあった故に、周りの人の苦手な部分を補えてハマっただけであって、要は職場ガチャで当たっただけなのだ。俺は今でも彼であり、彼は職場が違うだけの俺なのだ。
俺は彼の地獄の苦しみを誰よりも深く理解しつつ、ほか会社の従業員から「増田さーん、聞いてくださいよぉ、うちの新人がポンコツすぎてぇ……」と愚痴を聞かされながら、こみ上げてくる吐き気と暗い気持ちを抑えながら「大変そうですねぇ」と相槌を打つ日々を送っている。
親にパソコンを買ってくれってねだって買ってくれたPC-98は、
今思うとドン引きしてしまうんだけど、トータル80万円ぐらいだったかな?
で、高校入ってパソコンは使うんだけど家では、ほぼゲームのみ。
その時は流行っていた、ぷよぷよとかファルコムとかアートディンクのゲームに夢中になった。
家でそうやって課題に使ったことも覚えてないぐらい、たぶん使ってない。
要は高校で必要なパソコンの用事は学校で学校のもので事足りたってことで、
わざわざ高価なPC-98なんて買わなくても良かったのでは?と今になって思う。
あと学校と家のパソコンでは互換性が無かったFM-TOWNS。
今でこそ分かるけど
今思うと本当にMSXでも良かったと思う。
もちろんインターネットはそんときなかったし、パソコン通信とかもするわけがなく、
今になって思うと、それ自分の実になって役にたったのかな?と思う、
あと覚えてるのはそのPC-98で
それ以外のまともなUXはなかったから、せいぜいそれらのUIに慣れて触れたぐらい。
あと本当に今思うとなんでそのソフト買ったんだろう?って思うんだけど、
NECの音声合成出力ソフトを2万5000円ぐらいで買ったのは今でも謎。
インストールしてサンプルをしゃべらせて飽きたような気がする。
とにかく今思ったら、
キーボードやマウスとかパソコンを物理的に使いこなせるようになったってスキルしか得られてない。
親もよく買ってくれたなと思うし、
あの時PC-98を買わなくてもMSXで良かったのではと今でも思う。
でもその時MSXを買っていたら今どんな道を歩んでいるのかは知る由もないけど。
とにかく今思うとあのPC-98は自分にとってもったいなかったなーと同時にそれで何をしたかったんだろうって思う。
ただそれだけ。
中学時代にブサイクで頭悪いだけで周りからの歯止めの効かない心無いイジリや暴力で居心地が酷く悪くなって、白髪が増えだして学校バックレて不登校になって親から顰蹙買ったけどその後に「あの時学校行っておけば良かった」って思ったことは1度もないし、
高校の時はバイト先のおっさんに目つけられやすくて(なぜかどこ行ってもおばさん達には良くして貰えた)、面倒くさくなるとすぐ辞めたりバックれたりしてたけど、「あの時頑張ってバイト続けてれば」と思ったことは1度もないし、
その後市職員として公務員になったけど人間関係の濃さ故に俺みたいな頭と顔と要領が悪いゴミは真っ先に同期内でスケープゴートされて、仕事も覚えられないし同じ部署に入った同期と比較されてゴミのような扱いを受けて精神科で薬の世話にまでなった挙句バックレたけど、仕事離れた途端薬必要なくなったし「公務員だししがみついてれば良かった」って思ったことも1度もないんだよな……。
何故か逃げ続けた先に破滅が待ってるとか思う人というか、そう願いたい人が多いみたいんだけど、俺は今何してるかって言うと年収400万の薄給で月の半分が休みのブルーカラーの仕事しててのんびり暮らしてて、心穏やかに暮らせてるので、逃げた先で何とかなってしまった。
「あの時逃げなければ」って思ったことある人はどんな時にそれを思ったの?俺は逃げる時は精神的に限界を迎えてた時だったし、メンタル弱いから逃走までのストレスの閾値がすごい低いんだけど、逃げて後悔したことが思い返すと1度たりとも無いことに気づいた。
たぶんその辺でホームレスになって野垂れ死んでも逃げた事への後悔なんて湧かないだろうし「おちるところまでおちた」「なるようになった」位にしか思わんと思うんだよね。
【※追記】
ふと見たらホッテントリしててワロタ。反応読んでたら何故か俺の事を肯定するブコメが多かったんで、気持ちは嬉しいけど俺自身周りに迷惑を撒き散らすタイプの社会のゴミの自覚があるし「それはちょっと違うんじゃねえかな」って思ったので、上に書いてない数多くのバックレエピソード書いていきたいとおもう。
高校生の頃に年末年始のアルバイトで年賀状の仕分けスタッフをやった。コミュ障で注意力散漫だった俺にも一点集中のこの仕事ならなんとかなると思った。指定された住所順に年賀状を並び替えるだけという小学生でもできる仕事だが、立ち仕事かつタッパのある俺は1時間ほどで背中に痛みを感じ注意力が散漫になった。ハガキを1枚落としてしまい、うっかり踏んでしまった。足跡がクッキリついたので、正直に報告したら凄い剣幕で社員に怒鳴られた。速攻で心がポッキリと折れた。「すみませんでした!以降気をつけます!!」と大きな声でハッキリ聞こえるように謝って深深と頭を下げた。怒られ慣れしてる人間ならわかるが、人目をはばからず人前で容赦なく怒鳴ってくるタイプには大きな声で謝罪するのが1番長引かない。俺が謝罪をするのは自分が悪いと思ったから謝るわけじゃない。メンタルが弱すぎてこれ以上怒られたくないからだ。もう頭が真っ白になっていた。バイト先の郵便局には社員証が必要な改札があって、そこを通らないと出入りできなかった。怒られたあとの休み時間にロッカーに社員証をいれ、そのまま1Fの男子トイレの窓から外に抜け出して帰った。2時間ほど後に郵便局から留守電が入ってたが着信拒否して家帰って足をふるわせてガタガタ震えながら寝た。1月末に3日分の給与が振り込まれていた。
当時、派遣会社が未経験者を3ヶ月で立派なIT人材(笑)へと育成して民間企業への就職を斡旋するという人売プロジェクトを行っていた。3ヶ月の研修期間中に時給が発生するのは魅力的だった。市役所をバックレたばかりの俺は、当時時間と若さだけはあったのでダメ元で申し込んで面接へ行った。事務の姉ちゃんみたいな女が面接官で「ITエンジニアとして働くために今やっている勉強内容を教えてください」と言われたが俺は何一つやってなかった。プログラミング経験も一切なくjavaってなんだ?とかそんなレベルだった。バックレてから今に至るまで検索エンジンに「麻美ゆま」とか「蒼井そら」とか書いてシコって寝てただけだったので「windowsのパソコンしか持ってないので今は仮想環境にlinuxを入れてLPICの勉強をしてます。」と答えた。後日「採用が決まりました」という連絡と「3ヶ月の間に絶対に辞めないこと」という口頭での誓約が電話越しに交わされた。研修が始まると、研修生は30人ほどいて、5倍の倍率を突破した先鋭達だとお偉いさんに言われた。ウケる。2日目あたりで経緯は忘れたが講師の女のうち2人がヒステリックな怒り方をし始めた。学校嫌いだった俺は小学校の頃のヒス女の担任を思い出して、その時点でもう完全に心が折れてしまった。ひょっとしたら過酷なIT業界で耐えうる人材を育てる為の研修のいっかんだったのかもしれないが、俺には耐えられなかった。(プログラミング自体は楽しかったので、後にVBAを学ぶいい契機になり、VBAの知識は今の職場で重宝されているのできっかけとしては感謝してる)頭が真っ白になって動悸が止まらなくなってしまった。酷く不安を感じて目眩がした。帰り際「明日もよろしくお願いします!」と会釈して満面の笑顔で元気よく挨拶し、連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月後、2日分の給料を確認した。
【日雇い編】
研修を飛んでから暇だったのでグッド⚫ィルだかで日雇いの仕事をした。たしか印刷会社の工場でひたすら梱包する仕事だったと思う。
仕事開始から1時間経っても休憩時間が無かったので「何時から休憩なんですか?」と聞いた。「12時の昼休みまで続くのでそれまで頑張って下さい。」と言われた。頭が真っ白になった。「すみません、お腹痛いのでトイレ行ってきてもいいですか」と断りを入れてトイレに行き、トイレの窓から外へ抜け出し連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月たっても1時間分の給料が支払われなかったのでさすがに諦めた。
【期間工編】
俺は頭がとりわけ悪くて、メモリが小さすぎて人の話を頭に留めておくことが出来ない。電話の取次すら相手の名前を間違えるし、話を聞きながらメモも取れない。なので人と接しない仕事をすることにした。某自動車工場で寮費無料の期間工に応募した。もうこの頃にはバカ正直に職歴を書くと赤羽駅東口に飛び散ったゲロぐらい酷い履歴書になってしまったので、暇つぶしで取った電気工事士の資格を利用し「工場で保全の仕事をしていました」と職歴を詐称した。日雇いで1時間働いた工場の名前を履歴書に書いた。勤続3年の元工員として面接を受けたら採用されたが待遇は未経験者と変わらなかったので罪悪感はなかった。
研修初日は研修生同士で寮が相部屋だった。社員から部屋の中は禁煙だからタバコは吸うなと言われた。流石に禁煙の社員寮の中でタバコ吸うカスなんているわけねえだろ。俺の相方は以前も期間工で任期満了までやったベテランらしい。俺よりも一回り年上だった。コミュ障だが初対面の相手に対してはコミュニケーション能力がバグるコミュ障あるある現象が炸裂して普通に打ち解けて雑談していた。相方の実家は花屋で、閑散期になると出稼ぎにきている。そんな話をしながら相方がタバコに火をつけ、深く吸い込んだ紫煙を天井に向けて吐いた。唖然とした俺に相方は「あ、こういう事に慣れないと、ここじゃやって行けないよ?」と先輩面で言い放った。心にヒビが入った。研修中に工場見学に行ったら、工場内の機械のあまりにも大きな音と地響きに心が完全にポッキリと折れた。俺は大きな音がとても苦手で、聞いただけで頭の中が真っ白になり酷く不安を覚える。寝てる間もずっと工場の音が頭の中でする。研修を終えて、ようやく個室が与えられた。汚い畳の個室の寮で荷物も広げずに、寮の鍵と社員証を封筒にいれて部屋に置き、すでに纏まっている荷物を抱え夜明け前に始発の電車が来る駅へ向かい連絡先を着信拒否した。一ヶ月後、研修中の1週間分の給料と合格祝い金(採用時必ず貰えるとかいうやつ)が振り込まれたのを確認した。
【医療事務編】
何故かおばさんウケが異様にいい俺は、隣町の薬局の医療事務の採用試験に行っていた。とりあえずどんなもんなのかやってみようと思った。面接官がおばちゃんで面接と言うより面談形式で話が進み、いつから働けるか聞かれた。採用が決まった。しかし面接官のおばちゃんは会社のおえらいさんで、職場には居なかった。気難しそうなしかめっ面の薬剤師と、若い女ばっかりだった。俺は詰んだことを早々に確信した。慣れないながらも仕事に食らいついてはいたが、2週間も経つと休み時間俺の頭の悪さを揶揄する陰口が嘲笑の声と共に聞こえた。「顔が生理的に無理」と聞こえて酷く苦しい気持ちになった。学生時代から何度も言われてたから、知ってる知ってる、と内心おどけてみせたが頭が真っ白になった。1ヶ月も経たないうちに俺は限界を迎えていた。とある日、先輩に「飲み会の幹事やってくれ、フォローはする」と言われた。俺は飲み会や人の集まりが死ぬほど苦手だ。つうか俺一応新入社員だろ。ましてや幹事だなんてとてもじゃないが耐えられなかった。心が砕け散っていたので、その翌日の朝に架空の親戚を急死させ仕事を休み連絡先を着信拒否にした。
3ヶ月たったあたりで解雇通知と離職票が届いた。初任給だけは貰えた。
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他にも色々あるけど、俺は我慢強くもなければすぐにバックれる社会不適合者のクズだってのがよく分かってくれたと思う。だから「生存者バイアス」ってのは少し違う気がする。何故ならこんな感じで逃げ回ってる間も「もっと頑張ればよかった」と思ったことは1度もないし、向いてないものに対する克己心もすぐ砕けるし、なんなら「もっと早くやめてれば良かった」とさえ思うことの方が多かった。俺の行為を「逃げじゃない」という人もいるけれど、俺が嫌なものを避け、ハードルを潜りながら生きてきたのはたしかだと俺は思う。これが逃げじゃないなら、その人の中ではそうなんだろう。俺は「逃げ」だの「甘え」だの言われても「そうだね」としか思えないし言い返そうとも思わない。ただ、誰になんと言われようが当時の俺は本当にいっぱいいっぱいだった。逃げる以外の選択肢が取れなかった。そして俺のスタンスは「逃げても後悔したこと1度もなかったけど逃げを推奨してるわけではない」克己心のある人は立ち向かうなり問題解決するなりすればいいと思うし、メンタルが弱く頭の悪い俺にはその余力が無かった。ただ、苦しみ続けるか死ぬかの狭間で苦しんでるなら逃げちゃってもいいんじゃないかと思う。俺はなんとかなったし、少なくとも一時的な苦しみからは逃れられる。養老孟司がなんかの本で花鳥風月を楽しむ心をもっと持った方がいい。と言っていた。逃げ回ってた時期によく20kmぐらい歩いて散歩して四季の移り変わりを楽しんでいたが、自然に目を向けるのはとても心が安らぐ。桜や紫陽花の花の美しさも、金木犀の香りも、冬の土の匂いも、逃げずに働き続けてたら俺はきっと荒んだ気持ちで気づかなかったと思う。お日様の光をたっぷり浴びて散歩できて、四畳半の清潔な部屋とシャワーがあって、最低限の食事がとれて、たっぷり睡眠が取れれば俺はそこそこ幸せに暮らせることに気づけた。小学生の頃、いつも不安で毎日が怖かった。もしもタイムスリップできたら、布団の中で毎日泣いていた幼かった俺を慰めてやることぐらいは出来ると思う。今は最低限の収入がありながらも生活費が家賃込で10万程なので、貯金がアホみたいに溜まる。20代の頃橘玲の本を読んだインデックス株に手を出したらまあまあ増えたりして、今の生活水準なら20年ぐらい働かなくても暮らしていける蓄えも出来た。