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はてなキーワード: Unixとは

2022-08-12

anond:20220812211052

PowerShellUNIX知らないプログラマ不見識みたいなこと言うから当てこすりされてるんやで

相変わらず皮肉理解できんよう火傷

2022-08-11

anond:20220811210008

CLIIDE必要に応じて学べばええんや

どっちも種類によって使い方も違うんやし

UNIX系OSバックエンド開発しようとしてる人に「XCodeインストールしてください」「AndroidSDKの仕様学んでください」はおかしいのと同様に

Androidアプリ開発しようとしてる人に「UNIXCLIの使い方を学んでください」「laravel環境構築してください」はおかしいんやで

anond:20220811194557

追加で何かを学べば引き出し増えるのはUNIXCLIに限った話でもないやん

WEBしかやってない人がiOSAndroidAPIIDE学んだって引き出し増えるし

UNIXCLIという特定環境依存したもの(組み込みスマホアプリPCアプリ作成者にとっては知らなくても開発可能)である必要もない

お前がWEB系以外の開発スタイルを知る気がないのと同じように非WEB系いTエンジニアWEB系のことなぞ知る気があるわけではないことに気づけやで

anond:20220811161405

MicrosoftがWSLを出してる時点で、

サーバサイドはUnixにかないません。と言っているようなもんだと。

ところで、WSLはそろそろ安定して動くようになったの?

anond:20220811194234

そういう、今の大半の開発者にとって明らかに不要かつ古臭い話を持ち出して揶揄するのは恥ずかしすぎるから勘弁して欲しいわ。

今どきのUNIXエディタedとかTECOを持ち出すくらいふざけた話。

anond:20220811193707

今やほとんどのPCユーザWindowsを使っているのだからUNIX系を追加で学ぶことで、Windows以外の環境でもプログラミングできるという話。

それだけ引き出しが増えるし、環境差異に振り回されず物事を考える取っ掛かりにもなる。

別にIDEを使うなと言っているわけじゃない。

CLIに全く触れることなプログラミングを学ぶことが問題なんだよ。

もし最初からIDEプログラミングを覚えてしまったら、多分もう二度とCLIプログラミングをする機会はないと思う。

そもそもIDEでの開発ありきという姿勢が、つい最近までWindowsでの開発スタイルだったわけだし、その意味でも非Windowsな開発スタイルも知る必要がある。

(今はどのOSでも動くVSCodeがあるからどこでもVSCodeでいいじゃんと思われがちだけど)

anond:20220811165716

プログラミングUNIXCLIに全く触れないとしても、CLIでの開発は出発点として重要から言ってるんだよ。

いきなり最初からIDEだと、IDE使った開発しかできないプログラマが生まれ可能性については問題ないと?

さらIDEを使いこなすことばかりに注意が行って、データ構造アルゴリズムへの意識が甘いプログラマとかも生まれそうだよね。

特に独学だと。

そこらへんどう思ってるんだろう?

anond:20220811164807

まぁそういう人もいるよね。それで問題ないと思うよ

サーバー←→クライアント関係基本的ネットワーク理解出来ているか?だけが重要な訳で

CUIの画面でカタカタったーーンが重要なわけではないし、必要になったら必要コマンドをググれば事足りる

 

あとワイは未経験者はLinuxと仲良くなっといた方がスムーズでは?派だが

わざわざ普段使うオペレーターティングシステムUnix寄りにましてやMacにする必要性はない思ってる

この増田anond:20220811161554Macなんちゃら書いてること読み落とした

しろApple信者以外はMacにするなって思ってる

MacApple信者スタバドヤ顔に任せておけばいいと思うよ

https://anond.hatelabo.jp/20220527063027

あとWSL2使えよは何度も言ってるわ

https://anond.hatelabo.jp/20220527070030

anond:20220811165030

実際UNIXCLIを一つもうたない開発もあるから最初CLIやれだって極論やん

それに対して皮肉アセンブリやれって言ってるんやで

anond:20220811163429

それはWEBプログラミングの話やん

WEBバックエンドやるわけでもないのに使う予定もないUNIXCLIなんかやる必要ないやで

そんなに基礎が大事ならアセンブリから学んだらええんちゃうの?

anond:20220811162423

今のプログラミングネットワークと密接に関係することが多いので、まずはそこを押さえないといけないでしょ。

それ踏まえたらWindowsしか知らないというのは微妙だし、初期の段階でUNIX系に触っておくのは良い選択だと思うけどね。

初心者ならLinuxディストリビューションの違いとか問題になるレベルではないし。

組み込みデスクトップアプリノウハウはその後でもいい。

anond:20220811160158

プログラミングを学ぶなら、ゆくゆくはネットワークの話とかも知っていかないといけない。

あと環境依存ではないプログラミング手法に、できれば最初から触って欲しい。

そんでプログラミングの基本はターミナルコマンド入れて"Hello, world"だけど、それをコマンドプロンプトとかPowerShellでやるのは微妙

そう考えるとできるだけUNIX系か、それに近いインターフェースを持つOS上でプログラミングしたほうがベター

から理想を言えばLinuxプログラミングを学ぶのが一番だけど多分ハードルが高すぎるので、macでもいい。

もちろん、これは「欲を言えば」くらいの話ね。

Windowsプログラミングを始めるのは「良くはない選択」だが「絶対に避けるべき」という話でもない。

からWindowsコマンドプロンプトやPowerShellプログラミング事始めというのも「まあ仕方ないか」みたいな感じ。

あとVSCodeとかの統合開発環境は覚えたほうがいいけど、初学の段階で学ぶ必要はないと思ってる。

かに統合開発環境を使いこなす」ことは現在の開発だと基本なんだろうけど、かといってプログラミング本質ではないので。

(どこかのタイミングで学ぶべきだけど最初は知らなくていいくらいの話)

しろ何度も言うように、VBが初めて触ったプログラミング言語になるのが最低最悪で、これは本当に避けたい。

2022-07-19

anond:20220719192438

逆だな

UNIX使いたいけど使えないから誰にでも使えるUNIX互換環境を作ろうとしたのがGNU

2022-07-18

Linux躍進の謎

Linux誕生したのは1990年代

これはUNIX系OSの中でもほぼ最後発になる。

それも開発したのは俗に言うスーパーハッカーとかスタープログラマとかではなく、当時全く無名だった大学院生

から開発の目的だって勉強のためかお遊びなのかもよくわからない話だったり。

そこに来て、型落ちロースペックPCでも動かせるフリーUNIXライクOSとなると、今だったら

ジェネリックUNIX

みたいに冷笑されかねない話だ。

実際リリースされて間もない1990年代後半から2000年前後辺りまでは

流行の追っかけしか能がない、ワナビーのクソガキ共が使うおもちゃ

くらいの立ち位置だった。

当時流行っていたネットスラング類似する煽り方をするなら「アンチMS御用達」みたいな感じだろうか。

しかし今や、そんなのはとっくのとうに大昔の話というか

「そんな事があったんだー」

で終わるくらい、Linuxは誰でも、どこでも使うOSになっているのは御存知の通り。

UNIX系OSで最もメジャーと言うだけではなく、システム開発サーバ構築でWindowsサーバとともにほぼ必ず選択肢に挙げられるようになって久しい。

更に直近の10年で、気がつけば世界中で使われているスマホ殆どLinuxベース(Android)になっている。

まり誕生からの四半世紀で爆発的に発展・普及したというわけだ。

本当にLinuxを使うなんて今どき普通すぎて、特に取り立てて言うことではない。

一方でLinuxよりもずっとフリーUNIXとしての歴史があり、かつては定番だったBSD系なんて、今やAppleのお陰で辛うじて延命している状態なのだから、これまた隔世の感がある。

とはいえ気になるのは、何をどうやったらここまで信じがたい躍進をしたのか?という事情

ホビー用途ビジネス用途では要求される信頼性レベルが異なるので、誰かがそこに手を入れないとこのような発展は望めない。

そこでは大企業がきちんと専門家を入れる形で関わるならなお良い。

そうなるとやはり、まずIBMが白羽の矢を立て、次いでGoogle積極的コミットするようになった流れが大きいのだろうか。

このうちGoogleは「弊社はオープンソースフリーライドしているわけではない」アピールや自社サービスコストダウン、更にはモバイル分野への進出という諸々の目的に好都合だったのだと思う。

問題IBMだ。

しろ元々IBMAIXという自社製UNIXを売ってる会社であり、これを用いた各種サーバ構築はお家芸だったわけで。

更にこのAIXDB2WebSphereを組み合わせる方式は、2000年代くらいまではエンタープライズアーキテクチャの2大巨頭だった。

(もう1つはSolaris+Oracle+WebLogic)

そんな会社Linuxに手を出して、一体何の得があるんだ?という話なわけ。

一つ考えられるとすれば、AIXDB2WASも買えない貧乏人もとい中小規模の顧客から、せめて構築と運用手数料だけでも取るためとか?

まあ確かに一時期流行ったLAMP(Linux+Apache+MySQL+PHP)なら、ライセンス料なしでハード安価PCサーバになるので、導入のハードルは低い。

というわけでLinuxの草創期を知ってる人間からしたら、今の状況は世の中が変わりすぎなくらい変わったという感覚が強い。

Android不具合スマホメーカー依存or機種依存だったり、そもそもLinuxデスクトップ用途が未だに少数派なのは今後も変わらないだろうけど、逆に変わらないのは多分それくらい。

あとUbuntuは嫌い。

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-06-28

anond:20220628173543

フジタって誰か知らないんだけど、それはさておき、、

昔の遺産を追いかけているというよりも、昔勉強しそびれてしまった(手が回らずじまいだった)事を今になってやっと勉強しているだけ。

俺の場合ハードハードに近い低レベルのあたりの事を勉強している。実用的な勉強じゃなくて原理を把握するための勉強にはシンプルハードを使う方がわかりやすい。OSにしても、8ビットOSMINIXや初期のUNIXとかね。

2022-06-24

anond:20220624224849

例えば C:\Users\{username}\Softwareの中にソフトを置いとく、という風にもなるのですか?

そんな感じ

ユーザフォルダ直下だと色々なソフトが好き勝手フォルダ作って混ざるし

やっぱり、LinuxUNIXみたいな使い方に寄ってくるのですね。

個人的には Windows の、ソフトごとにフォルダがあって設定も実行ファイルもまとめておいてるほうが好きではあるけど、フォルダ全部にパス通してくのは辛かったか管理やすいように一箇所に通してそこからリンクで各所の exe を呼べるようにしてる

anond:20220624192828

ユーザー意識するなら C:\Users\{username} の中の適当場所

具体的に言うと、例えば C:\Users\{username}\Softwareの中にソフトを置いとく、という風にもなるのですか?

パス通す系は C:\bin を作ってここにパス通して、各フォルダexe に symlink かショートカットリンクしてる

やっぱり、LinuxUNIXみたいな使い方に寄ってくるのですね。参考になります

余談だけども、ここにその質問投稿したけど思ったより反応や回答が少ないので、別のサイト投稿した方がよかったのかなあって思ったり。

2022-06-09

M2 Macbook Air要る人要らない人一覧

要る人

要らない人

2022-05-28

kindleセール

たまに、ヤバイ感じでセールしてるなあ。

詳解Unixプログラミング第3版、パタヘネ6版、ドメイン駆動設計が半額近くになってて笑った。

2022-05-04

リーナスLinuxを開発したというのは、どれほど「技術的に」すごい偉業だったのでしょうか?

生越 昌己

, 日本Linux協会で元会長 (2001~2002年)

回答日時: 2022年4月23日 · 執筆者は841件の回答を行い、180.3万回閲覧されています

なんか呼ばれてる気がした。

技術的に」はどうってことなものです。別の回答で私の書いた記事引用されているので、その辺の歴史的なことはそっちを読めばわかると思います。「やればできる」範囲のことです。実際、あの記事には書きませんでしたが、そのちょっと前くらいに私の知人(日本人)がフルスクラッチUNIX互換マイクロカーネルOSを独力で書いてます。これも彼に言わせれば、「教科書通りに実装しただけ」とのことです。なお、UNIXOS実装は、いくつか教科書が出ています。また、「NET2」という4.3BSDのフリー(ってことになっていた)な部分のコードも公開された後です。つまり、参考にするもの結構あったんです。

実はOSのものは、「技術的にすごい」必要はないです。もちろん、いろんな点で「技術的にすごい」ことをする必要性のあるところはありますが、「普通実装」であれば「教科書通りに実装しただけ」で作れます。「ぼくのかんがえたさいきょうのプロセスモデル」なんてもの必要ありませんし、「マイクロカーネル技術」なんてのも、あればあったでメリットありますが、なければなくても困りません。UNIXのその辺は普通人達が思っているよりもずっと単純で、実装もそんなに難しいものではありません。ですから特に「何かの互換品を作る」というのであれば、動かすだけであればそんなに大変ではありません。バランス感覚要求されて難しい部分は既に他人実装しているわけですし、「教科書」や「参考コードはいっぱいありましたから。

Linuxが凄かったのは、一つは「運」です。多くの人が求めているタイミングで、まがりなりにも動くものを出すことができた。これは多分最大最強の「すごいこと」です。

Linuxリリースするちょっと前に、AST(Andrew Tanenbaum

)はMinixの「次のバージョン」についての「やらないことリスト」を作っていました。野良で作られたMinix386を使っていた人達を始めとする「MinixもっとUNIXになって欲しいと思っている人達」は、それを見てガッカリしたものです(私も)。Minix実用品にしようとする流れに完全に背を向けた形で「教材としてのOS」に力点を置いたもので、ASTの立場を考えれば当然とは言え、いろいろ残念な思いをしました。Linuxリリースされたのは、そのショックから覚めやらぬ時期だったので、それを見た人達は、まさしく

キタ――(゚∀゚)――!!

と思ったものです。本当にグッドタイミングだった。

その次に凄かったのは、「それを実用品に持って行けた」ことです。「動く」ということと「実用品になる」ことの間には、とんでもなく深い「谷」があります。これを超えるのは、「運」も大事だし「技術」も不要じゃないんですが、それだけでできるものでもありません。そもそもLinus自身が「最初はそんなつもりはなかった」的なことを言ってますからね。それでもどこで気が変わったか、あの「隙だらけのカーネル」でも、なんとなく実用品として使えないことはない程度にはなっていた。

そして、「隙」も凄かった。Ver 0.01のカーネルなんて、本当に隙だらけ。たとえば、システムコールエントリテーブルがあるのですが、その先の「実装」部分には「未実装」ってコメントが1行書かれているだけなんて状態だったのです。これは結構後の版でもありました。でも、その「隙」ゆえに、多くの人に愛され、「俺が何とかしてやろう」と思わせる。当然意図したものじゃないにせよ、これがなかったら「今」はなかったかも知れない。

等々、いろんな「凄さ」はありますが、それは技術のものではありません。「凄さ」は別のところにあったのです。

独自に似たものを作ってた人達(私も含まれる)が、一斉に自分の作っているものを投げ出して協力しようと思うくらいには「凄く」また、「隙」があったんですから。「マイクロカーネルこそが」とか、まぁとりあえずマトモに他人の使える自前実装作ってから言ってよね。ちなみに当時の私はMach

をいろいろいじくってました。Ver 3.0になっていろいろいじれるようになってて、MS-DOSの上からbootする版を作った人がいたんで、「これでユーザ空間OS書けるじゃん」って。

そんなわけで、「ぼくのかんがえたさいきょうのOS」を作らなかったのが、Linusの偉かったところ。愚鈍に「どうにかこうにかUNIXとして使える程度のもの」をちゃんと作っていいタイミングリリースした。そこが全ての始まり

「毒にも薬にもならない昔話」とはこのことではないだろうか。

技術的にも思想的にも誰の参考にもならない。

老人ならせめて1行くらいは誰かの役に立つ言葉がにじみ出るものだが・・・

そういう生き方としてきたということだろう。

PCWatchの山田祥平さんに似た臭いを感じる。

2022-04-21

anond:20220421044739

munyaX viでもemacsでもテキスト入力するって行為は同じなのに色々面倒だよね

偉い偉くないというより、アホか賢いか、というのはあると思う。

viコマンド :wq で保存(だっけ?)とか、

DOSやらUNIX時代のクソ古いやり方を引きずらないといけない、という点では、

やはり進化のない馬鹿や老人が古い設計を持ち込むと、他が迷惑するというのはあると思うよ。

Ctrl + Sですら30年以上経ってんのに。

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