はてなキーワード: IKEAとは
普段増田のトラックバックには反応しないことにしてるんだけど、
勘違いされているままだと残念なんで、はてブ稼ぎをやめて真面目に書いとくよ。
まず、「アニメ業界の場合を妄想してみる」を書いたのは、cider_kondo さんで、
http://anond.hatelabo.jp/20150429120948
こっちの「残念妄想(というか衒学的自己満足文章)に目が点である。」を書いたのもcider_kondo さんで良いのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150430030805
もし違っていたら、大変申し訳無い。
以下の文章は誤認した文章となり恐らくcider_kondoさんにとって不愉快な文章になると思うので、謝罪しておきます。
id:cider_kondoと明示的に記載するので、大変お手数をおかけいたしますが、不愉快に思われた場合は運営に削除申請をお願いします。
で、
cider_kondo 駄目だこりゃ。「育成コストを負担したのに移籍されたら丸損」(これ業界の人も普通に指摘してる問題点なんだけど)に「金額関係ない」とか意味不明な返しでただの煽りと解釈するほかないな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150430094552
と、書かれているので、http://anond.hatelabo.jp/20150430094552を、http://anond.hatelabo.jp/20150430000956と、同一増田が書いたと思われていると判断して、以下の文章を書いています。
違います。
cider_kondo 何回でも書くが、現在の動画職は事実上のインターンで1年2年あれば普通は原画職に上がり、収入は倍以上増える。110万というのは訓練中の新人を集中的に集計したようなもの。搾取云々でなく新人育成の不備が課題。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/30/news078.html
凄いタイムリーにコメントされてたのを発見して、ほぼこれに対する反論と同じ内容が、下記延々と細かく続くだけです。
その1年か2年の訓練中の新人に、年間110万円しか払わないのが反社会的です。(倍でも220万円ですが)
そのたった1〜2年を、企業側が年収300万円程度渡せず、なぜ雇用者側が耐えなければならないのか、事実上の労働者と判断された瞬間に崩壊するよ、という話です。
(実例もある。ほぼ全く同じ構造でその名も「インターン」と呼ばれていた日本の研修医は、新しい臨床研修制度で平均給与が250万程度から350万程度へとアップした。なお、この背後も関西医大の研修医過労死訴訟が絡んでる)
(なお、個人的には「倍でも220万円ですが」の背景にある部分がこの問題の本質で、アニメーターは末端だから顕著に出ているだけだと思っています)
「国内アニメーターを活用している」の日本語の不自由さが謎なのだが、「国内に動画工程を残している」という意味か?
『「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。』
とあるのだが。
前者がYESです。
後者が「その選択肢はありえない」というのが企業目線であって、労働者目線ではないという指摘です。
「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。また、「生活できない収入しかもらえないからこそ、死にものぐるいで練習して少しでも早く原画に上がれるように努力する」というのがなくなると、「いつまで経っても上達せずにだらだら過ごしてしまう人間」も出る(実話)。
念の為、言葉を置き換えて整理しますが、以下で間違いないでしょうか。
(以降も同じですが、違う場合は、たぶん誤読しているので、その点を指摘頂ければ、その部分は修正します)
ここでは、「相場よりも高い給料を払って」を、元々の増田やcider_kondoさんの単純化に倣って、年収300万円相当としています。
そういう零細企業は、企業としての体をなしていない、つまり、雇用を生み出すという社会的責任を果たしておらず潰れるべきだ、というのが元々の増田の論旨で、私も原則的には賛成です。
現状そうである、と、そういう企業は適切に給与を払うべきである、は別だと考えます。
この記載から、現状の低賃金労働環境でなければ(つまり、年収150万円以下のアニメーターを前提としなければ)国内動画は不可能だと判断されているかと思います。
そして、以後、国内アニメーターは、「原画マン育成のためだけに雇うor雇わない」という話を展開されていると考えました。
私は、それは認識が違うのではないか、既に海外への動画発注の依存度合いはかなり高いのではないかと反論しました。
その上で、「国内動画は海外動画とは簡単に置き換えられないのに、『海外動画と張り合うにはダンピングしか無い』と騙して働かせていないか」と露悪的に表現しました。
現状のアニメーターと、年収300万円相当のアニメーターとで、独立・移籍に対する、ハードルは同じだと考えます。(むしろ上がる)
「企業側から見て」損である、というお話をされているかと思います。
それは、「損」ではなく「違法労働で得をしている」状態の是正ではないか、という点を話そうとしています。
上記引用部からは直接読み取れませんがたぶん「教育コスト分の損をする」というお話ではないでしょうか。
これは、かなり広範囲に適用できる話かと思いますが「企業が教育コストを負担するべきではない」というお話をされていますでしょうか?
アニメ業界だけ、教育コストを負担しないとする理由はなにかありますでしょうか?
(競業避止義務は、通常「事実上、転職元の企業の資産を使って、転職先の企業を有利にする」と判断される場合のみで、肉体労働者やIT技術者等が前職で一般的な技術を得てから転職しても、制約を受けません)
これに対して「奴隷を扱う人間の物言いであり、日本企業として許されるべきではない考え方だ」とは述べました。
特に反論はないので、この点に関しては、余談だったのであろうと思います。
(社会道徳を無視して、アニメ業界のためにシゴキが許容されるとは、cider_kondoさんも考えておられないと思います)
そして、現状の動画の大半が海外発注&動画職の平均年齢&原画な人たちが動画として働いてた期間を見たら、育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ。
「アニメ業界の場合を妄想してみる」の記載とは若干矛盾があるようにも思いますが、現状の「動画の大半が海外発注」という点は、共通認識があると思います。
また、「育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ」という記載から、「国内発注の動画は、原画マンの育成・選別過程である」と考えておられると思いますが、間違いないでしょうか?
(「現状既に少ない原画マンを増やすべく、国内アニメーターを活用している」は、上記の意味で用いています)
この現状であれば、既に採算を度外視して、「教育課程として」国内動画を発注しているという意味になると思いますが、この点に齟齬が有りますか?
これに関しては、2点、違うのではないかと指摘したいです。
20年前ならいざしらず、今でも国内の方がトータルでコントロールしやすいという根拠は何かあるのか? あるなら具体的に教えて欲しい。
具体例は出せません。例えば、海外の方がトータルでコントロールしやすいとする根拠は明示頂けますか?
公開されたインタビューや、公開情報以外では、こういった情報は各方面に迷惑がかかる為、お互いになにか手持ちの情報があってもココには書けないということにはご同意頂けると思いますが。
(9年前でよければ「MUSASHI GUN道」の木下ゆうき監督が韓国のアニメーターとのコミュニケーションに苦労されたとするインタビューが公表されていたかと思います)
動画枚数ではなく、例えば「明確な指示が無くても作業をしてもらえる」等を指して、無茶と言いました。
この点に、おそらくcider_kondoさんと認識に相違があります。
cider_kondoさんは、上記3点を前提とされていると思いますが、違いますか?
私は、1番には同意します。2番と3番には同意できない、という話をしています。
2番に関して、動画は海外発注できるできる部分と、できない部分があると考えています。
つまり、原画と原画を繋ぐだけではなく「本来は原画にすべきもの」をアニメーターが補っている部分がまだあると考えるからです。
こちらは、例示できます。
日本アニメ(ーター)見本市の第6話「西荻窪駅徒歩20分2LDK敷礼2ヶ月ペット不可」の動きは、原画によるものではなく、アニメーターの力量が出ていると考えています。
恐らく韓国発注でも、原画の枚数を増やし密なコミュニケーションを取れば、同じクオリティーのものは出来ると思います。
ただ、上記でまさにcider_kondoさんが書かれている通り、スケジュール管理しきれない現状で、遠隔地と密なコミュニケーションを取るのは難しいのではないか、との指摘でした。
3番に関して、1番との整合を指摘される前に詳細に書きますが、「教育のため」である点は否定しません。
アニメは「原画マン」が命であり、「原画マンになるにはアニメーターは良い勉強になる」点は、その通りだと思います。
そこで、(あまり品はよくありませんでしたが)スタジオジブリが国内生産に拘っていた、業界内では有名な理由を挙げました。
ただし、「教育の為だけに、採算度外視して国内発注しているのではないか」というのは、同意できません。
それは、2番や「無茶」の理由が大きい為、海外に出せない工程として国内が残されている(良いように使われている)と考えるからです。
と書かれていることから、「教育コストを払い、アニメーターとして年収300万円で雇い、原画マンに育てた後、移籍・独立されれば損をする」と考えておられるのではないかと思います。
もしも「国内動画は、採算度外視して、教育のためだけに発注している」としても、それは甘いのではないか、アニメ業界だけ特別にルール整備をする理由は無いと考えます。
なぜなら、独立や移籍をされて困るのであれば、相応の給与を払いメリットを明示し、社に残ってもらうのが一般企業だからです。
例えば、IKEAやUNIQLOが、アルバイトを限定正社員として雇用形態を変えたのは、囲い込みの為だと考えています。
(余談にはなりますが、狭い業界ですので、露骨なヘッドハンティングはあまり横行しないのではないかとも考えていますが、こちらは単なる想像です)
また、独立されるから給与を払いたくない(実質的に雇っているが、最低賃金以下でしか雇わない)のは、法令違反だと考えます。
ただし、「現状誰も何も言わないのに、自ら率先して始めるインセンティブが低い」というのは同意します。
そして、それ(ある日突然、アニメーターを正規雇用しなければならなくなった時)に備えない企業は、その時に潰れるのではないかと述べました。
「アニメーターは原画マンへの教育課程でしか無いので、教育コストを払えないor払っても損する現状では払えない」は、2つの理由から違うのではないかと反論します。
1番を無視して「国内アニメーターが海外動画勢と戦うには、ダンピングしか無い」とするのは、不誠実であると思います。
また、2番に関しては、(私は同意しませんが)cider_kondoさんの言われる「国内動画は教育課程でしか無い」という前提をおいたとしても、給与を払わない理由にはならないと考えています。
cider_kondoさん自身が述べておられますが、20年前ならいざしらず、現状で海外動画発注に完全置き換えできないのは、理由があると言うのはご同意いただけると思います。
cider_kondoさんは、完全置き換えしないのは教育のためだけだと言われますが、その為だとしても、年収300万円を払わない理由にはならないと思います。企業側がアニメーターを育成して原画マンにした後、移籍・独立されてしまえば教育コスト分損をする為、なにか方策を考える必要があるというのはその通りだと思いますが、「だから、アニメーターは教育コストなので、最低賃金も払わない」という、無給の丁稚奉公を肯定する立場は、現在の日本社会では、許されていないと考えます(単に司法が見逃しているだけ)。
「適正な賃金を払うと、零細企業が潰れてしまう」と言うのは、ブラック企業擁護でよく見る意見ですが、それは間違っていると考えます。
そして、私は教育のためだけではないと思いますし、そうであるならば尚更、適切な賃金が払われるべきだと思います。
その後も酷い。補助金(普通は農業関係より伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多いのだが、それらが国防に関係あるとでも?)とか
「伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多い」根拠を出せますか。
酪農や畜産を参考にしたらいい。本来なら潰れてる業界を関税や補助金で守ってる例なんていくらでもある。補助金漬けになったら駄作しか生まれなくなる気もするけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150429120948
私は、上記のコメントやTwitterのコメントを幾つも貼れますが。
ソフトパワーって知らんのかとか
ジョセフ・ナイが提示した「ハード・パワー」の対義的な概念としての「ソフト・パワー」であれば、簡単には知っています。
アーロンチェアだのうんこちぇあだの、長時間座りやすい椅子や、立って作業する机にかんするエントリが主にエンジニアを中心に人気を集めているようだが、日本人なら文机を買うべきだ。安っぽいIKEAの机などを並べてドヤ顔している場合ではない。
私自身は、以前は室内にアーロンチェアを置いて、洋式の机でずっと開発していたが、去年の暮れから80年ほど前の文机の下にMac Proを置き、机の上に23インチモニタを置いて開発している。
文机を使うことのメリットは,うまく言葉で言い表すことができないが、あえていえば、不思議な安定感だろう。
文机で作業するには、床の上に座ることになる。このポジションが、えもいわれぬ安定感をもたらす。心の静けさと言おうか、高価な椅子では決して得られなかった新鮮な感覚だ。視線が床に近い位置に固定されるため、部屋が散らかっていると、必然的に、床に置いてあるものが視界に入る。集中して作業するには、部屋の定期的な片付けが必須だ。こうして、毎日片付けを繰り返す部屋で作業することとなり、生産性がさらに上がった。
机を中心に、部屋に置いてある家具を低い物に取り替えていくと、狭い部屋でも広く感じることに気づくだろう。
文机本体は家具の量販店でも取り扱っているが、おすすめなのは、アンティーク物を買うことだ。地元のリサイクルショップ、神社などで定期的に開かれる骨董市、ヤフオクなどを覗けば、比較的コンディションの良い物が手軽な値段で手に入る。
アンティークの文机を買うことの最大の意義は、その質感だ。昔の日本の家具は造りが丁寧な物が多く、年月を経た木のテクスチャを毎日視界に入れて開発にいそしむだけで落ち着き、非常に精神衛生に良い。これは量産品の家具ではけっして味わうことのできない、言葉にしにくいがたしかな感覚だ。
文机は日本人の体型に合わせて作ってあるため、床に座ってキーボードに指を置いたときに、肘に負担がかかりにくい。
また、文机の上はそんなに広くはないので、快適に作業するには、机の上を毎日片付ける習慣が否応なしにつく。
イタリアのマルコ・ポーロが日本海について表記した「WakuWaku」も忘れてはならない(戒め)。
別に韓国が「東海」だと主張しようが中国が「東シナ海」だと主張しようが問題はないはずだけどね。
絶対「日本海」にしたいと思うのは勝手だけど、国ごとにその表記が違うんだから統一しようなんて考え持つのは
分からなくないけど、だからって国が正規表現と決めた海の名前を勝手に統一表現にするのは言語道断だよ。
国独自のアイデンティティーが存在するのに、統一表現はそれを否定してるんだよね。
IKEAが「日本海」を「東海」にしたとしても別に問題はない。
逆に、世界標準で国際規約みたいなので決定済みの地図をその通りに書いてる事の何が不都合なのか、と言う事を
韓国はIKEAに言うのでなく国際規約を裁定した所に言わなくちゃいけないのに、一会社という弱い所に猛抗議したのは頂けない。
イスラーム地図やユーロピア地図には実際にそれぞれの国独自の地図表記が為されてるというのに、それらを各国が主張しないのは
だって大韓民国はまだ50年か60年しか歴史のない新興国だからね。
本当は北朝鮮と南北統一後に言わないといけない事を南だけで主張するから問題になるんだよ。
あるべき姿に戻れば領有権の主張もなるほどその通りだって事になるのにしないから、
海の名称にいちゃもん付けないと国を存続できないなんて極論になってしまうんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20141127113755
最近やっぱりマイルドヤンキーという呼称に違和感を覚える人が多いみたいで
マイルドヤンキーが自分に当てはまるけれどマイルドヤンキーの呼び名は嫌
っていう人は自分だけじゃなかったんだ!
っていうのと同時に、本当に自分は没個性的な、多数派なんだなぁという気持ちと半々。
最初に断っておくと小学校区内みたいな狭い地元の同級生がどうかはあまり知らない。
でも、県西地域で自分と同じような経歴の人は似たような感じだと思う。
(しかも・つくば・下妻・土浦・越谷レイクタウンの4店舗ローテーション!)
テレビで特集されていたときには、車で三郷のIKEAやつくばのCOSTCOにも行く。
車はひとり1台。
東京の大学に進学し、地元でUターン就職。もちろん正社員、車通勤。
今は親元にいるが、今後結婚し子どもをもうけるつもりも、ある。
ジモティー最高!みたいなノリではない。
マイルドヤンキーではない。
ただどう考えても広告代理店の考えるマイルドヤンキー層にかぶる。
どう考えてもマーケティングするならこういう層だ。私がマーケッターでもそうする。
そこで、お願いなんだが
もう一度言う。
お前らはすぐにお盆を買うべき。
「一人でカッコを付けて何になる?」
そう、確かに俺もそう思っていた。
だが、ある日、無印良品のキッチンのコーナーを徘徊して、木目のお盆を見たとき思ったんだ。
お盆は良い。
まず、配膳と洗い場に食器を戻すのが楽だ。
そして、食べ終わっても、お盆を持って数歩 歩けば、もう洗い場だ。
食器の分、いちいち往復する事は無い。
四角い木の板が、配膳の悩みと、食器戻しの面倒臭さからお前を解放する。
つぎに、テーブルが汚れない。
今から飯を食わんとす、そのテーブルで、直前にお前は何をしていた?
そして食い終わったら何をする?
日頃、社会問題や若者のオイタ、誰が作ったかわからないダサいデザインや汚いコードを野次るのに余念がない、まあまあ意識の高いお前らのことだ。
家に持ち帰った仕事の一つもあるだろう。
腹ごしらえがおわったら、ノーパソ広げてさあ仕事だってときに、13インチのモニタの向こうに、さっき食ったパスタのパセリと粉チーズがテーブルにちらばってるってのは興味をそそらない光景だぜ。
しかし、お盆があれば、すべては縦26cm、横35cmの中だけでおこる事だ。
よほど高いところから豪快にパセリをふりかけない限り、テーブルが汚れる事は無い。
お盆を片付ければ、すぐに現状復帰だ。
現状復帰、お前ら好きだろ?
そして、最も大切なこと。
気持ちが豊かになる。
別に高くなくていいんだ、そこらの100均やIKEAで買った食器に盛った料理も、お盆に載れば少しはマシに見える。
塗りの汁碗と白い飯椀が木目の上に載って、小皿に緑鮮やかなおひたしがあれば、そこはもう調和が現出する小さな宇宙だ。
一人でそんな演出は虚しいって?
じゃあ訊くんだが、たとい、お前が苦しいとき、頭の一つも撫でてくれる優しい人がそばにいない孤独の中にあったとて、ひとり豊かな気持ちを感じることを禁ずるのって誰だ?
お前が苦しい事は、お前が豊かになる事を別に禁じない。
誰かがお前を豊かにしないなら、お前が勝手に豊かになるんだ。
食は毎日、お前が豊かになるチャンスをくれる。
お盆がそれを助けてくれる。
http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4548076261360
これなら2,000円
送料税込でもわずか2,756円。
ソートしてみた。
なんとなくhttp://anond.hatelabo.jp/20140527121719に乗じて。
※はてなidで書き込まれていないものもあるので騙りが混じっている可能性があります。
※http://anond.hatelabo.jp/20140527121719とそのブックマーク・トラックバックで言及されているものは除外しました(多分)。
こちらからは以上です。
COSTCOとIKEAが混じってるけど?どういうことなんだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3
COSTCOは都心には店舗を出店しておらず、既存店が全て郊外である。
まず到着するまでに大変だったのだが、それはそれで戦略として立てているのだろうから問題ない。
結論から言うと、私はCOSTCOで買い物をして、「もうよほどのことがない限り来ないだろうな」と思った。
遠い、というのもあるが、「また来たい」と思わせるような付加価値がCOSTCOにはなかったのだ。
建物から買い物方法まで欧米式を導入するのは構わないが、接客まで欧米のようにドライだったのだ。
まず店に入ろうとしたら止められた。
店に入るには年間の会員費用を払えと。日本では聞いたことのない対応だ。
店内ではかごもなくカートにそのまま置けということなのだろうか。
安い商品に大きな赤い文字でPOPがついていないから何がお得なのかわからない。
レジ前は長蛇の列で、整理されていない。カートからは自分でレジの前に置くようだ。
店員にはベルトコンベヤを用意するのに客には用意しないのだろうか。
さらにレジ袋すらなく、入れ物が必要ならバッグを買うか捨ててある段ボールに入れて持ち帰れ!という始末。
・レジ袋を提供している業者との連携が取れていない(お客は販売者がよくわかっていないサービスを売りつけられることになる)
・店員がお客のために最善を尽くそうとしていない(全く誠意が見られなかった。文句があるなら買うな、ぐらいの目付きであった。欧米の悪いところを導入してしまっている・そもそもCOSTCOは店員の教育ができていないように感じる)
・レジの行列がぐちゃぐちゃ(オーダー品ならまだしも、Amazonに慣れた人間には決済に15分並ぶなど遠い未来である。他に運ぶ方法を探すのが難しい私は完全に足元を見られた気分)
ギャーギャー
■フードコートで働いている人たちはCOSTCOで本当に働きたいと思っているのか?
こうして帰り道、私は何か引っかかるものを感じながら家路についた。そして、歩きながら思ったのは、フードコートでのことである。
COSTCOは店内にフードコート(欧米の会社の食堂みたいな感じ)があって、買い物中に店内を歩き回って消耗した体力を回復するためにそこで食事をしたのだ。私は食事を提供するカウンターに行ってホットドッグを注文した。すると、やや恰幅のいいこれまた30代の女性がむっすりとした顔で銀色の包みをバンッと無言でカウンターに置いた。それが私のものなのかどうかもわからなかったし、私のだとしたらそんなが出され方をして非常に不愉快である。せめて何か一言添えてくれても良かったのではないか。(考えてみれば、このホットドッグがケチのつき始めだったように思う。この出し方が象徴するCOSTCOの態度が随所に現れていた)
ホットドッグとソーダ(おかわり自由)で約180円だった。味は普通。ケチャップやマスタードはセルフサービスだった。
ギャーギャー
私にとってはサイズが大きいかな、という印象のものが多かったが、やはり全体的におしゃれであるし、
値段も庶民的だ。ただし、また行きたいとは思わない。IKEAの経営陣は大事なことをわかっていない。
あれほど大きな会社の体質がすぐに改善されるわけはないし、改善されないのならイオンを利用するまでだ。
ギャーギャー
https://twitter.com/mayuzumiyuu/status/405347761312124928
書店員に「この本どこ?」って聞くとその書店員はやっていた仕事を保留しその対応におわれます。
そうなると他の書店員の仕事が増え店全体の作業効率が落ちます。
なので書店員に「この本どこ?」という質問はしないでください。つ
かすんな。ほしい本くらいてめえで探せや。ないならAmazonで買え。
この書き込みが話題になっていますが、個人的には半分賛成、半分反対といったところですね。
反対はもちろん客に対しての態度という点ですが、他の意見に関してはわりと同意するというか
この書き込み主の勤務してる書店の規模によると思う。
まあ某大手書店の場合、ほとんどシステムとしてはIKEAみたいなものだと思ってくれたらいい。
そこでの書店員の仕事は文庫、理工、人文とかの担当に分かれて、その日入荷された本を搬入、整理します。だいたい担当は一人か多くて二人。
雑誌や漫画はそれに全部フィルムをつけたりするのでさらに負担は増える
その人が例えば本を探してほしいとかで業務が止まるということはある。
そんで、その捜索するって方法も「検索端末に入力する」だけ。つまりほとんど客ができることと変わらない。(別担当の本なら別担当に連絡する。勝手によその担当の本をいじるとすごい嫌な顔をされる)
そもそも業務システムとして、そういう接客対応みたいな仕事を全く想定していないスケジュールの組み方をしているので、業務が圧迫されるのは事実。
Amazonで本を買うせいで、日本の書店が潰れるんじゃなくて
年功序列とか空気読めとか、不合理なことを繰り返してきたせいで、Amazonを超えるものが作れない国家なことが問題であって
合理的で実力のある企業に、勝てない。なぜか?不合理だからだ。
優秀な奴は、まわりがそいつと同じだと思われるから周りを不幸にする。みたいな、出来ないことバンザイ!出来ない人で団結して団結することで給料上げよう!という社会主義的な給料の上げ方をしたからだ。もちろん、ストは合ってしかるべきだが。それしかない。
優秀な人間は糞だと口では言わないが、社会システムはそうなってる。
つまり、Amazonを超えるものが作れない国家なことが問題であって、それをAmazonのせにするのは、ナンクセもはなはだしいし
そうやって、優秀な奴(Amazon)が悪い!みたいな事を言っていては、いつまでたってもこの国は変わらない。
口ではなくて、実力でAmazonで勝てないようでは、だめだ。
いずれ、全部奪われるだけだろ。泣きたいのはこっちだよ。
外資に負けないように合理化を進めて、国内の産業をもり立てたい!というやつはこの国では非国民だよ。そんなにはたらかなくていいじゃないorあなたの言ってることが理解できないと言われるが落ちだ。
会社には新入社員などおらず、女性はほとんどいわゆるアラフォーを謳歌するお姉さまばかり。
他人事のように「都会は遅いって本当なんだな」って思ってたら、いつの間にか自分も30後半。
だけど同い年の友人たち、これは男も女も、を見るとかつて自分が見ていた風景と重なるものがあって何か悲しい。
決定的な何か、があって結婚しない、できない、なら何も思わないんだが、
良い奴にいい女に、、、何で売れ残る??
男は結婚となると、「きっかけが、」とか「今じゃなくてもいいんじゃないか?」とか「結婚にこだわるより…」なんて
何かと言い訳して現実逃避する。実際おれも「きっかけがあれば」とか言ってた。
「いつか白馬の王子様が・・・」みたいな戯言に反吐がでるように、これらの男の発言もたわごとにすぎない。
どんなに長年連れ添って、お互いのことを良く知った仲でさえ、
・一緒に住むために部屋を決める
・子どもが生まれる
・財布が一つになる
と様々な状況で、パートナーの意外な一面なんていくらでも出てくるのだよ。
だから、今目の前にいる人が少しでも「大切な人」なら、全然結婚しても問題ないのだよ。
というか、出てくる問題を二人で乗り越えるために結婚するのだよ。
俺も色々あったけど、友人に相談に乗ってもらったりしながら、何とかやってきた。
もちろん妻と向き合うことも頑張った。人とちゃんと向き合うってことをずっと避けてきた自分に気づいた。
昔の人がいう「所帯をもって一人前」っていうのは、こういうことがすべての夫婦が経験するから言われてきたのかもしれない。
だから、何も不安なんてないんだよ。(もしあるとしたらお金くらいだな。)
とにかく、式場めぐりでもいいし、新築マンションのモデルルームにデート行くでもいいし、部屋のコーディネートを妄想するためにIKEAに行くでもいいから、
何かが変わるかもよ。
自分は今の妻と付き合っていた頃、「こんな奴とは絶対結婚しないぞ!」って思ってたのに、いつの間にか情が移って勢いで結婚。
でも今は本当に幸せですよ。