はてなキーワード: ADHDとは
それは便宜上、経済力や日常能力が異なる結婚を『上昇婚』と呼称しているだけで、
経済力や日常能力が異なる人物で対等なパートナーシップを結ぶのは容易であるというお話ですか?
生きづらさとやらを抱えている女性(ADHDやらHPSやら鬱やら)は
地雷案件でバッチィし上昇婚以前に共同生活に向いてないのでそもそも結婚どうこうの話に含める必要性はないと言う主張ですか?
実家ではするけど一人ではしないと言う話なんですけど
大抵のことは金でなんとかなりますし
近々のブクマカお喜び案件で言えば、マインドフルネス・アンガーマネージメントとかを無批判にありがたがっちゃう
キラキラ社会的弱者アドバイザーのヤツが該当 → これ anond:20220117131920
『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、
もうこの時点でマインドフルネス・アンガーマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど
それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?
極端に物を考えない人たちは考えることを拒否している禅を極めし者たちなので、
短く区切ったところで頭に入りやしないのだけど、せっかく増田を書いたので書いておきます
上記の1〜5は誰でも到達する結論で、本来ならわざわざ口にするまでもない事なんですけど、
140文字を下回る100文字で大喜利ではなく何かの主義・主張をしようというブクマカさんたちは極端に物を考えない人達なので明示的にしないと理解しません
いえ・・・はっきり示したところで理解しません。考えることを拒否している禅を極めし者たちですからね
どうやったって頭に入りやしないのです
けれど『極端に物を考えない』は、特定の特性(キラキラ社会的弱者アドバイザーの言説によればADHDはワーキングメモリが少ないので短略思考になるらしい)の人に限った話でしょうか?
まぁこれも勿論、"NO" ですよね
極端に物を考えないはマイノリティーの特性ではありませんし、この特性を持つ人が社会的弱者かと言えばこれもまた "NO" です
でなければマインドフルネスアプリが630億とも言われる規模感になったりはしないです
もちろん、自身を律し自分の人生の手綱は自分で持とうという姿勢自体は非常に好ましい物だと思います
ただ、自由意志があるかどうか以前に、能力主義の傲慢以前に、自分の人生の手綱以前に、
自分自身が何言っているのか(反応しない・認知を変える・感情を手放すは高尚で高度な技能)、
自分自身が言っていることが実践できている・もしくは実践できる見込みがあるかどうかくらいは、
理解しようとしても損はしないはずです
どうぞ
adhd working memory 約 86,700 件 (0.06 秒)
https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=adhd+working+memory&btnG=&oq=adhd+working+
これは保険適用で病院で受けられる検査キット。これをもとに診断する。
https://www.nichibun.co.jp/kensa/detail/wais4.html
15の下位検査(基本検査:10、補助検査:5)で構成されており、10の基本検査を実施することで、全検査IQ(FSIQ)、言語理解指標(VCI)、知覚推理指標(PRI)、ワーキングメモリー指標(WMI)、処理速度指標(PSI)の5つの合成得点が算出できます。
稀に効く人もいるプラシーボみたいなもん
ちなみに親の仇のように一部界隈に憎まれている借金玉が飲んでるのがコンサータ
関連増田:借金玉とメチルフェニデート(anond:20210817115952)
知的障害はないので社会的経験によりお外に出るときはシャワーを浴びるはイヤイヤ学ぶが
水が身体につくことが苦手で在宅なら入らないってヤツ多いぞ
はてなblogにもそのことについて言及している当事者女性のブログがある
あと衣類な
家にガス乾燥機の乾太くんがあったにも関わらず
取り出して乾太くんに入れるが出来なかったので結局コインランドリー使ってましたわ
所有しているパンツ・靴下はそれぞれ20足を余裕で超えてた(洗濯までの間隔が長いから)
一人暮らしでも全力でドラム式洗濯機の購入を薦めたい。乾太くんだけだと洗濯は無理ゲーだ
ゴミ出しも危うい
まぁそんな調子だから遅刻とか余裕でするのだけど『するもの』をしないようにするのは無理だよな?
なら裁量制で働いて遅刻の概念を無くすか在宅勤務すればいいだけ
そして凹んだ分を補うには大抵お金が掛かるもんだ
お金を払ってくれるのが、理解ある親くんなのか、理解ある彼くんなのか、本人なのかの違いだけ
そしてそれを得られるのは社会的弱者ではありません
N=1の人はADHDだったんか
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
こんな理路整然とした文章を書ける人間なら普通の企業でも働ける場所は色々あると思う
一度男性と関わって失敗したから懲り懲りというけど、いきなり大成功なんてするわけない
みんな何度も失敗して、少しずつ学習して他者との関わり合いが上手くなっていく
俺はADHD(未診断)だし嫁はアスペ(診断済み)だけどきわめて仲良くやってるよ
一般就労させたい親と、障害者就労させたい医者との間で、長い間板挟みになっていました。
アスペなのかADHD・ADDなのかわからんけど、お薬効かないのか…。
学力高いんだから、他者とある程度コミュニケーション取れさえすれば就職自立も夢では無いんだよな。
在宅プログラマとかでなんとかならんかね。
ご時世だけあって、能力さえあれば毎日出社せずとも働けるとこもあるよな。
まあ、そんな道はとっくに模索して諦めたのかもしれんが…(その環境じゃあ、就職の為の勉強もままならないだろうし)
良いお医者さんに頼りながら、少しでも楽な方向へ行けることを祈るよ。
私も発達のお薬とか飲んだけど望む様な効果は無く、それでもなんとか底辺社員として働きながら生きている。
ポンコツな父親の遺伝子をしっかり受け継いで発現させ、一個も良いところの無い人間だけど。
この先も真っ暗だけど。
若くて美しくて優しければポンコツでも誰かと連れ添って安寧を得ることも出来るだろうけど、全く逆なので。
それはともかく、シリアルキラー(犯罪者)ですら持っている良感情・良概念を
善良な一般市民であっても意外と持ち合わせていないものなんだなとしみじみ認識したというエントリー
でもこれはワイくんに限った話ではなくて世の中のすべての人に当てはまる話だぞ
「増田さん・増田くんは、ぼくの気持ちがわからない!」とかよく見かけるやり取りだが、
完璧にその人の感情・体験をトレース出来無いとか物事の認知の仕方とか定型発達とかの話以前に
増田さん・増田くんは、ぼくが持っている良感情・良概念をそもそも持ち合わせていない、持っていても極めて薄い可能性がある
社会的に得をするので良感情・良概念があるように振る舞っているだけで、実際はところどころ欠けてたりするもんだ
ひとりですべてのことができないのと同じように、世にある良感情・良概念をひとりでコンプするのは無理
けど、お金が稼ぎやすい技能があるように、人に好かれやすい良感情・良概念はあって、
どうやらワイくんはそれに欠けているようである
というか人の内面・外面の造形に興味が無いのでそこが1番の原因やろなと思う。増田民もそういうタイプ多いと思う
ただマンガなどのフィクションと違って他人に興味が薄くても能面キャラにはならない
この時期、ニュースを見ていると各地の成人式の模様が流れてきて、曇りなき眼の20歳の若者が「ここまで育ててくれた親に感謝」「親孝行していきたい」とコメントするのが定例で、既に中年の域の私としては眩しすぎて目が潰れそうになる。
だからてらいなく「感謝」と言える子達を見ると「おお…」と感嘆してしまう。
要所要所で言えば、親に感謝すべき点(大学まで行かせてくれたこと、多兄弟で貧乏だったけど食べるに困るまではいかなかったことなど)はあるのだが、母親がADHD気味で、家庭内は地獄の様相だった。
子供達が自立して家を出た今も、現在進行形でキ◯ガイ行為を繰り返し、周囲に迷惑をかけ続けている。
この歳までずっと引き摺っている漠然とした不安感は、母親が生きている限り続くのだろう。
周囲からは「そうは言っても親だろ、大事にしろ、親孝行したいときに親はいない」と散々言われたけど、思考を転換することは出来なかった。
早くに死んでくれていたら、「苦労させられたけどあの人も苦労していたし、良いところがあったんだよな」と思い返せたかもしれない。
ただ、今の時点では無理だ。
後悔しないように尽くすのではなく、死んでから後悔しようと決めた。
今、私にも小さい子供がいて、何年後かには誰かから「親に感謝」思想が植え付けられるのだろうけど、個人的には「親に感謝」思想はいらないと思っている。
本心で思っているなら別にいいのだが、保育園や学校等で父の日、母の日、自分の誕生日に感謝の言葉を述べさせる、とかいう強制イベントはいらない。
発達障害に理解のある優しい彼くんがいて幸せだねといつも周囲からは言われる。
自分を客観的に眺めても不注意優勢型ADHD、ASDのこのポンコツ女と
でも理解ある=本人の生きづらさの真の解消にはならないのだとやっと気づいた。
例えば。
いま私が問うているのはAのことであって、
Aのことを議論したいのにいつも彼の話のまとめ方が
「▲▲という理解の仕方ならこういう言い方は悪かったよね、ごめんね」
でもそれを言われたら、結局は脳みそがポンコツである私しか悪くないのであって、
私にそもそも問題があるからAの現象が起きているとしか解釈できない。
結果としていつも私が話したいAの話は流れ、
そして私が謝った後には、二人で特性を理解しながら協力して生きていこうという明るい締めの言葉が待っている。
事故物件の人間に付き合ってくれている彼には感謝しかないのだが、
生きづらさを抱えながらも一緒に頑張ろうという励ましの
大前提には「お前の脳みそがポンコツだ」という前提が明け透けに横たわっている。
生まれつきの境遇に耽溺するな、寄り添ってくれる人に感謝しろということはよくわかる。
が、いつもかけてくれる明るい言葉の前提には「私の脳みそが劣っている」という、逃げようのないマイナスを毎回突きつけられている、
そうやって自分のダメさをありありと目の前に出されて、自覚させられた中で
何をどう頑張ればいいのかと本当に泣きたくなる。
与えられた生の中でチャレンジすること、トライすることが人生の楽しみだとして、