2022-01-06

発達障害理解ある優しい彼くんと結局は断絶してる話

発達障害理解のある優しい彼くんがいて幸せだねといつも周囲からは言われる。

自分客観的に眺めても不注意優勢型ADHDASDのこのポンコツ女と

よく付き合ってくれていると本当に感謝するしかない。

でも理解ある=本人の生きづらさの真の解消にはならないのだとやっと気づいた。

例えば。

日常で彼に何か意義を申し立てたいとき

いま私が問うているのはAのことであって、

Aのことを議論したいのにいつも彼の話のまとめ方が

「〇〇という特性があるのにそれに配慮できなくてごめん」

「▲▲という理解の仕方ならこういう言い方は悪かったよね、ごめんね」

と、そもそも自分特性の話になる。

でもそれを言われたら、結局は脳みそポンコツであるしか悪くないのであって、

私にそもそも問題があるからAの現象が起きているとしか解釈できない。

結果としていつも私が話したいAの話は流れ、

がごめんと言うしかなくなるのである

そして私が謝った後には、二人で特性理解しながら協力して生きていこうという明るい締めの言葉が待っている。

事故物件人間に付き合ってくれている彼には感謝しかないのだが、

生きづらさを抱えながらも一緒に頑張ろうという励ましの

大前提には「お前の脳みそポンコツだ」という前提が明け透けに横たわっている。

いい歳なんだから大人なんだから

まれつきの境遇に耽溺するな、寄り添ってくれる人に感謝しろということはよくわかる。

が、いつもかけてくれる明るい言葉の前提には「私の脳みそが劣っている」という、逃げようのないマイナスを毎回突きつけられている、

そうやって自分ダメさをありありと目の前に出されて、自覚させられた中で

何をどう頑張ればいいのかと本当に泣きたくなる。

与えられた生の中でチャレンジすること、トライすることが人生の楽しみだとして、

そもそもずっと人と断絶した脳みそで頑張って私の人生がどうなるのか。

こうやって自分卑下するようなことを書いている時点で

自分境遇に耽溺してて、人に迷惑かけてるお前がそういうこと言ってんじゃねーよ、って話なのかな。。。

  • 男女逆にしてみ 成立しないから そもそも理解のある彼女が存在しないから

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