はてなキーワード: 自習室とは
大学の新入生向けのアドバイスはたくさんあるのに浪人生向けのものが少ないので
駿台での体験談を僕の在籍した御茶ノ水のスーパー東大理系クラスを中心に一年間に沿ってアドバイスを、需要あるかはわからんけどまとめてみる。
ちなみに僕は各種模試はうまくいって、早慶受かって、東大本番は失敗して、後期で某国立に受かった者です。
1 校舎決め
ただ自習室を求める人はどこでもいいと思う。しっかりとした授業を求めるなら首都圏なら御茶ノ水が無難。下のクラスでもいい講師がある程度揃うからね。
あとは通学時間と家計と相談。通学が1時間半以上かかるようだとオススメしない。
ちなみに駿台茶水スーパー東大理系クラスの紹介すると、一クラス当たり200人で上からSA,SB,SCの三つに分かれ、
SAの半分くらいが東大に受かって理3に受かる人もいる。SBからは数人受かって、SCからは滅多に受からん、それどころか東大受ける人も少ない。
SAでも半分しか受からんから、クラスが上でも浮かれない方がいい。
講師に関しては
現代文は霜先生は担当しないので注意。数学は大数の編集者など。物理の山本先生はSAのみ(そろそろ引退なさってるかも
各種講師の紹介は
http://www32.atwiki.jp/pchira/
の講師陣を参照に
どんな入学方法でも受けるテスト。これだけで前期のクラスが決まる。このテストの結果は公開されない。そして受験者大半がやる気ない。あまり気を抜くとSCに落ちるので注意。。
とか言うがSAとSCの学力差は余りにも激しいので正直SCになったら東大は諦めた方がいいと思う。英語で発音アクセントがでるからやっといた方がいい。
3 入学前
とにかく駿台の入学は遅い。友達が大学の入学式を迎える頃には自習を始めよう。
個人的には春季講習はおすすめしない。やる気的にも身になんない場合が多いし、今後の授業と被る内容が多い。
自習の内容は通常授業の教材が手に入ったら、ひたすらその予習でいい。それまでは授業についていけるよう抜けを埋めとくといいと思う。
◎自習
A自習室
開放自習室と専用自習室がある。専用のほうが締め切りで暑くて臭い気がする。
どちらかはお好みで。個人的に3号館なら開放の銀杏以外をおすすめする。部屋が開放されてない時もあるけどね
B自習内容
教材の予復習を中心に
駿台の授業で足りないと思うのは
•全体的に問題演習。特に英文は読む量が授業だけだと少ない。
4 入学
オリエンテーションを経て授業。最初の席の周りの人とは一年間を通してなにかと関わることが増えます。
ぼっちになりたくなきゃオリエンテーションで話しかけておきましょう。特に同じ高校の人が同じ校舎にいない場合ははどんどん周りに話しかけて行こう。
◎生活面に関して
春はは大学生のリア充話が鬱。気になる人はFacebookとかは見ないほうがいいかも。
夏はだれる。
冬はまだまだ学力に不安があるものの、早く入試が来て欲しいと思う。
これらが多くの人が通る道だと思う。
5 授業
一週間に一コマだけホームルームがある。ホームルームでは普通に計算演習とかするので出ても損はないと思う。
下のクラスほど沢山の授業を切りがち。あんま切らないことをお勧めするけど、切った人がみんな失敗してるわけでもないので何とも言えない。
一限寝坊するようになるとズルズル二限も寝坊するようになるので注意した方がいい(このパターンは後期に多い
6 各種模試
所詮模試です。判定も目安に過ぎないと受験を終えて気づくというのはよくあることです(僕もですが)
クラス落ちない程度に頑張ってください。SAの目安は1300点くらいと聞いたが真偽は定かではない。
7 各種講習
総じて講習が役に立つことは少ない(特に中だるみやすい夏期講習は)
講習の教材は予習復習が不十分ににりやすく消化不良になりやすいことと授業内容と被りがちなことが原因だろう
東大がつく講座は夏と冬でセットでとった方が内容がしっかり網羅できる場合が多い。
東大現代文はお勧めせず、直前東大現代プレの霜栄だけを取ることをお勧めする(これで現代文は網羅できる
どうしてもとりたい人気講座(現レボとか)があるなら友達にも頼んで何人かに抽選してもらって後にキャンセルするといい
座席はお金を振り込んだ順で講座期間中に席替えするのでどこがいいとも一概に言えない。座席表無視して適当なとこ座ると案外バレて注意される。
夏は講座をあんま取らなかったのに冬はいっぱいとったあなたは不安に駆り立てらている証拠だ
あと駿台の資料に出てくるの合格した人は講座をたくさんとった人ばっかだが、受かる人がみんな講座をとりまくってるわけではないぞ!
8 表彰式
成績優秀者には前期は夏休みの終わりに、後期はセンター後に表彰式がある。選考基準はよくわからん。
表彰状と景品がもらえ、えらい先生からありがたいお話がいただけます。山崎良子の面が拝めるのもこの時だけだろう。
特に優秀な人には奨学金が貰えます(全額免除ってわけではない)
僕の時は
後期は秋山仁先生がお話して、記念にはなるが使い道の全くないクリスタルの置物が貰えた。
9 センター試験
各自で受けます
駿台もセンター会場になったりします。ここで二浪が確定しないよう頑張ってください。
やっは受験終えて思うのは選択肢はいくらあってもいいので早慶は両方受けといた方がいいと思う。自信があるなら理科大とかは受けなくていいと思う。
だいたいの努力した人は合格点当たりの実力でウヨウヨするもので、結局最後は問題が自分にハマることが重要で、運要素は大きいと思う。
負け犬の遠吠えではないが、東大の合格点±20くらいの層は実力はあまり異ならないと思う。
合格した人はおめでとう。駿台3号館で大島先生のお話を聞きに行こう。
喜びすぎてFacebookとかで合格をアピールしないこと。さすがに印象悪い(みんないいねってしてくれるけどね
一方不合格した人は駿台の資料に出てこない不合格した人たちの気持ちを知るのであった。
あと駿台の資料で東大以外の大学の合格者資料は第一志望で受かったわけではない人の場合ということもよくある
13 後期国立
早慶受かってると別に後期対策はいいかな、てのはよくある話。本当に最後なんだし鞭打ってがんばれ、あんま人のこと言えないが
地方大を受ける人は、余力がなくともここで家探しをしておくことを勧める。
14 後期発表
受かってるといいね。どこの大学にしても後期の発表は寂れている気がする。地方大の人は急いで家探しに
15 合格報告
もちろん行くかどうか任意であるが、仲良くなったか別として担任は仕事ではあるが色々雑務をこなしてくれたのだからお礼に行くべきだと思う。
合格報告に行くと、Fランだと知らんが自分の進学する大学のサクセスボイスを書いてくれと頼まれる。あと写真撮影。
これらはどこに受かったとしても君が第一志望に受かったのかのようにあるべき校舎に貼られて行くのであった。
と一年間を振り返らせていただいたが、
浪人は第一志望に受からなくても、努力すれば其れ相応に人生において学べることも多いと思う。
272 :名無しさん@引く手あまた:2012/03/07(水) 01:07:37.91 ID:ycorXG6u0
これで生き残れ
javaやlinuxは手間がかかる 一人でやるには手間がかかりすぎる 手間がかからないで一人で一括開発できて
人の多いところで直接販売できる仕組みが提供されてているメーカ製の言語だけやる ずばりiphone またはWindow 8 Metro App Store C#
やるならメーカー製の言語、洗練された仕様、脆弱性が少なく 開発ソフトが優れていて開発しやすく情報も多い
奴隷になりたければオープン系をやればいい 時間がかかり 人は多く 足の引っ張り合い 脆弱性が多く 癖があり
大規模開発で詳細設計しかやれない体になって年取ってぽいだ 独立もできない 手間のかかりすぎる仕様だから
派遣屋・IT経営者はその方が喜ぶ 分散開発で使い捨てしても独立されない 代わりはいくらでもいる ひどいピンハネ 嫌なら辞めろ
オープン言語、日本独自開発フレームワーク ガラパコ携帯 html5 Android java linux codezineやgihoでよく紹介されるステマ言語rubyやnode.jsとかやめとけ メディアで釣っておいて数年後廃れて自己責任だと言われ捨てられる
手間がかかり一人でできない 売る場所もない 金にならない 使い捨てられ続け 生きれない ずっと奴隷仕様のままだ ここから抜け出すにはiphone一択 またはWindow 8 Metro App Store(未確) C#
Objective-CやC#を身に着けるとサーバーからクライアントまでカバーでき人の多い場所でソフトを売る権利を得られる セーフティーネットを得ることができる
派遣切りされても会社辞めることになってもソフトを売って生きていける オープン言語にはそれがない
潰しのきかないガラパコ日本仕様、オープン言語の完全否定から始めよう!!
地方で安い土地を買いコンテナ型の格安高性能オフィスを建て(300万~500万)
けど、それを両親は危険だと言って許してはくれなかった。
成人式に、行きたくなかった。
中学は遠い町の私立中学だったので、地元に知り合いはほぼいない。
そんな中での、成人式参加は、辛いことが予想された。行きたくなかった。
振袖を買って貰えることは、有難いことだと分かってる。
けど、地元の成人式に、着付けメイク代の○万円を払ってまで行くべきか?
1度ならずとも、何度も何度も、写真屋さんで写真撮影しなくてもいいんじゃない?
振袖に○○万円も出すなら、本当は、日常生活での服に使いたかった。
普段、いつも同じ服を着て大学に行く私は、惨めな思いをしているけど、
それを両親は知らないのでしょうね。見えないのでしょうね。言って伝えてるのに。
結局、成人式では、誰とも喋らずに終わった。すぐに帰って、振袖を脱いで、メイクを落として、ジャージを着た。
でも、意見を通すためには、両親を説得しなければならない。
いくら言っても、両親の考えは変わらない。
頑張れなくなってしまった。「そこまでして、叶えたいことじゃないし」と。
諦めてる、そういう家なんだから仕方がない、って。
それでも、出来る範囲で楽しもう、って。
私自信、自殺願望を小学生時代から持ち合わせていた立場としては、子供なんて生みたくない。
生まれてくる子供が可哀相だ。私は、生まれてきてよかったなんて思ったことは一度もない。
けれど、両親は「結婚しろ」という。
結局、何をしてても、楽しめない。
何だか、もう、頑張れないなぁ。
「もう仕方ない諦めよう」って思いながら、時々泣けてくるのは、
本当は、頑張りたいからなんだろうな。
それ以外でも周りの気に障る事っていうのをネットや本から抜き出しました。
・ペンを机や下敷きに打ち付けるように書く。
本人は勉強してる感が高まっていいのかもしれませんが、周りにとっては単なる騒音です。下に紙を数枚敷いて音を軽減しましょう。
・ペンなどを放り投げて置く。
ノートを色分けして書く人は頻繁にぺんを変えて、その時にペンを放り投げている人がいます。
同様に耳障りなので、そっと置くとかハンカチ等の上に置くようにしましょう。
これらは本人は勉強に集中しているだけなので、迷惑かけているっていう自覚がないみたいですね。
注意するときは感情的にならずに、「音が響くので○○して下さい」
っと具体的にお願いするようにしましょう。
他部署の人間で、1歳年下の後輩。交際3年程だ。
普段、陽子の所属する部署と僕らの部署の人間は直接顔を合わせることはあまりない。
とある大きなプロジェクトのメンバーとしてたまたま僕と陽子がそれぞれ選抜され、2ヶ月間ほど協力しあい問題を解決しているうちに僕らは親しくなった。
僕は同僚に言うのが気恥ずかしくて黙っていたのだ。
自分で言うのもおかしいけど、僕は全然イケメンじゃない。中肉中背・顔もブサイクでもないと思うけど、外見的な特徴としては中の中レベルだと思ってる。オシャレセンスとやらもあまり自慢できない。
一方、陽子はそれなりに目立つ存在なのだ。清楚系美人で、僕と同期の野郎たちにも人気だった。
そんな僕と陽子が付き合ってる事を皆に言うのはちょっと恥ずかしかったのだ。社内のとある人間から猛烈アピールをうけていた陽子は、彼への牽制もこめて皆にオープンにしようと提案してきたのが1年半ほど前。
いまでは周知の事実となっており、ときたま冷やかされるものの、ありがたいことに会社の方々には好意的に受け取って頂いているようだ。
そんな僕と彼女の話。
仕事はそれなりに満足してる。残業も多いけど、この不景気にしては恵まれた職場環境だと感謝したいくらいだ。
仕事はバリバリ良く出来て、面倒見も良くて部下からの信頼も厚い。男の僕から見てもイケメン。
仕事に対しては厳しくて、僕もきついダメだしをしょっちゅうもらうけど、嫌いな人ではない。
既婚者で幼稚園に通うお子さんがいるらしい。以前、自宅に招待して頂いた際に紹介していただいた奥さんも可愛かった。
そんな上司(『桜井』:仮名)から先月、僕の携帯にメールが届いた。
メールを受信したのは深夜のこと。朝、目が覚めてメールを確認した時は意味がわからなかった。
寝ぼけた頭がその瞬間冴えてきて、不安な気持ちに包まれたのを覚えている。
(『夢』って?『キスしたこと』って?陽子と桜井課長がキスしたの?)
(『4L』って、社内のあの場所?)
うちの会社では社員用の個室がいくつか用意されていて、空室ならば申請などせずに自由に使える。
1人用の部屋もあれば、10人くらい入れる部屋もあって、一人で集中したい時に予備校の自習室のような使い方をしたり、社員同士のちょっとした打ち合わせに使用している。
『4L』ってのはその部屋の名称の一つ。
もちろん「送り先間違ってませんか?」なんて返信もできず、混乱した頭のまま会社へ。
「今日どんな顔して桜井課長と会えばいいんだよ」と思いつつも、上司がいつも通り接してきたので不思議と僕も動揺を見せることなく仕事を終えた。
仕事終わってから陽子と外食。当然、メールのことは気になってたけど、誤解かもしれないと思って触れられない。
おそらく陽子に送るメールを僕に誤って送ってしまったのだろう。
これも仮名だけど、
ってな感じで、僕らは苗字が似てるんだ。一文字目の漢字が一緒。おそらく携帯のアドレス帳では上下に並んでるんだと思う。
気にはなるけど、陽子には聞いちゃいけない質問だと思った。そして聞く勇気もなかった。
もちろん彼女を信じたいし、誤解だと思いたいので、「これは『江田さん』という同じ名字の別人だ」とか考えるけど、『4L』なんて単語が出てる以上そんな楽観的な考えもできずに出てくるのは悪い想像ばっかり。
高校生でもあるまいし、もし本当だとしてもキスくらいなら許してやれといわれた。
そういうもんなのだろう。
信頼してるなら彼女に直接聞いてみればいい、とも言われたけど、僕はもし真実だった時のことを考えると怖かった。
10日間ほど進展もなく過ぎていった。
週末は陽子とデートした。二人でいる時はメールのことなんか意識することもなく楽しかった。
平日は悶々としたまま普通に仕事をした。それほど仕事量の多かった週ではないのに何故か毎日疲れた。
このまま、事はウヤムヤでもいいやと思っていた。
金曜の夜、少しだけ残業した。フロアには桜井課長と僕ともう一人同僚が残っていた。
帰り際、桜井課長が僕らをご飯に誘った。同僚は予定があるようで丁寧にお断りしてた。
狙うこともなく課長と僕は二人でご飯を食べに行くことになった。
部署の人間と昼食を一緒にとることはよくある。課長と昼食を二人きりで食べに行くこともしばしば。しかし夕食を二人で食べたのは過去数えられるほどしかない。
最初は仕事の会話だったけど、お酒が入ってからはお互いくだらない雑談だった。その日は一つ仕事をやりきった達成感もあって、楽しい時間だった。例のメールの件は聞く気もなかった。
僕はアルコールにそれほど強いわけではない。程良く酔っ払ってきた。ほろ酔いの気持ちいい気分の中で自然と口から言葉が出てた。
「かちょー、ちょっと前に僕にまちがってメールおくってきましたよねー。江田さんとキスしたんですかー?」
酔ってなければ絶対に面と向かって言えないことだった。
さっきまで笑ってた課長が真顔になってた。
僕もそんな課長の顔を見て、酔いが醒めた。血の気が引いた。
「ちょっとトイレ行ってくるから待っててくれ」課長が一言つぶやいて席をたった。
・僕が陽子と付き合ってるのを知りながら、卑怯なことをして申し訳ない。
・無理やりキスしたわけではないが、僕のリードでキスをしてしまった。江田さんは悪くない。
僕は黙って話を聞いていた。
謝罪と説明が終わってから「彼女へは僕から直接話をしたいので今日のことは伝えないで欲しい」と言った。
課長のことは許すことができませんが正直に話してくれたことには感謝します、僕はこのことはこの場をもって忘れようと思うので、仕事は今まで通りの関係でお願いしますと伝えた。
課長は謝罪の言葉を繰り返し、頭を下げたままだった。こうして途中まで楽しかった夕食は終わった。
許してしまう雰囲気だったのか?罵倒して殴ればよかったのかもしれないけど、僕はなぜかカッコ付けた。
もっともカッコ悪いのは僕だった。
・打合せしているうちに変な雰囲気になって、ついキスされてしまった。
・拒絶するべきだったのに、なぜか断らなかった。本当にごめんなさい。
・桜井さんとはそれきりで、社内でもふたりきりにはなってない。
・僕には申し訳なくて言えなかった。
・愛してるのは僕だけだ。
僕は陽子に別れを伝えた。
陽子は涙ながらに謝罪し、許してもらえるまで待たせてほしいと言った。
僕は待ってても無駄かもしれないと伝えた。
うまく整理できなんだけど、
話をしてくれなかった彼女への怒り > 不甲斐ない自分への怒り > 彼女にキスをした上司への怒り
ってな順番なんだと思う。
彼女が僕に伝えなかったのは、僕に対する優しさなのかもしれない。
黙っていたほうがいいこともある。心配させたくないという心遣いかもしれない。
分かっているけど、僕はそれを素直に受け入れるほど心が広くなかった。
僕は子供なんだと思う。
課長から僕へのダメ出しは少しだけ減ったような気もするが、事件前と関係は大して変わっていない。
彼女とは社内で普通に挨拶くらいはするけど、プライベートで会うことはなくなった。
「本当にごめんなさい。もう一度お話をしていただけますか?元の関係にはもどることができないと思いますが、もう一度チャンスを下さい」
僕はすぐ返信した。
「ごめんなさい」
ここに書いたのは文章にすることで心の整理をつけられるかと思ったから。
そして、今回の最大の収穫は自分の心の狭さがよくわかったこと。
メールの送信先には気をつけてください。
皆さんはこれくらいなら許してあげられるよね?
チャンスを与えてあげられるよね?
遠くはないけど近くもない。
そんな日々を少し振り返ってみた。
...................................
~序章~『ワールドカップで思うこと。』
僕は予備校生だった。
大阪上本町にある河合塾大阪南校にて受験に向けてがんばっていた。
ほとんど試合は見なかった。
それから4年たったんだなあ。
4年前の僕は何ももっていなかった。
ただがむしゃらに勉強していた。
辛さはなかった。
楽しかった。予備校による、効率的な学習システムが心地よかった。
体系的なサイクルになっており、偏差値40ぐらいだった僕も、
各種、終盤の模試ではかなり上位にランクインし通用するという実感に浸っていた。
ひたすら机に向かう毎日。
朝7時~8時には起床。
9時過ぎには、自習室にいる僕の姿は定番 だった。
一番乗りのことも何回もあったし、大体座る位置も決まっていた。
電気がちょっと暗い場所。
入り口付近はうるさくなる。
あのへんは高校生が増える。
奥に行くと、出にくくなる…
ちょっとしたことだけど、5時間、8時間といると、こういうことは大事になってくる。
僕に昼休みは無かった。食事はしない。
この時期の僕の食事はというと、一日2食、朝と晩。大量の野菜スープと納豆などが中心。減量中でもあったからだ。
お風呂上りにはいつも立ちくらみをしていた。がんばって意識を保とうと思っても気づけば天井を見ているときがいつもいつも繰り返された。
こんな僕でも、
たまに友人の付き合いで昼食にいった。
『おお!今日は●●(僕の名)くるんや!』ってな感じだった☆
それまではみんなが食べてるときに僕は単語帳を手に持っていた。
夜は10時まで。
こんな毎日だった。
こうして、
4年前の春、僕はどこかほんの少し罪悪感と後ろめたさを抱え、自分の能力に不安を抱きながらスタートした。
自分の能力に対する不安ばかりで自信など全く無かったが、結果が伴うことにより、次第にこの状況は改善されていった。
しかし、予備校生というモラトリアム的身分であり、社会的に胸を晴れるというわけではない現実。
僕はただひたすらプリントに目をやっていた。
第二章へ
あの子を好きになってしまってからもう12年が経った。
きれいに言えば純情なのかもしれないが、自分でも粘着だなと思う。
「○○のこと好きでしょ?好きなタイプだと思うんだけど」
と言われたことだった。
言われた時点では全く意識していなかった。
それから少しずつその子を見るようになって、その子の事をだんだんと好きになっていった。
電話から大体半年経ったくらいくらいの頃に、その子に彼氏がいることとそれが部長だということを知った。
家庭環境の影響もあってか単に大人ぶりたい年頃だったのか、
と思っていた(思おうとしていた)時期もあった。
部長は真面目で学業の成績もよく決してブサイクではなかったし、若干頭が固いくらいしか欠点は無かったように見えたので勝てないと思っていた。
初めて携帯を買ったときその子は携帯を持っていなかったけど、携帯を買ったと知った日にはメアドと番号をなんとか聞いた。
友達としては仲が良かった(と思う)ので、多少の遠慮はしつつもメールをした。
ちょっとしたやりとりで凄く気持ちが盛り上がっていった。
自分の人生を振り返って、あまりにも不幸な事柄に溢れている人生に希望を持てなくなって自殺しようかと考えたりもした。
でも、その子に告白するまでは生きようと思った。
高三の秋頃、彼氏とわかれたことを知った。
それを知ってしまった俺は、好きすぎて切なすぎて大学受験のための受験勉強に身が入らない状態になってしまった俺は意を決して告白をした、メールで。
もうこの時に、俺は全てに負けていたんだと思う。
振られた。
センター試験直後にたった一人の親が脳梗塞で入院したこともあって、まともな精神状態ではなかった俺はセンター試験に失敗した。
放課後の愚痴こぼしタイムで、その子も含めて男女あわせて7人くらいで一緒にしゃべっていたのだが、恋愛談義になった。
その子が「この中で付き合うとしたら○○(=俺)だな」と言った。
二次試験も失敗した。
志望分野が違うのでクラスは違ったけど、自習室の席取をしてあげたり、図書館で一緒に勉強したりした。
友達に送るはずが間違えて「○○(=その子)が目の前にいて見とれちゃって勉強できない」と本人にメールしてしまったりした。
学部の偏差値としては現役の時よりもやや下になるけど、やりたいこともなかったしその子と同じ時間を過ごしたかった。
秋頃、また告白した。
やっぱりどうしても女の子として好きなんだ、と。
振られた。
「良い人だと分かっているけど友達以上には今は見れない」
と言われ、彼氏がいることを聞かされた。
旧帝の男だった。
模試の合格率はその子が常にAとかBばかりだったのに対して俺はほとんどDとかだったのだけれど、センター試験は俺が成功してその子は失敗してしまった。
それでも諦めずに志望大学・学部を変える気はないということで俺はどうにか二次試験突破できるように学業成就祈願で有名だった神社のお守りを半日かけて買いに行ったてプレゼントした。
センター試験だけでほぼ合格が決まっているような状況だったので余裕があったのもあったけど、好きな女の子が頑張っているのを少しでも何か力になりたかった。
本命の二次試験当日朝、電車の駅で待ち合わせして一緒に受けに行った。
試験後の会話では俺の回答の間違いを指摘されたりしていたのでその子の出来はそんなにまずくはなかったと思っていた。
泣いた。
しばらくはしつこくメールをしていたと思う。
大学生になった記念の飲み会帰りに途中下車してその子を駅から送っていこうとしたりした。
その子の友達に無理を承知で頼んで写真をもらったりもした。
今までその子は優しいから迷惑そうな顔をしなかっただけなのではと思うようになった。
少しメールが減った。
それ以降、数カ月に一、二回のメールと年賀状だけのやりとりの距離になった。
数年後の去年、部活以降も趣味として続けていたもののイベントにその子を呼んでみたら来てくれた。
相変わらず馬鹿みたいに可愛く見えて、天使のように見えて、やっぱり自分は好きなんだということを改めて自覚してしまった。
「相変わらず可愛いね」
「そんなこというの君だけだよ」
というやりとりが精一杯だったけど。
今でもやっぱり時々会いたくなるし、抱きしめたくなるし、近くにいたいと思う。
でも、就職で他県へ俺は出てしまったのに対して、その子は地元で働いている。
一緒の時間を過ごせないからその子に俺を好きになってもらう機会もない。
会う機会もないから会話のネタも無いのでメールも年一回するかしないかという程度。
mixiもその子はログインしなくなったから今どうしているかもわからない。
その子の声、顔、仕草、他人への優しさ、金銭感覚、思いやり、ファッション、常識感覚、その他もろもろ、人生で出会った女の子で最も好きだと断言できる。
その子と結婚できるなら他に何もいらないと思える。
その子のためなら死ねるとさえ言える。
でも、忘れたい。
吹っ切りたい。
前に進みたい。
どうしようもなく好きなのは現実。
付き合うどころか会うことすら非常に難しいのも現実。
その子に会いたいということ以外、人生でやりたいことがないと思えるのも現実。
その子がこの世から消えてしまったら、俺も消えてしまうと思うのも現実。
でも、忘れたい。
切なすぎるから。
現役生,浪人生の諸君!そろそろ受験勉強がだれ始める頃だろう.欝って死に場所をググりはじめる頃だろう.
しがない商業高校生が一浪を経てトンペー大学に入学した軌跡……を書くのはやめて,精神がやばくなったときにモチベーションを上げる目的で見ていた受験関係のウェブサイトを紹介しよう.
国公立大学2次科目偏差値分布表http://www.yozemi.ac.jp/bunpu/niji/kokkoritsu/index.html
大学受験ガイドhttp://daigakujk.cocolog-nifty.com/blog/
受験参考書書店http://hikyakusyoten.blog70.fc2.com/
一流大学への道http://www.geocities.jp/grand_father_21/main.htm
大学受験パスナビhttp://passnavi.evidus.com/goukaku/
解法網羅系参考書http://www003.upp.so-net.ne.jp/chief/referencebook.htm
入試難易予想ランキング表http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/index.html
社会不適合者が行くhttp://bbblog0008.blog98.fc2.com/
再受験日記http://resuscitation.blog61.fc2.com/
浪人もアリかなと思い始めたhttp://alfalfalfa.com/archives/11403.html
ろーろぐ.http://ro2n.blog46.fc2.com/
【生活】留年、浪人経験者の生活http://tenkomo.blog46.fc2.com/blog-entry-1623.html
大学受験の辛かった体験をつづっていけhttp://news23vip.blog109.fc2.com/blog-entry-1939.html
テストというゲームで高得点を取る方法http://blog.riywo.com/2008/09/22/225951
後輩たちのためにちょっとだけアドバイスしとこう.有用かは自分で判断してね.
例えば受験勉強の正しいやり方みたいなんがあるけど,あんなんマジで個人差が大きい.ほんと人による.
予備校の予習復習だけを頑張って受かるやつもいれば自習室にこもって参考書がりがりやって受かるやつも居る.
難解な箇所を粘り抜いて自前の脳みそで考えたほうが身につきやすいやつもいれば2時間も3時間も考えて結局曖昧な理解のまま終わるより講師の洗練された分かりやすい説明で10分で片をつけてどんどん次の学習へ移るやつも居る.
多分これが正しいみたいなもんはない.復讐のやり方はあーだこーだとこだわるよりとにかくがむしゃら机に向かったほうがいい.勉強法の議論なんてクソみたいな血液型占いと変わんない.
あと欝って現実逃避するのもいいけど,戻ってこれる確信がなけりゃいろいろと終わる.
自分の場合は映画館とゲーセンだけど貯金の10万が尽きたとこで我に帰った.ガチで危なかった.
ネトゲーとかだと際限ないからね!!
それに夏,秋初め,冬,センター後くらに欝の波がくるけどここは踏ん張りどころ.気合のみ.精神論の世界.
実家暮らしの25歳。
新卒で正社員だった頃の貯金も合わせるとそこそこの額になったので、多分1年位は何とかなると思う。
このことはまだ、親には言っていない。
事後報告くらいした方がいいのだろうが、何だかなあ。切り出しにくい。
物事が「長続きしない」ということを非常に深刻にとらえて、過剰に呆れたり嘆いたりする親だから。
非難されるだろうなあ。まあ、親の価値観からしてみれば非難されるだけのことしたんだから仕方ないけれど。
私自身は結構あっけらかんとしてるんだが、そういう態度が余計に彼らを苛立たせるんだよな…。どうしたものか。
それで結局、ずっと黙っていようという結論になりました。
平日は都内の有料自習室で勉強するとして、表向きは「職場に行って」、これまで通りの生活パターンを崩さないように注意して過ごすことにします。
バレない自信は、正直ない。
たぶん、人生で日記という物を書くのが初めてだ。改稿変だし、チラシの裏だが書く。
一昨年の高校最後の夏休みの初めに人生で初めての受験をする事を決意した。親からは驚かれた。
その時まで自発的に勉強した事もなかったし、高校も面接だけのところを選んだし。
中学高校のクラスでも最下位に近い実力であり、何より勉強が嫌いだった。
いざ「受験勉強」というのを取り込もうと思っても何をしていいかわからなかった。
今思えば当然だった。今まで勉強という事に対して真面目に取り組んだ事がなかったからだ。
中学レベルの知識すら自分にはなかった。副詞・形容詞・形容動詞の意味すらわからなかった。
それでも参考書を買い漁り、それに書いてある内容の熟読を試み、シャーペンを走らせた。
そんな馬鹿な俺でも必死にやったお陰か、クラスの定期テストで上から2番目になれた。
友人達には驚かれたし、先生に勉強の事で始めて褒められた。自分でもよくやったと思ったし嬉しかった。
そんな幻想に浸っていた私の優越感は全統模試によって吹き飛ばされた。ほとんど解けなかった。
学校単位で受けていたので学年の中では上位だったが、全国レベルでみると標準の下の下。驚愕した。
それでも勉強に対して諦めきれず、去年のセンターに挑むも惨敗。
私大も幾つか受けたが結局地元の俗に言うボーダーフリーの大学にしか受からなかった。
号泣した。自分はこんなものだったのかと。あれだけやってこの結果かと。やっぱり俺はどこまでいっても馬鹿だと。
諦めきれなかった。だから私は両親の同意を得て浪人をして、国立を目指す事を決意した。
その時決めた。この一年間は一人で生きていこう、友達を作るのはやめよう、受験一本でやっていこう、と。
夏休みぐらいまで自分を必死に追い込み勉強した。予備校で何度も周囲に声をかけられたが見向きもしなかった。
だけど不思議とやる気はあった。自分はまだ可能性がある。まだやれる。この頃はパソコンや漫画などに目も向けずひたすらに勉強を続けた。
先に大学に進学していった友人達、先輩や後輩も皆応援してくれた。お守りもたくさん貰った。とても嬉しかったしやる気もあがった。
そして夏休み終わりの記述模試。結果は去年に比べて毛が生えた程度。この頃から自分に対して失望し始めた。
勉強もし続けたがやる気がどんどん失せていった。毎日通っていた予備校の自習室も徐々に行かなくなっていった。
鍵付きのタンスに封印していたパソコンを起動させて、暇をつぶす事も増えてきた。
冬も間近に迫った最後の模試の結果を見て、完全にやる気がなくなった。目の前が真っ暗になった。
その時に思った。そうか、自分には勉強は向いてないのかもしれない、と。
徐々に行かなくなった予備校はほとんど行かなくなり、家で現実逃避する日がいくらか続いた。
センター間近だというのに、周りの受験生は必死だというのに、皆が遠くで応援してくれているのに、
やる気が沸いてこない。何もしたくない。死にたい。もう生きたくない。そんな事を思ってた。
結果は惨敗。しかし、この日を境に再び勉強をし始めた。何故だかわからないけどやらなきゃいけないんだと思った。
運のいいことに、センター利用で出していた日東駒専レベルの私立(去年落ちた)が何故かA判定が出ていた。
そして今に至る。昨日それより少し上のランクの入試を受けてきたがたぶん落ちてる。そしてこれからも入試が続く。
国立も足切りが無く、二次比率の高い所に出したので可能性はまだある。E判定だけど。
俺はもうどうしたらいいんだよ。
デジハリか?まあ学校はどこでも良いや。プログラミング勉強するのに学校は必要ないぞ。というかウン十万だしてスクールに通う価値はない。教科書読んで自習すればたぶん数万で済む。おれはプログラミングできる人じゃないけどそう思う。
もし自習するなら、他の増田か人力検索みたいな質問サイトに質問するかググッて、習いたいプログラミング言語のおすすめ教科書を入門から応用まで数冊リストアップするんだ。で、それらの教科書をアマゾンで検索してレビューなどを読む。内容が良さそうだと思ったら書店で実際に手にとって少し読んでみる。分かりやすいと思ったら購入。家でさっそく勉強を始めると良い。
働きたくないなら学校には1つだけ通わせてもらうことにするといい。そこではたぶん授業に使ってない空き教室を終日開放しているから、授業のない時間はひたすらそこで自習する。むしろ自習室を開放している学校を選んで通うべし。で、分からんことはその学校の先生か仲良くなったプログラミングの得意な友達に聞きまくるんだ。(もちろんいつもお礼や感謝の気持ちは忘れずに。)学校に通うならそれがコストパフォーマンス的に最も優れてる。
女性お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん(29)が肺結核のため入院したことが6日、わかった。所属事務所のよしもとクリエイティブ・エージェンシーがホームページを通じて明らかにした。箕輪さんは現在入院中で約2カ月休養するという。
肺結核は空気感染が起こる可能性がある病気で、昨年12月1日から今年4月3日の期間で、吉本興業グループの劇場、その他のライブ会場、テレビ番組収録スタジオなどの観覧者らに感染したおそれがあるという。これを受け、東京都や保健所では接触者の調査・健康診断の実施を決めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090406-00000542-san-ent
結核の接触調査って、決まった面々が定期的に顔合わせしているところ、に限られるんだ。
会社とか、学校とか。結核になった知り合いは、予備校の自習室にひどい咳をしてるのがいたから、たぶんそこでもらった、って
保健所に訴えたんだけれど、自習室に来るのは不特定多数ということで、調査も通告もしなかったらしい。
よほど体力の落ちてるひとが頻繁に接触するんでなければ、感染力は弱くてうつらないそうだから、
あんまり「感染拡大!」とか煽るのもどうかと思う。客商売だから仕方ないんだろうが。
箕輪さんて、見かけだけじゃなくて、本当に身体よわかったんだな。
無理せんでしっかりやすんでほしい。二ヶ月なんていわず、半年か一年休んだほうがいい。
本郷より元2浪生の俺が少しレス。もう解決しちゃってるぽいが。
親には頼れるなら頼れ。頼ってる関係がいやなら利用しているぐらいに思っとけ。
まぁここはそんな単純には切り替えられないだろうけど、援助してくれるものは拒むな。
問題は親じゃなくて親を受け入れられないお前の側にある、とは言わない。お前のことなんも知らんしね。
だけど今見えている世界が違う意味をもつ瞬間はきっとあるから、それまでとりあえず自分をだませって言いたい。
俺は予備校を進める。特にうだうだ悩むタイプは一年間モチベーションを維持する方が大変だ。一人はきついぞ。
特進クラスのやつはめっちゃ勉強する。模試もゲームみたいに楽しめる。たまにいっしょに息抜きにも行ける。
塾の自習室がいやなら塾の周りで自習室を借りろ。喫茶店はあまりおすすめしない。
予備校のセンセーと仲良くなるのもいいぞ。好きな教科の先生と雑談しろ。まともな奴ならちゃんとメンタル面でも頼りになる。
がんばれ。
新高卒、18歳です。
高3時代は、夏・秋と家族や家の宗教のことや自分の性傾向、失恋などで精神的に崩れてしまい学校の宿題を行き帰りの地下鉄・バスのなかでやるのみでした。(家には自分の部屋があるのですが、リビングのすぐ隣でテレビの音が親が寝る0時ごろまで聞こえ、親の声が大きいので親の声も聞こえて部屋で勉強するのはとても難しいことでした。学校から家が遠く早く起きなくてはならないので夜中勉強することも出来ませんでした。)
それでも、スクールカウンセラーに何度か通い、12月頃からは徐々に勉強できるようになり、センター試験までは順調に勉強できました。(部屋も比較的静かになったので。)
センター試験はほぼ8割という感じの点数でした。
しかしその後、燃え尽き症候群みたいなのかは分かりませんが、勉強に手がつかなくなってしまい、親も親でテレビをつけたりするようになってしまい、私立と国立の3日前くらいから焦って勉強するのみでした。(それぐらいになると親も静かになってくるので。)
それで、結果は、私立の慶應経済学部A方式は1点差で落ちてしまい、国立の京都大学経済学部も落ちてしまいました。
そして、私立の補欠を持っている間に、両親は自分がいる前でローンとか奨学金の話をしたりして、また母親は本当に私立に行きたいのなどと聞いたりして、全くいい思いはしませんでした。
また、宗教などにかぶれて元々ワルだったのが更生した両親に、大学に行くことによってさらに頼ることになってしまうことが、その時期になってひしひしと身に染みてしまい、自分は親から離れてできるだけ自分で生きていきたいと思い大学受験を決めたのに、その事によって更に親との結びつきが厚くなってしまうのに耐えられなくなりました。
ぼくがレベルの高い大学に行って、人生勉強も含めてたくさんのことを学びたいということもあり、レベルの低い私立大学に行って、スカラシップを認めてもらったり、働きながら夜間部に行くことが自分の中で認められなくて、自分はもう将来に希望を持つことができません。
もしもう一年目指す場合、高校入学時から思っていた東京大学を目指すために予備校に入り、自習室で主に勉強したいと思うのですが、それも結局は親に多くを頼らなくてはいけなく、とてもストレスを感じることは必至です。
普通は部屋が静かな場合が多いのですが、自分の所は違うために自宅浪人という選択肢もなくて絶望的です。
だから、夏~秋のときに考えたように、もう将来に希望が持てないなら、自分も親のように世間的に認められないことをしてしまおうかなんて思っています。
ここは自分にとって最後のよりどころです。
ぼくはこれからどうすればよいのですか。
僕の通ってた高校は、東大の現役合格者が年に5~6人程度の田舎の県立高校だったのだけど、実際、東大へ行った奴らは、一部の天才を除いて、入学当初から東大めざして自習室に篭り切っていたように思う。
「進学なんて、3年生になった時点で考えればよくね?」
と思っていた僕は、中学時代は県内模試で上位20位以内、高校入学当初は学内で10位以内のポジションにいたのだけど、部活にのめりこんで成績はズルズルと右肩下がり。
3年生になる頃は、学年順位も後ろから数えた方が早い状況に陥った。
「でも、がんばれば1年間でなんとかなるお」・・・とか、ヘンなポジティブ思考でもって、東大じゃなくて東工大へ特攻。
センター試験で8割取れてC判定とれてたんで、運がよければ・・・とか思ってたのだけど、あえなく撃沈。
滑り止めで後期で受けていた横浜国大へ入った。
たぶん、高校入学当初はあまり学力的に差は無かったと思うんだけど、決心の強さというか、意志の固さとその持続力がないと、僕みたいな凡人は東大レベルの学力には達しがたいというのが、今の僕の結論だ。
結論、東大へ目標を定めるなら、早ければ早いほど良い。また、目標を下げるのは簡単だが、後から目標を上げるのは極めて困難である。
(For Beginners)
(For Windows)
(For Mac)
(In case you are using shared computer)
(Information)
その人は医学部志望でも美大志望でもなくて私大文系コースにいる。
職員の人に聞いてみると一度社会に出た人が再度ってわけでもなくて
18の頃からずっと通っているらしい。
5年目の時に全部落ちたけど予備校に再入学しなかったことがあって
諦めたのかと思ってたら1年後、また通いだしたりして
職員の間ではその人の話題で持ちきりだったとか。
様子を見ていると受験のやる気はないように思われる。
授業にはちゃんと出るけども自習室を活用したりせずに速攻で帰る。
家で勉強しているかどうかは定かではない。
偏差値は60に行くかどうかってところで、マーチをしらみつぶしに受けたら
どこか引っかかりそうなものだけどずっと早慶しか受けてこなかったとか。
この人の人生が心配です。今さら職に就こうにもまともなところは無理だろうし
合格したとして、学生生活も満喫できないだろうし就職もどうなんだろう。
この人を見てるとなんだか頑張ろうって気になります。まだ1年だけど今から就職の対策始めたりしています。
なるほど。
国立がいいというのは,おそらく学費的なことだよね?
あんまり知られてないんだけど,私立でも学費免除制度とかがあるよ。
もちろん,両親の収入によってだけど…。
それから,国立でも後期は3科目っていうところもあるのは知ってる?
あと,公立だと都留文科大学みたいに中期で3科目というところもあるよ。
たぶんなんだけど。
勉強方法があんまり上手じゃないのかもしれないね。
努力が空回りしているのかも…。
俺が浪人してたとき,予備校の授業はあんまり役に立たなかったよ。
1割くらいしか本当にいい授業はなかった。
だから,俺はいい授業だと思った英語しかでないで,大半は自習室で参考書で勉強していた。
周りはけっこう真面目に授業には出てる人が多かったけど,あんまり効果なかったみたい。
あと,1日まったく勉強しない日は作らない方がいいよ!
もちろん,1日遊びたいって日は週1回くらいはあってもいいと思うけど。
英語の単語とかの暗記系は毎日やらないと覚えられない。
そして,決して楽しくはない……。
毎日2ページは単語をやるとか決めたら,辛くても守るしかないなぁ。
浪人生は勉強するのが仕事だし,勉強さえしてればいいんだからある意味で楽は楽だった。
(時たま将来が不安になったけどね…)
届出出した後に「もし私大入るにしても国立大の勉強したほうがいいんじゃないのかなぁ」と思いながら
数学ができる気がしないって理由で振り切って私大専願で勉強してた。
予備校で受講してた授業には毎回漏らさず予習復習はして、平均は授業時間抜いて2、3時間ぐらいだと思う。
だけど、特に予備校入りたてのときとかまるで上の空で、
一分も勉強しないままに予備校の自習室で昼寝してたり遊んでたりした日も多くあれば、
でも無計画で、内容も偏っていたから、実を成してたようには思えない。
特に単語や用語みたいな無機的な暗記事項がどうしても身につかなくてすごい苦手だった。
そこを捻じ込むのが受験なんだと思うけど。
そもそも大学でなんたら学を専攻すればどんなことを学べるのか、それすらも今ひとつ分かってないような感じで。
「リア充こわい」って思いでオープンキャンパスにも一回も行ったことないし。
毎朝6時頃起きて、ラッシュが始まりかけた電車に乗り、専門学校に通う。
なんてことはもう出来なくなっていた。ラッシュが終わった頃にようやく目が覚める。
講義や答練はあまり受けず、いつも自習室で耳栓をしながら勉強した。
かつては何人かいた勉強仲間は合格したか、受験をあきらめたかで、今はいない。
だから日中は誰とも口を利かず、金がないから昼は毎日のように立ち食いそば。
今日はかけで済ますか、それとも何か具を入れるか。数十円の差が大きかった。
立ち読みの後はさすがに何か買ってから店を出た。缶コーヒーとか。
耳栓で耳の穴が炎症を起こしているらしい。床屋のおやじが驚いていた。
勉強に煮詰まると外に出て当てもなく歩いた。本当に何も当てがなかった。
こいつらよりいい学校出て、真面目に自分の将来のこと考えて勉強始めたのに。
そんなこと考えてた。
部屋に帰って、ラジオを聴いた。テレビは勉強を始めた頃に後輩に譲った。
たまに学生時代の友達から電話があると嬉しかった。でも、こちらには何も話すようなことはなかった。
週末には彼女と一緒に行った。
風呂から上がって、脱衣所に置いてある新聞を読んで待っていると、番台のおばさんが
お連れ様がでますと声をかけてくれた。でも、いろいろあって、その彼女とも別れた。
それからしばらくは、週末に一人で銭湯に行って髪を拭いていると、おばさんの目は
女湯の彼女を探していた。それが何回か続いて、おばさんも悟ったようだ。
布団に横になると孤独感に苛まれた。いつまでこんな日が続くんだろうかと思った。
砂を噛むような味気のない毎日だった。深海にいるようだった。
今、この前書きを読んでいる人の何割かが数年前の僕と同じような状況にあると思う。
この状況から抜け出す方法は二つ。合格するか、受験をあきらめるか。
でも、一度受験をあきらめて、また戻ってきた人からこんなことを聞いた。
自動車教習所の看板にある”公認”の二文字にいつもどきっとしたと。
もし気力が続くのならばなんとか頑張ってほしい。朝の来ぬ夜はないと信じよう。
平成1?年10月