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はてなキーワード: 商業高校とは

2024-11-09

顔面が下の上から中の下って感じで中学生高校生の頃には全くモテなかったけど

大学進学したら告白されるようになって人生最大のモテ期は26歳でした

大学偏差値が高くて学部的にもやや男子率が高く、就職先も結構難関で総合職には男性が多く、「偏差値を上げれば上げるほどオタサー姫化する」が要因だと思われる

あと恋愛相手よりも結婚相手として、稼いでくる女は手堅いというボーナスポイントが入る

職場の華的なモチベ上げガール役割じゃなくて、話を深く理解して傾聴してほしいタイプから好かれやすかったのも結果として良かった(華をやれるツラじゃないしな)

男性場合工業高校みたいなところは男子ばかりだし高偏差値のところも男子ばかりで、商業高校文学部なんかが女性率高いんじゃないでしょうか

しかしそういう女性率高い進学先選択すると、就職がね…美術系も女性多いけど、実家が太くない場合は、うん…

女の場合勉強を頑張り就活を頑張れば頑張っただけ丸儲けでトレードオフがないです

体力勝負ではあるか

2024-11-08

anond:20241108180722

「まともな道じゃない」という自覚だけはあったのよ

中学の時に先生から商業高校で何か光る結果を出せば推薦行けるぜ」と聞いちゃって

なんかラクそうだなと思ってそっちを選んじゃって

他の道の事は全然興味無かったんで。。。

え待って、俺、自分の「偏差値」とか知らんのだけど

商業高校で色々と頑張って推薦で大学に行っちゃったから、計る機会が無かったんかな

普通はどこでそんなの計るの?

2024-11-05

高校生の時、誰にでもおっぱいを触らせてくれる同級生女子がいた

追記

もっと叩かれるかなと思ってたけど、はてブコメントで励ますような事を言ってくれる人がいて少し驚いた

> その同級生行為意味をそういうふうに解釈していてなおさわっときゃよかったと思うようなことだから増田非モテ童貞なのでは。

↑ 俺に問題があるから非モテ童貞だという事自体には反論はないが、この意見不思議だ。もしあの時、何も考えずに胸を触るような人間だったら今頃非モテ童貞ではなかったのだろうか。実際俺の隣で触ってたやつは今既婚者である。女の立場からすると「背景にある邪悪な構図を理解していながら揉みたがる卑怯な奴」より「何も考えずに性犯罪まがいの事をする奴」の方が評価高いのか。何かすごい。アキレスと亀の話を初めて聞いた時のような、直感と反するこの感じ。両方非モテ童貞とかだったら分かるんだけど。すごい。

追記終わり

 

その人(Aとする)は身長が低くて小太りでその分胸がかなり大きかった。商業高校だったから派手な見た目はNGで(ほとんどの女子銀行の窓口のような身だしなみだった)、それもあってAはとにかく地味だった。

そして不登校がちだった。いじめられてるとかは無かったと思うが、学校に馴染むことが出来なかったのだろう。貧乏で家庭も結構複雑だったらしい。

そして彼女は頼めば本当に誰にでもおっぱい触らせてくれたらしい。

らしいというのは自分は触った事がなかったから。

 

ある時、集会か何かで学年の全生徒が体育館に集められた時に俺の隣に座っていた男子が、前に座っているAの胸をもみだした。

びっくりしたAが「今はやめてよ〜(笑)」とか言ってたけど特に抵抗したりはしてなかった。

ちなみにAのおっぱいが触られている所を見たのはそれが初めてだった。

揉んでるやつに「お前も触れば?」と言われたが断った。周りの女子ドン引きしてたし、何より「地味な女が胸を触らせる事で普段は関われないような上位カースト男子から承認を得る構図」が邪悪だと思ったから(当時は明確に言語化できてた訳じゃなかったけど何か嫌だった)(俺は上位カーストではない)

 

触らなかった事に後悔はなく、そういう邪悪な物に加担しなかったのは少しだけ誇らしくもあった。

と思ってたのは20代前半まで。

30目前の非モテ童貞となった今ではあの時触っときゃ良かったって思ってる。本人はそれで普段満たされない承認欲求が満たされる訳だし、こっちはおっぱい触れるし。胸触ること無く人生を終えるより「ああ、あの時同級生おっぱい触ったな」って頭の片隅にある状態人生を終えたい。

あの時こうしとけば良かったなランキングの2位くらいに入る出来事でした

2024-09-18

はてな民が知らない底辺人生+追記

はてな界隈では大学進学、東京正社員就職、が人生既定路線として語られています

しか現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本人口の13%に過ぎません。 

社会底辺を占める人々をはてな民認識していないのは社会階層化が進んだ結果でしょうか。

底辺層も日々普通に暮らし納税し、選挙では一票を持っています人生の夢や目標があります家族がいて子供を育てています

底辺層のexampleとしてわたしの来歴を書いておきます

と、大上段で書きましたが、本音奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます

他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。

わたしの生まれ

先祖は父方母方共に学がありません。

明治から大正にかけては博打打ち、物乞い自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。

昭和に入ると建設作業員、工場労働トラックドライバーといった職業に就いていました。

戦災や仕事のために西日本転々とする中で、1991年平成3年)に中国地方の片田舎わたしが生まれました。

小学生時代

家が貧乏なので冬服を買えず、一年中半袖半ズボンでした。

通っていた公立小学校治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。

わたしイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。

小6の算数教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。

地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボントレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。

中学時代

学級崩壊継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。

中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。

1日3食食べられなくなったので、給食パンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。

栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。

父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。

同級生あいだではワンピースハンターハンターといった少年漫画マリオカートポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたし33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。

高校時代

地元公立高校に進学しました。

給食がなくなったためミスタードーナツゴミ箱あさり毎日ルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。

電気部品の内職も毎晩続けていました。

大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学東京大学慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパー活躍していたためです。

わたし自身大学に行くかは分かりませんでしたが、文系理系選択文系コースを選びました。

高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。

模試を受ける際には志望校記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。

担任先生大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。

担任は同時に奨学金制度を教えてくれました。

担任や、数学先生英語先生が私を放課後に呼び出して、食べ物飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。

しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。

ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏公立高校学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。

加えて、担任が試算してくれたプランでは学費減免可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたし想像できない金額でした。

学費減免可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しか中学生の頃からミスタードーナツゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。

想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。

大学進学しないことを決めると、担任先生表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後情報室のパソコン練習しました。

高卒就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前ルールが残っているようです)、わたし地元和菓子屋接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています

社会

わたし就職して家計改善しました。

その後父母が鬼籍に入ると、わたし実家を離れていくつもの会社転々としています。今では全く別の職業生活しています

高校学費借金も返済し終えました。

身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります

わたし借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟不可能だったと思います未成年ができる決断ではない。

河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。

小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しか転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事簡単ではありません。

大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まりますしかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキル必要となり、現場人間のうちそれができる者は一握りです。

残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。

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自己憐憫的な文章なっちゃった

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コメントを頂いてるので補足します。

2024-09-09

anond:20240909152617

からでも大学に行け。自分自分を救ってあげよう

でも商業高校を出て事務職ってことは成績はお察しか

それでも無理なことは無いし学んだことは人生を彩るよ

金が無いことが気になるなら、資格取って地元を出て経験積んで勉強して何回か転職していれば倍にはなるよ

田舎だと転職が悪いことみたいな風潮があるの謎

これ読んで勉強が嫌だと思ったなら、大学に行けなかったのは別に親のせいじゃないので、それはそれで楽になれるんじゃないか

どっちにしろ地元は出た方が良さそうに思える。ずっとくさって生きていくの嫌じゃない? 地元住まいじゃなければ冠婚葬祭以外接触しないのも不自然じゃないし

女子の進学率ってごく一部の都市を除いて低いし、どうせ増田大学に行きたいって言っても金が無いって言われて弟だけ大学に行かせてたと思うよ。問題はそこじゃない

親は子供お金がないと言わないほうがいい

ウチにはお金がないと言い聞かされて育ったので、大学進学を考えずに地元商業高校へ進んだ。特に何も言われずに卒業を控えたとき、3歳年下の弟は大学進学を目指して進学校に進みたいことを知った。両親の反応は意外なことに好意的で、姉みたいに高卒で働くのはやめた方がいいぞとアドバイスまで受けていた。

大学に行く金があるなんて聞いてないと親を問い詰めたところ、お前は行く気がなかったじゃないかと当然のように言われて呆然としてしまった。家のことを考えて大学進学は諦めたのに弟は行っていいんだと。

その後弟は無事進学校合格し、一般的に難関とされる大学へ進学した。私は商業高校を出たあと、地域会社事務職として採用され、まったく昇格せずに年下の総合職のお手伝いをする生活を送っている。働き始めてから親に自分から連絡を取ったことはないし、冠婚葬祭以外で関わることは考えていない。

から親は自分の子供に金が無いと言わない方がいい。子供は親の顔色をよく見ているから。私はもう親になれる気がしないけど、同じ悲劇を繰り返して欲しくないからここに吐き出させてもらった。

2024-09-08

anond:20240829044628

最高最高

商業高校ノウハウも織り交ぜて集客増やしたり、周辺の観光にも力を入れたりしてほしい

2024-08-29

山形サッカースタジアム農業高校とすべし

数百億を投じて日本最高の農業高校

学校名は県立モンテディオ実業

サッカー場型で屋根付きの屋上を持つ校舎

芝生管理科による天然芝整備

女子学生目当ての不審者撲滅部隊雇用

サッカー部練習試合をする広い土の駐車場

月に二回以上はJリーガーと会える高校

行政から支援、全国の農業高校から寄付で圧倒的黒字経営

農業高校商業高校コラボしたスタグル出店

2024-07-22

anond:20240722130246

いわゆる「商業高校」で数学のかわりに簿記必死にやって

その後で大学経済学部に行ってOh..Wow..となったワイの気持ちなんて

誰も分かっちゃくれない

2024-06-10

anond:20240609223735

9割大学に行かない高校だとこんな感じかもねー、商業高校とか

中学の時勉強苦手だったとか、資格取って早く社会に出よう! みたいな甘言真に受けて、気づいたら絶望

2024-06-03

anond:20240603114425

このくらいの男女比率、そしてある程度の人数が揃っているところに身を置くというのが女を人間として見るという事の獲得に最適というのは確か

男女比1:9の商業高校、3:7の美大で女は俺や俺の周りにいた他の人間達と何もかわらない、別に普通に人間なんだと学ぶ事ができた

2024-05-04

【PR】専門高校は悪くないぞ

結論:専門高校工業高校とか商業高校とか,そういう高校)は悪くないぞ。

理由1:短期目標の設定がしやす

普通科高校は,短期目標を設定しにくい。

高校1,2年にとって共通テスト大学入試なんて,ずっと先の未来の話だ。

そこを目標に頑張り続ける,というのは計画性や高いモチベがないと正直厳しい。

ましてそこを目標にしないとなると,何をモチベに学んでいけばいいのかわからなくなる。

その点,専門高校資格試験が充実している。

数か月後の試験に向けて全力,というのを繰り返していけば,自然スキルアップができるのは魅力的。

そして,良くも悪くも,学校全体で「資格を取れ」という圧をかけてくる。

この圧がつらい人もいるだろうが,この圧があるからこそ,勉強できるという高校生は多いはず。

正直,大半の人間は圧がないと勉強しない。

あと資格取得という結果は予想以上に自信になる。


理由2:勉強道筋がわかりやす

「いや,普通科にも模試という短期目標あるだろ」という意見もあるだろう。

だが,模試範囲が膨大だ。さらには偏差値相対評価である限り,勉強すれば=成績が上がる,という公式を描きにくい。

勉強してもなかなか成績が上がらない,というのは高校生の気持ちを折るには十分だし,昨今は読解力や思考力を問う問題も多く,学力向上までの道のりはますます険しいものになっている。

一方で,専門高校資格試験は「ここからここまで勉強しとけば,なんとかなる」というのが明確だ。

道筋が明確だからこそ,勉強やすく,そして結果につながりやすい。


理由3:実践的な学び

多くの中学生にとって,机に座って学ぶこと自体苦痛だ。

「こんなこと勉強して,何になるんだ」という疑問も常に頭をよぎる。

(もちろん中学の学びは人生で大いに役に立つものなのだが,それがわかるのは中学生にとってだいぶ後の話)

その点,専門高校の学びは実践的なものが多くなる。そして,実践を通じて理解も深まっていく。

例えば家政系の専門高校では調理実習が多く組まれているが,「大さじ2分の1」とか「1%の食塩水」などを通じて,割合概念理解することが容易になる。(割合概念をわかっていない中高生は思った以上に多い)。

また,工業高校における実習では,ふざけた真似をすると即大ケガにつながることを身をもって実感できる。

専門高校カリキュラムを「社会では役に立たない」とか「古い」という人も多いし,それは否定できない部分もある。

でも,身体を使って実際にやってみることで,学びが深まるという点こそ重要なんだよ。

もちろん人によって合う,合わないはあると思うが,もっと専門高校に注目してほしいと,専門高校出身人間としては思う。

最近は進学指導に力を入れている専門高校もあるし,その辺は調べてみるといいんじゃないかな。

2024-04-30

anond:20240430084612

30年前の氷河期大企業大卒で入ったんだが高卒も一緒に採用していたよ。

大企業高卒で入る奴は地方商業高校を優秀な成績で卒業した女子が多くて、既に簿記3級くらいなら当たり前に持っており、みんな大卒顔負けの有能ぶりだった。

あの時代地方だと女子大学やる余裕がない家があって、そんな家の子は当たり前に商業高校から大企業就職していた。

入社した最初上司自分より年下の高卒3年目の女性で既に主任やっていた。めちゃめちゃ仕事ができる人でたくさん学びがあった。

俺がポンコツ大卒なだけなんだが(それでもMARCH卒だが)

いまはそういう子たちも大学に行くのだろうか。

2024-04-21

anond:20240421135137

まじ?永沢が他の高校彼女作って童貞卒業ドチャクソセックスしてるのを知った城ケ崎さんが荒れに荒れて商業高校チャラ男と痴戯の限りを尽くす逆BSSでシコるわ

anond:20240421134513

中学生編では城ヶ崎さんが永沢に恋をして

「ああいブサメン無茶苦茶に犯される私」を想像して興奮していた

永沢が志望しているからと勉強できるのに低偏差値商業高校受験するが

結局永沢が落ちてしまい城ヶ崎さんは意味もなく一人で商業高校へ進学してしま

2024-03-30

25歳で死ぬつもりが大学院に進学してしまった

2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月から同大学院博士課程に進学する。

大学院では臨床心理学を学び、研究に勤しんでいる。

さてここで、折角なので、ここまでの自分人生を少しだけ振り返ってみようと思う。

俺は、地元自称進学校中学校を出て、地元商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校卒業したらとにかく働きたかたから。

小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味サッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧人生設計だった。

何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校教員から理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間から屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。

本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。

から、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。

20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがいから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。

大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育研究機関だなんてマジで知らなかった。

仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけがしかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。

運が良いことに、その高校自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。

さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。

3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来祈りながら高校時代生活サバイブしていた。高校マジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。

そしてどうしてか、家を出て関東大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。

ここで完全に人生設計が狂った。

毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。

本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。

働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。

といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。

俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。

自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。

けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。

俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。

そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。

大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。

今、少しずつ自分大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。

博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。

2024-03-24

経済学なんてどの大学でもよくない?

都会の方がいいです!

地方商店街活性化に興味があるのなら君の出身のところでやったら?先行研究もあるよね?

商業高校の人ともかかわることになるので都会で学んだ方が知見があり将来的に指導的な立場になるときに有利だと思います

では具体的に何をしたいですか?

後で決めます!笑

不合格です

2024-02-20

小学生は今のうちに高校大学単位を取ればいい

簿記3級に受かったら商業高校大学会計学入門2単位を取るのは簡単だろう

危険物取扱者乙種をとれば工業高校で学友に教えることすらできるだろう

受験勉強と並行して資格試験勉強を続けたら高校大学では高難易度資格チャレンジしてもよい

法令勉強でお堅い文章に慣れることも出来る

2024-02-07

anond:20240207164655

採用メンだけど、部活の副主将以上+勉強もほぼオール5が必要だぞ。

部活全国大会レヴェル。


工業とか商業高校なので、

名大進学校ほど周りの学力レヴェルは高くない。

なのでサボらなければオール5は取れなくない。





スポーツに一途に取り組んできた者、
学力がある者
一人暮らしできる自己管理能力がある

2024-01-18

anond:20240118013314

日本中学高校受験のための、高校大学受験のための機関になりすぎて視野を広げるどころか狭める状態になってるのが問題すぎ

商業高校工業高校みたいに大学入試高校って感じ

韓国とか中国も似た感じだから東アジア特有な気もするけど

欧米大学って日本からするとクソ簡単な内容の授業が高校まで続いて勉学以外に視野を広げるための時間を取りやすいし、入試に相当するもの共通テストの科目制限版みたいなやつだけであとは中高の成績と視野を広げた結果が重視される

日本人にとって海外大学難易度高いのは単純に英語のせいで結局のところ中高の英語教育が間違ってるって証明されてる状態だったり

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