はてなキーワード: 諸君!とは
タイトルのようなことをインタビュー(https://youtu.be/G2fobhbpdIc?t=645)で語ってたけどマジこれなんよ
一見すると古代ギリシアかローマあたりから綿々と連綿と延々と続いてきた年寄りによる最近の若いもん語りなんだろうけどさ
芸大作曲科卒の実力というかスゴいんやろなってのはまあわかるんよ
そりゃ技巧やら理論でイケる人にとっちゃそりゃ楽しいかもしれんけどもさ
そういう高見盛、これは予測変換で勝手に出たんだけどそういう「高み」に至って初めてイクんじゃなくてさ
単純にまっさらな原始の心の状態でなんも考えてない🧠に直接流れ込んで感情にブッ刺さりに来る音、減ったなってしみじみ思うよね
なんで?
最近だとゲームじゃないけどデジタルサーカスのメインテーマみたいなやつ。ああいうんでいいんよ。ああゆうんがマジで欲しい。
(追記)
おもいのほかトラバブクマあつまったな。いやまだそんなにか?まあいいやとりあえずみんなサンキュー
伸夫の威を借りてデジタルサーカスのメインテーマいいよねって話をしたかったワイの屈折を感じてくれたらなにより
以下、ワイが好きな昔のゲームのイイ曲を思い出した順番で発表していくので!準備はいいか衝撃に備えよ!
・FFT - Antipyretic https://youtu.be/pZXW8haxNoM
・TO - Limitation
・世界樹の迷宮 - 桜ノ立橋 https://youtu.be/yDFsHe2_VIA
・FF11 - 聖地ジタ https://youtu.be/smJrVboIOjA
・アンダーテイル - MEGALOVANIA
・ぷよぷよ - へっぽこ魔王最強伝説 https://youtu.be/jB-tyCZ7Yek
・まもるクンは呪われてしまった! - YO-KAI Disco https://youtu.be/A2ZoG_rBjBs
まだまだいっぱいあるけどとりあえずこんなもんやな。
(追記)
どうやらゲームの映像の進化に伴ってゲーム音楽は主張を弱めて「環境音」に徹するようになっていくみたいな流れがある、という見方があるみたいだな
まあそうなんだろうけど、でもあれだけ映像の主張が強い映画音楽の分野でも印象に残る音楽って今もいっぱあるのはなんでなんやろな?
映画とゲームで映像の微細化とかは結構似通った進化をしてると思うけど
曲が良すぎると操作するにあたって煩わしい?だとちょっと悲しいな
(追記)
あそうそうデジタルサーカスのメインテーマってのはコレね→https://youtu.be/H-AT42lYGBg https://youtu.be/9ov9DvOvjnE
ここまで読んだんなら絶対ヒマやろウソごめんね忙しいかもしれんけどまだ聴いてない人はもののついででいいから騙されたとでも思って聴いとけよ!?
(追記)
前半だけ読んで、デジタルサーカスのメインテーマを自分で検索して「いや、これじゃないな。なんか別のだろな」って思ったら、別のじゃなかった。これの何が良いのかわからんのは感性が死んでる?
90ブクマにして初めてデジタルサーカスのメインテーマに言及あったな。失望したぞはてな諸君!!
否定的だけど反応あっただけよかったわ。
べつに感性死んでない。誰にでもあるからnot for me(JPOP歌詞風)
でもさあ5か月で音楽だけで4694マン再生やからな!!!!?
(追記)
どいつもこいつも発達障害というレッテルを貼れば、世の中の気に入らない連中を「はったつ!w」で駆逐できると思ってるし、あまつさえ「オレは買われたよ、コンサータで」というクソ宗教もどきな手法で発達障害を金儲けのツールにした「自称専門家」が講演会や出版で金を巻き上げるのと違って、人格障害者へのナレッジを社会が蓄積する機会がないのはなぜだろうか?
そりゃー、もう簡単である。人格障害者は「自分が病気かも?」と思うことはないし、けっして会社や組織で浮いている理由に思いを馳せないし、あまつさえ「社会が変わるべき!」とすら思ってる他責思考だし、発達障害と違って病院に行っても医師が相手してくれないからだ。人格障害者は不治の病だからだそうな。かわいそうにね。
というわけで、増田諸君!もっと、人格障害について語ろうではないか!君たちの熱い人格障害の体験談を書き込んでみよう!もちろん、ここでな。
諸君!ThinkPadはiPhoneに対して、5つの大きな優位性を持っている!まず第一に、ThinkPadは高性能なマルチタスキングが可能である。これは、業務において必要なアプリケーションを同時に開き、作業を効率化する上で非常に重要な要素である。第二に、ThinkPadは物理キーボードとポインティングデバイスを備えているため、快適で正確な入力が可能だ。これによって、長時間の作業でもストレスを感じることなく作業を続けることができる。第三に、ThinkPadは周辺機器との互換性が高い。例えば、外部ディスプレイやプリンター、USBハブなどが利用できるため、ビジネスの現場で非常に便利だ。第四に、ThinkPadは高度なセキュリティ対策が施されている。指紋認証や顔認証、TPMセキュリティチップなどを搭載しており、貴重な情報や個人情報を守るために最適なデバイスとなっている。最後に、ThinkPadは堅牢である。落下や水濡れなどに対しても強い耐久性を持っており、ビジネスの現場で頻繁に使用されるデバイスとして、信頼性が非常に高いといえる。以上、5つの大きな理由から明らかなように、ThinkPadはiPhoneに対して圧倒的な優位性を持っているのだ!
諸君!今こそ目を覚ませ!消費者としての自己主張を持つことが、人生を成功に導く第一歩なのだ!iPhoneや柴犬を買うことは、ただの受動的な消費行為にすぎない。自分自身が必要としているものを自ら選ぶことが、本当の自己実現に繋がるのだ!そこで、私は断言する!ThinkPadこそが、真の自己主張の象徴だ!堅牢なボディ、高度なセキュリティ機能、高性能なマルチタスキングなど、仕事で必要なすべてが備わっているのだ!ビジネスマンなら、ThinkPadこそが必要不可欠なデバイスである。そして、ThinkPadを選ぶことは、自己実現を目指す人生において、自己主張の表れである!だからこそ、諸君らは、iPhoneや柴犬などの補完的な選択ではなく、本当に必要なものを自ら選ぶことが、人生の成功への道なのだ!これから先、諸君らが選ぶ選択には、必ず自己主張が込められていることを忘れないで欲しい!自らの人生を、自らが主張し、自らの手で切り開くのだ!
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。