はてなキーワード: 澱粉とは
調理前のコメの主成分は消化しづらいβ澱粉で、これが米を炊くことによって、糊のようなα澱粉へと変化して食べられるようになるのね。
一般論として、炊いた米は、冷めるとβ澱粉に戻りやすく、お粥は戻りにくいと言われてる。
(雑炊飲料と粥飲料の研究例や、大学の栄養学科で米のでんぷんの変化を研究調査した例がある)
だから、雑炊よりもお粥のほうが消化に良いのだということになるんだけども、
それはあくまでも米粒のカタチが残っている状態であって、カタチが残らないところまで煮た雑炊であれば、
おそらく、違いはほとんどないと思う。
ただ、最近ではお粥って見た目ほど消化にいいとは限らないよねって話しがあって、
要は唾液のアミラーゼに澱粉分解の働きがあるので、粥をしっかり噛みしめて唾液と混ぜてやらないとダメで、
ごくごく飲ませたらいけないらしい。
気になったから調べてみた。
野菜・果実(トマト、デーツ、たまねぎ、その他)、糖類(ぶどう糖果糖液糖(国内製造)、砂糖)、醸造酢、アミノ酸液、食塩、酒精、醤油、香辛料、オイスターエキス、肉エキス、酵母エキス、昆布、蛋白加水分解物、しいたけ/増粘剤(加工でんぷん、増粘多糖類)、調味料(アミノ酸等)、カラメル色素、(一部に小麦・大豆・鶏肉・豚肉・もも・りんごを含む)
野菜・果実(トマト、プルーン、りんご、レモン、にんじん、たまねぎ、)、醸造酢、砂糖類(ぶどう糖果糖液糖、砂糖)、食塩、澱粉、酵母エキス、香辛料
野菜・果実(トマト(輸入)、りんご、たまねぎ、にんじん、パインアップル、にんにく)、糖類(砂糖、ぶどう糖果糖液糖)、醸造酢、食塩、でん粉、香辛料
https://www.kikkoman.co.jp/products/product/K450510/index.html
野菜・果実(トマト、たまねぎ、にんじん、その他)、醸造酢(国内製造)、糖類(砂糖、ぶどう糖)、食塩、アミノ酸液、発酵調味料、香辛料/カラメル色素、甘味料(甘草)、香辛料抽出物、(一部に大豆・りんごを含む)
野菜・果実(トマト、たまねぎ、にんじん、レモン、パインアップル、プルーン、デーツ、マンゴー、ネギ、キャベツ)、醸造酢、砂糖、食塩、香辛料、魚醤、鰹節エキス、昆布粉末、本みりん、オイスターエキス
なろうの取ってつけたような話以外でもそこそこあるけど
○ 糸満売り(10歳前後の貧困層の少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部・糸満の漁師のもとで年季奉公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E6%BA%80%E5%A3%B2%E3%82%8A
生活環境は厳しく労働は長時間におよんだ。雇子達の中には粗末な食事しか出されず、親方から虐待を受ける者もいた。
また年季が明ける度にさらに売りに出される者もいた。さらに泳法の訓練も過酷なものであり、縄で括った上で舟から海へ放り込むようなものであった。
また実際に糸満売りとされた人物の証言によれば「ウムカシ(サツマイモから澱粉を取った残りの滓)が常食で、豊漁の時だけはイモがまともに食べられた」とのことであり、
なお年季が明けた(または戦後解放された)後は、幼少期からの過酷な労働により漁師としての技術を得たかつての雇子たちは、引き続き漁師として生計を立てていく例も多かった。
ただし少年期を過酷な漁業の場で過ごしたため、学校での正規教育を受けておらず文盲が多かった。
だが必ずしも非人道的なことばかりがまかり通っていたわけでもなく、預かった子をまるで我が子のように養っていたとの証言もみられ、
○ 糸満売り(10歳前後の貧困層の少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部・糸満の漁師のもとで年季奉公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E6%BA%80%E5%A3%B2%E3%82%8A
生活環境は厳しく労働は長時間におよんだ。雇子達の中には粗末な食事しか出されず、親方から虐待を受ける者もいた。
また年季が明ける度にさらに売りに出される者もいた。さらに泳法の訓練も過酷なものであり、縄で括った上で舟から海へ放り込むようなものであった。
また実際に糸満売りとされた人物の証言によれば「ウムカシ(サツマイモから澱粉を取った残りの滓)が常食で、豊漁の時だけはイモがまともに食べられた」とのことであり、
なお年季が明けた(または戦後解放された)後は、幼少期からの過酷な労働により漁師としての技術を得たかつての雇子たちは、引き続き漁師として生計を立てていく例も多かった。
ただし少年期を過酷な漁業の場で過ごしたため、学校での正規教育を受けておらず文盲が多かった。
だが必ずしも非人道的なことばかりがまかり通っていたわけでもなく、預かった子をまるで我が子のように養っていたとの証言もみられ、
例に持ってきたのは年季奉公の中でもハードな漁師だけど、漁師以外の現場においても子どもたちは安く使える労力として扱われた
もちろんそうじゃなかった子どもたちもいる、 親方ガチャで勝利した子どもたち だ
【糸満売り(下)】7年間で150円 家族のために故郷を出て・・・森さん「悪くない人生」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/109819
森さん(99)は「13歳の時、7年間150円」で糸満売りされた。
生まれ故郷は鹿児島の与論島で父1人、子4人の貧しい家だった。「漁で身を立てれば貧乏から抜け出せると思って、後で弟も呼び寄せた」
森さんは泳ぎが得意だったため、じきに年下の雇い子9人のまとめ役を任された。「娘3人だけの家で、息子代わりにかわいがられた」。
20歳で親方の娘と結婚した。義理の親になった親方夫婦と妻をみとった今も糸満に住み、子ども6人、孫10人、ひ孫14人がいる。
人権がなかったから仕方ないとかいうが、貧しくても売られなかった子どもたちがいる
人権がなかったから仕方ないとかいうが、重度の身体障害者であっても間引かれず、職につくよう教育された子どもたちがいる
売られたり間引かれた子どもと、そうじゃなかった子どもたちの違いは何か?
経済レベルがどうこうではなく、親ガチャで勝利した ただそれだけだ
・無洗米は「洗わなくても汚れがとれている米」ちなみに汚れをとるのには水ではなくタピオカ澱粉を使う。無洗米は水足して炊くだけでよい。1袋あたり500円程度(手間賃分)、同じ銘柄の米より高い。
・無洗米表示のない米は洗う(研ぐ)のが必要な米。糠を削った粉がのこっていて、糠には脂分があるから酸化して段々黄色くなっていく。あらったときに白く濁ったり泡になるのも米ぬか由来の油。
・洗わなくてすぐ水いれて炊いても今の精米技術が上がっているので違和感ないことも多いが保温すると早めに黄色くまずくなる。
以下は余談
・米は全般的に生鮮食品とおもって、室温放置せずPETボトルにつめかえて野菜室にいれたほうがよい。特に夏。
・夏に密閉もしないで放置した米にはコメビツ虫とかがめっちゃ湧く。うじが米と米の間で糸を引くし、さらに放置すれば孵化した蛾がとびまわることになる。服にも穴が空いたりろくなことはないので米は密閉しろ
・うまい米の銘柄とは単一銘柄米(ノットブレンド米)。均一に炊けるので自分で好みの水分量に調節することができる。粒の小さい銘柄の米は水多め。ササニシキだろうがコシヒカリだろうがブレンド米はいまいち(個人の感想です)。
・炊飯器の内蓋をあらわなければ米を研がないより酷いことがおこる
缶詰のトウモロコシは、スイートコーン種という品種です。未熟果を野菜として食べる品種。それを水煮して缶詰にしています。
どのように加工してもポップコーンにはなりません。
ポップコーン用のトウモロコシは、爆裂種(ポップコーン)という品種です。完熟種実を乾燥させたもの。
種実の粒全体が固いでんぷんで覆われているので、加熱したときに中の水分が水蒸気になっても抜け出せず、水蒸気の圧力が限界を超えたときにポンッと破裂する。
甘味種:スイートコーン(sweet corn) … 野菜。未熟果を食用とする。
馬歯種:デントコーン(dent corn) … 穀物。澱粉用、胚芽油用、飼料用。
硬粒種:フリントコーン(flint corn) … 穀物。食用、飼料用。
糯種: ワキシーコーン(waxy corn) … 穀物。澱粉用。
つまり、無理。
>でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。
と当時書いた通り、驚くようなことがいろいろあった。長くなるけど、書く。
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北海道に戻って直後に開設していた、自分のホームページ。内容は、パソコン関係とタイ・インドの旅行記録だった。いわゆるテキストサイト。
その自サイトの掲示板(Teacup)にふらっとSF作家のOさんが現れて、常連になった。当時開設されたばかりのGoogle検索の性能の良さに二人で驚いたりした記憶がある(なにせそれまでのロボット型検索はノイズまみれで使い物にならなかったので)。
Oさんは、文章を褒めてくれた。
ネタ系の駄文とはいえ、褒められるのはうれしいものだ(この前、本人にこの話をしてみたらすっかり忘れていて拍子抜けしたのだけども、まあ褒められたほうは覚えていても褒めたほうはそんなものなのだろう)。
で、こちらも試しにOさんの本を読んでみたら予想以上に面白く、すっかりファンになった。
なんやかんやであれから二十年近くが経った現在、Oさんはすっかり著名なSF作家になっている。
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2008年に祖母が亡くなり、その翌年の正月。十万円ほどのお年玉というか、遺産をもらった。
どこかに旅行に行きたいと思っていた自分に、降って湧いたあぶく銭。いろいろ行き先を考えているうちに「自分は北海道の端っこに住んでいるのだから、ここから青春18きっぷを使って鈍行列車に乗りまくれば一万二千円で日本縦断できるんじゃね?」というプランを思いついた。
鈍行列車で日本縦断すれば、今までネットを通じて知り合った全国の知り合いとリアルに会える。
このプランをmixiの日記に書いたところ、青森・東京・名古屋・九州などの知り合いが同調してくれた。Oさんに至っては名古屋から鹿児島まで同行するという。
JailBreakして無理やり動画を録れるようにしたiPhone 3Gで、記録を取りながら旅行を楽しんだ。
これが祖母の遺産の正しい使い方はどうかは怪しいが、経験という意味では間違いなく面白かった。
Oさんにリアルで会うのは初めてだったが、ネットでは結構長い。会った時だけ作家センセイとして持ち上げるのもなんか違う気がしたので、なかば意識的にタメ口で通した。たぶんかなり失礼なことも言ったと思う。
ただ、内心ではOさんの行動や会話の端々に出る、無限の想像力と好奇心に圧倒されていた。
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鈍行日本縦断旅行の翌年。2010年の年末頃に、地元のバーのマスターに呼ばれた。
行くと、何やら会合中だった。メンバーは農家さん・公務員・自営業などバラバラ。
世界一大きなでんぷんだんごを作ってギネスに登録したいということで、ネット経由の手続きを頼まれた。
でんぷんだんごは地元に古くからある郷土料理、というかおやつだ。団子といっても串には刺さず、じゃがいも澱粉と金時豆と砂糖を熱湯で捏ねて、鉄板で平べったく焼き上げる。
当時、ギネス社は公式サイトに日本語の申込みフォームを置いていなかった。約六万円の申請費用を払い、Google翻訳を使った怪しげな英語でなんとかギネス社とやり取りをする。
翌年の二月二十六日、巨大でんぷんだんごを焼くイベントを開催。十台以上のビデオカメラで撮影した証拠映像を編集してギネス社に送ると、数ヶ月後に無事に認定された。
だが、本当にすごいことはギネス登録とは直接関係なく起こっていた。
もともとギネス登録にはメディアの報道記録が不可欠。そのため新聞やテレビ局にも来てもらっていたのだが、それが九州の深夜ラジオでも放送されたのだそうだ。
そしてそれを寝床で聴いていたのが、九州土産として有名なせんべいの製造会社の社長だった。当時は世界的に澱粉が品不足だったらしく、ラジオを聴いたその社長は「なんてもったいない使い方をしてるんだ!」と思ったとのこと。
社長は翌日に町役場に電話を掛けてきて、紆余曲折の末に、町の廃校を改装してせんべい工場を作ることになった。雇用と経済効果は結構なものだ。
この件では自分は基本的に言われるままに動いただけなのだが、「まあやってみよう」から始まったことが結果的に大きな結果を出したことに、強烈な印象を持った。
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さて、自分自身は、というと。
前回書いた小さな文房具屋のあとを継ぐことになるかと思いきや、家庭の事情もあり、店はあっさりと閉店。自分は独立して隣町に引越し、かねてからやっていたパソコンサポート業やWeb制作業に専念することになった。
そして前回の投稿でも書いた、東京時代からの友人であり、タイとインドの一ヶ月強制放浪の発端になった男、T君。
東京のIT企業で派遣社員をやっていた彼は、リーマンショックの余波で仕事を失い、別な仕事に着いていた。
東日本大震災の直後、多少心配になって「こっちに来たら?」とメッセージを送ったところ、その年の夏ごろに本当にこっちにやってきた。変なところが身が軽い。自分と基本的に同類なのだろう。
ノリと勢いで呼んだ割に未だに大した仕事も振れなくて少々申し訳ないのだが、T君は今もなんとかこっちでやっている。こっちで嫁さんまで見つけているので、まあ結果オーライということにして欲しい。
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そう言えば2012年に世界は一度終わりかけていたそうです、太陽嵐で
https://www.gizmodo.jp/2014/03/2012_22.html
なんだそれ、と思っていろいろと調べると「今後10年間で巨大太陽嵐が起こる確率は12%」という記事も見つかった。
なにそれ、危ないぢゃん! なんで大騒ぎになってないの? それとも自分が知らなかっただけ?
そう思っていろいろと調べたが、学術的な資料は見つかるものの、あまりわかりやすい解説はなかった。
巨大な太陽嵐を喰らうと夜空には真っ赤なオーロラが出て、その後数年間に渡る停電が発生するらしい。
怖いけど、なんというか、絵になるな。そう思った。
今までこういう内容を書いた映画とか小説とか、無いのだろうか。そう思って一通り調べたのだけど、なぜかほぼ皆無だった。
なんでこんな面白そうなネタ、誰も物語にしてないの? というか、これって学者さんだけじゃなくみんなが知っておかないとまずい話じゃないの?
そう思い、実際に太陽嵐による災害が起こったらどうなるのかを調べて、その後の世界を想像した文章を断片的に書いていった。
この災害は世界レベルでの停電が起こるから、テレビや携帯もネットも一瞬で使えなくなる。
「何が起こったのか」すらわからないという状況から事態を探っていく姿を、災害に遭った主人公の一人称で書く。この方針が決まると、迷わず書けた。
毎日仕事が終わって寝る前に約二時間づつ、コツコツと書いていく。
そういえば自分は絵とか写真とか映像とか、スキルを活用した元手のかからない仕事を常に模索しているのに、文章に関してはなぜか仕事にしようと思ったことがなかった。実際、どこまでやれるのだろうか。
どこに発表するかは、すぐに決まった。2017年3月末が締め切りの、SF小説のコンテストだ。
日本沈没などのディザスターものがSFなら、これもSFと言っていいのではないか。そう思ったからだ。
そして何より、このコンテストの審査員にはOさんがいた。賞を取れるとか取れない以前に、もしこれが最終候補まで残り、Oさんが読むところまで行ったら実に面白い。
そういういたずらのような動機で、Oさんに完全に内緒で応募した。
さっさと結果を言うと、大賞は取れなかったけど最終候補には残った。初めて書いた小説の結果としては上出来だろうし、Oさんが読むところまでたどり着いたのだから一応目的は達したことになる。
(ただ、間抜けなことに、最終候補まで行ったという連絡を聞いた段階で「初めて書いてここまで来たなら、このまま賞取れるんじゃね?」と妙な自信を持ってしまい、発表当日には身内で待ち会までやっていたという……)
その日の夜に電話でOさんに言われて初めて気づいたのだが、古くからの知り合いという時点で審査員としての客観的評価が難しくなる(対外的な意味でも)。
こっちはOさんがそんな贔屓をする人でないことは重々わかっているのでなんとも思わずに応募してしまったが、言われてみれば当たり前の話だ。
結局Oさんは私の作品のみ、採点をパスしたそうだ。結構な迷惑をかけてしまった。
(後日「なんでわざわざ不利になるようなことするの」と言われて笑ってしまった)
なんやかんやあったけど落選したので、作った小説はWebに放流して供養しようかと思っていた数日後。出版社から「出版を検討しているので公開は待って(意訳)」というメールが届き、仕事中にスマホで読んだ自分はその場で膝から崩れ落ちた(うれしくて)。
後日、コンテストの講評を読んだ。大雑把にいうと「SFとは違うかもしれないがリアリティはある」という評価だった。
そりゃそうだ、と思う。明日あるかもしれない災害を書いている上に、登場人物のほぼ全員が実在の人物なんだから。
今回の小説では、自分の周りの人を名前だけ変えてほとんどそのまま出している。
これは、書く時にものすごく良い効果があった。読ませたい相手がはっきりするのだ。
モデルとなった地元の人・Oさん・そして、太陽嵐の災害をしらないすべての人に向けて、書く。
そのため、途中でほとんど悩まなかった。やっぱりモチベーションって大事だよな、と思う。
そして、興味があることに関してとことん調べられるという意味でインターネットはやっぱりすごい。知の高速道路と言われる理由もよくわかる。
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でんぷんだんご→工場誘致の時にも思ったことだが、リアル世界って、自分が動けば動くだけきっちり反応があって面白い。
まさか四十も過ぎてからこんなことがあるとは思わなかった。もはや自分にとって、ファンタジーよりもファンタジーな展開がリアルに起こっている。ゲームとして見ても、これは相当面白い。
今日発売になる自分の小説の帯裏には、同日に発売されるOさんの小説の宣伝が載っている。
これでほーんの少しは、恩返しできるかなあ。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
これが所謂『読みづらい』と思われる原因は、おそらく1つの文章内に要素が複数あるからだと思う。
先に例示すると、以下のような書き換えになる。
具体的に意識しているのは、以下のこと。
他にも意識してることは多分あるだろうけど、とりあえずパッと思いついたことだけ。
小説とか表現が必要なジャンルは別だけど、基本的に意図したことが伝わらなきゃ意味がない。
ピーナッツをほおばりながら、扇子を仰ぐ。
非常に暑い。。
気持ちのよい、というより、きもち、気持ちのよい昼下がりである。太陽はすでに存在を夏として同化し、俺の存在を見てくれといわんばかりにムキムキで俺らを悩ませる。
ムキムキの太陽はまるで歌の広場のロゴマークのような形であり、ソフトクリームをなめるそのしぐさに惹かれている((c)ビーズ)。
異様に時間が過ぎるのは遅い。まるで日本代表のパスサッカーのように、何も起こらない時間が続く。
たった今テレビのリモコンを押してみる。
とっても退屈だ。
澱粉のようにお湯で溶かしてドロドロになった暑い夏休みの暑い昼下がり、まったく進まない文章の展開と、まったくアイデアのわかない脳みそ。
それを俺は「夏休み」と名づけた。
「昼休み」でもいいけど、「夏の昼休み」は包含関係的には夏∋昼なので「夏休み」を採用したんだな。これが。
タバコに火をつけて一本の煙が舞い上がる。煙は天井まであがるとで折れて、右曲がりにひろがっていった。まあ、左にも曲がっていったんだけど、右曲がりの煙の方が多かったかもしれない。
煙はぐるぐると→→↓↓と結局部屋を対流しはじめた。
小学校の教科書の「対流」ページの動きだ。なんて想像通りなのだろう。まるで、日本代表のパスコースのように読め読めだ。
リモコンボタンを取り出して、適当に必殺技っぽく←→→→のボタンを押してみる。なんだかよくわからないチャンネルにつながった。今までみたことのないチャンネルだ。